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竹林軒出張所

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『アウシュビッツに潜入した男』(ドキュメンタリー)

アウシュビッツに潜入した男
(2022年・仏PALMYRA FILMS、EFFERVESCENCE FICTION他)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー

身を賭した命がけの潜入記……驚嘆!

『アウシュビッツに潜入した男』(ドキュメンタリー)_b0189364_09252428.jpg ユダヤ人大量虐殺で有名な、ナチスドイツのアウシュビッツ強制収容所は、当初はユダヤ人用の施設ではなく、ポーランドをはじめとする周辺諸国のスラブ人捕虜なども収容されていた。ナチスは、アーリア人(つまりゲルマン人)の人種的優越性を説いており、スラブ人は(アジア人も)一段グレードの低い人種として扱っていた。ユダヤ人のようにスラブ人を根絶やしにしようという意図はなかったらしいが、アウシュビッツのような場所で強制労働に就かせていたという事実がある。
 そのアウシュビッツ収容所の実態を外部に伝え、ひいてはこの収容所を開放しなければならないと考えたのが、ポーランド軍将校のヴィトルト・ピレツキ大尉。彼は、抵抗組織に加わっていた元諜報部員で、そのピレツキが、実際にアウシュビッツ収容所に潜入し、その実態を外部(つまりポーランド抵抗組織)に伝えるという任務を負った。
 1940年、ピレツキは意図的にナチスに捕まり、アウシュビッツ収容所に送られる。そこでの生活は劣悪で、食料はろくに与えられず、しかも過酷な労働を課される。その上、弱った人間や看守が気にくわない人間が毎日殺されるという地獄のような環境であった。
 そんな中、収容所内から報告書を書いて送り、連合国軍とポーランド軍の支援を求めるという活動を行う。さらに収容所内に地下組織を作って、(軍の侵攻にあわせて)内部で蜂起することまで計画するが、やがて、いつまで経っても動かない軍の態度に業を煮やして、軍に直接掛け合う目的で脱獄を決意するのである。
『アウシュビッツに潜入した男』(ドキュメンタリー)_b0189364_09410501.jpg 脱獄はそれまでも収容者によって何度か試みられていたが、成功率は10%程度であったという。ピレツキら3人は、周到に準備した上で、脱獄を遂行する。アクシデントも発生したが脱獄は成功し、ピレツキは軍に辿り着くことに成功する。その場でアウシュビッツの内情を改めて報告し、収容所に攻め込むことを要請するが、ポーランド軍にそれだけの力がないことを、ピレツキはこのときに思い知るのだった。
 その後、ポーランド軍で活動を続け、ワルシャワ蜂起にも加わるが、やがてポーランドはソビエトによって支配されるようになる。ピレツキは、ポーランド亡命政府の軍人として、ポーランドの共産主義政府と対峙するが、やがて共産主義政府に逮捕され、苛烈な拷問の末、1948年に処刑される。
 こういったピレツキの半生が描かれるのがこのドキュメンタリーである。僕にはピレツキについてはまったく知識がなく、しかもあの悪名高いアウシュビッツ収容所に意図的に潜入してしかも脱獄したなどという事実があり得るのかという興味から、このドキュメンタリーを見たわけである。
 ドキュメンタリー自体は、特にピレツキについての知識がない人間から見ると、非常にスリリングであり、しかも意外性があるため、かなり楽しめる。ハリウッド映画なみのスリリングさである。もっともこれをフィクション映画にしてしまうと少しばかりできすぎに映るかも知れない。ピレツキの活動は、それほど超人的な活躍と言うことができる。
 なお、ピレツキについては永らく歴史の表舞台から消え去っていたが、1990年以降その名誉が回復され、再びその名前が世界に知られるようになったと言う。またピレツキの報告書も近年、書籍として刊行されている。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『夜と霧(映画)』
竹林軒出張所『パサジェルカ(映画)』
竹林軒出張所『地下水道(映画)』
竹林軒出張所『よみがえる“ワルシャワ蜂起”(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『第十七捕虜収容所(映画)』
竹林軒出張所『勝利への脱出(映画)』

by chikurinken | 2022-08-26 07:25 | ドキュメンタリー
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