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竹林軒出張所

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『花へんろ 風の昭和日記 総集編』(ドラマ)

花へんろ 風の昭和日記 - 第一章、第二章、第三章総集編
(1985〜88年・NHK)
演出:深町幸男他
脚本:早坂暁
出演:桃井かおり、河原崎長一郎、加藤治子、藤村志保、沢村貞子、中条静夫、小林亜星、樹木希林、森本レオ、佐藤友美、小倉一郎、永島暎子、イッセー尾形、三田村邦彦(語り:渥美清)

十分の一の総集編

b0189364_19574791.jpg 先頃脚本家の早坂暁が亡くなったためか、代表作『花へんろ』の「特別編」というドラマが製作され、先日(18年8月)放送された(僕自身はまだ見ていない)。それに合わせて過去NHKで放送された『花へんろ』の第一章から第三章までがまとめて放送された。「まとめて放送」といっても、元々は各章45分×6回(第一章のみ7回)分のドラマであり、これをすべて放送するとなると放送する方も見る方も大変という判断だったのか、なんと各章を30分にまとめたダイジェスト版が放送されたのだった。つまり855分がなんと90分になっているわけで、ほぼ十分の一。まさにスーパー・ダイジェストである。
 僕自身は放送時『花へんろ』を見ていないため、DVDで見ようと思い図書館で借りたこともあるが、なんせ長いので結局見ずに返したことがたびたびあった。たださすがに十分の一のダイジェストを最初に見てしまうというのも少々気が引ける……。というわけで少し悩んだのだが、これは見て正解だった。非常によくできた面白いドラマであることがわかる。しかもダイジェストで展開がやたら早いので、まったく飽きることがない。もちろん、物足りない箇所、というか、見ていて辻褄が合わない(ように思える)箇所があるんだが、かなりの分量がカットされていることを考えるとこれも致し方ないところである。
 このドラマ、早坂暁の自伝的作品であるため、早坂暁にとっても畢竟の代表作と言っても良かろう。内容も非常に重厚で、全編反戦思想が貫かれている。また主演の桃井かおりにとっても畢竟の代表作と言える。特に若い頃の桃井かおりは、破天荒な性格の役柄が多くて、なかなか好きになれなかったが、こういう重厚な役柄もできるのかと今回あらためて感心した。それにキャストが超豪華なのも驚きである。また随所に俳句が入るのも味がある。ドラマ的な起伏もあり、非常によくできたシナリオで、この作品も80年代を代表する名作ドラマに数えられるのではないかと思う。
 今回総集編をすべて見終わって、これはやはり全編しっかり見るべき作品であったかなと感じる。とは言え、今回ダイジェストで見なかったら、一生見る気が起こらなかったかも知れないんで、総集編を見たこと自体はまったく後悔することはない。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ダウンタウンヒーローズ(映画)』
竹林軒出張所『冬の花火 わたしの太宰治 (1)〜(13)(ドラマ)』
竹林軒出張所『刑事(ドラマ)』
竹林軒出張所『修羅の旅して(ドラマ)』

# by chikurinken | 2018-08-20 07:57 | ドラマ

ちょっとひとこと

 かつてある知り合いから、このブログで紹介している本について、本当に全部読んでいるのかと訊ねられたことがある。確かに数日間に渡って何冊も立て続けに紹介するので、こういった疑問も当然だとは思うが、声(文字)を大にして言いたい。
全部読んでいます!
映画やドキュメンタリーも、ここで扱うものについては全部隅から隅まで見ている。ただし注をつけるならば、ここに紹介している記事は、概ね随時書き溜めたものであるため、ここに出てくるタイミングで読んだり見たりしているわけではない。このことはお断りしておかねばなるまい。
b0189364_18521724.jpg たとえばこの数日間で、ドナルド・キーン著の『明治天皇』を〈1〉〜〈3〉まで3日続けて紹介したが、実はそれぞれの冊を読み終わるのにそれなりに時間がかかっている(そもそも僕は本を読むのが速い方ではない)。〈1〉を読み終わったのが7月の初め頃で〈2〉は7月の終わり頃、〈3〉が8月上旬である。〈4〉は現在読んでいる最中で、おそらく8月末ぐらいには読み終わるんじゃないかと思う。このような具合で、このブログに挙げるに当たって、ある程度の原稿を書き溜め、その上で映画→ドキュメンタリー→本→ドラマの順番に2〜4本ずつ連続で、2日に1回程度のペースでアップするというのが目下のスケジュールである。ある程度関連性のあるものをまとめていることから(たとえばこの『明治天皇』の前はエッセイ3点、そしてドナルド・キーン繋がりで『明治天皇』に繋がっている。このあたり気付いていただけるともっと楽しめます)、中には先延ばしになってしまうものもある。書き溜めた量がある程度増えたら、掲載するペースもアップして数日間連続で……ということもある。僕自身このブログもなるべく継続したいと思っているため、間があまり空かないようにしたいと思ってはいる(間が空くとそれが普通になってしまってだんだんやらなくなってしまうのが常)が、あまりに溜まってしまっても、アップする頃にはこちらが内容を忘れてしまうなどということもあり得るわけで、個人的に新鮮さが失われてしまうということになる。そういうわけで、どういうペースでアップするかは、随時考えているわけだ。特に私生活で暇が続くと、DVDレコーダーに撮り溜めしている映画やドキュメンタリーをなるべく多く見て消費してしまおうと考えていて、それで見る映画やドキュメンタリーの数が多めになり、結果的に原稿が増えてしまう。そういうことがあると、その後しばらく毎日投稿が続くということにもなる。
 最近は、以前と比べてアップロードする間隔がやや空く(ほぼ1日おき)ようになったせいか、あるいはあまり一般受けしない素材が多くなったせいか、はたまた文章のレベルが落ちてしまったせいか知らんが、アクセス数が以前より大分減ってきており、それはそれで別に構わないんだが、そのこともあって必ずしも(読んでいる人を意識してサービス精神で)立て続けに連続で投稿することに必要性を感じていない。結局は自分が後で振り返るという目的が主になるのであるから、あくまで自分のペースを守りたいと思っている。ここを頻繁に訪れてくださっている皆さんには申し訳ないが、無理しても続かないのは目に見えているので、ご了承いただきたいところです。

