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竹林軒出張所

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『ビギナーズ・クラシックス 春秋左氏伝』(本)

ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 春秋左氏伝
安本博著
角川ソフィア文庫

背景や人物関係を整理しなければ
内容について楽しむことができない


『ビギナーズ・クラシックス 春秋左氏伝』(本)_b0189364_19232873.jpg 『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』シリーズの一冊。取り上げられているのは『春秋左氏伝』で、この書自体、普通の現代日本人にとってはあまり馴染みがないが、明治時代までは教養書として一般によく知られていたらしい。福澤諭吉や夏目漱石が『左氏伝』に傾倒していたという話が本書でも紹介されている。
 そもそもこの『春秋左氏伝』、どういう書物かというと、孔子が編纂したとされる魯の国(およびその周辺の国々)の歴史書『春秋』(春秋時代という呼び名の由来になっている)が基になっているもので、それに、孔子の弟子である左丘明(左氏)が注釈を加えた書物だということである。このあたりは冒頭の「解説」で説明があるが、何だかわかったようなわからないような記述で、そもそも『春秋』自体と左氏の注釈の部分がどのように絡んでいるのかよく見えてこない。本文を読むと、最初に『春秋』のごくシンプルな記述が出てきて、その後にこれを膨らませて物語風にした部分が出てきているため、おそらくこの後の部分が注釈に当たるのだという推測は成り立つ。ただ最初から最後まですべてに渡ってこういう形式になっているのかはよくわからない。
 本書では、他の『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』と同様、それぞれの項ごとに白文、書き下し文、訳文、解説文が並べられている。他のシリーズはそれほどのわかりにくさは感じなかったが、この本については登場人物がとにかくやたら唐突に出てきて(数も多い)、しかもその関係性の説明がほとんどないため、わけがわからない箇所が非常に多い。解説文の項で内容について書かれているが、こちらについてもあまり伝わってくるものがない。そのため『左氏伝』および春秋時代の歴史について予備知識があれば別だが、普通の読者はかなり困惑するのではないかと思う。
 そもそも、まったく知らない人々がどういういきさつで覇権を競ったかなどということに関心は沸きにくい。この時代のことをよく知っていれば別だが、そういう人はいまさら『ビギナーズ・クラシックス』は読まないのではないかと感じる。ということはこの本自体の存在意義というものがきわめて見えにくくなる。僕自身最後までがんばって読んでみたが、読み進めるのが非常に苦痛であった。せめてもう少しかみ砕く、各項ごとに人物関係を整理する、背景について紹介しておくなどの配慮が欲しかったところである。孔子およびその弟子が書いた書であるため、当然、内容は倫理的で、道理の通った正しいことをすべきという思想で貫かれている(ようだ)が、正直言って、その程度しか頭に残らなかった。得るところが少なかった本である。
★★

参考:
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 韓非子(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 老子・莊子(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 墨子(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 史記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 十八史略(本)』

# by chikurinken | 2019-05-24 07:23 |

『私が源氏物語を書いたわけ』(本)

