ブログトップ | ログイン

竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

<   2018年 09月 ( 20 )   > この月の画像一覧

『日本人の美意識』(本)

日本人の美意識
ドナルド・キーン著、金関寿夫訳
中公文庫

ドナルド・キーンの仕事を俯瞰する

b0189364_20275729.jpg 日本文学者、ドナルド・キーンの9本の論文(またはエッセイ)をまとめた書。論文は1960年代から70年代初頭に渡って書かれたもので、内容が広範に渡っており、どれも興味深い。
 掲載されているのは「日本人の美意識」、「平安時代の女性的感性」、「日本文学における個性と型」、「日本演劇における写実性と非現実性」、「日清戦争と日本文化」、「一休頂相」、「花子」、「アーサー・ウェーリ」、「一専門家の告白」の9本。最後の「アーサー・ウェーリ」と「一専門家の告白」がエッセイ(初出は〈おそらく〉雑誌とニューヨーク・タイムズ)で、前者が、著者が敬愛する東洋文学の翻訳家、アーサー・ウェーリ(『源氏物語』の英訳が有名)との想い出を語ったもの、後者が、「日本文学が専門」と口にしたときの他者の反応に対するボヤキみたいな内容のエッセイ。特に後者はエスプリが効いていて面白い。
 残りはすべて論文である。「日本人の美意識」は、タイトルの通り日本人の美意識を分析した書で、内容は非常に興味深い。日本文化論であるが、これだけの鋭い視点、分析力はなかなかお目にかかれまい。日本文化の学界はこれだけの研究者を得られたことを感謝すべきである。
 「平安時代の女性的感性」は、優れた(と著者が感じている)平安文学に、どれも女性的感性があるとする平安文学論。「日本人の美意識」とも通じる内容である。
 「日本文学における個性と型」は、簡単に言えば元禄ルネサンス論で、井原西鶴、近松門左衛門の作品をモチーフにして、彼らの文学(そしてそれは長い間日本文学の底流になるのだが)に、登場人物の内面を深く探るのではなく、彼らを「様式」的かつ「定型」的に描くという特徴があると指摘する。おそらくその後の著者の大作『日本文学史』に繋がる内容なのではないかと思う(『日本文学史』は近世文学から始まっている)。
 「日本演劇における写実性と非現実性」は、能、文楽、歌舞伎におけるリアリズム・非リアリズムについて論じる。こういった演劇は、その形態を見ても明らかにリアルではないが、描かれる対象として常にリアリズムが紛れ込んでいる。同様に日本の演劇には、こういったリアリズムと非リアリズムがいろいろな点で混在しているというような論。これはおそらくその後の『能・文楽・歌舞伎』に連なる論なのではないかと思う(この書については未読)。
 「一休頂相」は、一休宗純の異色性、破天荒さをその漢詩から辿るという内容で、あの異色の頂相(肖像画)に一休の特徴が反映されているとする論。
 「花子」は、20世紀初頭、ヨーロッパとアメリカで人気を博した女優、花子についての論。花子は、当時なぜだかわからないが、その舞台が突然ヨーロッパで大当たりした。決して美しい女性ではなく、しかも舞台自体に芸術性があるわけでもなく、それでも大受けし、そのために各地を巡業して、どの地でも人気を博したと言う。あのロダンも結構花子に入れ込んでおり、花子の肖像をいくつか作成している。著者は、サラ・ベルナールなどをはじめとする当時の大女優崇拝現象の一環で、そこにエキゾティシズムに対する態度みたいなものがうまく結合して、人気を得ることに繋がったと分析しているようだが、基本線は、この「花子」現象を比較的客観的に紹介するという論である。花子については名前ぐらいしか知らなかったため、大変興味深く読んだ。
 そしてこの書の目玉と言えるのが「日清戦争と日本文化」で、ページ数も全体のほぼ三分の一が割かれている。日清戦争を通じて、日本の対中国観が、崇拝・尊敬から蔑視へ大きく劇的変わったことを当時の印刷物から論じるもので、これも非常に興味深い。ただしこれについては、先日読んだ『明治天皇〈三〉』でも何度も引用されていた内容であるため、僕にとってはそれほど目新しさはないが、しかし斬新な論考であるのは確かである。
 今見てきたように、それぞれの論はその後の著者の著作に繋がっているものも多く、それを考えると、本書は著者の著作群のダイジェストという言い方もできる。内容が多岐に渡っているのは先ほど書いたが、同時に取り上げる内容も斬新である。論理も飛躍や矛盾がないため、どれにも説得力がある。地味な本ではあるが、ドナルド・キーンの仕事を見渡す上で優れた案内書になっていると言うことができる。得るところ(特に新しい視点)が多い良書である。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈三〉(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン わたしの日本語修行(本)』
竹林軒出張所『私が愛する日本人へ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

by chikurinken | 2018-09-29 07:27 |

『明治天皇〈四〉』(本)