# by chikurinken | 2018-08-18 07:51 |

『明治天皇〈三〉』(本)

明治天皇〈三〉
ドナルド・キーン著、角地幸男訳
新潮文庫

「目からウロコ」が続出

b0189364_16580458.jpg 明治天皇の生涯に迫るノンフィクションで、文庫版全4巻構成の第3巻が本書。朝鮮情勢、条約改正交渉、憲法発布、衆議院銀選挙実施、日清戦争、閔妃暗殺、北清事変などが扱われる。日本にとっての富国強兵の時代である。これらの事績は、明治天皇が「大帝」と呼ばれるゆえんにもなっている。
 だが実際は、必ずしも学校で教わるように計画的かつ漸進的に進んだわけではないことがわかる。実際の政策は、結構行き当たりばったりで、憲法や民会にしても時期尚早とする声が政府関係者の間には大きく、そのせいでなかなか進まない(民会開催まで結局15年かかる)。実際始めたら始めたで、選挙には暴力や賄賂がつきまとい、民会(衆議院)側も政府と敵対して、何も決められずという状態が長く続く。まあ、それがリアルな歴史ということだろう。
 一番驚くのは日清戦争で、この戦争も司馬遼太郎の小説や学校の歴史では、大日本帝国が東洋の覇権を握るべく着々と準備してきたというような描かれ方だが、実際のところは、開戦2カ月前くらいまで、政府の誰もが清国との戦争を想定していなかったというのである。全然「着々と準備」という感じではない。本書からの印象では、大敗北しなくてラッキーぐらいの感覚に近かったようだ。また、日清戦争中の旅順での大日本帝国軍による虐殺事件もあまり教科書で触れられることはないが、世界に「野蛮な劣等国」の印象を与えるのではないかということで、政府関係者が汲々としたなどという事実が語られ、非常に新鮮である。司馬遼太郎の『坂の上の雲』によると、当時の大日本帝国の軍隊は(列強諸国から非難を受けないようにするため)国際法を厳密に遵守すべく、違法行為が見られない規律正しい軍隊だったという風に描かれていたと記憶しているが、実際のところ、当然だが、決してそんな軍隊ではなかったことがわかる(そんな軍隊があったらお目にかかりたいもんだ)。後の関東軍の風はこのときから芽生えていたということである。
 もう一つ新鮮だったのは大津事件(来日中のロシア皇太子ニコライ2世が大津で暴漢に襲われた事件)に際して、死刑を求める政府関係者に対して、法による支配を断固主張し一歩も譲らなかった大審院長、児島惟謙(これかた)の行動で、今より政府権力が強いあの時代に、この地位の判事が今では考えられない主張を展開したことにあらためて驚く。このあたりの政府関係者とのやりとりも真に迫っていて、非常に読み応えのある箇所である(第四十二章「ロシア皇太子襲撃」)。
 明治天皇自身は、この時代、政治にも積極的に関与するようになっており、政治に口を出すことも頻繁ではないがやっている。基本的には、政府のトップ(太政大臣や内閣総理大臣など)に政治を任せるというスタンスではあるが、岩倉具視や伊藤博文などは、天皇に詔勅を出すよう求めたりもしていて、明治天皇と国のトップとの関係性がなかなか面白味を感じさせる。何より驚くのは、近代体制ができた後、首相に就任した人々がことあるごとに天皇に辞意を示し、慰留される(結局辞めるんだが)ということがたびたびあることで、何か気に食わないことがあるとすぐに辞めようとする首脳にはあきれかえってしまう。明治天皇もこういった連中にはさぞかし頭を悩ませたのではないかと、この本を読みながら感じる。こういう連中をうまいこと使いこなしたんだから、やはり明治時代の帝国の発展は、管理者としての明治天皇の業績と言うことができるかも知れない。
第56回毎日出版文化賞人文・社会部門受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『明治天皇〈一〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈二〉(本)』
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『西園寺公望 最後の元老(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

# by chikurinken | 2018-08-17 07:57 |

『明治天皇〈二〉』(本)

明治天皇〈二〉
ドナルド・キーン著、角地幸男訳
新潮文庫

歴史を膚で感じる

b0189364_19322463.jpg 明治天皇の生涯に迫るノンフィクションで、文庫版全4巻構成の第2巻が本書。明治維新から明治14年の政変、自由民権運動あたりまでがその内容になる。
 新しい政体になって、政治機構が徐々にできあがり(紆余曲折はかなりあるが)、政府が少しずつ機能するようになる。やがて廃藩置県を断行し、中央集権体制に徐々に移行していく。
 外交的には対朝鮮政策(いわゆる征韓論争)で揉め、政府内が二分されるような議論になる。その上、政府要人の江藤新平、西郷隆盛、板垣退助らが下野するという異常事態になる(明治六年の政変)。しかもその後、彼らが地方で反乱を起こし(佐賀の乱から西南戦争まで)、国内は一部内戦状態になる。結局は、徴兵制で富国(はともかく)強兵を果たしつつある政府軍が、反乱軍を抑え込むことに成功し、政府直属の正規軍の力が証明されることになった。そのため、以後国内に大規模な反乱はなくなる。同時に士族の処分も(政府側からすると)無事に終わることになる。
 同時に台湾問題、琉球問題も現れ、このあたりは清国やヨーロッパ諸国と牽制しながら乗り切るが、領土問題については、このときの中途半端な処理が現在にも一部禍根を残す結果になった。
 また、各地で反政府運動が起こってくるのもこの時代。そういった時代に、新政府の新しい顔として、各地域を積極的に行幸してまわったのが明治天皇。民衆に対する顔見せ(実際に顔を見せたかどうかはともかく)、それから各地域の教育や産業の状況を視察するというのがその名目だったが、少なくとも当時の民衆からの受けは良かったようで、天皇の存在価値を民衆に植え付ける結果になった。
 その後、旧士族を中心に政治参加を求める動きが現れ、政府も立憲政体樹立の方向に舵を切る。そのあたりまでがこの第2巻の内容である。
 第1巻同様、割合ゆっくりと話が進むが、ゆっくりだからか、読んでいると、歴史のミクロ的な側面に触れられるような気がしてくる。特に現代から歴史を見る場合、どうしてもその後の体制から遡って物事を考えがちであるが、その時代にいれば先が見えないわけで、それを考えると、遡って考えるという帰納的な歴史認識が必ずしも正しくないということが実感できる。たとえば西南戦争などは、現代の視点から見れば「不平士族の反乱」で済むが、当時の感覚では内戦に近かったわけで、政府軍が物量で圧倒していたとは言え、鹿児島で持久戦になって、各地の不平士族がこれに連帯したりしたら、それこそ政府が明治転覆していてもおかしくなかったという状況だったらしい。そういう歴史の側面を感じられる点が、この本の大きな魅力である。その後、第3巻も買ったんで、おそらく最後まで読むんではないかと思う。記述は平易だが、分量が多いせいか読むのには結構時間がかかっている。
第56回毎日出版文化賞人文・社会部門受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『明治天皇〈一〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈三〉(本)』
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『西園寺公望 最後の元老(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

