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竹林軒出張所

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五輪考

b0189364_20511532.jpg ここのところ珍しく忙しくて、このブログの更新も滞りがちになっている。こう暑いと仕事も思うようにはかどらず、昼間から冷房をかけて仕事しているという有様。電気を節約しなければならない昨今なのに、時代に逆行するこのオレを見よ!ってなもんである。ところで、あれだけ電気が足りなくなると脅されてきたのに、最近一向にそういう話は聞かないが、どうなってんだろうか。都合の悪い話だとすぐ黙り込んでしまうのは、政官学に共通する習性か。
 電気を気にしなけりゃならないはずなのに、テレビは昼間っから一日中オリンピック、オリンピックだ。ちょっとおめでたすぎる。ちょっとだけ見たけど、本当に過剰なナショナリズムにうんざりさせられる。メダル、メダルってうるさいったらありゃしない。
 以前、あるオリンピック代表の水泳選手が報道番組に登場して、過剰なメダル騒ぎに悪態をついていたが、あれはなかなか溜飲が下がった。もっともあの人だってその少し前までメダル目指してたんじゃないのかという話はとりあえず脇に置いておこう。ま、しかし、メダルをたんまり獲得したところで、別によその国の人から尊敬されるわけでもないのだ。ぼくなんぞは、抗議ばかり繰り返す某国代表はいかがなものかと思う。あんな国の人は、メダルを獲得したところで尊敬されないんじゃないだろうか。そう考えると、かれらの過剰なフィーバーは自己満足以外の何ものでもない。
 そう言えば24年前の自国開催のオリンピックでも、ボクシングの某選手が判定に不服で、試合後いつまでもリングから降りようとしなかったことがあった。しかも観客もそれに共感したんだか知らないが、一緒になって判定に抗議して暴動になったというんだから驚く。ホスト国としての自覚はないのか、それともハナからそういう感覚はなかったのか。僕の当時の同僚は一言「恥ずかしいねー」とぽつりと言ったが、まったくもって同感。しょせんスポーツなんだから、もう少し力を抜いて楽しんだらどうなんだろうか。もっとも兵役免除なんかかかってたらそうもいかないか。ともかく間近に反面教師がいるんだから、日本人ももう少し冷静になったら良いのにと思うのだ。国別メダル・ランキングなんかもいいかげんやめたら良いのにとも思う。
by chikurinken | 2012-08-13 20:52 | 日常雑記

人間発電所、ふたたび

b0189364_1014503.jpg 一昨日載せたイラスト(竹林軒出張所『あの発電所、関連記事あれこれ』参照)は、ネットで拾ってきて「人間発電所」というキャプションを加えたもので、元絵はおそらく写真をパソコンで加工したものではないかと思う。こういうタッチの絵もなかなか味わいがあることよなあとあらためて思ったんで、僕もひとつこういう絵を1枚描いてネットのプールに提供しようという、そういう企画である。
 ちなみに「人間発電所」というのは、往年のプロレスラー、ブルーノ・サンマルチノ(Bruno Sammartino)のニックネーム。この頃のプロレスラーには、「吸血鬼」、「黒い魔神」、「鉄の爪」など、いろいろなキャッチフレーズが付けられていたが、この「人間発電所」というのは大変秀逸で、僕はベストと言えるものだと思っている。そのため、ブルーノ・サンマルチノは、試合自体は見たことがないんだが、「人間発電所」という異名もあって、僕の中ではものすごく理想化されているのだ(実際に伝説的な存在になっているようだが)。
 ブルーノ・サンマルチノは、WWWF(現在のWWE)のヘビー級チャンピオンを二度にわたって務めた怪力レスラーで、得意技はカナディアンバックブリーカーとベアハッグだという。ベアハッグが必殺技というのもすごいが、なんだか牧歌的な印象も受ける。
 また「人間発電所」というキーワードでネット検索してみると、豊丸という女優が出演している同タイトルのAVも出てきた。豊丸は当時流行っていた「淫乱系」の女優で、彼女のビデオを昔少しテレビ番組で見たことがあるが、見ているこちらが完全に引いてしまうようなもので、僕は受け付けなかった。しかし「人間発電所」という命名はなかなかうまいこと言っているような気もしないではない。でも一方でサンマルチノを侮辱するなという気もする。ここらあたり微妙ではある。
by chikurinken | 2011-07-09 10:16 | 美術

なぜに関京戦は岡山に行くの?