明治天皇〈四〉
ドナルド・キーン著、角地幸男訳
新潮文庫

クラシカルな編年体形式ではあるが
近代日本文化史の画期と言える本


b0189364_18095877.jpg 明治天皇の生涯に迫るノンフィクションで、文庫版全4巻構成の最終巻が本書。日露戦争が中心のテーマで、それに伴う韓国との関係、伊藤博文の暗殺、大逆事件などが扱われる。本書の最後は明治45年(1912年)の明治天皇の死、乃木希典の殉死で締めくくられる。
 『坂の上の雲』とほぼ同じ時代で、日露戦争についてはあまり意外性のある記述はなかったが、韓国併合の過程はかなり詳細に描かれており、今まで何となくでしか知らなかったいきさつが把握できるようになる。つまりは、韓国が西洋列強に侵略されないよう、日本がその外交権を掌握して韓国を庇護するという理屈が展開され、条約(日韓協約)を強制的に押し付けるというのが、その方法論である。ただし本書によると、天皇自体がこのことに直接的に関与していた可能性は低く(詳細については末期まで知らなかったのではないかというのが著者の推測)、そのために最後の最後まで韓国の皇室に対して配慮を見せている。政府は、韓国の皇太子を日本に留学させたり(要は人質)しているが、その皇太子に対しても明治天皇は非常に可愛がっている。
 清国の崩壊と立憲国家、中華民国の成立についても、日本との関係で描かれ、日本政府がすでに清国の重鎮だった袁世凱と交渉し、新政府の中心になるよう要請していたなどという事実は興味深い。伊藤博文暗殺の安重根や大逆事件の幸徳秋水についても、彼らの背景が非常に詳細に描かれるため、新しい視点がもたらされる。しかもこういった個々の出来事が、時代の流れの中に落とし込まれていて、それが時代的な感覚を読者に与えることに繋がっている。本書については、明治天皇の治世を編年体で時代順に描いているという見方ができるが、編年形式の利点がこういうところに反映されるのである。しかもその中心に1人の人間(天皇)を据えることで、個人と時代背景、事件などが密接に繋がり、結果的に明治時代という一時代の移り変わりを表現することに成功することになる。そのあたりが本書の優れた点である。
 明治天皇の評価については、天皇自身がどれだけ関わっていたかは不明だが、その事績は天皇が最終的な裁可を与えているという点で、少なくとも天皇抜きで考えることはできないというあたりに落とし込んでいる。また、天皇の性格については、記録がほとんど残されていないことから詳細は不明ではあるが、いろいろな資料から推測すれば、自分に対して厳しく倹約家で、部下を信頼して存分に仕事をできるようにするタイプの存在だったという結論を出している。また、民衆から親しみや敬意を持たれていたことも確かで、そのあたりは天皇制に異を唱えていた無政府主義者の幸徳秋水でさえも明治天皇については親しみを感じており、アンビバレントな感情を示しているところにも反映されている。著者の描く明治天皇は、今風にいえば「上司にしたい有名人」ランキングのベスト3に入るような存在である。もちろん著者が明治天皇を闇雲に持ち上げるような記述はないが、天皇の個人的な資質が日本の近代化に良い影響を及ぼしていることは間違いないと考えているようではある。近代日本がこういった資質を持つ権力者を持っていたことは幸いだったのかも知れない。
 とにかく、現代日本に皇室についてのタブーがあるせいかわからないが、明治天皇についての著者ははなはだ少ないらしい。映画でも、少し前までは明治天皇や昭和天皇が顔を出すことは少なかった(顔だけが映されなかったりすることもあった)。本書はそういう点でも画期的で、同時に人間としての明治天皇にスポットを当てた点でも、日本の文化史上重要な役割を果たしたと言える。皇室タブーが染みついていないアメリカ生まれの著者だからできたことなのかも知れない。
第56回毎日出版文化賞人文・社会部門受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『明治天皇〈一〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈二〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈三〉(本)』
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『西園寺公望 最後の元老(本)』
竹林軒出張所『坂の上の雲 (1)〜(13)(ドラマ)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

by chikurinken | 2018-09-28 07:09 |

『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』(本)

