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竹林軒出張所

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『テレビがくれた夢 山田太一 その2』続き(補足)

テレビがくれた夢 山田太一 その2(2013年・TBS)
TBSチャンネル2

前回の続き)
● 『想い出づくり。』(1981年)と『ふぞろいの林檎たち』(1983年)について
語り:続いて結婚を意識した24歳の3人の女性が結婚までに青春の想い出を作ろうとするドラマ、『想い出づくり。』。複数の主人公、それぞれのストーリーを描く、いわゆる群像劇というスタイルを打ち出した画期的な作品として、ドラマ史に残る名作です。

『テレビがくれた夢 山田太一 その2』続き(補足)_b0189364_7365366.jpg山田:24のときはクリスマスケーキと同じとか言う、あの頃。今考えるとよくそんなこと言ったなと思うけど、翌日25日になるとクリスマスケーキは売れなくなっちゃう……。婚期っていうのは24までで、25になったら遅いっていう……
木村:あ、そういう時代だったんですか。
山田:そういう時代だったんですよ。で、僕は娘が2人いたもんだから、こんな常識はとんでもないと思ったわけね。それ壊そうって思ったのね。で、それと同時に、あの、どうもつまり主役2人だけ光が当たって後はみんな奉仕する役柄っていう……脇役っていうのが、僕はこれもう壊す時代だって。あのー、つまり、えー、みんなで自分が偉いって思ってる時代じゃないですか、民主主義だったから。
木村:はい。
山田:そのときにドラマだけがね、なんかこう2人の男女のきれいなのがいて、後は奉仕するっていうのは……恋敵とかだってね、恋敵という役にもう固定されてしまうわけでしょ。そんなドラマはね、早晩壊れちゃうだろうって思ったのね。それであの、3人の24の女の子を選んで、それでどの人に訊いても本当のこのドラマの主役はあなただって言うとね、その3人とも本当はそうだなって密かに思うっていうドラマ書こうと思ったの。
木村:これ、いわゆる群像劇のスタイルを初めて打ち出したドラマでしたよね。
山田:そうですね。
木村:これはあの、複数主人公がいるという意味では、(フリップを指して)この『ふぞろいの林檎たち』もそうですよね。
山田:そうそう、それで『ふぞろい』のときに人数増やそうと思ったわけね(笑)。
木村:(笑)3人からもっと増やして。
山田:中井さん、柳沢慎吾さん、みんな自分が主役だと思ってくれないかなと思って書いたわけね。それとその、政治の季節がこう、だんだんだんだん終わってきたときでね。で、こういう、なんていうか勉強あまりできない男3人が、配達を頼まれて配達に行くと、みんなヘルメットかぶってる人達が潜んでて、そこで集会をやるっていう。それで「君たちも大学生なのに、日本のことを考えなくて良いのか、世界のことを考えなくて良いのか」とかなじられちゃうわけ。それでも配達して3人でしょんぼり帰ってくるんだけど、僕はそっちが素敵だと思っちゃうわけね。その、政治のことなんか言ってる奴の、理念のインチキさっていうのは、もうずっと大学の頃から僕は感じてたから。
勉強ができない人たちのチャーミングさ、魅力、東大の前の酒屋なんだけど、東大へは配達では何度も行ってるけど、自分は入れないっていう(笑)。
木村:入れない(笑)。
山田:そういう話を書いたんです。

