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竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

『にごりえ・たけくらべ』(本)

にごりえ・たけくらべ
樋口一葉著
岩波文庫

岩波文庫の傑作の1つ

b0189364_17565209.jpg 樋口一葉の代表作の『にごりえ』と『たけくらべ』が岩波文庫で一冊にまとめられている。一葉の著作はどれも短編なので、出版されるときは一般的におおむね5、6本の作品をまとめた短編集になるが、岩波文庫は2本だけを100ページにまとめるというかなり思い切った構成にしている。しかしこの短さ・薄さはじっくり読むには実は適切なサイズで、一葉の作品には合っているのではないかと読んでみて感じた。一葉の作品は、どれも擬古文であり、現代人が読むにはある程度時間がかかるし、時間をかけて読むべき作品である。時間をかけて読んでその味がわかるというもので、今回はそれがよくわかった。
 多くの消費者が、余計なものでもたくさん盛り込まれていることで得をしたような気分になるのが常であるため、こういう薄めの切り取り方、売り方は多分に冒険的であるが、岩波の大英断と言えなくもない。あるいは現在のように古典が無料で読める時代だからこその英断かも知れないが、読ませ方までパッケージしたかのような岩波文庫には、新しい時代の出版界のあり方みたいなものまでが窺われる。また『にごりえ』と『たけくらべ』のそれぞれの扉ページに一葉の筆跡でタイトルが書かれているのも、すばらしい配慮である。岩波文庫には、最近関心させられることがときどきあるが(竹林軒出張所『富嶽百景・走れメロス 他八篇(本)』竹林軒出張所『硝子戸の中(本)』を参照)、この本も秀逸である。
 さて内容であるが、高校生の時分に新潮文庫版を読んだときはわかったようなわからないような状態であったが、今では古文に慣れているということもあり、存分に楽しめ、文章の流麗さも味わい尽くすことができた。特に『にごりえ』は先日映画でも見ていて内容をかなり憶えていたこともあり、なるほどと感じることも多かった。それになんと言っても最後の段での唐突な落とし方が実に良い。短編の鏡みたいな構成である。これについては『たけくらべ』にも共通しており、一葉の名人芸と言えるかも知れない。ストーリーは明治の下層社会を描いたようなリアリズム(自然主義)で、特に『にごりえ』は気が滅入ってしまうような暗さが漂う。しかし1890年代の日本で、これほどのリアリズムの作品が、これだけの流麗な文体で描かれたことは今振り返って見ると衝撃的である。日本の最初の自然主義文学として扱うべきではないかとも思うんだが、なぜか日本の自然主義文学というと田山花袋らの私小説風の文学になってしまうのだ。合点が行かないところである。
 ともかく、『にごりえ』も『たけくらべ』も、自然主義的な側面に加え、特異な叙情性、美しい文体が目を引く傑作である。ただどちらも、句点があまりなく、本来であれば句点で区切るべき箇所を読点で延々と続けているためにかなり読みにくいのは確かで、通常の本の読み方だと続かないのではないかと感じる。やはりじっくり読まなければその良さはわかりにくいかも知れない。そういう点で、この岩波文庫のように他をすっぱり切り落として100ページにまとめたという潔さには先見の明を感じる。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『にごりえ(映画)』
竹林軒出張所『樋口一葉物語(ドラマ)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『富嶽百景・走れメロス 他八篇(本)』
竹林軒出張所『硝子戸の中(本)』
竹林軒出張所『こころ(本)』

# by chikurinken | 2019-02-05 07:56 |

『ビギナーズ・クラシックス 太平記』(本)

ビギナーズ・クラシックス 太平記
武田友宏編
角川ソフィア文庫

ダイジェストの鑑

b0189364_15223916.jpg 『ビギナーズ・クラシックス』シリーズの『太平記』である。『太平記』は、鎌倉時代末期から室町時代初期に至るまでの歴史を辿る軍記物語で、全40巻構成の大著。元弘の変、正中の変あたりから建武の新政、観応の擾乱、足利尊氏と足利義詮の死あたりまでが描かれている。因果応報や道理という考え方がベースになっており、全編を儒教的な思想が貫いている。原文は『平家物語』風の和漢混淆文であり、割合読みやすい。原文で読んでもある程度の訳注があれば読みこなせると思うが、なにしろ相当な分量があるためなかなか読んでみようという気にならない。
 この『ビギナーズ・クラシックス 太平記』はその点、全体を網羅しながら、途中途中で原文をピックアップして解説している。しかも全40巻のすべての巻で原文を抽出すると同時に、内容をダイジェストで紹介しているため、『太平記』を読了した錯覚さえ覚える。拾い方が非常に丁寧で、「ダイジェストの鑑」と言って良いほどの仕上がりである。このシリーズ屈指の著作の1つと言っても過言ではない。構成は、他の同シリーズと同様、内容の要約に続いて、原文の現代語訳、原文という順に並べられていて、最後の最後に作品紹介の解説、さらに付録として略年表、皇室・源氏・平氏の系図、地図(大雑把すぎるが)まで付いている。至れり尽くせりである。
 同じ『ビギナーズ・クラシックス』シリーズでも、同様の歴史物の『ビギナーズ・クラシックス 史記』『ビギナーズ・クラシックス 十八史略』は実に食い足りないものだったが、本書『ビギナーズ・クラシックス 太平記』はそれと好対照をなしていて、その点でも本書の秀逸さが際立つ。たとえダイジェストであっても、良いものとそうでないものがあるということだ。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『太平記 (上)(中)(下)(本)』
竹林軒出張所『源頼朝像 沈黙の肖像画(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 和泉式部日記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 蜻蛉日記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 土佐日記 (全)(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 大鏡(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 梁塵秘抄(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 小林一茶(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 史記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 十八史略(本)』

