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竹林軒出張所

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『百代の過客〈続〉』(本)

百代の過客〈続〉
ドナルド・キーン著、金関寿夫訳
講談社学術文庫

他人の日記の覗き見の仕方として理想的

b0189364_14330807.jpg 『百代の過客』の続編。
 『百代の過客』は、平安期から江戸期までに(日本人によって)書かれた日記を一点ずつ取り上げ、それについて論じるという本であったが、著者の当初の目論見と違って、結局近代の日記を取り上げるに至らなかった。著者によると、あまりに取り上げるべき日記が多すぎたためということらしい。これを承けて、その後、江戸末期から近代までの日記をあらためて取り上げるという続編の連載が朝日新聞で始まった。それをまとめたのがこの『百代の過客〈続〉』である。こちらも本来であれば現代の日記まで到達する予定だったが、大部となったせいで、結局明治時代までで終わってしまった。しかもページ数は前作をかなり上回る大著になっている。
 取り上げられた日記は、大きく7つのカテゴリーに分けられている。1つ目は、幕末から明治初期にかけて欧米に出かけていった人によるもの(「遣米使日記(村垣淡路守範正:1860年の遣米使節団の一員)」、「奉使米利堅紀行(木村摂津守喜毅:咸臨丸司令官)」、「西航記(福沢諭吉)」、「尾蠅欧行漫録(市川渡:遣欧使節団副使の従者)」、「欧行日記(淵辺徳藏:遣欧使節団の一員、洋画の研究のために派遣)」、「仏英行(柴田剛中:遣欧使節団の幕府官僚)」、「航西日記(渋沢栄一)」、「米欧回覧実記(久米邦武:岩倉使節団の正式書記官)」、「航西日乗(成島柳北:東本願寺の現如上人の洋行に随行した文人)」)、つまり欧米での異文化体験について書かれたもの。2つ目は、ヨーロッパ以外の国との接触について書かれたもの(「桟雲峡雨日記(竹添進一郎による中国旅行の漢文日記)」、「松浦武四郎北方日誌(蝦夷地でアイヌと接触しその文化的価値を大いに評価した松浦武四郎による蝦夷探検記)」、「南島探験(笹森儀助による沖縄滞在記)」)。3つ目は著名な文人の海外滞在記(「航西日記(森鷗外の洋行記録)」、「独逸日記(森鷗外のドイツ滞在記)」、「漱石日記(夏目漱石による英国滞在記)」、「新島襄日記(新島襄の青春冒険譚)」)で、4つ目は著名な政治家の日記(「木戸孝允日記」、「植木枝盛日記」)。5つ目は女性による日記(「小梅日記(川合小梅という和歌山在住の女性による、江戸〜明治期の長期に渡る記録)」、「一葉日記(樋口一葉)」、「峰子日記(森鷗外の母、森峰子による日記)」、「津田梅子日記(幼い頃からアメリカに滞在し、帰国してから教育に携わった津田梅子)」、「下村とく日記(写真花嫁として在米の日本人に嫁ぎ、その後太平洋戦争中強制移住させられた経験を持つ下村とくの日記)」)。6つ目は著名な文人による日常日記で、彼らの文学と大いに関連しているもの(「欺かざるの記(国木田独歩)」、「子規日記(正岡子規)」、「啄木日記(石川啄木)」)。そして7つ目も、著名人による日常日記(「観想録(有島武郎)」、「幸徳秋水日記(幸徳秋水)」、「蘆花日記(徳冨蘆花)」、「木下杢太郎日記(木下杢太郎)」、「西遊日誌抄(永井荷風の米国滞在記)」、「新帰朝者日記(永井荷風の国内日記)」)で、計32書である。
 内容はどれも興味深く、前著よりも内容は充実している。中でも、数々のアメリカ人と親しくなりアメリカの生活に非常に馴染んだ咸臨丸司令官の木村摂津守や、アイヌの知恵を高く評価しアイヌ文化評価の先駆けとなった松浦武四郎、ドイツの生活にすっかり溶け込んで学生生活を謳歌していた森鷗外らには、人間的な魅力を感じる。また、樋口一葉や正岡子規、石川啄木の日記には、彼らの文学性、人間性が顔を出し、大変興味深い。人間性といえば徳冨蘆花の日記が出色で、老女中を蹴倒して殴りつけたり、あるいは若い女中に性的関係を迫ったり(未遂で終わる)、まさにやりたい放題の明治男である。性欲がかなり強かったらしく妻との頻繁な性交渉まで詳細に記録しているらしい。徳冨蘆花という人物、ほとんど知らなかったがかなり興味を引かれた。
 どの日記も、当然のことながらその人の生(そして時代背景)が反映されており、日記を読むという行為は、言ってみればその人の生き様を覗き見する行為であることよと気付く。その覗き見の面白さを伝えるのが、この『百代の過客』ということになる。
 ただ、いろいろな人が残した日記を読もうとすると、実際には読者にとって退屈な記述が連綿と続くため、多くの場合すぐに飽きるらしい。しかも後の時代の者が読みたいと思われる記述が必ずしもあるわけではなく、歯がゆい思いをすることもあると著者は「序」で述べている(たとえば、著者はある英国大使館付の外交官夫人がかつて書いた日記を読んだことがあるらしく、その日記にジョージ・バーナード・ショウと会食した記述が出てきたらしいが、そこにはショウの会話の内容や印象などは一切書かれておらず、料理のことしか触れられていなかったという)。それを思うと、こういうような形で、面白い部分だけ引っ張り出し味付けした上で出されるという方法が、他人の日記を読む方法としては一番適していると言える。こちらとしてはありがたく賞味するだけである。
 なお、タイトルになっている『百代の過客』は、もちろん松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭部分からとったものだろうが、日記の作者たちのことを「過客」と表現している箇所があって、「長い期間に渡る日記作者たち」というような意味あいもあるのかとあらためて納得した。本の内容は言うまでもないが、タイトルも秀逸である。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン わたしの日本語修行(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』
竹林軒出張所『私が愛する日本人へ(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-04-15 07:32 |