# by chikurinken | 2018-08-16 07:32 |

『明治天皇〈一〉』(本)

明治天皇〈一〉
ドナルド・キーン著、角地幸男訳
新潮文庫

歴史の大きなうねりに身を任せる

b0189364_18282572.jpg 明治天皇の生涯に迫るノンフィクションで、文庫版全4巻構成の第1巻が本書。明治天皇誕生から明治維新前後までがその内容になる。
 『百代の過客』のドナルド・キーンらしく、さまざまな日記や文献を基にして明治天皇の生涯を追っていこうという試みで、本書の情報源の中心は『明治天皇紀』(宮内省が編纂した明治天皇言行録)である。天皇周辺の人々の日記などからも引用があり、広範囲のソースから当時の状況を明らかにしていこうというアプローチで、真摯な学術的な態度が好ましい。明治天皇の生涯といっても、当然のことながら、それを取り巻く政治、社会の状況が中心になり、天皇の目から見た日本近代史という内容である。このあたりは『西園寺公望 最後の元老』などの書と同じ方法論である。天皇に視点を置いたのは、明治天皇が、西園寺公望同様、政治の中枢に籍を置いている人物であることを考えると、歴史を探るという目的に叶った現実的なアプローチと言える。
 本書の前半は、明治天皇はその姿をあまり現さず、父帝の孝明天皇中心になる。孝明天皇の時代、つまり嘉永期から安政・万延・文久期、諸外国が通商や外交関係を求めて日本の近海に現れてくる。孝明天皇より前の時代には、天皇自身が政治に関わることはほとんどなかったが、外国人が現れ不平等条約調印に至る過程で、江戸幕府は朝廷や大名にも政治的な案件について諮問し、条約調印についても朝廷から許可を得るという方向に変わってくる。そのために朝廷の力が相対的に高まってきたのがこの幕末である。ただし、孝明天皇自身は、その間も幕府と非常に良好な関係を保っており、「公武合体」を推進する保守派であったが、ただし外国人嫌いであったために、神戸の開港については最後まで抵抗を見せた。また、孝明天皇自身も、外国人排斥の「攘夷」を望んでいた。とはいっても、これはあくまでも幕府に対して望んでいたのである。実際、十四代将軍徳川家茂とは個人的にも非常に良好な関係を築いていた。ところが、長州藩や薩摩藩の一部の過激勢力が幕府と政治的に対立を始め、攘夷決行を幕府に迫るようになり、しかもそれがテロを交えた運動へと発展していくことになる。朝廷内の一部勢力も、こういった過激派と連動し、朝廷内で攘夷と朝廷の政権奪取を望んで運動をする過激公卿が現れてくる。孝明天皇は、穏健な保守派であることから、こういった動きに対して反発し、あくまで幕府主体の攘夷を望むのであるが、幕府勢力は徐々に後退、挙げ句に第二次長州征伐は中途半端な形でうやむやになり、過激派の薩摩藩勢力に幕府軍が破れるという事態にまでなってしまう(鳥羽伏見の戦い)。何より一番大きかったのは、親幕府だった孝明天皇自身がその過程で崩御してしまうという事態であった。こうして歴史は大きくうねり、大政奉還、王政復古という形で、いわゆる「明治維新」が進んでいくのはご存知のとおり。明治天皇も、父帝の死去を承けて、15歳で即位することになった。即位した天皇は、外国の公使らとも積極的に面会し、明治の近代化政策にも積極的に関わるようになっていく。そして明治政府が中心となり、近代化政策を推し進めていく……というのが第1巻の趣旨である。
 幕末から明治にかけての政治史としては、かなり細かく描かれており、そのために文庫で全4巻にもなったんだろうが、このくらい細かいと、なかなか先に進まず、少々じれったく感じる。とは言え、歴史の流れというものは本来そういうものであり、同じようなゆっくりしたリズムで体感していくという意味では、これもありではないかと思う。とりあえず第2巻は読んでみようと思う(もうすでに購入済み)。
第56回毎日出版文化賞人文・社会部門受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『明治天皇〈二〉(本)』
竹林軒出張所『明治天皇〈三〉(本)』
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『西園寺公望 最後の元老(本)』
竹林軒出張所『幕末史(本)』
竹林軒出張所『決戦!鳥羽伏見の戦い(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

# by chikurinken | 2018-08-15 07:28 |

『日本語の美』(本)

日本語の美
ドナルド・キーン著
中公文庫

とりとめもなし
目新しさもなし


b0189364_18572228.jpg 日本文学研究者のドナルド・キーンのエッセイ集。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの3部構成になっており、『中央公論』の巻頭言として2年間連載していたものがⅠで、ⅡとⅢがいろいろな雑誌からピックアップしたエッセイ。
 タイトルが『日本語の美』になっているが、日本語の美に関連するような話はない。ただ、エッセイはどれも著者が日本語で書いたもので、しかも日本語について述べたものも多いため、タイトルに偽りがあるわけではない。とは言え、雑多なエッセイの寄せ集めであり、全体的にとりとめがないという印象は拭いがたい。
 石川啄木論や徳田秋声論は『百代の過客〈続〉』と内容がかぶるし、三島由紀夫や安部公房について書いた文章も、あまり目新しさは感じない。総じて面白味がないという印象である。編集サイドのやっつけ仕事という感がなきにしもあらず。この本を読むんなら、『百代の過客』や『ドナルド・キーン自伝』『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』などの著書の方をお奨めしたい。
★★★

