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竹林軒出張所

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こんにちは(牛の)赤ちゃん

 昔たまたま耳にした音楽がいつまでも忘れられないというようなことが、果たして誰にでもあるのか知らないが、僕にはある。
 35年ほど前(1982年前後)、何気なく聴いていたNHK-FMの夕方の番組。当時夕方4時から6時くらいの間に日替わりで洋楽を垂れ流す番組があった。今ネットで調べてみたら『軽音楽をあなたに』というタイトルであることがわかった(ネットって便利)。この『軽音楽をあなたに』で、ある日たまたま耳にしたのが「こんにちは赤ちゃん」! 「こんにちは赤ちゃん」の何が珍しいのかといぶかる向きもあるだろうが、この番組が洋楽を紹介する番組であることにご注意。つまり「こんにちは赤ちゃん」と言っても、梓みちよが歌っている「普通の」バージョンではなく、何とタンゴ・バージョン(と僕は思い込んでしまったのだが)で、「コン・ッニチワッ、アカチャン、ジャカジャッジャッジャジャジャ」という感じのメロディラインなのである(歌詞はない)。最初聴いたときは日本のバンドがお遊びでカバーしているようなものかと感じたが(当時はそういう類のカバー曲が結構あった)、どうも違うようで、もしかして本場のタンゴ・バンドがやっているのかと感じるようになった。本場のタンゴ・バンドであるならばなぜ「こんにちは赤ちゃん」なのか、どういういきさつがあったのか、そのあたりが気になってしようがない。ただ、その場では、何の情報もなく単にこの楽曲を聴いただけであり、何もわからずじまいのまま、心の中に疑問とインパクトだけが残って月日が過ぎたのだった。
 その後インターネット時代になり、さまざまな情報に簡単にアクセスできるようになって、今まで謎だったことがかなり明らかになったり、入手困難だったブツが手に入ったりしてきたりしたわけだが、この「タンゴ版こんにちは赤ちゃん」については、ネットで検索してもまったく見当たらない。どこかに出ていそうなものだがといぶかしく思っていたが、先日ふと、これが「タンゴ」ではないのではないかと思い当たった。そう言えばかつては「ラテン」などという分野の音楽があったなぁなどと突然気が付いて、今度は「ラテン こんにちは赤ちゃん」で検索したところ、まさにビンゴ! とうとう真相解明に至った。
 この検索の結果出会ったホームページというのは、『高橋芳朗 エドムンド・ロス楽曲特集』というサイト(ラジオの放送を再録したものらしい)で、ラテン版の「こんにちは赤ちゃん」を演奏したバンドは「エドムンド・ロス楽団」である、ということが判明した(おそらく間違いあるまい)。
b0189364_23194558.jpg ちなみに「こんにちは赤ちゃん」が収録されているアルバムは、このサイトによると『Ros In Japan』という作品で、このアルバムを探してみたところ、現在CD版が出ていることがわかった。ただしすでに品切れ状態で、Amazonの中古CDには5000円の値が付いている。当然こんな不当な価格のものに飛びつくわけもなく、他のサイトを巡ったところ、タワーレコードで新品が販売されていることになっているが、どうもこちらはサイト上にデータが残っているだけでブツはなさそうである。注文してみたがいつまでも届かないので、結局キャンセルした(タワーレコードではよくあるパターン)。その後、Amazonで1500円程度で中古盤が出てきたので、すぐに買った。アメリカからの発送ということで多少不安はあったが、結局無事に届き、ついに「ラテン版こんにちは赤ちゃん」を聴くことができたのだった。
 なおこの「ラテン版こんにちは赤ちゃん」は、やはりタンゴではなく「Paso Doble(パソドブレ)」風に編曲したもので、パソドブレってのは、よく知らなかったが闘牛をイメージしたダンス音楽ということで、たしかに冒頭は闘牛を思わせるようなイントロになっている(ジャッジャカジャーン、ジャジャジャジャッジャカジャーンというような勇ましいメロディ)。それが途中から転調して「こんにちは赤ちゃん」のメロディラインが始まる。なかなか楽しい趣向の音楽で、当時の僕を魅了したのも納得がいく。なおこのCDには、『Ros In Japan』の他に、70年の大阪万博を多分に意識した『世界の国からこんにちは』というアルバムも収録されている(つまり2 in 1のCDである)。
b0189364_23195022.jpg 先ほどのサイトによると、エドムンド・ロス自体が親日家だったということで、その他にも日本の軍歌をアレンジしたアルバムもあるが、こちらは未CD化である(これも先ほどのサイトの情報)。内容を考えるとおそらくCD化されることはないだろうが、幸いなことにYouTubeに全曲アップされているため、そちらで聴くことができる。軍歌らしく大変勇ましいが、ラテン風の味付けが楽しく、こちらもかなり面白い(軍歌ったって、そもそも詞がなけりゃただの行進曲に過ぎない)。僕は今まで知らなかったが、かつて甲子園の応援でよく使われていたメロディが入っていたり(「敵は幾万」)、僕が通っていた小学校の運動会の応援歌が実は軍歌(「歩兵の本領」)だったりと、いろいろと新しい発見があった。僕が子どもの頃は、親が戦中世代であり、時代的にまだ軍歌が生活の中に残っていて(戦中世代にとって軍歌は懐メロの類だったようだ)、それでこういった教育現場にも普通に入っていたんだろうと推測される。こういうことに過剰に反応する今の時代だと考えられないが、音楽についてはもう少し大らかに接しても良いのではないかと思う。ちなみに僕は、このオリジナルの楽曲を聴いてみたくて、図書館で軍歌関連のCDをいろいろと借りてみたが,いつもは優しい図書館員の方の顔が、これを借りるとき少々険しい顔になったような印象を受けたが、思い過ごしか。「僕は決して右翼な人間ではないのですよ」と心の中で呟いたが、当然届かないのである。
 軍歌のCDで聴いてみた軍歌自体は、あらためて聴いてみると、ことごとく七五調で単純な四拍子、詞の内容もやたら大言壮語で、ほとんど見るべき部分はない。ただ「敵は幾万」と「歩兵の本領」は、かつてよく耳にしていたこともあり懐かしさを感じるのである。こういう(軍歌に対する)懐かしさというのは、おそらく僕の子ども時代の大人たちと同じ感覚なんではないかと思ったりする。

参考:
『高橋芳朗 エドムンド・ロス楽曲特集』
竹林軒『少年画報からサライへ --空想的懐古主義--』

# by chikurinken | 2018-06-10 07:19 | 音楽

『真珠の耳飾りの少女』(映画)

真珠の耳飾りの少女(2003年・英・ルクセンブルク)
監督:ピーター・ウェーバー
原作:トレイシー・シュヴァリエ
脚本:オリヴィア・ヘトリード
撮影:エドゥアルド・セラ
美術:ベン・ヴァン・オズ
衣装デザイン:ディーン・ヴァン・ストラーレン
出演:スカーレット・ヨハンソン、コリン・ファース、トム・ウィルキンソン、キリアン・マーフィ、エシー・デイヴィス