『正しさをゴリ押しする人』(本)

正しさをゴリ押しする人
榎本博明著
角川新書

攻撃的な社会現象を推し量るためのものさし

b0189364_18014312.jpg ネットの言論を目にすると胸くそ悪くなることが多い。やたら正義を振りかざして、他人のちょっとした過ちを責め立てる(中には過ちですらないものへの言いがかりもある)。テレビのワイドショーもしかり。一体お前らは何様だと思う。インターネットが普及して、それまで発言機会がなかった一般大衆が自分の意見を表明できる機会が増えたことがその原因の一つであることは容易に予想がつくが、本来公の場所で発言すべきでないような陳腐な意見がまかり通って、しかも数の力で正論を押し黙らせるような議論を目にすると、暗澹たる気持ちになってくる。僕の見たところ、ネットの言論などというものは、井戸端会議や居酒屋のくだまきと同等のものであり、本来であれば無視すればそれで済むわけだが、中には、議論の相手の個人情報を利用して犯罪行為に及んだりする低レベルな人間もいるため始末が悪い。インターネットが普及してから20年も経つんだから、いい加減こういう困った人間に対する法制度が整えられても良さそうなものだが、いまだにやったもの勝ち、言ったもの勝ちみたいな状況が続いている。まことに苦々しい気分である。
 さて、こういったいわゆるバッシング行為が、どういったところから湧き出しているか分析するのがこの本である。といっても、今述べたような社会的な分析ではなく、なぜこういった風起委員的な「自分の正義」を主張する訳知りの言動が起こってくるのか、人の心理面に注目して分析したものである。
 分析はきわめて明解かつ適確で、読んでいて非常に感心した。要するに、(人間には多様な意見があるという前提に立って)異なる立場に立つ能力を欠いた人々が、社会的なストレスによる欲求不満のせいで、インターネットの匿名性を利用して、自身の承認欲求を満たしているということになる。また嫉妬による一方的なやっかみから、特定の成功者に対する攻撃を行うケースも多いという。一々ごもっともで、非常に鋭い分析であると思う。同時に、自分にもこういう特徴がまったくないわけでなく、実は多少思い当たるフシもあり、奇天烈な攻撃性を他者に向けないよう気をつけようと反省するのだった。
 この本で紹介されているものの見方が、現在あちこちで見受けられる攻撃的な社会現象を推し量るためのものさしになるのは間違いない。こういった事実を知った上で、周囲の問題に対処したいものである。もちろん、先ほども言ったが、個人的に反省する材料にもなる。
 この手の本は一般的に独りよがりの議論が多く読むに値しない、または読むに堪えないものも多いが、この本はまるきり違う。大変読みやすく、非常に良い本であると断言できる。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『良心をもたない人たち(本)』
竹林軒出張所『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学(本)』
竹林軒出張所『STAP細胞問題 問題の根底』

by chikurinken | 2018-04-13 07:01 |

『日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦』(本)

