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竹林軒出張所

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『白夜』(映画)

b0189364_7555239.jpg白夜(1957年・伊)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
原作:フョードル・ドストエフスキー
脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、スーゾ・チェッキ・ダミーコ
音楽:ニーノ・ロータ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、マリア・シェル、ジャン・マレー、クララ・カラマーイ

『白夜』イタリアーノ

 ドストエフスキーの短編小説『白夜』を映画化したもの。
 『白夜』はソビエトで何度か映画化されている他、ロベール・ブレッソンも1971年に映画化している。この映画はヴィスコンティがネオリアリズムの時代に、舞台をイタリアに移して作ったもので、当然のことながら登場人物はイタリア的である。原作の主人公は、非常に内向的かつロシア的で、友達がほとんどいないという人間。多くの日本人には共感が持てる存在ではあるが、イタリア人のイメージとはそぐわない。であるから、主人公については、町に越してきたばかりで知り合いがいないというそれなりの設定にしている。名前もマリオというイタリア的な名前である。
 とは言うものの、ストーリーはほぼ原作が踏襲されており、前半はそのまま舞台をイタリアに移し替えたような状態である。後半については、イタリア風味、20世紀風味がかなり加えられていて、人間関係なんかは比較的自然に置き換えられている。不自然さはなくなったが、原作の持つ残酷さはやや薄味になったかなという印象である。
 主人公が惚れる若い女、ナタリア(原作ではナースチェンカ:マリア・シェルが演じる)は、この映画ではマルチェロ・マストロヤンニとジャン・マレーを天秤にかけるわけで、すごいっちゃあすごい話(大した玉だ)。映画は全体的に演劇的で、セリフも説明的。映像も書き割りの中みたいな感じで撮影されていて、舞台をそのまま映画化したような印象さえ受ける。そんなわけであまり映画的な面白味はない。僕自身は『白夜』を読んだばかりで、映画を見る前から内容を把握していたが、それでもかなり退屈した。あまりに退屈したんで、1時間40分程度の映画だが、途中で一度見るのを止めた。ちなみにこの映画だが、第一幕と第二幕に分かれていて、途中でインターミッションが入るようにはなっている。短い映画だが、考えようによっては、それなりに退屈対策が施されていると考えることもできる。
★★★

参考:
竹林軒出張所『白夜/おかしな人間の夢』
竹林軒出張所『ピクニック(映画)』
竹林軒出張所『甘い生活(映画)』
竹林軒出張所『夜(映画)』
by chikurinken | 2015-11-30 07:56 | 映画

『白夜/おかしな人間の夢』(本)

b0189364_8351857.jpg白夜/おかしな人間の夢
ドストエフスキー著、安岡治子訳
光文社古典新訳文庫

描写がくどくて読みづらい

 ドストエフスキーの短編集。「白夜」、「キリストの樅ノ木祭りに召された少年」、「百姓のマレイ」、「おかしな人間の夢」、「一八六四年のメモ」の5編構成だが、最後の「一八六四年のメモ」は小説ではなくスケッチというか単なるメモである。ドストエフスキーの思想的背景みたいなものはわかるが、読んで面白いものではない。
 「白夜」は過去何度も映画化されている作品で、ドストエフスキーの中では割合有名な短編らしい。最後にちょっとしたオチがあるが、途中から見えてくるのでストーリー的な面白さはもう一つ。何より、他の作品にも共通するが、描写がくどくて読んでいて辟易する。こういう描写が魅力だという人もいるかも知れないが、読みづらくてしようがない。このシリーズでは、翻訳は比較的こなれた日本語を当てているということだが、それでも読みづらいし、日本語としてかなり不自然な感じがする。
 「キリストの樅ノ木祭りに召された少年」は童話みたいな話で、リアリズム的な悲惨さを反映してはいるが、短くよくまとまっている。この作品と次の「百姓のマレイ」については、簡潔で読みやすい。ただし取り立ててどうこう言う程のことはない。
 「おかしな人間の夢」が一番の難物で、くどいにも程があるという作品。斬新な話ではあるが、中身のほとんどは「夢」の話で、しかも持って回った表現が多い。短編なんだからもう少しシュッとまとめてくれたら良いのに……と思うのがドストエフスキー作品の特徴なのか。とにかくどれも読みにくい。今回久々に古典をと思って読んでみたが、正直少し後悔している。やはりドストエフスキーはくどくて読みづらい。翻案ものの映画やドラマで良いかなとあらためて思った。
★★★