フェルメールの詩的要素が再現された
スナップショットのような映画


b0189364_22152672.jpg フェルメールの肖像画『真珠の耳飾りの少女』がどういういきさつで描かれたかという、それだけのストーリーの映画。今回久々に見た。二度目である。
 原作は短編か中編の小説ではないかと思う。ストーリーについてはドラマチックな要素はあまりなく、フェルメール家の騒動や、そこに女中として仕える主人公のグリートが受けるセクハラやパワハラがドラマの盛り上がりの部分で、ほとんどは写実的な表現に終始する。ただし写実的であっても表現方法によっては詩が生まれる(竹林軒出張所『お葬式(映画)』を参照)。この映画は、まさに全編を通じて詩であり、フェルメールの絵画のような静けさをたたえた映像が随所に登場する。また有名絵画に似せたような映像も随時登場し、ちょっとしたパロディなのかも知れないが、こういった映像にも美しさが漂う。17世紀オランダの風俗も見事に再現されており、まさにフェルメールの世界に飛び込んだようなそういう映画である。
 このように僕は撮影、美術、衣装デザインを特に高く買っているが、ただいわゆる「美術」にあまり興味がない人にとって、この映画が面白いのかどうかは少々疑問ではある。とは言え、映像の美しさは、「美術」的な要素を超えて存在するのは事実であるため、そちらが堪能できれば十分楽しめるのではないかと思う。
 これまで美術関係の映画は数々見てきたが、この作品は最高レベルの1本と言える。同じように映像面で感心した美術映画といえば、印象派の絵画を再現したかのような『田舎の日曜日』があるが、この作品などはモネとルノワールを足して二で割ったような画家が主人公だったため、印象派的な絵作りにしたことは、この『真珠の耳飾りの少女』と同様、きわめて筋が通っていると言える。この映画のスタッフも、あるいはあの映画から感化を受けて同じようなアプローチを目指したのかも知れない。
2003年LA批評家協会賞撮影賞受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『ロスト・イン・トランスレーション(映画)』
竹林軒出張所『ブーリン家の姉妹(映画)』
竹林軒出張所『フェルメール盗難事件(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『レンブラント 描かれた人生(映画)』
竹林軒出張所『レンブラントの夜警(映画)』

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 以下、以前のブログで紹介した『真珠の耳飾りの少女』のレビュー記事。やはり同じようなことを書いている。

(2006年3月27日の記事より)
真珠の耳飾りの少女(2003年・英ルクセンブルグ)
監督:ピーター・ウェーバー
原作:トレイシー・シュヴァリエ
撮影:エドゥアルド・セラ
出演:スカーレット・ヨハンソン、コリン・ファース、トム・ウィルキンソン、キリアン・マーフィ、エシー・デイヴィス

 オランダの画家、ヤン・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」を題材にしたトレイシー・シュヴァリエの原作の映画化。だが、原作ものを単に映像化したというレベルではなく、作り手がフェルメールの絵画に直に接近しているのがよくわかる。
 この映画の一番の魅力はやはり映像である。フェルメールの世界を映像でことごとく再現しており、フェルメール好きの人ならばあちこちでニンマリしてしまうだろう。構図やインテリアだけでなく(これだけでもなかなかなんだが)、光の具合も再現されている。特に驚くのは、フェルメールの絵のタッチ(マチエールというのかな)まで似ているということ。どうやって再現しているのかわからないが、輪郭を少しぼかして若干ハレーションを起こさせるような撮り方をしているが、これがフェルメールのタッチによく似ている。全編でこういう効果を出しているわけではなく、フェルメールの絵に似た構図の箇所でのみやっているので意図的なものだと思うが、正直これはすごい! 掃除のシーンでさえも、フェルメール絵画の再現になっている。また、バルビゾン派のフェルメール風とか、横長の印象派(浮世絵)構図のフェルメール風というようなものも出てきて、なかなか面白い。
 もちろん映像だけでなく、ドラマとしても人間の機微が描かれていて、スリリングな展開もあり、まったく最後まで飽きることがない。でもやっぱり、西洋美術好きにはたまらん映画だろうなと思う。
 余談だが、この映画に登場するフェルメールの奥方が、同じオランダのヤン・ファン・エイクの絵(「アルノルフィニ夫妻の肖像」)に出てくる人物によく似ており、こういうのも意図的だったんだろうかと気になった。
★★★★

# by chikurinken | 2018-06-08 07:15 | 映画

『ポセイドン・アドベンチャー』(映画)

ポセイドン・アドベンチャー(1972年・米)
監督:ロナルド・ニーム
原作:ポール・ギャリコ
脚本:スターリング・シリファント、ウェンデル・メイズ
撮影:ハロルド・E・スタイン
特撮:L・B・アボット
出演:ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン、レッド・バトンズ、キャロル・リンレー

パニック映画の元祖
二番煎じがたくさん出たが
これを超えたものはない


b0189364_22063353.jpg 70年代にパニック映画がやたら流行ったが、その元祖とも言えるのがこの映画。豪華客船が津波に遭って転覆し、沈没する船の中に閉じ込められた乗客たちが何とか脱出しようとするというストーリー。
 僕自身は、子どもの頃映画館で予告編を見たのが最初で、特に転覆したときの船内の映像がものすごく、大変衝撃を受けた。その後、『月曜ロードショー』でノーカット版が放送されたときに見て、今回はそれ以来、つまり45年ぶりということになる。月日の流れは速いもんだ。
 この映画、基本的には脱出過程が目玉ではあるが、人間同士のぶつかり合いや希望、絶望などもうまく描かれているため、非常に見応えがある。最後まで目が離せなくなる類の映画である。なんと言ってもセットが非常によくできていて、あらゆるシーンがものすごいリアリティで迫ってくる。「作り物」という感じが一切ない。
 ジーン・ハックマンが、いかにもアメリカンな一癖ある牧師を演じていて、これが強烈。敵対する元刑事のアーネスト・ボーグナインとのぶつかり合いも素晴らしく、一番の見所である。あまり有名な俳優は出ていないが、どのキャストもよくはまっていて好演である。
 この映画、2006年にリメイクされたが(『ポセイドン』)、こちらは第27回ゴールデンラズベリー賞の最低リメイク賞にノミネートされている。どうしてこんなよくできた映画をわざわざリメイクしようとしたかわからないが、そういうリメイクの話は日本でもまあ良くある話である(竹林軒出張所『リメイクもういらん党宣言』を参照)。ただアメリカには「最低リメイク賞」などといった遊び心に溢れた賞があり、そういう点がいかにもアメリカで、なかなか奮っていると思う。日本の映画界もその精神をまねて、つまらないリメイクはやらないようにしてほしいものである。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『俺たちに明日はない(映画)』
竹林軒出張所『リメイクもういらん党宣言』

