ブログトップ | ログイン

竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

<   2012年 07月 ( 22 )   > この月の画像一覧

『銃・病原菌・鉄 (上)』(本)

b0189364_759232.jpg銃・病原菌・鉄 (上)
1万3000年にわたる人類史の謎

ジャレド・ダイアモンド著
草思社文庫

 ピューリッツァー賞を受賞した書で、世評も高いので一度読んでみようと思っていた。実はこれまで図書館で単行本版を何度も借りているが、読了するに至っていない。そんな折、文庫版が出たという話を聞いて、先日思いきって購入したのだった。
 本書での著者の主張は、現代における地域的な格差は人種の優劣によるものではなくすべてが偶然の産物であるというもので、さまざまな偶然が積み重なることで生じた文化の差が、その後の文明の衝突での勝敗を決したというのが本書のテーマである。
 タイトルの『銃・病原菌・鉄』は、その際の決定的要因になった3要素で、銃と鉄はテクノロジーの軍事的優位を表すが、その他に伝染病の病原菌が大きな要素になったという。家畜の飼育が進んだユーラシア大陸では、家畜を通じたさまざまな伝染病が歴史を通じて流行し、人間はその犠牲になってきた。しかしその一方で、生き残った人間はそれぞれの伝染病に対する免疫を得ることになった。ヨーロッパ人が新大陸を侵略したとき、病原菌を新大陸にもたらしたことにより先住民が大量にその病で死に、それがヨーロッパ人の新大陸侵略成功の大きな要因になったというのが著者の主張である。このあたりはかつてナショナル・ジオグラフィックのドキュメンタリー『銃・病原菌・鉄』を見たため、知ってるつもりである。
 今回いよいよ書籍版に当たったのだが、基本線はドキュメンタリー版も書籍版も当然同じである。ただし当たり前ではあるが書籍版は詳細である。なんせ全編で700ページ近くあるのだから内容は相当なものだ。ただし、今回読んで感じたのだが、密度が非常に薄い。同じ事柄を何度も繰り返す傾向があり、主張に説得力の裏付けが必要なのはわかるが、あまりにくどくて、しかも文章も決して読みやすい文章ではない(翻訳のせいかもしれないが)。また、記述が全体的に演繹的であるため、なんのためにこういうことを長々と書いているのか予測できない箇所が非常に多く、結局繰り返し読み直すという箇所がやたら多い。はっきり言って読みづらい本である。それぞれのブロック単位では、まず主張を提示して、それについて帰納的に記述する方がわかりやすい。主張自体は、おおむね説得力があって特に異論はないが、しかしそれでもこれだけ長々と書き連ねる必要があるのか、普通に書けば半分で終わるんじゃないかと思うことが非常に多かったことを付記しておきたい。
 で、この上巻であるが、上巻では、食料生産に差が生じた理由に多くの紙数が割かれている。農耕が始まることで、人口の増大が可能になり、食料生産従事者以外の人間を養えるようになる。結果的にテクノロジーが生じることを助長し、戦闘員の数と武器の質において差が生じ、その結果、特定の文明が他の文明を圧倒することが可能になった。その原初段階においては、狩猟採集から農耕への移行がどの程度進んだかが大きな鍵になる。そういう状況で、いかにして各地でその移行が始まったか、それについて考察する。
 ユーラシア大陸では他の大陸と比べて農耕が進んだが、これはユーラシア大陸が東西に広いためであるという。東西に広いことから似た環境が東西に長く広がり、農耕技術や種苗の伝搬が比較的進みやすく、その結果、狩猟採集から農耕への移行が広い領域に渡ってスムーズに進んだという。また動物の家畜化も、家畜に適した動物が多かったことから急速に進み、食料生産を増進する結果になった。これがユーラシア大陸と、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアなどとの間で差として生じ、結果的にその後の文明の進展度に大きな影響を生みだすことになったというのが本書の内容である。書いてしまえばこれだけなんだが、この説明が300ページに渡り延々と続く。内容自体理解に苦しむ部分はあまりないが、集中的に読むには少し冗長過ぎるという印象で、言ってみれば年間通して行われる大学の講義みたいなものと思えばちょうど良いだろうか。先日下巻も買ったのだが、今度は読むこちら側もゆっくり暇を見つけて読むというような、冗長な読み方をした方が良いのかも知れないなどと思った。
★★★

