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竹林軒出張所

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タグ:本 ( 665 ) タグの人気記事

ちょっとひとこと

 かつてある知り合いから、このブログで紹介している本について、本当に全部読んでいるのかと訊ねられたことがある。確かに数日間に渡って何冊も立て続けに紹介するので、こういった疑問も当然だとは思うが、声(文字)を大にして言いたい。
全部読んでいます!
映画やドキュメンタリーも、ここで扱うものについては全部隅から隅まで見ている。ただし注をつけるならば、ここに紹介している記事は、概ね随時書き溜めたものであるため、ここに出てくるタイミングで読んだり見たりしているわけではない。このことはお断りしておかねばなるまい。
b0189364_18521724.jpg たとえばこの数日間で、ドナルド・キーン著の『明治天皇』を〈1〉〜〈3〉まで3日続けて紹介したが、実はそれぞれの冊を読み終わるのにそれなりに時間がかかっている(そもそも僕は本を読むのが速い方ではない)。〈1〉を読み終わったのが7月の初め頃で〈2〉は7月の終わり頃、〈3〉が8月上旬である。〈4〉は現在読んでいる最中で、おそらく8月末ぐらいには読み終わるんじゃないかと思う。このような具合で、このブログに挙げるに当たって、ある程度の原稿を書き溜め、その上で映画→ドキュメンタリー→本→ドラマの順番に2〜4本ずつ連続で、2日に1回程度のペースでアップするというのが目下のスケジュールである。ある程度関連性のあるものをまとめていることから(たとえばこの『明治天皇』の前はエッセイ3点、そしてドナルド・キーン繋がりで『明治天皇』に繋がっている。このあたり気付いていただけるともっと楽しめます)、中には先延ばしになってしまうものもある。書き溜めた量がある程度増えたら、掲載するペースもアップして数日間連続で……ということもある。僕自身このブログもなるべく継続したいと思っているため、間があまり空かないようにしたいと思ってはいる(間が空くとそれが普通になってしまってだんだんやらなくなってしまうのが常)が、あまりに溜まってしまっても、アップする頃にはこちらが内容を忘れてしまうなどということもあり得るわけで、個人的に新鮮さが失われてしまうということになる。そういうわけで、どういうペースでアップするかは、随時考えているわけだ。特に私生活で暇が続くと、DVDレコーダーに撮り溜めしている映画やドキュメンタリーをなるべく多く見て消費してしまおうと考えていて、それで見る映画やドキュメンタリーの数が多めになり、結果的に原稿が増えてしまう。そういうことがあると、その後しばらく毎日投稿が続くということにもなる。
 最近は、以前と比べてアップロードする間隔がやや空く(ほぼ1日おき)ようになったせいか、あるいはあまり一般受けしない素材が多くなったせいか、はたまた文章のレベルが落ちてしまったせいか知らんが、アクセス数が以前より大分減ってきており、それはそれで別に構わないんだが、そのこともあって必ずしも(読んでいる人を意識してサービス精神で)立て続けに連続で投稿することに必要性を感じていない。結局は自分が後で振り返るという目的が主になるのであるから、あくまで自分のペースを守りたいと思っている。ここを頻繁に訪れてくださっている皆さんには申し訳ないが、無理しても続かないのは目に見えているので、ご了承いただきたいところです。

by chikurinken | 2018-08-18 07:51 |

『明治天皇〈三〉』(本)

