ブログトップ | ログイン

竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

『桜の森の満開の下』(映画)

桜の森の満開の下(1975年・芸苑社)
監督:篠田正浩
原作:坂口安吾
脚本:富岡多恵子、篠田正浩
撮影:鈴木達夫
美術 : 朝倉摂、内藤昭
音楽:武満徹
出演:若山富三郎、岩下志麻、伊佐山ひろ子、西村晃、観世栄夫

結構えげつないストーリーだが
説話風で淡々としているからか
グロさは感じない


b0189364_18010868.jpg 坂口安吾の同名原作小説を映画化した作品。監督は篠田正浩で主演は妻の岩下志麻。それから若山富三郎である。
 舞台は平安時代か鎌倉時代ぐらいの都、およびその周辺で、ストーリー自体は説話集を思い出させるようなもの。そもそも冒頭のシーンが『今昔物語集』を題材にした『羅生門』風であるし、僕はてっきり元になった話が説話集にあるものと思っていた(実際は坂口安吾のオリジナルのようだ)。
 ある山賊が、通行人から奪い取って妻にした美貌の女に心を囚われてしまい、この女を喜ばすために盗みや殺しを繰り返すというようなストーリーである。タイトルは、満開の桜の下で人は狂気を帯びるというモチーフが基になっている。話の中には生首が多数出てきて(しかもそれを映像化しているため)結構猟奇的でグロテスクなんだが、映画ではむしろコミカルな印象さえ受け、あまりグロさは感じない。
 主演の岩下志麻は、一本調子のセリフ回しだが、セリフのほとんどが命令なんで違和感はない。一方で彼女の美しさを引き立たせるカメラワークが見事である。山賊役の若山富三郎は言うまでもなく好演で、この頃はテレビにもよく出ていて存在感のある役を演じていたという記憶がある。いわば全盛期の演技である。他のキャストについては伊佐山ひろ子以外はチョイ役ばかり。噺家の笑福亭仁鶴までチョイ役で出ていた。
 山の風景や都の風景の映像が随所に出てくる他、都の再現も大変よくできていて、映像的にも大いに楽しめる。武満徹の音楽もかなり独特だが、ストーリーをまったく邪魔しないのは(毎度ながら)さすがである。総じてよくできた翻案映画と言うことができる。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『明治開化 安吾捕物帖(本)』
竹林軒出張所『新十郎捕物帖 快刀乱麻 (25)(ドラマ)』
竹林軒出張所『羅生門(映画)』
竹林軒出張所『秋刀魚の味(映画)』
竹林軒出張所『婉という女(映画)』

# by chikurinken | 2019-06-03 07:00 | 映画

10年エッセイ ● ちょっと不遜ですが

b0189364_18400091.jpg 始めてから10年になった……このブログも……ついに。
 元々は、ある知人にブログの使い方を教えるために始めたのである。私自身は、それを遡ること6年前から3年前まで、つまり2004年から2006年まで自身のホームページでブログをやっていたが、そのときはiBlogというMacOS用のソフトを使って自前でブログ・サイトを作っていたため、業者製の既製ブログはこのエキサイト・ブログが初めてだった。使い勝手がまずまずでデザインもいろいろと変更できるということで、その知人にもこのエキサイトを薦め、開設の代行、利用方法の指導などを行ったというのがことの始まりだった。ちなみにその方のブログはすでに終わっているようである。
 私自身、元々書きたいことはたくさんあったのである。書いたものを人に読んでもらうことも好きなんである。そのため、昔から何か書くようなことを仕事にしたいと思っていた。実際、幸いにして書く仕事に就くことはできているわけだが、最初に思っていたものとは多少方向性は違うのである。もう少し自由に書ける仕事を求めていたのだが、実際のところ、縁がなければそういう仕事はなかなかないわけだ。ただし今の時代、ネットという舞台があるため、発表の機会は設けようと思えば設けられる。そういった人々にとってはブログもなかなか良い媒体と言える(気楽に始められるし、有名なブログ・プロバイダを利用すれば一定量の読者も見込めるようだ)。一方でそういう気楽さのために、ネット上には、文章としての質が低いものが著しく多いというのも事実で、言ってみれば玉石混淆である(玉の方はきわめて少ないが)。そもそもブログをそういった発表の場と捉えること自体、少々ナイーブすぎるのかも知れない。本来は、ツイッターとかと同じレベルのコミュニケーション・ツールに過ぎないのではという気もする。
b0189364_18384376.png 一方、私の場合は、内容について結構一生懸命推敲した上で、書いているのである。そういう自負はある。だから過去に書いたものを振り返って読んでみても、自分で読んでいて面白いものがそれなりにあると感じる。ま、自画自賛ということになるが。そういうものについては、自前のサイト、つまり竹林軒ネットだが、そちらでまとめることにしている。このブログの開設当時は、そういう作業も並行して進めていたんだが、残念ながら長いこと放置プレー状態になってしまった……。そこで、この10周年を記念したわけではないが、少し整理してあちらのサイトも更新してみた。まだ途中だが、あちらにある程度貯めておき、万一エキサイトに事故があってデータがなくなっても良いくらいの備えはしておきたいと思う。
 結果的に竹林軒ネットでは、この10年間書いたものがまとめられることになるわけ(厳密にはその前の3年間分もあるため13年間ということになる)で、こうなると、ある意味では、私という人間の半生記みたいな要素も出てくる。あるいは、このサイト(竹林軒ネット)自体についても、一つの作品と考えることさえできるのではないか、とも感じる。価値については(特にエッセイについては)それなりにあると自負しているが、これについては当然異論があるかも知れない。それはそれで結構。
 目下このブログでは、映画や本などの批評に終始しているが、本来は、他人の作品の批評ばかりではなく、エッセイなどの生産的なものももっと書いていくべきだと思っており、そちらの方にこそ価値があると信じているんだが、こういうものばかりを目指していると(満足のいくものがいつも書けるわけではないため)なかなか続かなくなるのである。続かないブログ、日記は、概ね途絶えてしまうものである。他人の作品(つまり映画や本など)に依拠する理由の一つはそれである。個人的には、こういった批評も後で読むと面白く感じることが多いため続けていきたいと思っているが、オリジナルなものももっとあった方が良いと感じているのも事実なのだ。それにいやしくも注目(アクセス)が集まるのは残念ながらそういった批評記事だけなので、そのあたりにももどかしさを感じている。