参考:
竹林軒出張所『白夜(映画)』
竹林軒出張所『罪と罰(映画)』
竹林軒出張所『カラマーゾフの兄弟(映画)』
by chikurinken | 2015-11-28 08:35 |

『S先生の言葉』(本)

b0189364_811111.jpgS先生の言葉
山田太一著
河出文庫

期待はずれの一冊

 脚本家、山田太一のエッセイ集。いろいろな素材から編集者が集めたという一種のダイジェスト集と言える。
 山田太一は、シナリオ・ライターとしては言うまでもないが、エッセイ作家としても僕はただ者ではないと思っていて、特に『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』は非常に感心し感銘を受けた一冊である。ただ本書で選ばれているエッセイは、それほど鮮烈な印象を受けるようなものはあまりない。中には小説風のものや愚痴めいたものもあってバラエティに富んでいるとも言えるが、著者の鋭い洞察を期待してこの本を買った身としては、少々期待外れだった。
 中には他の人の本に収録された「解説」まであって、これを選ぶ必要があったのか疑問に感じる。それに論点がしっかりしていないようなものもあって、果たして選ばれるべき作品なのかと思ったりもする。著者のポテンシャルを考えた場合、もっと良いものもあったはずだと思うし、もう少し吟味して選んでいただきたかったと思う。
 ただ、これだけ集めると、著者の人柄や人間性が染みだしてきて、人間、山田太一を知るには良い素材だと言える。編集者は一昨年『総特集 山田太一』を担当した人だということだが、要するに同じようなコンセプトの本ということになる。だが実際のところほとんどの読者は、山田太一自身に関心があるのではなく山田太一作品に関心があり、彼が何を物語るかに興味があるわけで、そうするとやはり人間性云々より、その主張や思いなどに接したいと感じるのではないだろうか。そういうものを中心に集めたら、もう少しグレードの高い本になったんではないかという気がする。
★★★

参考:
竹林軒出張所『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと(本)』
竹林軒出張所『100年インタビュー 脚本家 山田太一(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『テレビがくれた夢 山田太一 その1(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『テレビがくれた夢 山田太一 その2(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『山田太一のドラマ、5本』
竹林軒出張所『続・山田太一のドラマ、5本』
by chikurinken | 2015-11-27 08:11 |

『野火』(映画)

b0189364_8301514.jpg野火(1959年・大映)
監督:市川崑
原作:大岡昇平
脚本:和田夏十
撮影:小林節雄
美術:柴田篤二
音楽:芥川也寸志
出演:船越英二、ミッキー・カーティス、滝沢修、浜口喜博

いきなり戦場に放り込まれる

 太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島が舞台。主人公は、米軍に追いつめられてさまよう大日本帝国軍の一兵卒、田村(船越英二)。
 米軍に追いつめられた兵士たちは脱出地点を目指してさまよい歩くが、食料は乏しく、しかも米軍による空陸両方からの攻撃が続けられる。仲間は次々に虫けらのように殺され、たとえ生き延びたところで食い物に事欠く有様。「行くも地獄残るも地獄」状態である。目の前に展開するのは地獄絵図さながらで、おかしくなった兵士も現れる。戦場の現実がこれでもかと突きつけられ、一瞬たりとも目を離せない。
 いきなり戦場に放り込まれて、悲惨な戦争を疑似体験させるという戦争映画の王道のような作りになっていて、しかも『炎628』『プライベート・ライアン』のような生々しいリアルな戦闘シーンも出てくる。戦争映画として破格のリアリティである。その一方で(市川崑らしい)ユーモラスな描写も随所に散りばめられており、「おもろうてやがてかなしき」みたいな状況が展開される。
 演出は正攻法だが、映画全体が非常に丁寧に作られているのがよくわかる。脚本については、冒頭部分があまりに説明的でかなり白けたが、それ以外は気になる箇所は特にない。大映映画の職人芸が発揮されたような映画で、あらゆる部分に隙がない。むしろこんな映画をよく作れたなという感慨が大きい。原作は大岡昇平の同名小説で、ストーリーは幾分改編されているが、それも良い結果に出ている。
 この時代の日本の戦争映画は、戦争賛美映画を含めてかなり作られているが、批判的な視点で描かれたものについては、『人間の條件』しかり、『真空地帯』しかりで、今見てもハッとさせられるような傑作が多い。先の戦争の記憶が残っていたことが大きいんだろうと思うが、この『野火』もそれに並ぶ作品で、映画ファンであれば是非一度は見ておきたい映画である。
★★★★

