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竹林軒出張所

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『ボクの学校は山と川』(本)

ボクの学校は山と川
矢口高雄著
白水社

不便な生活も楽しみに変えて生きる

『ボクの学校は山と川』(本)_b0189364_20361213.jpg 『釣りキチ三平』でお馴染みの矢口高雄が、自身の小学生時代・中学生時代の思い出を描いたエッセイ。
 著者は、秋田県平賀郡増田町狙半内(さるはんない)という、山奥の戸数70戸の小さな村で育ったため、遊びはすべて自然の中という環境であった。しかも6歳のときに終戦を迎えたため、小中時代は手探りの戦後民主主義の時代とピッタリ付合する。そのためか、著者が受けた教育は、戦前の画一的な暗い教育ではない。一種の混沌に近い環境とも言えるが、それがために著者は野生児のようにのびのびと育つことになる。このエッセイを読むと、自然の生活を縦横に楽しんでいる様子が窺われるため、羨望に近い感情すら起こってくる。まさに「学校は山と川」というような状況なのである。ただ羨望を感じると言っても、実際のところは、半年間は雪に閉ざされる環境で、学校に行くにも8kmの道のりを雪の中を漕ぎながら進むという有り様で、朝6時に家を出ても学校に間に合わないというような厳しい生活環境である。また、家の農作業の手伝いも始終やらされるし、食い物も少ないしで、今の環境、あるいは僕が子どもの頃の環境の方がはるかに恵まれているのは明らか。こういった厳しい環境であっても、彼らはいろいろなことを楽しむ術を知っていたというのが、本当のところではないかと思う。その中でも矢口少年は趣味が多彩だったことから、忙しい子ども時代を送っていた。手塚治虫の影響でマンガに没頭し、同時に魚釣りや昆虫採集にも忙しく、さらに言えば野生の動物を獲ったりもする。水木しげるも子ども時代趣味で忙しかったらしいが、こういった好奇心が彼らの創作の源なのではないかと考えたりする。
『ボクの学校は山と川』(本)_b0189364_16352331.jpg 本書は、矢口少年の趣味にスポットを当てて、マンガ(小学校編、中学校編)、釣り、昆虫、その他の遊び、思い出のクラスメートという6つの章立てになっており、短編のエッセイが合計48本収録されている。中でも中学校の先生の思い出を描いたエッセイ(「あの雪の夜」)と破天荒なクラスメートを描いたエッセイ(「竹馬の友」、「友情」)が出色。
 文章もマンガと同様丁寧で、しかもまとまりがあって読みやすい。構成もきちんとしている。ある意味、模範となる文章と言ってよく、実際、この中から学校の教科書に採用されたものもあるようだ。しかも本書には著者のオリジナルのカットまで付いており、申し分がない。非常に質の高いエッセイ集である。
★★★☆

追記:
 なお、この本には文庫版もあるが、文庫版には、弟を亡くしたときのエピソード(「弟の死」、本書に収録)をマンガ化した作品、「百日咳」(オリジナルは『オーイ!! やまびこ5』で、140ページ近くある大作)も収録されている。また、いろいろな矢口作品からピックアップしたマンガが新たにカットとして加えられている。買うんなら文庫版が絶対お得(どちらも現在品切れ中〈もしかしたら絶版?〉だが)。

参考:
竹林軒出張所『ボクの先生は山と川(本)』
竹林軒出張所『オーイ!! やまびこ (1)〜(5)(本)』
竹林軒出張所『蛍雪時代 – ボクの中学生日記 (1)(本)』
竹林軒出張所『蛍雪時代 – ボクの中学生日記 (2)〜(5)(本)』
竹林軒出張所『9で割れ!! (1)〜(4)(本)』
竹林軒出張所『ボクの手塚治虫(本)』
竹林軒出張所『ふるさと (1)、(2)、(3)(本)』
竹林軒出張所『奥の細道 マンガ日本の古典25(本)』
竹林軒出張所『のんのんばあとオレ(本)』

# by chikurinken | 2019-09-05 07:49 |

『私のイラストレーション史』(本)

