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竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

『どうしても嫌いな人』(本)

どうしても嫌いな人 すーちゃんの決心
益田ミリ著
幻冬舎

すーちゃんにエールを送りたくなる

b0189364_16030332.jpg イラストレーター、益田ミリによるマンガ、『すーちゃん』のシリーズ第3弾。これも形式は『すーちゃん』と同じで、4コマ・マンガではないが、1ページあたり4コマ×2列で、7ページで1話という構成。当然絵も同じで、『結婚しなくていいですか。』同様、全部まとめて合巻にしてもまったく違和感はない。
 今作は、嫌いな同僚に悩むという話。今回の準主役はいとこのあかねちゃんで、彼女も同じく職場の困った同僚に悩んでいる。この2人の困った同僚は、確かに実際にいそうな人物で、こういう奴が近くにいたら相当なストレスになるのは必至という存在。モデルがいるんじゃないかというくらいリアルなキャラクターで、相当不愉快である。特にすーちゃんの同僚は、鈍感人間にありがちな図々しさで、こちらが開いた心にズケズケ入ってきて散らかしまわして早々に去っていくというタイプの人物で、こういうのが身近にいたら確かに参ってしまいそうである。すーちゃんは実際にかなり参ってしまう。僕自身はこのすーちゃんの感性、要するにこの著者の感性ということになるんだろうが、非常に好きで、こういう人とは友達になれそうな気がする(向こうからは嫌がられるかも知れないが)。
 で、すーちゃんみたいなおとなしめの人が、こういう困った人にどのように対処したら良いかというと、実際のところ世間で良く言われるような処方箋というのはないわけで、すーちゃんはおそらく非常に妥当な決断をする。そうなっちゃいますね……と思わず頷くが、何だか納得いかないような気もする。これはすーちゃんの立場からするともっとそうなんだろうが……と、このように非常に感情移入してしまいました。そういう意味でも、良いマンガだと思います、はい。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『すーちゃん(本)』
竹林軒出張所『結婚しなくていいですか。(本)』
竹林軒出張所『すーちゃんの恋(本)』
竹林軒出張所『オレの宇宙はまだまだ遠い(本)』
竹林軒出張所『ふつうな私のゆるゆる作家生活(本)』

# by chikurinken | 2018-10-16 07:02 |

『結婚しなくていいですか。 』(本)

結婚しなくていいですか。 すーちゃんの明日
益田ミリ著
幻冬舎

30代女性にとっての結婚

b0189364_16393406.jpg イラストレーター、益田ミリによるマンガ、『すーちゃん』の続編。これも形式は『すーちゃん』と同じで、4コマ・マンガではないが、1ページあたり4コマ×2列で、7ページで1話という構成。当然絵も同じで、『すーちゃん』と合巻にしてもまったく違和感はない。
 主人公のすーちゃんはカフェの店長。友達の美人のまいちゃんは結婚しているという状況。結婚していると疎遠になるのか、今回の巻にはまいちゃんはあまり出てこない。すーちゃんはヨガを始めて、そこでばったり昔の先輩のさわ子さんに会う。さわ子さんはもうすぐ40歳になる独身女性で、母、母に介護されている祖母との3人暮らし。40歳前のさわ子さんと、親から結婚をせっつかれるすーちゃんが今回の主役になる。すーちゃんにとっては、結婚はともかく自分の将来像、つまりひとりぼっちの老後というのも非常に気になって気が落ち込んだりする。
 こういうのはよく聞く話ではあるが、しかしこのマンガからは、当事者の感情が読み手によく伝わってきて、大変説得力がある。結局のところ将来に対する漠とした不安ということになり、それは結婚していてもしていなくても概ね同じではないかと思うが、それでも未婚の女性にとってはそれが結婚に直結するというのもよくわかる話。結婚しないという意志を決めることもそれなりに決断が必要になるし、結婚したくても実際には簡単に行かない。複雑な女性心理である。絵がシンプルなだけに、登場人物の内面が伝わりやすいということもあるのだろうか。30代女性のいろいろな問題、それに対する感情が直に迫ってきて、リアルな印象を受ける。『すーちゃん』同様、若い女性も大変だ……とつくづく感じるのであった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『すーちゃん(本)』
竹林軒出張所『どうしても嫌いな人(本)』
竹林軒出張所『すーちゃんの恋(本)』
竹林軒出張所『オレの宇宙はまだまだ遠い(本)』
竹林軒出張所『ふつうな私のゆるゆる作家生活(本)』

# by chikurinken | 2018-10-15 07:39 |

『すーちゃん』(本)

すーちゃん
益田ミリ著
幻冬舎文庫

若い女性もいろいろ大変だ

b0189364_18172528.jpg イラストレーター、益田ミリによるマンガ。4コマ・マンガではないが、1ページあたり4コマ×2列で、7〜8ページで1話という構成。元々何かの雑誌に連載されていたものかと感じたが、書き下ろしのようである(未確認)。
 へのへのもへじ並みのシンプルな絵で、動きもほとんどなく、描くのに時間がかかっていなさそう。スクリーントーンは貼ってある。これで内容がつまらなかったら誰も見向きもしないんだろうが、絵からは想像できないほど内容は充実していて、いちいち考えさせられるところがある。
 主人公は、都会暮らしの30台前半の独身女性、すーちゃんで、正社員としてカフェに勤務。基本的には他人に優しく接する人であるが、自分の中では自身をもっと良い人間に変えたいと思っている。職場では他の人間にあまり立ち入らないよう立ち入らせないように振る舞っている。近所に住む友達のまいちゃんが、心を許せるほぼ唯一の存在。そういうすーちゃんが日常を送る様子が本当に淡々と描かれるんだが、すーちゃんもまいちゃんもかなり繊細で、結婚プレッシャーや他人の心ない言葉で傷ついたりする。独身女性はこんなに大変なのかと思うが、若いうちは確かにこういったことで傷ついたり他人をやっかんだりしていたなと思う。一方で将来が暗く思えたりもするし、生きていくのもいろいろ大変だと思う。主人公たちのいろいろな感情や情念が伝わってきて、そして彼女たちの性格や人格が、この単純化された絵とよくマッチしていて、このシンプルな絵が逆に魅力的になってくる。
 なおこのマンガ、この後シリーズ化され、何点か続編が出ている。また、映画化もされているらしい。すぐに読めるんで図書館で続編を借りて読んでみようかなどと思っている。すーちゃんとまいちゃんのその後も非常に気になるし……(なお、この『すーちゃん』では、すーちゃんが勤め先のカフェの店長になり、まいちゃんが結婚する)。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『結婚しなくていいですか。(本)』
竹林軒出張所『どうしても嫌いな人(本)』
竹林軒出張所『すーちゃんの恋(本)』
竹林軒出張所『オレの宇宙はまだまだ遠い(本)』
竹林軒出張所『ふつうな私のゆるゆる作家生活(本)』
竹林軒出張所『大家さんと僕(本)』
竹林軒出張所『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。(本)』
竹林軒出張所『家に帰ると妻がカフェをやりたがっています。(本)』

# by chikurinken | 2018-10-14 07:17 |

『長い道』(本)

長い道
こうの史代著
双葉社

道≒すず

b0189364_19482828.jpg のんびりおっとりした若い女性「道」が、遊び人の若い男「荘介」と、親同士が飲み屋の席で約束したせいで結婚することになった。その結果、道が荘介の家に転がり込むことになる。まったく道が好みではないために結婚に乗り気ではない荘介と、なぜかわからないがそのまま居着いてしまう道との奇妙な同居生活が続く……それが1話3〜4ページで完結するというマンガがこれ。元々は雑誌に連載していたもので、なんでも著者の最初の非4コマ・マンガの連載だったそうで、反響もあまりなかった(つまり制約も少なかった)ために自由に楽しく描いた作品だそうな。このマンガ自体も、道同様、何だかのんびりおっとりしている。
 主人公の道は、同じ著者の『この世界の片隅に』の主人公「すず」と非常によく似たキャラクター設定で、少し抜けていて誰からも愛されるような人物像である。道の独特の性格に荘介も徐々に惹かれていくというか情が湧いていくというか、そういう流れになるが、設定自体がかなり荒唐無稽であるため、わかったようなわからないような雰囲気が最後まで漂う。
 回によっては、タッチが変わっていたり、あるいはまったくセリフなしで話を進めていたりしており、「自由に楽しく描いた」というのが窺える。ただセリフなしの回は、物語の挿絵が並んでいるような感じで、内容がわかりにくいところも多い。
 話は(やや変わってはいるが)新婚生活を描いており、『この世界の片隅に』と似た感じの雰囲気もある(特に主人公がほぼ同じだし。もちろん夫のキャラはちょっと違う)。それに登場人物の中には意地悪な小姑まで出てきて、このあたりも『この世界の片隅に』同様。『長い道』を戦中の環境に置き換えたのが『この世界の片隅に』だという見方もできるかも知れない。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『貧乏まんが(本)』
竹林軒出張所『この世界の片隅に(映画)』