追記:
 この『野火』は昨年塚本晋也監督が再映画化したようだが、今回見た作品は59年の市川崑版である。
 また、この映画のテーマになっている戦場でのカニバリズムについては、ドキュメンタリー映画、『ゆきゆきて、神軍』でも証言されていた。

参考:
竹林軒出張所『俘虜記(本)』
竹林軒出張所『ゆきゆきて、神軍(映画)』
竹林軒出張所『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代(本)』
竹林軒出張所『真空地帯(映画)』
竹林軒出張所『炎628(映画)』
竹林軒出張所『プライベート・ライアン(映画)』
by chikurinken | 2015-11-25 08:30 | 映画

『赤線地帯』(映画)

b0189364_816522.jpg赤線地帯(1956年・大映)
監督:溝口健二
原作:芝木好子
脚本:成沢昌茂
撮影:宮川一夫
音楽:黛敏郎
出演:京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子、町田博子、川上康子、進藤英太郎、沢村貞子、浦辺粂子

時代に翻弄され底辺で蠢く
風俗嬢たちの群像劇


 売春防止法ができる頃の吉原の特殊飲食店を舞台にした映画。特殊飲食店というとアレだが、要するに遊郭ですな。
 こういう施設、僕はてっきり警察に常時取り締まりを受けているような存在かと思っていたが、1956年までは、暗黙の了解として認められていたようだ。ところが1956年に売春防止法が国会を通過し、公式に禁止されるようになった。それまで公に認められていた商売が急にできなくなるということで、従業員(つまりは売春を生業にしている風俗嬢なんだが)や店主は混乱に陥るんだが、この映画ではその様子が描かれる。同時に売春防止法が何度も国会に上程されては廃案になる過程も背景として紹介され、当時の様子がよくわかる。
 そういった映画であるため、従業員については、このような業務をやっていることに対する悲惨さみたいなものはあまりない。割合明るく、今の一般的な風俗業と近い感覚である。むしろ金がなく生活に困窮している様子が強調され、そのあたりがリアリズム的に描かれる。また周囲、つまり子供や親からその仕事ゆえに疎まれたり、年を取って仕事がうまく行かなくなったりという部分が描かれる。また中には男を騙すようにして金を巻き上げるしたたかな従業員も登場して、江戸の遊郭の話を彷彿されるようなエピソードもある。いずれにしてもリアリズムの映画であり、どことなくフェリーニの『カビリアの夜』を連想させるような映画である(制作年は『赤線地帯』の方が早いんで、『カビリアの夜』が『赤線地帯』を連想させるというのが正しいのかも知れない)。
 映画自体は従業員の風俗嬢たちの群像劇で、それぞれのエピソードを並べたようなストーリーであるため、全体的に散漫な印象があるが、映像も演出もしっかりしている(大映映画らしくセットも緻密)。撮影は宮川一夫で、監督、溝口健二にとってはこれが遺作となった。音楽を担当しているのは黛敏郎だが、テルミンを使った妙ちくりんな音楽が、まったく映画とマッチしておらず、なぜこういう音楽にしたのか理解に苦しむ。
★★★

参考:
竹林軒出張所『祇園囃子(映画)』
竹林軒出張所『山椒大夫(映画)』
竹林軒出張所『新・平家物語(映画)』
竹林軒出張所『祇園の姉妹(映画)』
竹林軒出張所『ぼんち(映画)』
竹林軒出張所『五番町夕霧楼 (63年版)(映画)』
by chikurinken | 2015-11-24 08:17 | 映画

『大菩薩峠』(映画)

b0189364_815311.jpg大菩薩峠(1960年・大映)
監督:三隅研次
原作:中里介山
脚本:衣笠貞之助
出演:市川雷蔵、本郷功次郎、中村玉緒、山本富士子、島田正吾