参考:
竹林軒出張所『百代の過客(本)』
竹林軒出張所『百代の過客〈続〉(本)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン わたしの日本語修行(本)』
竹林軒出張所『私が愛する日本人へ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ドナルド・キーン自伝(本)』

# by chikurinken | 2018-08-13 07:56 |

『硝子戸の中』(本)

硝子戸の中
夏目漱石著
岩波文庫

大漱石の身辺雑記

b0189364_14553901.jpg 夏目漱石が、いわゆる「修善寺の大患」から一命を取り留めた後に書いた随筆集。タイトルの「硝子戸の中」は、養生のために自室の中に留まることが多かった漱石が、ガラス戸で囲まれた狭い世界に引きこもりながらも思いのたけを綴るという意味あいで付けられたもの。そのあたりの事情は、序章に当たる「一」で語られる。
 この随筆集は「一」から「三十九」までの39編で構成されており、元々は『大阪朝日新聞』に一編ずつ連載されたものである。それぞれ原稿用紙4枚程度の短い随筆で、中には2回、3回続きのものもある。当然のことながら、漱石の身辺のことが綴られて、小説とは異なる事情がいろいろと語られる。やたら色紙に俳句を書いてくれろと迫ってくる少々異常なファンの話(十二、十三)とか、たびたび家に訪ねてくる、何かを秘めていそうな女の話(六、七、八)とかが印象深い。とは言え、どれも身辺雑記みたいな話で、大漱石とは言え、飛びつくような面白い話はあまりない。
 ただしこの本、岩波文庫だからか解説(竹盛天雄著)が非常に丁寧で、全編がどういう構成になっているかとか、草稿の段階からどのような話が削られたかとか、なかなか興味深い内容が紹介される。さらには、「硝子戸の中」の「中」を「なか」と読むべきか「うち」と読むべきかというような考察もある。まさに「解説」である。文庫本の解説は一般的にひどいものが多いというのが現実であるが、岩波文庫の解説はひと味違う(竹林軒出張所『富嶽百景・走れメロス 他八篇(本)』を参照)。どこの出版社もこれぐらいの文章を載せるよう心がけてほしいものである。
★★★

参考:
竹林軒出張所『こころ(本)』
竹林軒出張所『三四郎(本)』
竹林軒出張所『草枕(本)』
竹林軒出張所『漱石の印税帖 娘婿がみた素顔の文豪(本)』
竹林軒出張所『夏目漱石の妻』(2)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『漱石悶々(ドラマ)』
竹林軒出張所『富嶽百景・走れメロス 他八篇(本)』

# by chikurinken | 2018-08-11 07:55 |

『父の詫び状』(本)

父の詫び状
向田邦子著
文春文庫

三題噺みたいなエッセイが多い

b0189364_18595306.jpg 脚本家、向田邦子の処女エッセイ集。元々『銀座百点』という雑誌で連載していたもので、その中から24点を抜粋して一冊の本にしたというのがこの本。
 全体的には、書き殴りみたいなエッセイで、あるテーマに沿ったいくつかのエピソードを書き連ねるというものである。そのため、あまり面白味のないものもあるが、著者の幼少時代について書いたエピソードはかなりユニークである。
 こういった箇所では、著者の幼少時代の父母、兄弟姉妹、当時の生活の想い出が描かれており、それがために昭和初期から戦後までの日本の1家族の姿というものがあぶり出されていて、非常に興味深く読んだ。特に、小さなことで怒りすぐに怒鳴り散らす父親のエピソードが非常に印象的であり、この父親のイメージは、著者が脚本を書いた『あ・うん』の登場人物とも重なる。こういうところに著者の経験が反映されているということがわかる。また、このエッセイに登場する著者の母のイメージもこのドラマの登場人物(妻であり母である女性)に近いような気がする。
 目を引いた項は、表題作の「父の詫び状」の他、「お辞儀」と「子供達の夜」あたりか。「お辞儀」に出てくる黒柳徹子の留守番電話のエピソードは、『トットてれび』でも再現されていたもので、割合有名な話だが、初出はこのエッセイだろうと思う。ちなみに『トットてれび』には「向田邦子」(ミムラが演じていた)も登場していた。あのドラマはつまらなかったが「向田邦子」の印象は残っている。また「父の詫び状」についてはその後ドラマ化されている。内容についてはよく知らないが、このエッセイのエピソードをまとめてドラマにしたものではないかと推測される。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『あ・うん (1)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『阿修羅のごとく(ドラマ)』
竹林軒出張所『阿修羅のごとく パートⅡ (1)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『胡桃の部屋 (1)〜(3)(ドラマ)』
竹林軒出張所『思い出トランプ(ドラマ)』
竹林軒出張所『寺内貫太郎一家 (22)(ドラマ)』
竹林軒出張所『花の名前 向田邦子漫画館(本)』
竹林軒出張所『その時あの時の今 私記テレビドラマ50年(本)』

# by chikurinken | 2018-08-09 06:59 |

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(本)

