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竹林軒出張所

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『大峯千日回峰行 修験道の荒行』(本)

大峯千日回峰行 修験道の荒行
塩沼亮潤、‎ 板橋興宗
春秋社

心の贅肉がそぎ落とされるということ

『大峯千日回峰行 修験道の荒行』(本)_b0189364_16341856.jpg 以前、『行 〜比叡山 千日回峰〜』というタイトルのNHK特集で、比叡山に千日回峰という修行があり、それを達成した酒井雄哉阿闍梨が紹介されていたが、実は同様の修行は、大峰山にもある。しかもこちらの方が過酷らしい。
 あのNHK特集を若い頃見た一人の若者が、自分もこの行をやってみたいと思い、過酷な方の大峰山を選ぶ。そして高校卒業後、資金集めのアルバイトを1年間やった後、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)に入り出家する。ここまでの話を聞くと、出家者というよりまるで冒険家である。それが本書で対談している塩沼亮潤で、その後、通常の修行期間を経て、百日回峰行、やがて千日回峰行に入る。
 千日回峰行は、48kmの山道を1000日間歩き通すという修行で、1年のうち120日間(山が開いている期間)、台風だろうが山崩れだろうが毎日行を続けなければならない。これを9年間続ける。したがって晴天時の山歩きをイメージしていてはいけない。晴天時でも毎日長距離を歩くとなると、身体のあちこちに問題が出てくる。この修行はそういうことを踏まえて、修行者に人間の極限に迫ることを強いるという行なのではないかと思う。この本で、かなり具体的に修行の内容が紹介され、どのような危険に遭遇したか、何がつらいか、修行者自身にどのような変化が起こるかなどについて細かく語られる。
 聞き手は、禅僧の板橋興宗という人で、この大峯千日回峰行を達成したという塩沼亮潤の話を聞き、面会を申し出たというのがそもそもの出会いの始まりらしい。最初から最後までずっと対談形式だが、修行を達成した塩沼亮潤・阿闍梨(あじゃり)が相当細かい内容まで語るため、修行についてかなり詳しく知ることができる。また当初の痛い・辛いという感覚から、行を重ねるごとに、次第に感覚が研ぎ澄まされ、自分の中の迷いが徐々に消えていく過程についても詳しく語られる。心の贅肉がそぎ落とされているとでも表現したら良いのか、煩悩が落ちるというのはこういうことなのだというのが伝わってくる。
 なおこの阿闍梨、千日回峰行の後、四無行と八千枚大護摩供も成し遂げている。四無行というのは、9日間、断食・断水・不眠・不臥(食べない、飲まない、寝ない、横にならない)という修行で、比叡山の堂入りと同様の修行である。NHK特集では、これにカメラで迫るという偉業を行っていたわけだが、それについて当事者側の観点で語られるというのが本書である。千日回峰行にしても四無行にしても、行者の内面がどんどん変わっていく様子が大変興味深く、これが悟りということなのだと実感できる。
 行の話の後、現代の生きづらさについても、修行を終えた身の視点で語られる。辛さと向き合ってそれを「出会い」と捉えるというスタンスは非常に興味深い。辛い修行を達成した阿闍梨の口から語られる内容だけに力強い説得力がある。生きづらさを感じている人も同様の修行をして人間の限界を感じたら良いのではなどと、本書を読んで感じたのだった。なおこの塩沼阿闍梨、幼少時はかなり貧しく、かなり無茶苦茶な生活を送っていたようだ(ただそれを苦にしていた様子はない)。こういう幼少期の話も、彼の説法の説得力に繋がっていると思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『行 比叡山 千日回峰(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『大峯千日回峰行の道を行く(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『NHK特集 永平寺(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2017-12-11 07:33 |
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