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竹林軒出張所

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ひょうそ譚

2004年12月10日・記
 左手の人さし指が腫れ、ズキズキし出した。ズキズキというより、ドックンドックンという感じか。脈を感じる。
 最初はしもやけかと思ったが、やがて痛みが出てくるに及んで却下。状況としては、蜂刺されに似ているが、虫に刺された記憶はない。数日経っても腫れは引かず、むしろ大きくなっているようでさえある。もしかしてリウマチや糖尿病かも……と考えると少し心配になってきた。
 それでインターネットで調べてみた。Googleで「指 腫れ 虫刺され」などと入力して検索する。リウマチとか関節炎とか、さまざまなページが出てきて、1つ1つ当たってみるがどうもしっくり来ない。つまり、自分のケースに該当しない。で、やがて「ひょうそおよび爪周囲炎」について書いているページを見つける。そしてその症状が、ぴたっと当てはまる。しっくり来るというやつ。この感覚が大事だ。
 で「ひょうそ」について調べてみた。不勉強ながら「ひょうそ」についてはまったく知らなかったのだ。後でいろいろな人に「ひょうそ」のことを話したらほとんどの人が知っていたので常識の部類に入るのだろう。ともかく私は知らなかった。
 どうやら「比較的よく発生する病気であるが、放置すると一部の組織が壊疽し、大変な手術が必要になることもある」というようなことらしい。爪付近の傷から黄色ブドウ球菌などの細菌が入り炎症を起こした結果、体内に膿が溜まり、そのために腫れるということなのだ。ガッテンガッテン! b0189364_8422150.jpg「指に膿が溜まる」……まさにそんな感じだ。
 なかなか原因がわからなかった現象でもその原因がわかると至極当然な印象を受けることがよくある。因果関係が単純に割り切れると言うべきか。今回がまさにそれだ。原因は深爪やささくれ、指先のけがという。そういえば何日か前にささくれをむしったなと思い当たる。
 で、早期治療ができれば大事に至らないが、爪の周辺を切開して中の膿を出さなければならないということらしい。つまり手術! 生まれてこの方、手術など経験がない私は少し武者震いした(ウソ)。まあ要するに指を少し切るだけだ。このくらいのことは、トゲが指に入ったときに自分でやってるさ。
 というわけで翌日病院に行くことにした。自分のことで病院に行くなど20年ぶりだ。
 行ったのは近所のクリニックで、内科と整形外科がある。5分ほど待つとすぐに呼び出された。小児科の町病院や大病院で1時間2時間待たされることのある私は、これだけでびっくり。診療室に入ると、気さくな老医師が出迎えてくれ、「こりゃ、ひょうそじゃ」と一言。
 「ちょっと切らにゃあいけんなあ」ということで即手術が決まる。
 「かなり切るんですか」
 「どこまで切るかが問題じゃ。足りんとまた切り直さんといけんし深すぎても痛えしなあ」などとのんきなことを言う。
 ベッドに寝て局部麻酔。親指と人さし指の間に一発、人さし指と中指の間に一発打たれる。体内に麻酔剤が流れ込むのが分かり気色悪い。
 しばらくして医者は「麻酔が効いたかどうかちょっと刺してみるから痛かったら言うてくれ」と言い、なにやら指にぶすっと刺した。私は思わず「イテテテッ」と言ってしまうが、大して痛くなかったのにもかかわらずオーバーだったかなと反省する。医者も「そんなに痛え痛え言われたら切れんなあ」となどと言っている。やがて、私の指にハサミが入る。メスではなくハサミね。ブッツンブッツンという感じで切っていく。痛みはほとんどない。どういう案配になっているか見ていると、医者はにっこり笑って局部を私の方に見せ、「こんなに膿が入っとった」と言う。緑色の膿が玉のように輝いている。その後、チャッチャッチャッと包帯を巻いて、私の初手術は終わることになった。
 「消炎剤出しとくけど、痛み止めはいるかな?」
 「かなり痛みますか?」
 「いやあ、そうでもなかろう」
 「そしたらいりません」
 などというのどかな会話の後、「明日来れたら、また来て見せてみて」ということで、診察室を出る。この間20分程度。病院で30分足らずで用事が終わったのは過去にないんじゃないかと思う。とにかくこの病院は、患者の流れが早く、待合室にも10人弱の人が常にいるのだが、どんどん回転しているのだ。どこの病院もこういうふうにやってほしいものだ。
 医者に親近感を持ったのも初めてだ。以前、まだ乳児だった子供が夜中に泣き続け、夜間診療に子供を連れていったときに、「なぜ今まで放っていたんだ」と医者に怒鳴られたことがあった(厳密に言うと怒鳴られたのは妻)。しかも机をバンとたたきながらだ。この医者も目が充血していたので、夜間診療にうんざりしていたんだろうが、ちょっと人間性を疑う行為だ。こっちは病院嫌いだが、子供が体を少し震わせて泣くので、しようがなしにタクシー飛ばして、遠方の病院まで行ったのだ。しかもさんざん待たされた揚げ句だ。ちなみに病名は口内炎。オイオイ……
 話はひょうそに戻る。翌日病院に行くと、件の医者は私の包帯を取り、様子を少し見た後、「バンドエイドでええ?」と尋ねて、バンドエイドを貼ってくれた。
 「ひどおなったらまたおいで。問題なかったらもう来んでいい」
 私は(心から)礼を言って診察室を出た。病院に来てから診察が終わって外に出るまで10分。素晴らしい。
 手術から4日後の今は、傷口に少し痛みがあるだけで、ほとんど普通に暮らしている。大体手術後でさえ、大して痛みはなかったのだ。手術前の方が痛かったくらいだ。
 ともあれ、いろいろ考えさせられる数日であった。