日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦
城田憲子著
新潮社

日本のフィギュアスケートの成功の秘密

b0189364_19510941.jpg 10年ほど前だったと思うが、日本のフィギュアスケート関係者が海外の関係者から「日本のフィギュアはどうなっちゃったの?」とよく訊かれるようになったというような話を、新聞かあるいは雑誌かの記事で目にした。その頃、日本のフィギュアスケート界は多数のタレントを輩出し、男女ともいろいろな大会でことごとく上位を占めるような時代になっていた。その少し前の日本フィギュア冬の時代を知る人々からすると、確かにその頃(今もそうだが)の日本フィギュアスケート界の状況というのは異様であった。聞くところによると、スケート連盟が若年層の育成に力を入れるようになったためということだったが、詳細については(僕には)わからなかった。とは言え、その「育成」については興味が沸くところであった。やはりあれほど短期間で状況を劇的に変えたというのは、きっと何か要因があるはずで、「何かあらむ、やうのあるにこそ、あやしきかな」(宇治拾遺物語 巻11の6「蔵人得業猿沢の池の龍の事」より)という感じであった。
 そして実はその「育成」の仕掛け人が、この本の著者、城田憲子氏なのであった。この本では、日本のフィギュアスケート界が現在のように花開いた、その秘密が明かされている。要するに、城田憲子氏が、日本スケート連盟フィギュア強化部長に就任し、「日本のフィギュアスケート選手が金メダルをとる」ようにするために、強化システムを作り、スケーターを影に日に支えてきたことがその理由……ということになる。
 この城田氏だが、元々はフィギュアスケートの選手であった。結婚と同時に現役選手を辞めた後、先輩に乞われてスケート連盟に顔を出すようになり、そのうちいろいろな仕事を任されるようになる。とりわけ、国際大会であるNHK杯の運営、才能のある若いスケーター(伊藤みどり)の発掘と育成・支援、強化システムの構築、トップ選手のサポートなどの面で、数々の実績を上げていく。中でも伊藤みどり、本田武史、荒川静香、羽生結弦らに対する支援は(この本によると)出色である。一介の強化部長がこれほど個人のスポーツ選手に介入して良いのかというほどで、コーチを世話したり、スケート留学の手配をしたり、演技のどこを変えるべきと口を出したりとそれはもう想像以上である。フィギュアスケートというのは、コーチと選手だけで道を開くような個人スポーツだと思っていたが、決してそうではないということがわかり、そういう点が非常に意外だった。もっとも口だけでなく金も出しており(実際フィギュアには非常に金がかかるらしい)、この人自身がかなり身銭を切っているという状況も窺えるわけで、選手にとって良いかどうかはともかく、口を出すことが決してマイナスとは一概に言えない。実際、この強化部長の尽力で、日本の選手は男女ともオリンピックで金メダルを獲得しており、日本のフィギュアスケートの地位は、ここ20年で格段に向上している。
 この本では、そういった育成の過程が時系列で詳細に描かれ、著者が場合によっては母親、場合によってはマネージャー、場合によっては手配師となり、スケーターを支えている様子がわかる。何より、選手自身が望む「結果」をもたらしていることが、強化部長としての仕事の偉大さを物語っている。こういった育成方法が良いかどうかはにわかに判断できない上、これを他のスポーツ分野で応用できるかというと疑問にも感じる。何より城田氏のような情熱、それに才能は、どこにでもあるもんじゃない。そういう点でも、日本のフィギュアスケートの成功の最大の要因は、城田憲子の存在だったと言えるのではないかと、この本を読んで思うのである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『フィギュアの採点はアンカリングの所産か?』

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 以下、以前のブログで紹介したフィギュアスケート関連の本に関する記事。

