
僕は40年以上毎日新聞を購読してきた。それにはもちろん理由があって、朝日新聞みたいな権威主義的な匂いがない上、「記者の目」をはじめとして斬新な視点を提供してくれる媒体であったことが大きい。産経や読売などの右翼的な権力迎合新聞はそもそも報道媒体として認めていないので選択肢にない。
近年では(自宅に届いてはいたが)現物の紙面をあまり読むことはなく、ネットで展開されるネット版を読むのがもっぱらだったが、ネット版のせいか紙面で掲載されないような記事も割合出てきているようで、そのためか全体的に質の低さを感じることがままあった。特に
「医療プレミア」と名うたれた特集記事に、質が低いと感じるものが非常に多くなってきた。新型コロナ騒動の際も、やたらワクチンの効用ばかりを宣伝しており、もちろんそれは他のマスコミも同じであるが、それがかなり押しつけがましく、ワクチンの効能に疑問を感じている僕にとっては、読んでいて不快さを感じるレベルだった。むしろワクチンの効用を無批判に垂れ流す政府の姿勢に疑義を呈して、読者に自ら考えさせる機会を提供するのがマスコミの役割ではないかと感じながらも、しばらくは静観していたのである。
だが2022年8月31日付けに発表された記事は、ちょっと容認できないレベルだった。それが
「「がん放置療法」の近藤誠さん死去 なぜ極論に走ったのか」という記事で、これは昨年近藤誠が死去した直後に、鬼の首を取ったかのように近藤批判を展開したものである。

要は、近藤誠が「がんの外科手術に癌を治療する効果がない」と言っていたことについて、大した検証もせずに「極論」と決めつける内容であった。僕に言わせればこれは明らかにミスリードで、非常に問題の多い記事である。近藤誠の理屈に異議があるのならば生前に議論を挑めば良い話で、(死んだために)反論できない状態になってから論拠をろくに示さず一方的に非難するなどというのは、報道機関としてはあり得ない話である。これは悪口のレベルで、僕はこの記事を目にしたとき、あまりのことに憤慨したのだった。しかも記事に登場する2人の医師が勝俣範之と林和彦と来ていて、勝俣の方は、近藤の著書、
『健康診断は受けてはいけない』で「検診を宣伝する者たち」として実名付きで批判されていた医師、林の方は
『がんは治療か、放置か 究極対決』でまったく議論の相手になっていなかった医師である。言ってみれば近藤誠に個人的な怨みを持っている人たちで、こういう人間の言動をそのまま垂れ流す記事が報道機関の姿勢として僕は容認できないと感じた。
そのため、その後しばらくしてから、毎日新聞の購読をやめた。実は新聞購読については新聞社を支援する意味でも続けたいと考えていたのだが、それほどこれまでの「医療プレミア」の記事は目に余るものだったということを察してもらいたい。なお、毎日新聞の購読停止についてはネット上でできることになっているが、実際は上手く機能せず、結局大阪支社に電話して販売店の電話番号を聞き、何の怨みもない販売店に直接断りの連絡を入れなければならなかったことも付記しておく。さらには、ネットで購読停止の手続きをしたのと同時に、ネット版の毎日新聞が急に読めなくなったのも驚いた。新聞が配達され続けたにもかかわらずである。通常は月末まで有効になるのが筋ではないかと思う(実際そういう規定になっているようである)が、瞬時に停止された。そういったことをいろいろと考え合わせると毎日新聞もいよいよ末期状態になっているのではないかと感じる。ネット版はその後、再契約してまだ読んでいるが、ネット版朝日新聞の方がはるかに面白い記事が多く、現在は朝日新聞中心になった。朝日新聞にかつてのような権威主義的な匂いがしなくなっているのも良い。毎日新聞については、唯一の拠り所だった書評欄も最近は実につまらなくなっている上、毎週再ログインを求める構造も気にくわない。この分ではネット版もいずれ解約するのではないかと感じている。
読者が1人やめたからと言って毎日新聞社にとっては別段痛くもかゆくもないのだろうが、自分なりに落とし前は付けさせていただくということで、ここにこうして発表した次第。さらば毎日新聞。
参考:
毎日新聞「「がん放置療法」の近藤誠さん死去 なぜ極論に走ったのか」竹林軒出張所『近藤誠の本、5冊』竹林軒出張所『がんは治療か、放置か 究極対決(本)』竹林軒出張所『健康診断は受けてはいけない(本)』竹林軒出張所『医者が「言わない」こと(本)』竹林軒出張所『新型コロナ騒ぎは総括が必要』竹林軒出張所『ノンフィクションの崖』竹林軒出張所『新聞の見出しのナウシカた(直し方)』 以前はこういう記事もあるにはあった。どうしちゃったんだろね。上からの圧力か?
毎日新聞「新型肺炎「少し重いインフル」 現場医師の声」毎日新聞「コロナ禍に思う 政府批判が自己防衛になる」