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竹林軒出張所

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『エトワール』(映画)

エトワール(2000年・仏)
監督:ニルス・タヴェルニエ
撮影:ニルス・タヴェルニエ、ドミニク・ルリゴルール
出演:マニュエル・ルグリ、ニコラ・ル・リッシュ、オーレリ・デュポン(ドキュメンタリー)

b0189364_819540.jpg フランスのパリ・オペラ座バレエ団に数ヶ月密着して撮影されたドキュメンタリー。
 才能あふれる人々が子ども時代から集まり(このバレエ団には付属のバレエ学校がある)、切磋琢磨して、選ばれた者だけが残っていく。バレエ団の中にも能力ごとに階級があり、その最高位はエトワール(星)つまりスター。そして誰もがエトワールを目指す。
 現在団員は154名で、常に生活を共にしながらも、お互いにライバル関係であるため、横の繋がりは比較的希薄という。小さい頃からつきあいがあるためどちらかというと兄弟に近い感覚らしい。こういった内部の事情が、団員の口から語られていく。また公演の舞台裏にもカメラが入っていき、舞台の華やかで優雅な世界と違った面、出演者のハアハアゼエゼエいう姿なども映し出される。日頃の練習風景も出てくるが、かれらの肉体がどれほど鍛え上げられたものであって、舞台がいかにハードなものかも理解できる。トップ・プレイヤーの中のトップ・プレイヤーが集まるこのバレエ団、むしろメジャー・リーグみたいなトップ・プロ・スポーツの世界に近いかなという変な印象が残った。
 付属学校の生徒からエトワール、舞台監督に至るまで、さまざまな人がインタビューを受けており、その過程でオペラ座バレエ団の素顔があぶり出されていく。正直言って、出てくる人はモーリス・ベジャールとオーレリ・デュポン(こちらは名前だけ)くらいしか知らなかったが、知らない世界をのぞき見できたようで面白かった。また映像も美しく、ところどころモノクロのスチール写真が挟まれる。
 なお、監督のニルス・タヴェルニエは、『田舎の日曜日』のベルトラン・タヴェルニエ(竹林軒出張所『夏時間の庭(映画)』参照)の子息。

参考:竹林軒出張所『パリ・オペラ座のすべて(映画)』
   竹林軒出張所『ウェーバーとバレエ』
   竹林軒出張所『バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び(映画)』
★★★
by chikurinken | 2011-11-30 08:19 | 映画

『世界一のトイレ ウォシュレット開発物語』(本)