 5月22日に岡山のKankoスタジアムでアメリカン・フットボールの関学-京大戦(以下「関京戦」)が行われた。
 アメリカン・フットボールの関京戦と言えば、今はどうか知らないが、15年ほど前までは関西学生フットボール・リーグ屈指の対戦で、2万5千人もの観客を集めたものである。そうそう、知らない人に言っておくが、かつて関西で一番集客力を持つアマチュア・スポーツは甲子園の高校野球で、2番目が関西学生フットボールだったのだ。「かつて」というのは、僕が関西から離れて大分経つので今の状況を知らないためである。
 どうして関西で学生フットボールがそんなに人気があったのか理由はよくわからないが、おそらく関学と京大がうまい具合に覇を競い合っていたのが面白かったんじゃないかと思う。そういう点からもこの関京戦、とても重要な一戦である。ということで、のこのこカンスタ(Kankoスタジアム)まで見に行った。フットボールの試合を見に行くのは実に20年ぶりくらい。
b0189364_9215078.jpg なぜに関京戦が岡山で?という疑問はずっと続いていたが、もらったパンフレットを見て納得した。毎年地元のチームを招いて、この時期に「瀬戸大橋ドリームボウル」というボウルゲームが行われていたが、今年は25周年記念で有力チームを招待したということらしい。関京戦といえば、野球の早慶戦に相当するような伝統の一戦で、いまは京大チームが地盤沈下したものの、ネームバリューはまだまだある(のかな)。
 さて、観客も(岡山での開催ということを考えると)思った以上に多く、3、4千人はいたのではないかと思う。午前中の雨もやみ、午後からは陽差しも出てきて、暑すぎず寒すぎず絶好のフットボール日和である。僕は、ホームスタンドの最上部に陣取っていたが、ホーム側が京大応援団、バック側が関学応援団であった。関学応援団は、ブラス、チアリーダー付きの本格的なもので、シーズン中と同じレベルで、僕にとって懐かしさもひとしお。一方京大側は、応援部から2人来ていただけで、ブラスもなし。あとは地元の衆に協力を求めるという地味なものだった。関西から岡山遠征ということになるとそこそこ金もかかるし、このあたり、金持ちクラブと貧乏クラブの財力の違いが出ているのか。
 試合内容も、京大ギャングスターズ(京大チームの愛称)にとっては寂しいもので、ライン戦では負けるし、ディフェンスバックはレシーバーに置いて行かれるしでお寒い内容であった。その点関学は、本格シーズン前でありながら、なかなか良い具合に仕上がっている。「完璧な形で仕上がった関学システムをズタズタにする京大ディフェンス」というかつての構図はまったく窺えなかった。もっとも第4クオーターあたりになって、京大が関学システムにアジャストしたせいか少し盛り返してきたが、大勢に影響なく、結果は30-7と関学の大勝で、今の両チームの力量を示すような結果になった。
 また、関西学生フットボール・リーグの恒例で、試合前と試合後に両応援団のエール交換があり、応援していたチームの勝ち負けに関係なく、毎度ながらさわやかな印象が残る。これが関西学生リーグだよな……などと思いながら、久々のフットボールを堪能したのだった。
 なお、このカンスタ、地元のJリーグ・チームのホーム・スタジアムであり、スタジアム自体は、トラックを併設した陸上競技場型でちょっとお寂しいものであるが、北に植物園、東に浄水場や操山(古墳がいっぱいある低い山)と、周りを緑で囲まれていて、周囲の眺めが最高だった。お立ち寄りの際は、ホーム側の一番上の席に行かれるとよろしいかと。また、この試合は来週、ローカル放送局で土曜の深夜(日曜日早朝)にダイジェストが放送されるらしい。

補足:関学と京大が覇を競い合っていた時代
 かつて関学の黄金時代というのがあって、145連勝というアンビリーバブルな記録を打ち立てたらしい。その中には、114-0(対京大)という記録的な試合も含まれている(計算すると平均2分で1回タッチダウンということになる。京大にとっては相当な屈辱だったんではないかと思う)。
 この試合から10年後(1976年)に関学の連勝記録が止まるが、その相手が京大だった。この辺が、ちょっとスクールウォーズみたいで感動的ではある。その年は関学、京大が同率優勝であったが、甲子園ボウル出場決定戦(関西代表決定戦)で関学が勝つ。翌年、満を持して臨んだ京大ではあるが、前半完全に圧倒していたものの、後半関学の意表のプレーが続出し、結局大逆転で関学が勝利することになる。この試合は、当時多くの集客が見込まれたことから、急遽会場を変更し、大量の観客を収容できる日生球場に移すことになった。しかも関西学生リーグで初めてテレビ中継されるという画期的な試合で、終了後も勝利した関学選手が号泣するなど、大変印象に残るものだったようで、その後も「涙の日生球場」として語り継がれるようになった(YouTubeにも映像がある)。
 この後、京大は着実に力を付け、ついに関学を破ってリーグ優勝、学生日本一、日本選手権(ライスボウル)勝利などを達成し、関学、京大の二強時代が始まる。80年代から90年代までの関西学生リーグはこんな感じだった。

