玄海原発のケースでなにゆえ原発の再稼働をあんなに急いでいたのか……とつらつらと考えていたのだが、「原発がなくても電気が足りている」ことが証明されてしまうと(かれらにとって)ヤバイということなのではないかと思い至った。
災害と原発事故でドタバタしているさなか、原発に疑義を呈している首相を追い落とそうという政治勢力が表に出て来たのも、電力会社を軸に考えると納得がいく。というわけで昨日出てきたニュース
『自民個人献金、72%が電力業界 09年、役員の90%超』。短いので全文を引用。
自民党の政治資金団体「国民政治協会」本部の2009年分政治資金収支報告書で、個人献金額の72.5%が東京電力1 件など電力9社の当時の役員・OBらによることが22日、共同通信の調べで分かった。当時の役員の92.2%が献金していた実態も判明した。電力業界は1974年に政財界癒着の批判を受け、企業献金の廃止を表明。役員個人の献金は政治資金規正法上、問題ないが、個人献金として会社ぐるみの「組織献金」との指摘が出ている。福島第1原発事故を受け、原子力政策を推進してきた独占の公益企業と政治の関係が厳しく問われそうだ。
2011/07/23 02:02 【共同通信】(『47NEWS』より)
電力会社の奮闘努力ぶりがうかがわれる。関連する部分に対しては、金と労力を駆使して、とりあえず片っ端から手を付けるという姿勢がうかがえますな。福島原発事故以来、日本の政財界に横たわる(原発関連の)黒い霧が少しずつ晴れてきたようで喜ばしい限り。
読売、日経の記者が、他記者の原発関連の質問にヤジを飛ばしたというニュースについても原発と電力会社を軸に考える方がわかりやすい。原発反対を受け入れられないんだろう、たぶん。
『読売、日経記者が飛ばす野次の背景に「選民思想」と上杉隆氏』(exciteニュース)
原発で潤っている勢力に焦りがあるのか、いろいろ動くたびにぼろが出て来て、その背景にある秘密が明るみに出て、結果的にみずから墓穴を掘っている。日本で原発を作り続けるというプラン自体そもそも無理があり、その無理を通そうとするので道理が引っ込む。不正なことをやらなければ貫き通せない世界なのである。
日本の高い電気料金が原発のせいだということも徐々に明らかになっている。原発を進めて利益を得ることができるのは、日本の社会の中でごく一部である。それだって税金や公共料金を吸い上げているだけに過ぎない。しかも(自分を含め)一般人の普通の生活が担保されている。事故が起こったときの影響は鉄道事故とは比較にならない。ここが一番の問題である。
電力が自由化したりすると、原発の電気に競争力がないのはあきらかで、原発先進国のフランスでは自由化の対象となっている電力は原発以外の発電部分(25%)のみらしい(原発による75%の電力は自由化対象になっていないという)。原発による発電コストが火力や水力より安いなどという試算が行政から出されているが、論拠すら示されていないため、説得力を持たない。なんなら(一部だけでも)自由化してみたらいい。
参考:
竹林軒出張所『あの発電所、関連記事あれこれ』
竹林軒出張所『あの発電所、関連記事あれこれ その2』