# by chikurinken | 2018-10-13 07:48 |

『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』(本)

よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話
いしいさや著
KCデラックス ヤングマガジン

「エホバの証人」の内実がよくわかる

b0189364_18534350.jpg 街中を数人の女性(男性もいる)が日傘を差して無表情で歩いているのをよく見かける。お察しの通り、彼女らは一軒一軒訪問して「宗教」のお話をしたいなどと言い、ほとんどの場合門前払いを食うのだが、まったく意に介さずという感じて次の家に赴く。ご存知、宗教組織(カルト認定している国もあるらしい)「エホバの証人」の信者たちで、夏の炎天下を幽霊のようなたたずまいでフラーッと歩いているのを見ると、この人たちは一体何なんだろうかと感じてしまう。
 このマンガは、母親が「エホバ」の信者で、子ども時代、それに伴われて布教活動を行っていたという作者が、その子ども時代を回顧して描いたもの(まさにタイトル通り!)。母に連れられて、奉仕(例の勧誘ね)や集会に行き、学校の行事(運動会など。闘うことがダメなんだそうだ)もものによっては参加できない。本人としては辛い生活だったようだが、母が主導するので反対はできない。そういう状況が具体的に描かれるため、状況がよく理解できる。
 母(および信者)は、死んだ後「楽園」に行けると信じてこういう活動をしているらしい。神、エホバがいずれ悪い人間、悪いことをすべて滅ぼして(今日本で頻発している災害もこの種のものらしい。被害者は「悪い人間」か……)、良い人間のみが地上の楽園に永遠に楽しく暮らすことができるという信仰である。善悪という二元論が幼稚な発想である上、人間中心で実に身勝手な考え方だと思うが、要は一種の原理主義と言っても良いのではないかと思う。この母は信じているんで多少の苦行は我慢できるだろうが、それに付き合わされる周囲の人間は堪ったもんではないだろうなと思う。
 この話の主人公の「さや」も終始母の態度とエホバの教義に疑問を感じているが、一方でさやの父も信者ではなく、母の信仰に対しては冷ややかなようである(そういう風に描かれている)。この父はさやに対しては非常に優しく、そのあたりは表情だけで非常にうまく描かれている。母の冷たさ、無表情さも描写がうまいため、最初のエピソードを読むだけで、この母の態度にギョッとする。著者の技術の高さゆえと言える。
 このマンガは元々、著者が活動を止めた後罪悪感に責めさいなまれ、そのために認知行動療法の一環として描き始めたものだという。それをインターネットで発表したところ非常に受けて、その後『ヤングマガジンサード』に連載されるという運びになったものであり、動機は非常に純粋である。それに「エホバの証人」の信者の生活や思考、カルト信者の周辺の人々の混乱などが丁寧に描かれるため、ルポルタージュとしての価値も高い。
 実は、僕の中・高時代のある同級生(女子)も「エホバ」の家の子どもで、ウチに勧誘に来たこともある。それに彼女、修学旅行でも東大寺に入らなかったりしていた(何しに行ったんだかわからない)。宗教者というものはそういうものかと最近まで思い込んでいたが、クリスチャンでも普通に寺や神社に参拝しているのを最近目にして、彼女らが極端だったのがわかったのだった。そういう点では僕も「彼女のせいで」大きな誤解を与えられていたということになる。もっと近い場所に信者がいたら、本書の著者のようにさぞかし大変なんだろうなと思う。
 絵は丁寧だが、三段組みであるため、少々スカスカの印象がある。そのため、情報量が全体的に少ないが、それでもキャラクターの描写がうまいため、表情や仕草による情報量は多いと言える。したがってすぐに読み終わるが、内容は充実している。良い内容の本であると思う。こういう「良い」本は、きっと「楽園」に行けるだろう(よく売れるだろう)。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『カルト村で生まれました。(本)』
竹林軒出張所『さよなら、カルト村(本)』
竹林軒出張所『カルトの思い出(本)』
竹林軒出張所『酔うと化け物になる父がつらい(本)』
竹林軒出張所『人間仮免中(本)』

# by chikurinken | 2018-10-12 07:53 |

『勝負 名人への遠い道』(ドキュメンタリー)

勝負 名人への遠い道(1981年・NHK)
NHK総合 NHK特集

古い演出が気になるが
面白い題材ではある


b0189364_21010236.jpg プロの将棋棋士になるには、養成機関である奨励会に通わなければならず、今のプロ将棋棋士は皆奨励会出身者である。奨励会は、6級から始まり最上位が三段。どこから入るかは、人によって異なるが、普通は6級から入って、リーグ戦を勝ち抜き少しずつ昇級していく。なおこの奨励会に入ること自体、かなりの難関で、全国から精鋭が集まって切磋琢磨しているというイメージで捉えると良い。最上位の三段の奨励会員は、三段リーグというリーグ戦を戦い、ここで好成績を収めると晴れて四段、つまりプロ将棋棋士になることができる。そのため、実力的にはほぼ同等だとしても、三段と四段の間には雲泥の差がある。この奨励会だが、実は年齢制限があって、その年齢に達する前に規定の段位に達しなければ退会しなければならない。そのため、この年齢制限を巡っていろいろな葛藤があり、そこでドラマが生まれるというわけだ。
 1981年に作られたこのドキュメンタリーは、年齢制限間近の1人の奨励会員、鈴木英春(えいしゅん)に密着するというもの。この鈴木氏、撮影当時30歳で、当時の奨励会には30歳までに四段に昇段できなければ退会という規定があった(現在は異なる)。つまり勝ち抜けなければ、これが最後の三段リーグになるという状況である。ちなみに当時、最強の名人だったのは中原誠で、33歳。この撮影の際は、名人戦(中原の防衛戦)を闘っていた。鈴木氏はかなり若い頃から奨励会にいたため、おそらく奨励会でも中原と顔を合わせているのではないかと思う。この栄光まっただ中の1人と崖っぷちの1人というのが好対照になっていて、そのあたりがこの番組の演出の妙である。
 ドキュメンタリー自体は、今ではあまり見られないような、ゆっくりで静かな映像が続く。説明が非常に少ないという印象で、ドラマであるかのような演出である。ただ少しやり過ぎという感もある。何しろ対局中の映像にスロー映像や接写を多用したりまでしている。
 で、結末を言ってしまうが、この鈴木氏、案の定というか予想通り、三段リーグで規定の勝ち数が得られず、プロ棋士を断念せざるを得なくなる。今までの人生のすべてをかけてきたプロ棋士の夢がなくなってしまい、当然のことながら、虚無の状態が続くという風になる。ただ、このドキュメンタリー、最後の最後になかなか粋な演出を用意している(ばらしてしまえば、鈴木と中原との対局)。
 なおこの鈴木英春氏、その後、アマチュア棋士のタイトルを取ったりして、アマチュア棋士の中では結構有名な人らしい。いろいろな戦法も編み出しているようで、今の将棋界にもそれなりの足跡を残しているようである。プロになるだけがすべてではないということがわかって面白い(プロ棋士の中にも冴えない人はいくらでもいる)。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『藤井聡太 14才(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『聖の青春(本)』
竹林軒出張所『聖 ― 天才・羽生が恐れた男 (1)〜(7)(本)』
竹林軒出張所『ヒカルの碁(1)〜(23)(本)』
竹林軒出張所『将棋の解説者』
竹林軒出張所『将棋中継の聞き手』