結論1:医者も接客業なんだから愛想の悪いヤツは前線から退場してほしいものだよ。
結論2:病院も接客業なんだから大名商売してるトコロは閉鎖してほしいものだよ。
 医師をやたら優遇するからこんなひどい状況になったのだ。自分の学生時代を振り返って医学部の同級生を思い起こすと、人間性に問題のあるヤツがやけに集まっていたことを思い出す。ぜひ、自然淘汰されて欲しい。以上!
by chikurinken | 2015-09-16 08:43 | 日常雑記

のりやんの消息

 何気なくニュース番組なんかを見ていると、大学時代の同級生がコメンテーターとしてシレッと登場するということがこれまで何度かあった(みんな偉くなっておるみたいで)が、今日はもっとビックリ。長年消息がわからなかった幼なじみがNHKのドキュメンタリーに登場したんだから。
 その番組というのは、『ゴジラ生誕60年 日本の特撮 驚異の技』というドキュメンタリーで、円谷英二以来の日本の特撮技術を紹介するという、別段どうということのないプログラム。そこにミニチュア製作会社(マーブリング・ファインアーツ)の代表が登場してきた。僕はそのとき、テレビを見ていて思わず「のりやん!」と叫んでいたのだった。その人こそ、岩崎憲彦って人で、風貌も雰囲気もあまり変わっていないんですぐにわかったのだが、僕は幼い頃、この人によく遊んでもらって、釣りやマンガの手ほどきを受けていたのだった。他にも何か面白そうなことをいろいろ僕にもたらしてくれた人だった。尊敬すべきあんちゃんという感じの人で、この人を含めて、近所の子どもたちと一緒に野球をやったりあちこちをかけずり回ったりしたのだった。
b0189364_862194.jpg のりやんについては、あちらが高校生(こちらが中学生)のときまでつきあってもらったが、高校卒業後についてはほとんど消息を聞いておらず、何をしているか気になっていたのだ。噂によると、当時、佐藤純弥監督の映画に下っ端として参加したという話だけ聞いたが、実際にこの映画を見てみたところ、タイトル・ロールでは名前を見つけられなかった。それがいきなり、日本を代表するミニチュア製作会社の代表であるということがわかったんだから、うれしいなんてもんじゃない。昔から非常に器用でしかもユニークな人だったんで、何か大きなことをやっているんじゃないかという期待はあったのだ。僕も今みたいに底辺で蠢いていないで、そろそろやることをやらなけりゃ、顔を会わせることさえできないな……などと大きな刺激を受けたのだった。
by chikurinken | 2014-09-05 08:08 | 日常雑記

虎だ! お前は虎になるのだ!

