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竹林軒出張所

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アシナガバチ考

   座して死を待つや 軒端(のきば)のアシナガバチ

 夏の終わりになって、アシナガバチが大挙して軒下に集まってきた。
 当初は大変興奮していたようで、そこらあたりをブンブン飛び回っていたが、数日経って落ち着き、軒下にいくつかのグループを作って終結している。その後もときどき飛び回っていたが、やがて飛ぶハチも少なくなり、今はほぼ日がな一日、その場所にじっとしている。この軒下は、毎年のようにアシナガバチが巣を作るところで、今も2年前に作られた巣が残っている。アシナガバチの巣は1年しか使われないので、現状「空き巣」になっていたんだが、この周辺に新しいアシナガバチ軍団が終結し、実際この空き巣にも相当数のアシナガバチが取り付いている。
b0189364_821281.jpg 通常、アシナガバチは、この季節、自分の巣を一生懸命守り、次世代の女王バチを育てる。育った女王バチは草葉の陰などで冬を越し、翌春に巣作りをしてまた営巣するんだが、その女王バチ以外のハタラキバチは冬を前に全部死んでしまうらしい。全員でなんとか次世代の女王バチにたすきをつなぐというイメージで、こうやってなんとかDNAを残そうとする。ところが夏や秋にスズメバチなんかに襲われてしまって、巣を破壊され、次世代の幼虫が捕らえられてしまったら、たすきを渡す相手がいなくなってしまうので、かれらにとってこういった事故は死活問題になるわけだ。
 今回、我が家に大挙して押し寄せてきたアシナガバチだが、どうやら巣を失ってしまったハチたちではないかと思うのだ。本来であれば、この時期、ハタラキバチたちはあちこちで餌を集めたりして幼虫の世話で慌ただしいはずだが、その目的すらもすでに失い、根無し草となって、何もすることなくただ座して死を待つ状態にあるんじゃないかと勝手に推測しているのだ。
 一般的に大挙してアシナガバチが家に押し寄せてきたら人間の側もパニックになったりして、殺虫剤で攻撃したりするが、こうなるとアシナガバチにとっては踏んだり蹴ったりである。アシナガバチはあまり攻撃的ではないと言われるし、今は、かれらが死を受け入れる瞬間までこのまま放置しておこうと思っているのだ。とは言え、以前、ウチの子どもがアシナガバチに突然刺されたこともあるので注意は怠らないようにしなければならない。おそらくそのときは、スズメバチに襲われたかなんかで気が立っていたんじゃないかと思う。今来ているやつは、どのハチもおとなしいもので、なんだか気の毒にさえ思えるほどだ。しかもすでに空き巣になった巣に取り付いているなんて、「思い出の中だけに生きて抜け殻のようになっている人間の図」さえ思い起こさせる。虫とは言え、人ごととは思えないのだな。
by chikurinken | 2011-09-29 08:22 | 歳時記

ハエトリグモとカーソル遊び……未遂

注意:虫嫌いの方、蜘蛛嫌いの方はご遠慮くださいますよう。

参考:竹林軒ネット『渇水や われ泣きぬれて(はいないが)クモとたわむる』
(これを読まないと、今回の話、何のことだかわからないと思います)

 以前、ハエトリグモとマウスカーソル遊びをやったことについてブログに書いた(竹林軒ネット『渇水や われ泣きぬれて(はいないが)クモとたわむる』)が、そのとき心残りだったのが証拠写真を残せなかったことで、このことがずっと心に引っかかっていたのだな。
 ところがつい先日、ハエトリがパソコンの画面上に再来したんである。もちろん6年前とは違うハエトリだが、これはチャンスとばかりにハエトリの元にカーソルを走らせた。マウスカーソル遊びの再現である!
b0189364_10253673.jpg だが今回のハエトリは、前のやつと違ってちょっと醒めていて、カーソルに飛びつくということがまったくない。多少は関心を示すが、結局そっぽを向いて画面の外に出て行ってしまった。今回は写真と映像を残そうと準備していたんだが、残念ながら映像はイマイチのもので、「無関心で画面の外に出て行く」図になってしまった。写真はとりあえずそれらしいものになったが、実際のところカーソル遊びはほとんどできていない。そのため、以前書いた文章にこの写真を添えると、ヤラセに近い感覚になる。
 今回あまりハエトリが(文字通り)食いつかなかった理由は、おそらくハエトリとカーソルの大きさの関係があったんではないかと思う。小さめのハエトリに比してカーソルは大きめである(写真参照)。これではそもそも餌として成立しないではないか。今回のことを反省材料として、また次の撮影機会を待とうと思う(というのは冗談で、たぶんもうやらないと思います)。
写真は「カーソルに迫るハエトリの図」(クリックで拡大します)