# by chikurinken | 2019-02-04 07:22 |

『石田梅岩「都鄙問答」』(本)

石田梅岩『都鄙問答』
石田梅岩著、城島明彦訳
致知出版社 いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14

商売人のバイブル

b0189364_17342621.jpg 「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」は、なかなか読みやすくてよろしいシリーズなんだが、何よりラインナップが渋い。中でもこの石田梅岩の『都鄙問答』はなかなか接することのない著書であり、現代語訳も皆無と言って良い。本書の「あとがき」によると、1972年に『日本の名著シリーズ 富永仲基・石田梅岩』という現代語訳の本が出たらしいが絶版状態。この本は「日本史上、二冊目の(『都鄙問答』の)現代語訳」であるらしい。
 『都鄙問答』は元々元文四年(1739年)に刊行された本だが、この著書自体あまり知られていない。著者の石田梅岩にしても、日本史の教科書に「石田梅岩=心学」程度の知識で出てくるだけで、日本史の教師を含め、ほとんどの人は石田梅岩のことは知るまい。だが松下幸之助が『都鄙問答』を座右の書にしていたらしいことから、ビジネス界ではそこそこ知られているようだ。だからと言って『都鄙問答』がビジネス書というわけではないのである。基本的には、儒学に基づいた人間の生き方を説く書であると言って良い。それが証拠に、『論語』や『孟子』など四書五経からの引用が随所に出てくる。人間は人の道に沿って正しく生きるべきという思想が根底に流れている。その思想を、Q&A形式で語っていくというのがこの書で、そのためにタイトルに「問答」が付いているわけだ。
 内容は概ね、倫理に沿った生き方をしろというようなもので、言っていることはわかるが四角四面で窮屈過ぎると感じる部分も多い。教条主義的で読んでいて飽きる部分も多いが、ただ「巻の二」の商人の心得の箇所はなかなか興味深かった。損をしても義に基づいた取引をせよとか正直に愚直に商売をせよとか、現代の多くの利己主義的な実業者に教えてやりたい心得であるが、もちろん自分自身の心に刻んでおきたい教訓でもある。松下幸之助が座右の書にしていたというのも頷ける話だと感じる。
 訳者は作家らしく、全編非常に読みやすい現代語訳で、普通に読む分には苦労はないが、それでも内容がやはり儒教道徳であるため、特に儒教概念でわかりにくい箇所が割合ある。たとえば「理」や「命」が紹介されているが何が言いたいのかよく見えてこない上、儒教でしきりに唱えられる仁・義・礼・智・信についてもわかったようでわからない。例えで説明している箇所は具体的になるが、観念的な話になるとわかりにくさもひとしおで、もしかしたら訳者が本当のところを理解していないのかとも思える。もちろん儒学は根本の部分は難解で解釈も多岐に渡っており、そのために注釈書が大量に書かれたわけだが、そういう部分が本書の理解を困難にしているのも確かである。表紙には「227分で読めます」と書かれているが、僕の場合は読み切るのに都合1カ月ぐらいかかっている。興味深い話はあちこちにそれなりにあるため、実感としては拾い読みするのが一番良いかなと思う。ただ原文の読みにくさはそれに輪をかけているらしく(問と答が区切られていない、口語と文語が入り混じった不統一な文体など)、それを考えるとこの現代語訳もそれなりに有意義な本と言える。
★★★

参考:
竹林軒出張所『風姿花伝 (現代語訳版)(本)』
竹林軒出張所『歎異抄 (現代語訳版)(本)』
竹林軒出張所『マンガ 孔子の思想(本)』

# by chikurinken | 2019-02-02 07:34 |

『風姿花伝 (現代語訳版)』(本)