竹林軒出張所データ集:
● これまでに投稿した記事は2510本。1年に251本の計算になる。まさしく暇人の所業。

● 一番アクセス数が多かった記事は……残念ながらエキサイト・ブログでは調べようがない。ただ、あるドラマ、あるドキュメンタリーが再放送されると、いきなりアクセス数が増えることがある(最近では『想い出づくり。』『昨日、悲別で』など)。また、どこかわからないが、おそらく人気のあるサイトで紹介されたことから、ここにアクセスが殺到することもごくまれにある。

● 山田太一の作品に関連する記事が増えてきたため、竹林軒ネットでまとめた(『批評選集:ドラマ - 山田太一』)。放送されたインタビューを書き起こしたスクリプトもあるため、結構貴重だと自負している。

参考:
竹林軒出張所『101回記念』
竹林軒出張所『一周年ごあいさつ』
竹林軒出張所『500回記念』
竹林軒出張所『3年目のつぶやき……くらい大目に見てよ』
竹林軒出張所『千回と正月がいっぺんに来た』
竹林軒出張所『トリプル・スリーではありませんが』

# by chikurinken | 2019-06-01 07:36 | 日常雑記

『浮浪雲』(1)、(2)(ドラマ)

浮浪雲 (1)、(2)(1978年・テレビ朝日、石原プロ)
原作:ジョージ秋山
脚本:倉本聰
演出:近藤久也
出演:渡哲也、桃井かおり、伊藤洋一、岡田可愛、笠智衆、谷啓、柴俊夫、犬塚弘、三浦洋一、山崎努

奥さん、もうマンガやがな、マンガ

b0189364_19581383.jpg 1970年代に発表されたジョージ秋山原作のマンガ『浮浪雲』は、当時世間でかなり話題になり、それに触発されドラマ化されたのがこの作品である。このあたりのいきさつについては僕自身も記憶しているが、当時僕の家ではテレビ朝日系のチャンネルが映らなかったし、原作も読んだことがなかったため、このドラマについてもまったく興味を覚えなかった。今だってそれほど興味があるわけではないが、脚本が倉本聰だと知って、ちょっと見ておくかという気になったというその程度の話である。脚本担当は倉本聰だが、データを参照すると金子成人も書いているようで、金子成人の回は特に見なくても良いと考えている。
 さてこのドラマであるが、普段から昼行灯みたいな遊び人の浮浪雲(渡哲也)が実は相当な剣術使いであるというような、面白いが割合よくある設定である。また、いかにもマンガ的なストーリーで、幕末期を舞台にした時代劇でありながら、ギターが出てきたり、国語辞典が出てきたり、あるいはピンクレディーの歌や「勝ってくるぞと勇ましく」が出てきたりして何でもありである。「勝ってくるぞと勇ましく」については、「江戸時代なのに「勝ってくるぞと勇ましく」歌ってやがる」みたいなツッコミのセリフが出てきて、概ねコントみたいなドラマとも言える。冒頭に「このドラマはフィクションであり、時代考証その他かなり大巾にでたらめです。」などと出て開き直っており、そのあたりも「コントだと思って見ろ」というメッセージなんだと思う。当時この手のコント風のドラマは割合流行っていたが(TBSの水曜ドラマなど)、あれをテレビ朝日でもやってみましたという番組だったんではないかと感じる。
 第1回目は沖田総司(三浦洋一)までゲスト的に出てきたりするが、取り立ててどうこう言うようなドラマでもないという印象である。そのせいか第1回目の視聴率が12%だったものが第2回目で8%に落ちている。言ってみれば初回を見た3人に1人が失望したという結果である。僕も倉本作品でなければ2回目以降は見ないと思う。
 なお第2回目のゲストは坂本龍馬(山崎努)で、龍馬にサインをもらうとかのエピソードも少々こざかしさを感じさせる。
★★★

追記:子役がかぶっているヅラまで、コントみたいないい加減な代物で、見ていてすごく気になる。

参考:
竹林軒出張所『川は泣いている (1)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『寺内貫太郎一家 (22)(ドラマ)』

# by chikurinken | 2019-05-30 06:57 | ドラマ

『君は海を見たか (70年版)』(6)〜(8)(ドラマ)

君は海を見たか (6)〜(8)
(1970年・大映テレビ室、日本テレビ)
脚本:倉本聰
演出:井上芳夫
出演:平幹二朗、山本善朗、姿美千子、野際陽子、本郷功次郎、寺田農、小栗一也、井川比佐志

『君は海を見たか』のオリジナル版

b0189364_20133605.jpg 以前紹介したドラマ、『君は海を見たか』のオリジナル版。前にも書いたが、『君は海を見たか』は都合3回作られており、最初に発表されたのが本作、続いて翌年に映画化され、さらにその11年後にフジテレビ版が製作された。最初の70年版と映画版は製作会社が同じで(大映)、しかも監督、子役が共通ということであることから、映画版はテレビ版のスピンオフであることが容易に想像される。ただ今回70年版を見た印象から言うと、82年版と70年版はシナリオ自体がかなり共通しており、放映時間を考えると70年版と82年版の方が、70年版と映画版より近いのではないかと思われる。実は今回も第1回から見ようとしていたのだが、内容、セリフが前に見た82年版とかなり共通していたために、途中で飽きてしまった。それで第6回から後を見てみたというわけである。
 キャストは当然、両者で大幅に異なっているのだが、どの俳優もうまい役者ばかりであるため、違和感はまったくない。僕はといえば、頭の中で82年版のキャストと随時置き換えながら見ていた。82年版で比較的重要な役割を演じていた下條正巳と平泉征が、70年版ではチョイ役で、1回限りの出演になっている。また寺田農はどちらの版でも中心的な役割を演じていた。
 先ほども言ったように、若干の違いはあるが、セリフを含めシナリオがかなり共通しており、しかもどちらもよくできているため、どちらかを見ていればもう一方を見る必要はあまりないかも知れない。ただ82年版で手が加えられた箇所は、倉本聰が10年を経た上で追加したいと考えたであろう箇所であるため、両方見る機会があるんだったら82年版の方をお奨めする。82年版はキャスティングも非常に良かったし、主役のショーケンも非常に力が入っていた。子役も魅力的だったし、何より完成度が非常に高かった。一方、この70年版には、第5回に読売ジャイアンツの長嶋茂雄、王貞治、高橋一三がゲスト出演する(単にボールにサインするだけだが)上、後楽園球場での野球の映像も少し入る。それにいろいろと当時の風俗(流行歌〈由紀さおりの「手紙」やシューベルツの「風」などがバックで流れていた〉やモノなど)が出て懐かしいんで、そういうのを期待する向きには70年版も良いかも知れない。ただどちらも現時点ではDVD化されていないため、実際のところ簡単には見ることができないというのが実情である。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『君は海を見たか (1)〜(11)(ドラマ)』
竹林軒出張所『わが青春のとき (1)(ドラマ)』
竹林軒出張所『わが青春のとき (2)〜(8)(ドラマ)』