日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実
吉田裕著
中公新書

責任者出てこい!と言いたくなる

b0189364_18245622.jpg 証言記録や統計を基にして、太平洋戦争における日本軍をミクロ的な視点で描く本。ミクロ的という点がミソで、この本の大きな特徴である。マクロ的に見た太平洋戦争は、大日本帝国軍が連合国軍に対して当初攻勢をかけていたが、米軍の物量と作戦によって徐々に敗勢が強まったという見方になるが、ミクロ的に検討してみると、決してそういうレベルではなく、当初から敗戦の要因が日本軍にあり(というより勝つ要素がまったくない)、無能かつ無責任な上層部による無謀な戦略であったことがよくわかる。
 当初連戦連勝だったのは、連合国軍に戦争の準備がなかったため(特にヨーロッパ諸国についてはドイツ軍との戦いが進行中だった)で、それなりの対策をとってくれば端から勝負にならないことは火を見るより明らか……という印象である。本書ではいくつかに分けて日本軍の状況が描かれていて、軍隊内での非合理性や無秩序さ、兵士に対する人権無視、上層部の間違った思い込みによる兵士への虐待などが紹介される。多くは、戦後作られたさまざまな映画や小説などで紹介されていることなので、こういった事実にそれほど新鮮さは感じないが、しかし戦闘集団として見た場合、これが大きなマイナス要素であることにあらためて気付かされる。
 また日本軍の装備の貧しさも紹介される。たとえば自動車がきわめて少なく軍馬が多用されていたことや、無線通信より有線通信が重視されていたために爆撃でワイヤーが破損すると途端に通信手段がなくなった(伝書鳩まで使われていたらしい)などという事実は驚きである。よくこんな装備で、世界最大の工業国と戦争をしようなどと考えたものだと思うほどである。特に自動車が無かったために、兵士が自ら運ぶ装備が非常に重くなり、そのために兵士の疲弊(ひいては行き倒れ)を招いたなどという指摘は、一兵卒の憐れさを感じさせる。装備が足りない分は根性で何とかせいという発想のようである。
 軍隊内の医療の不備もひどかったらしく、歯科医がほとんどいないために虫歯が多発した他、医薬の不足、病人をサボタージュとして扱う軍隊内の気風など、少なくとも総力戦を闘うための部隊とは言えなさそうである。水虫も致命的なほど蔓延し、それがまた士気に大いに関わるレベルで、兵士の間に大きな問題を生み出す。なぜこれだけのマイナス要素を放置するかなと思うが、そもそも日本軍には軍団内の問題を解決するという発想自体がないようで、そのために問題のある(犯罪歴のあるような)兵士がいても放置され、軍隊内の秩序が維持できなくなっても対策がとれない。一方で、問題のない兵士に対して平気でリンチしたりいじめたりして、結果的に死なせたり(戦闘死として処理されるらしい)するらしいから、まともな集団とは思えない。
 装備が足りていないのは、そもそも戦争を始めた政治の上層部に、近代戦が総力戦であるという認識が著しく欠けていたためで、「不都合なことはないことにする」という場当たり的な発想で始めた戦争であることがよくわかる。軍の指導者達についても、無計画で行き当たりばったりの作戦を次々と展開し、いたずらに兵力を犠牲にする。特攻作戦(あれを作戦と言えるかどうかわからないが)なんかその良い例である。
 とにかく、大日本帝国軍の至る所に問題があり、それは日本人の悪い特質にも関連するようだが、それが明確な形で現れたのが太平洋戦争だということ、それがよくわかる。しかも当時の責任者のほとんどは、その後責任を問われることもなく、のうのうと生きてきた。こういった無責任主義、それから正論(と本人が信じていること)を他人に押し付ける教条主義、強い立場の者が弱い立場の者を圧殺する権威主義など、帝国軍にはびこっていた悪弊が、現在の日本国に生きる我々にもそのまま踏襲されている。このことは、今の世の中、周りを見てみたらすぐにわかる。こういう誤った志向は、社会に悪弊をもたらすだけでなく、生産性や合理性を阻害することにも繋がる。問題点を直視することでこういった悪弊を少しでも改善していくのが理想であるが、残念ながらそういう発想は現在の日本では必ずしも多数派ではない。戦後ずっと、問題をないことにする風潮があるが(何かというとすぐ「反日」などと言う勢力のこと)、それ自体が日本の悪弊であることを認識した上で、改善したいものだ……とそういうことを考えるきっかけになったのが、この本である。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『真空地帯(映画)』
竹林軒出張所『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代(本)』
竹林軒出張所『野火(映画)』
竹林軒出張所『兵隊やくざ(映画)』
竹林軒出張所『ゆきゆきて、神軍(映画)』
竹林軒出張所『鬼太郎が見た玉砕(ドラマ)』
竹林軒出張所『カラーでみる太平洋戦争(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『特攻 なぜ拡大したのか(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『名前を失くした父(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『総員玉砕せよ!(本)』
竹林軒出張所『敗走記(本)』
竹林軒出張所『俘虜記(本)』
竹林軒出張所『昭和史 1926-1945(本)』

by chikurinken | 2018-09-26 07:24 |

『ノモンハン 責任なき戦い』(ドキュメンタリー)

