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竹林軒出張所

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『現代語訳 南総里見八犬伝 (下)』(本)

現代語訳 南総里見八犬伝(下)
曲亭馬琴著、白井喬二訳
河出文庫

途中から「現代語訳」ではなく「要約」になった

b0189364_21144565.jpg 『現代語訳 南総里見八犬伝 (上)』の続きで、『南総里見八犬伝』の第七輯から第九輯まで。
 オリジナルの『南総里見八犬伝』では、肇輯(第一集)から第六輯までが31冊、第七輯が7冊、第八輯が10冊、第九輯が58冊と、第七輯から第九輯の方が圧倒的に冊数が多い(全75冊)。しかしこの『現代語訳』では(上)と(下)がほぼ同じページ数になっている。ということは当然、下巻はかなり端折られているということが容易に推測できる(僕は知らないまま読んでいたんだが)。
 実際、第九輯の途中ぐらい(本書の半分ぐらい)からほぼ要約と言って良い内容になってしまい、これを「現代語訳」と言ってはなるまいというような本になってしまった。ひどいもんである。そのため、上巻は割合気分良く楽しく読んでいたんだが、下巻になってアラが非常に目立つようになった。下巻では、さまざまな小さめのエピソードもかなり省かれている上、クライマックスの合戦シーンは、その展開を地の文で追いかけるだけという、およそ小説とは言いがたい内容になっているのである。そのために、登場人物も唐突に大量に出てくるし、舞台があちこちに次から次に(未消化の状態で)移り変わるしで、ややこしくなって何が何やらよくわからない状態になってしまった。
b0189364_21150582.jpg 僕は今回、『図解里見八犬伝』という本を併用しながら読んでいたため、ある程度後を追うことができたが、それにしても、架空の戦の話をダイジェストで読んだところで面白いはずはなかろう。それに最後の最後は恐ろしくいい加減になって、あまりにバカバカしく感じる。そもそも元々のストーリー自体がかなりご都合主義的だし、正直第九輯についてはこの『現代語訳』版を読んで損したという気がする。白井喬二が途中でイヤになったか忙しくなったかなんかで適当に切り上げましたという感じが伝わってくるのだ。上巻が割合よくできていて、それで信用してついていったのに、そのまま崖の下に誘導されたかのような心持ちがして、裏切られたような気さえする。第九輯については原典に当たれと言うことなのかも知れないが、ストーリーが荒唐無稽なのがわかった今となっては、今さら原典を読む気にもならない。
 そういうわけで最後は結構不快な気持ちだけが残ったのだった。羊頭狗肉とはこのことである。
★★★

参考:
竹林軒出張所『現代語訳 南総里見八犬伝 (上)(本)』
竹林軒出張所『私家本 椿説弓張月(本)』
竹林軒出張所『春色梅児誉美 マンガ日本の古典31(本)』
竹林軒出張所『北斎漫画(映画)』

# by chikurinken | 2018-12-26 07:14 |

『現代語訳 南総里見八犬伝 (上)』(本)

現代語訳 南総里見八犬伝(上)
曲亭馬琴著、白井喬二訳
河出文庫

歌舞伎風の荒唐無稽なストーリー
翻訳◎、原作△


b0189364_17222612.jpg 『南総里見八犬伝』と言えば、我々の世代はかつてNHKで放送されていた人形劇『新八犬伝』を思い出すわけで、僕などもかなりの部分を見ているため『八犬伝』はなじみ深い。ただし内容はあまり憶えていない。南房総(つまり南総)安房の里見家から、とある因縁により8人の義士が誕生し全国に散らばることになる。その8人の義士というのはすべて犬に関係しているため(姓に「犬」が付いている)八犬士と呼ばれているんだが、その彼らが義のために一堂に集まり、悪者を倒していくというストーリーである。憶えているのはその程度である(そもそもこの程度のストーリーであれば「南総里見八犬伝」というタイトルからも連想できる)。登場人物の名前についてはそれなりに憶えており、犬塚信乃、犬田小文吾らの八剣士の名前の他、関東管領扇谷定正(かんとうかんれい、おうぎがやつさだまさ)、寂莫道人肩柳(じゃくまくどうじんけんりゅう)などという複雑な名前まで、(ナレーターの坂本九が語っていた)音で憶えているんで、それを考えると子どものときの記憶は恐ろしいもんである(おかげでこの本を読むに当たってはこの記憶が非常に役に立った)。他にもテレビ版では「我こそは玉梓が怨霊」とか「さもしい浪人、網乾左母二郎」などというキャッチフレーズもたくさん出てきて、こういったものもいまだに頭に入っている。もっともこういった記憶は、『南総里見八犬伝』を読むとき以外ほとんど役に立たない情報なので、むしろ忘れた方が良い知識かも知れない。だがしかし『南総里見八犬伝』を読むに当たっては途端に役に立つ情報に変わるんで、このような(一般的には)どうでも良い知識を蓄えている同世代の(かつて『新八犬伝』を見た世代の)人たちは、一度『南総里見八犬伝』を読んでみたら良いかも知れない。僕が今回この本を読んだのもそういった動機からである。
 オリジナルの『南総里見八犬伝』は、江戸の文化期から天保期に28年もの歳月をかけて曲亭馬琴が発表した読本(長編小説)で、全98巻、106冊構成という大著である。『南総里見八犬伝』自体は割合人気のある著作であるため、当然原文で書かれたもの(岩波文庫版など、それでも10巻組)も出版されているし、マンガ版なども出ている。もちろん原文で当たるのが一番良いのだろうが、とにかく長いし、登場人物がやけに多かったりあちこちに話が飛び回ったりでかなりややこしい部分もあるため、江戸古語で読むより現代語で読めたらそれに越したことはない。それに原典で無理して読むような内容でもなさそうである。私の記憶が確かならば、言っちゃあ悪いがかなり荒唐無稽で無茶苦茶な話である。良い現代語訳があるんなら、やはりそちらに当たりたいところである。
 で、そういう現代語訳が実はあったのだ。現代語訳したのは白井喬二という人で、今ではほとんど知られていないが、かつては時代小説を量産していた流行作家である(山中貞雄監督作『盤嶽の一生』の原作者でもある)。こういう職業作家が戯作小説を訳して、時代小説スタイルでそれを綴っていくというのは、この『南総里見八犬伝』について言えば理想的な組み合わせと言える。ただでさえ相当長い原作であるため、とりあえずこういったものを読んで、もし必要であれば原典に当たる。そういったアプローチがベストなのではないかと思う。そういうわけでこのたび、この本を読んだのであった。この現代語訳版についても、上下二分冊で、しかも上巻だけで600ページとそれなりの分量があるんで、読むに当たってそれなりの覚悟は必要かも知れない。
b0189364_17225223.jpg 今回じっくり上巻を読んでみたところ、内容は先ほども書いたようにやはり荒唐無稽で、あっちに飛んだりこっちに飛んだり、しかも偶然に偶然が重なるということも非常に多く、端的に言ってしまえば超ご都合主義のエンタテイメント小説である。だが、方々にワクワクドキドキの要素が散りばめられているため、江戸の当時28年かけて少しずつ刊行されたが人気が衰えなかった、というのもわかるような気がする。また巻と巻との間が絶妙な場所で区切られているため、読者に次の巻を早く読みたいという気分にさせたであろうことも容易に想像される。こういったテクニックは多分に商業主義的ではあるが、商売人としてはうまい手法と言える。格闘シーンも随所に用意されていて、しかも登場人物が危機に陥ることも多いが、超人的な力でこういった難局を切り抜けていくようになっている。このように総じて歌舞伎みたいなストーリーで、(歌舞伎が大人気だった)当時の読者の気を引いたであろうことは想像に難くない。ただ、今の感覚では、そのご都合主義にかなり白けてしまうという面もあり、オリジナルのストーリーについては、あまり熱中するほどのものではあるまいとも感じる。一方でこの現代語訳版については大変読みやすく現代小説的であるため、エンタテイメント小説が好きな層にはかなりアピールするんじゃないかと思う。
 つまり総合するとこの文庫版の僕の印象は、現代語訳◎、原作△というところに落ち着く。そのため『南総里見八犬伝』にとりあえず当たってみようかという人たちには、この本が最善の手段になるのではないかと思う。また、原典の味わいも再現されているため、江戸時代に流行った「読本」というものがどういうものかについても身をもって実感できる。そういう意味でも、非常に価値の高い現代語訳版だと思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『現代語訳 南総里見八犬伝 (下)(本)』
竹林軒出張所『私家本 椿説弓張月(本)』
竹林軒出張所『春色梅児誉美 マンガ日本の古典31(本)』
竹林軒出張所『北斎漫画(映画)』