b0189364_8235198.jpg世界一のトイレ ウォシュレット開発物語
林良祐著
朝日新書

 日本に来た外国人が往々にして驚くのがハイテクトイレだという。よその国には、自動洗浄機能や暖かい便座はあまりないらしい。映画の『トイレット』(竹林軒出張所『トイレット(映画)』参照)にもそういう話が出ていた。確かにウォシュレットが初めて登場したとき、僕も大変な違和感を感じた。こんなもん使う人がいるのかと思ったほどで、潔癖にもほどがあると感じたものだ。ただ試しに使ってみると結構良い感じだったりするわけで、今ではないとちょっと困るくらいになっていて、自分の節操のなさにあきれるのである。ただやはり少し贅沢すぎるのではないかという感じはいまだにつきまとっている。電動で水を使う方が紙を余計に使うよりは良いのかなどといつも自問自答しながら使っているという有様だ。貧乏性なもので。
 ともかくそういうわけで自動洗浄トイレ、ひいてはウォシュレット(これはTOTOの商標)には大変関心があるところ。本書はTOTOでウォシュレットの開発に携わった方のウォシュレット開発話である。ちなみに著者は現在、TOTO事業部ウォシュレット生産本部長、兼TOTOウォシュレットテクノ社長という肩書きを持つ。48歳で社長、しかもたたき上げとは恐れ入る。
 さてたたき上げの人であるからかどうかわからないが、内容は結構詳細で、ウォシュレットの構造や秘密、それからウォシュレットの開発や事業展開にまつわる話なども忌憚なく披露される。こんなにばらして大丈夫なのかと心配してしまうほど(おそらく大丈夫なんだろう)だが、開発に対する自信やプライドも随所に覗かれる。著者のもの作りに対する真摯さが伝わってきて爽快である。ハイテク便器の構造やしくみは意外に複雑で、僕のような素人にとってはわかりにくい部分もあるが、図版や写真がふんだんに使われているため、理解できないことはない。また、ウォシュレットは実は単に機能性に優れているだけでなく、節水という命題にも挑戦しているらしい。水洗トイレの洗浄に使われていた水の量はかつて12〜20リットル/回だったものが現在では4.8リットル/回を達成し、4リットルの壁さえ越えようとしていると聞くと、贅沢さに思い悩んでいた僕もエコロジー(節水)の観点から少しは安心するというものだ。
 ウォシュレットは言ってみれば(ハイテク)電気製品であり、いつもトイレに入るたびに故障してないかなと心配になるんだが、ウチのウォシュレットも今までまったく不調だったことすらない(ま、不調になってもらっても困るんだが)。そういう点でも当たり前のことが当たり前に機能することを大切にしていることがよくわかる製品で、製品に真摯さを感じるのである。そしてその真摯さはこの著者の態度にも共通している。
 日本のもの作りの力量を見せつけられる気がするような本で、もの作りに携わる人間はかくありたいと思わせられる良書であった。
★★★☆
by chikurinken | 2011-11-28 08:24 |

このところ高峰秀子映画が多いことについての弁明、または安物指向の放送に対する苦言

b0189364_9482043.jpg ここのところ高峰秀子の映画をたてつづけに紹介しているが、これは前にも書いたが日本映画専門チャンネルというCS(スカパー)チャンネルで、半年間にわたり高峰秀子特集をやっているためである(日本映画専門チャンネル『総力特集 映画女優 高峰秀子』)。DVDが出ていないものやなかなかお目にかかれない作品も数多く、なかなかやるじゃんというラインアップである。かつては成瀬己喜男特集というのもやっていて、そのときに録画しておいた映画も今まとめてみているため、そのせいで最近高峰秀子作品を多く見ているということになる。このチャンネルは相変わらず力の入ったプログラムを組んでおり、映画ファンにとっては魅力的な存在であり続けている。しかも1カ月525円である。スカパーの基本料金が400円程度なので、このチャンネルだけ見れば900円程度で収まる。以前は30チャンネル以上見れるよくばりパックというプログラムを利用していたが、まったく見ないチャンネルが多くなったこともあって辞めた。
 以前はTBSチャンネルやホームドラマチャンネル(竹林軒『遙かなり 木下恵介アワー』参照)でレアな懐かしドラマが頻繁に放送されていたので、こういうチャンネルを組み合わせて見るには「パック」プログラムでも損はなかった。だがここのところ、こういったチャンネルが韓国の(低レベルの)ドラマばかり放送しているんで、日本映画専門チャンネルとシネフィル・イマジカ(洋画チャンネル)以外全部辞めてしまった。
 韓国ドラマは、「放映権料が安くしかも確実に視聴率が稼げる」ということで放送局側にとって旨みがあるようだが、CSチャンネルで放送する意味が本当にあるんだろうかと思う。地上波だけでなく、民放のBS局でも腐るほど放送しているし、こういうチャンネルは基本的に無料なんで、韓国ドラマのファンであればこういう無料のチャンネルを優先して見るんじゃないだろうか。わざわざCSを導入しようという人々はどちらかと言えばコアなマニアに近く、本当に見たいもの以外はあまり見ない視聴者が多いような気がする。毒にも薬にもならないようなドラマは、少なくともCSのチャンネルにはそぐわないと思うがいかがだろう。TBSはかつて「ドラマのTBS」と言われていて相当なアーカイブを保有していると思うが、あらためて外国のドラマを放送する必要があるのだろうか。そのあたりはまったく理解できないところだ。TBSチャンネルを見る人は、アーカイブ作品を期待しているんじゃないかと思うんだが。そういうわけで僕はTBSチャンネルもホームドラマチャンネルもとうに辞めて、今はまったく見ていない。そんな状況にありながら、日本映画専門チャンネルでは毎月なにかしらのレアな作品が放送されていて意欲的で、とても好感が持てる。これにときどきシネフィル・イマジカを組み合わせるというのが目下のCSの利用の仕方である。
 価格も質も低い「安物指向」をそろそろ見直すべき時期に来ているんじゃないかと思っている。少なくとも僕は、安物は要りません。

