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竹林軒出張所

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タグ:美術 ( 33 ) タグの人気記事

わたしの「京都慕情」

 秋の京都で、琳派の美術作品などを見てみようと思い立ち、京都まで赴いた。そのため一番のお目当ては、京都国立博物館で開かれている『琳派 京を彩る』展である。その他にも、楽美術館で本阿弥光悦の楽茶碗が展示されているらしいし、近代美術館でも『琳派イメージ展』などという展覧会をやっていて、京都は琳派一色……というのは大げさだが、ともかく琳派で盛り上がっているらしい(まあごく一部でだろうが)。他にもフェルメールとレンブラントの油絵を展示した展覧会も市立美術館でやっているらしいし、美術好きにはいろいろ見所満載の秋の京都である。
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 で、朝から京都に赴き、京都駅から京都国立博物館までてくてく歩いて行った。博物館に着いたのは午前10時(開館は9:30)で、10時からだったらゆっくり見られるだろうと思っていたんだが、あに図らんや、なんと朝10時の時点であるにもかかわらず、「180分待ち」という驚きのプラカードが出ていた。美術を見るために3時間も待つみたいなバカバカしい企画にはまったく参加する意志はないので、これが一番の目的であったにもかかわらず、速攻パスした。たとえ3時間並んで入ったところで、場内は人でごった返していて「立ち止まらずに進んでください」などという絶叫が聞こえること請け合い。今回の展示品にこんなラッシュアワーみたいな環境で、人を押しのけて見るほどの価値が果たしてあるのかもはなはだ疑問である。もっとも疑問といえば、そもそもなんでこんなに人が集まっているのかそれ自体がわからない。もちろん国宝も展示されているんだが、100年に一度しか見られないとかいう代物ではないわけで、正直呆れてしまった。ちょっと見た感じ、年配の方々が多かったので、時間が余ってしようがない人々が見に来ているんだろうが、この方々にどれほどこの展示品の価値がわかるのかも皆目見当がつかない(まあ僕もわかりゃしないんだがね)。
 思えばこの京都国立博物館、ここのところ、行くたんびに中が人でごった返している。以前も雪舟の展覧会が人だらけでろくろく見ずに出て来たことがある(このときは30分ほど並んだ)。その前も何の展覧会だったか忘れたが、美術館の前まで行ったにもかかわらず、あまりに人が多すぎて入らなかったことがある。
 こういうことを考え合わせると、京都国立博物館自体の企画に人が集まりすぎているのではないかと感じるのである。はっきり言うと広報のやり過ぎということで、特にこの京都および東京国立博物館の企画は、最近メディアとタイアップしたものが多いため、テレビに踊らされた観客が必要以上に集まっているのではないかと思える。結局時間に余裕のある年寄りがたくさん集まることになって、ゆっくり見たいと思っている若者は行かなくなっていくわけで、そうすると長い目で見ると、長期的な美術ファンが減っていって博物館にとってマイナスになるんじゃないかなどという危惧が老婆心ながら出てきてしまう。博物館側が観客を集めたい気持ちはわかるが、あまりにも度が過ぎている。できる限り観客動員数を上げたいというのならば、たとえば開館時間を21時までにするとか、そういった工夫をする義務があるんじゃないのか。少なくとも今の状態は美術品を見せるという環境ではない。僕が京都に住んでいた頃は、この博物館、こういうことはまったくなかったんで、こういうような状況はここ10年くらいのことだと思う。だがこういう状態が改善されないのであれば、二度とあの博物館には行きたくないと思う。マジで。