私が源氏物語を書いたわけ
山本淳子著
角川学芸出版

平安時代の貴族の女性の生き方を再現

『私が源氏物語を書いたわけ』(本)_b0189364_19163683.jpg 紫式部の一人称・独り語り形式で、『源氏物語』の成立の意義や意味に迫る本。著者は、『平安人の心で「源氏物語」を読む』の山本淳子(平安文学の研究者)。
 原典になっているのは『紫式部日記』と『紫式部集』、それからもちろん『源氏物語』で、随所にそれぞれの作品からの引用が出てくる。引用にはすべて現代語訳が付けられているため、読む上で困ることはない(『紫式部日記』は原文で読むには少々難しい)。
 本書によると、紫式部が『源氏物語』を書くきっかけになったのは、家族や友人と死に別れた悲しみを、それまで女子どもの慰みものとして提供されていた「物語」という形式で晴らすことだったということで、元々は「帚木」をはじめとする三帖で構成された短編だったらしい(『紫式部日記』の記述より)。この原『源氏物語』には、紫式部の時代の今上天皇(一条天皇)の中宮(皇后)である定子の不遇な後半生が反映されているということも、本書で触れられている。
 その後、『源氏物語』が宮中で評判となったせいで、作者の紫式部は、もう一人の中宮、彰子の元に女房(侍女)として出仕するよう乞われる。要請してきたのは、政治的野心に燃える藤原道長(彰子の父)で、彰子の周辺に知的な環境を作って、定子を失って失意の今上天皇の気持ちを彰子の方に向けようという魂胆がそこにはあった。紫式部の方は、女房を使う身であった自分が女房として出仕することに抵抗を感じはしたが、たっての願いで、半ばイヤイヤながら出仕を始める。しかし宮廷女房を取り巻く雰囲気がいやになってすぐに自宅にひきこもり、次に出仕するのは半年後。ただそれ以降は、バカを装うことで、他の女房たちとも割合うまくやっていけるようになった。
 ただ女房の世界にも面倒なことは多く、本書では、そのあたりのことも一人称で書かれている。中にはいじめや嫌がらせもあって、時代や環境を超えても人のやることは変わらないと実感させられる。同時に中宮彰子の方も、藤原道長の強引な手腕の影響を被ることになり、決して幸福とばかり言えない境遇になる。このあたりは中宮定子とも共通する部分で、宮中政治の暗部が顔を見せる。
 こういった記述のほとんどは『紫式部日記』と『紫式部集』に基づいているようだが、著者の主観みたいなものもかなり入っているのではないかと思われ、どこまでが事実でどこまでが憶測かは判然としない。また、小説風の独り語り形式も、もちろんこういう形式を取ったこともわからないではないが、しかし読んでいて少々気恥ずかしい。あまりに現代的にするのもどうかという気もする。ただ、今も昔も変わらないという観点から見ると、現代的な表現も実は効果を発揮しているのかも知れず、そのあたりは判断が難しいところではある。いずれにしても平安時代の貴族の女性の生き方が再現されているため、平安文学を読む上で大いに助けになることは間違いない。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『平安人の心で「源氏物語」を読む(本)』
竹林軒出張所『源氏物語の時代(本)』
竹林軒出張所『愛する源氏物語(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 御堂関白記(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 権記(本)』
竹林軒出張所『げんじものがたり(本)』
竹林軒出張所『源氏物語 (上)(中)(下)(本)』
竹林軒出張所『あさきゆめみし完全版 (1)〜(10)(本)』
竹林軒出張所『源氏物語 浮舟(映画)』
竹林軒出張所『新源氏物語(映画)』
竹林軒出張所『古典文法質問箱(本)』

# by chikurinken | 2019-05-22 07:16 |

『虫めづる姫君 堤中納言物語』(本)

