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竹林軒出張所

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『名前を失くした父』(ドキュメンタリー)

名前を失くした父 〜人間爆弾“桜花”発案者の素顔〜(2016年・NHK)
NHK-Eテレ ETV特集

「桜花」は散らずに禍根を残した

『名前を失くした父』(ドキュメンタリー)_b0189364_8134035.jpg 太平洋戦争末期、大日本帝国海軍は人間が乗って操作するロケット弾(要は人間爆弾)「桜花」を開発し、敵の軍艦を殲滅させるためこの「桜花」を戦場に投入することを決定した。これはカミカゼ特攻隊が登場する前で、自爆を前提に徴集された兵士には複雑な思いがあった。
 この「桜花」による攻撃を提案したとされるのが太田正一という海軍中尉で、この人は元々自分も操縦席につくつもりだったと伝えられるが、結局は終戦まで搭乗することはなかった。もっともそれ以前に、桜花には2トンもの重さがあったため、これを搭載した飛行機の小回りが利かなくなり、敵艦に近づく前に敵の戦闘機に打ち落とされたという現実がある。作戦は勇ましいものであったが、現実性には乏しかった。犠牲者は200人以上に上り、作戦は完全な失敗に終わった。
 だがこの太田正一、終戦後は、生き残った特攻兵らから突き上げを喰らったり、あるいは本人にも罪の意識があったりしたせいか、戦後すぐ零戦に乗って自殺を図ったりしている(結局漁船に助け出される)。その後は、杳として行方が分からなくなり、世間の表舞台に出ることはなくなった。
 しかし太田は、偽名を使って別人になり生きのびていた。ただし偽名で戸籍がないため、まともな職に就くことができず、随分苦労したらしい。その後結婚するも、妻や子どもにも永らく正体を隠していた。
『名前を失くした父』(ドキュメンタリー)_b0189364_81428.jpg 太田の子息である大屋隆司さんは、その後太田が偽名を使っていたことや彼のかつての仕事のことを知り、それに対して割り切れなさを感じ、同時に罪悪感も感じていた。すでに死去している太田が生前何を考えていたかも彼にとって謎であった。そこで、戦時中太田を知っていた生き残りの人々に会って、太田の周囲について明らかにしたいと考える。その後を追いかけたのがこのドキュメンタリーである。
 その取材過程では、桜花に乗せられることになっていた兵士から恨まれていたことなどが分かる。同時に太田は単なる犠牲者だと考える人もいる。軍が上から自爆攻撃の作戦を下達することはできないため、下(つまり太田)から提案された形にしたというのである。さらに太田が死の直前、高野山で自爆攻撃の犠牲者に参拝していたことやその直後に自殺未遂を起こし保護されていたことなどもわかり、太田が持つ贖罪の意識が明らかにされる。
 このドキュメンタリーでは、一つの罪がある人の人生に落とす影、そしてその子孫までもがその影響を受けることなどが明らかになっていく。「桜花」については昔松本零士のマンガで見て知っていたが、その開発にこんな陰があったことはまったく知らなかった。いろいろ感じるところが多かった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『特攻 〜なぜ拡大したのか〜(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『カラーでみる太平洋戦争(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『遺族(ドラマ)』
by chikurinken | 2016-03-29 08:14 | ドキュメンタリー
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