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竹林軒出張所

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『遠い祖国 前・後編』(ドキュメンタリー)

遠い祖国 〜ブラジル日系人抗争の真実〜 前・後編
(2014年・テムジン/NHK)
NHK-BS1 BS1スペシャル

今語られる暗黒のブラジル移民史

b0189364_830587.jpg 日系ブラジル移民の悲劇を、インタビューを交えて描くドキュメンタリー。
 明治末期に始まったブラジルへの出稼ぎ労働は、政府が主導したもので、参加する方にとってはあくまでも出稼ぎという位置付けだった。当時の日本ではいくら頑張っても大した金は稼げないが、ブラジルの農園で働けば短期間で富を築くことができるという触れ込みだったらしい。ところが実際に現地に行ってみると、半奴隷労働で簡単に逃げられないようになっている(逃亡者は殺されることさえあったらしい)。それにたとえ逃げおおせても、金がないので祖国に帰ることはできない。ブラジルに赴くときは国が金を出したが、これはあくまで片道切符である。移民の当事者にしてみれば、現地で金を稼いだあかつきには、その金を使って大手を振って祖国に帰れば良いくらいの感覚だったため、手持ちの金は皆無に近かったらしい。要するに、彼らの感覚からいくと、政府に良いように騙されたということになる。
 現地では虐げられ、帰るに帰れない状態だったため、移民の日本人たちは懸命に働き、互いに助け合いながらやがて集まって住むようになった。中には富を築くものも現れ、成功者も増えていく。日本人コミュニティも大きくなり、日本語の新聞、学校なども相次いで設立されていった。
 こういう状況を激変させたのが第二次世界大戦だった。ブラジルは連合国として参戦したため、日本人移民は「敵性」扱いで、学校は閉鎖、新聞も廃止され、日本人コミュニティは隔離された。ラジオまで取り上げられ、外部から情報が入らない状態になった。そのため、戦況が正しく伝わらず、日本人コミュニティ内では情報が噂でしか流れなくなった。あげくに日本が戦況を有利に進めているというガセネタもまことしやかに語られるようになり、そういう状況が続くのである。1945年8月に日本がポツダム宣言を受諾して敗戦が決定してからも、正確な情報はしばらくの間伝わってこなかった。
 やがて、日本政府から日本人コミュニティに対して敗戦の事実を受け入れるよう通達が出されるが、これがブラジルのプロパガンダだとして受け入れない人々(いわゆる「勝ち組」)が多数出てくる。かれらは、敗戦の事実を受け入れた人々(いわゆる「負け組」)を「スパイ」扱いし、嫌がらせしたりしていたが、やがてこれがエスカレートして要人への脅迫や暗殺にまで至る。一方で負け組の人々もこれに応戦し、双方で死者が数十人も出たという。こうして日本人コミュニティは分裂していく。勝ち組の人々は、日本が新たに植民した(と彼らが思い込んでいる)スマトラやボルネオに、新たな移民船で入植することまで計画しており、一方でそれに便乗して詐欺を働き金をだまし取るような悪辣な日本人もいたという。
 こういった事情は『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でも触れられているが、このドキュメンタリーでは、関係者の口から当時の状況が赤裸々に語られる。関係者の中には、加害者(暗殺に直接加担した者)や、被害者の家族(身内がすぐそばで殺された者)もいて、生々しい話がかなり出てくる。ただしどの関係者もかなり年配で(皆元気ではあるが)、おそらくこういったインタビューが残される機会はこれが最後ではないかと思われる。それを考えると、当時のブラジル日本人コミュニティの状況を示す重要な証言が、このドキュメンタリーに映像として残されたのは貴重である。多くの日系移民が今は成功しているため、過去の話は美談として語られることが多いが、実際に当事者の口から語られるブラジル移住当時の話は、決して美談ではない。国が組織的に人減らしのために詐欺を働いていた(少なくとも当事者はそう考えていた)という事実は、これまでなかなか見えてこなかった。暗黒の移民史がこうして詳らかにされたという点で、非常に価値があるドキュメンタリーである。
第52回ギャラクシー賞優秀賞受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(本)』
by chikurinken | 2015-09-05 08:31 | ドキュメンタリー
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