# by chikurinken | 2018-12-25 07:22 |

『ビギナーズ・クラシックス 和泉式部日記』(本)

ビギナーズ・クラシックス 和泉式部日記
川村裕子編
角川ソフィア文庫

和泉式部に興味を覚える

b0189364_17050590.jpg 古典作品、『和泉式部日記』のダイジェストにして入門編。
 『和泉式部日記』は全35段構成の「和泉式部による日記」であるが、本書ではいくつかの段を全体からまんべんなくピックアップして、各項ごとに現代語訳、原文、解説という順序で並べている。非常に良くできたダイジェストである。
 『和泉式部日記』は、恋人の為尊(ためたか)親王と死に別れた和泉式部が、その後その弟の敦道(あつみち)親王と恋に陥り、その恋の模様を書き綴った「日記」である。「日記」ということになっているが、本人以外の心情なども記述されていて多分に物語風である。そのためもあってか、かつては『和泉式部物語』と呼ばれ、別人による創作と考えられていた。いまでも日記説と物語説、両方あるようだが、本書の編者、川村裕子は日記説の立場を取っている。つまり敦道親王との恋愛が決していい加減な遊びでなかったことを、死んだ敦道親王(和泉式部と付き合うようになって数年後に死んでしまう)の名誉のために世間に示す目的で書いたとする。このロマンチックな説もそれなりに説得力があるとは思うが、なにしろ和泉式部についてはあまり記録が残っていないため、いまだわからないままである。そもそも和泉式部は当時、世間から恋多き女とされ、非常にスキャンダラスな存在だった。その和泉式部が今度は、死んだ恋人の弟、しかも皇子と付き合うようになったというんだから、世間は黙っていない。だが本書から窺われる和泉式部は恋愛に対してきわめて真面目で、それは敦道親王も同様。そしてそのときにやりとりされた和歌や手紙も非常に美しいもので、それがためにこの『日記』が文学的な価値を持つに至っているわけだ。だから死んだ恋人、そして自分の恋愛が、決して世間で邪推されるような浮ついたものではなく、きわめて真剣なもので美しいものであったことを世間に示すという動機は確かに説得力がある。一方で、残された和泉式部の歌を基にして、そこに物語の風味を加えた歌物語という見方もそれなりに説得力がある。いずれにしても記録が少ないんで、どちらが正しいかはにわかに断定できない。
 編者は、あくまでも『和泉式部日記』を美しく理想的な恋愛の吐露として捉える。お互いに好意を持っていながら世間の目を気にしてなかなか進展しない状況から、少しずつわかり合い、終いには和泉式部が敦道親王の家に入ってしまうところまで行く。ただし立場はあくまでも女房(召人)としてであり、妻や愛人という立場ではないところがかなり複雑である。そもそもこの2人は身分が違いすぎるのである。だが正妻である北の方はこのことが原因で家を出てしまう(後に離婚)。こういう過程が、美しい情景描写や心理描写、和歌で彩られる。プチ源氏物語みたいにも思える。全編、互いに好意を持つ男女の甘い言辞が散りばめられており、恋愛ものが好きな人にとってはかなり面白い素材なのではないかと思う。ただし、省略や本歌取りなどが非常に多いため、平安時代の貴族社会や和歌についての教養がかなりないと原文で読むのは相当難しいと思う。一方で原文に美しい修辞が散りばめられているため、現代語訳で良いかというとそれだけだともったいないという気もする。それを考えると、本書みたいな体裁は、入門書としては理想的である。
 僕自身、『和泉式部日記』にはかなり興味を持ったし、和泉式部自体にも非常に興味が湧いた。しかしなにしろ、先ほども言ったように記録が少ないのである。和泉式部は、和歌は多く残されているが、スキャンダルを除けば(スキャンダルについては『大鏡』や『栄花物語』に記述があるらしい)同時代の記録はあまり残っていない。『和泉式部日記』が唯一最大の記録ではあるが、これも歌物語の可能性を残しているわけで、実像はなかなか見えてこないのである。こういうような一連の知識も本書を読めば身に付く。和泉式部に対する関心も呼び起こさせるし、彼女の和歌の魅力も十分伝わる。そういう意味でも、やはり(何度も言うが)格好の入門書と言える。『ビギナーズ・クラシックス』シリーズの中でも、もっとも水準の高いものの1つである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『和泉式部日記 マンガ日本の古典6(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 蜻蛉日記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 太平記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 大鏡(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 土佐日記 (全)(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 梁塵秘抄(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 小林一茶(本)』

# by chikurinken | 2018-12-24 07:04 |

『宇治拾遺物語』(本)

