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竹林軒出張所

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審判が支配するサッカー

審判がサッカーの試合を支配する方法

●ゴールが決まってもオフサイドにしてしまう。
●ファウルの基準にダブルスタンダードを採用する(同じプレーでも、一方のチームの選手をファウルにして、もう一方のチームの選手をファウルにしない)。
● 一方のチームに対し、カード(イエロー、レッド)を出しまくる。
●一方のチームの危険なプレーを見ないことにする(プロレスのレフェリーを思いだそう)。

審判が支配するサッカー_b0189364_9581628.jpg 本日未明のワールドカップ最終予選、ウズベキスタン対日本の試合、見ていてイヤーな気分になった。
 本当のところはわからないよ、そりゃこっちはテレビで見てんだから。でも、少なくともフィールドの選手と監督は、相当実感していたようだ。日本チームがボールを取りに行ったらファウルにされるし、ウズベキスタンチームがラフプレーをしてもなかったことになる(ような気がした)。あれじゃあ、サッカーの試合が成り立たない。ロスタイムも10分くらいとられるかと思ったよ(実際には4分)。
 審判にどういう事情があったか知らないが、通常の「アウェーの洗礼」などというレベルではなかった。
 僕はNHKで見ていたからよくわからないが、TV朝日のサッカー解説者(というか応援団長)の松木安太郎は、放送中「エーッ」とか「なんですかこの審判は!」とか連呼していたのではないかと容易に想像が付く。日本代表が勝ってワールドカップ出場を決めたが、後味が非常に悪かった。
 サッカーはレフェリー次第ということをあらためて実感した試合であった。
(写真は元新日本プロレスのレフェリー、ミスター高橋)
# by chikurinken | 2009-06-07 09:53 | 日常雑記

蔵書票

蔵書票_b0189364_1623117.jpg 本を買わなくなって久しい。
 以前は、本が崇高であるみたいな信仰があって、手に取ってみてちょっと面白そうだったら買うという馬鹿げたことを繰り返していた。つまり衝動買いである。おかげで、家につまらない本が大量に集まってきた。このとき気付きましたね。ほとんどの本はつまらないということに。控え目に見積もっても本屋にある本の90%はゴミである。残りの本のうち5%は特定の人にとって役に立つ本、さらに残りの5%が多くの人にとって役に立つもしくは面白い本である。
 そういう私が久しぶりに本を買った。『蔵書票の美』(樋田直人著、小学館文庫)という本で、これは、「特定の人にとって役に立つ5%の本」に入る。実は以前借りてとばし読みしており、その上で買ったのだから、これを買って損をすることはないのだ、自分としては。
 そもそも蔵書票とは何か。ほとんどの人にとって、おそらく一生、目にも耳にもすることはないものであろう。蔵書票というのは、自分の蔵書であることを示すために本の見返し(表紙裏)に貼る紙で、自分の蔵書であることを示す文言が入ったものである。蔵書印と同様のものと考えると良い。昔、本が貴重であった頃にヨーロッパで広まり、やがて、文字だけでなく絵も入れられるようになった。木版画や銅版画、印刷術などを利用して多数製作されており、デューラーほどの有名人も作っているんで、存在自体はメジャーだったんだろう。今でも熱心な蒐集家がいて、「紙の宝石」などと呼ぶ人もいるらしい。
 というようなことが、『蔵書票の美』に書かれている。だから興味のない人にはまったく役に立たない情報なのである。ではあるが、蔵書票について広範に渡り記述されているので、参考書としては非常に有用である。
 「なぜに参考書?」と思われた方もあるかも知れないが、先日私も蔵書票を作ってみたというわけです、銅版画で(図参照)。一部伏せさせていただいていますが、その部分の直前にある「ExLibris」という言葉がラテン語で「〜の蔵書」を意味する言葉だそうで、「ExLibris 名前」のように入れるのが一般的な決まりのようだ。いずれにしてもチョ〜マニアの世界であることには変わりない。
 こうしてアップロードしたものを見ると、銅版画もなかなか味わい深いなと、文字通り自画自賛している私であった。できあがったものは文庫本に貼ってみたが、文庫本みたいに表紙がぺらぺらだとなんともこころもとない。やはり蔵書票は豪華本に限る。
# by chikurinken | 2009-06-05 16:28 | 美術

『昭和史 1926-1945』(本)

昭和史 1926-1945
半藤一利著
平凡社

『昭和史 1926-1945』(本)_b0189364_15274625.jpg 1926年から1945年の敗戦までを通史的に(文字通り)語った本。
 歴史というとどうしても大局的(マクロ的)な見方になりがちである。本当は人間対人間の局所的(ミクロ的)な営みの集まりの筈なのに……。
 マクロ的な見方をするから、アジアから米英を駆逐するなどという壮大な発想が生まれてくる。本当のところは、自分が生きるか死ぬかというレベルでしかないのに。
 何百年も前の出来事であれば、マクロ的な見方をしてもかまわないだろうが、直近の歴史ということになると、その影響力を考えた場合、自分を含めて家族や友人などの命がかかわるのであるから、ミクロ的な発想でものごとにあたらなければならない。歴史解釈についてもしかりである。近代史は、極力ミクロ的な見方で語っていただきたい。
 著者はまさにミクロ的な見方で近代史を語っており、本書を通して時代の空気を感じることができる。時代の高揚感や閉塞感さえ伝わってくるようだ。愚かしい人々がいかに市民をミスリードしていったか、市民の側もそれに乗っかって大騒ぎしたかがよくわかる。要するに、作者の言う「アホーな戦争をした」ということだ。
 本書も講義録が元になっているので、非常に読みやすく、エンタテイメントとしても面白い。好著である。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『昭和史 戦後篇(本)』
竹林軒出張所『幕末史(本)』
竹林軒出張所『西園寺公望 最後の元老(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第1巻、第3巻、第4巻(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第2巻(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第5巻、第6巻、第7巻、第8巻(本)』
竹林軒出張所『「南京事件」を調査せよ(本)』
竹林軒出張所『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実(本)』
竹林軒出張所『1942 大日本帝国の分岐点(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『1943 国家総力戦の真実(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『全貌 二・二六事件(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『“歴史探偵”半藤一利の遺言(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『100年インタビュー 半藤一利(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2009-06-04 08:13 |

『やんごとなき読者』(本)

やんごとなき読者
アラン ベネット著、市川恵里訳
白水社

『やんごとなき読者』(本)_b0189364_16211823.jpg 小説はほとんど読まない(年に数冊程度)。何かめんどくさくてね。毎日新聞の書評でこの本が紹介されていて、てっきりノンフィクションかと思って図書館で借りたのだが、実は小説だったというわけ。
「エリザベス女王が読書に目覚めたらどうなるか」というイフもので、まわりの人間のドタバタをコミカルに描いている。中編でなかなか読みやすい。翻訳も良い(正直あまり印象がない、したがって良い翻訳)。
映像が目に浮かぶようでどこか映画的だと思ったら、作者は脚本家出身なんだそうだ。なるほどね。
そのうち映画化されるかも。
★★★

参考:
竹林軒出張所『千代田区一番一号のラビリンス(本)』

# by chikurinken | 2009-06-03 12:11 |

ぜんぶフィデルのせい

ぜんぶフィデルのせい_b0189364_12223054.jpg

こんな絵を描いてみました。
鉛筆で描いたものをPCに取り込んで、ペイントソフトで着色いたしました。色鉛筆タッチがミソです。
だからどうしたと言われればそれまでですが……。
# by chikurinken | 2009-06-02 19:29 | 美術