参考:
竹林軒出張所『銃・病原菌・鉄 第1話 文明の始まり(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『銃・病原菌・鉄 第2話、第3話(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『銃・病原菌・鉄 (下)(本)』
by chikurinken | 2012-07-17 08:01 |

『永遠の泉』(ドラマ)

b0189364_8371170.jpg永遠の泉(2012年・NHK)
演出:西谷真一
原作:藤原新也
脚本:金子成人
出演:寺尾聰、鈴木杏、山本耕史、奥貫薫、田中美佐子、小日向文世

 妻殺しで逮捕された男の無実を晴らす弁護士の話で、話が展開するうちに、逮捕された男と妻の関係、弁護士とその死んだ妻の関係、弁護士と娘の関係などがあぶり出されていく。伏線がたくさんあるのはドラマの厚みを増す役割を果たすものだが、このドラマについてはもう少し整理した方が良いような気がする。それほど複雑ではないのでややこしくはないが、なんとなくピントがはっきりしないというか、ドラマ自体印象がやや薄い。いくぶんとってつけたような話でもある。
 このドラマも死がテーマで、原作は藤原新也だという。藤原新也が小説を書いていたことはまったく知らなかったが、なるほど藤原新也かと思うようなテーマではある。サスペンスタッチという触れ込みのドラマだったが、最初から種が明かされるのであまりサスペンスという感じではない。そういうことよりも洋裁屋夫婦のあり得ないくらいのラブラブさが異様に見えた。リアリティ云々より、少し気味悪ささえ感じてしまった。全体的に作りすぎの感はぬぐえず、ストーリー展開がややご都合主義的かなという感じもする。
 ドラマの演出は正攻法で、映像も美しい。回想が非常に多いのは、話の展開を考えると致し方ないかとも思う。割合よくできたドラマであると思うが、作りすぎで嘘臭いストーリーのためか、印象はあまり残らなかった。
★★★☆
by chikurinken | 2012-07-16 08:38 | ドラマ

『あっこと僕らが生きた夏』(ドラマ)

あっこと僕らが生きた夏 前編、後編(2012年・NHK)
演出:福井充広
原作:有村千裕
脚本:谷口純一郎
出演:川島海荷、財前直見、光石研、宇梶剛士、尾美としのり、柳下大

b0189364_748011.jpg 高校野球は永らく見ていないのでどういう状況になっているかよく知らなかったのだが、2007年の大会で、大分県代表の楊志館高校が初出場でベスト8まで進んだことがあったという。予選からノーシードで勝ち進み結果的にこの大会で19連勝を達成したらしい。そしてその快進撃の裏に、1人の女子マネージャーの存在があった。といっても、ドラッカーの『マネジメント』を読んでチームを改革したわけではない。彼女が2年生のときに癌が見つかり、その後長く入院を余儀なくされ、一度は学校にもマネージャー業にも復帰するものの3年生の秋に結局死ぬという悲しい出来事があった。そして、楊志館高校が甲子園で活躍したのが、彼女が最初に入院した年だったというのだ。
 このドラマは、この実話を基にした話で、この辺の事情は、このマネージャー(あっこ)を励ますために部員たちが奮起したという描かれ方をしている。前編のストーリーがこういった感じで、まさしく『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』と似たストーリーで、これで終わっていたら、実話とは言えドラマとしてはありきたりでつまらない話になっていただろうと思う。だがこのドラマは、こういった陳腐なストーリーで終わっていなかった。
 後編になると、癌が再発し、自分の死に向き合わなければならなくなったあっこが、それを正面から受け止め、入院して治療を続けるよりも、野球部のマネージャーとして普通の高校生活を続けることを選択するという方向でドラマは展開していく。3年生になってチームを引っぱる立場になり地区大会に臨むが、結果は前年と違って成績は芳しくなく、かれらの夏はあっけなく終わっていくのだった。このあたりから、ドラマの主体は野球部の活躍から、あっこの人生へとシフトしていく。前編の中心だった野球部の活動が少しずつ後退するというような感じで、ストーリーの中でうまく処理されていた。
 原作は、あっここと大﨑耀子さんと楊志館野球部との関わりを描いたノンフィクションだということで、ドラマでも本人が書いた日記がところどころ出てきて、あっこの意識の持ち方が表現されている。日記をこうやって画面に出してそれを主人公が読み上げるというパターンは、演出としてありきたりではあるが、このドラマについては効果を上げているように思われた。生きることに前向きな彼女の姿勢が伝わってきて、18歳でよくこれだけの意識を持てるものだと感心した。短い生涯を駆け抜けた1人の少女の生き様がよく伝わってくるドラマで、2012年版の『愛と死をみつめて』とも言える。
★★★☆
by chikurinken | 2012-07-14 07:48 | ドラマ