ノモンハン 責任なき戦い(2018年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル

「ノモンハン事件」を題材に
帝国陸軍の潜在的欠陥を検証する


b0189364_15270683.jpg 1939年に、満州とモンゴルの国境沿いで、ソ連・モンゴル連合軍と大日本帝国陸軍(関東軍)との間で戦闘が起こった。世に言うノモンハン事件であるが、「事件」というのはあくまでも日本側の呼び方であり、実質的には大々的な戦闘(当時国間に宣戦布告はないが)であった。しかも関東軍は国境を越えて空爆しており、その後拡大しなかったのが不思議なくらいで、もはや戦争と言っても良い。戦闘は4カ月続き、被害者は日本側2万人、ソ連側2万5千人にも上り、国境線はソ連側に奪い返されたため、大変な損害を被った大敗北であった。しかしこの「事件」という言葉が物語っているように、日本側には、ちょっとした衝突として片付けたいという意向が見え隠れする。実際、関東軍は大本営の意志とはまったく独立して(つまり意向を無視して)戦闘行動をとっており、命令系統がまったく一貫していない。2万人もの兵力を失い、しかも一個師団を壊滅させた戦闘でありながら、上層部は誰も責任を負わないという馬鹿げた結果になった。この近代国家の軍隊と思えない愚かしい帝国陸軍の潜在的な構造を、ノモンハン戦をモデルに検証しようというドキュメンタリーがこれである。
 タイトルからもわかるように(内容そのものをずばり表したタイトルはインパクトがあり、その内容に対する製作者側の自信の現れかも知れない)、ノモンハン戦の実際と、結果に対して責任を負う人間が上層部にいなかったことの問題点が描かれる。また同時に、関東軍の戦闘に対する読みが著しく甘いこと、戦略・戦術面でのいい加減さ、作戦系統の曖昧さなども紹介される。こういったテーマが、当事の幹部の肉声テープ、ロシアに残されているノモンハン戦の映像(カラー化されたもの)などを使って検証される。
 ノモンハン戦を総括すると、日本側が主張する国境線(ソ連・モンゴル側の主張する国境線とは異なる)を確保するため、国境を越えた空爆を含む、国境線確保のための軍事行動と言うことができる。第三者的に見ればこれは侵略行為であり、この作戦が始まったのは1939年5月である。関東軍は、ソ連軍を非常に甘く見ていて、ヨーロッパでナチス・ドイツと闘っているソ連は、軍事力を東に割くことができないと踏んでいた。しかし実際には、スターリンは大量の武器と兵力をノモンハンに送っており、この戦闘を予測した上で十分これに備えていた。また装備も関東軍が旧式の装備(日露戦争時代の三八式歩兵銃が使われていたらしい)であったにもかかわらず、ソ連軍は近代戦に備えた戦車部隊を中心とする重装備であった。しかもこのような大規模な戦闘であるにもかかわらず、大本営は戦闘指令を出しておらず、関東軍が独断で動き出したというんだから恐れ入る。一方大本営自体も、関東軍のこのような軍事行動の動きを掴んでおきながら放置するという、あり得ない行動をとる。命令系統が機能していないんだから、軍隊というより山賊である。
 作戦は、辻政信中将という若い参謀が立案し、強引に押し通したというのがこの番組の主張である。この辻、非常に優秀な成績で士官学校を終え、はっきりと自分の意見を主張することから上司の受けも良かった。そのために参謀として抜擢されていた(一種の情実)が、彼の作戦についてはどう見ても暴走である。若手の強引な暴走に軍団全体が巻き込まれ、誰もこれを止めなかったというのが真相のようだ。しかも作戦が失敗すると、責任を現場の隊長(井置栄一中佐ら)に負わせ自決させるという、責任担当者としてあるまじき所業に出る。辻自身も大本営に「左遷」されたが、その後、大本営の作戦に関与することになったらしい。
 最終的に誰も責任をとろうとしない事なかれ主義は、現在の日本の組織にも当てはまる。また情実で人事が決められ重用されるということも、現在の日本の組織に見られる。またさらに、こういった戦略上の失敗をないことにして改善のための素材として使おうとしないというのも、あちこちで見受けられる。日本の組織は、あれだけの犠牲者を出したノモンハンの時代から変わっていないと感じさせられるのである。
 このドキュメンタリーは論旨が明快で、しかも実際の音声、映像を使っている、その上で、当時の司令官達の実名を挙げてわかりやすく紹介している点が、非常に優れている。やや簡略化しすぎた感はあるが、明快な主張のためにはある程度簡略化するのは必要である。実際、1時間を越すドキュメンタリーであるにもかかわらず、見ていてまったく飽きることがなかった。密度が非常に高く、しかもテーマがはっきりとしているという、ドキュメンタリーの見本みたいな作品である。おそらく今年度のATPか何かの賞を受賞することになるんではないかと思うが、それだけの価値を持つ作品と言って良い。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『731部隊の真実(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-09-24 07:27 | ドキュメンタリー