 世の中タイガーマスクばやりだが、このご時世に一服の清涼剤みたいなさわやかさを残してくれる良いニュースであった(そろそろ終結しそうな感じではある)。
 便乗者がいっぱい出たというのも、日本も捨てたものではないなと思わせるような、ま、何とも心持ちがよい便乗である。
 なんといっても最初にやった人が「伊達直人」を名乗ったのが良かった。僕の世代は「伊達直人」という名前には敏感に反応する。「恵まれない子ども達のために奮闘し、そのために命を狙われることになってもそれに屈せず闘う正義の人」というイメージがすぐに甦り、そのバックに「みなしごのバラード」の悲しいメロディが流れるのだ。クーッ!
b0189364_10383240.jpg 僕なんかは、特にタイガーマスクで育った人間といっても過言ではなく、『タイガーマスク』が連載されていたマンガ雑誌『ぼくら』は毎月購読していた。月刊『ぼくら』が週刊『ぼくらマガジン』に変わったときも憶えており、同じ頃に『タイガーマスク』がアニメとしてテレビ放映されることになった。『ぼくらマガジン』創刊号の表紙も憶えており、「みなしごのバラード」の歌詞が掲載されていたことも記憶している。アニメ版の『タイガーマスク』は、マンガ版と絵が大分違っていて、しかも線が汚かった印象があり、最初は「ちょっと無理」という感じであったが、(僕みたいな)子どもにとってマンガ版よりも内容がわかりやすかったこともあり、次第に気持ちはアニメ版に移っていった。特に劇的だった最終回はおそろしく印象的で、いろいろなシーンをかなりはっきりと憶えていた。実はその後、中学生時代と浪人時代にほとんどの回を再放送で見たんだが、アニメ版『タイガーマスク』の印象は、年齢が上がっていくほどキョーレツであった。
 浪人時代なんか、予備校の寮の同級生ほぼ全員でテレビの前に集まって毎回見ていたのだ(ちょうど夕食時だったため、夕食を交えての鑑賞会が行われていた)。話の内容はかなり荒唐無稽だが、しかしそのストーリーの世界の中で整合性がとれている(これがリアリティというものである)ため、見ていてまったく気にならない。それどころか、あまりに不気味な描写にたじろいだことがあるほどである(「赤き死の仮面」の登場シーンなど)。
 そういうわけで『タイガーマスク』が僕の中で確固たる地位を占めているので、「伊達直人」という名前を久々に新聞で見て、僕も少しウルウルきたのである。だから、便乗した人の気持ちはよく分かるような気がする(僕はしないけど)。こういった気持ち良いニュースが毎日羅列されると、良い気分になるというものだ。かれらの善意は、プレゼントを贈られた人々だけに向いているのではなく、僕のような無関係のギャラリーにも向けられているのだ。僕も善意を皆さんに分けられるようがんばります……という気持ちにさせてくれる。佳き哉……である。

参考:
竹林軒出張所『タイガーマスクW(アニメ)』

by chikurinken | 2011-01-14 10:40 | 社会

ドラえもんの時代性に関する一考察

b0189364_113988.jpg 岡山県立博物館の企画展「昭和のくらし - 50年前のおかやま」というのを見に行った。
 約50年前の生活用品が展示されていて、今の若い人にとっては珍しいものかも知れないが、僕にとってはほとんどリアルタイムで使ってきたものばかりだ。というわけで、僕にとっては珍しいというより懐かしいものである。こういうのは若い世代と一緒に行って、昔はこうだったなどとウンチクをたれるのが楽しい。講釈を聞かされる側にとってはうっとうしいかも知れないが。
 そんなわけで、中学生と小学生の子どもを連れて行って、あれこれ得意気に説明した。やはりというか、他にも同様の組み合わせ、つまり親子が多く、親の方が子どもにウンチクをたれていた。といっても、ほとんどが「懐かしい!」とか「昔はこういうのを使っていたんだ」とかいうレベルで、ウンチクにもなっていない。
 展示品の中で僕のお気に入りだったのは、手回し脱水機付きの洗濯機である。初期の洗濯機には、今のような回転式の脱水機がなく、ローラー式の脱水機が付いていた。見たことのない人には想像がつかないかも知れないが、銅版画のプレス機とかパスタ・マシンみたいなものが洗濯機に付いていたのだ(わからない? 写真参照)。ああ……なつかしい……。
b0189364_1132297.jpg この手回し脱水機付き洗濯機をはじめ、いろいろな物品について子どもに解説して悦に入っていたのだが、意外なことに、彼らは古いものについて割合よく知っているのだ。レコードとか8mmカメラとか見たことがないはずなんだが、説明しようとすると、使い方なんかよく知っている。で、理由を聞くと、マンガの『ドラえもん』にこういったレトロなものが頻繁に出てくるということだった。
 そう言えば『ドラえもん』は僕が小学生のときに始まったマンガである。そのため、単行本化されている『ドラえもん』は、われわれが子どもの頃読んでいたものと同じで、これを今の子どもたちが読んでいるのだった。おかげで子どもに自慢気にウンチクをたれるという試みは、志半ばにして失敗することになった。
 こうしてあらためて考えてみると『ドラえもん』も随分長寿のマンガである。うちの子どもによくバカにされている「のび太」にしてみても、実在すれば40歳近くになるはずだ。なんとも不思議な感覚。