明治天皇〈三〉
ドナルド・キーン著、角地幸男訳
新潮文庫

「目からウロコ」が続出

b0189364_16580458.jpg 明治天皇の生涯に迫るノンフィクションで、文庫版全4巻構成の第3巻が本書。朝鮮情勢、条約改正交渉、憲法発布、衆議院銀選挙実施、日清戦争、閔妃暗殺、北清事変などが扱われる。日本にとっての富国強兵の時代である。これらの事績は、明治天皇が「大帝」と呼ばれるゆえんにもなっている。
 だが実際は、必ずしも学校で教わるように計画的かつ漸進的に進んだわけではないことがわかる。実際の政策は、結構行き当たりばったりで、憲法や民会にしても時期尚早とする声が政府関係者の間には大きく、そのせいでなかなか進まない(民会開催まで結局15年かかる)。実際始めたら始めたで、選挙には暴力や賄賂がつきまとい、民会(衆議院)側も政府と敵対して、何も決められずという状態が長く続く。まあ、それがリアルな歴史ということだろう。
 一番驚くのは日清戦争で、この戦争も司馬遼太郎の小説や学校の歴史では、大日本帝国が東洋の覇権を握るべく着々と準備してきたというような描かれ方だが、実際のところは、開戦2カ月前くらいまで、政府の誰もが清国との戦争を想定していなかったというのである。全然「着々と準備」という感じではない。本書からの印象では、大敗北しなくてラッキーぐらいの感覚に近かったようだ。また、日清戦争中の旅順での大日本帝国軍による虐殺事件もあまり教科書で触れられることはないが、世界に「野蛮な劣等国」の印象を与えるのではないかということで、政府関係者が汲々としたなどという事実が語られ、非常に新鮮である。司馬遼太郎の『坂の上の雲』によると、当時の大日本帝国の軍隊は(列強諸国から非難を受けないようにするため)国際法を厳密に遵守すべく、違法行為が見られない規律正しい軍隊だったという風に描かれていたと記憶しているが、実際のところ、当然だが、決してそんな軍隊ではなかったことがわかる(そんな軍隊があったらお目にかかりたいもんだ)。後の関東軍の風はこのときから芽生えていたということである。
 もう一つ新鮮だったのは大津事件(来日中のロシア皇太子ニコライ2世が大津で暴漢に襲われた事件)に際して、死刑を求める政府関係者に対して、法による支配を断固主張し一歩も譲らなかった大審院長、児島惟謙(これかた)の行動で、今より政府権力が強いあの時代に、この地位の判事が今では考えられない主張を展開したことにあらためて驚く。このあたりの政府関係者とのやりとりも真に迫っていて、非常に読み応えのある箇所である(第四十二章「ロシア皇太子襲撃」)。
 明治天皇自身は、この時代、政治にも積極的に関与するようになっており、政治に口を出すことも頻繁ではないがやっている。基本的には、政府のトップ(太政大臣や内閣総理大臣など)に政治を任せるというスタンスではあるが、岩倉具視や伊藤博文などは、天皇に詔勅を出すよう求めたりもしていて、明治天皇と国のトップとの関係性がなかなか面白味を感じさせる。何より驚くのは、近代体制ができた後、首相に就任した人々がことあるごとに天皇に辞意を示し、慰留される(結局辞めるんだが)ということがたびたびあることで、何か気に食わないことがあるとすぐに辞めようとする首脳にはあきれかえってしまう。明治天皇もこういった連中にはさぞかし頭を悩ませたのではないかと、この本を読みながら感じる。こういう連中をうまいこと使いこなしたんだから、やはり明治時代の帝国の発展は、管理者としての明治天皇の業績と言うことができるかも知れない。
第56回毎日出版文化賞人文・社会部門受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『明治天皇〈一〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈二〉(本)』
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『西園寺公望 最後の元老(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

by chikurinken | 2018-08-17 07:57 |

『明治天皇〈二〉』(本)

