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竹林軒出張所

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カテゴリ:本( 668 )

『戦国大名と分国法』(本)

戦国大名と分国法
清水克行著
岩波書店

歴史の「事実」を見直す潮流の一つ

b0189364_19023720.jpg 日本史の世界では、かなりいい加減で荒唐無稽な見解が「事実」として認定されていることが多い。古代史の多くの「事実」もそうだし、そういった、思いつきが定着した「事実」は近世に至るまで数々ある。今では当たり前のように喧伝されている「竪穴式住居」の姿も、元々はある大学の先生が描いた想像図がそのまま「事実」であるかのように定着したものだという話を聞いたこともある。
 分国法についても、高校の教科書では、戦国大名の独立過程の法整備の象徴としてまことしやかに取り上げられるが、本書では実際には必ずしもそういう種類のものではないということが紹介される。ちなみに分国法とは、戦国大名が自身の領国内で定めた独自の法律のこと。
 こういう説が定着したのは、石母田正という歴史学者による『日本思想体系 中世政治社会思想 上』の「解説」が遠因になっているのではないかと著者は言う。この論では、戦国大名が、独立した「国家権力の歴史的一類型」であり、独自の法(つまり分国法)を持っていたことがその証左であったとしている。この論文の影響は大きく、やがて「分国法が戦国大名の自律性の指標と位置付けられる」ようになったというのが著者の見解である。
 しかし実際の分国法は、その多くが、法体系というより領主が書き殴ったようなまとまりのないものであったり、子孫に書き残した家訓のようなものに過ぎなかったという。この本で紹介されるのは結城氏の「結城氏新法度」、伊達氏の「塵芥集」、六角氏の「六角氏式目」、今川氏の「今川かな目録」と「かな目録追加」、武田氏の「甲州法度之次第」で、この中である程度まとまりがあるものは今川氏と武田氏のもの程度らしい。武田氏のものについても「今川かな目録」をモデルにした痕跡があり、それを考えると決して法体系などと呼べるようなものではないということで、要は分国法が作られたのは領内の紛争やもめ事を解決する際の基準として、その時代の常識的な判断や非成文法を書き留めたものであるということらしいのだ。中には「六角氏式目」のように大名自身の横暴を制約するような「マグナ・カルタ」的なものまで存在する。つまり分国法とひとくくりに言っても、それぞれで制定の事情が異なり、内容も異なる。決して近代的な成文法という種類のものではないということなのだ。
 本書の主張はよく理解できるし説得力もあるが、内容が少々冗長な感じもある。ただ紹介される分国法はすべて現代語訳されており、記述も平易であるため、読みやすいのは確かで、そういう点では読んでも損はないと思う。いずれにしても、日本の歴史学にいい加減な要素が数多く残っているのは確かで、それを正していくのが現世代の歴史学者である。そういう点では価値のある研究成果と言える。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『応仁の乱(本)』
竹林軒出張所『源頼朝像 沈黙の肖像画(本)』

 以下、以前のブログで紹介した(意外な事実の)戦国もの歴史書籍(『刀狩り』)の評の再録。
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(2005年12月8日の記事より)
刀狩り 武器を封印した民衆
藤木久志著
岩波新書

b0189364_19024995.jpg 日本中世史が専門の著者が、豊臣秀吉の刀狩りについて論じた本。豊臣秀吉の刀狩りについての書、論文は、著者の前著(『豊臣平和令と戦国社会』85年)以外ないというほど、日本では刀狩りの研究は行われていなかったらしい。それにもかかわらず、当然のごとく、豊臣秀吉によって農民が完全に武装解除されたという思いこみが、あらゆる階層の人々に行き渡っている。本書では、それに疑義を呈し、本当に秀吉の強権によって刀狩りで民衆の武装解除が行われたのかをさまざまなデータを提示することで検討していく。
 結論を言えば、秀吉の刀狩りは、公然と帯刀することを禁止するものであって、所持についてはほぼ認められていた。刀狩令の試行についても、実際は村などのコミュニティ任せであり、鉄砲は集めず刀だけを一定本数集めたらしい。しかも、場合によっては持ち主に返却したこともあったようだ。つまり、象徴としての武装解除であり、人を殺傷するために武器を使用することを禁止したもので、平和な世の中になったことを流布させる意味合いが強かったのではないかと言うのだ。また、施行にあたっては、民衆側が自主的に応じた側面があり、紛争解決のために武器を使用することを凍結することに同意し、その結果、平和な時代が徳川の治世まで引き継がれたのではないかという趣旨である。本当の意味で市民が強制的に武器を没収されたのは、敗戦後の占領軍によってであると言う。
 話は刀狩りから日本国憲法にまで至る。つまり、民衆側から自発的に武装解除することで平和な世の中を作ってきた日本人が、日本国憲法第9条を大切にするのは至極当然であるとして、現在の風潮に一石を投じている。
 非常に意欲的な本で、歴史に新解釈をもたらしながら、それを現代につなげる。歴史学の意味を確認させる名著である。ただし、第1章から第6章までデータが連綿と書きつづられ、少し退屈する(学者だけに「論文としての体裁」を意識したのだろう)。プロローグとエピローグが面白いので、後は拾い読みでも良いかも知れない。
★★★☆

by chikurinken | 2019-01-16 07:02 |

『日日是好日』(本)