『731部隊の真実』(ドキュメンタリー)

731部隊の真実 〜エリート医学者と人体実験〜
(2017年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル

日本の恥ずかしい歴史

b0189364_22022174.jpg 満州で軍事研究に従事していた大日本帝国陸軍の731部隊は、細菌兵器や化学兵器の研究を行っていたことで有名である。しかも捕虜を使って人体実験をしていたこともわかっていて、日本史における最大の恥部の1つになっている。
 しかし中には、この話自体が中国および連合軍の創作だなどと言う人々もいるらしい。当事者が当時の所業を語らず、なかったことにされるために、こういううつけた言動が出てくるわけだが、恥ずかしい行為を直視せずに無かったことにするなんてのはもっと恥ずかしい行為だと思うが。そこで、記録を調べたり、当時の裁判での証言の録音を明らかにすることで、何が行われていたか明確にしようではないかというのがこのドキュメンタリーの主旨である。
 このドキュメンタリーの大きなテーマになっているのが、京都帝国大学、東京帝国大学、慶應義塾大学などの有名大学の研究者が731部隊に多数参加していたという事実である。しかも彼らの多くは、敗戦時にいち早く帰国を果たし、その後は、その責を負うことなく、学界の権威として君臨したというんだから、恥知らずも良いところである。
 派遣した研究者が一番多かったのが京都帝国大学医学部で、当時医学部長だった戸田正三が、731部隊の石井四郎部隊長と旧知(石井自体も京都帝大卒である)で、その繋がりから自分の部下の研究者を多数派遣したといういきさつがあった。同時に陸軍から京大医学部に、その見返りとして研究費名目で多額の金額(現在の額で2億5千万円)が送られている。研究者の中には満州行きを拒む者(当時京大医学部講師、吉村寿人)もいたらしいが、戸田の恫喝により無理やり赴任させられたというケースもあるらしい(ただしこの吉村氏、帰国後結構高い地位に就いている)。
 現地では、防疫という名目で研究を行っていたが、実際は、ペスト菌やチフス菌を中国人(「マルタ」と称されていた元ゲリラ〈「匪賊」と呼ばれていた〉)に投与したり、凍傷を起こさせてその際の条件を調べたりなどという非人道的な実験を行っている。また細菌爆弾の開発なども行い、これもマルタに対して実際に使用している。
 このドキュメンタリーは50分の短いものだったが、こういった一連の所業が、ソ連による裁判の証言テープ(部隊員の声が残っている)や記録、それから現在日本に居住していて当時アシスタントとして部隊に参加していた人々のインタビューで明らかにされていく。731部隊の研究者についても、たとえば、細菌爆弾の開発に当たっていた731部隊第一課課長(研究班の責任者)の田部井和(かなう)など、実名が明かされていた。先ほども言ったように、戦後、何事もなかったかのように学界の権威になった研究者もいるわけで(田部井は戦後京大教授に就任、また戸田は戦後金沢大学学長に就任)、こういった連中の名前を明かすのは意義のあることだと思う。
 このようなドキュメンタリーは、ある意味「都合の悪いことはなかったことにし」その上「誰も責任を負わない」悪しき日本の風土に対する挑戦でもある。731部隊の所業は、オウム真理教が行っていた化学研究とも類似性を感じさせるが、一方はことごとく処刑され、もう一方は高い地位に就いているなどということが果たして公正なのか、そのあたりもいろいろと考えたいところである。
第55回ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞他受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『オウム 獄中の告白(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『人が悪魔に変わる時(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ノモンハン 責任なき戦い(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-09-22 07:02 | ドキュメンタリー