# by chikurinken | 2018-06-06 07:06 | 映画

『泥棒成金』(映画)

泥棒成金(1955年・米)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
原作:デヴィッド・ダッジ
脚本:ジョン・マイケル・ヘイズ
出演:ケーリー・グラント、グレース・ケリー、シャルル・ヴァネル、ブリジット・オーベール、ジェシー・ロイス・ランディス

楽しく時を過ごせる映画

b0189364_18380087.jpg ヒッチコック作品。以前見たことがあると思っていたが、結局、見たことがあるのかないのかよくわからなかった。『おしゃれ泥棒』や『シャレード』なんかとストーリーが重なっていて、よく憶えていないのだ。今回見た分についても、なんだかすぐに忘れそうな気がする。
 ハリウッド映画らしくハラハラドキドキの展開で、内容もしゃれていて面白いが、字幕のせいか一部内容についていけなかったため、最後は結構モヤモヤして終わってしまった。引退したかつての大泥棒(ケーリー・グラント)が、新たな泥棒事件の嫌疑をかけられ、それを晴らすためにあれやこれややっていくというストーリー。その過程で出会う美女がグレース・ケリーで、いかにもハリウッド映画な展開……と言えば言い過ぎか。
 とは言え、やはり随所にキラリと光るヒッチコック演出が散りばめられていて、非常に感心することしきり。そもそも冒頭部分からして奮っている。タイトルバックに出てくる旅行代理店のショット、ウィンドウ内にあるフランス旅行の宣伝文句のアップ(「France」と出てくる)、そこから急にフランスの保養地に一挙に飛んで、次に(その保養地の)ホテルでの泥棒のシーンと短いショットで繋がっていく。しかも泥棒のシーンには屋根を歩く黒猫が象徴的に使われていたりしておしゃれである(ちなみに主人公の元大泥棒は「猫」と呼ばれていた)。また、あちこちに出てくるユーモアもヒッチコックらしい。ただストーリーが少々できすぎで、途中から概ね筋書きも見えてくるし、そういう点がちょっとマイナス。
 ケーリー・グラントもグレース・ケリーもヒッチコック映画では常連(それぞれ4本、3本に出演)で、まったく違和感なく、ヒッチコックの世界を形作っている。美しい男女が出て活躍するというのもハリウッド映画の常道で、この映画もご多分に漏れない。やはりこの映画、あまりいろいろ考えたくないときなんかに見るのが適している。楽しく時を過ごしたいような場合に最適な娯楽作品と言える。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『巨匠たちの肖像 ヒッチコック(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『レベッカ(映画)』
竹林軒出張所『サイコ(映画)』
竹林軒出張所『知りすぎていた男(映画)』
竹林軒出張所『マーニー(映画)』
竹林軒出張所『ロープ(映画)』
竹林軒出張所『めまい(映画)』
竹林軒出張所『シャレード(映画)』

# by chikurinken | 2018-06-04 07:37 | 映画

『ジュリアス・シーザー』(映画)

ジュリアス・シーザー(1953年・米)
監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ
原作:ウィリアム・シェイクスピア
脚本:ジョセフ・L・マンキウィッツ
出演:ルイス・カルハーン、ジェームズ・メイソン、マーロン・ブランド、ジョン・ギールグッド、デボラ・カー、グリア・ガーソン

演劇的な、余りに演劇的な

b0189364_16453842.jpg シェークスピアの同名タイトルの戯曲を映画化したもの。監督は『イヴの総て』、『クレオパトラ』のマンキウィッツ。ブルータス(ブルトゥス)を演じるのが、『ロリータ』のジェームズ・メイソン、アントニー(アントニウス)は『ゴッドファーザー』、『革命児サパタ』のマーロン・ブランドが演じる。
 元々が舞台劇であるため、全体に芝居がかった演出である。ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)の独裁政治を危惧した元老院議員たちが、シーザーの暗殺をもくろみ、やがて議場で決行する。この中にシーザーの腹心であるブルータスもいて、「ブルータス、お前もか」というシーザーの有名なセリフが発せられることになる。その後親シーザー派のアントニー、オクタヴィアヌスらと反シーザー派との間で決戦(フィリッピの戦い)が行われるという運びになる。通常の映画であれば、このフィリッピの戦いあたりが目玉になりそうだが、舞台劇の映画であるため、派手な戦闘シーンは、まったくないわけではないが、少ない。ほとんどは、大がかりで劇的なセリフですべてが表現される。
 そのため演劇の延長として見ればそれなりに楽しめるが、この手の映画の常で、通常の映画の概念からは少々外れている。ただセリフなどは、シェークスピア風でなかなか詩的である。シェークスピア劇を見た気分になる分には良い素材ではないかと思う。
★★★

参考:
竹林軒出張所『クレオパトラ(映画)』
竹林軒出張所『スパルタカス(映画)』
竹林軒出張所『ハムレット(映画)』
竹林軒出張所『もうひとりのシェイクスピア(映画)』
竹林軒出張所『蜘蛛巣城(映画)』
竹林軒出張所『ロリータ(映画)』
竹林軒出張所『革命児サパタ(映画)』

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 以下、以前のブログで紹介したマンキウィッツ監督作品のレビュー記事。

(2005年10月31日の記事より)
イヴの総て(1950年・米)
監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ
脚本:ジョセフ・L・マンキウィッツ
出演:ベティ・デイヴィス、アン・バクスター、ジョージ・サンダース、ゲイリー・メリル、マリリン・モンロー、ヒュー・マーロウ

b0189364_16454404.jpg 芸能(演劇)界のおどろおどろしい実態を描いたドラマ。
 去年か一昨年くらいに1回見ているようだが、見たこと自体をまったく憶えておらず(こういうのは初めてだ)、見ている途中でそのことに気がついた。なかなか良くできた映画だが、見終わった後は少し不快感が残る。題材が題材だけにしようがないが。
 有名な演劇の賞で女優賞を受賞したイヴ(アン・バクスター)の授賞シーンから始まる。アカデミー賞の授賞式でおなじみの、例のスピーチが始まる。「私を見出してくれた○○さん、すばらしい脚本を提供してくれた○○さん、陰で支えてくれた○○さん、感謝の言葉もありません」ってヤツ。実際に、アカデミー賞の授賞式を見ていたりすると、外部の人間から見ていてもかなり空々しく感じるものだが、この映画で描かれているのはこの言葉の裏の世界。空々しさもひとしおである。
 この映画は、アカデミー賞6部門受賞しているので、実際の授賞式でもこういったスピーチが行われたはずだが、どうだったのだろうか。今度調べてみよう。残念ながら主演女優賞と助演女優賞は獲得していない。アン・バクスターに賞を与えて、実際の授賞式でスピーチさせるという発想は審査員にはなかったようだ(なんでも、ベティ・デイヴィスとアン・バクスターのどっちを主演にするかでもめたためらしい。このあたりも映画のテーマと重なっておもしろい)。
 マリリン・モンローが端役で出ていて、なかなか存在感を示している。この映画を通じて「イヴ」になったというオチまで付いた。
★★★☆