# by chikurinken | 2018-10-10 07:00 | ドキュメンタリー

『離婚の泥沼』(ドキュメンタリー)

離婚の泥沼
(2016年・英Minnow Films)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー

揉め事にはウンザリするが
緊迫感があって見応えはある


b0189364_17290905.jpg 離婚した英国の元夫婦が、子どもの面会について、調停人を交えて話し合う場を設けた。その場にカメラを入れ、その調停の過程に密着するドキュメンタリー。彼らの結婚生活や来し方などもあわせて紹介される。
 調停の場には、元夫側は現在の結婚相手、元妻側は彼女の母親も参加する。現在の結婚相手がこういった場に出てくること自体結構問題じゃないかと思うが、案の定、この女性が元妻をなじったりするため、双方エスカレートして罵り合いになる。第三者的に見れば実にくだらない状況に見え、問題をテーマ(この場合、子どもを元夫にどの程度会わせるか)に絞って話し合えば良いじゃないのと思うが、当事者はそうは行かないらしい。最終的に双方が少し冷静になって、ある程度の決着を見るが、一段落した後も問題は再燃し、再び話し合いの場が設けられるという具合に話が進む。結局、現在の結婚相手が関わらない方が良いというような当たり前の結論に至ったようだが、第三者の目には、正直実にあほくさい紛争に映る。それにこの元夫にもかなり問題があるように感じたが、それはまた別の話。
 この調停には、出席者の顔ぶれや議事の進行方法など、開始前からかなりいろいろな問題がある。その結果として、話し合いの場では、感情にまかせて突っ走らないよう気をつけながら、テーマを絞って、要件だけについて話すようにしなければならないというような条件が逆照射される。それを考えると、このドキュメンタリー自体が一種の反面教師になっている。ただ、カメラの立ち会いを認めて世界中に自らの恥部をさらしたこの元夫婦に対しては、そういう部分限定で敬意を表したいところである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『エロティシズム(本)』
竹林軒出張所『ウホッホ探険隊(映画)』

# by chikurinken | 2018-10-09 07:28 | ドキュメンタリー

『Peace』(ドキュメンタリー)

Peace(2010年・Laboratory X)
監督:想田和弘
撮影:想田和弘
ドキュメンタリー

淡々とした日常風景

b0189364_19483790.jpg これも想田和弘の「観察映画」。ナレーションも音楽もない。ただ淡々と目の前のことをカメラに収める。
 今回被写体になったのは、想田氏の岳父母(妻の両親)、柏木夫妻である。二人とも岡山市在住で、ボランティアで障害者の送迎を行っている。ただこの仕事、あくまでボランティアである。利用者からガソリン代だけを受け取っており、自治体からの補助金などもない。当然収益はない。仕事は別にやっているのかよくはわからないが、福祉関係の仕事を続けていた(いる?)ことは、義父の話から窺える。
 利用者を訪問し送迎するシーンがこの作品の主要部分になるが、一方で彼らの家にやって来るたくさんの猫も、もう一つの柱になっている。自宅で飼っているふうな猫もいるが、家に上げている映像はなく、実際には餌をやっている程度の飼い方のようだ。中には野良猫も混ざっている(義父は「泥棒猫」と呼んでいる)。そういった日常風景が淡々と映し出される。
 淡々とした日常風景以上のものはなく、これで映画になるのかというような映像ではあるが、見ていてそれなりに面白いのが不思議。タイトルは「Peace」だが、平和を大きな声で訴えるというような映画ではない。この淡々とした日常が平和(Peace)であると言われれば確かにそうなのかなとも思う。登場する利用者の中に末期の肺がんの人がいて、その人が吸っていたタバコがピース(Peace)だったが、まさかそれがタイトルの意味ではあるまい。
 ともかく描かれるのは、市井の人の淡々とした日々で、大した感想も出てこないが、しかし先ほども言ったように75分間まったく飽きなかったのも事実である。そのあたりは想田監督の手腕と言えるのかも知れない。
2011年香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞他受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『精神(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『選挙(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『選挙2(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-10-08 07:48 | ドキュメンタリー

『選挙2』(ドキュメンタリー)

選挙2(2013年・Laboratory X)
監督:想田和弘
撮影:想田和弘
出演:山内和彦、山内さゆり(ドキュメンタリー)

冗長で無駄に長い

b0189364_15250516.jpg 2005年に、川崎市議会議員選挙に立候補し当選した山内和彦氏が、2011年再び同じ選挙に出馬する。その選挙活動の様子を追ったドキュメンタリーがこの作品。前回の選挙は、ドキュメンタリー映画『選挙』で描かれていたが、今回はその続編に当たる。
 前回は外部の人間がいきなり(自民党に代表される)日本型選挙の現場に入ったときにどう感じるかという視点がテーマだったが、今回は、普通の人間が普通の感覚で日本型選挙を戦うとどうなるかという実験的な「観察映画」である。「実験的」と言っても、製作者側は単に山内氏に密着し、他の候補を含む選挙の様子を撮影するだけで、実際に「実験的」なのは山内氏である。かつては落下傘候補として自民党議員になったが、その次の選挙では推薦を受けられなかったのか(あるいは他の自民党議員への義理があったのか)結局出馬せず、一般人として過ごしていたが、2011年の福島原発事故で(国民が騙されていたことについて)憤りを覚え、その憤りを人々に表明したいという動機で急遽出馬を決める。そのため選挙活動もおざなりで、ポスターを張って選挙ハガキを送るだけで、街頭演説もほとんどしない(最終日に放射能除去作業者のコスプレをした状態で数回だけ街頭演説を行った)。ときどきポスターの掲示板をまわって剥がれているポスターを張り直すという活動がメインで、撮影者はそれに同行して取材する。したがって動きはあまりなく、山内氏の聞き語りが中心になる。他の候補に対するコメントや、福島原発事故対策や原子力行政への憤りなどが語られるが、これがこのドキュメンタリーの一番面白い部分と言っても良い。なんと言っても山内氏の魅力がこの作品のミソである。
 ただし、この程度の活動で選挙を勝ち抜こうというのは虫が良すぎるのは誰の目にも明らかで、もちろん彼の言っていること、つまり名前を連呼したり街を歩いている人に握手を強要したりすることはおかしい、政策を主張すべきだというのはきわめて正論であり同意するが、実際に名前と顔が知られないことには、票が集まるわけがないじゃないかというのは第三者的に見れば明らかで、本人も言っていた「青島幸男なみ」の活動では、一般人が当選するには無理がある。前の作品(つまり『選挙』)による知名度を少々過大評価しすぎたのでは……と僕自身は感じた。結果は当然落選である。
b0189364_15251131.jpg このときの選挙は、東日本大震災の直後で自粛ムードが漂っていたことから、当初はどの候補者も名前を大音量で連呼することはあまりなく、街頭演説も控え目で、非常に穏やかで「正常な」感のある選挙だったが、数日過ぎると案の定堰を切ったように「正常化」した。山内氏が訴えるような、政策を主張してそれを有権者が吟味するというような選挙は今の日本では決して起こり得ないということが、この過程を通じて徐々に明らかになってくるのがなかなか虚しい。そもそも日本の有権者のほとんどは、個人的な利害が絡んでいない限り選挙になんか関心がない。個人的な利害がある人ばかりが選挙に参加するため、利益誘導型になってしまう。システムを抜本的に変えない限り、選挙互助団体である自民党や公明党がいつまでも勝ち続けるのは目に見えている。そういうことをあらためて思い知らされるドキュメンタリーであった。
 ドキュメンタリー自体は、日常風景の撮影が非常に多く、無駄に長いという印象である。なんせナレーションがないドキュメンタリーが、2時間半を超えるのである。途中他の候補者(自民党)から撮影するなとクレームが来たりして緊迫する場面があったが、こういうシーンが続かなければ2時間以上もドキュメンタリー映画を見続ける元気はない。なお、僕は自民党についてはまったく共感を覚えていないが、彼らの(撮影を拒否するという)主張については一理あると思う。ただ映像化されると、カメラに対するクレームがいくら正論であってもその人が悪者に見えてしまうのは世の常で、この作品でもご多分に漏れない。映して欲しくないという人を撮影する(その上、映画作品という形で残す)のは、映像という名の暴力であると思う。
★★★