(2004年12月17日の記事より)
フィギュアスケートの魔力
梅田香子、今川知子著
文春新書

b0189364_19520183.jpg 2001年8月アメリカ・デトロイトの球場で50人に「北米で一番有名な日本人は?」と尋ねてまわった。これが「まえがき」の冒頭の文章。「イチロー」という答えが多いかと思ったらさにあらず、イチローは3位(6票)、2位はオノ・ヨーコ(8票)。そして栄えある1位は、なんと佐藤有香! 36票。
 佐藤有香……ご存知だろうか。フィギュアスケートが好きな人は、幕張の世界選手権で優勝したあの「佐藤有香」を思い出すだろうが、それにしても70%もの人が1位にあげるとは。
 このように冒頭からいきなり驚きのエピソードが紹介され、次から次へと興味深い話が続く。フィギュアスケートがなぜ「フィギュア」という名前なのかとか、なぜ6点満点なのかとか、フィギュア史の話も面白い。フィギュアスケートに多少でも興味を持っている人はかなり楽しめるだろう。
 現在アメリカに住む梅田香子(自身のご子息もフィギュアスケートをしているとか)から見たアメリカのスケート事情や、元選手だった今川知子の体験的フィギュアスケート論は、知らない世界をかいま見させてくれる。
 今の日本の女子フィギュア界は、現在の女子マラソンなみにタレントが豊富である。次のトリノ冬季オリンピックでは活躍が期待できる。おそらく世間の耳目も集まるだろう。一足先にこの本でフィギュアスケート情報を集めるのも良いのでは。
 巻末に、6種類のジャンプについて写真入りで解説しているのも親切。
★★★☆

by chikurinken | 2018-04-11 07:50 |

『ラスト・ソング』(本)

b0189364_19373189.jpgラスト・ソング
佐藤由美子著
ポプラ社

いい話が目白押し

 音楽療法士という商売があるらしい。音楽療法自体は、問題を抱えた人を音楽で癒やそうというアプローチではないかと概ね想像できるが、それが商売として成り立つというのは少々考えにくい。現に日本ではあまり普及していないようで、この著者、音楽療法士なんだが、主にアメリカで活動していたようだ。この本で取り上げられているのはホスピスでの経験であり、対象となるのは終末期の患者である。著者によると、終末期で、外部からは意識がなくなったように見えても聴覚は最後まで残っているという。したがって、終末期に音楽を聞かせるというのも一理あり、アメリカでは「音楽療法はホスピスにおいて非常に重要な役割を持っている」らしいのである。
 この本では、おそらく著者の実体験だと思われる10のケースについて紹介していて、これを読むと確かにホスピスでの音楽療法は良いものかも知れないと思ってしまう。どの話も死や別れが関わってくるため非常に感動的で、涙なくしては読めないようなものである。あまりによくできた話なので、創作かと感じたりもする。もっともたとえ創作であっても良い話であるのは違いない。
 またそれぞれのエピソードで、終末期音楽療法で(著者によって)使われた楽曲がテーマ(そしてタイトル)になっていて、このあたりもよくできていると感じさせる要素である。「きよしこの夜」から始まって「What a Wonderful World」や「Unfogettable」、「椰子の実」や「花」などまで出てくるが、日本の歌が3曲もあって、アメリカの話なのに日本の歌が?と感じるが、しかし中身を読めばそれほどの意外性はなく自然ではある。いずれにしてもどのエピソードもよくできていて、短編集と考えてもまったく問題ない。もちろん、音楽療法の意義を日本人に伝えるという点でも十分功を奏していると言える。
b0189364_19391738.jpg 死にまつわる内容だからか、人がどこから来てどこに行くのか……というようなところまで思いを馳せることになるんだが、同時に自分が最期になったらどんな音楽を聞きたくなるだろうかなどということも考えてしまう。それくらい、心の琴線に触れるような話が多いということだが、でも、どの話もできすぎていて、ホントはフィクションなんじゃないかとつい考えてしまう自分がいる。もちろん先ほども言ったようにフィクションであっても全然かまわないんだが。
 なお、この本に因んだCDも出ている。『ラスト・ソング~人生を彩る奇跡の歌』というんだが、この本で取り上げられている歌がピックアップされていて、本と合わせて聴くと良いというコンセプトなんだろうが、ちょっと度が過ぎている気もしないではない。とは言いながら、僕もツタヤで借りてしまった(まだ聴いていないが)。一種のメディアミックスなんだろうが、まんまと引っかかったわけだ。もっとも今回は、本は図書館で借りている上CDについてもレンタルCDなんで、売上にはほとんど貢献していない。
 と、いろいろと書いてはきたが、先ほどから何度も書いているように、感動的で良い話が多く、なかなか味わい深い本であるのは確かである。あらためて買おうかなという気持ちはある。
★★★☆