 で、この博物館は、憤慨しながら後にしたんだが、その後は東山を歩き回り、京都三年坂美術館、京都市美術館、細見美術館(琳派の焼物 乾山」展)と辿っていった。
b0189364_8442672.jpg 京都市美術館では『フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち』という展覧会が開催中で、フェルメール作品が来てるんで、こちらもさぞかし人人なんじゃないかと思ったら、意外や意外、常設展並みの人の入りで、少しばかり肩すかしを食った。フェルメール作品1点の他、レンブラント作品2点、ハルス作品2点が展示されていたが、会場内も人でごった返すということはなく、逆に展示作品がもしかしたらイミテーションなのかと感じるほどだった(もちろん実際は本物)。なんせフェルメール作品なんて世界で37点しかなくて、そのうちの1点がこの王城の地に来ているというのに、京都の皆さんはあまり洋画に関心がないのか、むしろこっちに3時間の行列ができていてもおかしくないのになどと感じる。ただし他の作品群については、なんとなく寄せ集めというか水増しみたいな印象があったが、これについてはまあ致し方あるまい。
 午後は、、楽美術館、京都文化博物館と美術館をめぐっていった。楽美術館については本阿弥光悦の楽茶碗は数点で、なんだかちょっとはめられたような気分になった。「琳派」ばかり前面に押し出して集客を目論む京都美術界の姿勢に少し疑問を感じたりもする。
 その後行った京都文化博物館では、ダ・ヴィンチが描いたという「アンギアーリの戦い」の下絵の展覧会が開催されていたが、こちらも全体的に水増し展覧会で、あまり見る価値はなかったかなという代物。「ダ・ヴィンチ」ブランドで押しまくろうとしたが、展示物がどうしても足りないという雰囲気が漂っている。中にはダ・ヴィンチの手書き原稿の「FAX原稿」なんてものまで展示されていて「無理から」感が大変強い展覧会であった。この京都文化博物館という建物は僕が住んでいた頃はなかったが、正直言ってあまり存在価値のある建物には見えない。ハコモノ作りが日本全国で流行っていた頃に作られたのではないかと思うが、今回の展覧会と言い、中の常設展示物と言い、どうも役所仕事みたいな印象がぬぐえなかった。
b0189364_846325.jpg その後、近くにある「三条境町のイノダっていうコーヒー屋」に行ってみた。実は今回の京都で一番満足度が高かったのはこのイノダであった。僕は京都に数年間住んでいながらこの名物コーヒー屋に行ったことがなかったので、一度はと思い、今回行ってみたわけ。実はここも最初人でごった返していて、席が空くのを待っている人が随分行列を作っていて「イノダよお前もか」と思ったんだが、先に文化博物館の方に行くことにして、その後行ってみたら、すんなりと入れたという次第(人が多かったら寄らずに帰ろうと思っていたんだが)。イノダについては中の雰囲気が非常に良く、それまで感じていたあれやこれやの不満が一挙に融けていった。イノダに救われた恰好になった。
 それにしても、今回あらためて思ったが、京都には人が多すぎる。東大路通り(七条から五条の間)なんか歩道がわずかな幅しかなく、向かいから来る人とすれ違うことすら簡単にできない。しかもときどき自転車までやってくる。ただ自転車乗りに車道を走れと言うこともためらわれるくらい、ここの車道は危険で、狭い上に大型バスがキワキワまで寄せてくる。以前僕自身このあたりをよく自転車でウロウロしていたはずなんだが、どうやってたんだろと今になって思う。
 清水寺への参道も非常に狭い路であるにもかかわらず巨大な観光バスがばんばん通っていて、危ないったらありゃしない。京都も観光でやっていこうという気があるんなら、人が歩きやすい環境を作るか、交通網をしっかり発展させるか、あるいは自動車の乗り入れ制限するとかしないと、いずれ客から見放されるぞと心底思った。こういうのはあそこに住んでいるとなかなか気付かないことで、離れてから初めてわかることなのかも知れない。

参考:
竹林軒出張所『京都のゴッホ展 ……あんこも欲しいじゃないか』
竹林軒出張所『特別展覧会「狩野山楽・山雪」』
竹林軒出張所『京都人の密かな愉しみ 夏(ドキュメンタリー)』
by chikurinken | 2015-11-09 08:50 | 日常雑記

『風神雷神図を描いた男』(ドキュメンタリー)