AI vs. 教科書が読めない子どもたち
新井紀子著
東洋経済新報社

論理の飛躍がはなはだ多い
特に後半は読むに堪えない


b0189364_17002021.jpg AI(人工知能)の研究をしているという数学者が、現在いろいろと物議を醸しているAIの真の正体をさらす本。「AIが神になる」、「AIが人類を滅ぼす」、「シンギュラリティ(AIが人間の知性を超える点)が到来する」などと世間で言われていることは現状ではあり得ないというのが著者の意見。しかしながら、近い将来、現在人間が行っている多くの仕事がAIに取って代わる可能性は非常に高いという。そのために、私たちはAIに取って代われないような技能を習得し、AIに仕事を奪われないようにすべきと主張する。ところが、AIにとって一番苦手な技能である読解力を、今の日本の若者の多くが持っていないため、しっかり勉強させて読解力を付けさせるべきというのがこの本の主張である。
 前半は、AIの専門家の立場から、AIの限界について語っていて、なかなか有意義である。特に昨今、AIは、将棋や囲碁など、さまざまな分野で人間より優れたパフォーマンスを示しており、しかもアメリカではクイズ王になるAIすら登場していることが注目を集めている。そのため現在、AIの無限の可能性があちこちで語られるようになっているが、現実的には、人間の能力にはまったく及ばないらしい。そもそもAIに仕事をさせるためには、そのために人間がプログラムを書いたり、さまざまなデータを教え込んだりしなければならず、しかもそれはすべて数学的な知識が基になっているため、数学的に解明されていないさまざまな事象については、機械で肩代わりさせることは不可能である(著者によると)。つまり、脳の働きを含む、自然界の事象のほとんどはいまだに未解明であるため、機械に人間の脳の働きをさせることはできないと言うのである。そのため、人間の智を超えるような機械を、現時点で人間が作り出すことは不可能ということになる。実際、普通の人間がごく簡単にできるようなことでさえ、機械にやらせることには多くの場合多大な困難がつきまとうらしい。
 現在AIが過剰に注目されているのは、ディープ・ラーニングなどの手法で、機械自体が自身で学習できるようになったたためであるが、実際のところ、これは過大評価に過ぎないというのが著者の主張である。著者によると、数学は、現在「論理」、「確率」、「統計」の3つの方法で表現されているが、現実的には機械で「論理」を行わせるのは困難を極める。そこで「確率」、「統計」により、あてずっぽうで結果の正解率を上げているというのが現状らしい。このあたりが前半部分で、こういう専門家による体験的な理屈にはなかなか説得力があって、なるほどね……と思う。

 ところが後半になって、現代の日本の若者の読解力の問題や、AIに仕事を奪われないよう読解力をつけさせるべきなどという主張になると、ツッコミどころが満載になってくる。このあたりは、科学や統計の体裁を取っているが、ほとんどが著者の直感だけの議論で、論理性が著しく欠如している。したがって説得力がなく、読むに堪えないというのが、僕の感想である。
 まず、今現在の子どもたちに読解力がないということを示していく。そのために、自らが開発したリーディングスキルテスト(RST)なるものが紹介される。そしてこれを、いくつかの学校で実施させた結果、結果が芳しくなかったということが、子どもの読解力のなさを証明する有力な証左だというのだ。このあたりがさも事実であるかのごとく、ダラダラと紹介されていく。だがこのRST自体、僕が見るところかなり怪しい代物であると思う(内容は中高の受験教材みたいなものであるため、ある程度の基礎知識がなければ誤解するのも免れないと思える)。これができたから読解力がある、できないから読解力がないなどというのは、一つの(宗教がかった)見方に過ぎないと感じる。著者によると、このテストは、素材自体、教科書から採用したものであるため、「これを誤解すること」=「教科書が読めない」と結論付けられるそうだが、教科書を読む場合でも、通常は基本的な知識を身につけた上でなければ内容がわからないことは往々にしてある。したがって、同じ学年の生徒が同じ学年の教科書の文章を見せられて誤解したとしても「教科書が読めない」と断定することには無理がある。よしんばそれで「教科書が読めない」ということになったとしても、そうであれば、その教科書の記述に問題があるという結論の方が正しいのではないか。
 また、たとえ教科書が読めないからといって、それでAIが苦手な仕事を行うことができないという結論も論理が飛躍しすぎている。この本で紹介されている「10〜20年後まで残る職業」の中には、学校の成績と関係ないようなものもたくさんあるし、読みづらい教科書が読めなくても問題はないと感じるものも多い。
 先ほども言ったが、RST自体、高校や大学の受験の問題で出てくるような形式の問題が多く、結局これができたということは受験の問題ができるという程度の証明にしかならないように思う。進学校の生徒の成績が良かったというような結論も示されているが、当たり前である。進学校ではそういう勉強ばかりやってんだから。

 著者は現在「教育のための科学研究所」という社団法人の代表をやっており、RSTもここが開発したものだそうで、このRSTを全国の中学・高校に普及させたいと考えているらしい。しかもRSTを採用した学校、およびその教員については、意識が高いなどとべた褒めしている。僕には、この著者の主張は、結局のところ、日本の受験ヒエラルキー擁護者〈あるいは学歴至上主義者〉によく見られるような議論、言い換えるならば難関大学(入学難易度の高い大学)に行った人がエラいみたいな受験至上主義のように映る。このRSTというテストも、受験勉強至上主義のあだ花のように見える。そのため個人的には、このようなバカバカしいテストをありがたがって採用したりする学校がこれ以上現れないことを切に願う……ということになる。
 この本の後半部分から受ける印象は、自分が設定した結論に持っていきたいがために、いろいろな都合の良い題材を集めてその裏付けに使っているというものである。これを勘案すると、この著者の愛読書がデカルトの『方法序説』だというのも十分頷ける話である(このことは、本書で紹介されている)。デカルトは、同様の帰納的な方法論を採用して、神の存在を証明してしまった人だ(もちろん『方法序説』の中で「我思う故に我あり」という画期的な発想をしたことは評価に値するし、それがこの著書の価値を決定しているわけだが)。
 またこの著者は本を年間5冊程度しか読まない(だが自分には読解力がある〈これについてははっきりとは書いていないが〉)などとも豪語しているが、読解力をつけるには、ある程度の数の本を読むのは必要条件だと個人的には思う。著者は、本の数と読解力には関連性がないことがデータで示されているみたいなことも書いているが、詳細については書いていない。そのあたりについても、本当にそうなのか、どうやってそのことを証明したのか、その証明方法に説得力があるのかということについて、この本の後半部でデータを示しながら紹介してほしかったところである。僕としてはむしろ、この著者の読解力、文章作成能力、論理力の方を疑問視したいところである。

 このようにこの本の後半部分は、科学の体裁を取っているが、論理の飛躍がはなはだ多く、本当にこの著者は数学者なのかと感じるほど、論述が非論理的である。そのため、著者が出しているいろいろな未来予想が、どれもデタラメに思われ(実際にそうなんだろうが)、結局は自分が直感的に思ったことを並べているだけではないかと感じる。こういう展開にしてしまうと、せっかくある程度説得力を持つ前半部分(AIの真の姿をさらした部分)の価値も著しく低下してしまう。
 要するに、大した発想力もないんだから自分の専門以外にあまり口を出さない方が良いですよ、というのが僕の私見ということになる。言い換えれば、専門バカの方は、自分の専門に絞って、できれば周りの人が面白いと感じるような専門的な知識を披露すべきではないですか……というのが、一読者としての僕の考え方である。
★★☆