『望郷』(映画)

b0189364_9425387.jpg望郷(1937年・仏)
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
原作:ロジェ・ダシェルベ
脚本:アンリ・ジャンソン、ロジェ・ダシェルベ
出演:ジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン、リーヌ・ノロ、リュカ・クリドゥ

 舞台はアルジェリア。首都アルジェのカスバと呼ばれる一画は、犯罪者がここに逃げ込むと手の施しようがないといわれている迷宮で、警察もなかなか近づけない場所である。数々の犯罪に手を染めてきた顔役、ペペ・ル・モコもここに潜んでいるが、パリ生まれの彼はフランスへの望郷の念が捨てきれない。そんなペペの前に登場するのがパリの香りがする美女(ミレーユ・バラン)で、彼女をきっかけに望郷の念が一挙に爆発するという話。
 何となく同じ監督作の『地の果てを行く』にストーリーが似ているような気がする(竹林軒出張所『地の果てを行く(映画)』参照)。舞台設定自体は『恐怖の報酬』とも通じる(竹林軒出張所『恐怖の報酬(映画)』参照)。ちなみに『望郷』を見るのは今回二度目で、前回見たときは『地の果てを行く』と併映だった。ストーリーはおおむね記憶していたが、やはりなんといっても有名なラスト・シーンが印象に残っていた。しかし映画自体は世間で言われているほどの強烈な印象はない。ジャン・ギャバンは良い味出しているが、主人公にあまり感情移入できないというか、どことなく絵空事みたいに思える。ペペの人物像自体、『地の果てを行く』や『恐怖の報酬』の主人公と共通しているようなそんな印象もある。当時のフランス映画のステレオタイプだったんだろうか。ジャン・ギャバンについて言えば、『地下室のメロディー』『暗黒街のふたり』で演じた落ち着きのある役の方もなかなか捨てがたいと思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『にんじん(映画)』
竹林軒出張所『地の果てを行く(映画)』
竹林軒出張所『ヘッドライト(映画)』

by chikurinken | 2012-07-13 09:44 | 映画

『快感回路』(本)

快感回路 なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか
デイヴィッド・J・リンデン、岩坂彰訳
河出書房新社

