生と死の境界線 死刑囚 最期の7日間
(2024年・英BBC)
NHK-BS BS世界のドキュメンタリー
死刑制度の問題性について考える
日本の死刑制度の異常性についても
今でも死刑が存続している米国テキサス州で、死刑囚として収監されているアイヴァン・カントゥを追ったドキュメンタリー。
このカントゥという男、2人の男女を殺害したという容疑で逮捕されたが、当初から無実を訴えていた。しかし状況証拠から有罪になり、結果的に死刑判決が出されたのだった。一方で、状況証拠が不確かな上、証言が偽証であったりしたことから、冤罪ではないかという疑いが出てきて、死刑執行停止を訴える運動も世論で広がっていた。
そういう反対論も出ていた中、2024年になって死刑が執行されることになり、執行日も決まった。このドキュメンタリーではその執行日の前後の死刑囚や支持者の様子を記録しているわけだが、驚くのは、死刑執行日までの1週間の間に何度かカントゥ自身がカメラの前で自身の無実を訴えていたという点で、こういう映像は日本では絶対にあり得ない。なぜなら、日本では死刑執行日が外部に通知されることはないし、死刑囚の外部との通信も極度に制限されているためである。テキサス州の状況に少し触れるだけで、日本の秘密主義の死刑制度の異常さにあらためて目が行く。

いずれにしてもこの事件、当局はすべてのことが明確だと主張するが、不明な点がいまだに残っているのは事実で、そんな状況で死刑執行してしまうと、すべてが闇に葬られる結果になる。そのために死刑執行を延長すべきという議論が出てくるわけだが、そこが死刑制度の問題点でもある。つまり刑が執行されてしまい、容疑者を死なせてしまうと、たとえ無実であることが判明したところで、もはや取り返しがつかなくなるわけである。このドキュメンタリーでは、このような問題点も鋭く突いているのだが、それは死刑制度のない英国からの視点でもあるのだろう。死刑制度がいまだに存続している日本でこういうことを訴えても、あまり共感が得られないのではないかと思う。
それでも日本からの視点としては、先ほど言ったように、死刑囚が外部と通信できる点にまず驚くわけだが、他にも死刑執行の方法が薬物注射である点(日本の絞首刑が残虐に映る)、執行日が事前に通知される点(日本では当日の朝に通知)なども意外であった。死刑という野蛮な制度の中でもさらに野蛮なのが日本の制度であるということを実感する結果になった。

またこのドキュメンタリーでは、死刑制度の論拠としてよく使われる被害者遺族の感情についてもスポットが当てられており、少なくともこの事件については、被害者遺族にとって、容疑者を死刑にすることが決して解決になっていないことが示されている。そもそも、もし冤罪であれば真の下手人が免罪されたことになるわけで、そちらの方が遺族にとっては大きな問題になるのではないだろうか。
ともかくこの作品が、死刑制度について考える良い素材になっているのは確かである。死刑に何の疑問も持っていない多くの日本人にぜひとも見ていただいて、自分の頭で考えるための素材にしていただきたい作品である。
★★★☆参考:
竹林軒出張所『死刑(本)』竹林軒出張所『ぼくに死刑と言えるのか(本)』竹林軒出張所『殺人犯はそこにいる(本)』竹林軒出張所『騙されてたまるか 調査報道の裏側(本)』竹林軒出張所『正義の行方(ドキュメンタリー)』竹林軒出張所『死刑弁護人(ドキュメンタリー)』竹林軒出張所『袴田事件 58年後の無罪(ドキュメンタリー)』竹林軒出張所『ふたりの死刑囚(ドキュメンタリー)』竹林軒出張所『法医学者たちの告白(ドキュメンタリー)』竹林軒出張所『“冤罪”の深層(ドキュメンタリー)』竹林軒出張所『罪と罰 娘を奪われた母 弟を失った兄(ドキュメンタリー)』