これは歌舞伎である

 中里介山の『大菩薩峠』を映画化したもの。『大菩薩峠』はこれまで何度も映画化されており、元々が大河小説であることからシリーズ化されているものも多く、本数で数えると結構な数が出ているようだ。この市川雷蔵主演の大映シリーズだけでも3本ある。
 原作は、机竜之助というアンチヒーローが登場する新聞連載小説で(30年以上続いたらしい)、この映画では机竜之介を市川雷蔵が演じる。この映画では、冒頭から辻斬りをするような現れ方をして、途中いろいろと思い悩んだりするんだが、どういう人間なんだか正直よくわからない。少なくともこの映画の描き方ではまったく共感できない。なぜ辻斬りをするのかもよくわからない。
 また、机竜之助が暴行した人妻が机に惚れてその後妻になるという設定も無理がある。こういう展開は先日見た『弁天小僧』でもあったし、80年代のドラマ『想い出づくり。』でもあったんで、当時の鉄板ネタだったのかも知れないが、リアリティに欠ける。もっともリアリティに欠けると言えばすべてがリアリティに欠けるのがこの話で、江戸と京都を股にかける話でありながら、登場人物があちこちで偶然出会うという都合の良い安直な展開になっている。しかも(当時人気があっただろうと思われる)新撰組の近藤勇や土方歳三なんかも話に絡んできたりする。思い付くままに書き散らしたという印象さえ受ける。それから死んだ妻によく似た女が登場(この映画では中村玉緒の二役)し、主人公に絡んでくるというのもありきたりで、通俗的にも程があると感じる。
 長編映画や長編ドラマの場合サブプロットが無ければ底の浅い安いドラマになるということは熟知しているが、この映画についてはあまりに伏線が多く、もうゴチャゴチャでわけがわからない。おそらく原作の超長編小説では、こういう多彩なサブプロットはそれほど問題にならないのだろうが、2時間弱の映画ではちと多すぎる。もう少し整理しなければ見る方としてはつらい。もっともこれだけ人気がある原作であることを考えると、見る方もすでに内容を知っているという前提で作られているのかも知れない。内容を熟知している観客としては、誰がどのように机竜之介やお浜を演じるかを堪能したいという動機、言ってみれば歌舞伎の顔見せみたいな感覚で見ていた可能性もある。そのせいか、主演の市川雷蔵も、相手役の中村玉緒も歌舞伎系の役者である。雷蔵は存在感があって華があるのは相変わらずだが、メークがやや歌舞伎風でいただけない。一方の中村玉緒も終始絶叫芝居でこちらもいただけない。山本富士子の演技もやけに湿っぽいし、演出の見所はあまりない。
 最後は決闘、というか仇討ちのシーンになるが、結局結末が出ないまま終わってしまった。続き(『大菩薩峠 竜神の巻』)を見ろってことらしい。僕はもう飽きたから続きは見ない。『大菩薩峠』についてはアウトラインがわかったんで、他の『大菩薩峠』映画も見ないと思う。もちろん原作小説も読む気はない。
★★☆

参考:
竹林軒出張所『弁天小僧(映画)』
竹林軒出張所『想い出づくり。(ドラマ)』
竹林軒出張所『好色一代男(映画)』
竹林軒出張所『新・平家物語(映画)』
竹林軒出張所『炎上(映画)』
竹林軒出張所『ぼんち(映画)』
by chikurinken | 2015-11-23 08:15 | 映画

『青春の門 (東映版)』(映画)

b0189364_8163947.jpg青春の門(1981年・東映)
監督:蔵原惟繕、深作欣二
原作:五木寛之
脚本:野上龍雄
音楽:山崎ハコ
出演:松坂慶子、佐藤浩市、杉田かおる、菅原文太、渡瀬恒彦、鶴田浩二、若山富三郎