参考:
竹林軒出張所『運命の一手 渡辺竜王 VS 人工知能・ボナンザ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『棋士VS将棋ソフト 激闘5番勝負(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『最強ソフトVS個性派棋士(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-08-07 07:00 |

『ブレイブ 勇敢なる者 前・後編』(ドキュメンタリー)

ブレイブ 勇敢なる者 “えん罪弁護士” 前編・後編
(2018年・NHK)
NHK-BS1 BS1スペシャル

こんな弁護士がまだいるのだ

b0189364_20010550.jpeg 日本の刑事裁判での有罪率は99.9%にも上るというが、この事態が異常であることは火を見るよりも明らかである。「推定無罪」の原則からすれば検察側が容疑者の責任を証明しなければならないはずだが、実際の日本の刑事裁判の現場では、弁護側が無罪であることを証明しなければならないらしい。しかもそのハードルはかなり高く、少しぐらいの証明では簡単に一蹴されてしまう。現在の日本の刑事裁判の現場では「有罪であることを確認するだけ」になっていると言われるのも十分頷ける話である。いずれにしても無罪判決が出るのは1000件の刑事裁判でわずかに1件程度ということになっている。ある弁護士によると、一般の弁護士であれば生涯に1回無罪判決を引き出せるかどうからしいが、現在14件の無罪判決を勝ち取っている弁護士がいる。それが今村核という人で、この人がこのドキュメンタリーの主役である。
 この今村弁護士、冤罪の疑いのある案件については、徹底的に調べ上げ、さまざまなデータを集めて、科学的なアプローチで無罪の証拠を積み上げる。しかも1つの証拠だけでは採用されない可能性が高いため、さまざまな方向からアプローチし、証拠を二重三重に積み重ねて、法廷に挑む。その執念たるや、周囲の弁護士も舌を巻くほどである。だが実際のところ、刑事事件の弁護ではわずかな報酬しか得られないため、収入は非常に少ないらしい。現在独身で、しかも親の遺産で買ったマンションに住んでいるため何とか生活ができているという状態らしい。だがこういう弁護士の姿は、清廉潔白に映り、第三者的に見ている分には大変好ましい。
 とは言え、こういった真っ当な活動を行っている弁護士が食い詰めているという状況は明らかに異常であり、しかもほとんどが検察の言い分で判決が決まってしまうという日本の法曹界の現状も異常である。今村弁護士は、そういう状況に立ち向かいたいという意識でいるようだが、こういう問題は、本来であれば法曹界が(あるいは国といっても良いが)中心になって解決すべき事象である。1弁護士が巨大な問題に立ち向かっている様子は、ドンキホーテのようではある。だがしかし、その活動を認める人々は確実に増えてくるだろう。少なくともこういったドキュメンタリーが作られ、それが多くの一般人の目に触れるという状況は、改善への道筋に繋がるのではないかというような淡い期待も抱かせるのである。
第50回アメリカ国際フィルム・ビデオ祭シルバー・スクリーン賞
第54回ギャラクシー賞受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『死刑弁護人(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ふたりの死刑囚(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『時間が止まった私(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『検事のふろしき(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『私は屈しない 特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日(ドラマ)』

# by chikurinken | 2018-08-05 07:00 | ドキュメンタリー

『オウム 獄中の告白』(ドキュメンタリー)

オウム 獄中の告白 〜死刑囚たちが明かした真相〜
(2018年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル

アリバイ作りのような番組
結局わかったようでわからない


b0189364_18232374.jpg 先日、麻原彰晃を含むオウム関連事件の首謀者7人が処刑されたが、それに合わせて放送された「アンサー・ドキュメンタリー」である(その後、残りの6人も処刑)。
 彼ら受刑者たちが獄中で弁護士と接見したときの会話記録や、獄中から出した手紙から、オウム関連事件でどのようなことが起こったかを推測しながら、当時の事件を再構成して振り返るという内容である。
 会話記録や手紙、あるいは公判内容から事件の真相をあぶり出して、こういった事件が二度と起こらないようにするというのは、後の時代に住む我々の務めではないかと思うが、残念ながら死刑に処してしまったら結局わからずじまいのことがたくさん残ってしまうのは理の当然。まだわからない部分が多い(このドキュメンタリーでもそう言っていたが)にもかかわらず、なぜ(再審請求が出されている)この今の時期にいきなり7人も処刑してしまったか、法務省あるいは政権の良識を疑うところだが、ともかくこれによっていろいろな事実が闇の中に消えてしまったというこの事実は覆ることはない。
 実際このドキュメンタリーで紹介された、受刑者たちのいくつかのコメントからは、なかなか真相が見えてこない。このドキュメンタリーも、タイミング的に作る必要があったのかも知れないが、内容は、わかったようでわからないという状態で、きわめて物足りない。個人的には、オカルト・ブームで育ってきたアニメ世代の空想が、風通しの悪い組織で起こりがちの暴走と絡み合った結果、あのような連続殺人事件にまで行きついたのではないかと思うが、当事者の間でどのようなやりとりや葛藤があったのかがなかなか見えてこない。当事者がいなくなってしまったら、結局何も解明されないまま、この事件も過去の中に埋もれていくことになる。
 あの上九一色村にあったサティアンと呼ばれる教団施設は、ショッカーのようで不気味以外の何ものでもなかったが、ああいったショッキングな風景さえ、記憶の彼方に消えていってしまう。何らかの形できちんと総括しなければ、また同じようなことが繰り返されるかも知れない。この中途半端なドキュメンタリーを見て、そういう思いを強くしたのだった。
★★★

参考:
竹林軒出張所『未解決事件File. 02 オウム真理教(ドキュメンタリー』
竹林軒出張所『死刑(本)』
竹林軒出張所『A(映画)』
竹林軒出張所『A2(映画)』
竹林軒出張所『「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔(本)』

# by chikurinken | 2018-08-03 07:23 | ドキュメンタリー

『“悪魔の医師”か“赤ひげ”か』(ドキュメンタリー)