『“駅の子”の闘い』(ドキュメンタリー)

“駅の子”の闘い 〜語り始めた戦争孤児〜
(2018年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル

戦争孤児についての貴重な証言

b0189364_17412093.jpg 『NHKスペシャル』はここのところ質が著しく低下していて、ドキュメンタリーとして見る価値のあるものは少なくなっているが、毎年8月になるとこういった戦争関連のドキュメンタリーを放送してきて、これが例年、いろいろな賞の受賞対象になる。言ってみれば「賞狙い」の作品が8月によく放送される。この番組もそういった作品の1つと言えるのではないかと思う。もちろん内容は重厚で、取材も編集もしっかりしている。
 太平洋戦争が終わった後、日本中が大混乱だった時代。戦争で大勢の人々が死に、当然のことながら戦争孤児が大量に発生する。しかし大人たちは自分のことに精一杯でよその子どものことにかかずらわっていられないという雰囲気で、身寄りのない孤児達は必然的にホームレスになる。こういった孤児達が大勢全国の大きな駅に集まり、彼らは「駅の子」などと呼ばれ、言われのない差別を受けるという状態が続いた。このドキュメンタリーでは、そういった戦争孤児たちで「駅の子」を経験した人々が、自身の過去について語るというもので、これまであまり公になることがなかった事実が経験者によって語られる。いわば、もう一つの『火垂るの墓』である。
 駅に集まった孤児達のうち、かなりの数の子どもが飢えや病気で死んだり、死なないまでも大きな病気をして障害を残したりしている。終戦後しばらくは、行政も孤児対策を一切執らず、そのために子ども達は、ゴミを食べたり盗みを働いたりしてギリギリの生活を送っていた。同時に周囲の人間からは野良犬のような差別的な扱いを受けたともいう。
 対策が執られるようになったのは昭和22年からで、その原因はGHQから強い圧力がかかったためである。結果的に全国に孤児の収容施設ができ、多くの孤児がそこで育てられることになる。そこで無事に成長した子どももいるが、中には凶悪犯罪者になった者もいて、行政府の怠慢が後の世に禍根を残すことに繋がったわけである。
 この番組に登場する人々は、収容施設で素晴らしい出会いがあったり、あるいは反骨精神を発揮して無事に成長し、立派な社会人になった人ばかりで、こういう人々を見ると、安堵するやら喜びを感じるやらではあるが、彼らの経験が非常に厳しいものであったことは言うまでもなく、彼らの口から語られる言葉は非常に重い。その彼らもすでに高齢化しており、こういった証言は今後完全になくなってしまう可能性が高い。今、この時期に、こういった証言を集めたドキュメンタリーが作られたことは大いに評価に値する。たとえ「賞狙い」であったとしても立派なドキュメンタリーであると言うことはできる。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『あの日、僕らは戦場で(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『きのこ雲の下で何が起きていたのか(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『特攻 〜なぜ拡大したのか〜(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『戦後ゼロ年 東京ブラックホール(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-09-21 07:41 | ドキュメンタリー

『クワイ河に虹をかけた男』(ドキュメンタリー)