# by chikurinken | 2019-05-28 07:13 | ドラマ

『父の詫び状』(ドラマ)

父の詫び状(1986年・NHK)
原作:向田邦子
脚本:ジェームス三木
演出:深町幸男
出演:杉浦直樹、吉村実子、長谷川真弓、大塚ちか子、沢村貞子、井川比佐志、市川染五郎、殿山泰司、桜井センリ、岸本加世子(語り)

まさにエッセイ・ドラマ

b0189364_17455196.jpg 1981年にNHKテレビで放送された『あ・うん』と同じようなスタッフ、キャストで作られたドラマ。原作はやはり向田邦子のエッセイ集、『父の詫び状』である。あのエッセイ集では、作者自身が育った家族のこと、特に父と母のことについて多くページが割かれていたが、そのあたりのエピソードを集めて、主人公(立場は向田邦子)から見た昭和初期の家族の有り様を再現し、ドラマ化したものがこのドラマである。
 このドラマに出てくる父(杉浦直樹)は、明治男にありがちな暴君で、子ども達に対してしきりに小言を言うし、妻(つまり主人公の母:吉村実子)に対して暴力を奮ったりもする。今風に言えば一種のDVであるが、妻も子ども達もそれが当然のこととして受け入れている。もっとも父の方も、こういった行動を家族の虐待のために行っているわけではなく、家庭内で自分をコントロールできない、またはコントロールしないせいでこうなってしまうのであって、悪意はないのである。昭和時代はまだこういった父親像は普通にあったのだ。そういう環境で育ったために子ども達の心がねじくれたということもそれほどあったわけではなく、当時の常識がそうだったということなのである。ただ今見ると、ちょっと許せないタイプの父親ではある。
 この父親、実は、子どもの頃から結構苦労を重ねてきており、現在は保険会社の支店長にまでなった人である。ところが、その保険会社の社長に対して平身低頭になっていたときに娘である主人公がそれを目撃して、父が外の世界ではそれなりに苦労している、単なる暴君ではなかったということを知った……そういうエピソードが、『父の詫び状』に収録されている「父の詫び状」というタイトルのエッセイで書かれているんだが、そのエピソードを柱にして再構築したのがこのドラマである。シナリオは向田邦子ではなくジェームス三木で(ドラマ製作時、向田邦子はすでに死去していた)あるが、いろいろなエピソードをうまく繋げており、ストーリーにはまったく違和感がない。本当に『あ・うん』を思わせるようなシナリオで、向田邦子が書いていてもこういう作品になるんではないかというような見事な構成力である。語りも岸本加世子である上、テーマ音楽にまでアルビノーニのアダージョが使われている。キャストもかなり『あ・うん』と共通する。ただし、これも他の向田作品と共通するんだが、面白味を感じるようなドラマチックな素材もあまりないのである。まさしくエッセイみたいなストーリーで、おそらく今の時代だと放送されることはないだろうというような素材である。脚本家が芸術家として正当に評価されていた時代で、しかもドラマの可能性がどんどん広がっていた時代だからこそ作られた作品と言えるかも知れない。最後にあ・うんの狛犬まで出てきたのは、向田邦子に対するオマージュなのか知らないが、なかなか奮っている。
第24回プラハ国際テレビ祭プラハ金賞
第13回放送文化基金賞本賞受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『父の詫び状(本)』
竹林軒出張所『あ・うん (1)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『続あ・うん (1)〜(5)(ドラマ)』
竹林軒出張所『阿修羅のごとく(ドラマ)』
竹林軒出張所『阿修羅のごとく パートⅡ (1)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『寺内貫太郎一家 (22)(ドラマ)』

# by chikurinken | 2019-05-26 07:45 | ドラマ

『ビギナーズ・クラシックス 春秋左氏伝』(本)

ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 春秋左氏伝
安本博著
角川ソフィア文庫

背景や人物関係を整理しなければ
内容について楽しむことができない


b0189364_19232873.jpg 『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』シリーズの一冊。取り上げられているのは『春秋左氏伝』で、この書自体、普通の現代日本人にとってはあまり馴染みがないが、明治時代までは教養書として一般によく知られていたらしい。福澤諭吉や夏目漱石が『左氏伝』に傾倒していたという話が本書でも紹介されている。
 そもそもこの『春秋左氏伝』、どういう書物かというと、孔子が編纂したとされる魯の国(およびその周辺の国々)の歴史書『春秋』(春秋時代という呼び名の由来になっている)が基になっているもので、それに、孔子の弟子である左丘明(左氏)が注釈を加えた書物だということである。このあたりは冒頭の「解説」で説明があるが、何だかわかったようなわからないような記述で、そもそも『春秋』自体と左氏の注釈の部分がどのように絡んでいるのかよく見えてこない。本文を読むと、最初に『春秋』のごくシンプルな記述が出てきて、その後にこれを膨らませて物語風にした部分が出てきているため、おそらくこの後の部分が注釈に当たるのだという推測は成り立つ。ただ最初から最後まですべてに渡ってこういう形式になっているのかはよくわからない。
 本書では、他の『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』と同様、それぞれの項ごとに白文、書き下し文、訳文、解説文が並べられている。他のシリーズはそれほどのわかりにくさは感じなかったが、この本については登場人物がとにかくやたら唐突に出てきて(数も多い)、しかもその関係性の説明がほとんどないため、わけがわからない箇所が非常に多い。解説文の項で内容について書かれているが、こちらについてもあまり伝わってくるものがない。そのため『左氏伝』および春秋時代の歴史について予備知識があれば別だが、普通の読者はかなり困惑するのではないかと思う。
 そもそも、まったく知らない人々がどういういきさつで覇権を競ったかなどということに関心は沸きにくい。この時代のことをよく知っていれば別だが、そういう人はいまさら『ビギナーズ・クラシックス』は読まないのではないかと感じる。ということはこの本自体の存在意義というものがきわめて見えにくくなる。僕自身最後までがんばって読んでみたが、読み進めるのが非常に苦痛であった。せめてもう少しかみ砕く、各項ごとに人物関係を整理する、背景について紹介しておくなどの配慮が欲しかったところである。孔子およびその弟子が書いた書であるため、当然、内容は倫理的で、道理の通った正しいことをすべきという思想で貫かれている(ようだ)が、正直言って、その程度しか頭に残らなかった。得るところが少なかった本である。
★★

参考:
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 老子・莊子(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 史記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 十八史略(本)』

# by chikurinken | 2019-05-24 07:23 |

『私が源氏物語を書いたわけ』(本)