参考:
竹林軒出張所『選挙(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『自民党で選挙と議員をやりました(本)』
竹林軒出張所『精神(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『Peace(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-10-07 07:24 | 映画

『選挙』(ドキュメンタリー)

選挙(2006年・Laboratory X)
監督:想田和弘
撮影:想田和弘
出演:山内和彦、山内さゆり(ドキュメンタリー)

日本の異様な選挙について

b0189364_17181392.jpg 以前NHKの『BS世界のドキュメンタリー』で短縮版(ピーボディ賞の受賞対象はこの番組らしい)が放送されたときに見て、その後劇場公開時にこのフルバージョン(120分版)を見た。ということで今回で見るのは3回目ということになる。
 このドキュメンタリーの主人公、山内和彦という人は、川崎市議会議員補欠選挙において、自民党の公募候補として採用されて出馬したいわゆる落下傘候補。そのまったくの選挙素人である山内氏が、選挙に出馬して奮闘する様子を密着撮影したのがこの作品である。ナレーションは一切無く、ただ淡々と選挙準備、選挙活動、選挙後が映像で紹介されるという作品。
 とは言うものの、選挙活動などというものは一般人にとってはまったく縁遠い世界であるため、その様子は非常に興味を引く。特に日本独特と思われるあの名前連呼型の独特の選挙運動は、こうやって内部の目で映像化されるとその異様さが一層目を引く。ましてや舞台になるのが自民党の選挙事務所である。山内がこのドキュメンタリーの中で語っているように、自民党は体育会的で、上下関係や義理人情に結構うるさい。自称「文化系」の山内が感じている違和感は見ているこちらにも伝わってきて、自民党、ひいてはそれを支持する日本人の体質が見えてくるようである。山内が自民党の先輩達にやたら怒られたりするんだが、さながら自分が責められているようで、思わず感情移入してしまう。
 また同時に、自民党が、信条や思想云々で集まっている政党と言うより、選挙互助会であるというのも映像から見えてくる。この選挙では、補欠候補である山内を助けるために、同じ自民党に属する川崎市会議員や、その支持者らが集まってきて、山内の選挙活動を支援している。次回以降の選挙では、彼らは皆、山内と票を争うライバルになるにもかかわらずである。そういう部分に、自民党、あるいは日本人の特質が見えてくる感じがする。
 僕が最初に見た短縮版は、『BS世界のドキュメンタリー』の「世界の選挙」みたいなシリーズで放送されたもので、多分に海外で見られることを意識させられるシリーズだったんだが(実際に200カ国近くでテレビ放映されたらしい)、そのことを知っていたため、自分自身もやや客観的な視点で日本の選挙に接する機会が得られることになった。実際にこのドキュメンタリー自体、日本の選挙を客観的に捉えており、日本の自称「民主主義」選挙のサンプルとして非常にユニークな存在になっている。同時にこれが世界で公開されることに一抹の恥ずかしさも感じる。もう少し日本の選挙制度、政治システムも何とかできるんじゃないかと思ってしまうが、あのアメリカの大統領選挙みたいなクレイジーなのも勘弁してもらいたいところではある。
2009年ピーボディ賞受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『自民党で選挙と議員をやりました(本)』
竹林軒出張所『選挙2(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『精神(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『Peace(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『日本の異様な結婚式について(ラジオドラマ)』

# by chikurinken | 2018-10-06 07:17 | ドキュメンタリー

『ファンタスティック・プラネット』(映画)

ファンタスティック・プラネット(1973年・仏、チェコ)
監督:ルネ・ラルー
原作:ステファン・ウル
脚本:ローラン・トポール、ルネ・ラルー
アニメーション

映像がファンタスティック

b0189364_17160263.jpg 一部で伝説的な存在になっているSFアニメ映画。
 未来社会が舞台だと思われるが、地上では人間(と似たような種族)はすでに弱者になっている。世界を支配しているのは、ドラーグ族という(人間から見て)巨人族で、しかも高等文明を持つ。人間は、ドラーグ族にあるいは愛玩されたりもするが、基本的に駆逐されるべき存在である。人間族は、異常な速度で繁殖することからドラーグ族にとって厄介な存在になっており、それを勘案すると現代社会におけるネズミみたいな存在と言えるのか。その人間族が、いよいよドラーグ族に撲滅させられそうになり、それで反乱を起こす……というようなストーリーになる。
 今ではSFで良くあるストーリーと言えば言えるが、この映画は元祖みたいな存在かとも思う。それに何より、映像が非常にユニークで、奇妙な生物、植物が次々に登場して、相当な気持ち悪さも漂う。しかしそうは言ってもユニークであることには変わりなく、そのあたりは『エイリアン』のギーガーを思わせるような部分もある。いずれにしても、キャラクター・デザインはかなりのものである。映像の芸術性も高く、やはり独特の映像がこの映画の一番の魅力で非常に「ファンタスティック」である。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『時の支配者(映画)』
竹林軒出張所『ラ・ジュテ(映画)』

# by chikurinken | 2018-10-05 07:15 | 映画

『パピヨン』(映画)

パピヨン(1973年・米仏)
監督:フランクリン・J・シャフナー
原作:アンリ・シャリエール
脚本:ダルトン・トランボ、ロレンツォ・センプル・ジュニア
出演:スティーブ・マックイーン、ダスティン・ホフマン、アンソニー・ザーブ、ロバート・デマン

過酷で壮絶な脱獄映画

b0189364_17041169.jpg 脱獄映画。主演は『大脱走』のスティーブ・マックイーン。
 脱獄映画は数あれど、この映画の舞台である南米ギアナのデビルズ島は、脱獄の難易度がもっとも高いと言える。こんなところから無事脱出するなんてあり得ないと序盤では思わされるが、それをやってのけるから映画になる。だからといってリアリティの欠片もないなんてことはない。あちこちに予想外のエピソード(たとえばハンセン氏病で隔離されている男や先住民たちの支援など)が出てくるため、リアリティがないなどという考えは一切浮かばない。それもそのはず、この映画の原作者、アンリ・シャリエール自身が、かつてこの刑務所に収容されており、9回脱獄を試み、9回目に成功させているらしい。つまり原作は、実話を基にした小説と来ている(ただし映画とは少々ストーリーが異なっているようである)。映画で描かれる刑務所内の様子や脱獄の過酷さは壮絶の一言で、真に迫っている。脱走映画ならこれくらいのリアリティは欲しい。
 キャストは、どの役者も好演で、特に主演の2人(スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマン)は非常に魅力的である。監督のフランクリン・J・シャフナーは、原作ものばかり撮っている人だが、どの映画を見てもキャストが魅力的に映る。演出はきわめて正攻法で、「職人芸」という言葉が当てはまるような印象がある。この映画も大変よくできた作品で申し分ないんだが、他のシャフナー作品同様、結局エンタテイメントで終わってしまっているのが、少々物足りないような……。もちろんそれ以上を求めるのも無理があるということは承知ではあるが。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『網走番外地(映画)』
竹林軒出張所『パットン大戦車軍団(映画)』
竹林軒出張所『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代(本)』

# by chikurinken | 2018-10-04 08:03 | 映画

『ウンベルトD』(映画)

ウンベルトD(1951年・伊)
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ
出演:カルロ・バティスティ、マリア・ピア・カジリオ、リナ・ジェナリ

