ホットコーヒー裁判の真相
アメリカの司法制度 前編、後編
(2011年・米Group Entertainment/If Not Now Productions)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー
1994年、コーヒーでやけどを負った市民がマクドナルドを訴え、290万ドルの賠償金を勝ち取った。このニュースは世界中に流され、アメリカの異常な訴訟社会を印象づけるものになった。アメリカの訴訟社会を揶揄するときに今でも取り上げられるような事例である。
ところが、この事件の真実はあまり知られていない。実際、やけどの被害は相当深刻なものである上、しかも当初、被害者は、治療にかかった多額の医療費(その時点で治療には1万ドルかかっていた)をマクドナルドに請求した上で、コーヒーの温度を改善するよう要求しただけだったというのだ。ところがマクドナルド側は800ドルの見舞金を出しただけで後は黙殺というきわめて不誠実な態度だったという。しかもこういったやけどの苦情が、それまでの10年間で700件以上もマクドナルドに寄せられていたにもかかわらずなんの対策もとってこなかったという事実まで明らかになる。こうして、この事故の真相が法廷で明らかになり、陪審によって290万ドルという賠償金が課せられることになった。これはマクドナルド社のコーヒーの売上高2日分に当たるもので、その大部分は企業に反省と改善を促すための懲罰的損害賠償という扱いであった。
この裁判はビジネス界にとって痛手になると思われたが、ビジネス界はこれを逆手にとり、マスメディアを通じて不利な状況を有利な状況に変えたのである。原告が司法制度を悪用し金儲けをしているというイメージを植え付けると同時に、「不法行為法改革」を推進するためのキャンペーンに利用した。不法行為法改革とは損害賠償額に上限を設けるというもので、企業側はこれでやっかいな消費者問題をあしらうことができるが、消費者側は被害に見合った十分な賠償金が得られなくなるという問題がある。そもそも消費者と企業が対等に渡り合える場が司法であったにもかかわらず、それがないがしろにされることになる。だが産業界の必至の努力とブッシュ政権の尽力の結果、この不法行為法改革は、さまざまな州で現実のものになっていく。
これに関連する事例として、このドキュメンタリーでは出産時に病院側の過失で、重大な障害を負った子どもの損害賠償のケースを紹介する。ここで紹介される子どもの両親は、この子どもが生涯介護を受けられるようにという願いで病院に対し損害賠償を起こす。この賠償裁判で陪審は560万ドルの賠償を命じるが、不法行為法改革の影響で、125万ドルに減額されてしまう。しかもこの金額は弁護士費用と医療費でほとんど消えてしまうことになる。こうして両親の願いは踏みにじられることになった。
ここまでがこのドキュメンタリーの前編で、立法、行政だけでなく、司法までが産業界に牛耳られていくアメリカの現状が訴えられる。後半ではさらに、産業界がさまざまな手段で司法を牛耳っていく過程が紹介される。
不法行為法改革の違憲判決が全米の各州の最高裁で出されるが、産業界はこれに対抗するため、保守的で企業寄りの裁判官を最高裁に送り込もうとする。結果的に、最高裁の裁判官選挙で、大企業寄りの候補を後押しする。
ミシシッピ州では、産業界によって大企業寄りの裁判官が多数送り込まれるが、その選挙の際、彼らと対立する候補に対し、徹底的にネガティブ・キャンペーンを行う。このとき標的にされたのがオリヴァー・ダイアズという候補者で、最終的にダイアズは、産業界が推す候補者を破って当選するが、その後収賄容疑、脱税容疑で捜査を受け、起訴される。すべてが産業界の報復である。ほとんどが事実無根であったため、最終的には無罪判決が出るが、その影響は甚大で、3年間職務を離れざるを得なくなる。このような産業界の努力が功を奏して、ダイアズは再選を目指した次の選挙で落選してしまう。こうしてミシシッピ州の司法は産業界によって牛耳られるようになった。全米でも同じようなケースが増えたという話で、巨額な賠償金を課した陪審評決が最高裁で覆されるケースが激増したという。
最後に取り上げられる、産業界の司法コントロールの事例は「強制的仲裁条項」である。強制的仲裁条項は、会社を訴えてはいけないという契約で、入社時や売買契約時に強制的に結ばされるという。何らかの問題が発生した場合は、企業側が選んだ仲裁機関が、企業と告発者(消費者)との調停を行うという制度で、結果的に企業側に対して圧倒的に有利な条件で仲裁が行われることになる。こうして消費者および労働者にとって根本的に不利な状況が作り上げられていく。
立法、行政、司法すべてが産業界に取り込まれていく「暗黒世界の始まり」を暗示するようなドキュメンタリーで、内容は示唆に富む上、テンポも非常に良く、大変優れたドキュメンタリーである。面白さという点でも圧倒的だった。知らないことばかりで、産業界がすべてを支配していく構図がアメリカで実現している状況がとても怖い。TPPなどの影響で、こういう危険な状況が日本に移ってきたりしないことを切に願いたいと思う。
シアトル国際映画祭審査員大賞受賞
★★★★参考:
竹林軒『ファストフード・イコール・ファットフード』ジョン・グリシャム
『謀略法廷』(オリヴァー・ダイアズをモデルにした法廷小説)
竹林軒出張所『誰のための司法か(ドキュメンタリー)』竹林軒出張所『ニッポン国VS泉南石綿村(映画)』