ブログトップ | ログイン

竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

2018年 03月 01日 ( 1 )

『決戦!鳥羽伏見の戦い』(ドキュメンタリー)

決戦!鳥羽伏見の戦い 日本の未来を決めた7日間
(2017年・NHK)
NHK-BS1 明治維新150年スペシャル

鳥羽伏見の戦いを詳細に辿る

b0189364_18092611.jpg 1868年に薩摩軍と幕府軍の間で起こった鳥羽伏見の戦いから今年で150年になるということで放送されたドキュメンタリー。鳥羽伏見の戦いに対する従来の見方、つまりいち早く近代化した新政府(薩長)軍が旧弊な幕府軍を一蹴し、幕府側総大将の徳川慶喜が戦線を放棄して江戸に逃げ帰ったという見方は、その多くが偏見だ……みたいなことを冒頭から言われてかなり期待して見たが、実際のところはあまり通説と変わらず。少なくとも冒頭で紹介された「紙一重で新政府軍が幕府軍を下した」という見方は、ちょっと穿ちすぎと思う。ただし、今まで名前でしか知らなかった鳥羽伏見の戦いが、再現ドラマを交えて詳細に紹介され、かなりわかりやすかったことは確か。NHKの歴史物によく出てくる、素人(プロも混じっているが)パネラーたちによる議論みたいなくだらない演出がなかったことも評価に値する。専門家たちによる議論(めいたもの)はあったが、これについてはあった方が良いと思えるものであった。
 1867年の王政復古の後、新政府軍は天皇を中心とした新しい合議体制を進める方針を立てたが、このときに徳川慶喜がこの合議組織から排除されたことが事の発端。そのまま大坂城に退去した慶喜だったが、薩長といずれケリをつけるべく準備していた。実際兵力的には幕府軍が圧倒的に有利で、そのまま都を包囲すれば、薩長軍を雪隠攻めできることが明らかであるため、しかるべきタイミングで勅許を得て薩長を倒すというハラでいたらしい。ところが大目付、滝川具挙が薩摩討伐の勅許を速やかに得るべしと慶喜に上奏し、慶喜もそれに許可を出したため、にわかに時計の針が動き出す。
 朝廷を事実上乗っ取っていた薩摩は、いずれ幕府からの反撃があると予想し内心ビクビクしており、戦闘の準備をしていたが、やがてほぼ非武装の幕府軍(滝川具挙の軍)が都を目指して進軍してきた。そもそもの目的は薩摩討伐の勅許を得ることであり、勅許が得られたら、しかる後に薩摩に一撃を食らわす予定だったらしい。だが兵力で劣る新政府軍は、(危機感があったことも幸いして)万全の準備で滝川軍の進軍に対峙し、その進路である鳥羽と伏見で幕府軍を迎え撃つ。こうして、幕府側の当初の意図とは離れたところで戦いが始まってしまう。十分な準備ができていなかった幕府軍は散り散りで退去し、翌日反撃したが、その後再び責められ1週間で淀城まで撤退する。淀城は元々幕府の譜代大名である稲葉氏の城であり、滝川軍はここを拠点にして反攻することを考えていたが、稲葉氏が新政府軍に寝返ったため、反撃も叶わず、結局大坂城まで退去することになった。しかしこのときすでに、大坂城の主、徳川慶喜は、幕府の軍艦で江戸へと旅立っていたのだった……という流れである。
 途中、海軍力は幕府の方がはるかに優れていて大阪湾を完全に抑えていたとか、薩摩郡総大将の西郷隆盛が怯えていたとか、戦闘が始まってから朝廷内で親幕府勢力が一時的に優勢になったなど、やや目新しい事実はあるが、大局に影響するものではなく、結局ほぼ通説どおりに事が進んでいる。要するに幕府側が、新時代の変化に対応できていないのが一番の敗因であったということで結果としてはありきたりとも言えるが、日本史における画期であるこの事件を詳細に紹介するという試みは成功している。また、岩倉具視が、後醍醐天皇の時代以降途絶えていたはずの「錦の御旗」を再現し(要はイミテーションだが)、それが幕府軍と新政府軍のどちらにつくか迷っていた諸藩を引き寄せる結果になったなどという事実も目新しい。2時間枠は少し長すぎるような印象があるが、内容は充実していたと言える。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『幕末史(本)』
竹林軒出張所『西園寺公望 最後の元老(本)』
竹林軒出張所『龍馬 最後の30日(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『武士の家計簿(映画)』

by chikurinken | 2018-03-01 07:09 | ドキュメンタリー