日日是好日
森下典子著
新潮文庫

茶道の精神を垣間見る

b0189364_18253280.jpg エッセイストの森下典子が、自身の25年に渡る茶道修行の経験について書いたエッセイ。
 森下典子の文章を読んだ記憶はあまりないが、若い頃『週刊朝日』に軽薄(と僕は当時感じていたんだが)なエッセイを書いていたことは知っている。僕が学生のときに『典奴どすえ』という本が少しだけ話題になったのも記憶に残っている。その著者が、茶の世界に真摯に向き合いその精神を感じたという、その過程を描いたエッセイである。僕の著者に対するイメージが完全に覆されるような素材である。
 著者はこのエッセイを書いた時点で25年間茶の稽古を続けていたが、(本人によると)あまり真剣な生徒とは言えず、稽古に通うのが億劫になったり、何かの折には辞めようと思ったりということが多かったらしい。それでも稽古に通うと、帰りには心がすっきりして非常に得をした気分がする、それがために辞めずに続けていたという、そういう類の生徒であった。
 その彼女も、習い始めて13年目に、自分の才能のなさを知り辞めることを決断するんだが、たまたまそんな折、茶事(懐石料理から茶の点前までフルセットの茶会)に参加したことがきっかけになって、今まで不可解だった茶の作法の全体像が見えてきて、やがて茶道の姿形が見えてくるようになる。それと同時に、辞めるとか辞めないとかの逡巡が茶にとってまったく不要であることに気が付く。おそらく茶の精神を体得したということなんだろう。このあたりのエピソードが書かれているのが第10章である。
 それ以降の章(第11章から第15章)がおそらく本書の圧巻で、著者が感じ取った茶の世界、茶の精神を、素朴な筆致で読者に披露していく。茶の素人である僕のような読者が、茶の精神を垣間見ることができるような文章が続くのである。茶の世界は、端で見ていると何が面白くてあんな堅苦しい環境に身を置くのかという程度の認識しかないが、自然を感じ自然を愛でる、それに通じる感性と知性の遊びを楽しむというようなことがその精神なのではないかというのがこの後半部分を通じて見えてくる。ある意味で、茶の素人にあてた、茶道の奥深い世界の紹介みたいな本になっている。したがって、この本は茶の精神を覗き見たい茶の素人にとって格好の入門書ということになる。情景を感じさせるような自然描写の表現もよく出てきて、あわせて季節感もうまく表現されているが、さすがに茶に関係する専門的な事物については容易には想像できかねる(一部については巻頭に写真がある)。そのため映像で見てみたいと思わせる部分が多く、そのあたりが残念なポイントであるが、何でも少し前に映画化されたらしい。映像で見れば確かにもう少し茶の世界に浸れるような気もするが、このエッセイを劇映画にして成立するのかは未知数である。それはともかく、本書が茶の奥深さを感じさせる書(特に後半部)であったのは確かである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『精進料理大全(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『利休(映画)』
竹林軒出張所『豪姫(映画)』

by chikurinken | 2019-01-15 07:24 |

『河童の手のうち幕の内』(本)

河童の手のうち幕の内
妹尾河童著
新潮文庫

つまみ食いが適した読みもの

b0189364_15081034.jpg 舞台美術家、妹尾河童のエッセイ集。著者の妹尾河童は、80年代に出した本、『河童が覗いたヨーロッパ』で一般社会に名前が広まった(と僕は記憶している)。この本、ヨーロッパの紀行エッセイなんだが、宿泊したホテルの部屋の様子を天井からの俯瞰図で描いていたりして、かなりユニークな本であった。ユニークと言えばこの人の旅のスタイルがまたユニークで、外国語はほとんど喋れないにもかかわらず現地の人とそれなりにコミュニケーションがとれるらしく、そのあたり、当時この本で妹尾河童に接した学生時代の僕も、感じるところが非常に多かった。その後、同様の紀行エッセイが立て続けに出されたが、それだけでなく90年代に自伝的小説である『少年H』が大ヒットしたために一躍著者の名前が知られるようになったのである。
 その著者が紀行エッセイを立て続けに出していた時分に、あちこちで書いたエッセイをテーマごとにまとめた、幕の内弁当のような本を出した。それがこの本である。未確認だが、中には書き下ろしのエッセイもあるようだ。僕は発売時にこの本を買って読んでいるんだが、今回『君は海を見たか』で妹尾河童という名前を見て思い出し、もう一度読んでみようと思い立ったのだった。ただ前に買った本は行方不明(おそらく処分したんだろう)だったため、わざわざ古書を買った。ちなみにこの本、現在すでに絶版状態である。
 著者らしい旅のエッセイも多く、例によってユニークな視点、行動が目を引く。だが僕がこの本で一番印象に残っていたのが、オペラ歌手、藤原義江についてのエッセイで、今回もこれに一番強い印象を受けた。そもそも「妹尾河童」という名前を最初に公式に発表した人も藤原義江ならば、舞台美術家として最初に採用したのも藤原義江である。したがって著者にとって非常なる恩人である。だが著者は結構、(このエッセイによると)失礼なことやエラそうなことを平気でこの人に対して口走っている。しかもそのことをこの藤原義江氏の方も楽しんでいるようなフシがあり、そういう点でもこの人、なかなかの人物であるように見受けられる。著者自身もそう考えているのが明らかで、それが文章の端々に出ていて、この2人の素敵な関係性が読むこちら側にも伝わってくる。
 その他には著者が蝋人形になったいきさつと蝋人形の製作過程の密着や、俯瞰図の描き方などが、本書の目玉と言えるだろうか。いずれにしてもいろいろな断片を寄せ集めたという感じのエッセイ集で、本当に幕の内弁当風。そこら辺は著者も意識しているようで、タイトルにきっちりそれが反映している。そのため中身については、がっちり取り組んで読むというよりつまみ食いみたいな読み方が適していると思える。幕の内弁当というよりもデザート、あるいは駄菓子に近い感じではある。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『少年H(映画)』
竹林軒出張所『君は海を見たか (1)〜(11)(ドラマ)』