「織江の唄」のPVみたいな映画

 五木寛之の大河小説『青春の門』の映画版。『青春の門』は1975年に東宝が映画化(浦山桐郎監督、早坂暁脚本)しており、また1976年にはテレビドラマ化されている。主人公の伊吹信介は、東宝版が田中健、テレビ版が江藤潤で、個人的には伊吹信介といえば江藤潤のイメージが強いが、本作の佐藤浩市もなかなか味がある。一方相手役の織江は、この映画の杉田かおるのイメージが強い(東宝版が大竹しのぶ、テレビ版が秋吉久美子)。この映画は多分これまで見ていないはずなんでなぜかわからないが、そうなんである。おそらく当時テレビで放送されていたこの東映版のCMのせいではないかと思う。だからそのときバックで流れていた山崎ハコの「織江の唄」もすごいインパクトを伴って僕の中に残っている。山崎ハコはこの映画のテーマ曲だけでなく、音楽も担当しているようだが(詳細についてはわからない)、映画での音楽の使い方は、少々古い印象がある。むしろ音楽なしの方が良い場面もあるくらいで、山崎ハコ自身が映画音楽に不慣れだったのかも知れない。ただ「織江の唄」については、この曲1本で、映画のストーリー全部吹っ飛ばすくらいのインパクトがある。残念ながら映画の中ではまったく使われていないので、そういう点では少々期待を裏切られた。
b0189364_8171196.jpg 音楽はともかく、映画は非常にオーソドックスに作られているが、音楽の使い方同様、演出も少々古臭い。見るときはそのあたりを差し引かないと結構鼻につく。ただストーリーがしっかりしているため、退屈することはない。またキャストも、信介の義母タエを松坂慶子が演じている他、菅原文太、渡瀬恒彦、鶴田浩二、若山富三郎などかなり豪華で、当時最高のキャスティングと言って良い。この映画の松坂慶子はことに美しく、炭鉱のむさい男たちと好対照である。映画自体、主人公の性を描いているということもあり、松坂慶子や杉田かおるも文字通り一肌脱いでいる。
 監督は蔵原惟繕と深作欣二が担当しているということだが監督が2人いた場合、現場がどうなるのかはよくわからない。どういう風に役割やシーンを分けたのかも見当がつかない。演出については全体的に並みという印象で、あまりプラス面は感じられない。
 いずれにしても、この映画については山崎ハコの「織江の唄」の印象ばかりが強くて、むしろ映画がこの歌に付属するプロモーションビデオみたいな印象すら受けるのだ。「織江の唄」の中の織江と(この頃の)杉田かおるのイメージも重なって、よく合っている。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『青春の門 自立篇(映画)』
竹林軒出張所『愛の新世界(映画)』
竹林軒出張所『新版「ざんげの値打ちもない」』
竹林軒出張所『今月のCD』
竹林軒出張所『山崎ハコ「十八番」(CD)』

by chikurinken | 2015-11-21 08:20 | 映画

『劇場版タイムスクープハンター』(映画)

劇場版タイムスクープハンター 安土城最後の1日
(2013年・TSH Film Partners)
監督:中尾浩之
脚本:中尾浩之
美術:吉田透
出演:要潤、夏帆、杏、時任三郎、上島竜兵、カンニング竹山、宇津井健、嶋田久作

b0189364_7475878.jpgテレビ版の魅力が半減

 NHK総合で放送されている歴史番組『タイムスクープハンター』を2時間の劇場版にしたもの。
 『タイムスクープハンター』は、未来のある時点が舞台になった話で時空ジャーナリストという肩書きの人物が過去のさまざまな時代にタイムワープし、その時代のできごとを密着取材するという体裁の歴史エンタテイメント番組である。要するに、いろいろな時代の出来事を再現した歴史番組なんだが、時空ジャーナリストが見たその時代をドラマ仕立てで紹介していくという一種のドラマである。なお、時空ジャーナリストは、未来的な装備を付けていてコスチュームもそれらしい恰好なんだが、当時の時代の人々には同時代人に見えるようなマインド操作をしているという設定で、このあたりはなかなかうまい。また、登場する人々の髷やなんかが、一般的な時代劇と違って非常にみすぼらしく、それがかえってリアリティを増す結果になっている。どの程度時代考証をやっているかわからないが、なんだかリアルに見える。
 その『タイムスクープハンター』を劇場向けに新たなドラマとして作ったのが、この『劇場版タイムスクープハンター 安土城最後の1日』。タイトルからわかるように、本能寺の変から安土城の炎上までが描かれる。タイムワープする時代は、基本線は本能寺の変直後(1582年)だが、それ以外にも戦時中、1980年代にもタイムワープするという大サービスぶり。戦時中はスパイの嫌疑がかけられて軍国国民に追われ、80年代は喫茶店のある席に勝手に座ったという嫌疑でヤンキィから追いまくられる。80年代のシーンは、なんだかありがちで妙にリアルである。
 とは言っても、もちろん軸となるのは1582年。その時代に、織田信長が持っていた名物の肩衝(楢柴(ならしば):その後、秀吉、家康と持ち主が変わる)を、本能寺の変の際、博多の豪商、島井宗叱(上島竜兵)が持ち出し、この島井が博多に持ち帰るのを織田家家臣、矢島権之助(時任三郎)が護衛するという枠組みで、そこにタイムスクープハンター(要潤)が密着取材するという流れになる。途中、ハラハラドキドキの要素を盛り込むためにあれやこれやの事件が起こるわけだが(先ほど言ったヤンキィのシーンもそう)、ところどころ無理があり、エンタテイメントの要素を盛り込もうとしたのは重々わかるが、あちこち設定が破綻を来してしまっている。テレビ版の『タイムスクープハンター』ではそのあたりの処理がうまいんだが、それが破綻しているとなると魅力半減。しかもそういった無理なストーリーがたたって、結局予定調和的に終わらせざるを得なくなり、全体的に非常に浅いストーリーになってしまった。であるので、2時間近く見続けるのがシンドイ。
 良かった点は安土城の描写で、多くの場合遠景に見える状態で安土城が出てくるんだが、これがすごくリアルで、まるで現物がそこにあるようである。しかもそれがどれもさりげなく、「力を入れてCGで再現しました」という肩肘張った主張が見えてこない。このあたりは『タイムスクープハンター』らしい点で実にすばらしい。城のシーンは、例によってほとんど彦根城で撮影されていたが、そのあたりも割合うまく処理されていた。ただ先ほども言ったように、エンタテイメントにしたいがための、過剰な演出やアホみたいな予定調和なストーリーが鼻につく。映画版だからといってそんなに肩肘張って作らなくても良いのにと見ていて思う。美術は肩肘張っていないのが良かったんだが、なんだか皮肉なものだ。
★★★

