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竹林軒出張所

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『不登校がやってきた』(ドキュメンタリー)

セルフドキュメンタリー「不登校がやってきた」
(2021年・NHK)
NHK-BS1 BS1スペシャル

不登校に接した当事者による
当事者目線のドキュメンタリー


『不登校がやってきた』(ドキュメンタリー)_b0189364_09133219.jpg NHKのディレクターが、自分の家族を素材に撮影したドキュメンタリー。このディレクター、3人子どもがいて、一番上が高校生、二番目が小六、三番目が小三であるが、二番目の娘は小四から、三番目の息子は小一から学校に行かなくなった。
 最初に学校に行かなくなったのは、当時小四だった娘で、親としては子どもが学校に行かないことに不安を感じ、無理やり連れて行ったりしてみたが、結局行けなくなり、家で過ごさせることにした。娘は理由について一言も語らず、したがって何がどうなっているのか親はまったくわからずという状態が続く。その後、娘が家にいることを親が受け入れ、好きなようにやらせるようになったあたりから、娘が学校であったことを少しずつ語ってくれるようになり、いろいろと状況が飲み込めてきた(要は、学校〈教師〉の自分に対する理不尽な対応に耐えられなくなったということらしい)。
 一方で、親の側としても、不登校の子どもを持つ親の話を聞いたり、フリースクールのことを調べたりといろいろと奔走し始める。ともかく親にとっては、不登校児が、学校でやるべき勉強をしていないということが一番の気がかりになるが、経験者の話を聴くと、不登校であっても子どもたちは周りのものからいろいろと学習しており、必要とわかれば自ら勉強し始めるということがわかる。逆に、それでは、学校の役割というのは何なんだ、今のままで良いんだろうかなどと、その存在意義についても問いかけ直すようになるのである。それを承けて、子どもたちの自主性に任せるという、新しい取り組みをしている福山の小学校を取材し、それを紹介するという方向に番組は進む。同時に、文科省が、不登校の子どもを無理に学校に戻さなくても良いとする指針を打ち出していることも紹介し、学校側も変わりつつあることが示される。
 自らの家族のありようを素材にして、自らが考え行動したことを記録したドキュメンタリーであり、あくまで当事者の視点が中心になった作品である。当事者でしか感じ得ないような内容が多く、第三者的に見ても感じるところが多い、なかなかの快作である。最近、NHKでもそうだが、こういったプライベート・フィルム風のドキュメンタリーが多くなったような気がする。どれも、自身の周辺の問題を取り上げその経験を映像化するという内容で、問題が切実であるだけに、インパクトのある優れた作品が多い。
 なお、不登校になった小六の娘の方だが、その後、自ら思うところがあり、少し離れた私立中学を受験することにした(近所の中学に進むのは、小学校の同級生がいるためイヤだったという)。それで自ら受験勉強を始め、無事に合格して、今はその学校に通っているということなのだ。こういう話を聴くと、子どもの潜在性に驚かされるばかりである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『不登校は1日3分の働きかけで99%解決する(本)』
竹林軒出張所『「自己肯定感」育成入門(本)』
竹林軒出張所『高校中退(本)』
竹林軒出張所『学校って何だろう(本)』
竹林軒出張所『学校に行かなくなった日(本)』
竹林軒出張所『中学なんていらない(本)』
竹林軒出張所『「ひきこもり」救出マニュアル〈理論編〉(本)』
竹林軒出張所『「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉(本)』
竹林軒出張所『ひきこもりはなぜ「治る」のか?(本)』
竹林軒出張所『夫婦別姓(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『極私的エロス・恋歌1974(映画)』
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竹林軒出張所『おっぱいと東京タワー(ドキュメンタリー)』
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by chikurinken | 2021-06-25 07:13 | ドキュメンタリー
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