参考:Wikipedia「関京戦」
   YouTube「涙の日生球場(1977年 関京戦)」
by chikurinken | 2011-05-24 09:27 | 日常雑記

新聞の見出しのナウシカた(直し方)

 2011年4月28日付の毎日新聞西日本版、スポーツ欄の見出し。

b0189364_12575039.jpg「借り暮らしのオリ」
(オリックスバッファローズの4月の負け越しが決まったことを受け)
「耳をすませば 交代伝達ミス」
(オリックスが交代投手を間違えた「珍プレー」にひっかけて)
「ボクの城 強風操り12K」
(強風にめげず、むしろそれを利用したピッチングに対し)
「壁の上のポトリ」
(大リーグの試合で、外野手が差し出したグラブにボールが当たってスタンドに入りホームランになったことを受け)
「内田 悔しさぽろぽろ」
(欧州チャンピオンズ・リーグで内田篤人所属のシャルケがマンUに負けたことを受け)
「タヌキ商売ぽんぽこ」
(大相撲技量審査場所の無料入場券がオークションに出品されたことを受け)

 どうやらスタジオジブリ作品で統一したらしい。ただし、できの悪いものも多くそのあたりは残念なところ。中でも「タヌキ商売ぽんぽこ」はひどすぎ。及第点は「借り暮らしのオリ」くらいかな……。

 なお、僕の中で歴代最高の新聞見出しは
  「阪急 十三でストップ」
 というもの。これは、1984年に阪急ブレーブスの連勝記録が13で止まった翌日の一般紙(関西版、朝日新聞だったような記憶が……)の見出し。当時僕の周りにいた関西在住のプロ野球ファンは皆一様にウーンとうなった(ちなみに十三(じゅうそう)というのは阪急電車の(結構重要な)駅である)。でも同時に、この見出しを付けた人は、阪急が14連勝しなくてホッとしたんではないかというのがわれわれ全員の一致した意見だった。
by chikurinken | 2011-04-28 13:02 | 社会

今さらヤオチョー

 大相撲の八百長問題で、ワイドショーがにわかに活気づいている今日この頃。とにかく弱り目の対象が見つかったら徹底的にネタにしていじめ抜いてやろうというのが日本のマスコミで、毎度ながら気分が悪くなる。ごろつきのコメンテーターが、正義の味方面して「国民をだましていた」などとぬけぬけと言うのを聞くと、あんた自身はどうよ?と訊きたくなるのは、何も僕だけではあるまい。
 一番不快なのは、以前から明るみになっていた大相撲の八百長問題を新発見の事実であるかのように、今のタイミングで取り上げることだ。「今のタイミング」というのは、日本相撲協会にいろいろ失態が続いて弱り目の状態になった今という意味である。かつて相撲協会は、マスコミに対して大きな権力をふるっていたと聞いたことがある。相撲が人気競技であり、いざとなれば取材拒否などの報復があったため、相撲協会のマイナスになるようなことはなかなか報道できなかったというのだ。相撲人気が陰りを見せ弱ってくると、瀕死の大型昆虫に群がる蟻のように、群がってつつき出し始めるマスコミというのも非常に嫌なもので、なにやら日本のいじめの縮図を見るような思いがする。
b0189364_950284.jpg さて、大相撲の八百長についてだが、噂レベルでは、相当以前からときどきマスコミに顔を出しているテーマで、とりわけ目新しいことではない。圧巻は、1996年に出版された『八百長 相撲協会一刀両断』という本で、著者は元・大鳴戸親方である。世間ではかなり売れ、僕自身も買ったが、内容が非常に具体的で、しかも当事者からの内部告発であり、なかなかに堂々たる著書だった。「大相撲に八百長が存在する」ことを明確に裏付ける証拠として必要十分ではないかと思ったが、しかしこの本自体があたかも存在しなかったかのように、大相撲の八百長問題は結局うやむやになってしまった。相撲協会の尽力のせいかマスコミのご都合主義のせいかは知らないが、結果的に、世間は相撲の八百長について見て見ぬ振りをすることにした、あるいは大目に見ることにしたという印象を僕などは受けたのだった。
 相撲協会も八百長廃絶のために自助努力をするようにしたのか、それ以降、あまりにひどい(一目瞭然の)八百長取り組みは目に付かなくなった。僕が子どもの頃なんか、エレベーター力士、つまり場所が変わるたびに前頭の上と下を行ったり来たりする力士(たとえばA葉城とか)というのがいて、そういう力士には、なかなか十両に陥落しないという特徴があった。また、そういった力士の取り組みがふるっていて、一方がほとんど何もせず寄り切る(または寄り切られる)というパターンが非常に多く、おそろしくつまらない取り組みになる。『八百長』を読んだときに、なるほど彼らはまさしくそれだったのかと合点がいった。
 『八百長』を読んだときは八百長の実態にあきれたが、ましかし、面白い話も多く、ある程度の八百長は必要悪なのではないかとも思った。たとえば今一部で問題になっている7勝7敗のケース、つまり7勝7敗で楽日を迎えた力士の勝率が8割近くになる(ただし相手に勝ち越し負け越しがかかっていない場合。本当であれば5割前後でなければならないが不自然に率が高い)などのケースは、ある程度仕方がないんじゃないかと思うのだ。人間がやっていることだし、何にしても興行なのであるから。大一番ならばともかく、言ってみればこういった取り組みのほとんどは前座の試合に過ぎないのだから、露骨にやらなければ別に良いんじゃないのという気もする。
 また『八百長』では、力士に実力がなければ八百長は成立しないとも書かれていた。つまり相手が強くなければ八百長を持ちかける必要もないということだ。具体的にいろいろな力士の名前が挙がっていたが、八百長力士の最たるものが元横綱千代の富士で(ただし実力もかなりあったという)、相当数の八百長取り組みがあったらしい。また、八百長に与しなかったのが藤島部屋(その後二子山部屋)の力士で、かれらも相当な実力者であったという。もう一人八百長に与しなかった大物が元横綱大乃国で、そのためもあり土俵では多くの八百長力士にいじめを受けていたらしい。これも筆頭格が千代の富士で、その先兵となったのが著者の部屋の力士である板井である。板井が大乃国にかなり露骨な張り手(ほとんど平手打ち)を喰らわしていたのは有名であるが、そこにはこういったいきさつがあったのだった。僕は現役時代から大乃国には割と好意を持っていた(千代の富士はキライだった)ので、そのあたりの事情が明かされているのが非常に面白く感じた。
 相撲界といっても人間の世界であって、社会の縮図なのである。ましてや過去の軋轢や悪習が積もり積もっている世界である。忌々しい人間も不正も存在する。だからこそ面白いのではないかとも思うのだ。八百長が顕在化するのと大相撲自体がなくなることと直結するようなことがあってはならないと思う。「国民をだましていた」などと言って怒り狂うより、所詮そういうものだと大人の目で暖かく見てやったらどうなんだという気もするのだ。本当に「大相撲にだまされた」と思っている人がいるならば、「それは、これまで見る目を欠いておりしかも学習を怠ったあなたが悪いのですよ」と言いたくなる気もするが、ま、言わないでおこう……僕は大人だから、ネッ。