宇治拾遺物語
中島悦次校注
角川ソフィア文庫

長年の本願を成就
日本の古典文学は奥深い


b0189364_17331655.jpg 鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』に、いわゆる「児子のそら寝」という話がある。僕は高校生のときに初めてこの話に触れたんだが、裏を掻いたような細かい心理描写に感心し、大学に行ったあかつきにはこういった国文学を専門に勉強したいことであるよなあなどと考えていたのであった。この「児子のそら寝」(ある夜比叡山の修行僧たちが、ぼた餅を作ることになって、ある児子〈幹部候補の小坊主〉がそれに気付いて心待ちにしている。やっとできあがった段階で、ある僧がこの児子を呼んだが、一度で答えるといかにも待っていたかのようで体裁が悪い、もう一度声をかけられてから返事しようと思い寝たふりをしていたところ、「寝ているようだから起こすな」という他の僧の声が聞こえ、それ以降呼ばれなかった。児子は出て行きたいのに出られない、そのうち僧たちの食べ始める音が聞こえる、仕方がないのでしばらくしてから「はい」と答える……という話)、今では高校の教科書に必ずと言って良いほど出ていて、珍しいものではなくなった。だがいくらポピュラーになったからといってその価値が衰えるわけではない。しかし僕はといえば、あの時に志を立てたものの、いまだに『宇治拾遺物語』にはごく一部しか触れていない。いずれは通しで読んでみようと考えながらも、すでに早40年が過ぎようとしているというのだから「少年老い易く学成り難し」とはよく言ったものである。要するに、僕にとって特別な存在だった『宇治拾遺物語』を、今回とうとう通しで読んだということなのである。
 『宇治拾遺物語』は、成立年ははっきりわかっていないが、おそらく鎌倉時代前期に編まれたと考えられている説話集である。古今東西の面白い話を集めるというコンセプトの文学で、『日本霊異記』や『今昔物語集』などに連なる作品である。『宇治拾遺物語』という著作名は、同じ説話集の『宇治大納言物語』(現存しない)に収録されていない説話を拾い集めたという意味で付けられたとされている。また、『宇治拾遺物語』のいくつかのエピソードは、芥川龍之介が短編小説に翻案したことでも有名で、『芋粥』、『地獄変』、『竜』などがその題材になっている。全196話が、十五巻(ただしこれも版によって異なる)で編成されている、というそういう作品である。
 この角川ソフィア文庫版では、底本として、江戸時代中期に出版された大判の写本が採用されている(代表的な寛永古版本・万治二年板本と同等の内容)。一部訂正されているが、当て字もかなり残されたまま収録されており、1つの話の中で登場人物の名前の表記が変わっていることもたびたびある。だがそのせいでかえって、古語がどのように変遷してきたか、その一端が窺えるような部分も見えてきたりして、かえって興味深い。基本的に原文のみで、訳文はない。訳文のある文庫本(講談社学術文庫版)もあるが上下二分冊でしかもそれぞれ800ページ以上と結構な大著になる(本書も360ページを越す)。訳文はもちろんあった方が読みやすいが、本書については、ある程度訳注が付けられており、読んでいれば古語にも慣れるんで、古文であっても概ね内容はわかる。どうしてもわからない箇所もあるが、その場合は古語辞典やネットで調べれば容易に知ることができるので、訳文は必ずしも必要ではないと個人的には感じる。古文と言っても日本語なのであるからして、あまり気負わずに臨んだら良いという気はする。それに本書にはしっかりした索引も付いていて大変親切である。
 さて、全部で196話もあれば、面白い話もあるし、何が面白いのかよくわからない話もあるのは当然。僕にとってはさすがに「児ノカイ餅スルニ空寝シタル事」(巻一の十二:いわゆる「児子のそら寝」)に匹敵するものはなかったが、それでもそれに迫るものはかなりあり、内容はかなり充実している。中でも、「鬼ニ瘤取ラルル事」(巻一の三)、「雀報恩ノ事」(巻三の十六)、「長谷寺参籠の男利生に預かる事」(巻七の五)は僕にとって予想外だった話で、それぞれおとぎ話の瘤取り爺さん、舌切り雀、わらしべ長者のオリジナルの話である。このオリジナルが説話であることはそれなりに知られているらしいが、僕はまったく知らなかったんで(室町時代の『御伽草子』あたりではないかと思っていた)、読みながら気付いたとき、大いに驚いた。また「僧伽多羅刹国ニ行ク事」(巻六の九)は、女の国に渡って取り殺されそうになった商人の話で、ちょっとしたスペクタクルが楽しめる。さらに、「伴大納言応天門ヲ焼ク事」(巻十の一)は応天門の変、「河内守頼信平忠恒ヲ攻ムル事」(巻十一の四)は平忠常の乱、「清見原天皇大友皇子ニ与スル合戦ノ事」(巻十五の一)は壬申の乱をそれぞれ描いたもので、一種の歴史物であり、さながら見てきたか聞いてきたかのように描かれているため、臨場感がある。空也や慶滋保胤など、歴史の教科書に出てくる人物も、同時代の身近な存在として登場するため、親近感を感じる。超人陰陽師、安倍晴明が活躍する話もいくつかある。
 内容はこのようにきわめて多彩で、しかも『日本霊異記』や『今昔物語集』と異なり大和言葉がベース(この二著は漢文ベース)になっていて比較的読みやすいため、説話集にアプローチする際は入門として『宇治拾遺物語』が格好の素材になるのは確かである。しかもこれを全部読み通したということになると満足感もひとしおである。いろいろと発見もあり、手元に置いて何度も読んでみたいと感じさせるような本である。通しで読むことによって、日本の古典文学の奥深さをあらためて感じさせられたのであった。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『世間胸算用(本)』
竹林軒出張所『コミックストーリー 日本霊異記(本)』
竹林軒出張所『漫画・日本霊異記(本)』
竹林軒出張所『セクシィ古文(本)』

# by chikurinken | 2018-12-23 07:32 |

『ヒトラー・クロニクル』(ドキュメンタリー)

ヒトラー・クロニクル
(2018年・独Epoche Media)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー

1人の小人物としてのヒトラー

b0189364_18515418.jpg ヒトラーの生誕から1945年の自殺までを、残された映像と写真で辿るドキュメンタリー。
 ヒトラーは、幼少時父親に虐待され、学校での成績も良くない上素行も悪かったという。卒業後、美術学校への入学を目指すがこれも失敗し、ホームレスになる。そんなヒトラーの生活を一変させたのが第一次世界大戦で、ヒトラーは一兵卒として従軍することになる。
 終戦後無事帰還するが、その後右翼政党、ドイツ労働者党に関係するようになり、演説の巧みさで徐々に党の中で台頭するようになる。党はやがて国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)と改称し、ミュンヘンで反乱を起こす。この反乱は鎮圧されヒトラーは投獄されるが、その間にドイツ国内は経済が大いに乱れ、ヒトラーは出獄後、ナチスともども政治的に台頭してくる。その後、世界中を混乱に陥れたのはご存知の通り。
 このドキュメンタリーからは、凡庸な社会的敗北者が少しのきっかけで、世界史を揺るがす独裁者として台頭したことが窺われる。このドキュメンタリーで振り返るヒトラーは、ちょっとした詐欺師のようにしか見えず、その詐欺師が1930年代のドイツで熱狂的な支持を集めたわけである。支持者の熱狂を前にしたヒトラーは神がかり的な存在に映るが、しかしそれ以前のヒトラーの映像や写真からは当然こういった全能感は窺えない。権力者や独裁者を作るのは、時代の空気であるということがよくわかるし、その空気にしても偶然の産物に過ぎないと思える。
 誇大に拡大した独裁者のイメージではなく、1人の小人物としてのヒトラーを明るみに出しているという点で、このドキュメンタリーは優れた歴史の記録になっている。その点を大いに評価したい。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ヒトラー 権力掌握への道 前後編(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ヒトラー 最後の日々(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『アフター・ヒトラー 前後編(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『映像の世紀 第1集〜第4集(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『映像の世紀 第5集〜第8集(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『新・映像の世紀 第3集(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-12-21 07:53 | ドキュメンタリー

