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竹林軒出張所

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タグ:歳時記 ( 21 ) タグの人気記事

2017年お年賀

あけましておめでとうございます
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分け入っても 分け入っても 泥の沼
                     竹林軒
by chikurinken | 2017-01-01 07:45 | 歳時記

2016年お年賀

あけましておめでとうございます
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 歩いても 歩いてもなほ 霧の中
                    竹林軒
by chikurinken | 2016-01-01 08:16 | 歳時記

2015年お年賀

あけましておめでとうございます
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 ほころびを
   繕おうにも
      糸はなし
              竹林軒
by chikurinken | 2015-01-01 08:22 | 歳時記

2014年お年賀

あけましておめでとうございます
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 何もなくても 今朝は春
              竹林軒
by chikurinken | 2014-01-01 08:40 | 歳時記

2012年お年賀

あけましておめでとうございます
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 明けましても 何も変らぬ 今朝の春
                 竹林軒
by chikurinken | 2012-01-01 17:49 | 歳時記

アシナガバチ考

   座して死を待つや 軒端(のきば)のアシナガバチ

 夏の終わりになって、アシナガバチが大挙して軒下に集まってきた。
 当初は大変興奮していたようで、そこらあたりをブンブン飛び回っていたが、数日経って落ち着き、軒下にいくつかのグループを作って終結している。その後もときどき飛び回っていたが、やがて飛ぶハチも少なくなり、今はほぼ日がな一日、その場所にじっとしている。この軒下は、毎年のようにアシナガバチが巣を作るところで、今も2年前に作られた巣が残っている。アシナガバチの巣は1年しか使われないので、現状「空き巣」になっていたんだが、この周辺に新しいアシナガバチ軍団が終結し、実際この空き巣にも相当数のアシナガバチが取り付いている。
b0189364_821281.jpg 通常、アシナガバチは、この季節、自分の巣を一生懸命守り、次世代の女王バチを育てる。育った女王バチは草葉の陰などで冬を越し、翌春に巣作りをしてまた営巣するんだが、その女王バチ以外のハタラキバチは冬を前に全部死んでしまうらしい。全員でなんとか次世代の女王バチにたすきをつなぐというイメージで、こうやってなんとかDNAを残そうとする。ところが夏や秋にスズメバチなんかに襲われてしまって、巣を破壊され、次世代の幼虫が捕らえられてしまったら、たすきを渡す相手がいなくなってしまうので、かれらにとってこういった事故は死活問題になるわけだ。
 今回、我が家に大挙して押し寄せてきたアシナガバチだが、どうやら巣を失ってしまったハチたちではないかと思うのだ。本来であれば、この時期、ハタラキバチたちはあちこちで餌を集めたりして幼虫の世話で慌ただしいはずだが、その目的すらもすでに失い、根無し草となって、何もすることなくただ座して死を待つ状態にあるんじゃないかと勝手に推測しているのだ。
 一般的に大挙してアシナガバチが家に押し寄せてきたら人間の側もパニックになったりして、殺虫剤で攻撃したりするが、こうなるとアシナガバチにとっては踏んだり蹴ったりである。アシナガバチはあまり攻撃的ではないと言われるし、今は、かれらが死を受け入れる瞬間までこのまま放置しておこうと思っているのだ。とは言え、以前、ウチの子どもがアシナガバチに突然刺されたこともあるので注意は怠らないようにしなければならない。おそらくそのときは、スズメバチに襲われたかなんかで気が立っていたんじゃないかと思う。今来ているやつは、どのハチもおとなしいもので、なんだか気の毒にさえ思えるほどだ。しかもすでに空き巣になった巣に取り付いているなんて、「思い出の中だけに生きて抜け殻のようになっている人間の図」さえ思い起こさせる。虫とは言え、人ごととは思えないのだな。
by chikurinken | 2011-09-29 08:22 | 歳時記

2011年お年賀

あけましておめでとうございます
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 満開の願ひもむなし 今朝の春
              竹林軒
by chikurinken | 2011-01-01 09:39 | 歳時記

虫の歳時記

 僕は、自分が死ぬことには抵抗を感じていない方だと思うんだが、ただ殺人や虐殺などといった悲惨な死に方は嫌だと思う。
 だから幽霊とか怨霊とかの類には理解がある。残虐な殺され方をした人の気が晴れるなら、霊的なものでかれらの気が休まるなら、それはぜひこういったものがあってほしいと思う。ただ、僕に霊感というものが欠けているせいかわからないが、テレビで大げさに騒いでいるような「霊的なもの」を感じたことが今までほとんどない。「ほとんど」というのは、昔「怖いな」と感じたことがあるために使った言葉であり、要するにこちらの気の持ちようだと気付いてからはまったくそういうことがなくなったのである。もちろん、怨霊に出会いたいと思っているわけではないが、それで浮かばれない人が救われるのなら、亡霊も存在してほしいという気持ちは常にある。
 そういう人間なので、相手が虫であっても殺したり傷つけたりするのには相当気が引けるのである。蚊やスズメバチなど攻撃的な昆虫であれば、こちらも割り切って逆襲するが、特に攻撃性がないものについては極力殺生したくないと思っている。これは、僕が心優しく人道的であるためではなく、殺された虫を自分と重ねて見るようなところがあるためである。単純に、自分が虐殺されたくないから虫も虐殺したくないという、ただそれだけのことである。
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 いつも活動している場所が半田舎みたいなところなので、死んだ昆虫を目にすることは比較的多い。のたれ死にした蝉などは天寿を全うしたみたいで「大往生」という言葉さえ思い浮かぶのだが、車にひかれてぺちゃんこになった虫は本当に哀れに感じる。僕自身、自転車に乗っているときに、目の前のバッタをよけようとしたにもかかわらず轢いてしまったことが過去何度かある。とても嫌な気持ちになるんで、今は徐行しながら車輪をバッタに極力近付けないように注意している。おかげでここ数年はバッタ轢き逃げ事故は皆無で、無事故優秀ドライバーとして表彰される日も近いのではないかと思っている。