by chikurinken | 2019-01-14 07:07 |

『水木しげるの泉鏡花伝』(本)

水木しげるの泉鏡花伝
水木しげる著
小学館

鏡花の作品に興味を覚える

b0189364_18550975.jpg タイトル通り、水木しげるが明治大正期の小説家、泉鏡花の生涯を描いたマンガである。
 金沢で生まれた鏡太郎少年(泉鏡花の本名)、尾崎紅葉の小説(『二人比丘尼色懺悔』)に感銘を受けて、紅葉の弟子になるべく上京。ところが、東京に着いたは良いが、気後れしてなかなか紅葉の元を訪ねることもできず(このあたりいたく共感できる)、しばらくの間放浪生活に明け暮れる。いよいよ切羽詰まって郷里に帰ることにし、最後に紅葉に会うだけ会おうということになってとうとう紅葉の元を尋ねる。そこで無事に紅葉に面会でき、持ち込んだ小説が気に入られた結果、住み込みの弟子にしてもらう。このとき鏡花17歳。その後紅葉の口述筆記の手伝いなどをしながら、修行期間を経て『冠弥左衛門』で小説家デビュー。いろいろな紆余曲折を経るが、明治28年に発表した『黒猫』が当たる。ここまでが本書の第3章まで。
 そして続く第4章は『黒猫』のマンガ化である。第5章を挟んで、第6章では代表作の『高野聖』のマンガ化作品が登場する。本書で紹介される泉鏡花の作品はこの2本で、どちらもよくできたマンガ化作品である。要するに、この2作が泉鏡花の伝記の間に挟まれるという形式になっているわけだ。おそらく水木しげるはこれを一番書きたかったんではないかと勝手に推測するほど、非常にできのよい翻案作品である。この2作、泉鏡花作品を読んだことのない人(僕もそうだが)にとってはなかなか新鮮で、一度原作を読んでみようかなと思わせるだけの魅力がある。
 ともかくこの2作を挟んで、鏡花が最期を迎えるまでの人生が丁寧に描かれる。表現はやはり水木調で「オカチイナ」などというセリフが随所に登場する(これは『遠野物語』にも共通)。僕にとって謎めいた存在だった鏡花、そして鏡花作品が身近なものとして感じられたというのがこのマンガの最大の効能であった。
 なお今回僕が読んだのは『水木しげるマンガ大全集』版で、冒頭にリンクしたものとは厳密には違う(中身はほぼ同じ)が、あわせてこの本に収録されていた『方丈記』ともども、水木マンガの価値を再発見させてくれる佳作であったことを付記しておきたい。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『猫楠(本)』
竹林軒出張所『水木しげるの遠野物語(本)』
竹林軒出張所『マンガ古典文学 方丈記(本)』
竹林軒出張所『今昔物語(上)(下) マンガ日本の古典8、9(本)』
竹林軒出張所『総員玉砕せよ!(本)』
竹林軒出張所『敗走記(本)』
竹林軒出張所『白い旗、姑娘(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第1巻、第3巻、第4巻(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第2巻(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第5巻、第6巻、第7巻、第8巻(本)』

by chikurinken | 2018-12-28 07:55 |

『水木しげるの遠野物語』(本)