本ブログで紹介している高峰秀子関連作品(まとめ)
映画
『浮雲』(映画)
『流れる』(映画)
『放浪記』(映画)
『女性操縦法 “グッドバイ”より』(映画)
『雁』(映画)
『乱れる』(映画)
『カルメン故郷に帰る』(映画)
『銀座カンカン娘』(映画)
『名もなく貧しく美しく』(映画)
『無法松の一生』(映画)
『煙突の見える場所』(映画)
『稲妻』(映画)
『女の園』(映画)


『わたしの渡世日記 (上)』(本)
『わたしの渡世日記 (下)』(本)

高峰秀子が出ていない成瀬己喜男作品
『めし』(映画)
by chikurinken | 2011-11-27 09:50 | 映像

『浮雲』(映画)

b0189364_9103331.jpg浮雲(1955年・東宝)
監督:成瀬巳喜男
原作:林芙美子
脚本:水木洋子
出演:高峰秀子、森雅之、中北千枝子、岡田茉莉子、山形勲、加東大介

 ミキちゃんデコちゃん(成瀬巳喜男と高峰秀子のこと)シリーズの最後は、かれらの最高傑作といわれる『浮雲』。
 この映画、25年前に見ていてそのときはあまりの湿っぽさに辟易したが、それは今回も同様。あまりに湿っぽく、まるで屋久島の長雨(この映画に出てくる)のようだ。見ていて耐えられないほどで、そのために「成瀬己喜男の過剰なセンチメンタリズムがイヤ」という先入観が僕の中にできてしまったのだ。ましかし、成瀬映画が何もかもこういった息苦しさを持っているわけではないことはその後わかったが。
 端的に言ってしまうと、男と戦争で人生を狂わされた女の話ということになるか。画家マリー・ローランサンの詩に「鎮静剤」というのがあって、

悲しい女よりもっと哀れなのは不幸な女です。
不幸な女よりもっと哀れなのは病気の女です。
病気の女よりもっと哀れなのは捨てられた女です。
捨てられた女よりもっと哀れなのはよるべない女です。


と続くんだが、それを地でいくような映画である。登場する主人公は哀れな女だが、しかし哀れさを感じるというよりはむしろ見ていて疲れる。とにかく女と男が近付いたり離れたりで、男女関係の一番鬱陶しい部分が次から次へと突きつけられて、本当に辟易する。特に高峰秀子の投げやりな女性の演技(演技自体が投げやりなのではなく、演じている対象が投げやりなのね)は、自暴自棄さが非常に不快である。高峰秀子自体は好演と言っていいと思うがともかく重すぎる。演出や美術などもよくできていてまったく破綻はないが、とても疲れる映画になってしまった。逆にそういう面が優れていると言えるのかも知れないが、精神的に余裕があるときでないとちょっとつらい映画であることは間違いない。だから公開時(終戦から10年後)、焼け跡のつらい記憶もまだ残っていたはずなのに評価が高かったというのが意外とも思える。10年経っていたせいで人々の間に余裕が生まれていたと考えることもできるが。
1955年度キネマ旬報ベストテン第1位、監督賞、主演女優賞、主演男優賞受賞作
★★★