追記:
 自分が死ぬ直前にどういう歌を聞きたいか考えるという似たようなテーマの本もある(『マイ・ラスト・ソング』)。こちらは久世光彦(元TBSディレクター)のエッセイ集で、自分の終末に何を聞きたいかということに思いを致すことにはなるが、内容的には取るに足りないものが多い。面白いものもあるにはあるが、底が知れているというのが率直な感想。

参考:
竹林軒出張所『最期のコンサート あるチェロ奏者の死(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-03-24 07:37 |

『ひとを〈嫌う〉ということ』(本)

ひとを〈嫌う〉ということ
中島義道著
角川書店

「嫌われる」を受け入れるということ

b0189364_15350187.jpg 哲学者が人間の「嫌い」について分析した本。自己啓発本の一種と考えて良いのかどうかわからないが、読み終わった段階で書かれていた内容をほとんど忘れてしまうという、自己啓発本らしい特徴があるので、あるいは自己啓発本と言って良いのかも知れない。
 ただし、関心するような記述もあり、無価値な本かというと必ずしもそうではない。特に「嫌い」という感情、「嫌われる」という現象に対して、それを正面から受け入れるべきとする主張はなかなか興味深い。人は誰しも他人から嫌われたくないと考えるが、そもそもそう考える人自体が誰かを嫌うのであれば、誰かに嫌われないということは起こり得ない。であれば嫌われることを必要以上に恐れずに、それを受け入れ、しっかりと対峙することが人生を豊かにすることに繋がるというのが著者の主張である。
 こうした著者の提言は大いに受け入れられるが、100ページに渡って展開される「「嫌い」の原因を探る」という章が、きわめて退屈で、面白味を感じなかった。こうやって細かく分けながら分析していくというアプローチはカント的で哲学者らしいとも言えるが、結局この箇所が全体の半分近くを占め、しかも内容ももう一つということになれば、むしろこの章がマイナスになっているとも感じる。全体を貫く主張やトーンがそれなりに魅力的であったため、こういう方向に進んでいったのは少々もったいない気がする。この本と著者に対しては「嫌い」の感情は持たなかったが(おそらく自虐的なエピソードが繰り出されているため、読者は「嫌い」という感情を発動しにくくなるのだろう)、「嫌い」の原因究明の章のために途中ダラダラしたとりとめのない印象が生じたのは確かで、そのあたりが本の価値を落とす結果になってしまったように思う。
★★★

参考:
竹林軒出張所『「怒り」のマネジメント術(本)』
竹林軒出張所『「やればできる!」の研究(本)』

by chikurinken | 2018-03-22 07:34 |

『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 史記』(本)

ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 史記
福島正著
角川ソフィア文庫

しようがないとは思うが物足りなさすぎ

b0189364_18422693.jpg 角川の『ビギナーズ・クラシックス』シリーズはこれまで何冊か読んでみたが、どれも外れがない。入門者向けにダイジェストで紹介しよう、原文もあわせてお見せしようというコンセプトのシリーズで、ダイジェストというのが実は非常に良い。正直言うとかなり物足りない感じは残る、読み終わった後。しかし、前に読んだ『大鏡』などの歴史書を例にとってみると、「本紀」の部分は歴代の天皇の事績を書いているだけだったりして、読んでいてもあまり面白くない。そのため結局途中でやめてしまい読まないで終わってしまったりすることがある。これは僕自身、経験済みである。だから面白い部分だけをピックアップするというのは、読みやすさから推し量るならば、これは最高の趣向である。たとえ物足りなく感じるにしても、ゼロよりは多いわけで、高校でただ単に教科書でチラッと見た程度で終わっていることを考えると、『ビギナーズ』で触れたレベルであっても相当なハイレベルと言える。逆に専門家でなければこの程度がちょうど良いとも言える。
 今回は中国の古典中の古典、『史記』に挑んだわけだが、これも結構楽しめたのだった。しかも原文にも触れられるし、申し分ない……と言えなくもないが、しかーしそれにしてもあまりに内容が物足りなさすぎる。大著をわずか200ページくらいにまとめているので、仕方がないと言えば確かにそうだが、わずか3つのエピソードだけしか抜き出していない。しかもそこからさらにダイジェストなんで、物足りなさもハンパない。3つのエピソードというのは、伍子胥(「死者に鞭打つ」やつね)、魏公子、項羽と劉邦のそれぞれのエピソードで、しかも「四面楚歌」のように教科書に載るようなエピソードまであって、もう少し充実していてもバチは当たるまいと感じる。ただそうは言っても、背景やなんかをかなり詳細に解説してくれているので、面白いのは面白いが……。でも何度も言うがかなり物足りないのであった。まあ内容に興味があれば、小説もいろいろあるし、横山光輝先生のマンガもあるんで、そちらに当たれば良いわけで、そもそも『史記』自体、ちくま文庫でも岩波文庫で出ているわけでお手軽だし……などとは思うが、でもやっぱりもう少し内容が充実していたら良かったかなというのが本音である。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『史記 (横山光輝版)(本)』
竹林軒出張所『現代語訳 史記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 土佐日記 (全)(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 大鏡(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 梁塵秘抄(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 小林一茶(本)』