あまりに救いがない
これからどうしたら良いのか…
と思わず考え込んでしまう


b0189364_16504018.jpg 『自転車泥棒』でお馴染み、イタリアン・ネオリアリズモの巨匠、ヴィットリオ・デ・シーカの作品の中でも随一と言って良いリアリズム映画。
 年金暮らしの元公務員の老人、ウンベルトが主人公。現在一人暮らしで犬のフライクが唯一の相棒という状況だが、年金額が少ないため、アパートの家賃も滞りがちである。そのためにアパートの主からも追い立てを食らっているという設定。何とか追い立てを免れるために必要な額の金を集めようと奔走するが、なかなか集まらず。いろいろと画策するが、結局行き場がなくなってしまうという、まことに救いがないストーリーである。
 戦後すぐのイタリアの世相を反映した(と思われる)スーパー・リアリズムの作品で、画像もストーリーも堅牢で非常にレベルは高いが、これほど救いがないと、ちょっと最後まで見続けるのが辛くなる。主人公がかなり切迫した状態になり、『自転車泥棒』同様、それが見ている側にも恐ろしい迫力で迫ってくる。この映画を見る場合は、生活に余裕のある状況でないと(あまりに身につまされて)楽しむことができないのではないかと思う。
 かつてこの映画を見たときは僕自身まだ(前途のある)学生だったし、しかも国内的には割合余裕のある時代だったため、映画の内容はどこか他人事で「憐れな老人の話」ぐらいの認識しかなかったが、今回は、僕自身が主人公に近い年齢になっており、しかも世の中も何かのきっかけで転落してしまいそうな社会状況になっているため、見るのに相当な息苦しさを感じた。こういう映画を、余裕のある状態でゆったり見て、その上で社会のひどさを実感できるという程度の世の中にはなってほしいと、今回つくづく感じた。
 今回見たのは、シネフィルというBSチャンネルで放送されたものだったが、映像が割合きれいだという印象を持った。もしかしたらリマスター版だったのかも知れない。なお、タイトルの『ウンベルトD』は、主人公の名前、ウンベルト・ドミニコ・フェラーリから取ったものである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『無防備都市(映画)』
竹林軒出張所『戦火のかなた(映画)』
竹林軒出張所『冬構え(ドラマ)』
竹林軒出張所『ながらえば(ドラマ)』
竹林軒出張所『日曜劇場 幻の町(ドラマ)』

# by chikurinken | 2018-10-03 07:50 | 映画

『二人の世界 (1)〜(26)(ドラマ)』

二人の世界(1)〜(26)(1970年・木下恵介プロ、松竹、TBS)
演出:木下恵介、川頭義郎、横堀幸司
脚本:山田太一
音楽:木下忠司
出演:竹脇無我、栗原小巻、あおい輝彦、山内明、文野朋子、東野孝彦、三島雅夫、小坂一也、水原英子、太宰久雄、武智豊子、矢島正明(語り)

人に歴史あり、店に歴史あり

b0189364_13495462.jpg 山田太一初期の傑作『二人の世界』を12年ぶりに見る。前にもレビューを書いており、しかも内容がよく書けているため今回は良いかと思っていたが、やはり印象が強く、何か書いておくべきと感じる。
 何よりも善意の人々が多く出てきて心地良い。最近『スカッとジャパン』に出てくるような危ない奴に出会うことが続いて、嫌な気持ちが続いていたんだが、このドラマを見て少し気持ちが和らいだ。それにこのドラマにもちょっと危ない奴が出てきて、主人公も同様に気分が落ち込んだりしているのが、また共感を呼ぶ。前にも言ったように、ナレーションがやたら多いとか、今の時代から見るとところどころ違和感があるが、しかし素晴らしいセリフも随所に散りばめられていて、山田太一の面目躍如と言える作品に仕上がっている。全編フィルム撮影されているため、70年のカラー作品でありながら、今でも残っていたというラッキーな作品でもある(この頃ビデオで撮影された作品は、多くが失われている)。かつて改革開放前の中国でも放送されたことがあるらしく、栗原小巻は中国でも人気があるとか(竹林軒出張所『中国10億人の日本映画熱愛史(本)』を参照)。もちろんこのドラマの栗原小巻、それから竹脇無我は非常に魅力的である。
 少し前に放送された『3人家族』と同じようなスタッフ、キャストで、主人公の2人の役回りも同じなんで、最初は恋愛話かと思って見ていると、第6回で突如、恋愛話が終わってしまって、その後、一体どういう方向に進むのか気になって見続けるというドラマである。前も書いたが、子供の頃、親が一生懸命このドラマを見ていて、だが僕はこの時間帯(21時から放送だったと思うが)すでに寝る時間で、そのためにテーマ曲だけが耳に入っていた。あのあおい輝彦のテーマ曲がまたメロウで良いのである。そのときも子ども心に恋愛ドラマだと思っていたのだ。
 音楽と言えば、音楽監督は木下恵介の弟、木下忠司で、音楽もあまり目立たないが非常に良い仕事をしている。ところどころ水戸黄門風になるが、それは同じ作曲家だから仕方ない。
 登場人物で言えば、物わかりの良い麗子の父(山内明)とコックの沖田(三島雅夫)が、出てくるのが楽しみになるような存在で、非常に魅力的である。あおい輝彦は『3人家族』同様、好人物を演じているが、今回は『3人家族』よりやや引いた位置付けという感じである。
 また、冒頭のタイトルバックが非常に上品なのも良い。ジャン・コクトーのリトグラフが部分部分映されるだけの映像だが、落ち着きがあって、心が安まる。テーマ曲と合わせて、本編に対する期待感を膨らませるような役割も果たしている。
 今回、何本かずつ連続で見たために、途中、少し気が抜けたような気がした回もあったが、ストーリー上それなりにいろいろと困難が出てきて、いろいろな人々の善意で助けられるという展開は、適度な緊張感が続いて、連続ドラマとしてはこれ以上ないくらいよくできていると思える。気持ちが暗くなって人を信用できなくなったらもう一度見ようかと思えるような「素敵な」ドラマである。
 せっかくなので、すべての回のストーリーを簡単にまとめておこうと思う。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『「3人家族」と「二人の世界」(ドラマ)』
竹林軒『遙かなり 木下恵介アワー』
竹林軒出張所『山田太一のドラマ、5本』
竹林軒出張所『続・山田太一のドラマ、5本』
竹林軒出張所『テレビがくれた夢 山田太一 その1(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『テレビがくれた夢 山田太一 その1 続き(補足)』
竹林軒出張所『3人家族 (1)〜(13)(ドラマ)』
竹林軒出張所『夏の一族 (1)〜(3)(ドラマ)』
竹林軒出張所『中国10億人の日本映画熱愛史(本)』

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主な登場人物
二郎(竹脇無我)
麗子(栗原小巻)
麗子の弟、恒雄(あおい輝彦)
麗子の父(山内明)
麗子の母(文野朋子)
レストランのコック、沖田(三島雅夫)
二郎の友人、関根(東野孝彦)

第1回から第6回は出会い・恋愛編。
第1回
 アルマンド・ロメオのコンサート会場。チケットを持っていないにもかかわらず一番高い料金を払うから中に入れてくれないかと支配人に無茶な申し出をするサラリーマンの二郎(竹脇無我)。ここで、同じような申し出をしに来た麗子(栗原小巻)と出会う。結局2人ともコンサートには入れなかったが、意気投合し、その夜、赤坂のあるレストランで一緒に食事をする。ここのコック(三島雅夫)とも親しくなる。2人は翌日も会う約束をする。

第2回
b0189364_13495968.jpg 翌日2人は昼食を共にする。その場で二郎は、麗子に特別なものを感じていることから真剣に付き合いたいと麗子に言い、麗子も賛同する。だが麗子には婚約者がいた。しかしその日のうちに、麗子はその婚約の解消を相手に伝える。麗子の弟(あおい輝彦)、父母(山内明、文野朋子)が心配して動揺する。

第3回
 数日後の土曜日の夜、2人は会って、遅くまでデートする。麗子の帰りが遅くなったため、父母が心配し麗子を責める。麗子は二郎のことを話し、知り合ったのは5日前だが「結婚しても良いと思っている」と語る。近いうちに父母に二郎を会わせることを誓う。ちなみに二郎は会社の寮で一人暮らし。同僚の関根(東野孝彦)に麗子のことを打ち明ける。翌日、父から二郎の職場に連絡が入り、次の日に麗子の家で面会することを約束する。
 その日のうちに麗子の弟の恒雄が会社まで出向き、姉と別れろと迫る。
(物わかりの良い父のセリフ「(娘のことが)長年一緒の家にいた仲だ。(帰宅が遅くなって)気になったって仕様がないだろ」が良い。『夏の一族』にも似たセリフがあった。)