風神雷神図を描いた男 天才絵師・俵屋宗達の正体(2015年・NHK)
NHK-BSプレミアム ザ・プレミアム

『日曜美術館』に毛のはえたような番組

b0189364_8543395.jpg 『風神雷神図屏風』の作者、俵屋宗達の生涯に迫るドキュメンタリー。と言っても俵屋宗達自体、謎に包まれている絵師であるため、生涯に迫ることなどなかなかできないわけだ。あくまでも残されている作品群から想像するしかなく、そのため、そもそもドキュメンタリーとして取り上げること自体、結構苦しい素材ではある。
 おそらく現在京都国立博物館で開かれている琳派展にリンクした企画なんだろうが、中身が乏しいため、結果的に作品の紹介や技法の探求、それにナビゲーターの中谷美紀の感想なんかで構成されることになるわけで、毎週日曜日Eテレで放送されているあの退屈な『日曜美術館』の拡大版みたいなドキュメンタリーになってしまって、表面をさらっただけで面白味のない番組になってしまった。ありきたりで切り口もなっちょらん美術ドキュメンタリーの代表作である。
★★☆

参考:
竹林軒出張所『尾形光琳 自由と夢幻の魔術師(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『特別展「建仁寺」……そしてロビーでの皮算用』
竹林軒出張所『中谷美紀 日本ノ宝、見ツケマシタ 第1話(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『神の手を持つ絵師 若冲(ドキュメンタリー)』
by chikurinken | 2015-11-07 08:54 | ドキュメンタリー

こんなんあります

「西岡真太郎銅版画展」
ギャラリーグロス(岡山市北区富田町)
2015年3月17日〜3月14日
10:00-19:00(期間中無休)最終日は17時終了

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 会場は、かつてフィリップ・モーリッツアーリング・ヴァルティルソンの展覧会を開催したお馴染みのギャラリーグロス。コーヒーの美味しいギャラリー喫茶です。エッチング、メゾチント、エングレーヴィング作品を展示します。
 考えようによってはモーリッツやヴァルティルソンに並んだということになるな……。

竹林軒出張所『フィリップ・モーリッツ銅版画展』
竹林軒出張所『アーリング・ヴァルティルソン メゾチント銅版画展』
by chikurinken | 2015-03-06 08:18 | 美術

『宮廷画家ゴヤは見た』(映画)

宮廷画家ゴヤは見た(2006年・米西)
監督:ミロス・フォアマン
脚本:ミロス・フォアマン、ジャン=クロード・カリエール
出演:ハビエル・バルデム、ナタリー・ポートマン、ステラン・スカルスガルド、ランディ・クエイド

b0189364_7521486.jpg1人の画家というより
背景となる時代を描きあげた作品


 スペインの大画家、フランシスコ・デ・ゴヤの視点から描いたスペイン異端審問とナポレオン戦争(およびスペイン独立戦争)。
 監督は『アマデウス』のミロス・フォアマン。『アマデウス』同様、美術や衣装は非常にすばらしく、当時の風俗が窺われる。
 主人公はゴヤだが、ゴヤの生涯を描くというより、彼の時代の社会動乱を描いた映画と見て良い。明確なテーマは見て取れなかったが、強いて言うなら自由・平等主義の讃歌ということになるんだろうか(ちょっと疑わしいところでもあるが)。いずれにしても歴史に翻弄される人々の姿が映し出され、社会変動に伴って人々の地位が二転三転する有様は興味深い。ストーリーはよく練られていて非常に面白いが、明確な主張があるわけではなく、歴史絵巻の一面というような話である。
 (映画的な意味での)美術は先ほども言ったように非常にグレードが高く、ゴヤ自身が描画するシーンや銅版画作成のシーンまであって、(一般的な意味での)美術ファンにはまた別の見所もある。しかもゴヤの描画方法についてもよく研究されているという印象で、このシーンにやっつけ仕事みたいな感覚はない。派手さはあまりないが、隅々まで丁寧に作られた職人芸の映画という印象である。途中、ナタリー・ポートマンの顔がひどく変わったのも印象的だった。メーキャップも賞賛に値する。
★★★☆
by chikurinken | 2013-12-09 07:52 | 映画