虫めづる姫君 堤中納言物語
蜂飼耳著
光文社古典新訳文庫

『堤中納言』に触れるにはもってこい
ただ少々サービス過剰……


『虫めづる姫君 堤中納言物語』(本)_b0189364_19204921.jpg 鎌倉時代あたりに書かれたという『堤中納言物語』を現代語訳した本。訳したのは蜂飼耳って人。小説やエッセイなどを書いている人らしい。
 日本の古典だからといって必ずしも原文で読む必要はなく、こなれた現代語で読むのもまたよし。高校の教育のせいか、古文は原文で読まなければならぬという思い込みが強いのは日本人の悪い癖である。むろん原文で読めたらそっちの方がそりゃ良いわけだが、原文で読むのは一般的には難しい。無理して読むにはちょっと……ということで結局古典作品をまったく読まないことになる。むしろ外国人であれば(ネイティブ言語の)現代語で接することもできるわけで、外国人で日本の古典が好きという人が、日本人より(日本語に触れる人という割合から考えると)多いということすら起こっている。これは、日本人にとってははなはだもったいないことである。
 そこで選択肢として出てくるのが、こういった現代日本語訳版である。『いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ』(竹林軒出張所『石田梅岩「都鄙問答」(本)』など参照)も同じ発想だが、内容を楽しむという目的であればこれで十分。この『堤中納言物語』は、10本の短編で構成されている短編集で、その中でも「虫めづる姫君」が有名な作品である。これは、世の中では蝶よ花よと蝶を愛でたりするが、物事の本質を知りたいのであれば、蝶の姿を見るだけでなく蝶に変わる毛虫こそ大事だなどと主張する(正論を吐く)姫君の話で、この話に限ってはなかなか凝った設定で面白い。
 ただし他の短編については、大したオチもなく、情景描写に終始するような話ばかりで、現代的な感覚の短編小説とはちょっと違う。そのため、そういうものを期待するとガッカリするかも知れない。「虫めづる姫君」についても、話はなかなか面白い過程を辿って推移するが、結末がないと来ている(「続きは第二巻」などと書いているが第二巻は存在しない)。中世の物語らしく和歌も多数出てきて、『伊勢物語』や『大和物語』などの歌物語みたいに思える話もある。実際『伊勢物語』と『大和物語』に出てくる話とよく似た「ザ・定番」というような話もある(ある男が妻と関係を切ろうとするが、その妻がふと詠んだ和歌に感動して、そのまま居着くという話)。そのあたりがこの『堤中納言物語』の限界なのかと思う。
 訳はまずまずこなれていて非常に詠みやすい。この文庫本シリーズのキャッチフレーズが「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」というものであることを考えると、目的には十分適っている。また、一般的にあまり知られていない事物については詳細な注や写真、図版で解説されており、和歌についても、その都度ちゃんと解説されている。それぞれの話は、訳者が現代的なタイトルを付けており、またそれぞれの話に続けて解説風の文章も付いている。もっともこの解説風の文章(「〜を読むために」というタイトルが付いている〈〜にはその前の話のタイトルが入る〉)は、ほとんどがストーリーの要約で、なくても(あるいはもっと短くても)良いと思う。最後の最後には訳者による「解説」も付いていることだし、本音を言うと何のためにこの項が存在するのかわからないという気さえする。巻末には「堤中納言物語関係年譜」などという年表まであるが、これもほとんど何の役にも立たないと思う。もちろん本自体は、非常に丁寧に作られているという印象で好感が持てるが、少々サービス過剰かな(あるいはページ稼ぎか)という感は否めない。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『とはずがたり(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス とりかへばや物語(本)』
竹林軒出張所『歎異抄 (現代語訳版)(本)』
竹林軒出張所『風姿花伝 (現代語訳版)(本)』
竹林軒出張所『石田梅岩「都鄙問答」(本)』
竹林軒出張所『現代語訳 南総里見八犬伝 (上)(本)』
竹林軒出張所『とりかえ・ばや (1)〜(13)』

# by chikurinken | 2019-05-20 07:20 |

『罠師 片桐邦雄・ジビエの極意』(ドキュメンタリー)

