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竹林軒出張所

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大魔神甦る

大魔神甦る_b0189364_10573669.jpg 「大魔神」と言っても、横浜の佐々木主浩のことではなく、その元になった映画『大魔神』の話である。1966年に大映製作で公開され、ヒットしたせいか、続編(『大魔神怒る』)、続々編(『大魔神逆襲』)が同年に作られている。その後は続編が作られていないので、この3本が現存する大魔神のすべてである。
 僕は子どもの頃、劇場で見た記憶があり、特に『大魔神逆襲』がお気に入りである。実は、この三部作は過去何度も見ているんだが、『大魔神逆襲』以外ほとんど記憶がない。一番新しいところでは、学生のときに、今はなき京一会館(京都)で開催された「大魔神対ガメラ」というオールナイト企画(大魔神三部作+『大怪獣ガメラ』、『ガメラ対バルゴン』の5本上映)で見たもので、このときも3作全部見ているはずなんだが、『大魔神逆襲』以外はあまり印象に残っていない。ちなみにこのオールナイト企画では、大魔神3作はきちんと見たものの、『大怪獣ガメラ』の序盤で熟睡してしまった。
 そういうわけで大魔神にはひとかたならぬ思い入れがある。で、先日図書館で『大魔神の精神史』という本を見つけたので借りてみた。大魔神をテーマに250ページの本を仕上げたというのは立派だが、やはりこれだけの分量にするには、どうしても構造主義的なアプローチなども入れざるを得ないのだろう。ということで、この類の本の常として深読みが多い。『巨人ゴーレム』が大魔神映画のモデルだという程度ならまだしも(製作者側がそう言ったらしい)、柳田国男が出てきた日には、もうちょっとお手上げである。そういう民俗学的な考察については、否定はできないにしても証明もできないし、証明したからと言って何になるんだという気もする。製作者が意図しない現象が現れていても、それについて考察するのは、多くの場合あまり意味がないと思う。言ってみれば自己満足に過ぎない。飲み屋で会話しているときにそういう話が出てきたら、場合によっては面白いかもしれないが、その程度の話である。だからそういう部分は適当にとばして読むことになる。著者には悪いが。
 この本は、そういった深読みの箇所は別にすると、細かい箇所までよく調べられており、全体としては悪くない。特に、大映という企業に内在する特異性や、大映京都と大映東京との対抗心、当時の併映作との関係などはなかなか新鮮で、そういう要素が『大魔神』に与える影響などはなかなか説得力があって面白かった。また、幻の第4作(リメイク版)のシナリオが存在し、それを筒井康隆が書いていたなどという話も初耳であった。
 このリメイク版は1990年代に企画されたものであるが、当時シナリオが公募されていたのは今でも記憶している。『公募ガイド』という雑誌でこの話を知り、大魔神好きな僕もストーリーを考えたりしていたんだが、結局筒井康隆が書いていたのかと思うと、何のための公募だったんだろうかという意味で少しガッカリである。プロに書かせるんだったら公募なんかしないで最初からやらせたらいいんじゃない……などと思いながらも、公募で良い作品が集まらなかった可能性もあるし、事情を知らないので実のところ何とも言えない。
 ともかく『大魔神の精神史』には筒井康隆版のストーリーが紹介されていて、このあたりもなかなか興味深いところであった。だが、実際読んでみると、なんだか話がややこしくてよくわからない。面白いんだか面白くないんだかよくわからないストーリーで、『大魔神逆襲』のような真に迫るものもあまりない。なんとなくパロディ程度の印象しかなく、これだったらリメイクしない方が良かったかなとも思う。筒井康隆作と言うことで話題にはなっただろうが。
 『大魔神の精神史』を読んでいて、大魔神関連の記憶がいろいろ甦ったので、ここで書いてみた次第。

参考:
竹林軒出張所『大魔神、大魔神怒る、大魔神逆襲(映画)』
竹林軒出張所『ドラゴン怒りの鉄拳(映画)』

by chikurinken | 2010-09-09 10:59 | 映画
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