風姿花伝
世阿弥著、夏川賀央訳
致知出版社 いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ

現代人が書いたかのような古典作品

b0189364_18230228.jpg 「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」という一連の本があって、要は古典作品をこなれた読みやすい現代文にして読んでもらおうという企画らしい。ラインナップはすでに20冊近くに上っており、中には中江藤樹や石田梅岩の本など、原文でもあまり接することのない、ちょっと珍しい著作があって、実に興味を引かれる。中には渋沢栄一や幸田露伴など明治の著者のものもあり、こういうのに現代語訳が必要かどうかはよくわからないが、読みやすい日本語であればもちろんそれに越したことはないという人々がいても当然で、それなりの需要はあるのではないかと思う。
 で、今回僕が読んだのは、能楽者、世阿弥の芸論『風姿花伝』である。訳者は夏川賀央という人で、実業界の人らしい。どうして『風姿花伝』を実業界の人が訳すのかというと、『風姿花伝』が「「いかにお客に喜ばれる能を提供するか?」という面から追求された、「本格的なビジネス論」でもあ」るかららしい(本書「まえがき」より)。何でもかんでも自分の仕事に結びつけようとする実業界の人々の考え方にはうんざりするが、しかし訳という部分だけに注目すれば、割合うまいこと訳してあると感じる。現代の日本人が書いたものではないかと錯覚するぐらい、こなれた文章が続く。中には「世間のニーズ」とか「メロディーをアレンジして」とかかなり思い切った訳語もあって、思わず原文を確認してみたいと思ってしまうが、しかし読みやすいのは確かで、読ませることを優先するのであればこれもありだと思う。
 ただし内容はあくまで芸論であり、これをビジネス論として読むのは少々無理があるような気がする。またそういう捉え方はしない方が良いとも感じた。あくまでも世阿弥の考える能楽・芸能論である。そのため内容は舞台の話中心であり、役者には「花」が必要だとか、その「花」のために修養するのだとかいうことぐらいしか、頭に残らなかったのも事実。そもそも『風姿花伝』自体が代々家に語り継がれた門外不出の家伝書だったわけで、それをどう読むかはもちろん読者の勝手ではあるが、やはりあくまでも芸談である。その点は確認しておきたいところである。そのためかどうかわからないが、内容がピンと来ない部分もあり(詳細な注釈が欲しいところである)、文章の展開がスムーズに入ってこない部分もあった(原文のせいか現代語訳のせいかはわからない)。とは言っても読みやすさはピカイチである。そういう意味で、このシリーズの趣旨にピッタリ合っていると思う。表紙に「91分で読めます」と書いているが、大きな文字で印刷された160ページの本なんで、あながち外れていないかも知れない(僕については2時間以上かかったような気がする)。『風姿花伝』という難解そうな本(実際の内容はかなり具体的でありそれほど難しいものではない)に触れてみるには絶好の手段なのではないかと思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『石田梅岩「都鄙問答」(本)』
竹林軒出張所『歎異抄 (現代語訳版)(本)』
竹林軒出張所『仁左衛門恋し(本)』
竹林軒出張所『現代語訳 南総里見八犬伝 (上)(本)』

# by chikurinken | 2019-02-01 07:22 |

『衝撃の書が語る人類の未来』(ドキュメンタリー)

“衝撃の書”が語る人類の未来 〜サピエンス全史/ホモ・デウス
(2019年・NHK)
NHK-BS1 BS1スペシャル

90分 de『サピエンス』と『デウス』
「衝撃の書」とはまた大層な……


b0189364_19104961.jpg ユヴァル・ノア・ハラリという歴史学者が書いた『サピエンス全史』という本がよく売れているらしい。かく言う僕もこの本を買ったのだが現在途中で止まっている。人類の歴史を新しい視点で捉え直すという書で、面白い視点の本ではある。元々イスラエルの大学で行った講義をまとめたものらしく、確かに講義録と考えると納得がいくような内容である。要するに、視点こそユニークではあるが、内容自体はさほど目新しさがないし、その目新しい視点もこれまでに方々で語られているようなものであって(たとえば「イネやムギが人を家畜化した」などの議論)、極論すれば「まとめサイト」みたいな本と言えるかも知れない。
 この著者がそれに続いて出した本が『ホモ・デウス』という著作で、こちらもよく売れているようだ。ハラリ氏、これで一財産築けたんじゃないかと思うが、内容は前著にも増してお粗末という印象である。読んでいないので正確なところはわからないが、このドキュメンタリー番組で『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』の内容をそれぞれ45分で紹介しているので、そこから判断した結果の見解である。
 この番組では、前半は池上彰がハラリにインタビューしてしきりに『サピエンス全史』を持ち上げるし、後半でもハラリのインタビューを中心に展開される。NHK-Eテレで『100分 de 名著』という人を喰ったような番組が放送されているが、構成などもあれによく似ていて、書の内容ともども安易さ全快である。ましかし、ありふれた本のダイジェスト番組ということであれば、読み通すという労力を使わずに概要がわかるわけで、これに越したことはない。今回のドキュメンタリーから判断すると、『サピエンス全史』はともかく、『ホモ・デウス』は取るに足りないゴミ本という印象が強い。要するに、AIと遺伝子操作により人間は神の領域に踏み込み(それが「ホモ・デウス」)、その神の技術を取り入れることができる一部の特権階級と、神の技術を持たない下層市民に別れて、新たな支配構造ができるというような話らしい。100年くらい前のSF小説レベルの想像力と言えば言いすぎかも知れないが、これまで方々で語られているような話であることには違いない。それに、AIや遺伝子操作が果たして神の領域なのだろうか。そういったレベルで、つまり前提条件からして、理解や認識が不足しているような印象もあり、そういうようなことを総合すると、日常の雑談程度の内容という印象すら受ける。分析が足りず単なる直感に終始しているようにも感じるが、似たような傾向は『サピエンス全史』にもあり、こういった本を「衝撃の書」などと言って持ち上げる、この類のドキュメンタリーにも違和感を感じるのである。一種の扇動、あるいは誇大広告と言っても言い過ぎではない。
★★★

参考:
竹林軒出張所『欲望の植物誌 人をあやつる4つの植物(本)』
竹林軒出張所『AI vs. 教科書が読めない子どもたち(本)』
竹林軒出張所『遺伝子組み換え戦争(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『欲望の資本主義2019(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2019-01-30 07:10 | ドキュメンタリー

『欲望の資本主義2019』(ドキュメンタリー)