私が源氏物語を書いたわけ
山本淳子著
角川学芸出版

平安時代の貴族の女性の生き方を再現

b0189364_19163683.jpg 紫式部の一人称・独り語り形式で、『源氏物語』の成立の意義や意味に迫る本。著者は、『平安人の心で「源氏物語」を読む』の山本淳子(平安文学の研究者)。
 原典になっているのは『紫式部日記』と『紫式部集』、それからもちろん『源氏物語』で、随所にそれぞれの作品からの引用が出てくる。引用にはすべて現代語訳が付けられているため、読む上で困ることはない(『紫式部日記』は原文で読むには少々難しい)。
 本書によると、紫式部が『源氏物語』を書くきっかけになったのは、家族や友人と死に別れた悲しみを、それまで女子どもの慰みものとして提供されていた「物語」という形式で晴らすことだったということで、元々は「帚木」をはじめとする三帖で構成された短編だったらしい(『紫式部日記』の記述より)。この原『源氏物語』には、紫式部の時代の今上天皇(一条天皇)の中宮(皇后)である定子の不遇な後半生が反映されているということも、本書で触れられている。
 その後、『源氏物語』が宮中で評判となったせいで、作者の紫式部は、もう一人の中宮、彰子の元に女房(侍女)として出仕するよう乞われる。要請してきたのは、政治的野心に燃える藤原道長(彰子の父)で、彰子の周辺に知的な環境を作って、定子を失って失意の今上天皇の気持ちを彰子の方に向けようという魂胆がそこにはあった。紫式部の方は、女房を使う身であった自分が女房として出仕することに抵抗を感じはしたが、たっての願いで、半ばイヤイヤながら出仕を始める。しかし宮廷女房を取り巻く雰囲気がいやになってすぐに自宅にひきこもり、次に出仕するのは半年後。ただそれ以降は、バカを装うことで、他の女房たちとも割合うまくやっていけるようになった。
 ただ女房の世界にも面倒なことは多く、本書では、そのあたりのことも一人称で書かれている。中にはいじめや嫌がらせもあって、時代や環境を超えても人のやることは変わらないと実感させられる。同時に中宮彰子の方も、藤原道長の強引な手腕の影響を被ることになり、決して幸福とばかり言えない境遇になる。このあたりは中宮定子とも共通する部分で、宮中政治の暗部が顔を見せる。
 こういった記述のほとんどは『紫式部日記』と『紫式部集』に基づいているようだが、著者の主観みたいなものもかなり入っているのではないかと思われ、どこまでが事実でどこまでが憶測かは判然としない。また、小説風の独り語り形式も、もちろんこういう形式を取ったこともわからないではないが、しかし読んでいて少々気恥ずかしい。あまりに現代的にするのもどうかという気もする。ただ、今も昔も変わらないという観点から見ると、現代的な表現も実は効果を発揮しているのかも知れず、そのあたりは判断が難しいところではある。いずれにしても平安時代の貴族の女性の生き方が再現されているため、平安文学を読む上で大いに助けになることは間違いない。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『平安人の心で「源氏物語」を読む(本)』
竹林軒出張所『源氏物語の時代(本)』
竹林軒出張所『源氏物語 (上)(中)(下)(本)』
竹林軒出張所『あさきゆめみし完全版 (1)〜(10)(本)』
竹林軒出張所『源氏物語 浮舟(映画)』
竹林軒出張所『新源氏物語(映画)』
竹林軒出張所『古典文法質問箱(本)』

# by chikurinken | 2019-05-22 07:16 |

『虫めづる姫君 堤中納言物語』(本)

虫めづる姫君 堤中納言物語
蜂飼耳著
光文社古典新訳文庫

『堤中納言』に触れるにはもってこい
ただ少々サービス過剰……


b0189364_19204921.jpg 鎌倉時代あたりに書かれたという『堤中納言物語』を現代語訳した本。訳したのは蜂飼耳って人。小説やエッセイなどを書いている人らしい。
 日本の古典だからといって必ずしも原文で読む必要はなく、こなれた現代語で読むのもまたよし。高校の教育のせいか、古文は原文で読まなければならぬという思い込みが強いのは日本人の悪い癖である。むろん原文で読めたらそっちの方がそりゃ良いわけだが、原文で読むのは一般的には難しい。無理して読むにはちょっと……ということで結局古典作品をまったく読まないことになる。むしろ外国人であれば(ネイティブ言語の)現代語で接することもできるわけで、外国人で日本の古典が好きという人が、日本人より(日本語に触れる人という割合から考えると)多いということすら起こっている。これは、日本人にとってははなはだもったいないことである。
 そこで選択肢として出てくるのが、こういった現代日本語訳版である。『いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ』(竹林軒出張所『石田梅岩「都鄙問答」(本)』など参照)も同じ発想だが、内容を楽しむという目的であればこれで十分。この『堤中納言物語』は、10本の短編で構成されている短編集で、その中でも「虫めづる姫君」が有名な作品である。これは、世の中では蝶よ花よと蝶を愛でたりするが、物事の本質を知りたいのであれば、蝶の姿を見るだけでなく蝶に変わる毛虫こそ大事だなどと主張する(正論を吐く)姫君の話で、この話に限ってはなかなか凝った設定で面白い。
 ただし他の短編については、大したオチもなく、情景描写に終始するような話ばかりで、現代的な感覚の短編小説とはちょっと違う。そのため、そういうものを期待するとガッカリするかも知れない。「虫めづる姫君」についても、話はなかなか面白い過程を辿って推移するが、結末がないと来ている(「続きは第二巻」などと書いているが第二巻は存在しない)。中世の物語らしく和歌も多数出てきて、『伊勢物語』や『大和物語』などの歌物語みたいに思える話もある。実際『伊勢物語』と『大和物語』に出てくる話とよく似た「ザ・定番」というような話もある(ある男が妻と関係を切ろうとするが、その妻がふと詠んだ和歌に感動して、そのまま居着くという話)。そのあたりがこの『堤中納言物語』の限界なのかと思う。
 訳はまずまずこなれていて非常に詠みやすい。この文庫本シリーズのキャッチフレーズが「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」というものであることを考えると、目的には十分適っている。また、一般的にあまり知られていない事物については詳細な注や写真、図版で解説されており、和歌についても、その都度ちゃんと解説されている。それぞれの話は、訳者が現代的なタイトルを付けており、またそれぞれの話に続けて解説風の文章も付いている。もっともこの解説風の文章(「〜を読むために」というタイトルが付いている〈〜にはその前の話のタイトルが入る〉)は、ほとんどがストーリーの要約で、なくても(あるいはもっと短くても)良いと思う。最後の最後には訳者による「解説」も付いていることだし、本音を言うと何のためにこの項が存在するのかわからないという気さえする。巻末には「堤中納言物語関係年譜」などという年表まであるが、これもほとんど何の役にも立たないと思う。もちろん本自体は、非常に丁寧に作られているという印象で好感が持てるが、少々サービス過剰かな(あるいはページ稼ぎか)という感は否めない。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『歎異抄 (現代語訳版)(本)』
竹林軒出張所『風姿花伝 (現代語訳版)(本)』
竹林軒出張所『石田梅岩「都鄙問答」(本)』
竹林軒出張所『現代語訳 南総里見八犬伝 (上)(本)』