追記:ちなみに僕自身、ここ10年近く大相撲は見ていません。八百長云々のためではなく、大相撲自体が面白くなくなったから。大相撲が始まるとBSチャンネルの午後が丸々潰れてしまう(BS1で午後1時から午後6時まで放送がある)ので、むしろ苦々しく思っていたくらいです。
by chikurinken | 2011-02-08 09:50 | 社会

買った、見た、ふるえた……キックの鬼 最終章

 先日からキックボクシング付いている私でありますが、ついに異常な関心が高じて、DVDを買ってしまいました。で、その日のうちに見ました。

前回までの経緯
1.『キックの鬼』
2.『真空飛び膝蹴りの真実 “キックの鬼”沢村忠伝説(本)』

b0189364_20341542.jpg沢村のDVD
 今回買ったのは『“キックの鬼” 沢村忠/真空飛びヒザ蹴り伝説』というDVDで、定価は5,000円。5,000円という価格については、一般的なDVDの価格帯であり、さして高価というわけではない。しかしDVDを買うという習慣があまりないので(DVDは借りるものという勝手な思い込みがある)購入を決めるまで多少逡巡したが、ここは一発、清水の舞台から……もとい、動きの中から真空飛びヒザを狙うような心境で(「思い切って」と言う意味合いです)購入に踏み切ったというわけだ。というのも、あちこちのレンタル・ショップを探してもどこにも見当たらなかったためで、それにこのDVDの性格上、近所のショップに入荷する可能性というのもきわめて低いだろう。また、発売が2003年であることを考え合わせると、ヘタをすると絶版になって今後見る機会が途絶えてしまう可能性すら頭の中でちらついたのである。今の僕にとって5,000円は小さくないが、こういうところは意外に思い切りが良い。

沢村忠登場!
 さて、届いたDVDを再生すると、なんといきなり現在(2003年時)の沢村忠が登場する。今でも「健在」とは聞いていたが、映像とは言え普通に動きしゃべっているところを目にすると何とも感無量である。その沢村氏が、これから自分が選出した8戦を紹介していくとおっしゃる。どれも本人にとって思い出深い対戦だったとのことだ。そのラインアップは次の8試合。