『ヒトラーの子どもたち』(ドキュメンタリー)

ヒトラーの子どもたち
(2017年・仏Gedeon)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー

支配者候補生養成、もとい養育施設

b0189364_18481722.jpg ナチスが、純粋アーリア人の支配層を作るために新生児を集めて育てる施設がドイツおよび周辺国に存在した。これが「レーベンスボルン」という施設で、この施設では、アーリア系ドイツ人の若い男(親衛隊の兵士など、既婚者もいる)を招待し、そこに常駐する看護婦との間に子どもを産ませるという方法で新生児を増やしたという。この計画の一端が近年明るみに出たらしいんだが、それを紹介するドキュメンタリーがこれ。
 計画自体はナチスの愚かさが反映されているようなもので、ナチスの虐待や虐殺の歴史に比べると可愛いものに映る。そのため愚かな計画であるとは思いつつ、あまり目を引くような要素がない。
 この凡庸なドキュメンタリーの救いは後半で、この施設で生まれた新生児がその後どうなったかが(1人だが)明らかになる。この施設で生まれたその男性は現在70代後半になっており、その男性の話によると、母は幼少時からこの施設のことは一切語らなかったため(ナチスに関係していたことで迫害を受けることを恐れていたらしい)、自身の幼少時のことがわからずじまいだった。ところが母が死んだ後、遺品の中からこの施設の秘密に関わる記録が出てきた。同時に、この施設を調べているジャーナリストとも出会うことになって、自分がこの施設で生まれたことを知ったという。戦後、母子家庭の中で苦しい生活を送っていたが、それでも母がこの施設についてひた隠しにしていたことが回想されて、母の思いを今になって知るのである。本人は、母の相手(つまり父に当たる人だが)がSS(親衛隊)のメンバーでないことを信じているが、実際はSSのメンバーであったことが有力である(写真も残っている)。
 この男性を追うことで、戦争が個人の中に落とした影が表現されていて、このあたりがこのドキュメンタリーの目玉である。ただ先ほども言ったように、この施設については特別な感慨が湧かなかったため、ドキュメンタリー自体についてもあまり面白味を感じなかったというのが本当のところである。
★★★

参考:
竹林軒出張所『映像の世紀 第1集〜第4集(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『新・映像の世紀 第3集(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-12-20 07:47 | ドキュメンタリー

『バブル 終わらない清算』(ドキュメンタリー)

バブル 終わらない清算 〜山一証券破綻の深層〜
(2018年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル
平成史スクープドキュメント第2回

山一證券破綻騒動から見えてくるもの

b0189364_16094626.jpg 1997年に自主廃業した大手証券会社、山一證券の破綻騒動を追体験するドキュメンタリー。当時の山一の幹部や元大蔵官僚なども登場し、当時の事情を語る。
 日本中がバブルで踊った90年代初頭、当然のごとく証券会社各社は絶好調だったが、バブルが破綻すると途端に風向きが悪くなる。しかも多くの証券会社では、大口顧客をつなぎ止めておくため、株式投資の赤字分を証券会社が穴埋めするという、いわゆる損失補填を行っていた。これはその後、政府によって禁止されるが、山一證券は密かにこれを続け、しかもこの損失を巧妙に隠蔽していた。いずれ景気が回復し株価が上がればこの損失も相殺できるだろうというのが上層部のハラだったが、彼らが望んでいた夢のような景気回復はいつまで待っても訪れない。やがてこの損失隠しは徐々に明るみに出ることになり、責任を取って当時の執行部が変わったりもしたが、結局(当時護送船団方式という名前で日本の金融機関の指揮を執っていたにもかかわらず)大蔵省は損失隠しの山一を救済することもなく、そのために山一證券は11月24日にあえなく破綻。記者会見の席で、新社長が号泣しながら「社員は悪くありませんから!」などと叫ぶみっともない姿をさらしたのは記憶に新しい。
 そういった過程を紹介していくのがこのドキュメンタリーで、(内部関係者の視点は目新しいと言えるが)それほど新しい事実が紹介されるわけではなく、ありきたりな回顧ドキュメンタリーという印象は拭えない。ただ僕にとって非常に面白かったのが、山一證券の上層部、特に社長や会長など責任を持つ権力者連中が、社内の問題の存在を把握しながらそれを先送りにし、悪い情報は持ってくるななどと部下に怒鳴っていたという当たりの話である。トップがこういう態度だと、問題が存在していても解決するわけはなく、こういった態度は危機管理へのアプローチとして最悪と言わなければならない。これは無責任・先送り体質の現れであり、昨今日本のあちこちの大企業で続発する不祥事も、こういった体質の結果生じているもので、しかもこの体質、太平洋戦争の時代から全然変わっていない(竹林軒出張所『ノモンハン 責任なき戦い(ドキュメンタリー)』を参照)。「都合の悪いことはなかったことにし」その上「誰も責任を負わない」悪しき日本の風土は、企業だけでなく行政府内でもいまだに健在、継続中なのである。
 そもそもトップに立つということは、その集団のあらゆる責任を負うということである。報酬は責任に対して支払われるものであり、またそういう人々が問題を正すための原動力にならなければ問題なんて解決するわけないのだ。山一證券の場合も同様で、下の人間が上に問題解決を働きかけても、上の人間が愚昧であれば握りつぶされるだけだし、下手をすると閑職に追いやられることだってあり得る。そういう意識が無い、単にたまたま出世競争に勝ち抜いただけの愚か者がトップに居座る日本の大企業・官庁のシステムが、こういった集団の問題の原因になっていることが窺われる。過去の失敗(たとえばあの戦争)を鑑みて反省するということをしない傲慢さが、このような問題を生み出しているわけで、いい加減気付けよと思う。愚かなくせに傲慢な人間が、社会の上層部にいまだ多数貼り付いているのが日本社会である。このドキュメンタリーを見ると、そのあたりが見えてきて再確認できるのだった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『戦後70年 ニッポンの肖像 (2) "バブル"(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『昭和史 1926-1945(本)』
竹林軒出張所『ノモンハン 責任なき戦い(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『731部隊の真実(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『日本国債(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『862兆円 借金はこうして膨らんだ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実(本)』

# by chikurinken | 2018-12-18 07:09 | ドキュメンタリー

『キャメラマンMIYAGAWAの奇跡』(ドキュメンタリー)