# by chikurinken | 2019-05-20 07:20 |

『罠師 片桐邦雄・ジビエの極意』(ドキュメンタリー)

罠師 〜片桐邦雄・ジビエの極意〜(2018年・静岡放送)
監督:柏木秀晃
撮影:三島乾児
ナレーション:鉄崎幹人

生き物を食らうということに思いを馳せる

b0189364_17435465.jpg 「ジビエの極意」というタイトルのせいで(グルメのドキュメンタリーかと思っていたため)あまり食指が動かなかったが、「日本民間放送連盟賞グランプリ受賞」という謳い文句に惹かれて見てみたところ、非常に濃密なドキュメンタリーで、結果的に嬉しい驚きになった。ちょっとお目にかかれない映像も満載で、「グランプリ受賞」にふさわしい傑作だと感じる。
 静岡県浜松市在住の片桐邦雄という人は、ジビエ料理の割烹を経営する料理人だが、実はここで供される野生動物の肉はこの人自身が獲ってきた獲物のものである。しかも銃ではなく罠を使って動物(猪や鹿)を生け捕りし、丁寧に捌いて、あらゆる部位を活用し、それを料理にして提供するという徹底ぶりである。この片桐氏、獲物は自然からの贈り物であってその命に対しても敬意を表す……というスタンスであり、さながら狩猟採集先住民族の哲学のようである。生け捕りにするのは、処理するまでに時間をかけないようにするという目的のためで、こうすることでジビエ料理につきものの血なまぐささをなくすことができるらしい。
 実際の狩の様子も撮影されており、これがまた緊迫感に溢れたすばらしい映像である。罠はすべて自作で、動物が足を踏み入れるとその足を拘束するという仕掛けである。獲物がかかると発振器でそれが知らされることになる。その後、その動物の元に駆けつけ、まず鼻、それから足を拘束してから、動物に目隠しを施した上でそのまま(無傷で)車に積み込むという算段になっている。だがこういった一連の作業はすべて一人で行われるのである。つまり1対1で獲物に対峙するため、獲物を獲る方もかなりの危険が伴うわけである。映像には、片桐氏の息づかいや動物のうなり声が収められており、生き物対生き物のせめぎ合いをそこに見てとることができる。こういう映像を見せつけられると、最大限の労力を費やして獲物を捉えた片桐氏が、その獲物に対して敬意を払うようになるというのもよく理解できるというものだ。食肉の状態で売られているものを見てもそこに生命を感じることはあまりないが、直接こうして生命と格闘すれば、それを食うとしても、少し前まで食う側と同じ生命を持っていた生き物であることが意識される。生命というのはそれくらい重いものであるはずで、これこそがこのドキュメンタリーのテーマであると思う。それが、現代の、生命をないがしろにしたかのような食に対する、意義深い問いかけになっているのである。
 この片桐氏、他にも川魚漁をやったり、ニホンミツバチの養蜂までやっているらしい。このあたりも大変興味深いところで、この辺も紹介してほしかったが、本作がグランプリを受賞したことでもあるし、もしかしたらこの辺にスポットを当てた続編が作られる可能性もある。瞑目して待とう。
平成30年日本民間放送連盟賞グランプリ受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『Love MEATender(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『イヌイットの怒り(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『いのちの食べかた(映画)』
竹林軒出張所『フード・インク(映画)』
竹林軒出張所『ありあまるごちそう(映画)』
竹林軒出張所『タイマグラばあちゃん(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『食について思いを馳せる本』

# by chikurinken | 2019-05-18 07:43 | ドキュメンタリー

『"脱プラスチック"への挑戦』(ドキュメンタリー)

"脱プラスチック"への挑戦 〜持続可能な地球をめざして〜
(2019年・NHK)
NHK-BS1 BS1スペシャル

「脱プラスチック」は喫緊の課題のようだ

b0189364_20161523.jpg 先進国で進展している「脱プラスチック」へのアプローチを紹介する100分のドキュメンタリー。
 マイクロプラスチックの海洋汚染については、過去、別のフランス製のドキュメンタリー(竹林軒出張所『海に消えたプラスチック(ドキュメンタリー)』を参照)でも取り上げられていたが、このドキュメンタリーは、あれの日本版という趣である。
 前後編の2部構成になっており、前半は、17歳の少年が始めたオランダのNPO、オーシャンクリーンアップの海洋プラスチック回収の試み、後半は、海外の行政組織によるプラスチック容器禁止の流れを紹介する。言い換えると、前半が既存のプラスチック・ゴミの除去、後半がゴミ・プラスチックの発生の遮断がテーマということになる。
 現代社会でプラスチック製品が溢れているのは、今さら言うまでもない事実である。流行りのカフェに行っても飲料がプラスチック容器で出されるし、店に行っても何でもかんでもプラスチック袋に入れられてしまう。こういったプラスチック製品のかなりのものが、一度しか使用されない、廃棄されるのが目的であるかのような製品と言える。このような容器や袋は、言ってみればゴミを生産していると言っても過言ではなく、それを考えればプラスチック・ゴミが増えるのは当然である。日本ではこういったプラスチックの多く(80%以上)がリサイクルされていると喧伝されているが、実態は、その多くが焼却処分されている。これを日本では「エネルギー・リサイクル」などと呼んでリサイクル対象として扱われているらしいが、世界の(というより一般的な)常識ではこれは「リサイクル」ではない。「リサイクルされる」という文句が、消費者にとって免罪符のような働きをし、プラスチックを使うことに抵抗がなくなるため、こういう呼び替えはある意味犯罪的と言える。このように日本では、真の意味でプラスチックのリサイクルは進んでいない。そもそもプラスチックのリサイクル自体、手間も費用もかかるため、あまり現実的ではないのである。そのため一番良いのは端から使わないということになる。我々が子どもの時分は、これほどプラスチックが周りに溢れていなかった(ペットボトルだって存在していなかった)わけで、それを考えると、使い捨てプラスチックを無くしたところで、それほど不便になるわけではないのである。それでも、今の過剰に「便利」なシステムを捨てるのは、文明に逆行しているように思われるのか知らんが、消費者にとって抵抗が大きく、実現はなかなか難しいようである。
 京都の亀岡市が最近、レジ袋を禁止する条例を制定したが、この話を聞いたとき、僕自身、素晴らしいことだとは思いつつ、ちょっと拙速ではないかと感じてしまった。しかし世界のスタンダードはもっと先に進んでいるのだということが、このドキュメンタリーからわかる。フランスやニューヨーク市では、すでに同様の使い捨てプラスチック禁止を打ち出していて、施行に向けて動いているらしいのである(近日施行予定)。このことを考えあわせると、亀岡のケースでさえまだ保守的に感じられるほどである。当然、保守主義の代表みたいな日本政府がこういった取り組みをすぐに行うことはおそらくないだろうが、民間レベルで言うと、ある日本の企業がプラスチックを完全にリサイクルする技術をすでに開発しているという。そしてその企業が海外の企業や自治体から注目を集めている様子もこのドキュメンタリーで紹介される。さらに言えば、このようなプラスチック禁止の動きは、経済的にも新しいビジネス・チャンスに繋がるのだという話もあわせて紹介されている。
 プラスチック・ゴミが「第二の温暖化」とされるほど重大な問題であることは徐々に明らかになっており、この作品は、そのことを認識させるドキュメンタリーで、プラスチック・ゴミの現在の立ち位置をよく伝える番組である。ただし前半のオーシャンクリーンアップの取り組みについては、確かに若者がムーブメントを起こしたという点で素晴らしいことではあるが、彼らの取り組みが海洋のプラスチック汚染に実際にどの程度対応できるかは未知数(というより実際には大海の一滴みたいなレベル)で、それを考えると「象徴」としての意味合いしかないんじゃないかと思う(もちろんそれは大切ではあるが)。そういう点でオーシャンクリーンアップの取り上げ方が少々大げさすぎるような気がして、前半と後半にアンバランスさを感じた。この作品の製作者に対して、現実を見よと言いたくなってくる。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『海に消えたプラスチック(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『廃棄家電の悲しき行く末(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2019-05-16 07:15 | ドキュメンタリー