秋になると、潰れたバッタが路上のあちこちに散らばっていて哀れを誘う。
   前に出て バッタバッタとひかれおり

 寒くなり始めてやっとバッタがいなくなったかと思うと、今度はカマキリが大挙して路上に押し寄せる。
   バッタ去り ひかれる主役 蟷螂(とうろう)に

 ある晩秋の日、スズメバチの死骸が舗装道路にポツンと落ちていて、少しドッキリとした。攻撃姿勢を保っているように感じた。
   武装せるスズメバチ 一人行き倒れ

 夏は夏で、川に敷き詰められた小さい舗道(サイクリングロード)に大量のミミズが死んでいる。少し前まで野原だったところで、ミミズにとってははなはだ迷惑な話だが、おそらく早朝、道の向こう側に渡ろうとして、のぼる太陽の光にやられたんだろう。どれも乾燥してしまっている。見通しが甘かったようだ。
   渡れると思ったか ひからびたミミズ

以下は同じく死んだ虫を詠んだもので、再録(「昨日の歳時記 蝉のはなし」)。
   ゆく夏や 蝉のなきがら経の声
by chikurinken | 2010-12-03 12:13 | 歳時記

今日の歳時記 「処暑にあたり」編

b0189364_9563799.jpg 頭が痛い。
 ここのところ暑いので夜は扇風機を回しながら寝ているが、暑い間は夜中じゅう扇風機を回してもそれで風邪をひくというようなことはない。ところが、昨日は朝方ちょっと寒さを感じたので、それが悪かったのかも知れない。
 僕は低体温のせいか、ちょっとしたことで風邪をひく。夜中に寒さを感じたら風邪をひくことが多いので、冬は布団や毛布を幾層にも積み重ねてその中に潜り込んでおり、感覚としては冬眠中の熊に近い。
 昨日は夜中に寒さを感じたので、そろそろ灼熱の夏も終わりなのかと思ったら、案の定、二十四節気の処暑(8月23日)ではないか。処暑というのは、暑さが後退し始める時期で、しかるべき書物では「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也」とされているらしい。この二十四節気というのは、1年を24に分けてその時期の特徴を表す名称が付けられたもので、日本では江戸時代に採用されたらしいが、これがまったく馬鹿にならない。先日も、真夏であるにもかかわらずふと秋を感じる日があったが、その日がちょうど立秋に当たっていた。
 太陽の位置に従って季節を分けているので、毎年同じような特徴が出るのも当然といえば当然なのだが、毎年「ズバリ、ドンピシャ」と思えるタイミングが必ず何度かある。昔作られたものだといっても、今もってまったく廃れていないと感じる。もっとも二十四節気を気にするのはおおむね、灼熱の夏と厳寒の冬くらいではあるが。
 処暑を迎えて、いよいよ暑さも一段落と見て良いのだろう。これからは逝く夏を惜しむ日々になるのか……と感傷に浸りながらも、自分はといえば、ひどい頭痛に苦しんでいるのだ。

(処暑にあたり……)
   灼熱の次は頭痛で苦しみぬ

(立秋にあたり……)
   小さい秋見つけた 今日は立秋なり
by chikurinken | 2010-08-24 10:01 | 歳時記

『たんぽぽの日々』(本)

b0189364_15575853.jpgたんぽぽの日々
俵万智・著、市橋織江・写真
小学館

 『サラダ記念日』の俵万智による、子どもについての歌集。俵万智は、ほとんど僕と同世代で、学生時代『サラダ記念日』を読んでその斬新さに驚愕した僕としては、「短歌の俵万智健在」がうれしいところでもある。本作も、『サラダ記念日』同様、質の高い歌集である。内容は、ほとんど自分の子どもに関する歌である。これまで、俵万智の結婚の話とか一切聞いたことがなかったので「え、俵万智、子どもいたの?」と意外に感じた次第。なんでも40歳のときシングルのまま出産したらしい。ひとりで子育てするのも大変だろうなあと思うが、フリーの著述業であれば仕事が育児の障害になることもあまりないだろうから、その点は一般的なシングルマザーよりも恵まれているかも知れない。
 しかし、恋の歌で有名なあの俵万智が育児の歌ばかり作るというのも、なかなか感慨深いものがある。なんだか昔の同級生の消息を知ったような感じである(もちろん面識はまったくないが)。内容は、見開きページに、短歌一首とそれにまつわるエッセイが掲載されており、それに写真が添えられている。短歌は相変わらず鋭く、共感できるものが多い。僕なんかは子どもがある程度大きくなったので、彼女の短歌に描き出されている幼い子どものあれやこれやに懐かしさを憶えた。詩や短歌はどの程度共感できるかという一種の「あるある」であって、共感できる程度でその優劣が決まるのではないかと思うが、そういう点でも極上と言える。相変わらず視点が鋭いなあ……とも思う。作家も、こうやって経験を広げていくことで、新しい世界が広がっていき、結果としてその作品の幅も広がることになる。ファンにとっては喜ばしいことである。続編にも期待。

   恋の歌を一途に編みし君が今 子想う喜び歌いおりけり

★★★☆

参考:
竹林軒出張所『生まれてバンザイ(本)』
竹林軒出張所『ちいさな言葉(本)』
竹林軒出張所『短歌をよむ(本)』

by chikurinken | 2010-07-28 15:59 |