b0189364_934318.jpg 人間が感じる快感の源泉を解説した本。
 本書によると、快の感情を感じるとき、腹側被蓋野(VTA)のニューロンが活動し、電気的パルスが生成して、それが軸索(神経繊維)を通って、側坐核に達する。また、扁桃体(情動の中枢)、前頭前皮質(判断や計画を司る)、背側線条体(習慣の学習形式に関係する)、海馬(記憶に関係する)にも信号が伝わり、それぞれの末端で神経伝達物質ドーパミンを放出する。こういうしくみで快の感情と経験の記憶や判断との間に連関ができるという話。この構造を基にして、薬物の快感、食欲充足の快感、性欲充足の快感、ギャンブルの快感などについて検討していく。
 確かに大まかな構造はわかるんだが、それぞれの部位が脳のどのあたりにあるかも曖昧にしか紹介されていないし、そもそも具体的なイメージが湧かない。また、快の感情を感じるとき、どの段階で感じるか(VTAの活動か、ドーパミンの放出か)というのもわからない。とにかく全編こんな調子ではなはだわかりにくい。こういう学術領域に関わるような本は、どの程度まで具体的に記述するか、つまり読者をどこに想定するかというのが非常に重要になってくるが、この本は専門用語が多い割に、十分な解説がなく、その上唐突に新しい用語が出てきたりして読みづらいったらない。専門家向けの論文のような印象すら受ける(内容的にはまったくそんなことはないが)。しかも翻訳のせいか編集のせいかわからないが、誤記もある。脳内化学物質は、抑制系と推進系の両方の作用があり、1つの事象に対して両方が作用することがままあり、本書でもそのあたりの説明があるが、読んでいてつじつまが合わない箇所があった。一生懸命分析したが、自分なりにどうやら原文に誤りがあるのではないかという結論に落ち着いた。そういう点でも随分読みづらさを感じた。
 何かを感じるときに脳内でどのような作用が起こっているか解説する本はときどき目にするが、中でも、脳内化学物質を紹介した『ケミストリー・オブ・ラブ―恋愛と脳のメカニズム』が出色であった。密度の濃い非常に面白い本で、内容はかなり突っ込んでいたが、それほど読みづらさは感じない上、当時(1983年)目新しい事実が目白押しで、随分ポイントが高かった。本書にはそういった斬新な記述がそもそも欠如しており、快の感情に伴って脳の快中枢が活動しているということぐらい僕みたいな素人でもおおむね予想が付くんであって、そこに化学物質が関わっていることもある程度予測が付く。そういった事実を統合した上で、目新しい主張を聞きたかったというのが、1読者の率直な感想である。
 全編を通じてさまざまな動物実験が具体的に語られるが、その実験から出てくる結論や洞察される推論などが曖昧で、なんのための実験かと思うことも多かった(明確な結論が得られなかったという実験もいくつか紹介されていたが、これは無意味だと思う)。それに動物実験で脳に電極を差し込んだとか頭蓋骨に穴をあけたとか、聞いていて不快になるようなものが多く、心情的に受け付けない部分も多い。知的な満足感が得られない上、読みづらく、しかも記述の内容も不快で、読んでいて苦痛以外の何ものでもなかった。まったく無駄な書だとは思わないが、少なくとも僕のVTAのニューロンはこの本を読んでも活動しなかったということである。
 ★★☆
by chikurinken | 2012-07-11 09:35 |

『瓦と砂金 働く子供たちの13年後』(ドキュメンタリー)