by chikurinken | 2011-09-27 10:27 | 日常雑記

虫の歳時記

 僕は、自分が死ぬことには抵抗を感じていない方だと思うんだが、ただ殺人や虐殺などといった悲惨な死に方は嫌だと思う。
 だから幽霊とか怨霊とかの類には理解がある。残虐な殺され方をした人の気が晴れるなら、霊的なものでかれらの気が休まるなら、それはぜひこういったものがあってほしいと思う。ただ、僕に霊感というものが欠けているせいかわからないが、テレビで大げさに騒いでいるような「霊的なもの」を感じたことが今までほとんどない。「ほとんど」というのは、昔「怖いな」と感じたことがあるために使った言葉であり、要するにこちらの気の持ちようだと気付いてからはまったくそういうことがなくなったのである。もちろん、怨霊に出会いたいと思っているわけではないが、それで浮かばれない人が救われるのなら、亡霊も存在してほしいという気持ちは常にある。
 そういう人間なので、相手が虫であっても殺したり傷つけたりするのには相当気が引けるのである。蚊やスズメバチなど攻撃的な昆虫であれば、こちらも割り切って逆襲するが、特に攻撃性がないものについては極力殺生したくないと思っている。これは、僕が心優しく人道的であるためではなく、殺された虫を自分と重ねて見るようなところがあるためである。単純に、自分が虐殺されたくないから虫も虐殺したくないという、ただそれだけのことである。
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 いつも活動している場所が半田舎みたいなところなので、死んだ昆虫を目にすることは比較的多い。のたれ死にした蝉などは天寿を全うしたみたいで「大往生」という言葉さえ思い浮かぶのだが、車にひかれてぺちゃんこになった虫は本当に哀れに感じる。僕自身、自転車に乗っているときに、目の前のバッタをよけようとしたにもかかわらず轢いてしまったことが過去何度かある。とても嫌な気持ちになるんで、今は徐行しながら車輪をバッタに極力近付けないように注意している。おかげでここ数年はバッタ轢き逃げ事故は皆無で、無事故優秀ドライバーとして表彰される日も近いのではないかと思っている。

秋になると、潰れたバッタが路上のあちこちに散らばっていて哀れを誘う。
   前に出て バッタバッタとひかれおり

 寒くなり始めてやっとバッタがいなくなったかと思うと、今度はカマキリが大挙して路上に押し寄せる。
   バッタ去り ひかれる主役 蟷螂(とうろう)に

 ある晩秋の日、スズメバチの死骸が舗装道路にポツンと落ちていて、少しドッキリとした。攻撃姿勢を保っているように感じた。
   武装せるスズメバチ 一人行き倒れ

 夏は夏で、川に敷き詰められた小さい舗道(サイクリングロード)に大量のミミズが死んでいる。少し前まで野原だったところで、ミミズにとってははなはだ迷惑な話だが、おそらく早朝、道の向こう側に渡ろうとして、のぼる太陽の光にやられたんだろう。どれも乾燥してしまっている。見通しが甘かったようだ。
   渡れると思ったか ひからびたミミズ

以下は同じく死んだ虫を詠んだもので、再録(「昨日の歳時記 蝉のはなし」)。
   ゆく夏や 蝉のなきがら経の声
by chikurinken | 2010-12-03 12:13 | 歳時記