by chikurinken | 2018-03-20 07:42 |

『百代の過客』(本)

百代の過客
ドナルド・キーン著、金関寿夫訳
講談社学術文庫

日本人が日本文学を再発見できる

b0189364_20284883.jpg 日本文学研究者のドナルド・キーンによる日本日記史。
 元々は同名タイトルの朝日新聞の連載で、1本(または複数本)の日本の日記を取り上げそれについて論じたものが毎回紹介されたというものらしい。ドナルド・キーンは、かつての夏目漱石と同じように、朝日新聞の嘱託として採用されており(何でも司馬遼太郎が猛烈に朝日にプッシュしたそうだ)、そのときに(万を持してという感じで)発表されたのがこの『百代の過客』で、それをまとめて一冊にしたものがこの本である。
 本書で取り上げられた日記は、円仁の漢文日記『入唐求法巡礼行記』(9世紀中頃)から江戸末期の『下田日記』に至るまでの78書である。ちなみにこの『下田日記』は、幕末日本に来て通商を求めたロシア人、プチャーチンとの交渉に当たった川路聖謨(かわじとしあきら)が、その模様を記録したもので、同じ川路の『長崎日記』という日記も取り上げられている。この78書は、平安時代12書、鎌倉時代17書、室町時代(戦国時代も含まれる)22書、徳川時代27書という内訳である。『土左日記』、『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『更級日記』、『笈の小文』や『奥の細道』のような有名なものだけでなく、先ほどの川路聖謨の日記のように、一般人がほとんど目にすることがないかなりマイナーなものも含まれている。どれも個人の日記ではあるが、著者によると、現代人の日記と違って(あるいは根本的には同じかも知れないが)誰かの目に触れることを想定して書いたものばかりらしい。そもそも日本の日記は、儀礼の手順などを後の世代に文書で伝えるために書かれていたものが元祖という。したがって個人的な心情の吐露というより、どこか公式的な雰囲気が漂うものが多い。
 もちろん『蜻蛉日記』などは、度が過ぎた心情の吐露に溢れているわけだが、この著作にしても、おそらく著者の藤原道綱母は、夫の非道を大衆に訴え、自分に対する同情を勝ち取ろうとしたのではないかと著者は考えている。とは言うものの著者は、道綱母の訴えを額面通り捉えず、彼女の夫である藤原兼家の立場に立った上でも日記の内容について検討している。その結果、『栄花物語』や『大鏡』の記述から、藤原兼家が実は子煩悩で息子の道綱にも会いたかったが、会いに行くとその母である道綱母からしきりに嫌みを言われたりして(そのあたりの記述は『蜻蛉日記』に見受けられる)、結局疎遠になったというのが本当のところではないかと結論付ける。しかも道綱母が兼家の第三夫人(道綱母は第二夫人)の不幸を喜ぶ記述なども取り上げられていて、道綱母の人間性にも疑問を呈している。ただそういった心情が吐露されている部分こそが『蜻蛉日記』の文学的価値を高める役割を果たしているとも書いている。このように『蜻蛉日記』の考察だけでも非常に興味深く、きわめて価値が高い論考であると考えられる。
 他にも『成尋阿闍梨母集』(母親の息子べったりぶりが半端ない、しかも当時母は84歳、息子は61歳)、『うたたね』(『十六夜日記』の阿仏尼の若い頃の日記で、失恋によるショックで出家しようとする)など、あちこちから、さまざまな種類の(文学的に)変わった日記を拾い出して論じていて、著者の見識の高さに感心することこの上ない。もちろん変わった日記といえば『とはずがたり』も外せないところである(竹林軒出張所『とはずがたり マンガ日本の古典13(本)』を参照)。
 また、文学的にあまり名前の知られていない作者による日記にしても、彼らが生きた時代背景がリアルに描かれていて、歴史的な事件が身近な出来事として扱われていることがわかる。こういった日記に触れると、結局、歴史も幾多の人が関わることでできあがるのだなということが実感できるのである(もちろんそれぞれの日記には、本書を通して間接的に触れているだけではあるが)。本書には、日本の歴史と文学の両方の観点から興味深い記述があちこちに溢れており、同時に日本の日記文学の芳醇さも感じることができる。文庫本で600ページを越すという大著であり、途中、取り上げられている日記によっては少々退屈する部分もあるが、しかしこれはちょっとないがしろにできない著作であると感じる。
 当初ドナルド・キーンは、円仁の日記から、著者が直接知己を得ている現代の作家の日記まで集める予定だったが、想定以上の日記を取り上げたことから、残念ながら幕末で連載が終わってしまったらしい。結局、本連載の人気もあって、その数年後に続編の連載を始めるのである。それが『百代の過客〈続〉』で、こちらでは明治初期から正岡子規、徳冨蘆花あたりの日記まで出てくる。こちらも文庫本で750ページを越す大著であるが、『百代の過客』ともども、読んで決して損はない良書であると思う。そういうわけで僕は両方とも購入した。手元に持っていることが喜ばしい本で、僕自身、日本文学を再発見できたような心持ちがしているのである。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『私が愛する日本人へ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン わたしの日本語修行(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』
竹林軒出張所『とはずがたり マンガ日本の古典13(本)』
竹林軒出張所『更級日記・蜻蛉日記 ― NHKまんがで読む古典2(本)』
竹林軒出張所『更級日記 平安時代の元祖文系オタク女子の日記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 土佐日記 (全)(本)』