1 対サマン・ソー・アディソン(66年6月、渋谷リキパレス)
2 対ポンチャイ・キャッスリア(68年9月、タイ・ルンピニー・スタジアム)
3 対モンコントン・スィートクン(69年6月、日本武道館)
4 対サネガン・ソーパッシン(72年10月、後楽園ホール)
5 対梅木清光(73年8月、後楽園ホール)
6 対ナムカブアン・クロンパチョン(73年10月、富山市体育館)
7 対コングパタピー・スワンミサカワン(75年1月、後楽園ホール)
8 対チューチャイ・ルークパンチャマ(75年7月、後楽園ホール)

 沢村がのびてしまったあのチューチャイ戦(竹林軒出張所:『キックの鬼』を参照)も含まれている。しかしなんと言ってもすごいのがサマン・ソー・アディソン戦である。これは空手家時代の沢村が、ムエタイ選手と異種格闘技戦を行った試合で、1戦目は何とか勝ったが、2戦目(つまりこの試合)で強敵と当たってボコボコにやられたという試合である。よく映像が残っていたなという類の伝説の一戦なのである(そういうわけで他の試合と異なりダイジェスト版)。
 この試合で沢村は16回ダウンを喫しており、試合後は、全身を37箇所打撲し、後頭部も陥没していたらしい。入院してから高熱が一週間続いたらしく、プロモーターの野口修は沢村の再起不能を悟ったという(『真空飛び膝蹴りの真実』より)。そういうエピソードは別にして、純粋に異種格闘技戦としてこの試合を見ると、空手着姿の沢村が、勝手の違うルール、対戦相手によく健闘しているのがわかる。いかにも空手家らしい一発狙いの戦い方で、柔軟なムエタイ式の戦い方に手こずってはいるが、それでも序盤は対等に闘っている。だがやはり1ラウンド3分×複数ラウンドという試合形式が堪えたようで、回を追うごとにスタミナが落ちてくるのがよくわかる。ボクシング式のスタミナさえしっかり付けられれば、この状態でも十分ムエタイと戦えるのではないかと思わせるようなポテンシャルの高さをうかがわせる。そういう試合であった。
 DVD第2戦目のポンチャイ・キャッスリア戦も、伝説の闘いと言って良い試合である。この試合は、アニメ『キックの鬼』で劇的に紹介されているカードで、アニメでは、熱戦のために最後はヘトヘトになった両者が、立て膝を付いた状態で殴り合い、タイムアップ後は涙を流しながら健闘をたたえ合うという感動的なシーンだった(ような記憶がある)が、その実写版というかオリジナルの映像がこれである(これもダイジェスト)。これも今回初めて目にした。ただ、アニメのような劇的な感動シーンはもちろんなく(梶原一騎作りすぎ!)、もつれる場面が非常に多く、いかにもムエタイという試合であった。沢村はアグレッシブで気持ちの良い戦い方ではあるが、テクニック的にはもう一つという印象を受ける(この試合は引き分け)。

沢村選手の印象
 実はこのDVDを見る前は、現役のK-1選手なんか目じゃないくらいおそろしく強い沢村忠を想像していたのだが(『真空飛び膝蹴りの真実』の影響、記述がオーバーなんだ!)、映像を見て大分印象が変わった。まず、特にキャリア前半だが、パンチがいわゆる猫パンチ風で、あまりさまになっていない。キックはしなやかかつ強力で、キック系の選手というイメージである(キャリア後半では非常に良いパンチをはなっている)。また、ガードがかなり甘く、パンチをかなりもらうタイプの選手であると思った。それを示すように、サネガン戦、コングパタピー戦は殴られてフラフラになりながらの闘いで、とにかくパンチをもらいすぎという印象である。一方で、攻め味が強く、打たれても打たれても前に出るというファイターでもあり、そのためもあって壮絶なノーガードの殴り合いというパターンが多く、見ていて非常に面白い。今はいないタイプの選手である。人気の秘密はこのあたりにもあったのではないかと思う。
 また、必殺技の真空飛び膝蹴りであるが、アニメの「一点をめがけて飛ぶ」というイメージではなく、ジャンプして膝を当てるというイメージである。確かに膝が顔に当たるだけで強烈なダメージがあるはずで、それを考えるとこれだけで必要十分と言える。DVDには、真空飛び膝蹴りのフィニッシュ・シーンを集めたダイジェスト映像もあって、その迫力を堪能できる。キックボクシングでは、ヒジ打ちも認められており、ヒジ打ち、飛び蹴り、飛び膝など、今の打撃系格闘技よりも、凄惨なシーンが多いように感じた。沢村からハイキックを受けたタイ人選手が目を向いている映像なんかもあった。

 ともかく、沢村という選手は非常に絵になるファイターであるということが、今回あらためてよくわかった。それぞれの試合は、石川顕アナウンサーの実況と寺内大吉の解説が入るが、副音声では沢村自身が解説していてこれも興味深い(聞き手の舟木昭太郎が少し鬱陶しいが)。また「寺内さんの採点」が全然なっていないのも今回のDVDで確認できた。このように隅から隅まで非常に楽しめるDVDで、十分堪能することができたのであった。満足いたしました。