特別展覧会『狩野山楽・山雪』

b0189364_830533.jpg 京都に行ったんで、ついでと言っちゃあ何だが、ゴッホ展に続いて国立博物館にも足を伸ばした。国立博物館では、京狩野の始祖とも言うべき狩野山楽、狩野山雪の展覧会が行われている。こちらも大雨の影響か、日曜日の午後であったにもかかわらず行列はなく、どちらかというと特別展にしては人が少ないといって良い。これならばゆっくり見ることができる。ただ館外の庭にはテントがしつらえられていたりしたので、普通の日であれば行列になっているのかも知れない。
 個人的には日本画にあまり興味がないので京狩野の魅力もあまりわからないんだが、それでも展覧会がかなり意欲的であることはわかった。作品数が比較的少ないと言われる狩野山楽の作品も相当数集められている。また狩野山雪の作品も非常に多く、おそらく全体の2/3以上が山雪の作品で、また種類も多岐に渡っていた。さすがに京都の博物館といったラインアップである。ただし入場料も1400円と高めである。
 狩野派の絵であるため、きれいによく描けてはいるが、個人的には特に印象に残るようなものはない。そもそも僕自身があまりこういう絵に目が利かないというのもある。実は一番印象に残ったのはそれぞれの作品につけられている解説で、展示作品の前にしつらえられているガラスに貼られていたりして、こういう見せ方は斬新だと思った。また解説の記述に砕けた調子が多く、従来のこういった博物館の硬いイメージから脱却しようとしているのかしらんが、それはそれで読みやすくて良いんじゃないかと思う。ただ書かれている内容がちょっとやり過ぎと感じる部分も結構あり、たとえば「……。うまい。……」などと書かれていたりして、お前えーかげんにせーよと思ったりもする。
b0189364_8312197.jpg 東京の国立博物館には「キュレーター」などという人がいて見せ方を工夫することで人気を集めているという話を前に聞いたことがあるが、京都にもそういう影響があるのか、そのあたりはよくわからない。そう言えばこの展覧会でも途中高級レストランみたいなパーティションや照明が置かれて、雰囲気を盛り上げる工夫があった。こういう風潮には軽薄なイメージがついてまわって、僕自身はあまり好感を持っていない。本当のところは、見せ方じゃなくて作品ラインアップや館内の快適性で勝負してほしいとは思うのだ。それに東京国立博物館みたいに奇を衒った見せ方をされると、僕みたいな古い人間は逆に反発を感じてしまったりもする。今回の展覧会については、解説の記述がやり過ぎだと思った以外それほど気になることはなかったんで、まあよろしいんじゃないかとは思っている。
 なお、京都国立博物館では平常展示館が現在改修中であるため常設展は見られなかった。ゴッホ美術館のようにどこか外国の美術館に『京都展』とかなんとかいうタイトルで作品群が貸し出されているのかも知れない。

特別展覧会『狩野山楽・山雪』
会場:京都国立博物館
期間: 2013年3月30日(土) -- 2013年5月12日(日)
by chikurinken | 2013-04-09 08:33 | 美術