明治天皇〈二〉
ドナルド・キーン著、角地幸男訳
新潮文庫

歴史を膚で感じる

b0189364_19322463.jpg 明治天皇の生涯に迫るノンフィクションで、文庫版全4巻構成の第2巻が本書。明治維新から明治14年の政変、自由民権運動あたりまでがその内容になる。
 新しい政体になって、政治機構が徐々にできあがり(紆余曲折はかなりあるが)、政府が少しずつ機能するようになる。やがて廃藩置県を断行し、中央集権体制に徐々に移行していく。
 外交的には対朝鮮政策(いわゆる征韓論争)で揉め、政府内が二分されるような議論になる。その上、政府要人の江藤新平、西郷隆盛、板垣退助らが下野するという異常事態になる(明治六年の政変)。しかもその後、彼らが地方で反乱を起こし(佐賀の乱から西南戦争まで)、国内は一部内戦状態になる。結局は、徴兵制で富国(はともかく)強兵を果たしつつある政府軍が、反乱軍を抑え込むことに成功し、政府直属の正規軍の力が証明されることになった。そのため、以後国内に大規模な反乱はなくなる。同時に士族の処分も(政府側からすると)無事に終わることになる。
 同時に台湾問題、琉球問題も現れ、このあたりは清国やヨーロッパ諸国と牽制しながら乗り切るが、領土問題については、このときの中途半端な処理が現在にも一部禍根を残す結果になった。
 また、各地で反政府運動が起こってくるのもこの時代。そういった時代に、新政府の新しい顔として、各地域を積極的に行幸してまわったのが明治天皇。民衆に対する顔見せ(実際に顔を見せたかどうかはともかく)、それから各地域の教育や産業の状況を視察するというのがその名目だったが、少なくとも当時の民衆からの受けは良かったようで、天皇の存在価値を民衆に植え付ける結果になった。
 その後、旧士族を中心に政治参加を求める動きが現れ、政府も立憲政体樹立の方向に舵を切る。そのあたりまでがこの第2巻の内容である。
 第1巻同様、割合ゆっくりと話が進むが、ゆっくりだからか、読んでいると、歴史のミクロ的な側面に触れられるような気がしてくる。特に現代から歴史を見る場合、どうしてもその後の体制から遡って物事を考えがちであるが、その時代にいれば先が見えないわけで、それを考えると、遡って考えるという帰納的な歴史認識が必ずしも正しくないということが実感できる。たとえば西南戦争などは、現代の視点から見れば「不平士族の反乱」で済むが、当時の感覚では内戦に近かったわけで、政府軍が物量で圧倒していたとは言え、鹿児島で持久戦になって、各地の不平士族がこれに連帯したりしたら、それこそ政府が明治転覆していてもおかしくなかったという状況だったらしい。そういう歴史の側面を感じられる点が、この本の大きな魅力である。その後、第3巻も買ったんで、おそらく最後まで読むんではないかと思う。記述は平易だが、分量が多いせいか読むのには結構時間がかかっている。
第56回毎日出版文化賞人文・社会部門受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『明治天皇〈一〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈三〉(本)』
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『西園寺公望 最後の元老(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

by chikurinken | 2018-08-16 07:32 |

『明治天皇〈一〉』(本)

明治天皇〈一〉
ドナルド・キーン著、角地幸男訳
新潮文庫

歴史の大きなうねりに身を任せる

b0189364_18282572.jpg 明治天皇の生涯に迫るノンフィクションで、文庫版全4巻構成の第1巻が本書。明治天皇誕生から明治維新前後までがその内容になる。
 『百代の過客』のドナルド・キーンらしく、さまざまな日記や文献を基にして明治天皇の生涯を追っていこうという試みで、本書の情報源の中心は『明治天皇紀』(宮内省が編纂した明治天皇言行録)である。天皇周辺の人々の日記などからも引用があり、広範囲のソースから当時の状況を明らかにしていこうというアプローチで、真摯な学術的な態度が好ましい。明治天皇の生涯といっても、当然のことながら、それを取り巻く政治、社会の状況が中心になり、天皇の目から見た日本近代史という内容である。このあたりは『西園寺公望 最後の元老』などの書と同じ方法論である。天皇に視点を置いたのは、明治天皇が、西園寺公望同様、政治の中枢に籍を置いている人物であることを考えると、歴史を探るという目的に叶った現実的なアプローチと言える。
 本書の前半は、明治天皇はその姿をあまり現さず、父帝の孝明天皇中心になる。孝明天皇の時代、つまり嘉永期から安政・万延・文久期、諸外国が通商や外交関係を求めて日本の近海に現れてくる。孝明天皇より前の時代には、天皇自身が政治に関わることはほとんどなかったが、外国人が現れ不平等条約調印に至る過程で、江戸幕府は朝廷や大名にも政治的な案件について諮問し、条約調印についても朝廷から許可を得るという方向に変わってくる。そのために朝廷の力が相対的に高まってきたのがこの幕末である。ただし、孝明天皇自身は、その間も幕府と非常に良好な関係を保っており、「公武合体」を推進する保守派であったが、ただし外国人嫌いであったために、神戸の開港については最後まで抵抗を見せた。また、孝明天皇自身も、外国人排斥の「攘夷」を望んでいた。とはいっても、これはあくまでも幕府に対して望んでいたのである。実際、十四代将軍徳川家茂とは個人的にも非常に良好な関係を築いていた。ところが、長州藩や薩摩藩の一部の過激勢力が幕府と政治的に対立を始め、攘夷決行を幕府に迫るようになり、しかもそれがテロを交えた運動へと発展していくことになる。朝廷内の一部勢力も、こういった過激派と連動し、朝廷内で攘夷と朝廷の政権奪取を望んで運動をする過激公卿が現れてくる。孝明天皇は、穏健な保守派であることから、こういった動きに対して反発し、あくまで幕府主体の攘夷を望むのであるが、幕府勢力は徐々に後退、挙げ句に第二次長州征伐は中途半端な形でうやむやになり、過激派の薩摩藩勢力に幕府軍が破れるという事態にまでなってしまう(鳥羽伏見の戦い)。何より一番大きかったのは、親幕府だった孝明天皇自身がその過程で崩御してしまうという事態であった。こうして歴史は大きくうねり、大政奉還、王政復古という形で、いわゆる「明治維新」が進んでいくのはご存知のとおり。明治天皇も、父帝の死去を承けて、15歳で即位することになった。即位した天皇は、外国の公使らとも積極的に面会し、明治の近代化政策にも積極的に関わるようになっていく。そして明治政府が中心となり、近代化政策を推し進めていく……というのが第1巻の趣旨である。
 幕末から明治にかけての政治史としては、かなり細かく描かれており、そのために文庫で全4巻にもなったんだろうが、このくらい細かいと、なかなか先に進まず、少々じれったく感じる。とは言え、歴史の流れというものは本来そういうものであり、同じようなゆっくりしたリズムで体感していくという意味では、これもありではないかと思う。とりあえず第2巻は読んでみようと思う(もうすでに購入済み)。
第56回毎日出版文化賞人文・社会部門受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『明治天皇〈二〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈三〉(本)』
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『西園寺公望 最後の元老(本)』
竹林軒出張所『幕末史(本)』
竹林軒出張所『決戦!鳥羽伏見の戦い(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