水木しげるの遠野物語
柳田國男原作、水木しげる著
小学館

マンガ化の水準がきわめて高い

b0189364_19081394.jpg 柳田國男の『遠野物語』を水木しげるがマンガ化した作品。元々は雑誌『ビッグコミック』に連載したものらしい。
 『遠野物語』は、柳田國男が岩手県の遠野地方に伝わる伝承話を知人から聞いて書き起こしたものであり、全119話(といってもほとんどの話は数行というもので非常に短い)からなる短い書で、日本の民俗学の嚆矢とされている。怪異譚や怪奇話などが多く、妖怪の第一人者、水木しげるにはうってつけの素材である。この119話から一部(重複している話やあまりにどうでもよいような話)を取り除き、全29回に渡り数話ずつまとめて連載したものがこの作品である。
 翻案は原文に非常に忠実であり、作画も水木しげるらしく非常に丁寧であるため、原文で読むということにこだわらないのであればこのマンガは格好の素材と言える。「入門云々」ではなく『遠野物語』をほぼ網羅しているため、このマンガを読んで『遠野物語』を読んだ気になってもまったく差し支えないと思う。実際『遠野物語』は明治の文語体で書かれているため、現代語訳などというものまで出ているが、このマンガは「現代語訳」と同レベルの優れた翻案である。僕は今回、原典と照らし合わせながら読んだんだが、かなり忠実に翻案されているのは確かで、その点、非常に感心したんである。
 『遠野物語』の特徴はと言えば、(遠野地方が三方を山で囲まれた地域であるためか)山に恐ろしげな人がおり、彼らと遭遇することによって事件が起こるという話が多いことである。中にはただ単に山の人に遭遇したというだけの話もある。第116話がヤマハハ(俗に言うヤマンバ)の話で、『遠野物語』の中ではもっとも一般に知られているものだろうと思う。要はヤマンバに襲われた娘が、何とか石の唐櫃(からうど)に入ってやり過ごし、その後、同じ家屋内の木の唐櫃で眠ったヤマンバを煮え湯でやっつけるというあの有名な話である。多くの話は割合ありきたりなもので、今となっては意外性のあるものはあまりない。原作はまずまずそんなところだが、やはりなんと言っても、原作の味やストーリーをそのまま活かしきっていて、しかも遠野の雰囲気を丁寧に作画しているという点で、マンガ化の水準がきわめて高いこと、それがこの本の最大の魅力と言える。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『全国アホ・バカ分布考(本)』
竹林軒出張所『マンガ古典文学 方丈記(本)』
竹林軒出張所『今昔物語(上)(下) マンガ日本の古典8、9(本)』
竹林軒出張所『水木しげるの泉鏡花伝(本)』
竹林軒出張所『猫楠(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第1巻、第3巻、第4巻(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第2巻(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第5巻、第6巻、第7巻、第8巻(本)』

by chikurinken | 2018-12-27 07:07 |

『現代語訳 南総里見八犬伝 (下)』(本)

現代語訳 南総里見八犬伝(下)
曲亭馬琴著、白井喬二訳
河出文庫

途中から「現代語訳」ではなく「要約」になった

b0189364_21144565.jpg 『現代語訳 南総里見八犬伝 (上)』の続きで、『南総里見八犬伝』の第七輯から第九輯まで。
 オリジナルの『南総里見八犬伝』では、肇輯(第一集)から第六輯までが31冊、第七輯が7冊、第八輯が10冊、第九輯が58冊と、第七輯から第九輯の方が圧倒的に冊数が多い(全75冊)。しかしこの『現代語訳』では(上)と(下)がほぼ同じページ数になっている。ということは当然、下巻はかなり端折られているということが容易に推測できる(僕は知らないまま読んでいたんだが)。
 実際、第九輯の途中ぐらい(本書の半分ぐらい)からほぼ要約と言って良い内容になってしまい、これを「現代語訳」と言ってはなるまいというような本になってしまった。ひどいもんである。そのため、上巻は割合気分良く楽しく読んでいたんだが、下巻になってアラが非常に目立つようになった。下巻では、さまざまな小さめのエピソードもかなり省かれている上、クライマックスの合戦シーンは、その展開を地の文で追いかけるだけという、およそ小説とは言いがたい内容になっているのである。そのために、登場人物も唐突に大量に出てくるし、舞台があちこちに次から次に(未消化の状態で)移り変わるしで、ややこしくなって何が何やらよくわからない状態になってしまった。
b0189364_21150582.jpg 僕は今回、『図解里見八犬伝』という本を併用しながら読んでいたため、ある程度後を追うことができたが、それにしても、架空の戦の話をダイジェストで読んだところで面白いはずはなかろう。それに最後の最後は恐ろしくいい加減になって、あまりにバカバカしく感じる。そもそも元々のストーリー自体がかなりご都合主義的だし、正直第九輯についてはこの『現代語訳』版を読んで損したという気がする。白井喬二が途中でイヤになったか忙しくなったかなんかで適当に切り上げましたという感じが伝わってくるのだ。上巻が割合よくできていて、それで信用してついていったのに、そのまま崖の下に誘導されたかのような心持ちがして、裏切られたような気さえする。第九輯については原典に当たれと言うことなのかも知れないが、ストーリーが荒唐無稽なのがわかった今となっては、今さら原典を読む気にもならない。
 そういうわけで最後は結構不快な気持ちだけが残ったのだった。羊頭狗肉とはこのことである。
★★★