瓦と砂金 〜働く子供たちの13年後〜(2009年・NHK/ドキュメンタリージャパン)
NHK-BShi ハイビジョン特集

b0189364_993187.jpg ペルーのアンデス地域に住む2人の少年(サントスとウィルベル)に密着するドキュメンタリー。
 この同年代の2人、同じ村でともに瓦を作って生計を立てている。年長のサントス(15歳)は、大家族の中で毎日家業の手伝いで瓦を作っている。一方ウィルベルは両親がおらず、別の瓦工場に住み込みで雇われている。2人とも学校には行っておらず、労働に追われる毎日を過ごしている。ちなみにペルーでは12歳以上の児童の労働が認められている。児童労働を禁止することで起こる児童の搾取を防ぐためだという。サントスは、家族に縛られないウィルベルの自由な生活を羨ましがっており、ウィルベルの方は、家族と共に暮らすサントスの生活を羨ましがっている。このサントスとウィルベルに密着することで、貧困地域の子ども達の実態に迫ったドキュメンタリーが、1996年に放送されたらしい。「らしい」というのはこの番組を見ていないためで、今回見たのは「その後のサントスとウィルベル」を扱ったドキュメンタリーの方である。『エリックとエリクソン』『バーミヤンの少年』を思い出させる「その後の少年シリーズ」の1本で、学校に行けずに労働に明け暮れていた少年たちの13年後が描かれる。
 もちろんこの番組でも、13年前のかれらの映像がふんだんに出てきて、先に書いたようなことが随所で紹介される。そしていよいよかれらの今に迫ることになる。取材班は同じ村を訪れ、まずサントスと再会する。29歳になったサントスは今も瓦を作り続け、一家の中心として家族を養っている。弟や妹も増えており、彼らも仕事を手伝っている。サントスの子ども時代と違うのは、彼らが学校に通っていることである。きつい仕事はサントスが引き受け、下の子ども達は終日労働せずに学校中心の生活のようだ。サントスの方も夜学に通っているが、中学がなかなか卒業できないらしい。一方でサントスは、機械化に踏み切ることで、きつい労働を排除してしかも製品の質を向上させようと目論んでいるのだった(計画は8割がた進行している)。
b0189364_9103011.jpg 一方ウィルベルの方は、何年か前にアマゾン地帯に移住していったという。金が採れるという話があり、一攫千金を夢見る人々が大勢集まった街ができているらしい。取材班はウィルベルに会いにアマゾン地帯に赴き、ウィルベルのことが随分気になっていたというサントスもそれに同行する。ウィルベルの消息はなかなか掴めないが、なんとか出会うことに成功する。ともに再会を喜び合う2人だが、ウィルベルの方は様子が大分違っていた。独身のサントスと違って、妻と子どもがいたが、何より違っていたのは酒浸りになっていたことだった。体調が悪いこともあり仕事もあまりしていないようだ。身を持ち崩しつつあることが見て取れる。サントスは、ウィルベルの生活を立て直すべく、村に帰るよう再三誘うのだった。
 こういった展開のドキュメンタリーで、これも『エリックとエリクソン』同様、非常によくできた構成になっており、一編の優れたリアリズム映画のようなストーリーである(もっともドキュメンタリーだからストーリーというものは本来ないが)。貧困の厳しさ、教育を受けないことのマイナス面、家族のために自分を犠牲にしなければならない境遇、山師的な生き方の限界など、いろいろな現実を見せつけられ、思うところも多い。何よりサントスとウィルベルの人間性が随所にあふれていて、そこがこのドキュメンタリーの大きな魅力にもなっている。「少年たちのその後」という題材はそもそもが興味をそそられるものであり、無限の未来を持っているはずの子どもが将来どうなっているかというのは大変興味深いテーマである。少年時代と成人後を1つの映像の中でまとめることで、1つの人生を俯瞰できるようになっていて、そういう点、ドキュメンタリー映像の特色がいかんなく発揮されている。もちろん製作には多大な労力がかかると思うが、こういった良質なドキュメンタリーができあがることを考えると労は報いられていると言えるのではないか。ともかく良いドキュメンタリーだった。
★★★★
by chikurinken | 2012-07-10 09:12 | ドキュメンタリー

『ノーマン・ロックウェル アメリカの肖像』(ドキュメンタリー)