罠師 〜片桐邦雄・ジビエの極意〜
(2018年・静岡放送)
監督:柏木秀晃
撮影:三島乾児
ナレーション:鉄崎幹人

生き物を食らうということに思いを馳せる

『罠師 片桐邦雄・ジビエの極意』(ドキュメンタリー)_b0189364_17435465.jpg 「ジビエの極意」というタイトルのせいで(グルメのドキュメンタリーかと思っていたため)あまり食指が動かなかったが、「日本民間放送連盟賞グランプリ受賞」という謳い文句に惹かれて見てみたところ、非常に濃密なドキュメンタリーで、結果的に嬉しい驚きになった。ちょっとお目にかかれない映像も満載で、「グランプリ受賞」にふさわしい傑作だと感じる。
 静岡県浜松市在住の片桐邦雄という人は、ジビエ料理の割烹を経営する料理人だが、実はここで供される野生動物の肉はこの人自身が獲ってきた獲物のものである。しかも銃ではなく罠を使って動物(猪や鹿)を生け捕りし、丁寧に捌いて、あらゆる部位を活用し、それを料理にして提供するという徹底ぶりである。この片桐氏、獲物は自然からの贈り物であってその命に対しても敬意を表す……というスタンスであり、さながら狩猟採集先住民族の哲学のようである。生け捕りにするのは、処理するまでに時間をかけないようにするという目的のためで、こうすることでジビエ料理につきものの血なまぐささをなくすことができるらしい。
 実際の狩の様子も撮影されており、これがまた緊迫感に溢れたすばらしい映像である。罠はすべて自作で、動物が足を踏み入れるとその足を拘束するという仕掛けである。獲物がかかると発振器でそれが知らされることになる。その後、その動物の元に駆けつけ、まず鼻、それから足を拘束してから、動物に目隠しを施した上でそのまま(無傷で)車に積み込むという算段になっている。だがこういった一連の作業はすべて一人で行われるのである。つまり1対1で獲物に対峙するため、獲物を獲る方もかなりの危険が伴うわけである。映像には、片桐氏の息づかいや動物のうなり声が収められており、生き物対生き物のせめぎ合いをそこに見てとることができる。こういう映像を見せつけられると、最大限の労力を費やして獲物を捉えた片桐氏が、その獲物に対して敬意を払うようになるというのもよく理解できるというものだ。食肉の状態で売られているものを見てもそこに生命を感じることはあまりないが、直接こうして生命と格闘すれば、それを食うとしても、少し前まで食う側と同じ生命を持っていた生き物であることが意識される。生命というのはそれくらい重いものであるはずで、これこそがこのドキュメンタリーのテーマであると思う。それが、現代の、生命をないがしろにしたかのような食に対する、意義深い問いかけになっているのである。
 この片桐氏、他にも川魚漁をやったり、ニホンミツバチの養蜂までやっているらしい。このあたりも大変興味深いところで、この辺も紹介してほしかったが、本作がグランプリを受賞したことでもあるし、もしかしたらこの辺にスポットを当てた続編が作られる可能性もある。瞑目して待とう。
平成30年日本民間放送連盟賞グランプリ受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『山と獣と肉と皮(本)』
竹林軒出張所『牛を屠る(本)』
竹林軒出張所『Love MEATender(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『イヌイットの怒り(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『いのちの食べかた(映画)』
竹林軒出張所『フード・インク(映画)』
竹林軒出張所『ありあまるごちそう(映画)』
竹林軒出張所『タイマグラばあちゃん(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『食について思いを馳せる本』

# by chikurinken | 2019-05-18 07:43 | ドキュメンタリー

『"脱プラスチック"への挑戦』(ドキュメンタリー)