語り:辛口ホームドラマ、青春群像劇などのスタイルを確立した山田さんは、その後も斬新な発想で時代を捉えた作品を生み出していきます。

● 『輝きたいの』(1984年)と『深夜にようこそ』(1986年)について
木村:この『輝きたいの』は女子プロレスラーの方が主人公の。
山田:そうです。
木村:女子プロレスをご覧になって、好きだったとか?
山田:いえいえ、そんなに好きじゃなかったですけども。
木村:(笑)
山田:なんかあの、アナウンスが独特で、うわーってとこに女の子が出て行くっていうのが、なんか意地らしくて良いなって思ってね。それであの、取材させていただいて、巡業のバスに乗せていただいて。自分が今までやったことのない世界を描いてみたかったのね、うん。
『テレビがくれた夢 山田太一 その2』続き(補足)_b0189364_7373860.jpg木村:これはじゃあ自分の知らない世界でしたけれども、この『深夜にようこそ』はコンビニエンスストアが……
山田:そうそう、コンビニっていうのは僕は知らなかったのね。
木村:あ、これも、知らなかったけど……
山田:知らなかったです。それであの自由が丘のなんか外れみたいなところで、僕はアパート借りて仕事してた時期があって、それはあの大体仕事して泊まる風には思ってなかったんです。いつもこう通勤するみたいにね。ところがこう熱中して書いてたら、深夜になっちゃってたわけ。それでものすごくお腹が空いてきてね(笑)。で、何にもないんですよ。一応冷蔵庫はあるんですけど、何にも買ってない。それで外へ出たけどもシーンとしてて。これで俺は遭難しちゃうぞとか思って(笑)、歩いてたら道の向こうにパーッと道に灯りがある。何だろうと思って行ったらコンビニがあったわけですよ。もうその頃はコンビニって結構あちこちにあったんだけど、僕は関心がなかった。で、中入ったら、何でもあるじゃないですか。もう感激してね。これ素晴らしい!と思ってね、大山(勝美:当時のTBSプロデューサー)さんに「あのコンビニ書きたい」って言ってね(笑)。
木村:へぇー。
山田:で、大山さんとあっちこっちに取材で歩きましたよ。高島平とかね。
木村:あ、じゃこの『深夜にようこそ』って、「深夜にようこそ、山田太一さん」ってことだったんですね。
山田:そうそうそう(笑)。
木村:(笑)一番最初はそうやってドラマって生まれるんですねー。
山田:取材していくとね、結構大変でね。24時間やってるってことの大変さはホントにビックリしました。だからそういうことも書きましたけれどもね。

語り:さらには、楽曲からドラマを発想することも。『悲しくてやりきれない』は、ザ・フォーク・クルセダーズの名曲ですが、山田さんはおおたか静流さんが歌うこの曲を聴いて、アイデアを思い付いたそうです。

● 『悲しくてやりきれない』(1992年)について
『テレビがくれた夢 山田太一 その2』続き(補足)_b0189364_7394910.jpg木村:この『悲しくてやりきれない』は、主題歌のおおたか静流さんの歌がまたすごーく良かったですが、こういうのは……
山田:そうそう。なぜ買ったんだろうかよく憶えてないんだけど、おおたか静流さんのアルバムを買って聴いてて「悲しくてやりきれない」が素晴らしいと思ったの。それで高橋一郎さんっていう演出家に電話して、「もうこれが流れるドラマを書きたい」って言ってね。それで高橋一郎さんもすぐ聴いてくれて、「この芝居これ行きましょう」って、おおたか静流さんに電話したら、「どうぞやってください」って言うんで。
ホントはあの、北山修さんたちのところが歌ってるんですよね。サトウハチローさんの作詞だから相当昔の作品ですよね。だけどおおたか静流さんの歌はね、僕、とっても素晴らしいと思ってるのね。おおたか静流さんのコンサート行ったりしてね、ええ。それで話考えていったのね。みんなでなんだか悲しくてやりきれないという状況になって、そこに歌が流れるっていうのを目指したわけね。
木村:へぇー、歌最初にありきのドラマだったんですね。
山田:そうなんです。
木村:この次の『丘の上の向日葵』は、山田さんの小説だと……
山田:これは朝日新聞の連載小説でね。そうです。これは僕は、小説はあまりドラマにならないんじゃないかなとか思って、勝手に書いてたんですけど、これはね、なんか僕、なるような気がしてきたのね。