“悪魔の医師”か“赤ひげ”か(2018年・NHK)
NHK-Eテレ ETV特集

医療の問題というより
日本社会の病理


b0189364_19555310.jpg 2006年、愛媛県の宇和島で、万波誠という医師が行った腎臓移植手術が話題になった。これが耳目を集めたのは、何らかの病気で摘出された腎臓(病気腎)を、腎疾患患者に移植したためで、このような移植手術は一般的に「病気腎移植」と呼ばれる。日本で行われたのはこれが最初で、特にそれまで医師会などで事の是非が議論されていなかったことから、医療関係者をはじめとして、さまざまな批判が万波医師に浴びせられることになった。中には、金目当てで無謀な手術を行ったとして万波医師を「悪魔の医師」などと呼んでいる週刊誌記事まであって、ここまで来ると、かなり意図的な悪意を感じる。このような悪意のある見方が広がってきたことから、検察まで動き出して病院に家宅捜査が入ったりしたが、結局不起訴になり、いつの間にか世間の話題に上ることもなくなった。
 そもそも、腎疾患の現場では、提供される腎臓自体が非常に少なく、腎移植を待つ患者が大勢控えているという現状がある。しかもたとえ移植に使える腎臓が手に入ったとしても、適用障害が起こる可能性もあり、移植用の腎臓の圧倒的な不足に拍車がかかることになる。そこで、がんなどで摘出された腎臓を、がん細胞を除去した上で再利用すれば、それまで捨てていた腎臓を移植に再利用できることになり、患者にとっても医師にとっても願ったり叶ったりということになる。そういうわけで、この万波医師、こういった腎臓の使用にあえて踏み切ったのである。世間の反応はあらかじめ想定していたらしいが、そのフィーバーぶり(?)あるいは悪ノリぶりは想像以上だったらしく、自宅にまで乗り込んで「白状したらどうだ」などと迫る記者まで現れたらしい。ところが実は、このような病気腎移植、米国では割合普通に行われていて、問題になることもそれほど多くないらしい。そのため、米国の医師からすると、なぜ日本の事例がこのような大騒ぎになったのか理解不能らしいのである。
 当時の週刊誌などについては、現状をさして知らないまま、ことを面白おかしくセンセーショナルに扱っただけというのが本当のところのようで、また批判した医療関係者についても、(病気腎移植が)自分の理想とする医療と異なるために非難したというのが真相のようである(このあたりは、このドキュメンタリーで少しずつ明らかになる)。だが、こういった非難・中傷の流れが世間にできてしまうと、状況を知らない一般人も、事の真相を知らないまま、これに飛びついてフィーバーしてしまう。そして結局、「悪徳医師によって悪辣な所業が行われた」ということが既定の「事実」になってしまい、まったく無関係の人間であるにもかかわらず、したり顔でこの医師に一斉に非難を浴びせることになる。日本でよく見られる構図である。
 このドキュメンタリーでは、万波医師、患者たち、当時批判を浴びせた人々、賛成派の人々などから話を聞き、この「事件」を振り返る。日本社会の極端な保守性、弱い立場の人間への無責任な攻撃性、世間にはびこる利己的な自己満足などがあぶり出されてきて、そのあたりが特に興味深い部分である。芸能人のバッシングや冤罪事件などでもこのような構図が見られるのはご存知のとおりだが、こういった行動は見苦しいし、同時にきわめて異常な状況である。一人一人がもう少し自分の頭で考えて、物事についてしっかり判断できれば、こういったバカな風潮はなくなるかも知れないが、今の日本では、残念ながらこれが現実である。この番組のように、過去の騒動について、時代を経て振り返ると、あまりにバカっぽい現象であることがすぐにわかるが、こういった風潮に乗っかって単にバカ騒ぎしていた連中は、結局すべてをきれいに忘れてしまって、まったく気にしなくなるのだろう。このようなバッシングについては、中傷していた人間を吊し上げて相応の責任を取らせたいところだが、日本のような無責任社会ではそういうこともあまりないようだ。そのためにいつまでも同じような風潮が続くのである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『死刑弁護人(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『光と影 光市母子殺害事件(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『正しさをゴリ押しする人(本)』
竹林軒出張所『調査報告 STAP細胞(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『アは「愛国」のア(本)』

# by chikurinken | 2018-08-01 07:55 | ドキュメンタリー

『プーチンの復讐 前・後編』(ドキュメンタリー)

プーチンの復讐 前編後編
(2017年・米Kirk Documentary Group/WGBH Educational Foundation)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー

「21世紀の凶悪な独裁者」というようなイメージ

b0189364_19131405.jpg 元々アメリカの公共放送(PBS)で放送されたドキュメンタリーらしい。
 プーチンは、KGBに入ったばかりの頃、東ドイツ政府が反政府活動により崩壊していくのを目のあたりにし、その後ソ連の崩壊についても目の前で見てきた。さらにその後も、米国が独裁国家に介入して独裁者を倒していき、しかもロシアの国内問題にまで介入した(とプーチンが思い込んでいる)ことから、米国に対して復讐を遂げたいと感じるようになった。そのためもあって、米政府(特にオバマ政権)に対して強行な態度を貫くようになり、ついには2016年の大統領選挙に(フェイクニュースなどの手段で)大々的に介入し、予想を覆す選挙結果をもたらした……というのが、この番組の主張。おそらく、民主党そして以前の米政府も同じような意識を持っていたのではないかと思う。したがって、この番組で描かれるプーチン像は、あくまでもアメリカ政府側からのプーチンのイメージであり、打倒すべき独裁者、世界の厄介者というようなイメージが貫かれている。前の政府関係者、あるいはCIA長官などのインタビューが番組の中にかなり入っていることからも、そのあたりは容易に察しが付く。
 もちろんプーチン自体、相当問題がある政治家であり、民主主義などまったく認めない独裁主義者で、旧ソ連のような体制の復活を目論んでいるというのは、実際に政敵を次々に粛正していたり放送局を占領したりしていることから容易に察しが付くが、それにしても、この番組で紹介されるプーチン像はかなり偏っていると思えるし、悪意も感じる。
 アメリカ大統領選挙への介入や、周辺諸国への侵略行為は確かに容認しがたいが、こういうような独裁者像を視聴者に植え込む手法は、フェイクニュースに近いものがあり、あまり良い気分がしない。この番組については、参考にはなるが、あくまでもアメリカの前政権までのプーチン像に過ぎない、というような若干距離を置いた冷ややかな見方をすべきではないかと思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『プーチンの道(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『オリバー・ストーンONプーチン(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『混沌のウクライナ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『“フェイクニュース”を阻止せよ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『こうしてソ連邦は崩壊した(ドキュメンタリー)』