参考:
竹林軒出張所『へうげもの (1)〜(39)(アニメ)』
竹林軒出張所『関ヶ原参戦の記(後編)』
by chikurinken | 2015-11-20 07:48 | 映画

『巨大スタジアムは誰のため?』(ドキュメンタリー)

巨大スタジアムは誰のため? 〜FIFAワールドカップ“負の遺産”〜
(2015年・南アFIREWORX MEDIA)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー

FIFAの腐敗をもっと追求してほしかった

b0189364_8275043.jpg 2014年にブラジルでサッカー・ワールドカップが開催されたが、これに対するブラジルの民衆の反対運動にスポットを当てたドキュメンタリー。
 ブラジル政府は、国内に病院、学校など必要な公共施設が足りていないにもかかわらず、ワールドカップ開催に当たり8つのスタジアムを建設することにした。だがサッカーが盛んなブラジルでは、すでにスタジアムは腐るほどあるわけで、新設する必然性はあまりない。なぜ新設したかというと、ワールドカップ開催に当たり、国際サッカー連盟(FIFA)からヨーロッパ型の美しいスタジアムの建設を要求されたためである。一般的にワールドカップ開催に当たりこのようなスタジアムがFIFAから要求されるため、開催国は必死こいてスタジアムを新設することになる。
 2002年の日本開催のときもいくつかのスタジアムが新設されたのは記憶に新しい。日本の場合、サッカー専用スタジアムは当時皆無に近かったこともあって、その後利用されるのであれば「新設歓迎」であったが、実際作られたスタジアムの多くは専用スタジアムでなく、わけのわからない多目的が多かった。あれもFIFAの意向のためなのか知らんが必要のないものだったら作らずに、従来のものを活用する方が良いのは火を見るより明らかである(実際カシマスタジアムは改修した)。
 ブラジルの場合もそうで、新設したスタジアムは、新たに使用される目途が立っていなかったという。つまり不要なスタジアムの建設を余儀なくされたわけだ。実際、ワールドカップ後、駐車場やイベント会場として使われているスタジアムもあるらしい。
 そもそもそういう状況であるから、スラムに住んでいるような下層階級の人々にとって、このスタジアム建設、ワールドカップ開催は何のメリットもなく、それどころか、その分福祉の予算が削られる上、立ち退きを求められたりすることもあるわけで、むしろ害である(当然見に行くことも叶わない)。そのため、一部日本でも報道されたように、ワールドカップの前にブラジル各地でデモが頻発していた。しかもそのデモに対して、警官隊が強圧的で非人道的な対応をしたということで問題になっていたという。こうしてブラジル政府は、ワールドカップのせいで民衆の反感を強める結果になってしまったというドキュメンタリーである。
 このドキュメンタリーで批判の最大のターゲットにされているのは私腹を肥やそうとするFIFAで、実際先日、FIFAのトップが収賄で告発されたという事件が起こっている。ただFIFAが組織としてどういう不正を働いていたかが、このドキュメンタリーではなかなか見えてこず、その辺が少々もどかしい部分である。ブラジル国内の問題にほぼ限定されていた点は、ある意味で焦点を絞ったとも言えるが、むしろFIFAの腐敗の方に感心が湧く。こちらに焦点を当ててほしかったと思う。
★★★