欲望の資本主義2019 〜偽りの個人主義を越えて〜
(2019年・NHK)
NHK-BS1 BS1スペシャル

焦点がまったく定まっていない
エラい人たちの信仰告白だけ


b0189364_18533436.jpg 現在の資本主義の現状、たとえばGAFAの市場支配、ビットコイン、特に新自由主義について、世界中の有識者の意見を聴くという番組。
 番組では、とりわけ新自由主義の元祖というべきフリードリヒ・ハイエクについての議論が多いが、ハイエクを新自由主義と捉えない言論も紹介されるなど、焦点がまったく定まっていないドキュメンタリーである。さまざまな経済学者(ハイエクのシンパもケインジアンもいる)に加え、哲学者(マルクス・ガブリエル)や歴史学者(『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』のユヴァル・ノア・ハラリ)まで出てきて、いろいろと勝手なコメントをしているが、どの識者も結局のところ、自身の信仰を告白するレベルの話で、まったく説得力がない。この番組自体、明確な主張がなく、とにかくいろいろな人の意見を集めましたというレベルで、しかも語られる内容も大して目新しさがなく、まったく面白さを感じない。
 同じNHKでかつて放送されていた『オイコノミア』を彷彿とさせるような演出で、そう言えば、あの番組もとりとめがなく、見た後何も残らないというような印象であった。ナレーションはやくしまるえつこという人(歌手らしい)が担当しているが、特にうまいというわけではなく(むしろアニメ声が不釣り合い)、この人を起用した意図もよくわからない。
 総じて「有名な人に話させて並べときゃいいだろ」みたいなスタッフの声が聞こえてきそうな、安易さ丸出しのドキュメンタリーであった。
★★☆

参考:
竹林軒出張所『衝撃の書が語る人類の未来(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『E・トッド 混迷の世界を読み解く(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『マネー資本主義第4回(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『みんなのための資本論(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『インサイド・ジョブ(映画)』

# by chikurinken | 2019-01-29 07:53 | ドキュメンタリー

『栗城史多の見果てぬ夢』(ドキュメンタリー)

“冒険の共有” 栗城史多の見果てぬ夢
(2019年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル

取るに足りないネット世論の犠牲者

b0189364_17560731.jpg 栗城史多(くりき・のぶかず)という人、僕はまったく知らなかったんだが、ヒマラヤなどの高山に登り、その冒険の様子を映像化してYouTubeなどのサイトに投稿するという活動をしていたらしい。いわゆるユーチューバーというやつ。
 この栗城氏、登山家としては見るからに半分素人みたいな人だが、それでも7大陸の最高峰に次々に登頂成功して注目を集める。映像も人気を集め、それに伴いスポンサーも集まって、こういった冒険活動を一種の事業として続けていた。ただしヒマラヤ・クラスになると難易度が各段に高くなるため、必ずしも登頂成功とはならず、そういったことが続くと、やっかみ半分でそれについて非難するネット住民が出てくる。栗城の方も、それならば難易度の高い登山を成功させて彼らを見返してやろうと感じたのか、ますます難しい山にトライし失敗する。それにあわせて失望の表明や冷やかしも数が増し、映像視聴者が少しずつ離れていくという結果になって、事業としては悪循環に陥ってしまう。
 応援している視聴者たちはより困難な冒険を期待する、批判的なネット住民は失敗を嘲る、栗城氏の方はそれに応える(あるいは黙らせる)ために難易度の高い登山をするという具合に、こちらの面でも悪循環に陥り、とうとうこの栗城氏、ヒマラヤ登山の途中で事故死してしまう。劇場型冒険のなれの果てが死亡事故という結果になったのだった。
 冒険の映像とスポンサーの関係については前にも少し書いたが(竹林軒出張所『デナリ大滑降 究極の山岳スキー(ドキュメンタリー)』を参照)、映像を期待する方(つまりスポンサー)が冒険者に期待しすぎることは当然起こり得るし、しかも冒険者の側もそれに応えることで資金を得たり名声を得たりすることになるため、チキンレースみたいに行くところまで行ってしまうのではないかという危惧は当然生じる。スポンサーの方が有名企業であれば、無茶な要求や期待は絶対にしないと思うが(事故が起こると企業イメージの悪化に繋がるため)、今回みたいに野次馬中心のネット住民が相手ということになると、歯止めが利かなくなり行き着くところまで行ってしまうというのも十分想像できる。その悲劇が現実化したのが、この栗城氏の事故死ということになるのだろう。
 匿名のネット住民なんてのはそもそもが無責任なものなんで、実害がなければネットの言論なんか端から無視したら良いと思うんだが、実際にはネットの称賛(あるいはアクセス数など)で自己肯定感を得る人が多いというのが現実のようである。だが、そういった、実態がないに等しい仮想称賛に依存してしまうと、その仮想称賛がなくなった時点、あるいは非難に変わった時点で、今度はそれが大きな失望感に変わってしまう。当事者にとって、得た称賛を失うのはそれはそれで恐怖なんだろうと思う。
 こういうようなことを考えると、栗城氏も、実態を伴わず無駄に肥大してしまった現代のネット世論の犠牲になったという言い方ができるような気がする。そういったことをつらつら考えさせられるドキュメンタリーであった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ヒマラヤ8000m峰 全山登頂に挑む(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『手足をなくしても(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『デナリ大滑降 究極の山岳スキー(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドキュメンタリー3本』「エベレスト 世界最高峰を撮る」

# by chikurinken | 2019-01-28 07:55 | ドキュメンタリー

『天才ガウディの謎に挑む』(ドキュメンタリー)

サグラダ・ファミリア 天才ガウディの謎に挑む
(2019年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル

サグラダ・ファミリアの今

b0189364_16141939.jpg スペイン、バルセロナにあるアントニー・ガウディ作のサグラダ・ファミリア教会についてのドキュメンタリー。前に放送されたNHKのドキュメンタリー、『ガウディの遺言 サグラダ・ファミリア100年の夢』(2016年作)と内容は似ている。
 サグラダ・ファミリアは、19世紀後半に着工したがいまだに建設が続いているという、現代の発想から考えると非常に悠長な建造物。このサグラダ・ファミリア、現在目にする姿もまだ完成からはほど遠いという状況で、最終的には中央部に170mを越す尖塔(イエスの塔)が建つことになっている。この塔を含むすべての建造物を2026年のガウディ没後100年を目途に完成させようと目論んでいるというのが現状らしい。
 このイエスの塔の内装を手がけているのが、芸術工房監督の外尾悦郎氏である。ガウディが構想していたデザインについては、その資料の多くがスペイン内戦で失われたため、この外尾氏の仕事は、残されたその他の資料やできあがっている建造物から推測して、ガウディの構想に近いものを再現するというもので、建築家というよりも史料研究家あるいは芸術家の仕事に近い。これまでも雲を掴むような仕事であったが、このイエスの塔は格別らしく、日夜手探りの状態が続いていた。ところが近年、ガウディの構想時の資料が大量に残されていることが判明し、仕事の進展に拍車がかかっているという状況で、2026年完成という計画も現実味を帯びてきたという、そういった様子が紹介される。ただしこのイエスの塔自体、現在できあがっている大聖堂の上に設けるという設計のため、いろいろと難しさもあるということで、なかなか一筋縄には行かないかも知れない。予断は許さない状況である。もちろん、僕のようなまったく無関係の第三者にとっては、しょせん他人事であり、これが納期に間に合おうが間に合うまいがまったく構わないわけであるが。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ガウディの遺言(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2019-01-26 07:13 | ドキュメンタリー

『未知のイゾラド 最後のひとり』(ドキュメンタリー)

アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり
(2018年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル

民族と言語が消える瞬間

b0189364_18450211.jpg ブラジルのジャングルの中で、いまだ文明と出会わず、自然に根付いた生活を送っている先住民をイゾラドと言うらしい。こういったイゾラドが、森林開発の結果「文明人」と出会うことがあり、その結果、まだ未知の先住民が存在することが明らかになる。
 1987年に、森林開発を進めていた植民者たちが2人組のイゾラドに出会った。このイゾラドは、アウラ、アウレ(ブラジル政府がつけた名前)という男たちで、独自の言語で話しており、先住民語の研究家たちにもその内容が理解できなかったため、コミュニケーションにも困っていた(その後、ノルバウ・オリベイラという言語学者が簡単な名詞だけを理解できるようになった)。この類のイゾラドは、基本的にブラジル政府によって保護され、保護地のジャングルに送られるらしいんだが、このイゾラドについてはナタで「文明人」を殺害したりしたため、あちこちを点々とさせられ、結局今住んでいる地域に移された。オリベイラも近所に住んでたまに彼らとコミュニケーションをとっていた。ところがその後、アウレがガンで死去し、アウラが一人だけ残された。同じ部族はすでにジャングルに存在していないため、彼らが話している言語は、これでほぼ絶滅してしまった。話す相手がいなければ言語の役割はなくなるのである。しかもこのアウラの言葉をわかる人すらほとんど存在しない。よって彼らが持っている部族の記憶も消えることになる。
b0189364_18450654.jpg このドキュメンタリーでは、アウラが独り語りする映像が出て、その独り語りからは、彼らの部族が、銃で武装した「文明人」に襲われて彼ら二人だけが生き残ったことが窺われるが、ブラジル政府の記録にはこういった記録は残っていないというのだ。結局、彼らの部族の知識も知恵も、そしてその存在自体もすべてが失われることになる。
 現在、世界中で言語のグローバル化が進んでいることもあり、ローカルな言語がかなりの勢いで失われているらしいが、その1つの過程を目の当たりにできるのがこのドキュメンタリーである。言語がそして民族が消滅する瞬間に立ち会うことになるわけで、そういった意味でこのドキュメントは非常に貴重な記録と言わざるを得ない。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『アマゾン 大豆が先住民を追いつめる(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『遠い祖国 前・後編(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『イヌイットの怒り(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2019-01-25 07:44 | ドキュメンタリー

『ギルバート・グレイプ』(映画)

ギルバート・グレイプ(1993年・米)
監督:ラッセ・ハルストレム
原作:ピーター・ヘッジズ
脚本:ピーター・ヘッジズ
出演:ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット・ルイス、メアリー・スティーンバージェン、ダーレン・ケイツ