by chikurinken | 2018-03-07 07:27 |

『ドナルド・キーン自伝』(本)

ドナルド・キーン自伝
ドナルド・キーン著、角地幸男訳
中公文庫

キーン先生の華麗なる交遊録

b0189364_16093523.jpg 日本文学研究者のドナルド・キーンの自伝。
 幼少期に始まり、アーサー・ウエーリが翻訳した『源氏物語』に魅せられ日本に憧れた青春時代、日本語の研究のために海軍(海軍日本語学校)に入隊し、終戦後日本に住むようになるまでを時系列で辿っていく。文章は簡素で非常に読みやすいが、ところどころ意味のわからない文章が挟まっている。おそらく翻訳のせいだろう。
 以前紹介した『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』と、当然ながら内容は酷似していて、かなり重複している。大きな違いは、こちらの本に、日本の作家をはじめとするさまざまな著名人との交流が描かれている点で、三島由紀夫や安部公房、大江健三郎らとの交流は非常に興味深いところ。日本の文学者については、著者の仕事を考えるとそれほど奇異ではないが、他にもグレタ・ガルボやバートランド・ラッセル、ライシャワーらとも交流があったらしく、どれだけ付き合いが広いんだと思ってしまう。やはりエライ人は付き合う相手もエラいのかと感じるのはこちらのひがみか(実際のところうらやましくはないが)。それでまた、この本によると、そういった人々との付き合いも大変気持ちの良いもので、ひとえに著者の人柄のなせる技かと感心する。
 また、そのときどきの著者の仕事、たとえば『日本文学史』、『明治天皇』、『百代の過客』などについても、書いたときのいきさつが紹介されていて、大変興味深い内容だったことを付記しておく。『百代の過客』については現在読んでいるところで、内容にいたく関心し、著者に大いに興味を覚えたため、今回この自伝を読んでみたという次第ではあるが、あらためて著者の文学に対する博覧強記ぶりに驚く。この人は生まれながらの文学者だと感じてしまう自分がいる。そのうち『日本文学史』にも挑戦してみたいとも思う。もっとも全部で(文庫本で)18巻もあるんで、読了できるかどうかははなはだ疑問ではある。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン わたしの日本語修行(本)』
竹林軒出張所『私が愛する日本人へ(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-03-05 07:09 |

『コンクリンさん、大江戸を食べつくす』(本)

