今年も恒例のベストです。例年どおり「僕が今年見た」という基準であるため、各作品が発表された年もまちまちで他の人にとってはまったく何の意味もなさないかも知れませんが、個人的な総括ですんでそのあたりご理解ください。
今回でなんと14回目になりました。14回、つまり14年もやっていればそれなりに伝統らしきものが生まれ多少の権威も付いて良いのではないかと言う気もしますが、実際には何の権威もありません。
今年も見たドラマが少なかったため、ドラマ部門はありません。さらに映画も見たものが少なかったんで(しかもほとんどがドキュメンタリー)、全体的にこぢんまりしています。
(ベスト内のリンクはすべて過去の記事)
今年読んだ本ベスト5(77冊)
1.
『ブルシット・ジョブ』2.
『潜入ルポ amazon帝国』3.
『とりかえ・ばや』4.
『睡眠こそ最強の解決策である』5.
『負債論』 今年は再読した本が多く内容的に優れたものも多かったが、そういう本はすべて除外。今年新しく読んだ本からの選定である。
1.の『ブルシット・ジョブ』と5.の『負債論』はどちらもデヴィッド・グレーバーの著書で、内容の斬新さが目を引いた。ただしそれぞれの項でも書いたが、どちらも本としての完成度が著しく低く、観念奔逸的にあちこちに話が飛び回り整合性や一貫性が欠如している。おそらく著者の性格によるのではないかと思うが、そうであっても内容はかなり斬新でインパクトが非常に大きい。僕自身は、社会の現象を見るときにそれぞれの本で提示されている尺度でものを見るようになったし、それは従来持っていなかった新しい尺度でもある。特に「ブルシット・ジョブ」(無意味で不必要と思える仕事)が実際に存在することは薄々気付いてはいてもなかなか実感することはない。この本はそれを明確化し世界に伝えたわけであるから、その役割は非常に大きかったのではないかと思う。「ブルシット・ジョブ」については解説本(
『ブルシット・ジョブの謎』)もあり、こちらだけでも十分と思われる内容ではあったが、やはりオリジナルに当たらないことには始まらないということでここではオリジナルを選んだ。
2.の『潜入ルポ amazon帝国』も、著者の前著(『潜入ルポ アマゾン・ドット・コムの光と影』)とは異なり、アマゾンの問題について高いレベルでまとめ上げた快作であった。僕はこれを機会にアマゾンを(データベースとしての用途以外では)極力利用しないことにした。多くの人にその問題性・危険性を感じてもらいたいもので、そのためにはこの本はきわめて有効なのではないかと思う。
3.の『とりかえ・ばや』は古典作品の
『とりかへばや物語』をマンガ化したもので、全13巻に渡って丁寧に作画された作品である。原作は、荒唐無稽でご都合主義的に収束してしまう物語だが、それにスペクタクルを交えてダイナミックな展開にしたストーリーも注目に値する。古典文学作品の翻案としては非常に水準が高い傑作である。
4.の『睡眠こそ最強の解決策である』は、睡眠の最新知見が紹介されているという点で、睡眠の重要さを見直す上で大いに役に立った。睡眠不足がさまざまな病やケガに悪影響を及ぼす可能性に言及されている点も斬新と言える。多少怪しげな記述もありはするが、現在の睡眠研究の最前線が紹介されている点は評価に値する。
5.の『負債論』は『ブルシット・ジョブ』以上に完成度が劣る本で、誤植も非常に多く本の体裁としては最悪の部類に入るが、しかし内容的には斬新な論考である。負債が個人の自由を奪うシステムを形作っており一種の奴隷制の元凶であるとする説は目からウロコである。結局のところアナーキズムが理想というあたりに落ち着くことになるが、経済学の常識的な見方に対する疑問からアナーキズムへと到達する論考は、一つの考察過程を描き出したものであって、考察があちこちに飛び回り記述も一貫性がなかったりするのも、考察をそのまま文章化したせいだと言えなくもない。著者の考察を後追いする本と考えれば、その整合性のなさも受け入れられるかも知れない。
今年見たドキュメンタリー・ベスト5(58本)
1.
『空蝉の家』2.
『アウシュビッツに潜入した男』3.
『正義の行方』4.
『“玉砕”の島を生きて』5.