キャメラマンMIYAGAWAの奇跡
(2018年・NHK)
NHK-Eテレ ETV特集

宮川マジックの一端を垣間見る

b0189364_18142813.jpg 映画の撮影監督(キャメラマン)、宮川一夫の足跡を辿るドキュメンタリー。
 戦後の数々の有名映画監督と仕事をし、しかもどれも「ならでは」の映像美を作り出した撮影監督として名高い宮川一夫。このドキュメンタリーでは、関係者や映画人たちの証言で宮川一夫の仕事の秘密、魅力を紹介していく。インタビューに登場する映画人は、篠田正浩や周防正行の他、マーティン・スコセッシ(ハリウッドの映画監督)、ジョン・ベイリー(ハリウッドの撮影監督)など。市川崑や黒澤明が宮川一夫のすばらしい仕事について語った生前のインタビューも登場する。
 このドキュメンタリーで紹介される映画は、『羅生門』(黒澤明監督)、『山椒大夫』、『近松物語』、『雨月物語』(溝口健二監督)、『おとうと』(市川崑監督)、『無法松の一生』(稲垣浩監督)、『浮草』(小津安二郎監督)など。中でも『羅生門』で逆光の太陽光を撮影したのは、当時の映画人に衝撃を与えたという(太陽光をフィルムに捉えるのが不可能だったため)。現場では、ガラスにろうそくの煤を付けそれをフィルター代わりにしたということで、こうすることでフィルムが焼き付くのを防ぐことができる。映像を見ている限りでも、この点についてはまったく不自然さがなく非常に見事な映像に仕上がっている。またレフ板の代わりに鏡を使って光と影を強調するなどということも行ったらしい。太陽光を撮れなどという無茶な要求を出したのはそもそも監督の黒澤明らしいが、それを実現したのは宮川ならでは……ということらしい。
 一方で溝口健二などは、要求をあまり出したりせず映像設計のすべてを宮川に任せたという。「任せた」と言うと監督の度量の大きさを窺わせるが、実際のところはほとんどを人任せにして良い悪いのみを言うような監督だったらしい、溝口は。だが宮川の方も全力投球で撮影にあたり、水墨画を思わせるようなカットを散りばめた。中には湖の手前の木を墨汁で黒くして影を強調するなどということまでやったらしい(『山椒大夫』)。『雨月物語』では、カメラがパンしているうちにシーンが劇的に変化するような長回しのショットもあって、これについても紹介されていた。
 市川崑の『おとうと』では、監督が「大正時代の色彩」を求めたため、この要求を満たすため、銀残しという(独自の)斬新な現像処理でモノクロ・タッチのカラー映像を作り出している。これは宮川オリジナルの技法であるが、その後、スピルバーグが『プライベート・ライアン』でこの技法を利用したらしい。
 小津安二郎の『浮草』でも宮川一夫が起用され、非常に印象的な土砂降りのシーンを撮影している。元々小津は松竹の監督だが、この一作だけ大映で撮影しており、そのためもあり大映所属の宮川一夫に白羽が立てられたわけだ。松竹の映画監督の山田洋次によると「松竹ではああいう雨は降らさない、松竹の雨はしとしと」だそうで、小津も大映に行くとあんな激しい雨を振らすのかと当時松竹の関係者の間で話題になったらしい。また宮川の提案で(小津らしからぬ)俯瞰のカットを1箇所だけ入れているのも(小津映画としては)独特である。顔に逆光の影を入れたシーンもあり、随所にいろいろな工夫があることがわかる。
 紹介された数ある映画の中でも一番驚くのが稲垣浩監督の『無法松の一生』(1943年版)で、最後の2分30秒のオーバーラップのシーンが、(一般的な技法である)現像処理ではなく、いろいろなシーンを1年間かけて1本のフィルムに少しずつ重ね録りしたという話であった。そのために宮川は長い巻物を作ってそこに何フィートでどの絵を入れるか計算した上で、フィルムを適宜巻き返しながら重ねて撮影したらしい。1箇所失敗したらすべてパーという壮大な手作業である。そもそも現像処理を採用しなかったのは、現像処理の場合(当時の技術では)画面が暗くなることがわかっていたためで、このあたりのプロ根性は見上げたものである。このドキュメンタリーからは、宮川が決して天才肌の撮影監督ではなく、むしろ細かい努力や工夫を大切にした職人肌のカメラマン、もといキャメラマンだったことがわかる。番組内では、宮川が「強烈な監督の個性に向き合うことで自分自身の個性も磨いた」という言葉で締めていたが、この言葉が非常な説得力で迫ってくる。
 この番組では、撮影技法を伝える目的で映像を駆使して解説していたために、撮影上のさまざまな工夫や技法が非常にわかりやすくなっていた。こちらも映像作品「ならでは」と言えるかも知れない。1時間のドキュメンタリーであるにもかかわらず、本一冊分以上の情報量があったと感じるほど濃密であった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『羅生門(映画)』
竹林軒出張所『山椒大夫(映画)』
竹林軒出張所『おとうと(映画)』
竹林軒出張所『炎上(映画)』
竹林軒出張所『破戒(映画)』
竹林軒出張所『ぼんち(映画)』
竹林軒出張所『鍵(映画)』
竹林軒出張所『用心棒(映画)』
竹林軒出張所『赤線地帯(映画)』
竹林軒出張所『新・平家物語(映画)』
竹林軒出張所『祇園囃子(映画)』
竹林軒出張所『刺青(映画)』
竹林軒出張所『プライベート・ライアン(映画)』
竹林軒出張所『小津安二郎・没後50年 隠された視線(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『チトサビシイ 残された3本に輝く天才(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『巨匠たちの肖像 ヒッチコック(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『イノさんのトランク(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-12-17 07:13 | ドキュメンタリー

『三度目の殺人』(映画)

三度目の殺人(2017年・「三度目の殺人」製作委員会)
監督:是枝裕和
脚本:是枝裕和
撮影:瀧本幹也
出演:福山雅治、役所広司、広瀬すず、満島真之介、市川実日子、松岡依都美、蒔田彩珠、橋爪功、斉藤由貴、吉田鋼太郎