今日の歳時記 「処暑にあたり」編

b0189364_9563799.jpg 頭が痛い。
 ここのところ暑いので夜は扇風機を回しながら寝ているが、暑い間は夜中じゅう扇風機を回してもそれで風邪をひくというようなことはない。ところが、昨日は朝方ちょっと寒さを感じたので、それが悪かったのかも知れない。
 僕は低体温のせいか、ちょっとしたことで風邪をひく。夜中に寒さを感じたら風邪をひくことが多いので、冬は布団や毛布を幾層にも積み重ねてその中に潜り込んでおり、感覚としては冬眠中の熊に近い。
 昨日は夜中に寒さを感じたので、そろそろ灼熱の夏も終わりなのかと思ったら、案の定、二十四節気の処暑(8月23日)ではないか。処暑というのは、暑さが後退し始める時期で、しかるべき書物では「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也」とされているらしい。この二十四節気というのは、1年を24に分けてその時期の特徴を表す名称が付けられたもので、日本では江戸時代に採用されたらしいが、これがまったく馬鹿にならない。先日も、真夏であるにもかかわらずふと秋を感じる日があったが、その日がちょうど立秋に当たっていた。
 太陽の位置に従って季節を分けているので、毎年同じような特徴が出るのも当然といえば当然なのだが、毎年「ズバリ、ドンピシャ」と思えるタイミングが必ず何度かある。昔作られたものだといっても、今もってまったく廃れていないと感じる。もっとも二十四節気を気にするのはおおむね、灼熱の夏と厳寒の冬くらいではあるが。
 処暑を迎えて、いよいよ暑さも一段落と見て良いのだろう。これからは逝く夏を惜しむ日々になるのか……と感傷に浸りながらも、自分はといえば、ひどい頭痛に苦しんでいるのだ。

(処暑にあたり……)
   灼熱の次は頭痛で苦しみぬ

(立秋にあたり……)
   小さい秋見つけた 今日は立秋なり
by chikurinken | 2010-08-24 10:01 | 歳時記

今日の歳時記 「暑いっちゅーねん」編

b0189364_18523092.jpg 1日中カンカン照りで、昼間外に出ると、日の光が肌に差し込むようで、まさに「陽差しが痛い!」という感覚であった。こんなに暑いと、丈夫だと自負する僕でも、熱射病になりそうだ。ちなみに熱射病というのは熱中症のことである。先日、小学生の息子に「熱射病に気をつけろよ」と言うと、「今は熱中症とも言うけどね……」と返されてしまった。そう、今は「熱中症」である。「熱射病」という言葉はおそらく「日射病」から派生した言葉だろうが、「日射」が正しいのはわかるが「熱射」という言葉には非常に違和感があった。だから「熱射病」という言葉も嫌いであまり使いたくない言葉だったのだ。だから「熱中症」という用語は大歓迎の言葉で、本当はこちらを好んで使いたいところだが、悲しいかな、これまでの習慣でなかなか「熱中症」という言葉が出てこない。
 「熱中症」は別だが、「統合失調症」とか「認知症」とかの言葉の言い換えは、ゴマカシみたいで非常に嫌な気分がする。要するに差別的なニュアンスがあるのでこういう言葉に言い換えたということだろうが、なんとなくNHK的な事なかれ主義を思わせる。「認知症」という言葉も大分定着してきて、ちょっと前みたいな違和感が少しずつ消えてきているが、やがてはこれがそのものズバリを差すようになるんで、差別的なニュアンスも出てくることになる。僕も身内に認知症患者がいるが、たとえば自分と同じクラスに、イタズラ好きのちょっと鈍感な中学生でもいたら「ヤーイ、ニンチショ〜!」などと言われるんではないかと思う。そうなると、またこの言葉を別の言葉に置き換えて言うなどということをするんだろうか……などと要らぬ心配をしてしまう。
 3、40年ほど前のドラマや映画を見ると、日常会話で「きちがいじみた」などという言葉が普通に出てくるんだが、最近この手の言葉を聞き慣れていないので、見ているこちらがドキッとしてしまうほどだ。子どもの頃は普通に使っていたのに、差別的なニュアンスがあるからと言って、わざわざ別の言葉で置き換える必要があるんだろうかと思うのは僕だけだろうか(いや、そうではあるまい……)。
 話がそれたが、熱中症である。とにかく暑いったらない。いきなり梅雨明けして真夏になったせいもあって、健康な身体にも堪える。特に最近、冷房が普通になったせいもあって、建物や自動車から排出される熱気で街の温度が上がっているようだ。街中を歩くのも命がけみたいになる日も近いのだろうか。
 そういうこともあってか、いつも行く図書館は非常に混んでいた。タダでゆっくり涼める場所が少ないせいもあるのかわからないが、ともかく図書館はタダである。で、今日図書館に向かう途中、ハトが木陰に集まっている様子を見かけた。面白いので写真に撮ったが、カメラを構えた途端、ハトが大挙して僕のところに集まってきた。たぶん餌をやっている人がいるんだろう。おかげで、写真には3羽しか収まらなかった。写真で向こうに見えるのが図書館である。