「キックの鬼」シリーズ 完


参考:
竹林軒出張所『キックの鬼』
竹林軒出張所『真空飛び膝蹴りの真実 “キックの鬼”沢村忠伝説(本)』
竹林軒出張所『四角いジャングル 激突!格闘技(映画)』
by chikurinken | 2011-02-05 20:37 | 映像

ワールドカップ2010での日本代表についての雑感

b0189364_9391268.jpg 昨日のパラグアイ対日本の試合、テレビで見ていたんだが、ミスが多く、ぬるく退屈な試合だった。たぶん日本代表じゃなかったら前半で見るのをやめていただろう。サッカー協会の関係者には、勝ち負け云々より、ワールドカップの決勝トーナメントでこういう試合をしなければならないということを反省してほしいと思う。もう予選じゃないんだからね、ある意味、グループの代表なわけだ。
 今回のワールドカップの日本代表については、個人的にはまったく評価していないんで、「岡ちゃんゴメンナサイ」とかいう気持ちはまったくない。日本代表がこういう勝ちにだけ(負けないことにだけ)こだわるサッカーを目指すというのもはなはだ遺憾である。こんなサッカーは、スコアの結果以外、何も生み出さない。こういうのが今後の日本サッカーの流れにならないことだけを祈りたい。
 もちろん、今回は準備段階からしてまったくなってなかったのは知っている。直前になってもチームができあがっていない状態で、新しいシステムをぶっつけ本番で試してみるというサッカー弱小国にしては珍事としか思えない事態だったのもわかる。初戦に運良く勝ってしまって大変有利な立場に立てたので岡田監督が異常に評価されたが、初戦で負けて3連敗したら、今後10年間、岡田氏は監督としては見向きもされないという状況になっていたかも知れない。何よりも驚いたのは、「岡田続投」という話が日本サッカー協会に出てきているということで、悪い冗談はやめてくれと素直に思った。今回のワールドカップは、日本のサッカー界にとって後退だと思う。結果がある程度出てしまったのでわかりにくくなったが、これまでの日本サッカーの流れを逆行させるような内容で、その責任の一端を持つ監督を今後も起用するなんてのは話にならない。
 日本のサッカーは20年くらい前から国際舞台に登場し、国内ではさまざまな模索を続けながら、着実にその実力を伸ばしている気がしている。ワールドカップに出た98年、02年、06年と毎回違ったコンセプトでチーム作りしているのがよくわかり、「日本らしいサッカー」を模索しながら進歩している様子が見て取れるんだが、今回のチームは、創造的な戦略を欠いており、98年に逆戻りしたという印象である。奇しくも監督は同じときている。
 岡田監督も大敗するのが怖くなったんだかどうなんだかわからないが、4バックのシステムにアンカーなんてものを追加し、しかもダブル・ボランチという超ディフェンシブなシステムにしたが、要するにディフェンスに7人割くということだ、これは! 全員攻撃、全員守備のトータル・フットボールを目指すチームが超ディフェンシブって、なんだかとってもおかしい気がする。サッカーの一番の魅力は攻撃時のエレガンスだと思うんだが、それを最初から放棄したらサッカー文化なんてものは根付かないよ(と、この辺、セルジオ越後風)。
 今回のワールドカップの唯一の収穫は、06年の失敗(チーム内の分裂)を反省して、それに対する対策が(選手レベルで)できたことである。こういうのがサッカーの伝統として残っていくんじゃないかという淡い期待もある。ともかく関係者が、現状を謙虚に反省し、新しいコンセプトを掲げて、優れた監督を招聘するよう最大限の努力を払うことが大事なんじゃないかと思う。次期監督にペケルマンの名前も出ているらしく、こちらのニュースは非常にうれしい限り。是非、ユースの育成もまかせて、日本サッカーを新しい次元にまで高めてほしいものである。