b0189364_844891.jpgノーマン・ロックウェル アメリカの肖像
(1987年・WQED)
DVD

 アメリカの国民的イラストレーター、ノーマン・ロックウェルの生涯、作品を俯瞰するドキュメンタリー。
 このドキュメンタリーでは、写真や映像(ロックウェル自身の映像もある)をつなげ、間に関係者や研究者のインタビューを挟み込むという、非常にオーソドックスなスタイルを採用している。そのため内容は非常にわかりやすい。
 21歳という若さで初めて「サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙絵に採用されたロックウェルは、その後も数十年間、この「ポスト」を舞台に作品を発表していく。当時娯楽の中心がラジオ、映画、雑誌で、「サタデー・イブニング・ポスト」がアメリカ人の間で占めていた存在感も非常に大きかったことから、ロックウェルの名前は瞬く間に全米に広がり、その作品も大いに評価を受ける。当時のロックウェルの作品は、ドラマの一場面を見るような非常によく練られた画題(多くは市民の日常生活)で、それを高度なテクニックを駆使して絵画として表現している。素材は理想主義的であるが、どこか暖かさやユーモアが漂っていて、オリジナリティにあふれている。このドキュメンタリーでは、ロックウェルがモデルを使って情景を作り出しそれを描いていたという、ロックウェルの製作方法も紹介される。後にはそのシーンを写真に撮影し、それを活用したという話も出てくる。
 その後、活躍の場を「ルック」誌に移すが、この頃から画題が少しずつ変わり、「ポスト」時代のような飄逸さがなくなる。「ルック」誌と「ポスト」誌の編集方針の違いが大きいのだろうが、このドキュメンタリーで見る限り、「ポスト」時代の方があきらかに優れている。ロックウェルの黄金時代は「ポスト」の時代ではないかと思える。
 このようなロックウェルの生涯を時系列で描いていてわかりやすいドキュメンタリーであるが、正直あまり面白味がなく、物足りなさも残る。純粋に学習ドキュメンタリーみたいで、もう少し遊びが欲しかったところではある。また、インタビューに登場する人々にも、アメリカ人的な脳天気さ丸出しのトンチンカンなコメントを残す人がいて、もう少し厳選して採用したらどうだと思ったりもした。だがそういった脳天気さも、ロックウェルの絵自体にも現れていたりして(特に晩年)、そういうコメントが奇しくもロックウェルの特徴をあぶり出すような結果になっているという側面もある。いずれにしても、どこかやっつけ仕事みたいな感が漂うドキュメンタリーであった。
★★★

参考:Norman Rockwell Museum(ノーマン・ロックウェル美術館)
by chikurinken | 2012-07-09 08:45 | ドキュメンタリー

『アジアを狙う国際タバコ産業』(ドキュメンタリー)

アジアを狙う国際タバコ産業(2011年・米Current TV)
NHK-BS1 BS世界のドキュメンタリー「シリーズ 調査報道」

b0189364_826937.jpg タイトルでわかる通り、タバコ産業がアジアで市場拡大を進めているというドキュメンタリーである。この番組では、インドネシアで現地取材を行い、フィリップモリスなどのタバコ企業がインドネシアでどのように事業を展開しているかを追う。
 タバコ産業は、現在先進国ではなかなか思うように販売できず、売上も落ちている。これは、先進諸国で、健康のためにタバコを控えるよう推進する政策がとられているためで、たとえばニューヨークでは高い税金がかけられていて、タバコ1箱がなんと12ドルもする。そのためタバコ産業は、生き残りをかけて市場を別の国に求めることになるが、現在その中でもっとも力を入れているのがインドネシアである。インドネシアは2億3千万人の人口を抱え、しかもタバコに対する規制はほとんどないと来ている。タバコ産業にとってはパラダイスである。
 少し前に、インドネシアの2歳の幼児がタバコをプカプカ吸う映像がネットで流れ全世界で話題になったらしいが(僕はまったく知らなかったが)、インドネシアの現状を見れば、それすらもあまり珍しくないことがわかる。なんせ子どもたちが街中で普通にタバコを吹かしている。日本の中学生に相当する世代では、4人に1人が喫煙者だという。そもそも子どもの喫煙を取り締まる法律もなく、そのため学校の出入口の横にタバコ販売の露店があったりする。
b0189364_8264854.jpg 一方タバコ産業は、あの手この手でタバコのイメージを向上し、タバコを若年層に浸透させていこうとする。かっこいい男女がタバコを吸うCMをふんだんに流すだけでなく、街中にあらゆるタバコ産業の広告が掲示されている。さらに有名なミュージシャンのコンサートをタバコ産業がバックアップし、タバコのイメージ向上を図るという広告戦略もある。こうして若い世代を取り込んで喫煙者にすることで、死ぬまでタバコを消費してくれるありがたい消費者に仕立て上げようとする寸法だ。
 もちろんこういった野放図な状況に意義を唱える人々もインドネシアにはいる。喫煙が健康に及ぼす影響を指摘し、さまざまな活動をしているNPOや個人もあるが、やはりというか、タバコ産業から相当な嫌がらせや脅迫を受けているらしい。とは言っても、いずれはインドネシアでも喫煙に対する圧力はきっと強くなる。そうするとタバコ産業はまた新たな市場を求めることになるんだろうなと思う。現在、超巨大市場の中国を虎視眈々と狙っているらしい。まったく油断も隙もあったもんじゃない。
 今でこそ日本でも禁煙圧力が強くなっているが、30年くらい前まで、インドネシアほど野放図ではないものの、タバコ広告は雑誌やテレビを覆っていたし、若年層も結構吸っていたように思う。その頃巷で囁かれていたのは、アメリカでタバコが売れなくなったんで日本の市場に進出してきたのだということだ。実際にその頃、アメリカタバコ(いわゆる洋モク)が広く安く売られるようになって、僕もフィリップモリスを吸っていたことがある。ただしタバコは洋モクよりも専売公社のものの方が質が高かったと思う。今、禁煙エリアが増え、子どもへのタバコ販売が厳密に制限されているが、それを思うと隔世の感がある。
 番組ではインドネシアの状況を紹介して、タバコ産業の悪辣なタバコ販売の実態を告発しているが、やや目新しさに欠け、ツッコミも少々もの足りない。そもそもテーマ自体にあまり斬新さがないとも言える。しかしそれなりに見せるドキュメンタリーで、途中でだれることはなかった。
★★★
by chikurinken | 2012-07-07 08:27 | ドキュメンタリー