参考:
竹林軒出張所『現代語訳 南総里見八犬伝 (上)(本)』
竹林軒出張所『春色梅児誉美 マンガ日本の古典31(本)』
竹林軒出張所『北斎漫画(映画)』

by chikurinken | 2018-12-26 07:14 |

『現代語訳 南総里見八犬伝 (上)』(本)

現代語訳 南総里見八犬伝(上)
曲亭馬琴著、白井喬二訳
河出文庫

歌舞伎風の荒唐無稽なストーリー
翻訳◎、原作△


b0189364_17222612.jpg 『南総里見八犬伝』と言えば、我々の世代はかつてNHKで放送されていた人形劇『新八犬伝』を思い出すわけで、僕などもかなりの部分を見ているため『八犬伝』はなじみ深い。ただし内容はあまり憶えていない。南房総(つまり南総)安房の里見家から、とある因縁により8人の義士が誕生し全国に散らばることになる。その8人の義士というのはすべて犬に関係しているため(姓に「犬」が付いている)八犬士と呼ばれているんだが、その彼らが義のために一堂に集まり、悪者を倒していくというストーリーである。憶えているのはその程度である(そもそもこの程度のストーリーであれば「南総里見八犬伝」というタイトルからも連想できる)。登場人物の名前についてはそれなりに憶えており、犬塚信乃、犬田小文吾らの八剣士の名前の他、関東管領扇谷定正(かんとうかんれい、おうぎがやつさだまさ)、寂莫道人肩柳(じゃくまくどうじんけんりゅう)などという複雑な名前まで、(ナレーターの坂本九が語っていた)音で憶えているんで、それを考えると子どものときの記憶は恐ろしいもんである(おかげでこの本を読むに当たってはこの記憶が非常に役に立った)。他にもテレビ版では「我こそは玉梓が怨霊」とか「さもしい浪人、網乾左母二郎」などというキャッチフレーズもたくさん出てきて、こういったものもいまだに頭に入っている。もっともこういった記憶は、『南総里見八犬伝』を読むとき以外ほとんど役に立たない情報なので、むしろ忘れた方が良い知識かも知れない。だがしかし『南総里見八犬伝』を読むに当たっては途端に役に立つ情報に変わるんで、このような(一般的には)どうでも良い知識を蓄えている同世代の(かつて『新八犬伝』を見た世代の)人たちは、一度『南総里見八犬伝』を読んでみたら良いかも知れない。僕が今回この本を読んだのもそういった動機からである。
 オリジナルの『南総里見八犬伝』は、江戸の文化期から天保期に28年もの歳月をかけて曲亭馬琴が発表した読本(長編小説)で、全98巻、106冊構成という大著である。『南総里見八犬伝』自体は割合人気のある著作であるため、当然原文で書かれたもの(岩波文庫版など、それでも10巻組)も出版されているし、マンガ版なども出ている。もちろん原文で当たるのが一番良いのだろうが、とにかく長いし、登場人物がやけに多かったりあちこちに話が飛び回ったりでかなりややこしい部分もあるため、江戸古語で読むより現代語で読めたらそれに越したことはない。それに原典で無理して読むような内容でもなさそうである。私の記憶が確かならば、言っちゃあ悪いがかなり荒唐無稽で無茶苦茶な話である。良い現代語訳があるんなら、やはりそちらに当たりたいところである。
 で、そういう現代語訳が実はあったのだ。現代語訳したのは白井喬二という人で、今ではほとんど知られていないが、かつては時代小説を量産していた流行作家である(山中貞雄監督作『盤嶽の一生』の原作者でもある)。こういう職業作家が戯作小説を訳して、時代小説スタイルでそれを綴っていくというのは、この『南総里見八犬伝』について言えば理想的な組み合わせと言える。ただでさえ相当長い原作であるため、とりあえずこういったものを読んで、もし必要であれば原典に当たる。そういったアプローチがベストなのではないかと思う。そういうわけでこのたび、この本を読んだのであった。この現代語訳版についても、上下二分冊で、しかも上巻だけで600ページとそれなりの分量があるんで、読むに当たってそれなりの覚悟は必要かも知れない。
b0189364_17225223.jpg 今回じっくり上巻を読んでみたところ、内容は先ほども書いたようにやはり荒唐無稽で、あっちに飛んだりこっちに飛んだり、しかも偶然に偶然が重なるということも非常に多く、端的に言ってしまえば超ご都合主義のエンタテイメント小説である。だが、方々にワクワクドキドキの要素が散りばめられているため、江戸の当時28年かけて少しずつ刊行されたが人気が衰えなかった、というのもわかるような気がする。また巻と巻との間が絶妙な場所で区切られているため、読者に次の巻を早く読みたいという気分にさせたであろうことも容易に想像される。こういったテクニックは多分に商業主義的ではあるが、商売人としてはうまい手法と言える。格闘シーンも随所に用意されていて、しかも登場人物が危機に陥ることも多いが、超人的な力でこういった難局を切り抜けていくようになっている。このように総じて歌舞伎みたいなストーリーで、(歌舞伎が大人気だった)当時の読者の気を引いたであろうことは想像に難くない。ただ、今の感覚では、そのご都合主義にかなり白けてしまうという面もあり、オリジナルのストーリーについては、あまり熱中するほどのものではあるまいとも感じる。一方でこの現代語訳版については大変読みやすく現代小説的であるため、エンタテイメント小説が好きな層にはかなりアピールするんじゃないかと思う。
 つまり総合するとこの文庫版の僕の印象は、現代語訳◎、原作△というところに落ち着く。そのため『南総里見八犬伝』にとりあえず当たってみようかという人たちには、この本が最善の手段になるのではないかと思う。また、原典の味わいも再現されているため、江戸時代に流行った「読本」というものがどういうものかについても身をもって実感できる。そういう意味でも、非常に価値の高い現代語訳版だと思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『現代語訳 南総里見八犬伝 (下)(本)』
竹林軒出張所『春色梅児誉美 マンガ日本の古典31(本)』
竹林軒出張所『北斎漫画(映画)』