クワイ河に虹をかけた男(2016年・瀬戸内海放送)
監督:満田康弘
撮影:山田 寛、永澤英人
ナレーション:森田恵子

泰緬鉄道に残された恥

b0189364_17471041.jpg 太平洋戦争の際、大日本帝国陸軍は、インド攻略作戦の一環として、ビルマとタイを結ぶ泰緬鉄道の建設を進める。インド攻略作戦は、中国への連合軍の補給路を断つという目的で行われたものだが、この泰緬鉄道建設には、連合国の捕虜や現地の労働者が動員された。しかし作業は過酷を極め、しかも劣悪な環境だったことから数万人が命を落とし、そのためもあって「死の鉄道」とも呼ばれているらしい。映画『戦場にかける橋』でクワイ河の橋が舞台になるが、あれも泰緬鉄道の一部である。
 その建設作戦に、英語通訳として参加したのが、このドキュメンタリーの主人公の永瀬隆という人。彼は当時、多くの人々の死を目の当たりにし、同時に大日本帝国陸軍が行った数々の非人道的行為を目撃してきたことから、戦後、贖罪のために活動するようになる。そのためタイに135回訪れた他、さまざまな国々、地域を訪れ、あるいは寺院を建設したりあるいは被害者に直接会って謝罪したりという活動を繰り返してきた。この贖罪の活動を20年近くに渡って追ってきたのがこの映画の監督の満田康弘、ならびに瀬戸内海放送である。これまでも、永瀬氏の活動についてまとめたドキュメンタリーが、テレビ朝日系列の『テレメンタリー』などで8回に渡って放送されてきたらしいが、この長期取材を1本の映画にまとめたものが、この作品ということになる。
 20年間に渡る活動を追っているため、永瀬氏の年齢も70歳台から、死去する93歳までに渡り、その間の活動も贖罪の他、寺院や慰霊碑の建設、奨学金の供与など多岐に渡る。永瀬氏のスタンスや活動は一貫しており、そこにはブレがない。本来であれば国がやるべき活動を、戦中の恥ずべき行いについて恥に感じない国に代わって、それを恥に感じる自分がやっている(永瀬氏の奥方の言葉)というようなものである。挙動に衒いや嘘がなく、やれることをやるという姿勢を貫いているため、見ていて気持ちがよい。もっとも謝罪に行っても受け入れられないこともあるということで、辛く感じるようなことも多かったようだ。ただ、この映画について言えば、8本の作品をつなげたためか、時系列がわかりにくいという難点がある。また2時間という上映時間も少々長すぎるように感じる。もう少し短くしてシャープな形でまとめることもできるのではないかと思う。
 我々のような一般人にはなかなか永瀬氏のような活動はできないが、我々の先祖にこういった恥ずべき過去があることは知っておくべきで、そのことを次の世代にも伝える義務があるのではないか、などどいう思いを新たにするドキュメンタリーであった。
World Film Awards 2018金賞他受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『戦場にかける橋(映画)』
竹林軒出張所『五島のトラさん(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-09-20 07:48 | ドキュメンタリー

『普通の人々』(映画)

普通の人々(1980年・米)
監督:ロバート・レッドフォード
原作:ジュディス・ゲスト
脚本:アルヴィン・サージェント
出演:ドナルド・サザーランド、メアリー・タイラー・ムーア、ティモシー・ハットン、ジャド・ハーシュ、エリザベス・マクガヴァン

重厚に作り込まれたハリウッド映画

b0189364_15204906.jpg ロバート・レッドフォードの初監督作品。初監督作品にもかかわらず、この映画でロバート・レッドフォードはアカデミー賞の監督賞まで受賞している。
 それまでのハリウッド映画とは基調が異なり、終始、家族の問題が描かれる。兄が事故で死んだために精神的に不安定になった弟、コンラッド(ティモシー・ハットン)と、彼を扱いかねる母親(メアリー・タイラー・ムーア)との葛藤、それでも何とか円満な家族を維持しようと奮闘する父親(ドナルド・サザーランド)の家族関係が、このドラマの柱の部分になる。一家は中流の上という、一般的には他人にうらやまれるような環境ではあるが、皆心の中に抱えるものがあり、そこに葛藤が生まれる。
 現在では、こういった家族の問題はあちこちで取り上げられていてそれほど珍しくもないが、1980年にハリウッド映画でこれを取り上げたことは驚嘆に値する。ハリウッド映画らしい大きな事件や事故もないが、それでも心に迫るものは大きい。行き場のない不安定さが見る側にも伝わってきて、コンラッドを担当する心理療法士が、唯一の救いという感じで登場する。そのため心理療法のシーンも多く、さながら心理療法の宣伝映画のようにも見える。しかしこの心理療法のシーンが大きな見所になっているのも事実。実に見応えがあった。
 公開当時から見たかった映画で、その期待に反することのない、重厚に作り込まれた作品である。季節の移ろいが反映された自然の描写も非常に美しく映像的にも良質である。キャストの演技はどれも超一流で、中でもティモシー・ハットンは出色(この出演作でアカデミー賞助演男優賞獲得)。一見の価値がある。
第53回アカデミー作品賞、監督賞他受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『沿線地図(1)〜(15)(ドラマ)』
竹林軒出張所『天国から来たチャンピオン(映画)』

by chikurinken | 2018-09-18 07:20 | 映画

『プレイス・イン・ザ・ハート』(映画)

プレイス・イン・ザ・ハート(1984年・米)
監督:ロバート・ベントン
脚本:ロバート・ベントン
撮影:ネストール・アルメンドロス
出演:サリー・フィールド、リンゼイ・クローズ、エド・ハリス、ダニー・グローヴァー、ジョン・マルコヴィッチ、エイミー・マディガン