京都のゴッホ展 ……あんこも欲しいじゃないか

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 京都・岡崎の京都市美術館で開催されている『ゴッホ展』に行ってきた。
 最近は美術ブームのせいだか何だか知らないが、首都圏や近畿圏で開催される展覧会はどこも超満員という印象で、まったく行く気がしない。こんな展覧会でなぜこんなに長蛇の列が……と思うことが過去多々あり、前売券を買っていたにもかかわらず入口の長蛇の列を見て結局入場を断念したことすらある(東京・上野の森美術館の某展覧会)。10年くらい前の京都国立博物館の雪舟の展覧会も異常な人だかりで、入る前から驚嘆したのだった。本当なら、行列にではなく美術作品に驚嘆したかったところだ。普段なら行列に並んだりするのはイヤだが、もう前売券を買っていたのでしようがなしに30分〜1時間ばかり並んで館内に入ったは良いが、館内では「立ち止まらないでください」などと絶叫する係員がいたりして、パンダを見に来たんじゃねぇなどと心の中で悪態をついて結局ほとんど何も見ずに出口に向かった。こんな環境で美術を見ることに意味があるのか、その辺を関係者に問いたいところだ。そういうわけで、行列のできる展覧会なんか金輪際行く気はない。
 今回の『ゴッホ展』も、「ゴッホ」という美術界のビッグネームで、しかもアムステルダムのゴッホ美術館の作品が50点以上来ているというので、長蛇の列必至と思いながら岡崎に向かったのである。元々の目的がこの展覧会だったわけじゃないので、行列ができていれば入らないつもりでとりあえず現場に赴いた。ところがあにはからんや、大雨だったせいか行列らしきものはなかったのだ。ちょっと驚きながらも、これはチャンスとばかりにチケットを買い入場した。
 内部はラッシュ状態で身動き取れないというほどではないが、絵の前にはそれなりに行列ができていて、人気の美術展であるならこれは致し方ないところ。ただこんな行列に並んでも時間だけが無駄に過ぎるので、とにかく遠目から見ながら、どんどん先に進んでいく。行列ができているのはおおむね最初の方だけで、後は行列があっても適当にまばらになっていて、やや遠目からでも結構見ることができるものである。それに行列が途切れる箇所も結構あるので、そういう場合は絵の前に進んでじっくり鑑賞することもできる。ある程度の行列ができている展覧会の対処法である。付け加えると、こういったやや大がかりな展覧会では、とりあえず最後まで簡単に全作品を見ていって、めぼしい作品があったらまた戻ってくるという方法が経験上一番良い。そういう意味でも行列に並ぶ意味はないと言える。それからさらに付け加えると、どうしてもじっくり見たい展覧会の場合は、閉幕1時間前〜45分前くらいに入るのがベストである。これは、通常の展覧会で閉幕30分前に入場ストップになることから、閉幕30分間は観客がどんどん減っていくためである。特に最後の5分くらいは館内ほとんど独り占めみたいな状態になることもある。
b0189364_92815100.jpg それはさておき今回のゴッホ展だが、異常な行列もなく見せ方自体も悪くなかったが、作品の質にどうしても疑問が残る。ホントにゴッホ美術館の所蔵品点なのかというようなゴッホの魅力に乏しい作品ばかりだった。ゴッホの作品の魅力はなんと言っても色彩で、特に晩年の淡い緑色は他の作家にない魅力を放つ。ゴッホはともすれば表現主義的な面が語られ、狂気がかった作品が注目を浴びることが多いが、実際のところ真の魅力は色彩である(と思う)。1985年に大阪の国立国際美術館でゴッホの大回顧展(ヴァン・ゴッホ展)を見たときに僕はそのことを思い知らされた。当時学生だった僕は、どうしても狂気がかったゴッホ像に目が行きがちでそちら方面の作品に注目しがちだったが、色彩豊かな多くの作品を目にして、この色彩こそが死後ゴッホが評価された理由だと確信したのだった。今回のゴッホ展は、残念ながらそういう色彩が魅力の絵がほとんど無かった。なんでも今回の展覧会、ゴッホのパリ時代(1886〜1888年)の絵が多いということで、その辺が理由なんだろうと思う。ゴッホの傑作がアルル時代(1888〜1889年)、サンレミ時代(1889〜1890年)、オーヴェール時代(1890年)に集中していることから考えると、なにゆえにパリ時代の作品ばかり集めたのだろうと疑問を持ってしまう。どう考えても今回のこのラインアップは画竜点睛を欠くとしか思えない。たとえ自画像を10点集めたところで、どれもプリミティブな作品ばかりで目玉になり得ない。パリ時代の解説があってそれなりに意味づけしているが、ゴッホの作品歴の中ではこの時代は予備的な部分といっても差し支えなく、後の時代があってこそ引き立つ作品群である。だから本当に目玉の部分がないと言えるんだ、今回の展覧会は。
 聞くところによるとゴッホ美術館は現在改修中らしく、そのために今回のように大量の作品が海外に出されたんだろうが、なぜよりによって画家の人生の中で周辺部と言って良いような作品ばかりが来たのか、それについては謎である。アンコの部分の一番美味しい作品群は、どこか金と政治力を持っている美術館がガバッとまとめて借り受けたのか、あるいはゴッホ美術館自身が重要な作品群を出すのを渋ったのか、それは一切わからないが、結局目玉のない「ゴッホ展」になってしまい、「ゴッホ展」と名うつにははなはだもの足りない作品展になっていたのは残念至極であった。

ゴッホ展 -- 空白のパリを追う --
会場:京都市美術館
期間: 2013年4月2日(火) -- 2013年5月19日(日)、その後、宮城、広島に巡回
by chikurinken | 2013-04-08 09:28 | 美術

