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竹林軒出張所

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『栗城史多の見果てぬ夢』(ドキュメンタリー)

“冒険の共有” 栗城史多の見果てぬ夢
(2019年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル

取るに足りないネット世論の犠牲者

『栗城史多の見果てぬ夢』(ドキュメンタリー)_b0189364_17560731.jpg 栗城史多(くりき・のぶかず)という人、僕はまったく知らなかったんだが、ヒマラヤなどの高山に登り、その冒険の様子を映像化してYouTubeなどのサイトに投稿するという活動をしていたらしい。いわゆるユーチューバーというやつ。
 この栗城氏、登山家としては見るからに半分素人みたいな人だが、それでも7大陸の最高峰に次々に登頂成功して注目を集める。映像も人気を集め、それに伴いスポンサーも集まって、こういった冒険活動を一種の事業として続けていた。ただしヒマラヤ・クラスになると難易度が各段に高くなるため、必ずしも登頂成功とはならず、そういったことが続くと、やっかみ半分でそれについて非難するネット住民が出てくる。栗城の方も、それならば難易度の高い登山を成功させて彼らを見返してやろうと感じたのか、ますます難しい山にトライし失敗する。それにあわせて失望の表明や冷やかしも数が増し、映像視聴者が少しずつ離れていくという結果になって、事業としては悪循環に陥ってしまう。
 応援している視聴者たちはより困難な冒険を期待する、批判的なネット住民は失敗を嘲る、栗城氏の方はそれに応える(あるいは黙らせる)ために難易度の高い登山をするという具合に、こちらの面でも悪循環に陥り、とうとうこの栗城氏、ヒマラヤ登山の途中で事故死してしまう。劇場型冒険のなれの果てが死亡事故という結果になったのだった。
 冒険の映像とスポンサーの関係については前にも少し書いたが(竹林軒出張所『デナリ大滑降 究極の山岳スキー(ドキュメンタリー)』を参照)、映像を期待する方(つまりスポンサー)が冒険者に期待しすぎることは当然起こり得るし、しかも冒険者の側もそれに応えることで資金を得たり名声を得たりすることになるため、チキンレースみたいに行くところまで行ってしまうのではないかという危惧は当然生じる。スポンサーの方が有名企業であれば、無茶な要求や期待は絶対にしないと思うが(事故が起こると企業イメージの悪化に繋がるため)、今回みたいに野次馬中心のネット住民が相手ということになると、歯止めが利かなくなり行き着くところまで行ってしまうというのも十分想像できる。その悲劇が現実化したのが、この栗城氏の事故死ということになるのだろう。
 匿名のネット住民なんてのはそもそもが無責任なものなんで、実害がなければネットの言論なんか端から無視したら良いと思うんだが、実際にはネットの称賛(あるいはアクセス数など)で自己肯定感を得る人が多いというのが現実のようである。だが、そういった、実態がないに等しい仮想称賛に依存してしまうと、その仮想称賛がなくなった時点、あるいは非難に変わった時点で、今度はそれが大きな失望感に変わってしまう。当事者にとって、得た称賛を失うのはそれはそれで恐怖なんだろうと思う。
 こういうようなことを考えると、栗城氏も、実態を伴わず無駄に肥大してしまった現代のネット世論の犠牲になったという言い方ができるような気がする。そういったことをつらつら考えさせられるドキュメンタリーであった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ヒマラヤ8000m峰 全山登頂に挑む(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ヒマラヤ “悪魔の谷”(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『銀嶺の空白地帯に挑む(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『手足をなくしても(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『デナリ大滑降 究極の山岳スキー(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドキュメンタリー3本』「エベレスト 世界最高峰を撮る」
竹林軒出張所『“幸せ”に支配されるSNSの若者たち(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『#フォロー・ミー(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『スマホ脳(本)』

by chikurinken | 2019-01-28 07:55 | ドキュメンタリー
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