第4回
 翌日、二郎が、麗子の家にあいさつにやってくる。良い雰囲気である。

第5回
b0189364_14011098.jpg 第4回の続き。麗子の家。良い雰囲気だったが二郎が(出会って6日であるにもかかわらず)結婚したいと切り出したために急に空気が冷え込む。父母は早すぎると言うのである。麗子と二郎を責める。返事は今すぐできない、あらためて返事すると言われ、二郎は暗い顔で家を後にする。その後、父母は麗子を「世間知らず」と責めるが、麗子も父母に「気持ちは変わらない」と訴える。
 二郎の帰り道、弟の恒雄が後をつけてきて話があると切り出す。二人でとあるバーに入る。恒雄は別れろと迫るが、二郎は真剣だと訴える。恒雄はその後、酔っ払ってベロベロになり、二郎に介抱されてしまう。
 二郎の田舎の家族も、二郎の兄は、何だか癪だ(弟が東京でいい目を見ていることに少しひがみがある)が、父母は賛成という風景。
 ところが、その後いきなり結婚披露宴のシーンに移る。「細かないきさつはもう十分だろう。結局二人は思い通りにしたのである。三ヶ月経った、晴れた冬の日曜日であった。」というナレーションが入る。そして無事に披露宴が終わる。
(当初、恋愛にまつわるあれこれが最後まで続く恋愛ドラマだとばかり思っていたのだが、このナレーションでそうでないことが明らかになる。)

第6回
 二郎と麗子、新婚旅行から帰る。喧嘩したようで、雰囲気が悪い。だがさすが新婚、その日のうちに仲直りする。

第7回から第16回までは新婚・転職編であり、次の開業編への導入。
第7回
 新婚生活は、麗子にとっては、夜遅い夫を待つというもので、砂を噛むような味気ない面もあった。一方二郎は、関根と共に、新しい合成樹脂プラントの輸出権を得るという非常に大きな仕事に関わることになる。非常に忙しくなるが、その中でも時間を割いて、平日の夜、2人で外食することになる。店は、初めてのデートのときに行ったあの赤坂のレストラン。ここであのコック、沖田にあいさつし、結婚したことを知らせる。沖田に大歓迎され、ボトルワインまでおごってもらう。(このコックが、見ていて楽しくなるようなキャラクターで、登場するのが楽しみになる。)
最後のナレーション「甘い、思い出しても懐かしい一夜であった。しかしその一夜は、そのときの二人には思いもよらぬほどの深い意味を潜めていたのであった。」

第8回
 新婚生活。麗子は幸福を感じている。かつての麗子のフィアンセが訪れたり、二郎の友人の関根が飲みに来たりする。一方二郎は、手がけていた仕事が結局他の会社に渡り駄目になってしまったのだった。
最後のナレーション「その仕事の失敗は、二郎たちのミスではなかった。重役たちの決定の甘さに原因があった。しかし原因とかかわりなく、それが二人を思いがけない運命に導いていくのである。」

第9回
 二郎と関根が、重役の代わりに仕事の失敗の責任を負わされ、花形の営業部から総務部へ異動させられることが決まる。関根は、嫌気がさして会社を辞め、作曲家になるべく、修行することにする。一方二郎は、関根みたいな夢もない上、嫌なことがあったからといって辞めてしまうのは本意ではないということで、異動を受け入れることにする。二郎は麗子に異動になったことを告げる。二郎は、異動になった後、仕事に張り合いを感じることができず、砂を噛むような毎日を送る。辛い思いを共有したいと思う麗子だが、二郎は弱みを見せたくない。二人の気持ちがすれ違う。
最後のナレーション「しかし二人は、離れて立ったままであった。会社での辛い思いを二人で抱き合って慰め合うのではあまりに屈辱的ではないか、という思いが二郎を麗子に近づけなかった。」

第10回
 総務の仕事は単純作業。麗子は、二郎の左遷について母に言えない。二郎は家では明るく振る舞う。「なぜ辛さを見せないのか」と思う麗子。
 夜、近所にできたというスナック(軽食やアルコールを出す喫茶店)に二人で出かける。スナックは若い夫婦が二人でやっていた。良い感じの店だと二人で話し合う。
最後のナレーション「何気ない土曜日の夜のひとときであった。しかし、そこで見た若夫婦の働く姿が思いがけなく強い印象を残した。時が経って、その印象が一つの力となるのである。」

第11回
 家で少し言い合いをする二郎と麗子。
 二郎「慰めてもらってニヤニヤ会社に行かれるかい」、麗子「本当に今の仕事が不満なら他にどういう生き方でもできる」、二郎「甘っちょろいこと言わないでくれよ。辞めりゃ簡単さ。不満なら辞める、また辞める、だけどどこの会社に行ったってそう変わりゃしないんだ。だから我慢してるんじゃないか、生活ってのはそういうもんだ」、二郎「僕だっていろいろ考えてるんだ。青臭いこと言わないでくれよ」。
 翌日、麗子は一人で近所の例のスナックに行って少々和む。夜、二人で浅草で外食して仲直り。二郎の大学の入学式の後、父と飲んだという店(この店の話は山田太一のエッセイに出てくる。脚本家自身の経験が反映している)。二郎「夕べ言ったことを何遍も考えた。辞めないでいる理由もない。もう少し自分の世界を広く考えたい」などと言い、転職について考えると言う。麗子も賛同する。

第12回
b0189364_13500285.jpg 結局、二郎は会社を辞めることに決める。麗子は父にそのいきさつを説明する。辞めたら生活が厳しくなるかも知れないため、自分も仕事をしたいので仕事を紹介してくれないかと依頼する。
 二郎、友人の関根にも決心を告げる。関根は、商売を始めたらどうだなどと軽口を叩く。二郎、その言葉が少し引っかかって、商売について考えるようになる。麗子はこの話を聞いて、小さい店を持って二人で働けたら素敵だなどと言う。
 翌日、二郎は屋台でラーメンを食べ、屋台の店主(加藤嘉)の話を聞く。この店主も元勤め人で脱サラして屋台を始めたという。店主「脱サラしたときの自由だという気持ちが忘れられない」。脱サラして商売を始めることにリアリティが出てくる。二郎「一発ドカンと何かやりたくなったな」。このとき商売を始めることをはっきり決意する。翌日、麗子にそのことを伝える。開業資金について具体的に考えるようになる。二郎「親父に相談しようと思う」。麗子「時間かけて少しでも良いお店にしましょう」。
最後のナレーション「威勢の良い決心の仕方ではなかったが、二人の前にまったく見当の付かない新しい世界が開け始めていた。期待と不安とが二人の間を流れた。静かな朝であった。」

第13回
 二郎、実家に帰り、会社を辞めてスナックを開店したいということ、金を貸してほしいということを伝える。兄、一郎はいきり立って金はないと言い、父も何も言わない。だが翌日帰郷する段になって、父が定期貯金が近いうちに満期を迎えるのでその200万円を貸すと言う。ただし一郎の手前があるため利子を取ると言う。兄は帰り際に二郎を呼び、50万円無利子で貸すという。(兄貴、頑固だが良いところがある。)
最後のナレーション「250万の借金と自己資金50万、あわせて300万円の目安は付いたが、それだけでスナック開店は無理であった。しかし、漠然とした転職という希望から、もう一歩具体的な領域に足を踏み入れたのである。そのことが、二人を明るくさせていた。」

第14回
 工作機械の会社(社長はタコ社長、太宰久雄)で勤めを始めた麗子。二郎は、退社後、スナックの実務について教える学校に1カ月間通うことにする。
 二郎、会社を辞めて新しい商売を始めるということを、麗子の父母に直接会って話す。具体的なプランが決まったら教えてくれと話す父。プランが良ければ金を出すとまで言う。(物わかりの良い父である。)
最後のナレーション「二郎は、麗子の両親の目に自分がどのように映ったかがわかるような気がした。不確かな夢を追う男。しかし絶対に成功してみせる、見ていて欲しいと二郎は思った。」

第15回
 友人の関根が自宅にやってくる。習ったばかりの料理で関根を接待する二郎。関根はその後、金を無心するつもりでここに来たと言う。音楽の師匠がアメリカに行ってしまい生計を立てていた仕事ができなくなったというのだ。二郎は侠気を出して5万円貸してしまう。後でその金額のことで二郎と麗子は喧嘩する。
 翌日も喧嘩の状態が続くが、夜、二郎は上機嫌で帰ってくる。来月会社を辞めてしまい、来月から1月間、他のスナックに見習いに行くことにしたと言う。自然に仲直りしてしまう二人。失恋して遊びに来ていた恒雄は、一人取り残された形になる。
最後のナレーション「二人の世界が大きく変わろうとしているところだった。取り残されて恒雄は孤独の中にいた。」