苦境に立ち向かう南部の未亡人

b0189364_19132290.jpg 1930年代のテキサス州の小さな街が舞台。保守的な街で、黒人に対しては差別的な扱いをしている。主人公エドナは、あるとき突然未亡人になり、それまで金銭面はすべて夫任せだったことから、途端に生活に困窮する。襲いかかってくる困難に立ち向かうため、両足で踏ん張って必死で戦い抜いていく……、そういう女性の姿が描かれる映画である。
 ストーリーがしっかりしているため原作ものかと思っていたが、監督、ロバート・ベントンのオリジナル脚本である。ロバート・ベントンという人、あまり有名な監督ではないが、『クレイマー・クレイマー』の監督と脚本を担当した人であり、『俺たちに明日はない』の脚本を書いた人でもある。『クレイマー・クレイマー』が、日常的な話であるにもかかわらず、なかなか濃密なストーリーだったことを考えると、ベントンの力量も容易に推測できる。この映画でも本領が発揮されていて、脚本が非常に秀逸である。サブプロットとして周囲の不倫問題が絡んできたりするが、本筋とはあまり関係なく進んでいく。とは言え、当時の社会状況などを描くことに繋がっており、決して無駄というわけではない。当時の社会状況といえば、激烈な黒人差別、銃社会、それから竜巻被害などであるが、こういったものにより、アメリカ南部の過酷な生活がしっかりと描写されていて、このあたりもこの映画の魅力になっている。
 この映画の一番の魅力はキャラクターで、主演のサリー・フィールド、助演のダニー・グローヴァー、ジョン・マルコヴィッチが特に良い。子役の2人(ヤンクトン・ハットンとジェニー・ジェームズ)までも好演である。この辺も脚本の妙が大きいと思う。
 この映画、公開時に見ているが、サリー・フィールドが過酷な労働を辞さずに生き抜いていたというような印象しか残っていなかったが、しかしあらためて見ると見所の多い良い映画である。なんと言っても、ラストシーンが非常に印象的で、大きな余韻を残す。
第57回アカデミー賞脚本賞、主演女優賞受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『俺たちに明日はない(映画)』
竹林軒出張所『クー・クラックス・クラン 白人至上主義結社KKKの正体(本)』
竹林軒出張所『戦いすんで日が暮れて(本)』

by chikurinken | 2018-09-17 07:13 | 映画

『戦場にかける橋』(映画)

戦場にかける橋(1957年・米)
監督:デヴィッド・リーン
原作:ピエール・ブール
脚本:カール・フォアマン、マイケル・ウィルソン
出演:アレック・ギネス、ウィリアム・ホールデン、早川雪洲、ジャック・ホーキンス、ジェフリー・ホーン、ジェームズ・ドナルド、アンドレ・モレル

作りすぎがとても気になる

b0189364_20154386.jpg 太平洋戦争期、大日本帝国陸軍が運営する捕虜収容所の話。ビルマとタイを結ぶ泰緬鉄道建設の必要性に迫られた日本軍は、捕虜を使ってクウェー川(映画では「クワイ河」)に橋を架けることを計画する。このあたりまでは実話である。
 そのクワイ河に架ける橋を巡る捕虜側・収容側の人間模様、生きる意欲とそれを打ち砕く戦争の悲劇が描かれる。戦争のためにさまざまな矛盾が引きおこされていく過程が一番の見所で目玉だろうが、話ができすぎで、作りすぎのイメージが強い。ストーリーについては思わず「ないない」とツッコミを入れそうになった。当然このあたりはフィクションである。
 英国軍の将校(アレック・ギネス)が国際法を盾に日本軍の将校(早川雪洲)と対立し、意地の張り合いをするあたりが前半の大きな見所ではあるが、このあたりも演劇的で「ないよねー」と言いたくなる。あちこちに(面白いが)リアリティを欠いた場面が多く、もちろんこの頃のハリウッド映画にはつきものなんだが、それがためにせっかくの大作が台無しになるというような印象を受けるのは僕だけか。もちろん、あまりにリアリティを云々し過ぎると興が醒めるというのは良くあることで、この映画なども壮大な作り話として見れば十分楽しめるわけだ。それでもやはり気にかかるものは気にかかるのだ。それに間抜けな日本軍・優れた連合軍という構図も「コンバット」的なご都合主義に見えていただけない。シニカルで面白いストーリーの映画だとは思うが、個人的には、手放しで称賛するというレベルではない。
第30回アカデミー賞作品賞他受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『クワイ河に虹をかけた男(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『第十七捕虜収容所(映画)』
竹林軒出張所『マダムと泥棒(映画)』
竹林軒出張所『ナバロンの要塞(映画)』
竹林軒出張所『史上最大の作戦(映画)』

by chikurinken | 2018-09-16 07:15 | 映画