by chikurinken | 2018-12-25 07:22 |

『ビギナーズ・クラシックス 和泉式部日記』(本)

ビギナーズ・クラシックス 和泉式部日記
川村裕子編
角川ソフィア文庫

和泉式部に興味を覚える

b0189364_17050590.jpg 古典作品、『和泉式部日記』のダイジェストにして入門編。
 『和泉式部日記』は全35段構成の「和泉式部による日記」であるが、本書ではいくつかの段を全体からまんべんなくピックアップして、各項ごとに現代語訳、原文、解説という順序で並べている。非常に良くできたダイジェストである。
 『和泉式部日記』は、恋人の為尊(ためたか)親王と死に別れた和泉式部が、その後その弟の敦道(あつみち)親王と恋に陥り、その恋の模様を書き綴った「日記」である。「日記」ということになっているが、本人以外の心情なども記述されていて多分に物語風である。そのためもあってか、かつては『和泉式部物語』と呼ばれ、別人による創作と考えられていた。いまでも日記説と物語説、両方あるようだが、本書の編者、川村裕子は日記説の立場を取っている。つまり敦道親王との恋愛が決していい加減な遊びでなかったことを、死んだ敦道親王(和泉式部と付き合うようになって数年後に死んでしまう)の名誉のために世間に示す目的で書いたとする。このロマンチックな説もそれなりに説得力があるとは思うが、なにしろ和泉式部についてはあまり記録が残っていないため、いまだわからないままである。そもそも和泉式部は当時、世間から恋多き女とされ、非常にスキャンダラスな存在だった。その和泉式部が今度は、死んだ恋人の弟、しかも皇子と付き合うようになったというんだから、世間は黙っていない。だが本書から窺われる和泉式部は恋愛に対してきわめて真面目で、それは敦道親王も同様。そしてそのときにやりとりされた和歌や手紙も非常に美しいもので、それがためにこの『日記』が文学的な価値を持つに至っているわけだ。だから死んだ恋人、そして自分の恋愛が、決して世間で邪推されるような浮ついたものではなく、きわめて真剣なもので美しいものであったことを世間に示すという動機は確かに説得力がある。一方で、残された和泉式部の歌を基にして、そこに物語の風味を加えた歌物語という見方もそれなりに説得力がある。いずれにしても記録が少ないんで、どちらが正しいかはにわかに断定できない。
 編者は、あくまでも『和泉式部日記』を美しく理想的な恋愛の吐露として捉える。お互いに好意を持っていながら世間の目を気にしてなかなか進展しない状況から、少しずつわかり合い、終いには和泉式部が敦道親王の家に入ってしまうところまで行く。ただし立場はあくまでも女房(召人)としてであり、妻や愛人という立場ではないところがかなり複雑である。そもそもこの2人は身分が違いすぎるのである。だが正妻である北の方はこのことが原因で家を出てしまう(後に離婚)。こういう過程が、美しい情景描写や心理描写、和歌で彩られる。プチ源氏物語みたいにも思える。全編、互いに好意を持つ男女の甘い言辞が散りばめられており、恋愛ものが好きな人にとってはかなり面白い素材なのではないかと思う。ただし、省略や本歌取りなどが非常に多いため、平安時代の貴族社会や和歌についての教養がかなりないと原文で読むのは相当難しいと思う。一方で原文に美しい修辞が散りばめられているため、現代語訳で良いかというとそれだけだともったいないという気もする。それを考えると、本書みたいな体裁は、入門書としては理想的である。
 僕自身、『和泉式部日記』にはかなり興味を持ったし、和泉式部自体にも非常に興味が湧いた。しかしなにしろ、先ほども言ったように記録が少ないのである。和泉式部は、和歌は多く残されているが、スキャンダルを除けば(スキャンダルについては『大鏡』や『栄花物語』に記述があるらしい)同時代の記録はあまり残っていない。『和泉式部日記』が唯一最大の記録ではあるが、これも歌物語の可能性を残しているわけで、実像はなかなか見えてこないのである。こういうような一連の知識も本書を読めば身に付く。和泉式部に対する関心も呼び起こさせるし、彼女の和歌の魅力も十分伝わる。そういう意味でも、やはり(何度も言うが)格好の入門書と言える。『ビギナーズ・クラシックス』シリーズの中でも、もっとも水準の高いものの1つである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『和泉式部日記 マンガ日本の古典6(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 大鏡(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 土佐日記 (全)(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 梁塵秘抄(本)』
竹林軒出張所『ビギナーズ・クラシックス 小林一茶(本)』

