サイゴン陥落 緊迫の脱出 前・後編(2014年・米WGBH)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー
アメリカ側から見たベトナム撤退
パリ協定で北ベトナムとアメリカの間で停戦合意が行われたのが1973年(
竹林軒出張所『パリ秘密交渉の内幕(ドキュメンタリー)』を参照)。アメリカが南ベトナムから撤退することを取り決めた協定である。建前上は、北ベトナムと南ベトナムの停戦であり、南北ベトナムの領土不可侵を規定したものであったが、それまで攻勢を続けていた北ベトナムが南ベトナムに侵攻するのは目に見えていた。少なくとも、当局者はそれについてある程度予測していたはず。
で、1975年になると案の定というか、北ベトナムが国境を越えて南ベトナムに侵攻を始めた。アメリカという後ろ盾のない南ベトナム軍はひとたまりもなく、北ベトナム軍と南ベトナム解放戦線は数カ月で首都サイゴンまで迫ってきたのである。
当時の南ベトナムは、今映像で見ると70年代の日本と大差はなく、アメリカ文化の影響を多大に受けていることがうかがわれるが、北から共産勢力が入ってくれば、当然大きな社会変動が起こるのは必定で、生活は激変するはず。それに南ベトナム軍関係者は言うまでもないが、アメリカへの協力者と見なされるとどのような目に遭わされるかもわからない。そのため、北ベトナム軍が迫ってくることがわかると、多くのベトナム人がアメリカ大使館に殺到して、亡命を求めるようになる。
一方アメリカ大使館の側、とくに駐南ベトナム・アメリカ大使は、北ベトナム軍がすぐにサイゴンまで迫ってくるとは思っておらず、部下たちが速やかな撤収作戦を勧めてもそれを受け入れようとしなかった。ところが北ベトナム軍のサイゴン侵攻は思いの外早く進み、アメリカ側の撤収作戦は、当初の予定どおり遂行できなくなる。当初の予定というのは空港から軍用機または旅客機で米国人や亡命希望のベトナム人を大量輸送するというものであるが、結局、大使館から沖合の空母にヘリコプターで人を輸送するという人海戦術しか取れなくなるのだ。一度に運べる人数は限られるもこの作戦で沖合まで亡命希望者をせっせと運んではいたが、やがて北の軍が迫ってくると、いよいよこの作戦自体も遂行が困難になる。しまいには大統領命令で、作戦遂行が打ち切られ、ベトナム人亡命希望者は500人ばかりが大使館に取り残されてしまうのだった。なおアメリカ人は、一部のジャーナリスト以外、撤収に成功する。

このあたりの一部始終を、この作戦に関係した軍人、亡命しようとして叶わなかったベトナム人らから話を聴き、まとめ上げたのがこのドキュメンタリーである。当時のアメリカのニュース映像の他、サイゴンに残ったジャーナリストが撮影した映像などもふんだんに出て来て、当時の状況がよくわかるようになっているのは、このドキュメンタリーの大きな魅力である。緊迫感も伝わってきて、ドラマチックで非常に面白かった。
ただ、アメリカの製作局ということもあり、全体的にアメリカ目線で、アメリカの当事者の人道的な側面ばかりが強調されているきらいはある。実際「サイゴン陥落」という視線が貫かれていたが、北ベトナム軍がサイゴンに侵攻した当時の映像を見ると、むしろ「サイゴン解放」みたいな印象さえ受けた。もちろん、アメリカへの「協力者」たちが「解放」後どういう扱いを受けたか、詳しいところはよくわからない。番組の最後で紹介されていた情報によると、大勢が再教育収容所に入れられ、多くがそこで死んだ上、処刑された人も多数いたということだったが、数字が示されていたわけではないし具体例が紹介されていたわけではないので、本当のところははっきりしない。ただ、番組全体を通じて終始解放後のベトナムが地獄であったかのような表現だったことは確かである。少なくともこの番組のインタビューに登場していたベトナム人は、その後アメリカに亡命しているわけで、生きながらえているのは確かなのだ。だから余計、解放ベトナムでその後どういうことが行われたかについてももっと具体的に示してほしかったと思う(ジャーナリストが残ったわけだから映像や資料がないということはあるまい)。それがために、アメリカ側の一方的な視点という印象は最後まで拭いきれなかった。
★★★☆参考:
竹林軒出張所『パリ秘密交渉の内幕(ドキュメンタリー)』竹林軒出張所『ベトナム戦争関連のドキュメンタリー3本』