追記1:『ドラえもん』が登場したときも、『オバケのQ太郎』とか『パーマン』の系統の藤子マンガで、恒例の化粧直しパターンだと感じていた(と思う)が、結果的に『ドラえもん』だけが異様にヒットしたことになる。確かに当時も面白いと感じたが、僕としてはオバQの方に愛着があって、(オバQの)亜流のイメージがずっとつきまとっていた。
追記2:この企画展で「原動機付き自転車」というものが展示されていた。いわゆる「原付」なんだが、しかしここに出ていた原付、今の原付バイク、つまりオートバイのイメージとはほど遠く、文字通り自転車にエンジン(つまり原動機)が取り付けられていた。今の電動アシスト自転車みたいな感じである(上に載せた企画展のチラシの右側に写真が付いている)。これは今回初めて見たもので新鮮であった。

参考:
竹林軒出張所『あこがれの家電時代(本)』
竹林軒出張所『70年代アナログ家電カタログ(本)』
竹林軒出張所『日本懐かしオーディオ大全(本)』
竹林軒出張所『ラジカセのデザイン!(本)』
竹林軒出張所『昭和のレトロパッケージ(本)』
by chikurinken | 2009-08-21 11:06 | 日常雑記

ブッチャーとシン

凶悪健在!ブッチャーvsシン両者反則負け(nikkansports.comより)

b0189364_1062540.jpg いやあアブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンがまだ現役だってのも驚いたが、相変わらず大暴れしているというのもびっくりだ。
 ブッチャーが68歳、シンが65歳だそうで、同じ時期に一緒にやっていたジャイアント馬場とジャンボ鶴田が鬼籍に入り、アントニオ猪木やザ・ファンクスがとうに一線を引いていることからもそのすごさがわかろうというもの。
 僕がプロレスをよく見ていたのは70年代後半だからすでに30年前だ。その当時全盛だったこの2人がいまだに健在というのも感慨深いものがある。

 僕は藤波辰巳(現・藤波辰爾)が出てきた頃からプロレスをよく見るようになって、佐山聡がマスクをかぶって出てきた頃から一切見なくなった。見始めたのは藤波辰巳の華麗で美しい技に魅了されたからで、見なくなったのは環境が変わってプロレスを見れなくなったためである。タイガー・ジェット・シンもそのころ新日本プロレスのマットによく出ていたが、あの狂乱ファイトがイヤで、心情的にはどちらかというと疎遠な存在であった。逃げまどう観客に襲いかかるわ、リング内でも何をやらかすかわからないわで、そういった恐怖感、嫌悪感が先立っていたのだと思う。なんであれ一定の調和がなければことは始まらない。スポーツであればルールがあるし、舞台であればさまざまな決まり事がある。規則や約束事を破るというのは、確かに一時的には面白い要素が出てくるかも知れないが、見る側にとってはおおむね不快なものである。なんでもかんでも破壊してしまうアナーキーさは、本当のアナーキーさを感じさせられる限り、多くの場合受け入れられないのではないかと思う。そういうわけで、一定の範囲内で無茶をするブッチャーは受け入れられても、何をしでかすかわからないという、ある種の狂気性をはらんだシンは、精神的に受け付けなかった。
 だが数年前、ミスター高橋著『流血の魔術 最強の演技』という本を読んで、シンのあのアナーキーさがすべて計算され尽くしたものであったことを知ったとき、本当に驚嘆したのである。もちろんプロレスが真剣勝負だとは思っていなかったが、ここまで周到に用意されたものであったは思わなかった。ましてやあの「ルール無用の悪党」が本当は心優しい紳士であったなどまったく想像が及ばなかった。そういう意味でも、当時の新日本プロレスの演出はすごかったと言わざるを得ない。
 この項を書くに当たって、タイガー・ジェット・シンアブドーラ・ザ・ブッチャーについてWikipediaで調べてみたのだが、彼らの魅力的な人間性ばかりが書かれていて、リングはあくまでも舞台にしか過ぎないのだということをあらためて認識させられる。
 タイガー・シンは今でも観客を追いかけ回しているんだそうだ。あの人をくったような「ハッスル」の舞台で、狂乱ファイトを繰り広げるとはなかなか爽快である。他の選手のスタイルとかみ合っているのか少々心配ではあるが。やはりまともにあのスタイルを相手できるレスラーといえばブッチャー・クラスでなければダメなんだろうな……などと感じるのである。まあ実際に見たことがないので、実際にどんなことが行われているか本当のところはよく分からないんだが。
by chikurinken | 2009-08-01 22:21 | 日常雑記