by chikurinken | 2018-08-15 07:28 |

『日本語の美』(本)

日本語の美
ドナルド・キーン著
中公文庫

とりとめもなし
目新しさもなし


b0189364_18572228.jpg 日本文学研究者のドナルド・キーンのエッセイ集。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの3部構成になっており、『中央公論』の巻頭言として2年間連載していたものがⅠで、ⅡとⅢがいろいろな雑誌からピックアップしたエッセイ。
 タイトルが『日本語の美』になっているが、日本語の美に関連するような話はない。ただ、エッセイはどれも著者が日本語で書いたもので、しかも日本語について述べたものも多いため、タイトルに偽りがあるわけではない。とは言え、雑多なエッセイの寄せ集めであり、全体的にとりとめがないという印象は拭いがたい。
 石川啄木論や徳田秋声論は『百代の過客〈続〉』と内容がかぶるし、三島由紀夫や安部公房について書いた文章も、あまり目新しさは感じない。総じて面白味がないという印象である。編集サイドのやっつけ仕事という感がなきにしもあらず。この本を読むんなら、『百代の過客』や『ドナルド・キーン自伝』『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』などの著書の方をお奨めしたい。
★★★

参考:
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン わたしの日本語修行(本)』
竹林軒出張所『私が愛する日本人へ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

by chikurinken | 2018-08-13 07:56 |

『硝子戸の中』(本)

硝子戸の中
夏目漱石著
岩波文庫

大漱石の身辺雑記

b0189364_14553901.jpg 夏目漱石が、いわゆる「修善寺の大患」から一命を取り留めた後に書いた随筆集。タイトルの「硝子戸の中」は、養生のために自室の中に留まることが多かった漱石が、ガラス戸で囲まれた狭い世界に引きこもりながらも思いのたけを綴るという意味あいで付けられたもの。そのあたりの事情は、序章に当たる「一」で語られる。
 この随筆集は「一」から「三十九」までの39編で構成されており、元々は『大阪朝日新聞』に一編ずつ連載されたものである。それぞれ原稿用紙4枚程度の短い随筆で、中には2回、3回続きのものもある。当然のことながら、漱石の身辺のことが綴られて、小説とは異なる事情がいろいろと語られる。やたら色紙に俳句を書いてくれろと迫ってくる少々異常なファンの話(十二、十三)とか、たびたび家に訪ねてくる、何かを秘めていそうな女の話(六、七、八)とかが印象深い。とは言え、どれも身辺雑記みたいな話で、大漱石とは言え、飛びつくような面白い話はあまりない。
 ただしこの本、岩波文庫だからか解説(竹盛天雄著)が非常に丁寧で、全編がどういう構成になっているかとか、草稿の段階からどのような話が削られたかとか、なかなか興味深い内容が紹介される。さらには、「硝子戸の中」の「中」を「なか」と読むべきか「うち」と読むべきかというような考察もある。まさに「解説」である。文庫本の解説は一般的にひどいものが多いというのが現実であるが、岩波文庫の解説はひと味違う(竹林軒出張所『富嶽百景・走れメロス 他八篇(本)』を参照)。どこの出版社もこれぐらいの文章を載せるよう心がけてほしいものである。
★★★