『カラーでよみがえるパリ』(ドキュメンタリー)

カラーでよみがえるパリ 〜ベルエポック 1900〜
(2018年・仏Compagnie des Phares et Balises)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー

近代パリという切り口に無理があったか

b0189364_19564685.jpg モノクロ映像にカラー化を施すという企画は世界中で進行しているようで、相当なモノクロ映像がカラー化されてきている。モノクロ映像をカラー化すると多くの場合臨場感が各段に向上するもので、色が付くだけでこんなに違うのかと思わせられることも多い。今回は、20世紀初頭のパリ、つまり華やかなベルエポックの時代の映像をカラー化したというもので、「ベルエポックのカラー化」という話を聞くと、思わず大きな期待を抱いてしまう。
 ただ映像自体は、竹林軒出張所『映像の世紀 第1集〜第4集(ドキュメンタリー)』などのドキュメンタリーですでに紹介されているものが多く、あまり目新しさはない。1900年のパリ万博やリュミエール兄弟の映画などは、本来は珍しい映像かも知れないが、個人的にはすでに何度も目にしているもので、カラー化されたと言ってもそれほど感慨は湧かない。むしろパリの街中の日常の様子の方に目を引かれて、そちらの方に興味を持った。ただし全体的な見せ方に工夫があまりないせいか、途中でかなり眠くなってしまった。
 対象がベルエポックの平和な時代であるためか、あるいは僕にあまり当時の知識がないためかはわからないが、先ほども言ったように、当時の風俗以外は、映像自体にあまり面白さを感じられなかった。もしかしたら「近代のパリ」という切り口に無理があったのかも知れないが、街の風俗のカラー化映像が非常に魅力的だっただけに(こういった風俗を中心に押しまくるとか)もう少し見せ方を工夫すると、もっと面白い作品になったのではないかという気もする。少々残念。
★★★

参考:
竹林軒出張所『映像の世紀 第1集〜第4集(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『カラーでよみがえる第一次世界大戦(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ヒトラー 権力掌握への道(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『カラーでよみがえる東京(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『カラーでみる太平洋戦争(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『カラーでよみがえるアメリカ 1、2(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『カラーでよみがえるアメリカ 3、4、5(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『カラーで見る 独裁者スターリン(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『よみがえる“ワルシャワ蜂起”(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『色づくQ』
竹林軒出張所『地獄門 デジタル・リマスター版(映画)』

# by chikurinken | 2019-05-14 07:26 | ドキュメンタリー

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(映画)

お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました
(2015年・シマフィルム)
監督:遠藤ミチロウ
撮影:高木風太
出演:遠藤ミチロウ、竹原ピストル(ドキュメンタリー)

ツアー・ミュージシャンの生き様の記録

b0189364_19050892.jpg 2011年遠藤ミチロウが全国で展開したライブ活動を追いかけるドキュメンタリー。
 遠藤ミチロウと言えば、ザ・スターリンというパンク・バンドのボーカルをやっていたロッカーである。このザ・スターリン、動物の贓物をまき散らしたりという、かなり過激で暴力的なライブ・パフォーマンスで有名で(僕はザ・スターリンのことを学生の頃知った)、しかも遠藤自身、おどろおどろしいメイクを付けていることから、彼もちょっとアブないタイプの人かと長年思っていたんだが、この映画に出てくる素の遠藤ミチロウは、穏やかかつ知的な人物(当時60歳)で、この映画での一番の驚きはその点だったのだった。
 それはともかく、映画は純粋にライブの模様と、ライブを行う地でライブの主催者などと対話する模様を追った密着ドキュメンタリーで、面白いかと言われれば、遠藤ミチロウ・ファン以外にとってはあまり面白さを感じるものではない。事件といえば、この撮影の途中に東日本大震災が起こったことで、しかも遠藤の出身地が福島県二本松で、原発に割合近かったことぐらいである。これを受けてか遠藤自身が反原発の歌をライブで歌っている様子が流されるし、放射能汚染されている実家に戻るシーンなどもあるが、それでもこういった事象は、この映画では背景に過ぎない。あくまでもライブと旅回りの様子がメインで(たぶん)、遠藤ミチロウというツアー・ミュージシャンの生活や生き様を紹介するドキュメンタリーなんである。そのためもあって、遠藤ミチロウに対しては非常に親近感が湧く。まあ、そういった類の作品である。
 なおタイトルは、遠藤ミチロウの歌のタイトルから取ったものである。遠藤ミチロウは子どもがいないため、家族という概念の中ではいつまでも子どもの立場だと語っていたのが印象的だった。この歌自体もその辺の背景と関係があるのかも知れない。
 この遠藤ミチロウだが、先頃亡くなってしまった(2019年4月25日没)。だがこういった映像を介して本人に接すると、実際に生きているかどうかはあまり関係ないという感覚になる(そもそも直接的な面識があるわけではないし)。こういうドキュメンタリーという形で、素の遠藤ミチロウが映像によって後世にいつまでも残されることになったのは、結果的に不幸中の幸いだったのかも知れないなどと考えるのだ。
★★★