# by chikurinken | 2018-06-02 07:45 | 映画

『古都』(映画)

古都(1980年・ホリプロ映画)
監督:市川崑
原作:川端康成
脚本:日高真也、市川崑
撮影:長谷川清
出演:山口百恵、實川延若、岸恵子、三浦友和、北詰友樹、沖雅也、石田信之、泉じゅん

ジャパネスクが空回り

b0189364_18420528.jpg 川端康成の小説『古都』の3度目の映画化作品。主演は山口百恵であるが、監督が市川崑であることだし、単なるアイドル映画ではあるまいと思って見たんだが、実際のところは、山口百恵以外あまり見るところはなかった。てことは、やっぱり単なるアイドル映画だったのか。
 京都が舞台で、多分にジャパネスクを前面に押し出した映画ではあるが、そういう点で感じるところはあまりない。そのあたりは3年後に同じ市川崑が撮った『細雪』と大違い。確かに味のある映像もあるんだが、なんだか少々空回りしているようなところがある。それに主人公の京言葉が変で、気持ち悪い。舞妓さんじゃないんだから「どす」の投げ売りはやめていただきたい。あるいは原作のセリフ回しかも知れないが、外部から見た(誤った)京都のイメージを体現したようで、ものすごく違和感がある。
 ストーリーについても、川端はこの小説で一体何が言いたかったのかと思うようなもので、あまり面白味がない。幼い頃捨てられた主人公が、商家でお嬢様として育てられ、そのまま(捨てられずに育てられた)双子の妹の方が苦労して貧しい生活を送っていたという、逆説的な設定がもしかしたら面白い部分なのかも知れないが、この映画からは面白味を感じないのだな、これが。
 映画については、原作にあるのか知らんが、双子の姉妹の間に同性愛的な表現があったりして、目を留めるような箇所もある。ただしこの双子は山口百恵の二役であるため、同性愛というよりナルシシズムということになるのか。なんだか摩訶不思議な感じがする。
 キャストについては、父母役の實川延若と岸恵子がなかなか好演。山口百恵も例によって存在感がある。本来の相手役であると思われる三浦友和は、これもなんだかはっきりしない、印象の薄い役。登場人物の整理が付いていないような印象さえ受けた。キャストで目を引いたのはロマンポルノで売れていた泉じゅんで、主人公の友人役で出ていた。こういう一般映画で見るのは初めてだったので少し驚きである。と思っていたんだが、調べてみると実は『それから』や『そろばんずく』にも出ていたので、きっと目にしていたはずなのである。まったく記憶が飛んでいた。なお、この泉じゅん、この映画の後、にっかつロマンポルノの『百恵の唇 愛獣』という映画に出ている。当時のにっかつ映画、「百恵」とか「聖子」とかタイトルによく使われていたが、しかし友人役として出てた泉じゅん、山口百恵に対して申し訳ないという感覚はなかったのだろうか。
★★★

参考:
竹林軒出張所『春琴抄(映画)』
竹林軒出張所『細雪(映画)』
竹林軒出張所『吾輩は猫である(映画)』
竹林軒出張所『炎上(映画)』
竹林軒出張所『破戒(映画)』
竹林軒出張所『ぼんち(映画)』
竹林軒出張所『おとうと(映画)』
竹林軒出張所『太平洋ひとりぼっち(映画)』
竹林軒出張所『鍵(映画)』
竹林軒出張所『野火(映画)』
竹林軒出張所『プーサン(映画)』
竹林軒出張所『幸福(映画)』

# by chikurinken | 2018-05-31 07:41 | 映画

『フランケンシュタイン対地底怪獣』(映画)

フランケンシュタイン対地底怪獣(1965年・東宝)
監督:本多猪四郎
脚本:馬淵薫
音楽:伊福部昭
ストーリー:ジェリー・ソウル
特技監督:円谷英二
出演:ニック・アダムス、高島忠夫、水野久美、ピーター・マン、土屋嘉男

子供だましにもなりゃしない

b0189364_22434470.jpg 「フランケンシュタイン対地底怪獣」というタイトルからもかなり怪しげであるが、内容も怪しげ……というかかなりいい加減な代物である。作りが雑で、ストーリーも行き当たりばったり。小学生が書いたストーリーか?と思わせるようなひどいシナリオである。
 ナチスが極秘に行っていた人造人間の研究が、ナチスの崩壊を目前にして同盟国の日本の研究者に引き継がれた。そのために日本の国内にその細胞が存在しており、その細胞がちょうど広島の原爆投下によって大量の放射線を浴びた……というのがストーリーの背景になる。この細胞が戦後、何らかの過程を経て(放射線の影響か知らないが)見るからに普通の浮浪少年になり(この間15年)、その後なぜか(不審者だからか)拘留され、数カ月だか数年だかわからないが(徐々に)巨大化して体長20メートルになってしまう……というふうに話が進んでいく。ご都合主義も甚だしいプロットである。この間、このフランケンシュタインと比較的良好な関係を築くのが放射線障害の女性研究者(水野久美)で、このあたりは『キングコング』のモチーフと言える。一方で、この女性研究者の同僚の米人研究者(ニック・アダムス)が当たり前のように彼女と濃厚に接するのが、見ていて非常に居心地が悪い。女性研究者が米人研究者を自分のアパートに呼んで接待したりして,さながら愛人であるかのようなベタベタした付き合い方をするんだが、映画における両者の関係はあくまで同僚であり、最後までお互いに敬語で話し続ける。アメリカ人の男女の付き合い方が当時こんなものと思われていたせいかも知れないが、おそろしくアンバランスで奇妙な関係に見える。また、主人公(?)のフランケンシュタイン少年(姿形はどう見ても普通の人間)に対しても、当たり前のように危険だから殺せだの、研究のために細胞だけは残してほしいだのきわめて差別的な扱いが、21世紀の今となっては相当な違和感を覚える。ともかくあちこちで演出に破綻があり、見ていると痛ましい感じさえしてくる。
 そこになぜか唐突に地底怪獣が現れ、最後はこの巨大化したフランケンシュタイン少年と対決するというわけのわからない展開になるが、この地底怪獣の部分は本当に必要なのか、フランケンシュタインだけに絞って話を展開させた方がまだマシだったんじゃないのかと感じることしきり。どうしてこういうストーリーにしたのかがさっぱりわからない。つまり発想が幼児的でご都合主義的なのである。子ども向けだからこんなもんで良いだろうと思ったのかも知れないが、子どもでも納得しないんじゃないかと思う。もっともAmazonのレビューを見ると、子ども時代にこの映画を見たという人々が高い評価をしていたんで、子供だましにはなったのかも知れぬ。
 子供だましといえば、特撮シーンもいかにも作り物的で、全然迫力を感じない。地底怪獣(バラゴン)の着ぐるみも非常にチャチ。怪獣が唐突に口から光線を吐いたりするのは子ども受けしそうなギミックだが、この怪獣、宇宙怪獣ってんならいざしらず、恐竜の生き残りという設定なのにおかしいだろと思うのは僕が汚れた大人だからか。しかも、光線を浴びせられたものは、周囲のものについては爆発したり炎上したりするのに、フランケンシュタインに浴びせられた場合は何事もなかったようにスルーされる。あちこち矛盾だらけである。フランケンシュタインの容貌もそれほど異様ではなく、似たような顔の日本人が普通に存在するというようなものである(せめて『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のサンダやガイラぐらいになっていればまだ良かった)。そのため地底怪獣との格闘シーンも、いかにも「人間 vs 着ぐるみ」みたいに映ってしまう。いくら周りのセットを1/20サイズにしても(実際のところ何分の一かはわからないが)やはりミニチュアにしか見えない。
 キャストは割合豪華で、中村伸郎、志村喬、藤田進などがチョイ役で出たりする。黒澤映画を彷彿とさせるような(無駄な)俳優の使い方だが、黒澤の盟友、本多猪四郎が監督だからか。その割に主役を張っている方の俳優がちょっと冴えないのも、また実にバランスが悪い。
 僕が今回この映画を見たのは『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』との繋がりによる。前にも書いたが、あの映画で、当然のように「フランケンシュタイン研究者」が登場したりして、どうにも前提になっている環境が存在しているように感じたため、その前に作られたフランケンシュタイン映画である本作を見てみたというわけだ。確かにこの映画の後であれば、「フランケンシュタイン研究者」がいてもそれほど違和感はないなと思う。とは言っても、だから何だという感触もある。この映画はあまりにもどうでも良い作品になっていて、個人的には消えてもらってもかまわない類の代物である。HDリマスターしたなどという話を聞くと、本当にそんな必要があったのか疑問に感じる。ともかく見終わるのが非常に苦痛な映画だった(なんでもこの映画「日米合作」ということである。とんだ日米合作だ)。