職人への道 -- エングレーヴィング

b0189364_8453780.jpg 銅版画の技法の1つにエングレーヴィングという技法がある。銅板をビュランという彫刻刀で彫って線を刻んでいく技法で、「金属で金属を彫る」ことから、一種の彫金と考えることもできる。実は日本の紙幣の原版も銅版であり、しかもエングレーヴィングで彫られている。お手持ちのお札をルーペで見ていただくと、細い線をたくさん入れて陰影を作っていることがおわかりいただけるだろう。エングレーヴィングでは、線か点でしか表現できないので、暗いところには線をたくさん入れ明るいところにはあまり入れないという、そういう表現が必然的にとられる。
 エッチングやドライポイントと比べても難易度がかなり高く敷居も高いため、エングレーヴィングをやってみようという人はあまり多くないようだ。おそらくメゾチントよりも人口が少ないんじゃないかと思う(竹林軒出張所『メゾチントという絶滅危惧技法』参照)。そもそも銅版画の始まりがエングレーヴィングだったという話で、エッチングはお手軽に銅版画製作に近付くための手段として登場したのではないかと勝手に想像している。エングレーヴィングはやはり職人技なのだ。
b0189364_8463730.jpg さて、エングレーヴィングの大家といえば、ドイツの画家、アルブレヒト・デューラーで、エングレーヴィングをやるとなると当然意識せざるを得なくなる。ということで、僕もとりあえずデューラーの真似をすることにした。本当であれば『メレンコリア』あたりに取り組みたいところだが、これは「難易度が高い!」ということで、もう少し小さい版で模写してみることにした。ただ模写といっても、元絵をトレースして原画を描いたわけで、厳密には模写というのははばかられる。実質的には「お手本」みたいなものになるわけだ。で、今回取り上げた絵は『フィリップ・メランヒトンの肖像』である。『The Complete Engravings, Etchings and Drypoints of Albrecht Durer』という本に原寸大で収録されていたので、それを利用させてもらった。
 いざ取り組んでみると、曲線による陰影表現が非常に多く(髪や顔など)、いかにもエングレーヴィングな表現だと感じる。線による陰影表現の魅力みたいなものも感じることができる。そういうわけで、デューラーのドローイングも何点か模写してみた。また、デューラーの著作も読んだりしたのだった(竹林軒出張所『ネーデルラント旅日記(本)』参照)。おかげでデューラーをかなり身近に感じられるようになった。
b0189364_8452753.jpg 結論としては、思った以上によく彫れたが、納得がいかない箇所というのも非常に多い。模写する場合の常だが、どうしても原画に近づけようとするあまり、原画本来の表現方法から結果的に外れてしまうことがある。今回も本に印刷されたものが元絵なので、細かい線が見えない部分もあり、その辺は想像して再現する他なかった。印刷で線が潰れていたりする箇所もあって、いたずらに階調だけを近づけようとして汚い表現になってしまった箇所もある。このあたり反省材料である。次に模写するときに活かしたいとも思う。だが正直、エングレーヴィングの模写というか再現は、相当骨が折れるので、あまり気が進まないところなのだ。できあがった作品を原画と比べてみて、かなりガッカリすること請け合いという面もある(相手が大家なので致し方ないが)。自分の好きな絵柄を描いた方がどれだけ楽か知れないとも思う。とは言っても大変勉強になったのも事実で、エングレーヴィングの技術は、これ以前と比べて格段に向上したのではないかと自分なりに思っている。

参考:竹林軒出張所『メゾチントという絶滅危惧技法』
竹林軒出張所『ちょっとだけドライポイント』
by chikurinken | 2012-08-05 08:48 | 美術

