死刑弁護人(2012年・東海テレビ)
製作:阿武野勝彦
監督:齊藤潤一
撮影:岩井彰彦
ナレーション:山本太郎
男・安田好弘、どこへ行く
安田好弘という弁護士に密着するドキュメンタリー。この安田好弘という弁護士、これまでさんざん重要事件の被疑者の弁護士を務めてきている人である。このドキュメンタリーでは、彼が担当した事例数件が事件の内容や裁判の争点などと一緒に紹介されていくんだが、それがことごとく我々の記憶に残っているような重大事件と来ている。たとえば「新宿西口バス放火事件」、「名古屋女子大生誘拐事件」、「オウム真理教事件」、「和歌山毒物カレー事件」、「光市母子殺害事件」。事件を聞くと、ああ、あの弁護士かと顔を思い出したりして、ニュース映像などでときどき映っているあの人だと気が付く。
「光市母子殺害事件」と言えば、あの橋下徹が、担当弁護士の懲戒請求を弁護士会に出せと視聴者に呼びかけた例の凶悪事件。そして、その呼びかけの対象となった弁護士がこの安田弁護士ということになる。そもそも法治国家では被疑者に弁護人がつくのは当然で、その弁護人に対してけしからんなどという言動はあまりに幼稚で馬鹿げているんだが、それを当時弁護士だった人間(橋下のことね)がマスコミを使って煽るなんていうことが僕には大層な驚きだったんで、正直、安田弁護士の印象よりもそっちの方が強烈だった。むしろ、こういう人権感覚のない悪徳弁護士(橋下のことね)に対して懲戒請求を出すのが筋だろうと思ったが、実際この事件でも安田弁護士のところに「死ね」とか「お前はゴミだ」などという手紙を送りつけた困った人たちが多かったらしいから、日本の世論ってチョロいもんだと思う。とにかくこうして簡単にマスコミの言動に乗せられて、「善意」の下、したり顔で嫌がらせしてしまう衆愚の人たちが一番の困りものである。
閑話休題。安田弁護士というのは、ともかくあの人なんである。で、この人、重大事件を次々に担当しているんだが、何もそういう事件に喜んで飛びついているわけではなくて、他に担当する人がいないとこの人のところにお鉢が回ってくるという話なんだな。要するにこういった重大凶悪事件の場合、負ける確率が高い上、勝ったところであまり得るものがなく報酬だって見込めないわけで、あまりやりたがる人がいないということ。そのためこの安田氏、基本的には正義感から、しかも手弁当でこういった弁護を引き受けているらしいのだ。こういうことは同業者であれば知っていると思うんだが、あの人権感覚のない男は……ってまあこれはやめておこう。
さて、この光市母子殺害事件もそうだが、オウム真理教事件も和歌山毒物カレー事件も、とにかくやたらマスコミが煽りまくることで公正な裁判が行われにくくなっていると安田氏は訴える。被害者側の心情を情緒的に訴えることで世論が作られ、結果的にそれが裁判の場に影響を与えているという。特に和歌山毒物カレー事件に至っては、確たる証拠もなく死刑判決が出されている。作られた情緒的な世論のせいで正しい判断が行われず、言ってみれば公開処刑のような状態になっているのが現状という。安田弁護士によると、林真須美死刑囚は非常に金にシビアで、保険金詐欺のために殺人未遂をやることはあっても、意味のない大量殺人などやるような人間ではないという(なんだかやけに説得力があった)。検察側から提示されている証拠も何やら怪しいものばかりで、冤罪の可能性が高いと主張していた。
正直僕自身、安田氏のこともほとんど知らなかったし、それぞれの事件についても世間並みの関心しか持っていなかったが(橋下の言動は異常だとは思ったが)、一方的に垂れ流される情報を疑うことが大切だということをこのドキュメンタリーであらためて確信したのだった。実際のところ、日本では冤罪が非常に多いというのがわかっていたが(刑事事件の半分以上が冤罪だという話も聞いたことがある)、和歌山毒物カレー事件できちんとした証拠が提示されていないにもかかわらず死刑判決が出ているのを知ると、日本の司法は本当にどうしようもないなと思う。
何より驚くのは、この安田弁護士、1998年、オウム真理教事件の審議中に、逮捕され10カ月拘留されている。どうも検察側にオウム真理教事件の弁護を妨害する意図があったというのが真相のようで、日本の司法は一体どうなっているんだと思う(結局一審無罪、二審罰金刑、最高裁で上告棄却で結審)。こういうことを許していたら社会正義はいつまで経っても実現しないと言いたい。ただ僕自身、そういう事件自体知らなかったわけで、このドキュメンタリーを通じて初めて知ったのだ。お恥ずかしい限り。
ともかくこういったことが、淡々と語られるドキュメンタリーなのであった。基本的には安田弁護士に密着するという方法論で、まったく派手さはなく、途中(特に前半)飽きる箇所もあるが、後半部分は目を離すことができなくなった。おかげで日本の司法について考えをめぐらせる良いきっかけになった。なお、このドキュメンタリー、元々フジテレビ系で放送されたものだが、僕が見たのは、優良ドキュメンタリーを集めたNHKの番組でだった。なお、最初に放送された後、劇場公開もされたらしい。これも今回初めて知った。詳細については
『死刑弁護人』公式HPへ。いずれDVD化されるかも。
第66回文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門優秀賞受賞
★★★☆参考:
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