等身大のアメリカと魅力的な登場人物

b0189364_18442291.jpg アメリカ、アイオワ州の田舎町で暮らすギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)の閉塞した生活と青春を描くドラマ。
 ギルバートには、夫を亡くしたストレスで超肥満体型になってろくろく動けなくなった母(ダーレン・ケイツ)、知的障害でやたら問題を起こす弟(レオナルド・ディカプリオ)がいて、他の姉妹2人と古い家に住んでいる。ギルバートは町の雑貨店で働いているが、これも近所に大型スーパーができたせいで、商売の見通しはかなり暗い。町自体も寂れており、全体をどんよりした閉塞感が漂っている。しかしギルバートは、弟思い、母思いの心優しい男なのである。
 これも『ラスト・ショー』と同じように、等身大のアメリカを描いていて、「ハリウッド映画」的ではない上質のドラマである。主人公が年上の女性(精神的に不安定)と不倫しているあたりもあの映画によく似た設定である。アメリカの生の姿が描かれていて新鮮である。ただし周りに起こる出来事が主人公にとって重すぎるので、感情移入して見ているとかなり辛く感じる。とは言え救いもあるんで、リアリズム映画のように辛さが後まで残るというようなことはない。
 監督は『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のラッセ・ハルストレムで、ハリウッド進出第2作が本作である。演出は手堅く、どの俳優も好演。中でも知的障害のある弟を演じたディカプリオは特筆ものである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ラスト・ショー(映画)』
竹林軒出張所『フライド・グリーン・トマト(映画)』
竹林軒出張所『プレイス・イン・ザ・ハート(映画)』

# by chikurinken | 2019-01-23 07:44 | 映画

『ラスト・ショー』(映画)

ラスト・ショー(1971年・米)
監督:ピーター・ボグダノヴィッチ
原作:ラリー・マクマートリー
脚本:ラリー・マクマートリー、ピーター・ボグダノヴィッチ
撮影:ロバート・サーティース
出演:ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、シビル・シェパード、ベン・ジョンソン、クロリス・リーチマン、サム・ボトムズ、エレン・バースティン、ランディ・クエイド、アイリーン・ブレナン

マクマートリーの「祭りの準備」

b0189364_20514796.jpg キネマ旬報ベスト・テン第1位の映画ということで、僕が20台の頃、心躍らせて名画座でこの映画を見たのだが、何だか後味が悪く、この映画のどこがそんなに良いのかと思った記憶がある。その後知ったことだが、当時のキネ旬の選考委員会でも若手の審査員はあまりこの映画を評価しておらず、年配の審査員が高い評価を入れているということだった。今回はすでに50台に到達した時点で見たわけだが、心に染みいる良い映画だと感じた。若い頃と印象が全然違うのに驚きである。青春時代を回想するノスタルジーのストーリーだからだろうが、それ以外にも映像がボグダノヴィッチ作品らしく安定した詩的なもので、エドワード・ホッパーの描く絵画を彷彿させる。ドンパチのハリウッド映画とは違ったアメリカのリアルな等身大の生活が描かれているのも良い。
 原作は、ラリー・マクマートリーというアメリカの作家による小説で、おそらく自伝的な作品ではないかと思われる。主人公の友達が軍に入り朝鮮戦争に行くなどというセリフがあることから、時代背景は1950年代だろう。舞台はテキサス州の田舎町で、町全体に閉塞感が覆っている。主人公も高校を卒業したが、何だか将来が見えてこないという状況である。その町での人々との出逢いや別れ、そして主人公の成長がこの話のテーマで、それがノスタルジックなモノクロ映像で描かれる。同じ監督の『ペーパー・ムーン』と非常に似た詩的な映像が心を打つ。こういったセンスの良い映画は最初の映像を見ただけで違いを感じることが多いが、この映画がまさにそうで、前に見たときはそれすら気付かなかったのだろうかと、我ながら少々情けなくさえ感じるのだ。
第44回アカデミー賞助演男優賞助演女優賞
1972年キネマ旬報ベスト・テン外国映画ベスト・テン第1位受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『ペーパー・ムーン(映画)』
竹林軒出張所『野のユリ(映画)』
竹林軒出張所『ギルバート・グレイプ(映画)』

# by chikurinken | 2019-01-22 07:51 | 映画

『獣人』(映画)

獣人(1938年・仏)
監督:ジャン・ルノワール
原作:エミール・ゾラ
脚本:ジャン・ルノワール
撮影:クロード・ルノワール、クルト・クーラン
出演:ジャン・ギャバン、シモーヌ・シモン、フェルナン・ルドー、ジュリアン・カレット、ブランシェット・ブリュノワ

いかにも自然主義という
破滅型のストーリー


b0189364_16525363.jpg エミール・ゾラの自然主義文学『獣人』の映画化作品。『獣人』は、全20巻で構成されるルーゴン・マッカール叢書の1本で、ルーゴン・マッカール叢書というのはルーゴン家とマッカール家の人々の生き様を描いたシリーズである。シリーズのある作品の登場人物が他の作品の主人公になって続いていくという展開になるのがこの叢書で、この『獣人』の主人公、ジャック・ランティエは、『居酒屋』の主人公、ジェルヴェーズ・マッカールの息子であり、『ジェルミナル』の主人公、エチエンヌ・ランチエとは兄弟である。
 主人公のジャック・ランティエ(ジャン・ギャバン)は、遺伝的な発作のために殺人衝動に駆られるという人格で、それは大酒飲みの遺伝子が彼の血を毒に変えたのだと本人は考えている。現在鉄道の運転士をしていて仕事も普通にこなしているが、そのランティエがとある殺人事件と関わり合い、それをきっかけに駅長(フェルナン・ルドー)の若い妻(シモーヌ・シモン)と関係を持つようになるという風に話が進む。主要な登場人物が最初と最後で劇的に変貌しているのが印象的で、やはり自然主義……という破滅型のストーリーである。
 劇的なストーリーだが自然に話が進むため違和感はない。途中からややこしい恋愛のモチーフが出てきて『テレーズ・ラカン』みたいになってくる。演出は正攻法で破綻はないが、やたら列車や鉄道のシーンが出てきて、もちろん主人公の職場が鉄道会社なんである程度はわかるが、それでも少し度が過ぎているような印象がある。あるいはジャン・ルノワールの好みなのかも知れないと思うが、鉄道ファンが見たら喜ぶんじゃないかと思うようなシーンが非常に多かった。むしろそちらの方の印象が強い。なお、監督のルノワールだが、他のゾラ作品、『ナナ』(映画タイトル『女優ナナ』)も監督しており、それが出世作になったらしい(『女優ナナ』のDVDは出ているようだ)。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『居酒屋(映画)』
竹林軒出張所『ジェルミナル(映画)』
竹林軒出張所『嘆きのテレーズ(映画)』
竹林軒出張所『大いなる幻影(映画)』
竹林軒出張所『ピクニック(映画)』
竹林軒出張所『ゲームの規則(映画)』
竹林軒出張所『小間使の日記(映画)』