参考:
竹林軒出張所『こころ(本)』
竹林軒出張所『三四郎(本)』
竹林軒出張所『草枕(本)』
竹林軒出張所『漱石の印税帖 娘婿がみた素顔の文豪(本)』
竹林軒出張所『夏目漱石の妻』(2)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『漱石悶々(ドラマ)』
竹林軒出張所『富嶽百景・走れメロス 他八篇(本)』

by chikurinken | 2018-08-11 07:55 |

『父の詫び状』(本)

父の詫び状
向田邦子著
文春文庫

三題噺みたいなエッセイが多い

b0189364_18595306.jpg 脚本家、向田邦子の処女エッセイ集。元々『銀座百点』という雑誌で連載していたもので、その中から24点を抜粋して一冊の本にしたというのがこの本。
 全体的には、書き殴りみたいなエッセイで、あるテーマに沿ったいくつかのエピソードを書き連ねるというものである。そのため、あまり面白味のないものもあるが、著者の幼少時代について書いたエピソードはかなりユニークである。
 こういった箇所では、著者の幼少時代の父母、兄弟姉妹、当時の生活の想い出が描かれており、それがために昭和初期から戦後までの日本の1家族の姿というものがあぶり出されていて、非常に興味深く読んだ。特に、小さなことで怒りすぐに怒鳴り散らす父親のエピソードが非常に印象的であり、この父親のイメージは、著者が脚本を書いた『あ・うん』の登場人物とも重なる。こういうところに著者の経験が反映されているということがわかる。また、このエッセイに登場する著者の母のイメージもこのドラマの登場人物(妻であり母である女性)に近いような気がする。
 目を引いた項は、表題作の「父の詫び状」の他、「お辞儀」と「子供達の夜」あたりか。「お辞儀」に出てくる黒柳徹子の留守番電話のエピソードは、『トットてれび』でも再現されていたもので、割合有名な話だが、初出はこのエッセイだろうと思う。ちなみに『トットてれび』には「向田邦子」(ミムラが演じていた)も登場していた。あのドラマはつまらなかったが「向田邦子」の印象は残っている。また「父の詫び状」についてはその後ドラマ化されている。内容についてはよく知らないが、このエッセイのエピソードをまとめてドラマにしたものではないかと推測される。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『あ・うん (1)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『阿修羅のごとく(ドラマ)』
竹林軒出張所『阿修羅のごとく パートⅡ (1)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『胡桃の部屋 (1)〜(3)(ドラマ)』
竹林軒出張所『思い出トランプ(ドラマ)』
竹林軒出張所『寺内貫太郎一家 (22)(ドラマ)』
竹林軒出張所『花の名前 向田邦子漫画館(本)』
竹林軒出張所『その時あの時の今 私記テレビドラマ50年(本)』

by chikurinken | 2018-08-09 06:59 |

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(本)