『オーケストラの少女』(映画)

オーケストラの少女(1937年・米)
監督:ヘンリー・コスター
脚本:ブルース・マニング、チャールズ・ケニヨン、ハンス・クレイリー
出演:ディアナ・ダービン、アドルフ・マンジュー、レオポルド・ストコフスキー、アリス・ブラディ

b0189364_8264630.jpg 恐慌の影響が残るアメリカで、失業中の演奏家を集めてオーケストラを作ろうと奔走する少女(主役のディアナ・ダービン演ずるパッツィ)の話。高校生のときNHKで見て、大学生のときに自主上映会で見た。今回が3回目ということになる。有名指揮者の「ストコフスキーさん」の役は、アメリカの人気指揮者、レオポルド・ストコフスキー自らが演じる。
 ストーリーはよく練られていて、ジェットコースターのようにめまぐるしく展開する。状況を好転させようと、主人公のパッツィがあちこちに奔走するんだが、成功したり失敗したりで、喜怒哀楽の変化も多い。だから見ていて感情移入しやすい。ともかく彼女のバイタリティと明るさはのっぴきならないもので、結果的に「元気をもらえる」映画に仕上がっている。登場する人々も善意の人が多く、そういう部分も映画の「心地良さ」につながっている。話自体はよくよく考えると荒唐無稽なんだが、その辺もうまく処理しているため、違和感はあまりない。
 クラシックを題材にした音楽映画であるため、随所にクラシックの有名曲が流れる。ディアナ・ダービンの歌唱もあちこちにちりばめられているが、個人的には「モーツァルトのハレルヤ」が好みである。この曲、大分前にCDで初めて聴いたときにどこかで聴いた曲だと思っていたんだが、今回、この映画が最初だったんだなと納得した。正式なタイトルはモテット「Exultate, jubilate(踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ)」で、その中の3つ目のアリアがこのハレルヤなんだが、タイトルのとおり喜びがあふれる歌曲で、ディアナ・ダービンの歌唱にピッタリだった。
 なお、この映画の目玉のシーンは、『ここに泉あり』という日本映画でも流用されている。ただし流用というのは控え目な表現であって、実際には「パクリ」である。ちなみにこの映画では、ストコフスキーの役を山田耕筰がやるのだな。だが『オーケストラの少女』に比べると映画自体チープな印象が否めない。それにあちこちクサイ演出があるし、山田耕筰の指揮もまったくいかさない。両者を比較してみると、ストコフスキーの指揮はやはり絵面として見栄えが良いのだということがよくわかる。
★★★★
by chikurinken | 2012-07-06 08:26 | 映画