『山懐に抱かれて』 今年見たドキュメンタリーにはインパクトの大きいものが多かった。インパクトという点で考えると、これまででもっとも収穫が多い年だったのではないかと思う。
1.の『空蝉の家』は、ひきこもり問題が顕在化した横須賀の事件を追って、そこに至るまでの過程を、割合普通の家族に起こった悲劇として再現したドキュメンタリー。社会問題が1つの家族の破綻という形で顕在化し、その姿が掘り起こされているという点で斬新なルポだった。見終わった後も強烈なインパクトがしばらく尾を引いた。
2.の『アウシュビッツに潜入した男』は、ナチスドイツのアウシュビッツ収容所に収容者として入り、その内情をポーランド抵抗組織に報告していたというピレツキ大尉のドキュメンタリー。しかもその後アウシュビッツを脱出していると来ている。あまりの奇想天外な内容にフィクションの映画かと思うような話だったが、これが実話ということでそのインパクトは一層甚大である。
3.の『正義の行方』は、1992年の飯塚事件のルポで、死刑になった久間容疑者が警察と検察によって容疑をでっち上げられていた、つまり冤罪でなかったかということを検証するドキュメンタリー。実際には冤罪説を支持するものでありながら、当事者が多数登場し、彼らの証言を通じて捜査の過程をあぶり出すという正当的なアプローチが目を引いた。
松下竜一の『記憶の闇』を読んだときと同じくらい大きなインパクトが残った。
4.の『“玉砕”の島を生きて』は、太平洋戦争末期のテニアン島の惨劇を経験者の声を基に再現したドキュメンタリーで、あちこちでさまざまな賞を受賞した評価の高い作品である。戦争でのミクロ的な体験が、大きな傷を負った当事者の口から語られ、それをマクロレベルで大きな物語としてまとめ上げた快作である。戦争の当事者たちは今後ますます減っていくため、「あの戦争を語り継ぐ」という主旨では同様のドキュメンタリーは今後作れなくなるかも知れないなどとも思う。そういう意味ではこの作品が戦争に聞き取りに関連する最後の傑作になったかも知れない。
5.の『山懐に抱かれて』は、酪農に従事する一つの家族を長期間追った定点観測ドキュメンタリーで、家族内でいろいろありながらも、理想を持って事業を拡大している一家の話。『空蝉の家』と対照的ではあるが、これも一つの日本の家族の姿である。
今年見た映画ベスト3(17本)
1.
『香川一区』2.
『はりぼて』3.
『i —新聞記者ドキュメント—』 フィクションの映画をあまり見なくなってしまったため(なんと5本しか見てなかった……しかもそのうち3本は見るのが2度目)、ここで取り上げたのはすべてドキュメンタリー作品。もっともドキュメンタリー映画の中には、『はりぼて』のように元々テレビで放送されその後劇場公開されたものも多いため、どちらに分類したら良いか迷うものも昨今多くなったが、劇場公開されたという前提で「映画」扱いしている。
3本がどれも政治関係であるのは昨今の日本の悪しき政治状況を物語っているせいかわからないが、『香川一区』が21年、『はりぼて』が20年、『i —新聞記者ドキュメント—』が19年の作である。
1.の『香川一区』は、2021年の衆議院議員選挙における香川一区を描いたドキュメンタリー作品で、衆議院議員の小川淳也を中心に据えた映画である。日本の選挙がどれほど腐っているかがよくわかる一方で、新しい流れが存在することもわかり、大いに希望を持たされる。政治の問題点を勇気を持って告発する作品が増えていくことが望ましいが、今のマスコミにはあまり期待できないのが現状である。
そうはいっても2.の『はりぼて』のような作品を作るテレビ人もいるにはいるわけで、それほど悲観的になる必要はないのかも知れない。この作品は、富山市議会議員の不正を暴いて、結果的に議員の大量辞職を招いた、日本の報道史上画期的なドキュメンタリーで、日本のマスコミにも政治を動かす力が残っていることがわかる。もっともこれを作った人々がその後現場から外されるなどということが起こっているため、同時に日本のマスコミの限界も見えてくるわけであるが。
国政の現場での窮屈さが描かれたのが3.の『i —新聞記者ドキュメント—』で、望月衣塑子という一人の新聞記者を通じて、日本政府スポークスマン、ひいては政府自身の異常な様相が描き出される。日常的に目にしているものが実は相当異常であることが見えてくるというのはさすがの森達也作品であるが、映像の中で監督本人が警官とやり合ったりもしていて一層らしさを感じさせる。
というところで、今年も終了です。今年も1年、お世話になりました。また来年もときどき立ち寄ってやってください。
ではよいお年をお迎えください。
参考:
竹林軒出張所『2009年ベスト』竹林軒出張所『2010年ベスト』竹林軒出張所『2011年ベスト(映画、ドラマ編)』竹林軒出張所『2011年ベスト(本、ドキュメンタリー編)』竹林軒出張所『原発を知るための本、ドキュメンタリー2011年版』竹林軒出張所『2012年ベスト』竹林軒出張所『2013年ベスト』竹林軒出張所『2014年ベスト』竹林軒出張所『2015年ベスト』竹林軒出張所『2016年ベスト』竹林軒出張所『2017年ベスト』竹林軒出張所『2018年ベスト』竹林軒出張所『2019年ベスト』竹林軒出張所『2020年ベスト』竹林軒出張所『2021年ベスト』竹林軒出張所『2023年ベスト』