AI vs. 教科書が読めない子どもたち
新井紀子著
東洋経済新報社

論理の飛躍がはなはだ多い
特に後半は読むに堪えない


b0189364_17002021.jpg AI(人工知能)の研究をしているという数学者が、現在いろいろと物議を醸しているAIの真の正体をさらす本。「AIが神になる」、「AIが人類を滅ぼす」、「シンギュラリティ(AIが人間の知性を超える点)が到来する」などと世間で言われていることは現状ではあり得ないというのが著者の意見。しかしながら、近い将来、現在人間が行っている多くの仕事がAIに取って代わる可能性は非常に高いという。そのために、私たちはAIに取って代われないような技能を習得し、AIに仕事を奪われないようにすべきと主張する。ところが、AIにとって一番苦手な技能である読解力を、今の日本の若者の多くが持っていないため、しっかり勉強させて読解力を付けさせるべきというのがこの本の主張である。
 前半は、AIの専門家の立場から、AIの限界について語っていて、なかなか有意義である。特に昨今、AIは、将棋や囲碁など、さまざまな分野で人間より優れたパフォーマンスを示しており、しかもアメリカではクイズ王になるAIすら登場していることが注目を集めている。そのため現在、AIの無限の可能性があちこちで語られるようになっているが、現実的には、人間の能力にはまったく及ばないらしい。そもそもAIに仕事をさせるためには、そのために人間がプログラムを書いたり、さまざまなデータを教え込んだりしなければならず、しかもそれはすべて数学的な知識が基になっているため、数学的に解明されていないさまざまな事象については、機械で肩代わりさせることは不可能である(著者によると)。つまり、脳の働きを含む、自然界の事象のほとんどはいまだに未解明であるため、機械に人間の脳の働きをさせることはできないと言うのである。そのため、人間の智を超えるような機械を、現時点で人間が作り出すことは不可能ということになる。実際、普通の人間がごく簡単にできるようなことでさえ、機械にやらせることには多くの場合多大な困難がつきまとうらしい。
 現在AIが過剰に注目されているのは、ディープ・ラーニングなどの手法で、機械自体が自身で学習できるようになったたためであるが、実際のところ、これは過大評価に過ぎないというのが著者の主張である。著者によると、数学は、現在「論理」、「確率」、「統計」の3つの方法で表現されているが、現実的には機械で「論理」を行わせるのは困難を極める。そこで「確率」、「統計」により、あてずっぽうで結果の正解率を上げているというのが現状らしい。このあたりが前半部分で、こういう専門家による体験的な理屈にはなかなか説得力があって、なるほどね……と思う。

 ところが後半になって、現代の日本の若者の読解力の問題や、AIに仕事を奪われないよう読解力をつけさせるべきなどという主張になると、ツッコミどころが満載になってくる。このあたりは、科学や統計の体裁を取っているが、ほとんどが著者の直感だけの議論で、論理性が著しく欠如している。したがって説得力がなく、読むに堪えないというのが、僕の感想である。
 まず、今現在の子どもたちに読解力がないということを示していく。そのために、自らが開発したリーディングスキルテスト(RST)なるものが紹介される。そしてこれを、いくつかの学校で実施させた結果、結果が芳しくなかったということが、子どもの読解力のなさを証明する有力な証左だというのだ。このあたりがさも事実であるかのごとく、ダラダラと紹介されていく。だがこのRST自体、僕が見るところかなり怪しい代物であると思う(内容は中高の受験教材みたいなものであるため、ある程度の基礎知識がなければ誤解するのも免れないと思える)。これができたから読解力がある、できないから読解力がないなどというのは、一つの(宗教がかった)見方に過ぎないと感じる。著者によると、このテストは、素材自体、教科書から採用したものであるため、「これを誤解すること」=「教科書が読めない」と結論付けられるそうだが、教科書を読む場合でも、通常は基本的な知識を身につけた上でなければ内容がわからないことは往々にしてある。したがって、同じ学年の生徒が同じ学年の教科書の文章を見せられて誤解したとしても「教科書が読めない」と断定することには無理がある。よしんばそれで「教科書が読めない」ということになったとしても、そうであれば、その教科書の記述に問題があるという結論の方が正しいのではないか。
 また、たとえ教科書が読めないからといって、それでAIが苦手な仕事を行うことができないという結論も論理が飛躍しすぎている。この本で紹介されている「10〜20年後まで残る職業」の中には、学校の成績と関係ないようなものもたくさんあるし、読みづらい教科書が読めなくても問題はないと感じるものも多い。
 先ほども言ったが、RST自体、高校や大学の受験の問題で出てくるような形式の問題が多く、結局これができたということは受験の問題ができるという程度の証明にしかならないように思う。進学校の生徒の成績が良かったというような結論も示されているが、当たり前である。進学校ではそういう勉強ばかりやってんだから。