私のイラストレーション史
南伸坊著
亜紀書房

私的であるが同時に公的な
現代日本イラストレーション史


『私のイラストレーション史』(本)_b0189364_20390149.jpg イラストレーターの南伸坊氏、最近は以前ほどマスコミに出ていないんで、あまり我々が目にすることもないが、イラストレーションより本の装丁が仕事の中心になっているようである。
 元々伸坊氏のイラストは、情報センター出版局から出た『私、プロレスの味方です』で最初に触れたか、あるいは同じく情報センターの『月刊ジャーナリスト』が最初だったかわからないが、いずれにしても僕が知ったのは情報センター経由だったと思う。僕は彼の絵が好きだったし、その後雑誌やテレビで赤瀬川原平らと面白いことをやっていたのも、端で見ながら面白い人たちだなと感じていた。見ているこちらも彼らと同じように楽しんでいたという記憶がある。
 当時僕にとっては、テレビによく出る(そして毎回面白いことをやっている)文化人というような印象だったため、高校、大学、就職などさまざまな試験に落ち続けた、言ってみれば落ちこぼれの人生だったと聞くとかなり意外な感を受ける。大学も落ちて行き場がなくなったため、無試験で入学できた「美学校」に辿り着き、そこで赤瀬川氏や木村恒久他、錚々たるイラストレーター、文化人らと知り合い、イラストレーターとしての指針が定まっていくというんだから人生わからないもので、まさに人間万事塞翁が馬である。その後も松田哲夫の紹介で筑摩書房の入社試験を受けるが(松田の裏工作がありながらも)こちらも落とされ、その直後に『ガロ』の長井勝一に誘われて『ガロ』の編集者になるのである。
 『ガロ』時代は、長井氏に自由にやらせてもらって、好きな紙面を作ることに没頭する。その際に指針になったのは、昔から憧れていた『話の特集』の和田誠の編集であったが、その面白主義がためか、結果的にさまざまなマンガ家やイラストレーター(渡辺和博、安西水丸、ひさうちみちお、湯村輝彦ら)を発掘することになった。他にも『ガロ』の常連である白土三平、水木しげる、つげ義春、川崎ゆきお、佐々木マキらともこの過程で懇意になった。
 このように、学生だった時代から『ガロ』時代に至るまで、イラストレーション(マンガを含む)の最先端に直に触れてきている著者が、改めて自身の視点から、同時代のイラストレーションを語るというのがこの本のコンセプトである。元々はウェブマガジン(「あき地」)での連載である。
 ただ、僕自身は南伸坊氏にはかなり思い入れがあるんだが、この本についてはそれほど思い入れを感じることはなかった。『ガロ』時代のマンガ家、イラストレーターについては僕も部分的に同時代で、それなりに知っているが、僕自身は南氏ほど彼らを評価していたわけではない(というよりほとんどは良さがわからない)ので、南氏がいくら彼らのすごさを表現してもあまり伝わってこない。また、それ以前の時代については、作家のことをよく知らなかったりで、こちらもあまり感情移入できない。こちらが高く買っている赤瀬川原平やひさうちみちおの話、あるいは南伸坊氏の個人的な話になると、僕自身は俄然面白さを感じるんだが、それ以外はもう一つという感じが残る。だがもちろんそれはこちらのわがままというものだろう。この本のコンセプトは、1960〜80年の(私的)イラストレーション史なので、そのあたりに文句を言う筋合いはないのである。南伸坊が赤瀬川原平や美学校のことを書いている本と聞いて(そしてこれは事実)この本に当たってみたわけだが、少々僕の期待が大きすぎたのかも知れないと反省している。
★★★

参考:
竹林軒出張所『仙人の壺(本)』
竹林軒出張所『李白の月(本)』
竹林軒出張所『「ガロ」編集長 私の戦後漫画出版史(本)』
竹林軒出張所『新解さんと岩波さん』
竹林軒出張所『つつんで、ひらいて(映画)』

# by chikurinken | 2019-09-04 07:26 |

『のんのんばあとオレ』(本)