語り:男女の友情は成立するかをテーマに、平凡な中年男性と美しい人妻の関係を描いた『丘の上の向日葵』。東芝日曜劇場が、それまでの一話完結型から連続ドラマスタイルに変わった1作目として、山田さん原作の小説がドラマ化されました。

● 『丘の上の向日葵』(1993年)について
『テレビがくれた夢 山田太一 その2』続き(補足)_b0189364_73812.jpg木村:あの、小説と脚本って、お書きになっててまったく違うものですか?
山田:僕はね、小説を書いてるときは脚色するとか役者とか考えないです。一切考えないで、小説を書きます。まあでも結果的にはね、こうやってテレビにさせていただいたものもいくつかはありますけれども。
木村:あの、ミステリーとか刑事物っていうのはお書きにならない……ですか?
山田:うん、つまりうまい人いっぱいいるでしょ。そこへ参入してもかなわないだろうと思ってね(笑)。まあ、長所と欠点っていうのはみんな持って商売してるわけですよね。何もかもに長じようっていうのもおかしいですよね。やっぱりあの……そりゃやればやれるかもわかんないけれども……まあそれはうまい人たちにお任せしようと……
木村:任せて……(笑)
山田:僕は片隅で(笑)細々とやって……
木村:いやあ、細々とだなんて……

語り:人生に一つの区切りをつけ、これからの人生を模索する初老の男女三人の心の襞を繊細に描いた『遠い国から来た男』。山田太一さんの真骨頂とも言える、人の心のかすかな移ろいを優しく捉えた名作です。

● 『遠い国から来た男』(2007年)について
山田:仲代さんがとっても良かったですね。それから杉浦直樹さんの最後の作品になってしまったんですね。それでとっても「あ、あんときやって良かった」と思いましたですねぇ。杉浦さんとは本当に長いことの付き合いで……
木村:そうですよね、たくさん……
山田:(フィルモグラフィのフリップを指して)この前からのつきあいというかな、あの、助監督に入社してすぐの映画で……杉浦さんは知らないんですよ、そういうの……あの、僕は新米の助監督でしたから(笑)。でもそのときからずっと付き合っていただいて。まあ、最後のドラマを書けたっていうことは、ものすごく悲しいけど、まあ、最後やらしていただいて良かったとは思います。

木村:まあ、2週に渡ってお話しを伺ってまいりましたが、最後に山田さんにお伺いしたいんですが、山田さんにとってテレビとは何でしょうか?
山田:まあ何だってそうだけど、どんどん変わりますね、テレビだってそうだけど、人生だってそうだけど(笑)。時間って本当に生きててどんどん動くからじっとしてることはないですよね。幸福も絶望もテレビも(笑)じっとしてないですね、うん。だからあの、こうあるべきだなんていうふうに思ったりしてるとすぐ、肝心なものは動いてっちゃうっていうねえ。だけど先読みをしすぎる、っていうことは良くない。あの、未来に適応しよう未来に適応しようと思いますよ。僕もちょっとそういう傾向がある(笑)。現在に適応しないでね……
木村:現在を壊していこうとなさってる作品が多いですからね(笑)……
山田:そう、未来に未来に適応しようと(笑)……。うん、それだから人のことは言えないけども、未来にあまり適応しすぎてもいけないなっていうかな、まあこの年になったせいでもあるけども……うん、あの、なるべく今を生きたいと思いますけどね。

参考:
竹林軒出張所『テレビがくれた夢 山田太一 その2(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『テレビがくれた夢 山田太一 その1(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『テレビがくれた夢 山田太一 その1 続き(補足)』
竹林軒出張所『100年インタビュー 脚本家 山田太一(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『山田太一のドラマ、5本』
竹林軒出張所『続・山田太一のドラマ、5本』
by chikurinken | 2013-09-07 07:50 | ドキュメンタリー
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