 著者は現在「教育のための科学研究所」という社団法人の代表をやっており、RSTもここが開発したものだそうで、このRSTを全国の中学・高校に普及させたいと考えているらしい。しかもRSTを採用した学校、およびその教員については、意識が高いなどとべた褒めしている。僕には、この著者の主張は、結局のところ、日本の受験ヒエラルキー擁護者〈あるいは学歴至上主義者〉によく見られるような議論、言い換えるならば難関大学(入学難易度の高い大学)に行った人がエラいみたいな受験至上主義のように映る。このRSTというテストも、受験勉強至上主義のあだ花のように見える。そのため個人的には、このようなバカバカしいテストをありがたがって採用したりする学校がこれ以上現れないことを切に願う……ということになる。
 この本の後半部分から受ける印象は、自分が設定した結論に持っていきたいがために、いろいろな都合の良い題材を集めてその裏付けに使っているというものである。これを勘案すると、この著者の愛読書がデカルトの『方法序説』だというのも十分頷ける話である(このことは、本書で紹介されている)。デカルトは、同様の帰納的な方法論を採用して、神の存在を証明してしまった人だ(もちろん『方法序説』の中で「我思う故に我あり」という画期的な発想をしたことは評価に値するし、それがこの著書の価値を決定しているわけだが)。
 またこの著者は本を年間5冊程度しか読まない(だが自分には読解力がある〈これについてははっきりとは書いていないが〉)などとも豪語しているが、読解力をつけるには、ある程度の数の本を読むのは必要条件だと個人的には思う。著者は、本の数と読解力には関連性がないことがデータで示されているみたいなことも書いているが、詳細については書いていない。そのあたりについても、本当にそうなのか、どうやってそのことを証明したのか、その証明方法に説得力があるのかということについて、この本の後半部でデータを示しながら紹介してほしかったところである。僕としてはむしろ、この著者の読解力、文章作成能力、論理力の方を疑問視したいところである。

 このようにこの本の後半部分は、科学の体裁を取っているが、論理の飛躍がはなはだ多く、本当にこの著者は数学者なのかと感じるほど、論述が非論理的である。そのため、著者が出しているいろいろな未来予想が、どれもデタラメに思われ(実際にそうなんだろうが)、結局は自分が直感的に思ったことを並べているだけではないかと感じる。こういう展開にしてしまうと、せっかくある程度説得力を持つ前半部分(AIの真の姿をさらした部分)の価値も著しく低下してしまう。
 要するに、大した発想力もないんだから自分の専門以外にあまり口を出さない方が良いですよ、というのが僕の私見ということになる。言い換えれば、専門バカの方は、自分の専門に絞って、できれば周りの人が面白いと感じるような専門的な知識を披露すべきではないですか……というのが、一読者としての僕の考え方である。
★★☆

参考:
竹林軒出張所『運命の一手 渡辺竜王 VS 人工知能・ボナンザ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『棋士VS将棋ソフト 激闘5番勝負(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『最強ソフトVS個性派棋士(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-08-07 07:00 |

『カルトの思い出』(本)

カルトの思い出
手持望著
エンターブレイン

反カルト・キャンペーンのマンガ

b0189364_19191252.jpg カルト宗教を信じて、街宣活動をやったり怪しげな品物を売ったりしていた著者(現在マンガ家らしい)による体験記マンガ。これも一種のエッセイ・マンガである。
 このマンガの主人公の望太郎(著者の分身)は、高校生の頃、「神聖革命PPP教」の「刈人P夫(カルトピーオ)」氏のことをたまたま雑誌で知り、刈人の講演会に出席する。そこで出会った雑誌編集者の鈴木に誘われ、この教団に入ることになる。その後、疑問を持ちながらも教団の方針に従い、活動に積極的に関わるようになる。同時に刈人氏の言葉に絶対的に帰依するような人格になってしまう。だがその後、教団内部の矛盾にも気づき始め、刈人氏に対して疑念が生じるようになって、やがてこの教団と距離を置くようになる。その後は、マンガのアシスタントをやっていたが、自身がカルト信者だった過去となかなか向き合えないでいた。しかしあることをきっかけに、元信者だった自分自身の手で、カルト宗教の内情を描くべきと考えるようになる。こういういきさつで描かれたのがこのマンガであり、内容もそれに沿ったものである。
 僕自身は「1999年に日本が巨大地震で壊滅し、その隙を縫ってクーデターを起こす」などという主張のこのカルト宗教については一切知らなかったし、マンガでもすべて仮名を使っているため本当のところはよくわからないが、Amazonのレビューによると「銀河皇朝軍」(その後いろいろと名前を変えるが)すなわち「ザイン」がこれに当たるということらしい。確かにこの主宰者の伯壬旭という人はかつて「1994年6月24日、東京にマグニチュード9、震度8の大地震が起きる。その後は富士皇朝が全権を掌握する」と主張していたらしい(ウィキペディア情報)。またウィキペディアの「かつて小学館から発行されていたオカルト誌『ワンダーライフ』は、編集長を始めとするスタッフがザインの会員であり、小島の意見を肯定的かつ大々的に取り上げていたため、事実上ザインの機関誌となっていた。」という記述も、この本の内容と合致する。「PPP」や「P夫」のPは、ザインが好んで使っている「Z」との繋がりかと思うが、これも定かではない。
 マンガ自体は、表紙からわかるように、非常にシンプルで記号のような絵ではあるが、内容がしっかり描かれているんでこれはこれで良いかとも思う。もっとも著者の手持望という人、現在はプロのマンガ家なんで、それを考えると絵が手抜きと言えなくもない。もちろんこのマンガは元々(おそらく反カルト・キャンペーンの目的で)ウェブで描いたものであるため(営利目的ではないわけだから)そのあたりは目をつぶるべきなのかも知れない。それに何より、内容がわかりやすい。普通に読んでいると気付きにくいが、コマ割りなどには確かにプロらしい配慮があって、非常に読みやすいのは確かである。
 カルトにはまるということがどういうことなのかよくわかるという点で、著者の目的は十分に達成されているわけで、その一点だけでも十分に価値のある本になっている。少なくともオカルト誌『ワンダーライフ』よりは、はるかに有用で価値がある。これだけは確か。
★★★

