春には『英雄』がよく似合う。
『英雄』というのは、ベートーヴェンの交響曲第3番のことだが、この曲の躍動感や高揚感が春にピッタリ。まさしく「春は英雄から」と言われる由縁である(ちなみに僕以外誰も言っていない)。
そもそも、僕と『英雄』交響曲とのつきあいは、今から20数年前に遡る。その年の春、大学に晴れて入学して少し経った頃、生まれて初めてクラシックのコンサートというのに行ったのだった。今は亡き若杉弘が、ヴァイオリニストのフランク・ペーター・ツィマーマン、ケルン放送交響楽団と来日し、ツアーの一環として京都会館(京都のコンサート・ホール)に来た。A席(だったと思う)のチケットは5000円もして、当時の貧乏学生にとっては結構な出費であったが、ま、しかし、そこはそれ、何事も経験ということでちょっと贅沢をしたわけだ。当時僕はクラシック音楽をよく聴くようになって2、3年あたりで、少しずつ音楽が理解できるようになっていたところだった。中でもベートーヴェンの交響曲は、クラシックが好きになったきっかけでもあり、しかも今回のコンサートはそこそこの名門オケ(オーケストラ)で、指揮者が日本人(僕は当時よく知らなかったが結構エライ人だったようで、一種の凱旋公演であった)と来ている。それに値段も(実は)お手頃なのだった。5000円というのは、先ほども言ったようにビンボー学生にとっては安くないが、外来オケの値段としては当時でも安い方だった。そういったいろいろな要因から、清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟でエイヤッと買ったのである、チケットを。
ベートーヴェンは好きだったんだが当時『英雄』はまだ聴いたことがなかったので、予習を兼ねて、
カラヤン指揮、ベルリンフィル演奏の『英雄』
のカセット・テープを買った。こちらは1800円。ということで、『英雄』についてはそれなりに出費していたのだった。
で、演奏だが、これがすこぶる良かった。もう身が震えるような……というのか、ライブの演奏がこんなに良いとは思わなかった。もちろん演奏自体が良かったのだろう。特に若杉弘の颯爽とした姿が実に英雄的で、音楽だけでなく視覚的にも感動してしまった。それ以来、『英雄』はマイ・フェイバリット・ミュージックになった。
その翌年の春、今度は古楽器のコレギウム・アウレウム合奏団が、完成したばかりの大阪のザ・シンフォニー・ホールに来た。古楽器ということもありこのオケには多分に興味があって、しかもあのあこがれのシンフォニー・ホールに来るとあって、是非にということでチケットを購入した(値段は憶えていないが5000円程度ではなかったかと思う)。しかも演目は『英雄』なのだった。もっともコレギウム・アウレウムについては『英雄』の印象はあまり残っていない。古楽器だったよなあというくらいの印象しかない。
こうして、僕の「春は英雄から」は定着した。

今日も移動中、
トスカニーニ指揮、NBC交響楽団演奏の『英雄』
をiPodで聴いていたのだが、とても良かった。この演奏は、先ほどのカラヤン&ベルリンフィルの(62年の)演奏によく似ている(実際にはカラヤン版がトスカニーニ版に似ているのであるが)。トスカニーニ&NBCは録音が古くモノラルであるため、僕としてはいつもはベルリンフィルのヤツを聴くことが多いのだが、今日久しぶりに聴いたトスカニーニ版もよくよく聴いてみるとすごい演奏である。流れるような第1楽章から第4楽章まで一気呵成に突っ走り、天にも昇るかのような快演だ。暖かくなって気持ちが高揚する今の時期にピッタリで、世界の壮大さを自分の身体でしっかりと受け止めるような気概すら感じてしまう(なんのこっちゃ)。ベートーヴェンのすごさがいかんなく表現された、トスカニーニの最高傑作の1つではないかと思う。
ああ『英雄』は良い……ベートーヴェンは良い……春は良い……そんなことを考えた春の宵であった……