コンクリンさん、大江戸を食べつくす
デヴィッド・コンクリン著、仁木めぐみ訳
亜紀書房

アメリカ人だが下町人

b0189364_18083803.jpg 人形町に住むアメリカ人、デヴィッド・コンクリン氏が、愛する日本食について書き綴った本。日本食だけでなく下町文化もこよなく愛し、地元の青年団に入ったりして、神田祭にも毎回参加しているそうだ。したがって、アメリカ人とはいっても僕よりははるかに東京下町文化について熟知しているわけで、そういう人が下町文化をこよなく愛するのは理に適っている。何人であろうと関係ない。そのため書かれていることは割とありきたりな下町論で、それが外国人の視点によっているという点だけが異なる。そうは言っても、このコンクリン氏、すでにほとんどできあがった下町住人であるため、外国人の視点がどの程度残っているかは少々疑問である。
 元々はコンクリン氏の描き下ろしエッセイを翻訳したものだそうだが、日本の国内向けに出すというよりむしろ海外向け東京下町ガイドとして出版した方が良いという類の本である。実際に下町の鮨屋や蕎麦屋のガイドもたくさん載っており、全部コンクリン氏自身が食べ歩きしたというし、店の人とも仲良くなったりしているので、そういう点でもガイドとして秀逸と言える。日本には概ね似たようなガイド本はあるだろうし、なんといってもコンクリン氏の場合、きっちりした英語が書けるという点が、他のガイドにない強みである。それに下町人、つまり本場の人の発想を披露できている点も大きなメリットになる。
 日本人が読んで面白い部分は、コンクリン氏がアメリカで日本食を知り、日本にやって来て、その後気に入って住み始めるまでくらいまでで、このあたりが比較文化論的で興味深いところである。後の部分は下町ガイドであり、(比較文化的な側面からは)取り立ててどうという部分は少ない。ただ大阪に行ってやたらランディ・バースに間違われたというくだりは非常に笑える。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『英国一家、日本を食べる(本)』
竹林軒出張所『英国一家、ますます日本を食べる(本)』

by chikurinken | 2018-03-03 07:06 |

『江戸の瓦版』(本)

江戸の瓦版 庶民を熱狂させたメディアの正体
森田健司著
歴史新書y

江戸文化の奥深さを知る

b0189364_18344931.jpg 江戸時代の瓦版を紹介する本。
 瓦版は、時代劇なんかで見ると、現代の新聞の号外と同じようなノリで配られているが、実際には瓦版自体が幕府から禁止されていたため、売り手は顔を隠してこっそりと売っていたというのが真相らしい。一方で口上みたいなものを交えながら(派手に)売ったという記述もあり、要は当局側が見て見ぬふりをしていたということになる。ただしその内容が幕政批判と心中ものになると一変し、すぐに取り締まりの対象になったというから面白い。今の中国社会みたいである。
 この本では、瓦版の内容も詳細に紹介されており、特に仇討ちと地震情報の瓦版にスポットを当てている。庶民の間で非常に人気があったのが仇討ちの瓦版で、中でも「女性による仇討ち」が人気を博したという。一方で質の悪い瓦版も多く、中には別の瓦版をパクって質を落としたバッタもんまであって、バリエーションは豊富である。きわめて質の高いものまであるらしい。地震情報については、被災速報や復旧情報などがいち早く瓦版で報道されたということで、しかもこちらは他の一般の瓦版と違って、情報がかなり正確でニュースとしての価値が高いと来ている。
 また幕末のペリー来航に関わる瓦版も多数紹介されていて、こちらも非常に興味深い。特に庶民(というか瓦版)の当時の世界情勢に対する見方が鋭く(早い話が現代の我々の認識とあまり変わらない)感心する。一方でこの本の著者の歴史認識についてはやや甘さが見受けられたりするが、まあそれはご愛敬の範囲である。
 この本から歴史を読み取るというような本格的なアプローチではなく、江戸文化を覗く一種の博物誌としてこの本に当たれば非常に有用なのではないかと思う。読みやすいし内容も面白いので江戸風俗に興味がある人にはお勧めである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『石川英輔の本、5冊』
竹林軒出張所『大江戸庶民いろいろ事情(本)』
竹林軒出張所『江戸時代はエコ時代(本)』
竹林軒出張所『実見 江戸の暮らし(本)』
竹林軒出張所『ニッポンのサイズ 身体ではかる尺貫法(本)』

by chikurinken | 2018-02-15 07:34 |