ブログトップ | ログイン

竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

『チャスラフスカ』(ドキュメンタリー)

チャスラフスカ もう一つの肖像 〜知られざる激動の人生〜
(2015年・NHK)
NHK-BS1 BS1スペシャル

人に歴史あり

『チャスラフスカ』(ドキュメンタリー)_b0189364_8135469.jpg 東京オリンピックで活躍(金メダル3個を獲得)し、「東京オリンピックの花」と呼ばれたチェコの体操選手、ベラ・チャスラフスカの生涯を取り上げるドキュメンタリー。
 3つのオリンピックでメダルを獲得し、国民的英雄として迎えられたチャスラフスカ。彼女の故国チェコスロバキアはソビエト連邦の衛星国であり共産主義国だった。
 そんなチェコでは、メキシコ・オリンピックを前にした1968年に、ドゥプチェク第一書記の主導により民主化運動が広がった。「人間の顔をした社会主義」というキャッチフレーズで進められた改革は、国民の賛同を集め、民主化のうねりは大きく広がっていく。いわゆる「プラハの春」である。このとき民主化に賛同する市民による宣言文「二千語宣言」が出され、賛同する著名人がこれに署名していき、民主化運動は大きく拡大していく。
 しかし、このような運動が周辺国に広がること(ひいては共産圏から離脱すること)を懸念したソビエトは、首都プラハに戦車を含む陸軍部隊を派遣し、民主化運動を武力で鎮圧する。やがてドゥプチェクが解任され、プラハの春は終焉を迎える。
 このようなさなか、メキシコ・オリンピックが開催され、チャスラフスカは金メダルを3個獲得するが、床運動ではソビエト選手と同時優勝となる。このときにソ連の国旗から(消極的に)目を背けるという行動を行い、これがチェコの状態を国際社会に訴えることにつながるなど話題になった。
 プラハの春が終焉すると、体制はソビエトの傀儡となって反動的になり、チャスラフスカも「二千語宣言」への署名の撤回を求められる。これを拒否し続けた彼女は、体操関係の仕事も剥奪され、数年間掃除婦として働くことを余儀なくされるなど、社会的につらい時期を過ごすことになる。出版しようとした自伝も、当局から検閲を受け、最終的に2/3が削られてしまうという不幸な時代を送った。
『チャスラフスカ』(ドキュメンタリー)_b0189364_8142059.jpg 時代が流れ1989年になると、ソ連自身により民主化運動が進み、共産主義体制は一挙に崩壊に向かう。チェコスロバキアでもドゥプチェクが復権するなどして民主化が進み、共産主義体制は終わりを迎える。チャスラフスカも「独裁体制に抵抗し続けた英雄」として迎えられ、名誉回復が行われることになった。
 現在、73歳のチャスラフスカさん、5つの部位に癌を抱え治療を続けながらも、これまでの人生、そしてチェコの政治/社会状況を赤裸々に綴るべく「本物の」自伝を鋭意執筆中。町で見かけたらただのお婆さんにしか見えない女性だが、彼女自身にもそしてその背後にも大きな歴史があるのだった。「人に歴史あり」という言葉が身にしみるドキュメンタリーである。背後に何度も流れる「モルダウ」が悲しく響く。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『存在の耐えられない軽さ(映画)』
竹林軒出張所『映像の世紀プレミアム 16(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2015-10-26 08:15 | ドキュメンタリー
<< 『データに溺れて…』(ドキュメ... 『マエストロ・オザワ 80歳コ... >>