参考:
竹林軒出張所『FIFA腐敗の全貌に迫る(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『W杯予選の最も熱い日(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『引き裂かれたイレブン(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ワールドカップ2010での日本代表についての雑感』
by chikurinken | 2015-11-18 08:28 | ドキュメンタリー

『廃棄家電の悲しき行く末』(ドキュメンタリー)

廃棄家電の悲しき行く末(2014年・西Media 3.14/仏Yuzu Productions)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー

生活を見直すことが第一歩

b0189364_913466.jpg 先進国で廃棄されたゴミ家電やゴミ・コンピュータが、まわりまわってアフリカの途上国に廃棄物として輸出される現状を追ったドキュメンタリー。
 ヨーロッパの多くの国にも日本と同じように、家電などの大型ゴミを回収して、それをきちんと分解処理し、再利用できるもの・再利用できないものを分別してリサイクルするというシステムがある(その費用は販売時に上乗せされている)。しかし実際、このシステムに従って処理される大型ゴミは意外に少なく、多くは正式な業者の網をすり抜けてあちこちに分散していく。そしてこの処理費用(あらかじめ消費者から聴取されていて、処理業者に渡るべきもの)だけを懐に入れ、処理をおろそかにして、適当に野積みにしたり、あるいは第三国(途上国)に輸出したりするなどという悪徳業者も多いらしい(このあたりは日本でも同様)。その結果、ゴミが途上国に渡り、その国の環境が汚染されることになる。こういったゴミには人体や環境に悪い成分が多数含まれているのである。
 このような廃棄製品は中国にも大量に渡っており、例によってかなりずさんでいい加減な処理が行われている。これも中国の常だが、当然のように作業員は有毒物質に曝されており、しかも処理方法もデタラメ(その環境は目を覆わんばかりであった)。中には基板から使えそうな部品をまとめて取り出して、この取り出した部品を新品部品として売るなどというしたたかな業者もある。結果的にこういったガラクタ部品が、まわりまわって生産国で作られる新品製品に使われることになり、製品の不可解な事故(爆発事故も含む)の原因になるというんだから怖い。最終的に先進国にしっぺ返しされることになるわけで、してみれば先進国の所業は天につばするようなものと言える。
 このような現状を前にすると、こういった違法なゴミ・ルートを取り締まるべきという議論が当然出てくるが、実際にこれをチェックしようとすると大変な労力と費用がかかるため、現実的ではないんだそうだ。そういうわけで、目下のところ、状況を改善する手立てがないというのだ。
 そこで、ゴミを生み出す消費者の側が、今までのような大量購入、大量廃棄のライフ・スタイルをあらためて、できる限り修理して使い続ける、そして極力ゴミを出さないことが重要なんではないかという主張になる。こういう大量消費がもっとも一般的に行われているのがアメリカであるが、一方でアメリカには、こういう生活を見直すべく活動を行っている組織もある。この番組で紹介されていたiFixItなどがその例で、iFixItは家電の解体の仕方をネットで紹介したり、代替部品を長期に渡って販売したりという活動をしている(僕自身もパソコンの修理の際に利用したことがある)。ともかく、自分の足下から生活を見直すことこそ肝要というのがこのドキュメンタリーの趣旨である。
 こういう活動ももちろん大切だが、本来はメーカー側がしっかり対応するのが筋である。たとえばコンピュータは近年ますます解体が難しくなって修理が困難になっているし、修理部品も5年程度しか保管しないという態度を取っているメーカーが多い。5年以上経った製品については修理が断られることもよくある。早い話がメーカー側の意識が低すぎるということだ。それは消費者の方の問題でもあり、消費者がメーカーにきっちり要求していき、消費の態度を変えていかなければ、メーカー側も変わるまいと思う。結局は、この番組の主張の通り、やはり消費者の意識こそが大切ということになるのか。
2015年イタリア賞受賞
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『電球をめぐる陰謀(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『模倣品社会 〜命を脅かすコピー商品〜(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『その後のキーボード問題 -- とりあえず最終章 --』
by chikurinken | 2015-11-17 09:14 | ドキュメンタリー