メゾチントという絶滅危惧技法

 最近、銅版画で検索してこのブログに当たっている方が何人かいらっしゃいまして、そういうこともあって久々に銅版画の解説などをしてみようかなと思い立ちました。
 銅版画の技法の一つにメゾチントというものがあります。前にも書きましたが(竹林軒出張所『ちょっとだけドライポイント』)、ただでさえ廃れかかったマイナーな技法である銅版画の中でも、さらにマイナーな技法と言えるかも知れません。ではメゾチントとは? ということで今回はメゾチントについて少しご紹介を。
b0189364_1148156.jpg 銅版画の基本は、前にも書いたように、溝にインクを詰めてそれを刷り取るというものです。メゾチントではこの溝を縦横無尽に入れてしまいます。そのまま印刷するとどうなるかおわかりでしょうか。なんと全面真っ黒になってしまいます。これに「夜」などとタイトルを入れて一枚の絵にしてしまうのも一興ですが、もう少し洗練されたものにするために、この溝を一部削り取るようにします。この削り取り具合で、黒の階調を調節することができます。完全に削り取って平坦にしてしまえば白になります。そこら辺をうまいことやると、黒地を背景に白い部分が入った絵を作成できるというわけです(右の図 --文房堂のカタログより-- 参照)。
 このメゾチントという技法、元々は模写のための手段だったらしく、油彩などの大きめの作品を、小サイズのモノクロ版画として転写し、これを普及版として販売するということが行われていたようで、今でも当時の細密なメゾチントが残されています。少しずつ削っていくという地道な作業であるため、技法的にさっさと済ますという類のものではなく、そのために緻密な表現が可能になるということです。
b0189364_11463010.jpg なお、使用する道具は、溝を縦横無尽に入れる(これを「目立て」と言います)ための道具と削り取るための道具の2種類が最低でも必要です。前者は、一般的にはベルソー(ロッカーとも呼ぶ)が使われますが、ルーレットと呼ばれる「コロコロ」みたいな道具や、カッターナイフなどでも代用できます。ベルソーもルーレットも結構お高くなっています。需要があまりないことを考えれば致し方ないとも言えます。目立ては時間がかかる面倒な作業であるため、通常あまり大きな版は作れません(最近は機械を使って大判を作る人もいる)。目立て道具を持っていなかったり自分でやるのが面倒だという人向けに目立て済みの小サイズの銅板も売られています。削り取るための道具はスクレーパーやバニッシャーですが、こちらは銅版画で一般的に使う道具です。こういった原始的な道具を駆使して、銅板に立ち向かっていくのがメゾチントです。
 メゾチントは一度は廃れた技法で、それを長谷川潔という人が復活したという話です。その後、浜口陽三という人がカラーメゾチントの技法を確立したということで、そういうこともあってか、日本ではメゾチントは比較的よく知られていますが、よそではマイナーな存在のようです。
 私も最近メゾチントの作品を何点か集中的に作りました。率直な実感は「手間がかかる!」ということで、とにかく終えるまで、場合によっては何ヶ月もかける必要があります。それでもやはり、メゾチントで表現される黒の魅力はナカナカで、ちょっと「やめられまへんなあ」というところもあるのです。今は少しメゾチントから離れていますが、いずれ再開しようと思っております。

参考:
女子美術大学版画研究室『メゾチント』
竹林軒出張所『模写好きの弁』
竹林軒出張所『アーリング・ヴァルティルソン メゾチント銅版画展』
竹林軒出張所『ちょっとだけドライポイント』

プチギャラリー
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レンブラントとカラヴァッジオ

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メゾチントはやっぱり模写でしょうの一枚と定番のヌード

by chikurinken | 2012-04-28 12:04 | 美術

『西洋美術史入門』(本)

b0189364_8121850.jpg西洋美術史入門
池上英洋著
ちくまプリマー新書

 西洋美術の見方をわかりやすく解説する本。
 近代以前の西洋絵画は、絵画を購入するパトロンがいて初めて成立するものであったため、それぞれの絵画には必ずパトロンの意向が反映されている。それは題材であったり、メタファー(暗喩)として使われている素材であったりする。そういう素材の背景を解き明かす学をイコノグラフィー(図像学)と呼ぶ(らしい)のだが、そういうものをひっくるめて、それぞれの西洋絵画の背景を調べ、絵画の成り立ちを知ることで本当の意味で絵画を鑑賞してみようじゃないかというのが本書の主張である。
 中世にキリスト教関係の絵画が多いのは教会が発注主だったためで、描かれた題材にもそれぞれ意味がある。本書では、数多くの矢を受けている聖セバスティアヌスの絵を例としてあげているが、これは当時ヨーロッパに流入してきたペストに関連しているという。多数の矢を受けながら死ななかった聖セバスティアヌスの絵が、ペストという矢を射られながらも生き延びたいという人々の願掛けの対象になったということらしい。こういういきさつで、聖セバスティアヌスの絵が当時流行したんだという(本書ではマンテーニャとゴッツォリの絵が紹介されている)。
b0189364_8211079.jpg 一方、近代では市民階級が台頭し、美術品を市民が購入するようになる。そのために小さめで、なおかつ題材も殉教などの重いものではなく風景、静物などの軽い素材が選ばれるようになった。そのためにたとえばオランダでフェルメールのような作家が職業画家として成立するようになったという。またスペインでは、貧しい人々の絵が多く描かれたが、これも注文主が慈善活動をアピールするためだったなど、これまで知らなかった事実が多く、非常に勉強になった。西洋の近代以前の美術を現代的な見方で見てはならないということがよくわかる本で、文章も非常に読みやすく、大変わかりやすい親切な一冊であった。図版も多く掲載され、口絵には一部の図版のカラー版も(白黒版と重複して)載っている。そういう点でも非常に親切。
★★★☆
by chikurinken | 2012-03-27 08:12 |