やってくれるじゃないか、iTunes

 どうも想像を絶するバグというか、iTunesにはホント、恐れ入る。
 以前、iTunes 9.2で、iTunes Libraryが破壊されるバグについて書き綴ったが(竹林軒出張所『iTunes 9.2はかなりのタコスケ(できの悪いソフト)である』参照)、今回はなんと、iTunes Libraryを破壊するだけではなく、iTunes Musicフォルダに入っている曲データを勝手に仕分けしてしまうという、お節介きわまりない作業を勝手にやってのけるバグである! ちなみに今回のバージョンは10.5.1。
 わかりにくいかも知れないので説明するが、iTunesの場合、曲データを1つの大きなフォルダに入れて、それをiTunesアプリケーションが読み込むという構造になっている。このフォルダは、特に設定しなければiTunes Musicというフォルダになるんだが、そのフォルダの中で、アーティスト名のフォルダの中にアルバム名のフォルダがあって、さらにその中に曲ファイルが入っているという構造になっているのだな、簡単に言うと。たとえば、由紀さおりの「タ・ヤ・タン」という曲であれば、「iTunes Music」フォルダの中に「由紀さおり」フォルダがあり、その中に「夜明けのスキャット」(アルバム名)フォルダがあって、さらにその中に「タ・ヤ・タン.m4a」というファイルが置かれる構造になっている。
b0189364_8201111.jpg iTunesでは、オリジナルのCDから曲データを読み込むときに、アーティスト名とディスク名が設定されて、対応するフォルダが作られるようになっているんだが(上の例で言えば「由紀さおり」フォルダと「夜明けのスキャット」フォルダ)、この段階である程度整理しておかないと、同じアーティストであるにもかかわらず別のフォルダに放り込まれてしまったりするんで、注意が必要になる。たとえば「カラヤン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」というフォルダでひとくくりにしたいと思っていても、ディスクによってはすでに「Karajan, Berlin Philharmony Orchestra」というデータが入っているものもあるし、「カラヤン指揮、ベルリンフィル」になっていることもある。こういう曲をそのまま読み込んでしまうと、同じアーティストでありながら3つのフォルダが作られてしまって曲の管理がいささか厄介になる。だからある程度自分なりに決まりを作っておいて、読み込みの都度、アーティスト名を変えて同じフォルダに入るようにするんである。しかる後に、同じフォルダに読み込まれた後、アーティスト名を適宜変更する。「カラヤン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」の場合は、ソリストがいれば、「バトル、カラヤン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」のようにその名前もこれに追加する。僕は現在、こうやって整理している。そのため、iTunes Musicフォルダのフォルダ名(アーティストを表す)と実際のプレイリスト内のアーティスト名が違っていることも多い。
 ところがこのバグでは、曲データに記述しているアーティスト名に従って、新しくそのアーティスト名のフォルダを作り直して仕分けしてしまうんである。1枚のアルバムの中で異なるアーティストが入っているために「コンピレーション」フォルダで整理していた曲さえ、アーティスト名ごとに別のフォルダを作ってしまって、もうiTunes Musicフォルダの中は僕の意図とまったくちがってしっちゃかめっちゃかになってしまった。さらにiTunes Libraryファイルまで書き換えてしまうという、本当にもう再生不可能な状態にしてくれたんである。
 実は今回この症状が出るのは二度目で、前回も復旧に随分時間がかかったが、今回も4時間近くかかった。こういったバグは、本来あり得ない、起こってはいけない類のものであり、信頼性を損ねるものだ。マイクロソフトならいざ知らず、アップルのソフトがこういうおかしな挙動をするというのは少し受け入れがたい。あるいはアップルの推奨する方法で曲を仕分けしなければならないというアップル特有の傲慢さの表れなのか。iTunesは割とよくまとまっているし、iPodユーザーにとっては必携ソフトでなかなか代替ソフトが見つからないが、今回みたいなことが一度ならず二度まで起こるようだったら少し考えなければいけないかなと思っている(当面はバックアップを頻繁にとろうと思う)。

図は、現時点の仕分け方法(クリックで拡大します)

by chikurinken | 2012-07-04 08:23 | パソコン