死刑制度に対する痛烈な皮肉……
と受け止めた


b0189364_18465928.jpg 強盗殺人の容疑で逮捕された容疑者、三隅(役所広司)の弁護を引き受け、何とか死刑を回避しようとする弁護士(福山雅治)が主人公の法廷ミステリー。この弁護士、少し醒めているようで一見それほど熱意を感じさせないんだが、自ら関係者のところに足を運び真相を解明しようとしたりする。そもそもが容疑者の供述が二転三転してなかなか真相が掴めないのだが、ともかくそういう流れでストーリーが進行していく。
 冷淡で事務的な検察官(市川実日子)や少々異常性を感じさせる母親(斉藤由貴)など、リアルさを感じさせるユニークな人物が登場してきて、ドラマ的な(ステレオタイプな)キャラクターがあまり登場しないのは、この映画の大きな魅力の1つである。一方で戯画的なキャラクター(父親役の橋爪功や同僚役の吉田鋼太郎)は存在し、こちらはまた良いアクセントになっている。毎度ながらキャラクター設定が非常にうまいと感じさせる是枝脚本である。
 タイトルがおそらくこの映画のキーになっていて、おそらく死刑のことを指しているのではないかと思うが、あまり言うとネタバレになってしまうので、ここでは触れないようにしなければならぬ。法廷劇は(僕の場合)内容を追いづらくなることが多いが、是枝演出らしく非常に良いテンポで、流れが自然に頭の中に入ってくる。だが、ストーリーはさながら「藪の中」で、最後まで結構モヤモヤが残る。実際のところ何が真相なのかはっきり見えてこない。そのあたりと死刑制度を絡めたテーマなんだろうが、こちらについてもあまり触れることはできない……危ない危ない。終わった後かなり頭の中がモヤモヤするが、これこそがテーマであるならば、それについてどうこういうことはできない。よくできているとしか言えない。
 この映画についても、他の是枝作品同様、なぜだかわからないが流れの悪さなどなく、非常にスムーズに展開されて、見ていて途中でだれることがない。編集や演出の妙なんだろうが、うまいもんである。
第41回日本アカデミー賞最優秀作品賞他受賞
★★★☆

注記:
ネタバレ注意!
 映画もモヤモヤするが、上で書いた文章も(内容に極力触れないようにしたため)かなりモヤモヤしている。そこで、ネタバレ覚悟で、僕なりの解釈と感想をここで書いておこうと思う。まだこの作品を見ようと思うが見ていないという人は、ここは読まない方が良いです。
 容疑者の三隅は、若い頃一度殺人事件を犯していて、今回の事件で二度目の殺人のはずだが、それを考えるとタイトルは少々不可解である。だが結局三隈は死刑判決を受けることになる。しかも真相については結局わからないままで、裁判は「藪の中」の状態で結審してしまう。基本的には自供が唯一の証拠であるが、この自供についても公判の途中で容疑者が否認するため、この唯一の証拠も怪しくなる。「疑わしきは罰せず」の原則で行けば(検察がこれに代わる証拠を提出しない限り)無罪にしなければならない。しかしそれでも裁判所の都合でそのまま裁判が進められ、犯行を誰が行ったのかはっきりとわからないまま(暗示するようなイメージショットはある)、死刑判決が出てしまう。要はこれが製作者の主張する「三度目の殺人」ということではないかというのが僕の解釈である。ストーリーは最後まで「藪の中」であるため、見ている方はかなりモヤモヤした状態が残るが、「藪の中」を表現するのであれば(不快であっても)こうした終わり方をするのが正解だと思う。安易なヒューマニズムでわかったような気にさせるのは面白くないと個人的には思う(竹林軒出張所『羅生門(映画)』を参照)。

参考:
竹林軒出張所『羅生門(映画)』
竹林軒出張所『歩いても 歩いても(映画)』
竹林軒出張所『海街diary(映画)』
竹林軒出張所『ゴーイング マイ ホーム (1)(ドラマ)』
竹林軒出張所『ゴーイング マイ ホーム (2)〜(10)(ドラマ)』
竹林軒出張所『ブレイブ 勇敢なる者 前・後編(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『死刑弁護人(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-12-15 07:46 | 映画

『羅生門』(映画)

羅生門(1950年・大映)
監督:黒澤明
原作:芥川龍之介
脚本:黒澤明、橋本忍
撮影:宮川一夫
美術:松山崇
音楽:早坂文雄
出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実、本間文子、上田吉二郎、加東大介

美術と撮影は超一流だが……

b0189364_19053666.jpg ヴェネチア映画祭でグランプリを獲得した黒澤明の出世作。今回見るのは2回目。
 原作は芥川龍之介の(『羅生門』ではなく)『藪の中』である。ただし『羅生門』的な要素も主題(人間のエゴイズム)として組み込まれているし、何より舞台が平安京の羅生門になっている。そしてまた、この羅生門のセットがすばらしい。さすが大映!と感じさせる立派なものである。ちなみにこの映画、黒澤作品だが、東宝ではなく大映製作なのである。これだけ立派なセットを組んだにもかかわらず、ほとんどのシーンがロケで撮影されている。このあたりは結構な無駄に思え、製作責任者に対しては少し腹立たしく感じる。もっともこのロケのシーンについても、宮川一夫のすばらしい撮影でコントラストの効いた面白い絵面になっていて(少々やり過ぎな感もあるが)、しかも登場人物の息づかいが感じられるようなすばらしい映像になっている。
 ただ、これだけ立派な素材を揃えながらも、やはりなぜだかわからないが、途中流れが悪く感じる場面が多く、見ていてだんだん飽きてくる。それに原作は「藪の中」(真相がわからないことのたとえ)のはずであるにもかかわらず、杣売り(志村喬)がすべて種明かししてしまって、そのために面白味が極度に損なわれてしまっている。ストーリー上、最後までモヤモヤするのがそもそもの『藪の中』の面白さでありテーマだと思うんだが、ソフトランディングしてしまったために、他の登場人物の証言が、単なる見栄による嘘で片付いてしまって面白味もへったくれもあったもんじゃないという結末になってしまった。それに人間のエゴイズムがテーマになっているにもかかわらず、最後はつまらない黒澤流ヒューマニズムで片付けられていて、テーマが台無しになってしまっている。このあたりも原作を尊重するのであれば、不快になるようなエゴイズムを突きつけてほしかったと感じる。橋本忍の脚本にしてはちと陳腐だと思っていたんだが、今調べたところ、橋本忍のオリジナル脚本に黒澤明が加えた部分が、このヒューマニズムのシーンと種明かしのシーンだったらしい(ウィキペディア情報)。妙に頷いてしまう。
 今回見たのは、デジタル完全版というもので、リマスター処理が施されていた。そのため画面が非常に美しくなっており、宮川一夫の芸術的な映像も生きるというものである。そういう芸術性も随所に感じられるんだが、やはり流れの悪さや(おそらく黒澤改変による)プロットの陳腐さはいかんともしがたいと思う。原作、脚本、美術、撮影、音楽などどれもすばらしい素材が揃ったにもかかわらず、センスの悪い使い方のせいで台無しになった……という印象しか残らなかった。
1951年ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞受賞
★★★

参考:
竹林軒出張所『今昔物語(上)(下) マンガ日本の古典8、9(本)』
竹林軒出張所『椿三十郎(映画)』
竹林軒出張所『用心棒(映画)』
竹林軒出張所『蜘蛛巣城(映画)』
竹林軒出張所『天国と地獄(映画)』
竹林軒出張所『デルス・ウザーラ(映画)』
竹林軒出張所『三度目の殺人(映画)』
竹林軒出張所『キャメラマンMIYAGAWAの奇跡(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-12-14 07:05 | 映画

『事件』(映画)