by chikurinken | 2018-12-24 07:04 |

『宇治拾遺物語』(本)

宇治拾遺物語
中島悦次校注
角川ソフィア文庫

長年の本願を成就
日本の古典文学は奥深い


b0189364_17331655.jpg 鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』に、いわゆる「児子のそら寝」という話がある。僕は高校生のときに初めてこの話に触れたんだが、裏を掻いたような細かい心理描写に感心し、大学に行ったあかつきにはこういった国文学を専門に勉強したいことであるよなあなどと考えていたのであった。この「児子のそら寝」(ある夜比叡山の修行僧たちが、ぼた餅を作ることになって、ある児子〈幹部候補の小坊主〉がそれに気付いて心待ちにしている。やっとできあがった段階で、ある僧がこの児子を呼んだが、一度で答えるといかにも待っていたかのようで体裁が悪い、もう一度声をかけられてから返事しようと思い寝たふりをしていたところ、「寝ているようだから起こすな」という他の僧の声が聞こえ、それ以降呼ばれなかった。児子は出て行きたいのに出られない、そのうち僧たちの食べ始める音が聞こえる、仕方がないのでしばらくしてから「はい」と答える……という話)、今では高校の教科書に必ずと言って良いほど出ていて、珍しいものではなくなった。だがいくらポピュラーになったからといってその価値が衰えるわけではない。しかし僕はといえば、あの時に志を立てたものの、いまだに『宇治拾遺物語』にはごく一部しか触れていない。いずれは通しで読んでみようと考えながらも、すでに早50年が過ぎようとしているというのだから「少年老い易く学成り難し」とはよく言ったものである。要するに、僕にとって特別な存在だった『宇治拾遺物語』を、今回とうとう通しで読んだということなのである。
 『宇治拾遺物語』は、成立年ははっきりわかっていないが、おそらく鎌倉時代前期に編まれたと考えられている説話集である。古今東西の面白い話を集めるというコンセプトの文学で、『日本霊異記』や『今昔物語集』などに連なる作品である。『宇治拾遺物語』という著作名は、同じ説話集の『宇治大納言物語』(現存しない)に収録されていない説話を拾い集めたという意味で付けられたとされている。また、『宇治拾遺物語』のいくつかのエピソードは、芥川龍之介が短編小説に翻案したことでも有名で、『芋粥』、『地獄変』、『竜』などがその題材になっている。全196話が、十五巻(ただしこれも版によって異なる)で編成されている、というそういう作品である。
 この角川ソフィア文庫版では、底本として、江戸時代中期に出版された大判の写本が採用されている(代表的な寛永古版本・万治二年板本と同等の内容)。一部訂正されているが、当て字もかなり残されたまま収録されており、1つの話の中で登場人物の名前の表記が変わっていることもたびたびある。だがそのせいでかえって、古語がどのように変遷してきたか、その一端が窺えるような部分も見えてきたりして、かえって興味深い。基本的に原文のみで、訳文はない。訳文のある文庫本(講談社学術文庫版)もあるが上下二分冊でしかもそれぞれ800ページ以上と結構な大著になる(本書も360ページを越す)。訳文はもちろんあった方が読みやすいが、本書については、ある程度訳注が付けられており、読んでいれば古語にも慣れるんで、古文であっても概ね内容はわかる。どうしてもわからない箇所もあるが、その場合は古語辞典やネットで調べれば容易に知ることができるので、訳文は必ずしも必要ではないと個人的には感じる。古文と言っても日本語なのであるからして、あまり気負わずに臨んだら良いという気はする。それに本書にはしっかりした索引も付いていて大変親切である。
 さて、全部で196話もあれば、面白い話もあるし、何が面白いのかよくわからない話もあるのは当然。僕にとってはさすがに「児ノカイ餅スルニ空寝シタル事」(巻一の十二:いわゆる「児子のそら寝」)に匹敵するものはなかったが、それでもそれに迫るものはかなりあり、内容はかなり充実している。中でも、「鬼ニ瘤取ラルル事」(巻一の三)、「雀報恩ノ事」(巻三の十六)、「長谷寺参籠の男利生に預かる事」(巻七の五)は僕にとって予想外だった話で、それぞれおとぎ話の瘤取り爺さん、舌切り雀、わらしべ長者のオリジナルの話である。このオリジナルが説話であることはそれなりに知られているらしいが、僕はまったく知らなかったんで(室町時代の『御伽草子』あたりではないかと思っていた)、読みながら気付いたとき、大いに驚いた。また「僧伽多羅刹国ニ行ク事」(巻六の九)は、女の国に渡って取り殺されそうになった商人の話で、ちょっとしたスペクタクルが楽しめる。さらに、「伴大納言応天門ヲ焼ク事」(巻十の一)は応天門の変、「河内守頼信平忠恒ヲ攻ムル事」(巻十一の四)は平忠常の乱、「清見原天皇大友皇子ニ与スル合戦ノ事」(巻十五の一)は壬申の乱をそれぞれ描いたもので、一種の歴史物であり、さながら見てきたか聞いてきたかのように描かれているため、臨場感がある。空也や慶滋保胤など、歴史の教科書に出てくる人物も、同時代の身近な存在として登場するため、親近感を感じる。超人陰陽師、安倍晴明が活躍する話もいくつかある。
 内容はこのようにきわめて多彩で、しかも『日本霊異記』や『今昔物語集』と異なり大和言葉がベース(この二著は漢文ベース)になっていて比較的読みやすいため、説話集にアプローチする際は入門として『宇治拾遺物語』が格好の素材になるのは確かである。しかもこれを全部読み通したということになると満足感もひとしおである。いろいろと発見もあり、手元に置いて何度も読んでみたいと感じさせるような本である。通しで読むことによって、日本の古典文学の奥深さをあらためて感じさせられたのであった。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『コミックストーリー 日本霊異記(本)』
竹林軒出張所『漫画・日本霊異記(本)』
竹林軒出張所『セクシィ古文(本)』