参考:
竹林軒出張所『未解決事件File. 02 オウム真理教(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-07-18 07:18 |

『さよなら、カルト村』(本)

さよなら、カルト村
思春期から村を出るまで

高田かや著
文藝春秋

理不尽さはあるが
やはりカルトではないと思う


b0189364_16193375.jpg 農業を中心とした生活を送る「カルト村」で生まれ育った著者による、自伝的マンガ。『カルト村で生まれました。』の続編で、本書では、中学生時代から成人くらいまでの著者の生活が描かれる。
 主人公のかやは、初等部を終えて中等部に入るが、所属する中等部は、初等部のときと違い(中部地方にある)本部にある。本部には、製パン会社から飼料用に譲り受けた(賞味期限切れが近い)菓子パンが大量にあり、誰でも自由に食べることができたため、初等部時代のような飢餓状態からは解放される(実際かなり太ったらしい)。中等部、高等部の生活は、僕から見ると全寮制の学校みたいなイメージで、初等部ほど、外部の環境との著しい違いはない。ただし例によって「世話役」がおり、この世話役によってハラスメントまがいの扱いを受ける。
 たとえば学校の図書館で調べ物をしろと学校の担任から言われたんだがどうしたら良いかと「世話役」に相談したら(村では、学校の図書は利用が禁止されているらしい)、理由も聞かされず罰を受けた(「個別ミーティング」という名の軟禁、この間、学校への通学も禁止される)などは、子どもの側から見るとはなはだ理不尽な扱いで、あり得ないタイプの仕打ちであると思う。もちろんこういった理不尽は「一般」でもいくらでもあるが、生活全般が関わっている集団生活であるため、その影響ははなはだ大きいと言わざるを得ない。
 こういった仕打ちにもめげず、かやは(世話役には以後何も言わずに)図書館の本を片っ端から読むようになり、やがて高等部に進む。高等部でも理不尽な扱いはいろいろあるが、たくましく乗り切り、高等部卒業と同時に「一般」に出ることを決意する……という風に話が進む。一般社会で暮らす現在の話も少しあって、「村」での生活の良い面、悪い面が回想されるが、その結果、経験者が外から見る「閉じた世界」のイメージがあぶり出されることになる。このような本人の回想を勘案しても、やはりこのコミュニティを「カルト」と呼ぶのはちょっとどうかという印象がある。同様の理不尽な扱いは、全寮制の学校や教育現場、あるいは企業などでも、現在の日本にはいくらでもある。それを考えると、現在の日本社会がややカルトがかっているとも言えるってことか。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『カルト村で生まれました。(本)』
竹林軒出張所『平成ジレンマ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『A(映画)』
竹林軒出張所『A2(映画)』
竹林軒出張所『「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔(本)』

by chikurinken | 2018-07-16 07:19 |