「岡ちゃん後任、代表監督にペケルマン浮上」(日刊スポーツ)
by chikurinken | 2010-06-30 09:40 | 社会

「日本対カメルーン戦」結果予測の言い訳

b0189364_108886.jpg 日本のワールドカップ初戦が終わって、早くも天下を取ったような報道がテレビにあふれている。運良く勝てたのは何より(これでJリーグ存亡の危機はひとまず回避)ではあるが、こういうのに接してしらけてしまうのは僕だけではあるまい。この試合についてはいろいろな報道があるが、BBC電子版の「2つの調子の悪いチームがインスピレーションを見つけるのに苦しんだ生ぬるい試合」というのがいちばん近いような気がする。カメルーンは、調子の悪さとチーム内の不協和音を反映してか、中盤で圧力をかけることもあまりなく、パス・ミスも多く、予想以上に良くなかった。しかも日本に先制されたのが相当痛かった。カメルーンが先制すれば、追加点もとりやすくなるが、あんな風に超ディフェンシブになられるとなかなか点も取れない。引いて守り続けるチームと拙攻でなかなか点が取れないチーム……感情移入がなければ退屈でしようがない試合である。日本がアジアの中レベルのチームと対戦すると大体こういう試合になる(攻めるのが日本の方)が、見ていて歯痒いだけで、面白くも何ともない。今回の試合は、なんとなく岡田好みというか、おそらく監督のゲーム・プラン通りに運んだ試合だったのではないかと思うが、目指すレベルがこういうのだというのも嘆かわしい限り。
 サッカーの得点シーンは、大体攻撃側の好プレーと守備側のミスとの相乗効果により、局地的に攻守の差が生じて生まれることが多い。もちろんこれに偶然(つまりは運)の要素などが絡んでくるわけだが、今回の得点シーンは、アシストした松井のフェイントが良いプレーで、本田のトラップが結果的に良いプレーになった結果で生じた。松井のフェイントは松井らしい優れたプレーだったが、本田のトラップはミス・トラップがたまたま良いところに転がったためであり、この2つのプレーで攻守の差が生じ得点になったと言える。極論すれば 運が良かった ということである。もちろん、どうやって運を引き寄せるかは、スポーツの試合で大きな要素なのでそれはそれで良いんだが、天下を取ったような論調はちょっと違うんじゃないかと思う。
 日本代表が大舞台で勝てて良かったねと思う反面、こんな試合でしか勝てないのかという、ちょっと限界みたいなものも感じたのである。オシムの提唱したサッカーはこんなんじゃなかったような気がするけど。
 さて、確率論的に考えると、初戦に勝ったチームが決勝トーナメントに進める確率は(勝ち点5と仮定して)、3分の2である。今回みたいに運が良い試合があと2試合続けば全勝だってありうるが、運がない場合、または双方に同じ程度運が転がった場合は1勝2敗ということになるだろう。あまり楽観は許されないと思うが、ま、(運良く)1勝できたから良しとしよう。

 前回、カメルーン戦を0-2と予想していたので、今回ちょっと言い訳めいたことを書いたのだった。前にも書いたが、スポーツの予想なんてのは統計的なものであって、実際の現場で何が起こるかは想定されていない。偶然(つまりは運)の要素は予測できないのである。だから予想が当たろうが外れようがどうってことはないのだ……と開き直って、と。
by chikurinken | 2010-06-15 10:08 | 社会

ワールドカップ2010開幕にあたる所信表明

b0189364_9403916.jpg サッカー・ワールドカップも始まったが、日本代表については、僕の周囲も惨敗ムード一色。それも当然で、直近のテスト・マッチの成績も悪いし、今頃になってシステムをいじっているようでは、まったく話にならない。本番直前であたふたしている指揮官の図というのが目に浮かぶようで、本番では、「人事を尽くして天命を待つ」の境地で臨むのが成功の秘訣であることを思えば、首をかしげざるを得ない。こういう状況は、オシムの後任監督を決めた時点で決まっていたということなんだろうが、今の監督になってからというもの、良いサッカーを見せてもらったわけでもなく、何やら「良くなっている」とか「形が出てきた」とかいうだけで、まるで詐欺師の言動ではないかと今になってみれば思うのである。なぜ彼にしたのか、そのいきさつがいまだにわからない。もちろんJリーグでは結果を出しているが、国際的な実績はないし、国際的に知名度があるわけではない。そのおかげかどうか知らないが、テスト・マッチも実力のあるチームと組むことができず、2軍以下のひどいメンバーが来日したチームもあった。ジーコやオシムの時代とえらい違いである(という印象)。願わくば、国際舞台であまり惨めな負け方だけはしないでほしい。せいぜい2点差負け以内でと願うしかない現状もあまりに寂しい。
 こういう現状にもかかわらず、試合中継の視聴率が欲しい局側の要求なのか、テレビのサッカー関連番組ではリーグ戦2勝1分けなどとスカタンな予想をしている解説者が結構多く、こちらも見ていて少し悲しい、というか痛々しい。あの人たちも日本代表がダメなのはわかってるだろう。太平洋戦争の時代に戻ったような大本営風の空気には情けなさすら感じる。現状から普通に予測すれば、初戦0-2、2戦目0-3、3戦目0-1くらいの感じじゃないだろうか。これでもかなり希望的観測が入っているんだがね。日本のサッカーはこれから低迷期を迎えることになるんだろう。
 特に現在、国内リーグが低迷中で、たしかに観客動員などはそこそこあるようだが、試合の質がとても低くなったように感じる。いずれ客足は遠のくんではないかと危惧しているが、ワールドカップで惨敗などということになると、この現状に拍車がかかるような気もする。せっかく良い感じでここまで運営してきたのに、再び危機を迎えることになるのか、Jリーグ!
 今回のワールドカップは、日本のサッカー界にいろいろな意味で大きな課題を突きつけることになると思う。真の意味で日本サッカーは正念場を迎える。それにまた、マスコミが責任論とか出してきて、好き勝手なことを言うんだろうな。彼らはいつもこういう後出しジャンケンみたいなことやって平然としている。マスコミもほんとに太平洋戦争の時代と変わっていない(当時のことはよく知りませんけどねー)。