参考:
竹林軒出張所『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(映画)』
竹林軒出張所『イノさんのトランク(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『マタンゴ(映画)』
竹林軒出張所『音で怪獣を描いた男 ゴジラVS伊福部昭(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-05-29 07:43 | 映画

『漢字再入門』(本)

漢字再入門
阿辻哲次著
中公新書

決して侮れない漢字入門書

b0189364_21070899.jpg 『漢字の相談室』の著者による漢字雑学本。雑学本といっても、語られている内容は、『漢字の相談室』同様、非常に深くそれなりに専門的な内容も紹介される。しかも語り口が優しく、ものすごく読みやすい。これは著者の能力に負うところが大きい。この本の内容は、かつての大学の教養課程の授業みたいなものであるが、大学の授業自体、教官によって当たり外れがあるものだ。大学の教官というものは、一般的に専門性が高く、その専門分野に対する造詣も深いため、彼らが普段研究している内容はそれなりに面白いということは容易に予想が付くが、残念ながらそれを人に伝えることに長けている人は意外に少ない。言ってみれば専門バカみたいな人も多く、言い換えるならばオタクの人たちである。したがって彼らが展開する授業がつまらないことは大いにあり得るわけである。ただし、どういう分野でもそうだが、中には人に伝えるのが抜群にうまい人というのがいて、そういう先生の授業はなかなか面白いもので、彼らの研究対象にも興味が湧いたりするものだ。そもそも書物などというものも、書き手がいかにして自分が持っているものを相手に面白おかしく伝えるかがキモであり、うまく伝えられている本が良い本であると個人的には思っている。面白おかしくないとしても内容が斬新であれば価値はあるが、残念ながら内容が乏しい上に伝える能力を欠いている人たちが多いのも事実。そういう人が書いた本は、極力関わらないのが良いのであって、間違ってめぐり逢ってしまったらすぐに捨てるに限る。特に昨今は、出版点数が著しく多くなったせいもあって、そういう類の本、つまりゴミ本がきわめて多い。そのため、図書館で試し読みして、良い内容であれば買うというのが我々消費者の防衛策になるのだ。
 話は随分逸れたが、この本についても、当初は面白そうな部分だけとばし読みしようと思って図書館で借りたんだが、興味深い箇所が多いんで結局全部読んでしまった(このあたりは『漢字の相談室』と同様)。「全部読んでしまった」などという書き方をしたが、実際には内容は非常に濃厚で、語り口はいうまでもなく名人級である。こういう本に触れると、その研究対象にも著しく関心が沸くため、入門書としても最適と言うことができる。これまで漢字になんぞあまり興味がなかったし、むしろ最近思い出せない漢字が多くてイライラするぐらいだったんだが、おかげさまで漢字に大変興味が湧いた。これからもこの著者の本をはじめとして、漢字関係の本に触れていきたいと考えているほどだ。
 さてこの本だが、まさにタイトル通り「漢字再入門」と言えるような内容である。漢字のことは小中学校で教わりそのときに一通りのことは叩き込まれるわけだが、実際には通り一遍の基本事項以外は知らないものである。そのくせ(誰もが)漢字のこの部分にはトメやハネが必要だとか、これが正しい書き順だなどと主張したりする。学校でそれが正しいと教えられてきているからだが、しかし実際には、学校で習うトメやハネ、書き順について、必ずしも現在日本の学校で習っている様式が正しいとは限らないらしい、著者によると。そのあたりのいきさつ、つまりなぜ学校で今みたいなスタイルが絶対的な真実のようになったかについても、歴史を遡りながら説明されているため、非常に説得力がある。教育課程で教わった「事実」に対して再検討を迫られるという点でまさに「再入門」というタイトルがふさわしいと言える。
 他には、漢字の成り立ち(「部首の不思議」)や常用漢字がどのようにして決められたかなど、目からウロコの内容が目白押し。こういった内容が、第1章に相当する「1時間目」から第6章の「6時間目」、終章の「ホームルーム」に渡って、優しい語り口で語られる。日本人が持っている漢字の「常識」(つまり学校でこれまで習ってきたこと)について見直すことができる上、漢字にも興味が湧くという具合で、さながら理想的な授業が展開されているかのようである。漢字の奥深さに感心しながらも、同時に漢字の悠久の歴史を膚で感じるという内容である。僕自身は、これまでいろいろと面倒さを感じていた漢字に、親近感や新しい魅力を感じるようになった。学童向けみたいな語り口なんで、軽さを感じるかも知れないが、決してないがしろにできない深遠さを持っている本である。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『漢字の相談室(本)』
竹林軒出張所『漢字伝来(本)』