"脱プラスチック"への挑戦
〜持続可能な地球をめざして〜

(2019年・NHK)
NHK-BS1 BS1スペシャル

「脱プラスチック」は喫緊の課題のようだ

『\"脱プラスチック\"への挑戦』(ドキュメンタリー)_b0189364_20161523.jpg 先進国で進展している「脱プラスチック」へのアプローチを紹介する100分のドキュメンタリー。
 マイクロプラスチックの海洋汚染については、過去、別のフランス製のドキュメンタリー(竹林軒出張所『海に消えたプラスチック(ドキュメンタリー)』を参照)でも取り上げられていたが、このドキュメンタリーは、あれの日本版という趣である。
 前後編の2部構成になっており、前半は、17歳の少年が始めたオランダのNPO、オーシャンクリーンアップの海洋プラスチック回収の試み、後半は、海外の行政組織によるプラスチック容器禁止の流れを紹介する。言い換えると、前半が既存のプラスチック・ゴミの除去、後半がゴミ・プラスチックの発生の遮断がテーマということになる。
 現代社会でプラスチック製品が溢れているのは、今さら言うまでもない事実である。流行りのカフェに行っても飲料がプラスチック容器で出されるし、店に行っても何でもかんでもプラスチック袋に入れられてしまう。こういったプラスチック製品のかなりのものが、一度しか使用されない、廃棄されるのが目的であるかのような製品と言える。このような容器や袋は、言ってみればゴミを生産していると言っても過言ではなく、それを考えればプラスチック・ゴミが増えるのは当然である。日本ではこういったプラスチックの多く(80%以上)がリサイクルされていると喧伝されているが、実態は、その多くが焼却処分されている。これを日本では「エネルギー・リサイクル」などと呼んでリサイクル対象として扱われているらしいが、世界の(というより一般的な)常識ではこれは「リサイクル」ではない。「リサイクルされる」という文句が、消費者にとって免罪符のような働きをし、プラスチックを使うことに抵抗がなくなるため、こういう呼び替えはある意味犯罪的と言える。このように日本では、真の意味でプラスチックのリサイクルは進んでいない。そもそもプラスチックのリサイクル自体、手間も費用もかかるため、あまり現実的ではないのである。そのため一番良いのは端から使わないということになる。我々が子どもの時分は、これほどプラスチックが周りに溢れていなかった(ペットボトルだって存在していなかった)わけで、それを考えると、使い捨てプラスチックを無くしたところで、それほど不便になるわけではないのである。それでも、今の過剰に「便利」なシステムを捨てるのは、文明に逆行しているように思われるのか知らんが、消費者にとって抵抗が大きく、実現はなかなか難しいようである。
 京都の亀岡市が最近、レジ袋を禁止する条例を制定したが、この話を聞いたとき、僕自身、素晴らしいことだとは思いつつ、ちょっと拙速ではないかと感じてしまった。しかし世界のスタンダードはもっと先に進んでいるのだということが、このドキュメンタリーからわかる。フランスやニューヨーク市では、すでに同様の使い捨てプラスチック禁止を打ち出していて、施行に向けて動いているらしいのである(近日施行予定)。このことを考えあわせると、亀岡のケースでさえまだ保守的に感じられるほどである。当然、保守主義の代表みたいな日本政府がこういった取り組みをすぐに行うことはおそらくないだろうが、民間レベルで言うと、ある日本の企業がプラスチックを完全にリサイクルする技術をすでに開発しているという。そしてその企業が海外の企業や自治体から注目を集めている様子もこのドキュメンタリーで紹介される。さらに言えば、このようなプラスチック禁止の動きは、経済的にも新しいビジネス・チャンスに繋がるのだという話もあわせて紹介されている。
 プラスチック・ゴミが「第二の温暖化」とされるほど重大な問題であることは徐々に明らかになっており、この作品は、そのことを認識させるドキュメンタリーで、プラスチック・ゴミの現在の立ち位置をよく伝える番組である。ただし前半のオーシャンクリーンアップの取り組みについては、確かに若者がムーブメントを起こしたという点で素晴らしいことではあるが、彼らの取り組みが海洋のプラスチック汚染に実際にどの程度対応できるかは未知数(というより実際には大海の一滴みたいなレベル)で、それを考えると「象徴」としての意味合いしかないんじゃないかと思う(もちろんそれは大切ではあるが)。そういう点でオーシャンクリーンアップの取り上げ方が少々大げさすぎるような気がして、前半と後半にアンバランスさを感じた。この作品の製作者に対して、現実を見よと言いたくなってくる。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『海に消えたプラスチック(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『廃棄家電の悲しき行く末(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『グレタ ひとりぼっちの挑戦(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2019-05-16 07:15 | ドキュメンタリー