第16回
 二郎、ついに会社に辞表を出す。退職の日、二人だけでささやかに自宅でパーティ。
(恒雄の恋愛のエピソードが並行して進んでいるが、これについては省略)
最後のナレーション「新しい世界へ踏み出す二人にしては呑気すぎる夜であったが、ともあれこれが、二郎のサラリーマン生活、最後の夜であった。」

第17回から第26回までが開業・奮闘編。
第17回
 二郎、スナックの見習い勤めを始める。麗子、好奇心から見に行く。二郎、カウンターに入って、それらしく立ち振る舞っている。ホットケーキまで作って麗子に出す。二郎はそれなりに自信をつけている。
 二郎、物件探しを始める。

第18回
b0189364_14011366.jpg 二郎が目星をつけた物件を、麗子、麗子の父母が、二郎と一緒に見に来る。
 この物件に一端は決めるが、その後、父が、自分も100万円出資するから、やはり高くてももっと良い物件を探してみないかと言う。「君たちが新しいことを始めるのを見ていると、自分も肩入れしたくなる。だから無利子、無期限で100万円貸す。君たちの夢にかけたい、仲間に入れてもらいたい」と言ってくれる。(良い義父である)
 あらためて店探しを始める二人。そんな折、恒雄が新しい物件を探してくる。現在スナックで、店主がスナックを辞めるから貸しに出すという。そのために居抜きで借りられる。条件は良く予算的にも何とかなる。結局ここに決めるが、前オーナーがスナックを辞めるということが気にかかって、近所のおばさんに話を聞く。何でもこれまでこの物件を借りてきた人々の夫の方が次々に不幸に見舞われてきたという不気味な事実が判明。今のオーナーも夫が入院して仕事ができなくなったという。家族会議の結果、しかるべき神事を行うなどして、この物件を借りようということになる。
最後のナレーション「こうして店が決まった。若い二人には似合わなかったが、占い師の言うとおりにした。女の怨みを鎮めるという神社の神主を招いたのである。これから店を直し、開店の支度である。いよいよ二人の新しい人生であった。」

第19回
 店の改装、開店準備が進み、いよいよ翌々日開店という運びになる。二郎の兄が、開店祝いで上京する。良い店だと祝ってくれる。
 翌日、関根がやって来て、借金を返す。仕事が順調に進み出したことも報告。夜、新しい店に関係者を呼んで、開店パーティを開く。
 いよいよ開店の日を迎える。朝早く目を覚ましてしまう二郎。いろいろと考えてしまう。
最後のナレーション「結局7時半には店へ来ていた。あと3時間半で開店である。二人は黙りがちに、しかしクルクルと働きながら、新しい世界の出発の時を待った。」

第20回
 開店初日風景。最初の客は変な若者で、コーヒーを頼むが結局何も飲まずに出ていく。客は昼頃から大勢訪れ、昼食時が終わるとめっきり客足が減る。客の流れが初めてわかる。恒雄が連れてきた学生たち、家族連れなど、いろいろな客がやってくる。夜は夜で、一人で入ってくる客が多く静かになる。最後の客は、読書している、感じの良い客(小野寺昭)である。こうして初日の営業が終わった。
最後のナレーション「開店の日の売上は、20,530円。予想以上の成績である。このまま順調にいけば、借金もそれほどかからずに返せるかに見えた。明るい夜であった。胸の膨らむ1日であった。」

第21回
 翌日の昼間、麗子の父が店にやって来る。麗子は、テレビかステレオを入れるという話になっているという話を父にする。父は、テレビを入れないという選択肢もある。客がテレビを入れてくれと言っても、すべての客に対応することはない。客本位になるのも良いが店がお客さんを選ぶことも必要じゃないか。自分の店はこう行きたいという個性みたいなものが欲しいじゃないかと言う。(良いセリフである。)
 夜、近所の若者たちがやって来て大きな声でギャンブルの薄っぺらい会話をしている。うるさいため、昨日の読書の客も早々に帰ってしまう。しかもこの若者たち、支払をツケで頼むと言う。二郎は受け入れようとするが、麗子が切れてしまい、うちは掛け売りはお断りしていますと言って追い返してしまう。
 麗子「店の方で客を選ぶ権利がある、あんな人にニコニコするのはいやだ、店の方針をはっきり決めて、格みたいなものを作った方が良い」と二郎に言う。そんなことじゃやっていけないと二郎。麗子「近所を見てみたところ、あまり良いものを食べる場所がない。良いものを出すなど、思い切って店の特色を出してみたらどうだろう」と言う。二郎は、「甘いことを言う」と言って怒る。どうしてそんなことが我々にできるのか、そんなことを考えるのは5、6年早いと言うのだ。
 その後、開店してから1カ月経った。なんと10軒と離れていない近所にスナックができることがわかる。テーブルが5、6個あり、しかも大きなクーラーを入れ、ジュークボックスも置くという。
 新しい店の存在が気になる二郎、あのレストランのコック、沖田に、新しい料理について相談してみることにする。店の特色を出すという麗子の提案について、考えてみようというのである。
最後のナレーション「なぜか、赤坂のレストランで「料理だけが生きがいだ」と言ったあのコックの姿が突然蘇って、二郎を呼ぶのであった。あの屈託のない楽しげな姿。」

第22回
b0189364_856623.jpg 二郎、赤坂のレストランを訪れて、コックの沖田と話をする。何かこれはという一品を出したいからアイデアがあったら教えてもらえないかと言う。沖田は快諾する。
 二日後、沖田が店を訊ねてくる。しかも近所の店のリサーチ済みで、二郎と麗子はいたく感心する。
 翌日の夜、店の営業中、近くに新しくできるスナック「うぐいす」の若い店主、本木(小坂一也)とその父親(内田朝雄)がやって来てあいさつする。父親の方はドスが利いた感じ。「うぐいす」の方は、開店に備えて、店先で大々的に宣伝活動。サービス券を配付したりする。
 その後、再び沖田が、食材を持って開店前にやって来る。美味しいカレーを伝授すると言う。いろいろと考えたがスナックに適した一品というとやはりカレーかということになったと言う。
最後のナレーション「沖田は楽しげに新しいメニューの準備を始めたのであった。」

第23回
 沖田がカレーを実際に作ってみると、非常に旨く、二郎は感心しきりである。麗子は「今日仕込んだカレーを売るのが嫌になった」とまで言う。また沖田はハンバーガー弁当のアイデアも用意し、そのレシピも授けてくれる。沖田は、こうして頼られるのが嬉しいと語る。(沖田の善意が気持ち良い。)
ナレーション「その日の6時に新しいスナックは開店した。流行歌を流し店のしつらえも俗悪で、住宅の多いこのあたりには似合わない気がしたが、客の入りは良かった。主人の客あしらいも慣れていて、競馬であろうと、野球、麻雀、競輪から女の話までやすやすと相手になる男であった。同じやり方で競っても二郎に勝ち目はなかった。自分は自分のやり方でやり通すしかない。とにかく明日からだ。ハンバーガー弁当とカレーライスで勝負するのだ。」
 二郎と麗子、宣伝ビラを配ったりポスターを出したり広報活動をする。
 当日、開店前に「うぐいす」の親子がカレーを食べさせてくれと言ってやって来て試食していく。昼時はいつものように満員だがカレーの評価はわからず。ハンバーガー弁当も7個売れただけで、少々ガッカリ。昼が過ぎるといつものように暇になる。ところが午後になって、ハンバーガー弁当を20個買いたいという、近所の会社勤めの女性が来る。昼買って食べたら美味しかったために社長が社員におやつとして出すと言い出したらしい。最初の反響。
 翌日、沖田に報告しに行く。謝礼を渡そうとすると拒まれる。「あんたがたに喜んでもらえて、この10年の間で一番楽しい思いをした。これからも肩入れさせて欲しい」と言う。
最後のナレーション「ところがその翌日、商売敵の新しいスナックは、10円安いカレーライスとカツサンド弁当を売り始めたのであった。」

