さよなら、カルト村
思春期から村を出るまで
高田かや著
文藝春秋
理不尽さはあるが
やはりカルトではないと思う 農業を中心とした生活を送る「カルト村」で生まれ育った著者による、自伝的マンガ。
『カルト村で生まれました。』の続編で、本書では、中学生時代から成人くらいまでの著者の生活が描かれる。
主人公のかやは、初等部を終えて中等部に入るが、所属する中等部は、初等部のときと違い(中部地方にある)本部にある。本部には、製パン会社から飼料用に譲り受けた(賞味期限切れが近い)菓子パンが大量にあり、誰でも自由に食べることができたため、初等部時代のような飢餓状態からは解放される(実際かなり太ったらしい)。中等部、高等部の生活は、僕から見ると全寮制の学校みたいなイメージで、初等部ほど、外部の環境との著しい違いはない。ただし例によって「世話役」がおり、この世話役によってハラスメントまがいの扱いを受ける。
たとえば学校の図書館で調べ物をしろと学校の担任から言われたんだがどうしたら良いかと「世話役」に相談したら(村では、学校の図書は利用が禁止されているらしい)、理由も聞かされず罰を受けた(「個別ミーティング」という名の監禁、この間、学校への通学も禁止される)などは、子どもの側から見るとはなはだ理不尽な扱いで、あり得ないタイプの仕打ちであると思う。もちろんこういった理不尽は「一般」でもいくらでもあるが、生活全般が関わっている集団生活であるため、その影響ははなはだ大きいと言わざるを得ない。
こういった仕打ちにもめげず、かやは(世話役には以後何も言わずに)図書館の本を片っ端から読むようになり、やがて高等部に進む。高等部でも理不尽な扱いはいろいろあるが、たくましく乗り切り、高等部卒業と同時に「一般」に出ることを決意する……という風に話が進む。一般社会で暮らす現在の話も少しあって、「村」での生活の良い面、悪い面が回想されるが、その結果、経験者が外から見る「閉じた世界」のイメージがあぶり出されることになる。このような本人の回想を勘案しても、やはりこのコミュニティを「カルト」と呼ぶのはちょっとどうかという印象がある。同様の理不尽な扱いは、全寮制の学校や教育現場、あるいは企業などでも、現在の日本にはいくらでもある。それを考えると、現在の日本社会がややカルトがかっているとも言えるってことか。
★★★☆参考:
竹林軒出張所『カルト村で生まれました。(本)』竹林軒出張所『カルト村の子守唄(本)』竹林軒出張所『お金さま、いらっしゃい!(本)』竹林軒出張所『「カルト宗教」取材したらこうだった(本)』竹林軒出張所『平成ジレンマ(ドキュメンタリー)』竹林軒出張所『A(映画)』竹林軒出張所『A2(映画)』竹林軒出張所『「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔(本)』