参考:
竹林軒出張所『ツール・ド・奥の細道(ドキュメンタリー)』

 以下、以前のブログで紹介した、ミュージシャン、忌野清志郎のツアーを追った映画の評の再録。この作品とよく似た地味な内容で、案の定あまり書くべきことが見つからなかったようだ。

b0189364_19051392.jpg
--------------------------

(2006年9月4日の記事より)
不確かなメロディー
(2001年・アースライズ)
監督:杉山太郎
ナレーション:三浦友和
出演:忌野清志郎、藤井裕、武田真治、上原裕、ジョニー・フィンガーズ

忌野清志郎率いるラフィータフィーのツアーを追ったドキュメント。
清志郎やロックのツアーに関心のある人向き。
★★★

# by chikurinken | 2019-05-12 07:04 | 映画

『華氏119』(映画)

華氏119(2018年・米)
監督:マイケル・ムーア
脚本:マイケル・ムーア
出演:マイケル・ムーア(ドキュメンタリー)

アメリカの行く末についてきわめて悲観的
全編に渡って暗さが漂う


b0189364_19021127.jpg 『ボウリング・フォー・コロンバイン』、『華氏911』のマイケル・ムーアが、トランプをぶった切る。
 扱われているのはトランプ政権だが、通奏低音のように流れて主張されるテーマはアメリカ民主主義の危機で、現在の、多数派の意見がないがしろにされている状況を告発する。
 マイケル・ムーアと言えば、リベラル派の代表みたいな存在で、一部では「左翼」などと言う人間もいるようだが、マイケル・ムーアによるとアメリカの多数派はリベラルであるという。この作品でもいくつかの統計が紹介されているが、それによると、多数派は銃規制に賛成で、同性結婚を認めることに賛成で、国民皆保険に賛成だそうだ。ところが、本来あるべき民主主義制度が機能しなくなっており、そのせいで多数派の意見が政治に反映しなくなっているのだとする。
 実際、先の大統領選挙についても得票数は民主党のヒラリー・クリントンの方が多かったにもかかわらず、誰もが予想しなかったトランプの勝利という結果に終わった。原因の一つは選挙人選挙という古い制度が残存しているせいで、もう一つは民主党内の大統領候補予備選挙で、支持率の高かったバーニー・サンダースが巧妙に消し去られたという事実のせいであるという。返す刀で、民主党内の腐敗についても切り捨てられる。同時に、アメリカ人の間に蔓延する無力感のために投票率が低くなっているという事実に触れ、大統領選挙でも両候補の得票数より無投票の票がはるかに上回っているという現実が示される。
 こういったことが複合的に作用しているのが今のアメリカの現状で、アメリカの伝統とされている民主主義が今まさに危機を迎えており、そこに現れたのがドナルド・トランプだというのがこのドキュメンタリーの主張である。またドナルド・トランプの出現をヒトラーの出現になぞらえた表現もあり、ムーア自身がかなりの危機感を抱いていることが憶測される。そのためか、このドキュメンタリー全体を流れる空気が非常に暗く、これまでのムーア作品みたいな乾いた笑いはほとんどない。
 ミシガン州フリントの水道汚染の実態も告発されており、ミシガン州知事の利益追求のために多くの市民の生命が犠牲になっている状況も紹介されている(『ガスランド』の状況を彷彿させる惨事である)。こういう不正が蔓延している状況を目にすると絶望的な気分になるが、一方でティーンエイジャーたちが銃規制の声を上げて大きな流れを作っている様子や、草の根の政治活動も紹介され、まだ可能性が残されていることも示唆される。アメリカの民主主義が戻ってくる日が果たしてやって来るのかわからないが、民主主義は守るための相応の努力を払わなければ、いつでも消えてしまうものであるという主張が大きな説得力を持つ。この作品に登場するある学者によると、アメリカの本当の民主主義が始まったのは1970年代に過ぎないという。この流れを途絶えさせずに継続できるのか、今市民の力が試されているというところに落ち着く。
 アメリカの状況は悲惨であるが、日本でもかなり似たような状況が進んでいるのも事実で、決して対岸の火事で終わらせず、この映画を自ら考えるための素材として活用したいというようなことを考えたのだった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『シッコ(映画)』
竹林軒出張所『“強欲時代”のスーパースター(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドナルド・トランプのおかしな世界(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『“黒幕”バノンの戦い(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ガスランド(ドキュメンタリー)』

 以下、以前のブログで紹介したマイケル・ムーア作品の評の再録。
--------------------------

(2004年6月20日の記事より)
アホでマヌケなアメリカ白人
マイケル・ムーア著、松田和也訳 柏書房

日本政府が目指しているアメリカってこんな国なんです

b0189364_19021103.jpg アメリカが理想の国だとか自由の国だとか、そんな幻想を持っているほどウブじゃないつもりだが、ここに書かれている内容は想像を遙かに超えるものだった。
 これじゃあ南米やアフリカの軍事国家と同じだ。選挙は不正だらけ、冤罪で死刑にされる人々(「最近の研究によれば、23年間(1973-95)の4578件の(死刑の)事例を調査したところ、死刑判決の7割近くに重大な誤りが見出され、再審理が行われている。また、上訴によって死刑判決が覆る率は3分の2。全体的な誤審の率は68パーセントに及んでいた。」)、大企業に支配される学校、虐げられる被差別民(黒人のこと、いまだに黒人差別はなくなってないらしい。「平均的な黒人の年収は、平均的な白人よりも61パーセントも低いのだ。この差は、1880年当時の格差と全く同じなのである!」)……。すべてが一部の金持ちを潤わせるために成り立っているというわけだ。
 つまりは、金持ちの金持ちによる金持ちのための国、それがアメリカ。
 この本のおかげで、今まで少しずつ見聞きしてきたアメリカの実態が、体系的にまとめられた。アメリカに幻想を持っているすべての人、必読!
 ついでだが、翻訳も秀逸だ。装丁とタイトルはいただけないが。
★★★★
--------------------------