第24回
 「うぐいす」の方は、マスターが客あしらいがうまく、しかもテレビを入れているため、若者のたまり場みたいになっている。二郎と麗子は、それに少し危機感を持っている。テレビを入れた方が良いんじゃないかと思う。開店前に沖田がやって来て相談に乗る。
「問題はあなたがたがそういう店にしたいかということだ。店の方針というものが大事であって、客に合わせていたら切りがない、こっちで客を選ぶ気でなくちゃ」と言う。「店が人生の舞台なんだから客の顔色でどうにでもなるようにしてはいけない。旨い料理で評判を取っていくつもりだったんだからそれで辛抱していかなくちゃ。無理して客に合わせたんじゃ店を開いた甲斐がない。」
 さらに沖田、3人であちらの店に行ってみてカレーを食べてみようと提案する。結局3人で食べに行く。味は到底問題にならないことがわかる。沖田は後に「しかし不味かったねぇ」と言って大笑いする。「あんなものは競争にも何にもなりはしない。10円安くたって、そんなの問題じゃない。相手が繁盛してもそんなものは一時だ。味一本」。
 その夜「うぐいす」の本木が、酔っ払ってやって来る。ビールを頼むが、昼間のことに文句を言い、突然二郎を殴りつける。捨て台詞を吐いて出ていく。
 翌日開店前に、本木親子がやって来て謝りに来る。体面上謝ってはいるが、愚痴や脅迫めいたことまで口上していく。その日の午後、いつもなら客足の少ない時間帯に学生が20人ばかりやって来てカレーを食べた。昨日の騒動のときに店にいた客が、昨日の騒動を「カレーの味に嫉妬した同業者が嫌がらせに来た」という評判にして友人を連れてきたのである。
 昼時の込み方が日増しに激しくなってきた。美味しいという評判が広がっているのがわかった。その後、とある新聞に店のカレーの記事が載る。

第25回
 店は順調。
 麗子が妊娠したことがわかる。思わず「困ったなぁ」と口走る二郎。これが原因で夫婦喧嘩になる。

第26回
 麗子、つわりで店に立てないことが多くなる。恒雄が手伝ったりアルバイトのウェートレスを雇ったりする。人を使うことを考えなければならなくなる。
 二郎と麗子、沖田を中華料理店に誘い、お礼をする。その場で沖田が、別の有名レストランから引き抜きの話があると言う。だが今さらレストランを移るより、むしろレストランを辞めて、二郎と麗子の店を手伝いたいと言う。あの店を手伝うことは、張り合いもあるしやりがいもある。今金銭面では不自由はないため、月給5万円でしばらく雇ってもらえないかと言う。「若い人が一生懸命働いてだんだん大きくなる、そういうのを手伝ってみたい」と言う。二郎、「願ってもないこと。あまり良い話なんで信じられない」と言って歓迎する。
 二郎の実家の兄、父母が上京し、店を見に来る。その後、麗子の実家で麗子の両親を交えて、二郎と歓談。(大団円1。)
 店では突然の貸し切りが入り、沖田が助っ人でやってきて腕を奮う。(大団円2。)
最後のナレーション「確かに何もかもがこれからなのである。何一つ終わったものはなく、二人の世界は明日に向かって開けていた。子供が生まれる。他人と一緒の仕事が始まる。レストランに変えていく計画がある。こうした物語の終わりこそ二人にふさわしいと私たちは思った。」
 今までのいろいろなシーンが回想風に流れ、テーマ曲が流れる。(良いエンディングである。)

# by chikurinken | 2018-10-01 07:48 | ドラマ

『日本人の美意識』(本)

日本人の美意識
ドナルド・キーン著、金関寿夫訳
中公文庫

ドナルド・キーンの仕事を俯瞰する

b0189364_20275729.jpg 日本文学者、ドナルド・キーンの9本の論文(またはエッセイ)をまとめた書。論文は1960年代から70年代初頭に渡って書かれたもので、内容が広範に渡っており、どれも興味深い。
 掲載されているのは「日本人の美意識」、「平安時代の女性的感性」、「日本文学における個性と型」、「日本演劇における写実性と非現実性」、「日清戦争と日本文化」、「一休頂相」、「花子」、「アーサー・ウェーリ」、「一専門家の告白」の9本。最後の「アーサー・ウェーリ」と「一専門家の告白」がエッセイ(初出は〈おそらく〉雑誌とニューヨーク・タイムズ)で、前者が、著者が敬愛する東洋文学の翻訳家、アーサー・ウェーリ(『源氏物語』の英訳が有名)との想い出を語ったもの、後者が、「日本文学が専門」と口にしたときの他者の反応に対するボヤキみたいな内容のエッセイ。特に後者はエスプリが効いていて面白い。
 残りはすべて論文である。「日本人の美意識」は、タイトルの通り日本人の美意識を分析した書で、内容は非常に興味深い。日本文化論であるが、これだけの鋭い視点、分析力はなかなかお目にかかれまい。日本文化の学界はこれだけの研究者を得られたことを感謝すべきである。
 「平安時代の女性的感性」は、優れた(と著者が感じている)平安文学に、どれも女性的感性があるとする平安文学論。「日本人の美意識」とも通じる内容である。
 「日本文学における個性と型」は、簡単に言えば元禄ルネサンス論で、井原西鶴、近松門左衛門の作品をモチーフにして、彼らの文学(そしてそれは長い間日本文学の底流になるのだが)に、登場人物の内面を深く探るのではなく、彼らを「様式」的かつ「定型」的に描くという特徴があると指摘する。おそらくその後の著者の大作『日本文学史』に繋がる内容なのではないかと思う(『日本文学史』は近世文学から始まっている)。
 「日本演劇における写実性と非現実性」は、能、文楽、歌舞伎におけるリアリズム・非リアリズムについて論じる。こういった演劇は、その形態を見ても明らかにリアルではないが、描かれる対象として常にリアリズムが紛れ込んでいる。同様に日本の演劇には、こういったリアリズムと非リアリズムがいろいろな点で混在しているというような論。これはおそらくその後の『能・文楽・歌舞伎』に連なる論なのではないかと思う(この書については未読)。
 「一休頂相」は、一休宗純の異色性、破天荒さをその漢詩から辿るという内容で、あの異色の頂相(肖像画)に一休の特徴が反映されているとする論。
 「花子」は、20世紀初頭、ヨーロッパとアメリカで人気を博した女優、花子についての論。花子は、当時なぜだかわからないが、その舞台が突然ヨーロッパで大当たりした。決して美しい女性ではなく、しかも舞台自体に芸術性があるわけでもなく、それでも大受けし、そのために各地を巡業して、どの地でも人気を博したと言う。あのロダンも結構花子に入れ込んでおり、花子の肖像をいくつか作成している。著者は、サラ・ベルナールなどをはじめとする当時の大女優崇拝現象の一環で、そこにエキゾティシズムに対する態度みたいなものがうまく結合して、人気を得ることに繋がったと分析しているようだが、基本線は、この「花子」現象を比較的客観的に紹介するという論である。花子については名前ぐらいしか知らなかったため、大変興味深く読んだ。
 そしてこの書の目玉と言えるのが「日清戦争と日本文化」で、ページ数も全体のほぼ三分の一が割かれている。日清戦争を通じて、日本の対中国観が、崇拝・尊敬から蔑視へ大きく劇的変わったことを当時の印刷物から論じるもので、これも非常に興味深い。ただしこれについては、先日読んだ『明治天皇〈三〉』でも何度も引用されていた内容であるため、僕にとってはそれほど目新しさはないが、しかし斬新な論考であるのは確かである。
 今見てきたように、それぞれの論はその後の著者の著作に繋がっているものも多く、それを考えると、本書は著者の著作群のダイジェストという言い方もできる。内容が多岐に渡っているのは先ほど書いたが、同時に取り上げる内容も斬新である。論理も飛躍や矛盾がないため、どれにも説得力がある。地味な本ではあるが、ドナルド・キーンの仕事を見渡す上で優れた案内書になっていると言うことができる。得るところ(特に新しい視点)が多い良書である。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈三〉(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン わたしの日本語修行(本)』
竹林軒出張所『私が愛する日本人へ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

# by chikurinken | 2018-09-29 07:27 |