リニューアル・オープン

b0189364_930052.jpg 介護ライターの野田明宏氏のホームページがリニューアルしました。僕も製作に一枚かんでおります。BiND(ホームページ作製ソフト)とID(フラッシュ動画作成ソフト)というソフトを使って作りました。とっても使いやすいソフトで感覚的にホームページを作ることができます。ただしその分あまり融通が利きません。どこで折り合いを付けるかという問題ですね。まあ、ご覧くださいませ。
 リンク:野田明宏ネット

 リニューアル関連でもう一つ。大分県別府市にあるラクテンチがリニューアル・オープンしたということ。といっても、2004年にいったん縮小リニューアルしており、しかもその後休園しているため、今回が二度目のリニューアル・オープンということになる。
 asahi.com記事「別府の老舗遊園地「やめないで」声受け新装オープン」
 「ラクテンチ」と言えば、九州東部で子供時代を過ごした人にとってはまさに楽天地で、初めて訪れたときは楽天地ならぬ驚天動地であった(かなりオーバーではあるが)。それまで、デパートの屋上が最大の遊戯施設であった当時の僕は、本格的な遊園地に行ったのはこれが初めてで、しかもラクテンチには動物園まで併設されていて、それはそれは(本当の意味で)パラダイスであった。ケーブルカーというものに乗ったのも初めてであった(ラクテンチはケーブルカーでアクセスする)。リフトを初めて見たのもここである(なぜかリフトがあったのだ)。象に乗ったのもここが初めてである(というより後にも先にもそれっきり)。
 それが数十年経って(ナイトスクープ的な意味で)パラダイス化していると聞いて、寂しさもあったが、時代の趨勢でしようがないという気もしていた。それでも復帰に対する要望が多数あったということで今回リニューアル・オープンの運びとなったらしい。おそらくわれわれの世代が懐かしさから要望を出したんだと思う。しかしやはり、大規模で豪華なテーマパークが日本中のあちこちにあって比較的簡単にアクセスできる今となっては、生き残るのは難しいんじゃないかと思う。懐古趣味だけで運営していくのは無理だろう。よほどの吸引力を作り出さない限り、近い将来パラダイス化するのは目に見えている。パラダイス化してしまうと、寂しさどころではなく、悲しみや哀れみを誘うようになる。「懐かしい」で終わっているうちが華ではないかと思うんだが……。
 リンク:別府ラクテンチ

懐かしのケーブルカー。これに乗ってアクセス……

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象の花子さん。乗せていただきました……お世話になりました……僕は大人になりました

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「別府ラクテンチ」のホームページより引用

by chikurinken | 2009-07-20 09:27 | 日常雑記

関ヶ原参戦の記(後編)

 『徳川家康』の方は、DVDが出ていないものとずっと思っていたんだが、こちらもTSUTAYAにあることが分かり、早速借りてきた。関ヶ原の戦いでは、間諜の役でちょっとだけ映っているシーンがある(これも絶対に本人しかわからないが)。そのシーンは是非見てみたい。
 こちらのDVDでも、例によってドラマ部分は飛ばし合戦シーンをスキャンしながら見た。このドラマでもいろいろなことが甦ってきて懐かしくなる。三方ヶ原の戦いは出たことすら憶えてなかったが、このDVDを見て思い出した。京都近郊の河原(宇治川だったと思うが)で撮影されており、主役の人達も来てたよなあなどと思いながらね。そうそう、こういうドラマにありがちだと思うがほとんどのシーンは、京都近郊で撮影されております。浜辺のシーンは琵琶湖で、川辺のシーンは宇治川で撮影します(場所もほぼ決まっているようだ)。城が出てくるシーンは彦根城ですね。『徳川家康』では、彦根城がいろいろな城として登場しています。しれっと「……城」というテロップまで付いている。どれも一緒だっつーの。
 こちらは、ドラマ部分が割に面白くて、合戦シーンのみを見るつもりだったにもかかわらず、下巻に至ってはほとんど見てしまった。女好きの家康(松方弘樹)という設定も面白い。豊臣秀吉を緒形拳が演っているのもなかなかである。緒形拳の豊臣秀吉は、NHK大河ドラマでも再三再四演じられていて「ザ定番」である。真田広之の石田三成も実務家として表現されており、これも「ザ定番」になるんじゃないかというようなデキである。ちなみに監督は降旗康男で、『駅 station』や『鉄道員』を撮った人である。
b0189364_15384520.jpg そうそう、関ヶ原でした。間諜のシーンは申し訳程度に出演していた。「本人しかわからない」というより「本人にもわからない」というレベルであった。
 関ヶ原では、他にもいろいろな陣営の足軽として参加しているはずなんだが、どこの陣営で出ていたかほとんど憶えていない。というより、出ていたときからわからなかったのか……。この衣装を着けてくれと言われるままに走り回っているわけだから、関ヶ原マニアでなければわかるまい。ただ、石田三成の部下になったことはぼんやりと記憶している。関ヶ原の最後のシーンで、石田三成が劣勢を感じながら突進を命じるんだが(これがハイライトになっている)、そのシーンを見ながら思い出した。
 そうだそうだ、この中に俺はいたんだ……俺も討ち死にしたんだ……
 なにやらあの世からの回想のようだが、そういった中でドラマは終了し、家康様が天下を取ったのだった。なかなか面白いドラマだった。正月にゴロゴロ見るドラマとしてはなかなか良いんじゃないかと思った。