# by chikurinken | 2018-05-27 07:06 |

『ビギナーズ・クラシックス 十八史略』(本)

ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 十八史略
竹内弘行著
角川ソフィア文庫

ダイジェストのダイジェスト
これだとほとんど予告編


b0189364_19230905.jpg 『史記』『老子・莊子』などと同様、『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』シリーズの一冊。『十八史略』は、高等学校の漢文の授業でよく取り上げられる素材で、中国の過去の歴史書からいいとこ取りをした、言ってみれば「ダイジェスト書籍」である。著者は南宋時代に官僚だった曾先之だが、彼が官僚として仕えていた南宋は彼の仕官中に滅び、モンゴル人が支配する元(げん)に取って代わられた。そのためもあり、曾先之自身は役職から身を引いて隠遁生活を始めたらしい。その隠遁時代に書かれたのがこの書ということである。こういう背景を考えると、曾先之の中にもこの歴史書を編んだ意図があったとも考えられる(宋王朝の正当性の主張など)わけだが、この『十八史略』は、後にいろいろと他者によって改訂され、最終的に中国史入門書みたいな位置付けの書になる。その後、大陸ではあまり顧みられなくなったが、特に日本で受け入れられ、よく読まれるようになったということである。
 『十八史略』の下敷きになっている歴史書は、『史記』から始まる南宋時代までの書籍で、現在判明しているものは全部で17書。「十八史の略」だから18書ありそうなものだが、17書しか明らかになっていないらしい。この『十八史略』を18番目とするという意図でこのタイトルにしたという説もあるが、この説、ちょっと無理がありそうに思える。
 さてこの『ビギナーズ・クラシックス版十八史略』だが、この本で取り上げられているのは古代から秦末までで、全体のごく一部である。しかもこの本、『十八史略』を謳いながらも、取り上げた部分はすべて『史記』の部分で、そりゃソースは『十八史略』かも知れないが、内容は『史記』である。取り上げ方にもう少し工夫がほしかったところである。
 形式は他の『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』とも共通しており、書き下し文、訳文、解説、白文という並びで各エピソードが紹介されていく。エピソードは全部で21本で、当然のことながら、かなりのダイジェストになっている。先ほども言ったが『十八史略』自体がその性格上ダイジェストと呼べるようなものであり、さらにそのダイジェストということになると、ほとんど予告編といった趣になってしまいそうである。もちろん原文で触れられるんでそれなりに価値はあるが、物足りなさは前によんだ『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 史記』に匹敵する。解説部分はなかなか面白いし、イラストもふんだんに使われているため、本自体に真摯さは感じるが、物足りないという事実は変わらない。それに1つ1つのエピソードがかなり長くなっているため、読み続けるのが少々つらかったということも付け加えておきたい。この本は概ね寝る前に読んでいたんだが、おかげですぐに眠りにつくことができた。そういう点では夜眠れない人に最適の本と言えるかも知れない。
★★★

参考:
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 史記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 老子・莊子(本)』
竹林軒出張所『史記 (横山光輝版)(本)』
竹林軒出張所『現代語訳 史記(本)』

# by chikurinken | 2018-05-25 07:24 |

『「みんなの学校」がおしえてくれたこと』(本)

「みんなの学校」がおしえてくれたこと
学び合いと育ち合いを見届けた3290日

木村泰子著
小学館

「みんなの学校」までの道のり

b0189364_21503891.jpg 大阪市立大空小学校に密着したドキュメンタリー、『みんなの学校』は、非常に衝撃的であった。子ども本位の目線で学校運営が行われ、問題行動があれば、校長をはじめとする教員や地域の人々が積極的に問題に介入していく姿は、大いに感心する。通常の学校であれば支援が必要とされる生徒も普通学級に入り、クラスや学年の垣根も必要に応じて頻繁に取っ払うなど、これが日本の学校なのかと思うことしきりで、しかもこの大空小学校、公立小学校と来ている。日本の公立施設でも、取り組み次第でこんなに変わることができるという事例を見せつけられた。
 あのドキュメンタリーが撮影されたときに校長を務めていたのが木村泰子氏で、あの学校の特徴は、なんといってもあの校長のリーダーシップによってもたらされたのは明らかである。その後、木村校長は、定年退職したため、その後が気になっていた。しかも教員も半分ぐらいが転勤になったらしいし……もしかして「普通の」学校になってしまったかも知れないと感じていた。また同時に、あの学校がどういういきさつで設立され、どのような過程を経て、あのような姿になったのかも非常に気になる。そこでこの本。木村泰子前校長が、大空小学校の教育方針やその実際、設立のいきさつ、またご本人の修業時代の話などが、話し言葉のような平易な語り口で紹介される。そのため非常に読みやすいが、ところどころ説明が足りず、読んでいてわかりにくい箇所も散見される(概ね推測できる範囲だが)。
 何より面白いのが、大空小学校がこういった姿になるまでの教員たちの奮闘ぶりで、他の学校で大空式の教育を取り入れる上で非常に参考になる部分ではなかろうか。もちろん大空式は一つの理想であり、どの学校でもこういうやり方を取り入れることができるとは思わないが、しかし一方でこうなるまでの過程を示されると意外にどこでもできるんではないかと思わせられる。
 それからドキュメンタリーを見ていたときに気になっていた、生徒の卒業後についても触れられていた。なにしろこういう「特殊な」小学校から「普通の」中学校に進むんだから、さぞかしカルチャーショックが大きいのではないかと勝手に危惧していたが、実は大空小学校では、卒業予定の6年生に対して「普通」の学校での行動についても教えたりするらしい。そのくだりも生徒たちの反応がなかなか面白いんで、興味ある方はぜひこの本を読んでいただきたい。本書によると、卒業生はそれなりに「普通の」中学校に適応しているようだ。ただ、著者が本書でも言っているように、「普通の」学校の方も少し変われば、「普通の」学校の管理型の行動を生徒に教える必要もなくなるし、生徒たちも今よりずっと楽になると思う。「普通の」学校に通っている通常の生徒にとっても、そちらの方が居心地が良いに決まっている。
 ドキュメンタリーもそうだったが、この本も、あちこちにいろいろな歪みが出ている今の教育制度を見直すきっかけになると思う。これは、学校関係者だけでなく、子を持つ親、地域の住民など、多くの人々に当てはまる。僕も含め、いろいろな媒体に触れることで、いろいろと自分の頭で考えて見たいものである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『みんなの学校(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-05-23 06:50 |

『みんなの学校』(ドキュメンタリー)