by chikurinken | 2018-12-23 07:32 |

『フランス人ママ記者、東京で子育てする』(本)

フランス人ママ記者、東京で子育てする
西村・プぺ・カリン著、石田みゆ訳
大和書房

日仏出産子育て事情

b0189364_17220244.jpg じゃんぽ〜る西のマンガ、『モンプチ 嫁はフランス人』に出てくる「嫁」は、この本の著者、西村・プぺ・カリン。ということでこの本では、妻の側から見た西(西村)家の風景が描かれる。
 著者は、旅行で訪れた東京を気に入り、その後東京に住むことを決意。長期休暇を取って東京を再び訪れ、携帯電話をテーマにしたルポを書いているうちに、それが売れるようになる。それを機に、それまでのパリでの仕事を辞めて東京に移り住み、フリージャーナリストに転身する。やがてAFP(フランスの通信社)に採用されて現在に至る。さすがフランス人という行動力で、まずそのあたりに感心する。その後、日本でじゃんぽ〜る西氏と知り合って結婚し、その後40歳で出産。そしてそのときの経験を中心にまとめたエッセイがこの本である。
 内容の大半は、日本で経験した出産と育児に関するもので、多くはフランスとの比較論になる。著者によると日本、フランスのどちらのシステムにも一長一短あるが(日本は出産に金はかかるが親切、フランスはすべて無料で著者が希望した無痛分娩についても比較的容易だがサービスが悪いなど)、著者は日本を選択。子育てについても一長一短ではあるが、こちらも今後日本に住み続ける可能性が高いことから日本を選択した。ただ一方で、日本もフランスの制度の良いところを取り入れてくれれば、より一層快適になるのにと思っているようだ。お説ごもっともである。
 意外だったのは、ベビーカー論争(少し前に取り沙汰された、電車内でのベビーカーの使用に関する議論)やマタニティハラスメントなども、僕は日本独特かと思っていたんだが、フランスにも同じような問題が存在するという話である。もちろん、フランスは自由の国であるため、お互いが意見をぶつけ合って主張し合う方向に進むらしいんで、経過は多少違ってくるが、それでも日本ほどひどくはないにしても同じような問題はあるらしい。
 比較文化論がこういった本の目玉になるわけだが、後半に描かれるフランスと日本の子育て事情の違いは、本来本書の目玉の部分なんだが、個人的には少々退屈した。日本の新米両親(つまり小さい子を持つ親、特に母親)もフランス人みたいにもっと育児に手を抜いて良いんじゃないかという著者の提言については大いに賛成するところだが、現在の僕にとって小さい子どもの育児はあまり大きな関心事ではないため、前半ほどは楽しめなかったというところだろうか(だが小さい子どもを持つ親であれば、大いに参考になることは容易に想像される)。
 やはり僕にとって一番面白かったのは、じゃんぽ〜る西が描く世界を裏側の視点(描かれる対象からの視点)から見たかのような二重映しの世界である。そういうのを過剰に期待していたことが、後半少し飽きた理由かも知れない。
★★★

参考:
竹林軒出張所『モンプチ 嫁はフランス人 (1)、(2)(本)』
竹林軒出張所『生まれてバンザイ(本)』
竹林軒出張所『ママたちが非常事態!?(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2018-12-08 07:21 |