(2004年9月17日の記事より)
b0189364_19021198.jpg華氏911 (2004年・米)
監督:マイケル・ムーア
出演:マイケル・ムーア
出演:マイケル・ムーア(ドキュメンタリー)

 上記の本、『アホでマヌケなアメリカ白人』の映画化と考えてよかろう。内容はほぼ一緒。同書が主張するところの証拠映像を示しているため、そういう意味で興味深い。
 「この作品はドキュメンタリーじゃない」とかいう議論があるが、そもそもドキュメンタリーなんてのは必ず作り手側の考え方が反映されているもので、多少主張が「偏って」いようが、だから「ドキュメンタリーじゃない」などと言うのは「アホでマヌケ」に聞こえる。
 見せ方が相変わらずうまく、まったく飽きない。
★★★☆
--------------------------

(2004年6月24日の記事より)
ボウリング・フォー・コロンバイン(02年・米、加)
監督:マイケル・ムーア
出演:マイケル・ムーア、チャールトン・ヘストン、マリリン・マンソン(ドキュメンタリー)

b0189364_19020248.jpg アメリカ、コロラド州コロンバイン高校の銃乱射事件を取り上げ、銃規制について問題提起する映画。
 中でも興味深かったのは、米国での銃による死者数が1万人を超え、隣のカナダで数百人という事実(ちなみにカナダでも銃規制はされていない)だ。その理由は、だんだんと明らかになるのだが、つまるところ、米国ではマスコミや政治家により常に恐怖心があおられていることと、カナダでは福祉が進んでいるというところに落ち着く。つまり、米国の銃社会は、何者か(おそらくは武器関連企業)に意図的に作り出されているということだ。
 マイケル・ムーア監督の切り口も非常に鋭く、皮肉が効いた演出も良い。120分間、まったく飽きることがない。
 ムーアの著書、『アホでマヌケなアメリカ白人』をあわせて読むとさらに愉しめる。
★★★★
--------------------------

(2004年6月25日の記事より)
ザ・ビッグ・ワン(97年、米英)
監督:マイケル・ムーア
出演:マイケル・ムーア、フィル・ナイト(ドキュメンタリー)

b0189364_19021078.jpg 米国社会を浮き彫りにするマイケル・ムーアの長編ドキュメンタリー第2作。
 DownSizing(リストラ)という名目で無情に切り捨てられる弱者たち。一部の人間だけが肥えふくれる病的なアメリカの不平等社会を描く。
 アメリカ人が、こちらの予想と違って、ちゃんと社会生活しているのが意外。フレンドリーだし、秩序をよく守っている。もっと緊張感のある社会(ちょっと油断していると銃で襲われるかのような)だと誤解していたが、画面からはまったくそんなことは感じられない(一部アブない奴は出てくるが)。恐怖を煽る多くの映像によって、こちらも大きな偏見を持っていたことを痛感させられる(これがこの映画の1つのテーマでもあるんだが)。
 マイケル・ムーアのバイタリティには感心させられっぱなしだ。
★★★★
--------------------------

(2004年6月21日の記事より)
ロジャー&ミー(89年、米国)
監督:マイケル・ムーア
出演:マイケル・ムーア、ロジャー・スミス(ドキュメンタリー)

 ミシガン州フリント。GMの工場閉鎖で失業者が多数発生し、町が壊滅していく様子を追ったドキュメンタリー。
 GMの会長、ロジャー・スミスを追跡する。
★★★

# by chikurinken | 2019-05-10 07:01 | 映画

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル』(映画)

毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。
(2018年・NY GALS FILMS)
監督:関口祐加
撮影:関口祐加
出演:関口宏子、関口祐加(ドキュメンタリー)

前々作と状況がほとんど違わない

b0189364_20184544.jpg 『毎日がアルツハイマー』の第3弾。
 監督で当事者の関口祐加が大きな手術のために入院したり、アルツハイマーの母が施設で外泊したりというのが新しく加わったエピソードであるが、基本線は第1作と変わりない。したがって映像としての目新しさはほとんどない。
 今回は、まもなく母が迎えるであろう死について考えるというのがテーマになっていて、自死幇助が世界で唯一認められているスイスの医師に取材したり、英国の末期医療の医師に取材したりしているのが新しいポイントである。ただしそれについてもNHKスペシャルみたいなレベルであり、あらためて映像化し、それを公開するということに必然性が感じられない。それは前々作から状況があまり変わっていないためである。前作を見ていればこの作品をわざわざ見る必要はないと感じてしまうのだ。もちろん当事者にとっては重要なことなんだろうが、ドキュメンタリーとしての完成度は低いと言わざるを得ない。
 また前作にも共通するが、関口祐加(監督)のナレーションに変な抑揚があって大変気になる。NHKみたいにプロのナレーターに任せた方が良いんじゃないかと感じる。
★★★

参考:
竹林軒出張所『毎日がアルツハイマー(映画)』
竹林軒出張所『徘徊 ママリン87歳の夏(映画)』

# by chikurinken | 2019-05-08 07:18 | 映画

『徘徊 ママリン87歳の夏』(映画)

徘徊 ママリン87歳の夏(2015年・風楽創作事務所)
監督:田中幸夫
撮影:田中幸夫
出演:酒井アサヨ、酒井章子(ドキュメンタリー)

徘徊の現実とその対処法

b0189364_17245002.jpg 認知症の母親(87歳)とその世話をする娘(55歳)のドキュメンタリー。
 この母親、のべつ徘徊する(なんと4年間で家出回数1338回! 徘徊距離1844kmだそうだ)上、認知症の人にありがちだが、突然怒り出したり夜中に荒れたりすることもあって(それも映像に出てくるが)、まったく手が付けられない状態になる。こういう親の介護が必要になれば、ほとんどの人々が絶望するんであろうが、この娘、アッコさんは、それをそのまま受け入れることで、今は以前ほどの苦しみを感じなくなったという。また、近所の人々の善意にもそのまま甘えているようで(いろいろな人が助けてくれるらしい)、介護のコツはこのあたりにあるんだろうかなどと考える。
 それにしてもこのドキュメンタリー映画、認知症老人の徘徊の現実がきわめてよく映し出されており、現代の大きな社会問題をミクロ的な視点で描ききっている点は立派である。ともすれば辛く絶望的な映像になりそうな素材ではあるが、このアッコさんみたいに現状をポジティブに捉えられている人が出てくると、見ている側にとっても救いになる。アッコさんと母親(ママリン)の、笑いを誘う大阪風の会話も良い味を醸し出している。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『毎日がアルツハイマー(映画)』
竹林軒出張所『いま助けてほしい(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『老人漂流社会(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『恍惚の人(映画)』

# by chikurinken | 2019-05-06 07:24 | 映画