『FBI美術捜査官 奪われた名画を追え』(本)

b0189364_9174638.jpgFBI美術捜査官 奪われた名画を追え
ロバート・K. ウィットマン、ジョン・シフマン著、土屋晃、匝瑳玲子訳
柏書房

 FBI(アメリカ連邦捜査局)で盗難美術品の捜査を中心に行ったロバート・ウィットマンの回想録。
 FBIに入局した経緯、美術関連捜査をやるようになった経緯から、盗難絵画の奪還に成功した事例などが紹介される。取り戻した盗難作品には、ロダン美術館のロダンの彫刻、アメリカ先住民の頭飾り、権利章典文書、レンブラントの自画像などがある。著者のウィットマンらによる数々の成功により、それまで軽視されてきた盗難美術品捜査を専門に行う部署がFBIにも作られて、本格的に盗難美術品捜査が行われるようになったという。それに伴って成功事例も増えていったようだ。
 方法論はいわゆる「潜入捜査」で、盗難美術品を売ろうと目論む所有者に対し、ウィットマンが盗難作品を扱う裏美術商に扮してアプローチする。さまざまな方法を駆使して相手に自分を信用させ、やがて実際の取引を行う手はずを整える。証拠が出そろい、現物の美術品が出てきていざ取引という段になったところで、他のFBIの突入舞台が現場を押さえて逮捕、ブツを押収するという運びになる。つまり犯罪者をだまして美術品を取り戻すという手はずで、常に危険性が伴う大変な仕事である。
 全体は「開幕」(序)、「来歴」(FBI捜査官になるまでの経緯とFBIでの活動)、「作品群」(これまで担当した事件の紹介)、「オペレーション・マスターピース」の四部構成になっており、その第四部の「オペレーション・マスターピース」では、イザベラ・ガードナー美術館の盗難美術品奪還プロジェクトについて紹介していて、この章に特に多くの紙数が割かれている。イザベラ・ガードナー美術館の美術品盗難事件は、映画やドキュメンタリーでも扱われている題材で(竹林軒出張所『フェルメール盗難事件(ドキュメンタリー)』『消えたフェルメールを探して(映画)』参照)、いまだに未解決の事件ではあるが、実はウィットマンらによってフェルメールとレンブラントの作品を奪還する直前まで話が進んでいたというのだ。詳しくは本書に当たっていただくとして、潜入捜査は核心に迫る部分まで進んでいたが、FBI内部の官僚的な体質やフランス警察との行き違いや勢力争いなどから、結果的にウィットマンが担当から外されることになり、結局美術品を取り戻すことができなかった。そのあたり、FBI高官の馬鹿げた所業に対する痛烈な批判が炸裂し、著者の忸怩たる思いも見え隠れして非常に興味深い。この事件については僕自身も関心があり、この第四部は特に面白いと感じた箇所であった。ただ、他の事件の箇所は、対象となる美術品への関心の違いなども相まって、少々退屈する部分もあった。それに登場人物が多く、混乱した部分もある。
 知らない世界を垣間見ることができ、しかも語り口もうまくハードボイルド小説みたいな緊迫感もあって非常に面白い本ではあるが、個人的には多少中だるみを感じたのも事実である。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『フェルメール盗難事件(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『消えたフェルメールを探して(映画)』
by chikurinken | 2012-03-01 09:20 |