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この後、撃たれて手前に落下するのはプロのJACの人。僕はなんとか逃げおおせた……(笑)

by chikurinken | 2009-07-14 15:41 | 映像

関ヶ原参戦の記(前編)

b0189364_9234550.jpg 僕は、関ヶ原の戦いに参加したことがある。他にも桶狭間、三方ヶ原、小牧・長久手に参加し、長篠は少し曖昧だがたぶん出たんじゃないかと思う。さらに時代を下って、幕末の戊申戦争や西南戦争、神風連の乱にも参加している。
 何をほざいているのだと思われるかも知れないが、つまりテレビ映画のロケの話で、エキストラとして出ていたというわけ。
 かつて京都に住んでいたとき、金欠のためバイトに明け暮れていたのだが、秋から冬にかけて東映京都で大々的にエキストラを募集していたことがあって、これに応募した。撮影が終わるまで拘束されるが(逆に早く終わったらその時点で解放→報酬減)大半が待ち時間で、しかもいざ仕事といっても走り回ってるだけなので、大変楽で割の良い仕事である。特に始めたばかりの頃は、目新しいことばかりで結構楽しい。当時、民間キー放送局が年末年始に長時間ドラマを始めた頃で、ほとんどのキー局がこういった類のドラマを放送していたんじゃないかと思う。そのうちの多くが東映京都で製作されていた。そのとき製作されていた二大大作が『田原坂』(日本テレビ系)と『徳川家康』(TBS系)で、この撮影が当時の東映京都でメインになっていたため、僕も関ヶ原や桶狭間に従軍(参加)することになったわけである。
 画面に映るようなエキストラはプロがやるので、われわれバイトは足軽として後ろの方をワーワー言いながら走り回っている。足軽だから、脚絆や股引、簡単な鎧を着けて笠をかぶるという出で立ちで、髷なんかは当然付けない。撮影中に笠が取れたら現代風の髪型が登場してぶちこわしになるので、それだけは気をつけなければならない。桶狭間では大雨が降っていた(人工的に降らせていた)ので疲労が蓄積して大変だったものだ(遠い目……)。
 参加したドラマをもう一度見てみたいとは思っていたんだが、どのレンタル店にもDVDが置かれていないようで半分あきらめていたところ、先日、近所のTSUTAYAで『田原坂』を発見した。というわけで『田原坂』のDVDを借りて見てみた。もちろん、ドラマ部分は飛ばしながら、合戦シーンのみに集中するのである。だから6時間くらいのドラマだが、40分くらいで見終わった。撮影中、本格的な鎧甲を着けて参戦(参加)したシーンが1つだけあって、神風連の乱なんだが、そこにしっかり僕が映っていた(ような気がする)。家人に教えても、はぁ?ってなもんで、まったく感動はないようだ。そういえば、実際の放送時にもビデオに撮って友人に見せたんだが、似たような反応だった。「これ俺!」などといっても、大笑いされて「絶対本人じゃなきゃわからない」と言われた。
 とは言っても久々にこの合戦シーンを見ると、いろいろな記憶が甦ってくる。なんだか懐かしくなった。
(つづく)

by chikurinken | 2009-07-13 09:28 | 映像