みんなの学校(2014年・関西テレビ)
監督:真鍋俊永
撮影:大窪秋弘
編集:北山晃
ナレーション:豊田康雄

驚嘆! こんな学校が日本にあるとは……
学校の理想形


b0189364_17172081.jpg 大阪市立大空小学校に長期密着したドキュメンタリー。この小学校、全校生徒220人の、こじんまりした創立わずか7年(撮影時)の学校。普通であれば、小学校を取材して何が面白いのかと感じるところだが、この小学校、普通と違っている。特別支援の生徒が30人近くもいて、その数たるや普通の学校の数倍、しかもそういった生徒も普通の生徒と一緒に授業を受けている。今の「普通の」小学校とは明らかに違う。
 そのあたりは、この学校の校長、木村泰子氏の強力なリーダーシップの賜であることは、このドキュメンタリーを見ていてよくわかるが、その徹底した「子ども本位」の考え方は、他の教員やスタッフにも浸透しており、同時にこの学校を支える近所の住人の人々や保護者も積極的に教育に関わっていることがわかる。初等教育の理想を体現したような学校である。この学校を1年に渡って追い続けたのがこのドキュメンタリーなのである。
 こういう学校だからなのかわからないが、他の学校で問題児扱いされていた子どもが転校してきたりする。この子ども達に対して周囲がどのように接するかというのも映し出されていて、校長と教員たち、まさに全員で体当たりでぶつかっていく姿が見られる。時には思い切り叱ったりするが、「子どものため」という視点が随所に見受けられる。一部の子どもにはかなりの問題行動もあるが、正面からこれを受け入れ、子どもを育てるという視点で接していく。これこそが「教育の原点」であり、日本にもこんな学校があったのかと驚くばかり。
b0189364_17172963.jpg なんといっても、子ども達の問題行動に校長が積極的に関わっているのが印象的である。一方で、新人の教員をビシビシ叱っていたりして、校長の厳しさも伝わってくる。あくまで「子どもが主役」というその視点が見えてきて気持ちいい。なお、この学校、特別支援の生徒が通常のクラスにいるため、普通の生徒たちもこういった生徒を支援したり援助したりする。実は、こういうことこそが教育面で一番重要であり、(支援する側の)子どもたちのためにもなるんではないかと思うが、今の教育現場みたいに個人主義的あるいは利己主義的な発想ばかりになってしまうと、なかなかこれを実現するのは難しいんだろうなと思う。もちろんこういうことを実現しようとすると、教員の負担が今以上に膨らむことはわかるが。だから、それを体現しているという点でも、この大空小学校のすごさがわかる。
 なお、この木村校長、2015年に(おそらく定年で)退職している。この学校のその後も気になるところ。
平成25年度文化庁芸術祭賞テレビ・ドキュメンタリー部門大賞他受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『「みんなの学校」がおしえてくれたこと(本)』
竹林軒出張所『本当は学びたい(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『学ぶことの意味を探して(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『私たちの未来を救って!(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ホームレス理事長(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『高校中退(本)』
竹林軒出張所『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと(本)』

# by chikurinken | 2018-05-21 07:16 | ドキュメンタリー

『五島のトラさん』(ドキュメンタリー)

五島のトラさん(2016年・テレビ長崎)
監督:大浦勝
編集:井上康裕
ナレーション:松平健

トラさんの走馬灯

b0189364_15460364.jpgネタバレ注意!

 長崎の五島列島在住の犬塚虎夫さん(通称トラさん)という市井の人の家族を、なんと22年(!)に渡って撮影し続けるという大河ドキュメンタリー。かつて10年レベルの長期取材が行われたドキュメンタリーをここでも紹介した(『ムツばあさんの秋』『エリックとエリクソン』など)が、22年間に渡って撮影したものは見たことがない。もっとも22年といってもずっと密着していたわけではもちろんなく、この作品も他のドキュメンタリーと同じように、最初に取材して放送し、その数年後にまた取材して放送しというのを繰り返して、結局最後に撮影したのが最初から22年だった、そしてそれを1本のドキュメンタリーにまとめたために、22年間のある家族の歴史がリアルに写されることになったたということなのである。とはいえ22年というのは前代未聞で、おおよそ一世代分であり、その重みはハンパない。
 五島に面白い人がいるということで最初に取材陣が入ったのが1993年で、その人こそ、このドキュメンタリーの主人公、トラさん。彼の家族は妻と7人の子ども達という構成の大家族であった。トラさんは製麺業を営んでいて朝からウドンをこねている。この家族が他と少々異なるのは、7人の子ども達に早朝から仕事を手伝わせるということで、それに対しては年齢や仕事に応じたバイト代という名の小遣いを渡す。もちろんこれはトラさんの教育の一環であり、お金を稼ぐということがどういうことか知ってもらいたいという思いからである。子どもの方は、中には朝からの労働を嫌がっている子もいるが、概ね割合積極的に関わっている。ちなみにこのとき長男は高校三年、一番下の子ども(三男)は2歳であった。この2歳のボクも仕事を手伝っていた。
 撮影が続くと、子ども達もどんどん成長し、五島で就職する者(トラさんのたっての意向が強く働いている)や、進学、就職などで都市部に出ていく者が出てくる。中には駆け落ちのようにして出ていく女の子もいて、家族の中に小さな波乱が生まれてくる。小さな波乱はあるが、それぞれの子ども達も自分の生活を生きるようになり、トラさんにとって嬉しいことも悲しいこともいろいろと起こる。トラさん自身は製麺業以外に製塩業にも手を広げ意欲的な面を見せる。一方で酒量が増え、身体に不調も出てくる……という按配である。
b0189364_15460836.jpg 子どもが遠くの街に出ていくあたりは、さだまさしの『案山子』みたいな世界になっていくんだが、バックに流れる音楽も案の定『案山子』で、考えるのは作る側も見る側も同じということになる。このあたりのエピソードについては2003年に『故郷〜娘の旅立ち〜』というタイトルでドラマ化されたらしいんで、このトラさん一家、以外に有名だったのかも知れない(このドラマの主役が、このドキュメンタリーのナレーターの松平健)。このあたりまではなんとなく「ビッグダディ」を彷彿させるような家族ではある。
 が、このトラさん、このドキュメンタリーの中で亡くなってしまう。ということで、2時間のドキュメンタリーの中に、ある男の壮年期から死期までが映し出され、その男が作った家族の歴史がこの2時間の中に投影されるということになる。このあたりがこのドキュメンタリーの最大の魅力になる。かつて放送されたという3本ないし4本分の放送を2時間に凝縮したため、時間をなぞるような部分が若干あって多少説明的になっているのが残念だが、一方で見方を変えると、トラさんが死ぬ直前に見た、いわゆる「走馬灯」のようにも感じられる。「走馬灯」を再現したドキュメンタリーなどこれまで存在しないし、それは、やはり22年という歳月と魅力的な被写体があってのことと言える。
 なお、この作品、トラさんの死後も出てきて、これなどはトラさんがあの世から見下ろした(その後の)この世みたいな印象さえ与える。視聴者はトラさんの立場に同化してこれを見るわけで、これも非常に面白い趣向になった。
 いずれにしても時間が持つ重みは、特にドキュメンタリーでは非常に大きいということを再発見させてくれた、そういうドキュメンタリーである。十分堪能した。
2017年文化庁映画賞文化記録映画部門大賞他受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『秩父山中 花のあとさき ムツばあさんの秋(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『タイマグラばあちゃん(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『地方発ドキュメンタリー(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『クワイ河に虹をかけた男(ドキュメンタリー)』
竹林軒『エリックとエリクソン』
竹林軒出張所『バーミヤンの少年(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『瓦と砂金 働く子供たちの13年後(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-05-19 07:45 | ドキュメンタリー