事件(1978年・松竹)
監督:野村芳太郎
原作:大岡昇平
脚本:新藤兼人
出演:丹波哲郎、芦田伸介、大竹しのぶ、永島敏行、松坂慶子、渡瀬恒彦、佐分利信、西村晃、山本圭、北林谷栄、佐野浅夫、乙羽信子、森繁久彌

よくまとまった法廷劇

b0189364_19081595.jpg 大岡昇平原作の同名小説の映画化作品で、法廷ものである。バーの美人ママ(松坂慶子)が山林で殺害された事件について、弁護士が真相を探るというストーリー。
 舞台はそのほとんどが法廷で、証言、あるいは回想で真実が見えてくるようになっている。真相が分かりやすく、しかも過剰に説明的にならずに事件のいきさつが説明されており、よくまとまった良いシナリオだと思う。おかげさまで、アメリカ映画の法廷ものでありがちな、意味不明な箇所が最後まで残るということはなかった。
 演出は野村芳太郎の推理ものらしく、非常に正攻法で、取り立ててどうこう言うような部分もない。演出もオーソドックスで、性格や立場を反映した、いかにもという演出で登場するキャラクターはありふれていて面白味はないが、当然のことながら破綻はない。キャストは概ね当たり障りのない演技をしており、大竹しのぶが好演。永島敏行は『サード』の直後の出演だが、何だか冴えない野暮ったい演技だった(『サード』では好演だったが)。また、キャスティング自体も概ねありきたりで、いかにもというキャスティングばかりである。弁護士と検察官の丹波哲郎と芦田伸介は、『砂の器』や『七人の刑事』を彷彿とさせるキャラクターだし、佐分利信の判事も『判事よ自らを裁け』を挙げるまでもなく、いかにもな配役である。キャストの中で、当時おそらく俳優と配役のイメージがもっともかけ離れていたのが松坂慶子だろうが、ただこれはおそらく公開当時、「これを見ろ」というような「目玉」的なキャスティングではなかったかとも想像できる。
 地味で、それほど人に勧めたくなるような映画ではないが、見ればそれなりに楽しめる。法廷劇ではあるが、眠くなることも一切なかった。
毎日映画コンクール日本映画大賞他、日本アカデミー賞作品賞他受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『わるいやつら(映画)』
竹林軒出張所『拝啓天皇陛下様(映画)』
竹林軒出張所『遺族(ドラマ)』
竹林軒出張所『判事よ自らを裁け(ドラマ)』
竹林軒出張所『妻は告白する(映画)』
竹林軒出張所『裁きは終りぬ(映画)』
竹林軒出張所『ブレイブ 勇敢なる者 前・後編(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『俘虜記(本)』

# by chikurinken | 2018-12-13 07:07 | 映画

『クレイマー、クレイマー』(映画)

クレイマー、クレイマー(1979年・米)
監督:ロバート・ベントン
原作:アヴェリー・コーマン
脚本:ロバート・ベントン
出演:ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ジャスティン・ヘンリー、ジョージ・コー、ジェーン・アレクサンダー

70年代を代表する今日性のある映画

b0189364_16540395.jpg 1979年に公開され、日本でも話題になった映画。これまで2回見ていて、内容をかなり憶えている映画なのでそれほど新鮮味はないが、しかし何度見てもグレードが高いと感じる。
 (映画としては)比較的短い時間にさまざまなエピソードがぎゅっと濃縮されていて、しかもどれも過不足ないため、まったく飽きることがないし、どのシーンも記憶に鮮明に残る。
 夫婦の離婚、そして父子・母子の関係を描いた映画で、後半は子どもを巡る裁判になるというストーリーである。当時のアメリカの世相を(そして今現在の日本の世相も)よく反映した非常によくできた話で、しかも使用前・使用後みたいな対句的なシーンも散りばめられていて、分かりやすく、なおかつ感情移入しやすくなっているのもすばらしい。邦題は何のことだかよく分からないが、原題は『Kramer vs. Kramer』、つまりクレイマー(夫)対クレイマー(妻)という、裁判の場面を意識したタイトルである(クレイマーは登場人物の姓である)。この原題も映画のテーマからは少しずれている感じがしないでもないが、邦題はそれに輪をかけてひどい。もう少し何とかならなかったのかと思うが、配給関係者が付けたタイトルだろうし、しかもこのタイトルがしっかり定着したんで、彼らにとっては御の字なんだろう。
 登場人物も等身大でそれぞれが魅力的なのも、この映画の長所である。ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープの名優については言うまでもないが、子役のジャスティン・ヘンリーも非常に好演。今日でもテーマが説得力を持つ、70年代を代表する映画である。
第52回アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞他
第37回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞他受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『キッド(映画)』
竹林軒出張所『チャンプ(1931年版)(映画)』
竹林軒出張所『離婚の泥沼(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『風にむかってマイウェイ(ドラマ)』
竹林軒出張所『ウホッホ探険隊(映画)』
竹林軒出張所『プレイス・イン・ザ・ハート(映画)』
竹林軒出張所『俺たちに明日はない(映画)』
竹林軒出張所『卒業(映画)』

# by chikurinken | 2018-12-11 07:53 | 映画

『トータル・リコール』(映画)

トータル・リコール(1990年・米)
監督:ポール・ヴァーホーヴェン
原作:フィリップ・K・ディック
脚本:ヨスト・ヴァカーノ
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、レイチェル・ティコティン、シャロン・ストーン、マイケル・アイアンサイド、ロニー・コックス

「万物斉同」にして「逍遥遊」

ネタバレ注意!

b0189364_20303864.jpg フィリップ・K・ディックの短編小説「追憶売ります」(現在は「トータル・リコール」と訳されている)を映画化したもの。またこの作品、数年前にリメイク版が作られている。今回見たのはシュワルツェネッガー主演のオリジナル版である。
 舞台は近未来で、すでに火星では植民活動が行われているという世界。主人公のクエイド(シュワルツェネッガー)は、実体験に近い夢を見せるというリコール社の広告に惹かれ、このサービスを受ける(諜報員になるという設定のオプションも買う)。ところが、この夢サービスを受ける段階で異常が発生し、クエイドが実は火星での重大な秘密を握ったために記憶を消されていたことが判明する。そのためにその現場から抜けだして火星に赴き、火星でゲリラ戦を展開している反植民地政府ゲリラにこの重大な情報を明かすことで、火星植民地の悪徳支配者コーヘイゲンを倒すべく戦うというストーリー。
 途中からハリウッド映画的にやや荒唐無稽な感じでドンパチが始まってしまい、何だか少し白けてしまうが、しかしもしかしたらここで展開される劇的なストーリーもクエイドが見せられている夢である可能性があり、そしてそれを示唆するようなシーンもあって、どれが夢でどれが現実なのかよく分からなくなる。言ってみれば「胡蝶の夢」あるいは「邯鄲の枕」のモチーフと言うこともできる。したがってあまりに主人公に都合良く話が進むハリウッド的な展開についても、これがリコール社によって作られた夢であると考えれば、映画的な視点からは決してご都合主義的ではなくなる。ただし、映画ではそのあたりをうやむやにしていて少々モヤモヤするが、しかしそれはそれで良かったのではないかと見終わってから思う。
 美術もよくできており、当時テレビのCMでよく放送されていた変身のガジェットや投影装置のガジェットなどは映像として非常に魅力的な素材である。ただ火星植民地の街の様子がスタジオ感が滲み出ていて安っぽかったのが難点。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ブレードランナー ファイナル・カット(映画)』
竹林軒出張所『アイズ ワイド シャット(映画)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 老子・莊子(本)』