のんのんばあとオレ
水木しげる著
ちくま文庫

桁外れの破天荒さに驚愕

『のんのんばあとオレ』(本)_b0189364_16390926.jpg 『のんのんばあとオレ』の大元はこれ。1977年に発表されたエッセイである。
 内容は、水木しげるの少年時代を描いたもので、ガキ大将として君臨するまでの小学生時代が中心である。のんのんばあの記述ももちろんあるが、マンガ版ドラマ版のように主役クラスの存在ではなく、この本では途中で死んでしまう。のんのんばあに対する水木少年の態度は、マンガ版・ドラマ版ともある程度一貫しているが、あちらほどの親密さはこのエッセイでは描かれない。一読者としては、むしろのんのんばあが生活に大変困窮していたという側面の方に目が行った。
 水木少年については、なにしろ破天荒な子どもである。幼少時は、言葉が出るのが遅かったりしたため知恵遅れ(知的障害児)と見なされ、学年も1年下に入れられたというほどである。遅刻の常習(朝飯を食い過ぎるため始業に間に合わない)で、算数がまったくできず、授業ではいつも廊下(など)に立たされている。算数の時間に先生が何か質問はないかと訊いた時に「なぜこんな面倒くさいことをやらなければならないのか」という(至極ごもっともな)質問をしてえらく怒られたというエピソードが非常に「らしい」と思う。別のガキ・グループとの戦闘に明け暮れる毎日で、家ではいろいろな変なものを集めてきては絵を描いたり小説を書いたりする。それでいて学校の成績は良くない(立たされてばかりだからしようがないが)。とにかく痛快なくらい、ユニークな存在なのである。
 兄と弟は大学まで進むが、水木少年は小学校高等科(就職組のためのクラス)を卒業してから大阪の印刷工房に勤めるという非エリートコースを進んでいく。だが、水木少年を愛してくれる人たちも周囲にいるんで魅力的な子どもだったのだろうと思う。いずれにしろ、水木少年は器が大きすぎて、学校という入れ物に入りきれなかったという印象である。何度も言うが「破天荒」なのである。そのあたりの描写がこのエッセイの魅力で、当時の子ども達の世界も丹念に描かれていて興味深い。文章も簡潔で読みやすい。ストーリーテラーとしての水木しげるを堪能できる一冊である。
 水木少年のその後も気になるところだが、そのあたりは『ほんまにオレはアホやろか』『ビビビの貧乏時代』で触れられている。都会に出て苦労するという点では『路傍の石』と共通するわけだが、水木作品には悲壮感があまりなく、全編淡々と描かれるため、あまり辛さは感じられない。逆に考えると、楽観的に前向きに生きることこそ大切さだということになるわけだ。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『のんのんばあとオレ (1)、(2) (マンガ版)(本)』
竹林軒出張所『のんのんばあとオレ (1)、(2)(ドラマ)』
竹林軒出張所『ほんまにオレはアホやろか(本)』
竹林軒出張所『ビビビの貧乏時代(本)』
竹林軒出張所『ねぼけ人生(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第1巻、第3巻、第4巻(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第2巻(本)』
竹林軒出張所『ボクの学校は山と川(本)』
竹林軒出張所『路傍の石(映画)』

# by chikurinken | 2019-09-03 07:38 |

『のんのんばあとオレ (1)、(2)』(マンガ版)(本)

のんのんばあとオレ (1)(2)
水木しげる著
講談社

日本の民俗学のもう一方の系譜

『のんのんばあとオレ (1)、(2)』(マンガ版)(本)_b0189364_18312952.jpg 水木しげるのエッセイ『のんのんばあとオレ』のマンガ版。先日見たドラマと内容が酷似している。
 『のんのんばあとオレ』は元々70年代に自伝エッセイとして発表された作品で、91年にNHKでドラマ化されている。このマンガ版はドラマ版の一年後(92年)に発表されていて内容もドラマとかなり似ている。ということは、あるいはこのマンガが、ドラマ版のスピンオフなのかも知れない。ドラマには水木しげるも一枚噛んでいるようだったので(冒頭に本人が登場してのんのんばあについて紹介する)、あるいは(ドラマの)プロットを水木しげるが考えたのでないかとも思われるが、詳細はわからない。ドラマ版の『続・のんのんばあとオレ』(92年放送)は、本書の第2巻のストーリーと共通であるため、やはり原案を水木が考えた、あるいはマンガ版が原作になったと考えるのが正しいような気がする。
 それはともかく、内容はドラマと共通であっても、ドラマで見られたようなまだるっこしさがなく、大変テンポよく進む。それにキャラクターが非常に魅力的なのも水木マンガらしい。特に主人公の父親が飄々とした存在であるにもかかわらず、なかなか鋭いセリフを吐く。大変魅力的なキャラクターである。出てくる妖怪もいろいろで、中には「小豆はかり」という気さくな妖怪もいて、こちらも魅力的な存在である。主人公の茂少年に哲学的なことを語ったりする。
 妖怪や物の怪の存在は元々のんのんばあによって語られ、子ども達がその実在を何となく感じるというような話になっているが、のんのんばあが語る内容は柳田國男の『遠野物語』を思わせるようなものであり、そういう点でこの本には民俗学的な価値も感じる。しかも茂少年は自分で目にした(と思い込む)妖怪を何とか絵にしようとがんばるんだが、結局それが、その後の水木作品に登場する妖怪になるわけで、境港(水木しげるの出身地でこの作品の舞台でもある)周辺に根付いていた民間伝承がマンガという形で記録されたということができる。日本の民俗学のもう一方の系譜と言っても過言ではあるまい。
アングレーム国際マンガフェスティバル最優秀作品賞受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『のんのんばあとオレ (1)、(2)(ドラマ)』
竹林軒出張所『のんのんばあとオレ(本)』
竹林軒出張所『水木しげるの遠野物語(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第2巻(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第1巻、第3巻、第4巻(本)』
竹林軒出張所『ほんまにオレはアホやろか(本)』
竹林軒出張所『ねぼけ人生(本)』
竹林軒出張所『水木しげるの泉鏡花伝(本)』