# by chikurinken | 2018-07-30 07:12 | ドキュメンタリー

『シェルブールの雨傘』(映画)

シェルブールの雨傘(1963年・仏)
監督:ジャック・ドゥミ
脚本:ジャック・ドゥミ
音楽:ミシェル・ルグラン
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ニーノ・カステルヌオーヴォ、マルク・ミシェル、エレン・ファルナー、アンヌ・ヴェルノン

人生ってそんなもんだ……

b0189364_20415888.jpg ジャック・ドゥミ、ミシェル・ルグラン・コンビのミュージカル映画。『天使の入江』『ロシュフォールの恋人たち』の間に作られたのがこの映画で、ドゥミとルグランの代表作である。
 この映画、ほとんどすべてのセリフが歌仕立てになっていて、ミュージカルというより、どちらかと言うとオペラに近い。最初はこういう形式に多少違和感を感じるが、見ているうちに慣れるし、慣れたらなんということはない。そういう意味でもオペラみたいな感じである。
 この映画、これまで見逃していた名画のうちの1本で、今回満を持してという感じで見た。期待がかなり高かっただけに少々拍子抜けの感じがなきにしもあらずだが、完成度の高い非常によくできた映画ではあると思う。少し変わったアングルから地面を撮影している冒頭の雨のシーンも味があり、ユニークさを感じる。
 ストーリー自体は、それほど大きな波乱が起こるわけでもなく、ごく日常的な風景が進行していく。男女の出会いや別れがモチーフの恋愛映画だが、恋愛云々というより市井の人々の人生模様みたいな要素が強いように思う。見終わって「人生ってそんなもんだ」などと思ってしまう。
 なお、登場人物が歌っている部分は、ことごとく歌手による吹き替えらしい。主演のカトリーヌ・ドヌーヴの歌はすべて、「ふたりの天使」でお馴染みのダニエル・リカーリが歌っている。メロウな主題曲が特に有名で、この曲だけが独立してあちこちで歌われている。ミシェル・ルグランの代表作である。
第17回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『天使の入江(映画)』
竹林軒出張所『ロシュフォールの恋人たち(映画)』
竹林軒出張所『ローラ(映画)』
竹林軒出張所『ロバと王女(映画)』
竹林軒出張所『ロワール渓谷の木靴職人(映画)』

# by chikurinken | 2018-07-28 07:41 | 映画

『ニュールンベルグ裁判』(映画)

ニュールンベルグ裁判(1961年・米)
監督:スタンリー・クレイマー
原作:アビー・マン
脚本:アビー・マン
出演:スペンサー・トレイシー、バート・ランカスター、リチャード・ウィドマーク、モンゴメリー・クリフト、マクシミリアン・シェル、マレーネ・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランド

歴史に名高いいわゆる「ニュルンベルク裁判」
ではない


b0189364_19162254.jpg 名画だということもあって以前この映画を一度見てはいるが、バート・ランカスターの落ち着いた演技以外あまり記憶に残っていない。てっきり1945年の(ナチス政権の幹部を裁いた)いわゆる「ニュルンベルク裁判」を扱っている映画だと思っていたが、映画の中の裁判の途中で1948年のベルリン封鎖が出てくるため、あの「ニュルンベルク裁判」ではないことに途中で気付いた。過去一度見ているので、もっと早く気付いてもおかしくないのだが、うかつにも気付かなかった。そもそも被告が、法律関係者(元法務大臣とか裁判官とか)のみであるため、あちらと異なるのは明らかななんだが、ボーッと見ていたためか以前は気付かないまま終わってしまったのだった(チコちゃんに「ボーっと見てんじゃねーよ!」と怒られそうだが)。そういうわけで、強いて言うなら「ニュルンベルク継続裁判」の1つがこの映画のオリジナルの舞台ということになる。ただし、実際のところ、この映画のストーリーはほぼフィクションのようである。その割には細かい部分が非常によく考え抜かれていてよくできており、その点は感心する。てっきり、これもドラマ版の『東京裁判』みたいに基になった話があるのかと思っていた。
 映画では、この裁判の首席判事としてアメリカから呼ばれてきた田舎判事(スペンサー・トレイシー)が、ニュルンベルグに入り、裁判に関わって、その後ニュルンベルグを去るまでが描かれる。セリフ中心でストーリーが進められるため、会話劇のような内容である。舞台はほとんど法廷である。法廷では緊迫感が漂うやりとりが行われ、そういう点でも実にアメリカ映画らしい法廷劇と言える。
 元々は90分のドラマだったらしいが、これを倍の3時間に延ばして映画にしたのが、この作品ということらしい。だがさすがに3時間は長く、途中かなり眠くなった。キャストは割合豪華で、モンゴメリー・クリフトやジュディ・ガーランドが、法廷に呼び出される証人役で登場する。2人とも風貌が、他の映画のイメージと大分違っていたため最後まで気が付かなかった。またマレーネ・ディートリッヒが軍人の妻として登場する。ディートリヒは、戦後すぐのドイツが舞台の『異国の出来事』でも、同じような存在感のある役回りを演じていて、それと重なるキャラクターである。途中、街の中から「リリー・マルレーン」が流れるシーンも多分にディートリヒを意識した演出なのかも知れない。
 この軍事裁判については、勝者による一方的な政治的裁判という見方が貫かれており、また独裁政権下で人はどう振る舞うべきかというような問いかけも終始行われるなど、問題意識が高い作品である。そのためにエンタテインメント的な要素がやや少ない。そのせいで映画の長さが余計堪えることになる。何度かに分けて見る方が良かったかも知れないなどと、見終わった今になって考えている。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ドラマ 東京裁判 (1)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『招かれざる客(映画)』
竹林軒出張所『老人と海(映画)』
竹林軒出張所『山猫(映画)』
竹林軒出張所『間諜X27(映画)』

# by chikurinken | 2018-07-26 07:15 | 映画