# by chikurinken | 2018-12-10 07:30 | 映画

『フランス人ママ記者、東京で子育てする』(本)

フランス人ママ記者、東京で子育てする
西村・プぺ・カリン著、石田みゆ訳
大和書房

日仏出産子育て事情

b0189364_17220244.jpg じゃんぽ〜る西のマンガ、『モンプチ 嫁はフランス人』に出てくる「嫁」は、この本の著者、西村・プぺ・カリン。ということでこの本では、妻の側から見た西(西村)家の風景が描かれる。
 著者は、旅行で訪れた東京を気に入り、その後東京に住むことを決意。長期休暇を取って東京を再び訪れ、携帯電話をテーマにしたルポを書いているうちに、それが売れるようになる。それを機に、それまでのパリでの仕事を辞めて東京に移り住み、フリージャーナリストに転身する。やがてAFP(フランスの通信社)に採用されて現在に至る。さすがフランス人という行動力で、まずそのあたりに感心する。その後、日本でじゃんぽ〜る西氏と知り合って結婚し、その後40歳で出産。そしてそのときの経験を中心にまとめたエッセイがこの本である。
 内容の大半は、日本で経験した出産と育児に関するもので、多くはフランスとの比較論になる。著者によると日本、フランスのどちらのシステムにも一長一短あるが(日本は出産に金はかかるが親切、フランスはすべて無料で著者が希望した無痛分娩についても比較的容易だがサービスが悪いなど)、著者は日本を選択。子育てについても一長一短ではあるが、こちらも今後日本に住み続ける可能性が高いことから日本を選択した。ただ一方で、日本もフランスの制度の良いところを取り入れてくれれば、より一層快適になるのにと思っているようだ。お説ごもっともである。
 意外だったのは、ベビーカー論争(少し前に取り沙汰された、電車内でのベビーカーの使用に関する議論)やマタニティハラスメントなども、僕は日本独特かと思っていたんだが、フランスにも同じような問題が存在するという話である。もちろん、フランスは自由の国であるため、お互いが意見をぶつけ合って主張し合う方向に進むらしいんで、経過は多少違ってくるが、それでも日本ほどひどくはないにしても同じような問題はあるらしい。
 比較文化論がこういった本の目玉になるわけだが、後半に描かれるフランスと日本の子育て事情の違いは、本来本書の目玉の部分なんだが、個人的には少々退屈した。日本の新米両親(つまり小さい子を持つ親、特に母親)もフランス人みたいにもっと育児に手を抜いて良いんじゃないかという著者の提言については大いに賛成するところだが、現在の僕にとって小さい子どもの育児はあまり大きな関心事ではないため、前半ほどは楽しめなかったというところだろうか(だが小さい子どもを持つ親であれば、大いに参考になることは容易に想像される)。
 やはり僕にとって一番面白かったのは、じゃんぽ〜る西が描く世界を裏側の視点(描かれる対象からの視点)から見たかのような二重映しの世界である。そういうのを過剰に期待していたことが、後半少し飽きた理由かも知れない。
★★★

参考:
竹林軒出張所『モンプチ 嫁はフランス人 (1)、(2)(本)』
竹林軒出張所『生まれてバンザイ(本)』
竹林軒出張所『ママたちが非常事態!?(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-12-08 07:21 |

『モンプチ 嫁はフランス人』(1)、(2)(本)

モンプチ 嫁はフランス人
モンプチ 嫁はフランス人2
じゃんぽ〜る西著
祥伝社

子どもに対するユニークな視点がヨイ

b0189364_18420125.jpg フランス人キャリア・ウーマンと結婚したアラフォーのマンガ家のコミック・エッセイ。
 このマンガ家、「じゃんぽ〜る西」というふざけたペンネームから推測できるように、若い頃、マンガのネタ探しということでフランスに渡った経験を持つ。ただし渡仏は実質1年程度で、スーパーのバイトしかやっていない(本人談)ということで、フランス語に堪能というわけではないらしい。だが縁あって、日本でフランス人女性と知り合い、結婚。友人たちや親は著者のことを「結婚できない」と思っていたため、フランス人と結婚したことに一様に驚かれたというエピソードも本書に描かれている。
 マンガについては、やはりプロのマンガ家が描いたもので、絵は多少素人っぽさを漂わせてはいるが、非常に面白いしうまいと感じる。絵についても一見拙そうに見えるが、しかし素人のコミック・エッセイとは異なる質の高さが随所に見受けられる。そのあたりはやはりプロの表現力ということになるのか。
 このマンガ、シリーズ化していて、現在シリーズ3まで出ている。結婚し、やがて子どもが生まれ、その子どもがだんだん成長していくという家族の物語だが、特に幼い子どもに対する著者の視点が鋭くて面白く、石坂啓の『赤ちゃんが来た』『コドモ界の人』のような「子どもに対する新発見」ネタが実に楽しい。b0189364_18420652.jpg本来はフランス人と結婚した日本人男の視点による異文化論が中心になるべきところなんだろうが、それよりむしろ子どもという異次元の存在に対する興味が先行しているようで、異文化ネタより異次元(子ども)ネタの方が充実している。もちろん子育てに対する日仏の考え方の違いのエピソードなどもユニークで面白いが、それでもやはり子どもが中心に来ているのは、著者が主夫業もやっているためだろうか。とにかく子どもに対する視点が斬新。著者の少し醒めたような、あるいは芸術家的と言っても良いのかも知れないが、そういうややシニカルなものの見方も楽しい。
 今回、シリーズ1とシリーズ2を図書館で借りて読んでみたが、子どもがもう少し大きくなったエピソード(つまりシリーズ3)もぜひ読んでみたいと思わせるような優れた作品であった。現在、シリーズ3も図書館で予約しているところである。なお、この著者、他にもパリ滞在記みたいなマンガが数巻出ている。また奥方のフランス人女性も、日本での育児に関するエッセイを発表している。こちらは現在読んでいるところ。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『フランス人ママ記者、東京で子育てする(本)』
竹林軒出張所『中国嫁日記(本)』
竹林軒出張所『生まれてバンザイ(本)』
竹林軒出張所『たんぽぽの日々(本)』
竹林軒出張所『ちいさな言葉(本)』
竹林軒出張所『ママたちが非常事態!?(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-12-07 07:41 |