   ヒトは図書館 ハトは木陰で 涼をとる

 遅くなりましたが、皆様、暑中お見舞い申し上げます。お身体には十分お気をつけくださいませ。
by chikurinken | 2010-07-21 18:54 | 歳時記

今日の歳時記 「キンモクセイ」編

 ほうぼうにキンモクセイの香りが漂うようになってきた。キンモクセイが香るようになってくると心ときめく。いよいよ秋本番である。
 花がサクラなら香りはキンモクセイだ。キンモクセイの香る時期は意外に短い。この点でもソメイヨシノの花なみである。良いものは短いのだろうか。芳香を漂わせながら「今を盛り」の感じが伴う。秋のはかなさに通じるものがある。
 キンモクセイのかぐわしさはなにやら官能的ですらある。ああそれなのにそれなのに……最近ではトイレの臭いなどという輩もいるらしい。トイレ芳香剤のせいだ。あんなケミカルな臭いと一緒にしないでくれよなと思うのである。あ……ちなみに90年代以降、トイレ消臭剤の主流はキンモクセイからラベンダーに変わったんだって。
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  かぐわしく官能的に キンモクセイ

  甘い香(か)に甘い想い出 キンモクセイ

  甘けれどはかなき思い キンモクセイ

  濡れてなお 色香を放つ キンモクセイ
by chikurinken | 2009-10-15 16:06 | 歳時記

昨日の歳時記 蝉のはなし

b0189364_1029252.jpg 午前中は、さわやかな風が吹き、秋を思わせるような心地よさだったが、昼近くから夏の暑さが戻ってきた。
 街中でも蝉の声が響き渡っている。自転車で街を走り回っていたところ、アブラゼミが僕の頬にぶつかって、ジジジといいながら飛び去っていった。蝉が顔にぶつかったのは生涯初めてである。よほどマヌケな蝉だったのだろう。そこそこの痛みが頬に残ったが、加害者はとうに立ち去っているので、怒りのやり場はすでになくなっていた。
 そのまま川縁の遊歩道に入ると、蝉の死骸があちこちに落ちている。一瞬哀れみを誘うが、考えてみれば彼らは天寿を全うしていることになる。蝉はその生涯のほとんどを土中で過ごし、生涯の最後に生殖のために地上に出て来て、数日したら死ぬという。だから地面に亡骸が落ちているということは、捕食生物に食べられることもなく、おそらく(いわば老衰で)力尽きて落ちたんだろう。まさに大往生ではないか。後は身を蟻に託すだけである。こうしてかれらは現世の舞台を去るのであった。

   ゆく夏や蝉のなきがら経の声

自然界では、のたれ死に、すなわち大往生。
by chikurinken | 2009-08-17 10:30 | 歳時記

今日の歳時記

 空を見上げるとなんとなく秋の気配を感じる。まだ夏が来たばかりなのに気のせいかと思っていると、暦の上ではもう立秋(8月7日)と来た。今年は秋の訪れも早いのか……。
 秋みたいな風が心地良く、いつもと別の道を歩いた。

   青空に秋を感じて遠まわり


 カメラを持ってなかったので写真は撮れませんでした。
by chikurinken | 2009-08-06 22:20 | 歳時記