追記
 予測が間違ったからと言って僕を責めてはいけない。現状からの至極当たり前(たぶん)の予測である。特にスポーツの場合、実際に何が起こるかわからないものである。僕もこれまで、サッカーくじのシミュレーションとして試合結果予想をしてみたことがあるが、毎回かなり外れていて、愕然としたことがある。スポーツの予想なんてのはその程度のことである。確率論的に言うと日本代表(どこのチームでも基本は同じ)が全敗する確率が27分の1、全勝する確率が27分の1、予選通過(勝ち点5として)の確率は27分の10。(マクロ的に見れば)要はそれだけのことに過ぎない。
by chikurinken | 2010-06-13 09:37 | 社会

フィギュアの採点はアンカリングの所産か?

今回はちょっと内容がわかりにくいかも知れません。ご了承ください。文章が思考に追いついていってないためです。いずれ書き直します(誤記も多かったんで直しときました)。

b0189364_13445743.jpg 今、『プライスレス 必ず得する行動経済学の法則』という本を読んでいるんだが、少し冗長かつ散漫な上、分量も400ページあるため、途中いくらか飛ばしながら読んでいた。ただし冗長かつ散漫と言っても、内容は結構目新しくて面白く、しかも広範に渡って「価格」の科学について記述されており、得るところは大である。
 この本の中心的な概念に「アンカリング(係留)」という考え方がある。これは「初期値(アンカー[錨])が、未知の数量を推測する際の基準点もしくは出発点の働きをする」という理論である(トヴェルスキー、カーネマン『不確実性の下での判断 - ヒューリスティックスとパイアス』)。つまり、人は、何らかの値が提示されたら、その値との対比で数値(ものの値段など)を判定していく性質があるらしいのだ。たとえば、裁判で賠償金を求める場合、高い金額を提示した方が、認定される賠償金が高くなるというようなことがあるらしいが、これがアンカリングの作用だということだ。人間には、ものの絶対的な価格がわかるわけではないので、他のものとの対比でその価値を判断する。したがって、あらかじめ提示されるものが、その対比対象になるということである。
 だから、高級品を売る小売店(たとえばブランド品ショップ)には、この理論を応用して、法外な値段(たとえば1000万円)のものを展示していたりするものもあるらしい。これがその対比対象になるわけである。結果的に、通常では高価なものであっても、客はそれが安いものであるかのような錯覚を覚えることになる。
 話は変わって女子フィギュア・スケートなんだが、今回のオリンピックの採点について、日本国中で不満の声が上がっているようだ。キムと浅田の間にあれだけ(あの点差分)の差があるとは思えないということらしい。誰もできないトリプル・アクセルを跳ぶんだからそれだけで十分点を加算すべきだという話もある。
 僕は、縁があって以前から女子フィギュアをよく見ているんだが、以前からなんとなく感じていることに、滑る前から得点がある程度決まってるんじゃないのかということがある。つまり、オリンピックなどといっても実際のところはほとんど出来レースみたいなもので、よほど大きな失敗をしなければそれほど結果に影響しないということである。そのため、大会で上位に入るためには、それ以前の大会で実力を少しずつ見せて、審査員に顔と技術力を認知してもらう必要がある(これはおおむね事実)。一見(いちげん)でいきなり上位に食い込むなどということは、まあない。
 要するに、審査員の間に、各選手に対するアンカリングの作用が大きく働いているんじゃないかと思うわけだ。各選手ごとにこれまでの実績からすでに基準ができていて、それとの差に基づいて採点される。だから前回よりミスが少なければその分点が加算されるという結果が出る。飛ぶごとに自己最高得点を更新というのもこのあたりが原因ではないかと思う。
 ということは、大技を入れるよりも、無難な線で、表現力の要素を多く盛り込んだプログラムを作って、それをツアーの中でブラッシュアップ(表現力向上)することに努めた方が、戦略としては叶っていたのではないだろうか。というわけでキム(金)が金に落ち着いたことになる。結果的にフィギュア・スケートなどの採点競技を純粋な競技として見てもあまり意味はないという、そういう結論に落ち着くわけだ。
by chikurinken | 2010-02-27 13:46 | 社会