# by chikurinken | 2019-01-21 07:53 | 映画

『家康、江戸を建てる』(ドラマ)

家康、江戸を建てる 前編・後編(2018年・NHK)
原作:門井慶喜
脚本:八津弘幸
演出:西谷真一(前編)、一色隆司(後編)
出演:佐々木蔵之介、生瀬勝久、優香、千葉雄大、マギー、藤野涼子、松重豊(前編)、柄本佑、広瀬アリス、林遣都、伊原六花、高橋和也、吹越満、吉田鋼太郎(後編)、市村正親、高嶋政伸(前後編)

素材は面白いが内容は平凡

b0189364_17585799.jpg NHKが正月に放送した時代劇。徳川家康が江戸を建設するときのエピソードを2夜連続のドラマにしたもので、前編に「水を制す」、後編に「金貨の町」という副題がついている。
 前編は大久保忠行(佐々木蔵之介)による神田上水建設、後編は後藤庄三郎(柄本佑)による金座開設の話で、どちらもドラマでは家康(市村正親)が直々に彼らにミッションを申しつける。
 元々は門井慶喜という人の『家康、江戸を建てる』という小説が原作らしい。原作がどの程度活かされているかはわからないが、ドラマはきわめて凡庸で、しかも大ぶりでオーバーな演技が多く(特に前編)、見ていてあまり興味をかき立てられない。素材が興味深いので今回通して見てみたが、ドラマとしてはよくある奮闘成就パターンで、実にありふれた時代劇になってしまった。それに時代考証をちゃんとやっているのか疑問に感じるような箇所が非常に多かったのもマイナス点。ネタで魅せようとするこういうユニークな素材であれば時代考証が大切なのは言うまでもあるまい。せめてそういった周辺部をもう少し丁寧に処理した上で、ドラマ作りをしてほしかったところである。
★★★

参考:
竹林軒出張所『実見 江戸の暮らし(本)』
竹林軒出張所『大江戸庶民いろいろ事情(本)』
竹林軒出張所『石川英輔の本、5冊』
竹林軒出張所『江戸古地図の旅(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2019-01-19 07:58 | ドラマ

『フルーツ宅配便』(1)(ドラマ)

ドラマ24 フルーツ宅配便 (1)(2019年・テレビ東京)
原作:鈴木良雄
脚本:根本ノンジ
演出:白石和彌
音楽:高田漣
出演:濱田岳、松尾スズキ、内山理名、荒川良々、前野朋哉、原扶貴子

異色の設定が現実を映し込む

b0189364_19142226.jpg 2019年の最初の『ドラマ24』枠は、鈴木良雄の同名マンガのドラマ化作品。原作マンガの『フルーツ宅配便』は、「フルーツ宅配便」という名前のデリヘル業者での人間模様を描く作品で、現代の世相や貧困を赤裸々に描いているリアリズム・マンガである。
 主人公の咲田真一(濱田岳)が、ひょんな巡り合わせで、デリヘル店「フルーツ宅配便」に就職する。この店、デリヘル嬢に果物の源氏名をつけており、ホテルなどにそのデリヘル嬢を「宅配」するということで「フルーツ宅配便」を名乗っている。このあたりですでになかなか工夫が見られる(原作に由来するものだが)。そこに集まるワケありのデリヘル嬢が毎回主人公になって話が展開していくという作品である。
 今回このドラマを見てから原作マンガの第1巻と第2巻も読んでみたが、どのエピソードも非常によくできていて、しかも現代社会の貧困や庶民の苦しみが描かれている。作画も丁寧で、全編に余韻が漂う快作である。デリヘル嬢がどれもそこそこ不細工なのもリアルである。
b0189364_19144034.jpg このドラマについては、その原作の味が活かされていながら、特にこの第1回はさらに一味加えられていて、原作を上回る仕上がりになった。テレビ東京の深夜ドラマ枠は、『アオイホノオ』『俺のダンディズム』など、結構な意欲作が多く、毎回期待を持たされる(裏切られることも多い)が、この作品もその期待に違わぬドラマになりそうである。第1回のゲスト・キャスト、内山理名も好演で、僕など、最後までこれが内山理名だと気付かなかった。非常に不幸な話だが、ドラマ版ではわずかな救いがあった。もちろん決して不幸な人たちが幸せになるというような単純な話ではなく、その辺がこの原作、そして(おそらく)ドラマの魅力でもある。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『貧乏まんが(本)』
竹林軒出張所『アオイホノオ (1)〜(6)(ドラマ)』
竹林軒出張所『俺のダンディズム (1)〜(3)(ドラマ)』
竹林軒出張所『LOVE理論(ドラマ)』
竹林軒出張所『終電バイバイ(2)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『最貧困女子(本)』