『見えざる病原体』(ドキュメンタリー)

見えざる病原体
(2017年・米Sierra Tango Productions/Vulcan Productions・独WDR)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー

これは果たして
真摯なドキュメンタリーなのか


b0189364_18581707.jpg 新種の感染症の恐怖について語るドキュメンタリー。
 エボラ出血熱、ジカ熱、新型インフルエンザなどが話の中心で、2014年の西アフリカでのエボラ出血熱流行、ブラジルでのジカ熱流行(それに伴う小児の小頭症の増加)などが俎上に上がる。また、SNSなどを通じて、必要以上に恐怖が増大し、パニックが起こることに警鐘を鳴らす。
 確かに言わんとすることはわかるが、むしろこのドキュメンタリー自体、いたずらに恐怖を煽るかのような様子が見える。エボラ出血熱については、多数の被害者が出はしたが翌年に終息しているし、流行についても局地的だったわけで、いたずらに恐怖を煽っているようにも受け取れる。ジカ熱についてもブラジルで被害者は多数出たらしいが、妊婦以外大事になることはないため、それなりの管理を行えば対処できるように思う。エボラ熱についてもジカ熱についても、紹介される映像がショッキングでかなり驚くが、あまり健全でない意図も少し感じる。
 むしろ、アフリカとブラジルの流行がどういう過程で進み、どういう対策がとられ、どのように終息したかなどについて詳細に伝えてほしかったところで、肝心の部分を欠いているという感触が残る。正直、取るに足りないドキュメンタリーであった。
★★☆

参考:
竹林軒出張所『あなたの中のミクロの世界 (1)(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『あなたの中のミクロの世界 (2)(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-05-17 07:57 | ドキュメンタリー

『歴史は女で作られる』(映画)

歴史は女で作られる(1956年・仏)
監督:マックス・オフュルス
原作:セシル・サン=ローラン
脚本:アネット・ワドマン、マックス・オフュルス
出演:マルティーヌ・キャロル、ピーター・ユスティノフ、アントン・ウォルブルック、オスカー・ウェルナー

なぜ録画したのか憶えていない

b0189364_19462442.jpg 伝説的ダンサー、ローラ・モンテスの伝記的映画。
 ローラ・モンテスは、音楽家のフランツ・リストやバイエルン王ルートヴィヒ1世などの愛人だったことで有名な人らしい。そのローラ・モンテスが、どのようにしてさまざまな名士を惹きつけたかというのがこの映画の柱の部分だが、しかし正直言って、あまり興味を引かれない。そもそもローラ・モンテス自体まったく知らない存在だったし、映画も取り立ててどうという作品ではない。美術や衣装には見るべきものがあって、時代考証なども優れているという印象ではあるが、話自体がどうということもないし、かなり退屈したというのが本当のところである。サーカス団員に身を落としたモンテスの視点で、これまでの来し方を思い出すという回想形式のストーリーは凝ってはいるが、内容が取るに足りないため、むしろ空回りの印象しか残らない。
 この映画、随分前にCSで放送されたときに録画していたものだが、なぜ録画したのかすらよく憶えていない。見る必要はなかったかなと今にして思う。
★★☆

参考:
竹林軒出張所『マーラー 君に捧げるアダージョ(映画)』
竹林軒出張所『アルマ・マーラー ウィーン式恋愛術(本)』
竹林軒出張所『ルートヴィヒ(映画)』

# by chikurinken | 2018-05-15 07:46 | 映画

『パットン大戦車軍団』(映画)

パットン大戦車軍団(1970年・米)
監督:フランクリン・J・シャフナー
脚本:フランシス・フォード・コッポラ、エドマンド・H・ノース
出演:ジョージ・C・スコット、カール・マルデン、マイケル・ストロング、カール・ミヒャエル・フォーグラー、スティーヴン・ヤング

周囲とぶつかり合う1人の奇才軍人の肖像

b0189364_16295138.jpg 第二次大戦時、ヨーロッパ戦線で活躍したジョージ・パットン将軍の戦役を描いた映画。
 パットンといえば、抜群の戦功を上げているが、一方で舌禍や問題行動が多く、そういう点では人間的に興味深い存在である。そのパットンを演じるのが、ジョージ・C・スコットで、彼もアカデミー賞主演男優賞を受賞しながら受賞自体を拒否するというなかなか見上げた男で、パットンに通じるものがあるようなないような。少なくともこの映画で描かれるパットンとは同類の人間のような気がする。
 映画は、アフリカ戦線の第2軍団の指揮を任され、この弱小軍団をたたき直すところから始まり、その後の舌禍事件や神経症兵士に対する殴打事件、それに伴う左遷などが描かれ、ストーリーは割合オーソドックスである。パットンの魅力は随所で描写され、頑固でわがままではあるが一方で愛すべき人物として描かれる。
 当然戦闘シーンもあちこちに出てきて、迫力のある映像が展開される。このパットン自身がいかにも職業軍人という人で、むしろ戦争大好きであるように描かれる(そういうセリフもある)ため、反戦メッセージが前面に出てくるという類の映画ではない。
 映画としてはわかりやすく、戦闘の展開も、アフリカ戦線や西部戦線について若干の知識があれば、それほど複雑すぎることもない。周囲とぶつかり合う1人の魅力的な才人という構図がこの映画のベースの部分にあり、こういったモチーフはいろいろな時代、いろいろな状況で見られるものであって、ドラマの主題としては面白いものと言える。したがって主人公を野球やフットボールの監督なんかに置き換えても、同じような話を作ることができる。実際この映画で描かれるパットン、どこかアメリカ人の熱血監督を彷彿させる。この間、NHK-BSの『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』で紹介されていた元広島東洋カープ監督のジョー・ルーツなんかも似たような人物像であった(ジョー・ルーツは1975年、万年Bクラスの弱小チーム、広島カープの監督になり、徹底的な意識改革をして、同年同チームのリーグ初優勝を実現する。もっともルーツは開幕してから1週間で問題行動で解任されているが、ルーツ・イズムみたいなものはチームに浸透していたという)。
1970年アカデミー作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本賞他受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『D-Day 壮絶なる戦い(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『プライベート・ライアン(映画)』

# by chikurinken | 2018-05-13 07:29 | 映画