# by chikurinken | 2019-09-02 07:29 |

『ぼけますから、よろしくお願いします。』(ドキュメンタリー)

ぼけますから、よろしくお願いします。
(2018年・ネツゲン他)
監督:信友直子
撮影:信友直子
出演:ドキュメンタリー(語り:信友直子)

ありのままの老老介護
前作に引き続き自分の身辺をさらけ出す


『ぼけますから、よろしくお願いします。』(ドキュメンタリー)_b0189364_20125593.jpg 『おっぱいと東京タワー』の信友直子が、自身の故郷の両親を撮影したドキュメンタリー。元々テレビで放送された2回のドキュメンタリー作品を1本にまとめたもので、その後劇場公開された。
 東京でドキュメンタリー番組のディレクターを勤めている信友直子だが、ハンディカメラが現場に持ち込まれるようになったこともあり、2000年頃から、呉の実家に帰省するたびにハンディカメラで両親を撮影するようになっていた。なお監督自身は独身で一人っ子である。帰省するたびに継続的に撮影していたようだが、忙しくて数年間帰省できないこともあり、しかも自分自身、入院していたこともあって、撮影については断続的だったようである。入院をきっかけに、監督自身は、会社を辞めてフリーの立場になったこともあって、帰省の頻度は増えている。母の異変に気付いたのはそんな折である。それまで社交的で非常に矍鑠としていたのだが、認知症の症状が出始めたのである。それが2014年。このとき母は87歳、父は95歳。
『ぼけますから、よろしくお願いします。』(ドキュメンタリー)_b0189364_20125110.jpg 母はアルツハイマーの薬を処方されて飲み始めるが、体調の不良を訴える日々が始まる(ケモブレインの疑いあり。竹林軒出張所『このクスリがボケを生む!(本)』を参照)。一方で父が家事の代役をやり始めるが、身体の衰えがだんだん進んでいるのがわかる。それでも、今まで一切家事をやってこなかった父が90台にして、生活を大きく転換させたのは監督にとっても意外だったようで、この作品の見所の一つになっている。公的な支援を受けながらも(これについては当初母が抵抗を見せる)、身体が弱った父が、認知症の進む母の世話をするという老老介護の実態が垣間見えてくる。もちろん、父はできる限り介護を続けるというし、その風景はどちらかというとごく日常的にも映り、悲観的な様子はあまり伝わってこないが、少なくとも将来が明るいという印象はまったくない。そしてこれは明日の我が身でもあると感じる。監督の信友氏だって一人暮らしであることを考えれば、老後はもっと悲惨な状況になる可能性もある。このように、見ている人々はこの映画を通じて、いろいろと自身の身に照らし合わせて考えることができる。
 この作品では、父母の若い頃の写真や映像の他、まだ元気だった時代(監督が入院していた頃)の映像もふんだんに出てくるため、老いについて実感を伴って感じることができる。父、母が割合楽観的な人のようで、それほどの悲壮感はないんだが、それでも(自分自身のことを考えると)辛さが溢れてくる。僕自身は、あんまり長生きしたくないもんだと感じたのだった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~(映画)』
竹林軒出張所『おっぱいと東京タワー(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『徘徊 ママリン87歳の夏(映画)』
竹林軒出張所『毎日がアルツハイマー(映画)』
竹林軒出張所『いま助けてほしい(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『老人漂流社会(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『このクスリがボケを生む!(本)』
竹林軒出張所『どんなご縁で(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2019-08-31 07:12 | ドキュメンタリー