# by chikurinken | 2019-01-18 07:14 | ドラマ

『戦国大名と分国法』(本)

戦国大名と分国法
清水克行著
岩波書店

歴史の「事実」を見直す潮流の一つ

b0189364_19023720.jpg 日本史の世界では、かなりいい加減で荒唐無稽な見解が「事実」として認定されていることが多い。古代史の多くの「事実」もそうだし、そういった、思いつきが定着した「事実」は近世に至るまで数々ある。今では当たり前のように喧伝されている「竪穴式住居」の姿も、元々はある大学の先生が描いた想像図がそのまま「事実」であるかのように定着したものだという話を聞いたこともある。
 分国法についても、高校の教科書では、戦国大名の独立過程の法整備の象徴としてまことしやかに取り上げられるが、本書では実際には必ずしもそういう種類のものではないということが紹介される。ちなみに分国法とは、戦国大名が自身の領国内で定めた独自の法律のこと。
 こういう説が定着したのは、石母田正という歴史学者による『日本思想体系 中世政治社会思想 上』の「解説」が遠因になっているのではないかと著者は言う。この論では、戦国大名が、独立した「国家権力の歴史的一類型」であり、独自の法(つまり分国法)を持っていたことがその証左であったとしている。この論文の影響は大きく、やがて「分国法が戦国大名の自律性の指標と位置付けられる」ようになったというのが著者の見解である。
 しかし実際の分国法は、その多くが、法体系というより領主が書き殴ったようなまとまりのないものであったり、子孫に書き残した家訓のようなものに過ぎなかったという。この本で紹介されるのは結城氏の「結城氏新法度」、伊達氏の「塵芥集」、六角氏の「六角氏式目」、今川氏の「今川かな目録」と「かな目録追加」、武田氏の「甲州法度之次第」で、この中である程度まとまりがあるものは今川氏と武田氏のもの程度らしい。武田氏のものについても「今川かな目録」をモデルにした痕跡があり、それを考えると決して法体系などと呼べるようなものではないということで、要は分国法が作られたのは領内の紛争やもめ事を解決する際の基準として、その時代の常識的な判断や非成文法を書き留めたものであるということらしいのだ。中には「六角氏式目」のように大名自身の横暴を制約するような「マグナ・カルタ」的なものまで存在する。つまり分国法とひとくくりに言っても、それぞれで制定の事情が異なり、内容も異なる。決して近代的な成文法という種類のものではないということなのだ。
 本書の主張はよく理解できるし説得力もあるが、内容が少々冗長な感じもある。ただ紹介される分国法はすべて現代語訳されており、記述も平易であるため、読みやすいのは確かで、そういう点では読んでも損はないと思う。いずれにしても、日本の歴史学にいい加減な要素が数多く残っているのは確かで、それを正していくのが現世代の歴史学者である。そういう点では価値のある研究成果と言える。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『応仁の乱(本)』
竹林軒出張所『源頼朝像 沈黙の肖像画(本)』

 以下、以前のブログで紹介した(意外な事実の)戦国もの歴史書籍(『刀狩り』)の評の再録。
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(2005年12月8日の記事より)
刀狩り 武器を封印した民衆
藤木久志著
岩波新書

b0189364_19024995.jpg 日本中世史が専門の著者が、豊臣秀吉の刀狩りについて論じた本。豊臣秀吉の刀狩りについての書、論文は、著者の前著(『豊臣平和令と戦国社会』85年)以外ないというほど、日本では刀狩りの研究は行われていなかったらしい。それにもかかわらず、当然のごとく、豊臣秀吉によって農民が完全に武装解除されたという思いこみが、あらゆる階層の人々に行き渡っている。本書では、それに疑義を呈し、本当に秀吉の強権によって刀狩りで民衆の武装解除が行われたのかをさまざまなデータを提示することで検討していく。
 結論を言えば、秀吉の刀狩りは、公然と帯刀することを禁止するものであって、所持についてはほぼ認められていた。刀狩令の試行についても、実際は村などのコミュニティ任せであり、鉄砲は集めず刀だけを一定本数集めたらしい。しかも、場合によっては持ち主に返却したこともあったようだ。つまり、象徴としての武装解除であり、人を殺傷するために武器を使用することを禁止したもので、平和な世の中になったことを流布させる意味合いが強かったのではないかと言うのだ。また、施行にあたっては、民衆側が自主的に応じた側面があり、紛争解決のために武器を使用することを凍結することに同意し、その結果、平和な時代が徳川の治世まで引き継がれたのではないかという趣旨である。本当の意味で市民が強制的に武器を没収されたのは、敗戦後の占領軍によってであると言う。
 話は刀狩りから日本国憲法にまで至る。つまり、民衆側から自発的に武装解除することで平和な世の中を作ってきた日本人が、日本国憲法第9条を大切にするのは至極当然であるとして、現在の風潮に一石を投じている。
 非常に意欲的な本で、歴史に新解釈をもたらしながら、それを現代につなげる。歴史学の意味を確認させる名著である。ただし、第1章から第6章までデータが連綿と書きつづられ、少し退屈する(学者だけに「論文としての体裁」を意識したのだろう)。プロローグとエピローグが面白いので、後は拾い読みでも良いかも知れない。
★★★☆

# by chikurinken | 2019-01-16 07:02 |