参考:
竹林軒出張所『稲妻(映画)』
竹林軒出張所『流れる(映画)』
竹林軒出張所『女が階段を上る時(映画)』
竹林軒出張所『乱れる(映画)』
竹林軒出張所『めし』(映画)
竹林軒出張所『放浪記(映画)』
竹林軒出張所『このところ高峰秀子映画が多いことについての弁明』
by chikurinken | 2011-11-26 09:11 | 映画

『流れる』(映画)

流れる(1956年・東宝)
監督:成瀬巳喜男
原作:幸田文
脚本:田中澄江、井手俊郎
出演:田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子、岡田茉莉子、栗島すみ子、中北千枝子、賀原夏子、宮口精二、仲谷昇、加東大介

b0189364_833745.jpg 斜陽になった置屋(芸者の派遣業者)をめぐる女たちの群像劇。
 ストーリーは、起伏はそこそこあるが割に淡々と進むので、途中まで一体どういう話になっていくのか見当が付かなかった。細部に渡るまで非常に丁寧に作られていて、本当に感心することしきりであった。また、出てくる役者が超一流ばかりで、誰が主役なのかもよくわからないほどである。映画雑誌「キネマ旬報」が1985年に(歴代の)「スターBEST10」という企画をやったんだが、そのときの日本映画の女優部門1位が田中絹代、2位が山田五十鈴、4位が高峰秀子というのであるから、この映画のキャストの豪華さがわかろうというもの(ちなみに3位が吉永小百合、同率4位が京マチ子)。しかも往年の銀幕大女優、栗島すみ子まで出ているし、おそらくバイプレイヤー女優No.1である杉村春子まで出てくる。それでまた、出てくる役者の演技がどれもこれもすごく、そばにこういうキャラの人達が実在するかのようであった。切迫感があまりに巧みに表現されているため、途中たてつづけに突きつけられる厳しい現実から目を背けたくなったほどである。そのため、自分が逼迫しているような状況のときは見るべきではないかも知れない。そういう点で、ある意味リアリズムの映画である。出てくるキャラクターの魅力が救いにはなっているが、先行きの不透明さがいつまでも残って爽快さが残る映画ではない。
 派手さはまったくないが、演出や調度などどれも手堅く、隙のない、それでいて豪華な映画であった。成瀬巳喜男のすごみがあらためてよくわかった。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『浮雲(映画)』
竹林軒出張所『稲妻(映画)』
竹林軒出張所『乱れる(映画)』
竹林軒出張所『めし』(映画)
竹林軒出張所『女が階段を上る時(映画)』
竹林軒出張所『放浪記(映画)』
竹林軒出張所『このところ高峰秀子映画が多いことについての弁明』
by chikurinken | 2011-11-25 08:04 | 映画

『放浪記』(映画)

b0189364_8235877.jpg放浪記(1962年・宝塚映画)
監督:成瀬巳喜男
原作:林芙美子
脚本:井手俊郎、田中澄江
音楽:古関裕而
出演:高峰秀子、田中絹代、宝田明、加東大介、小林桂樹、草笛光子、仲谷昇、伊藤雄之助

 林芙美子の自伝小説『放浪記』の三度目の映画化。61年に菊田一夫脚本・演出、森光子主演の舞台が始まっていて、この映画では菊田一夫の戯曲版も原作として扱われているため、舞台の要素も入っているのかも知れない。原作も読んでいない上、舞台も見たことがないので、よくわからない。
 本作は『浮雲』の成瀬巳喜男・高峰秀子コンビで、しかもキャストも高峰秀子と過去に共演している人が多く、成瀬・高峰色が強い映画だと言える。それまでに2回映画化されている人気作品であることを考えても、成瀬巳喜男の味付けがこの映画の魅力になっているのかとも思うが、そこら辺は正直言ってよく分からない。ただ演出は非常に堅実で、『放浪記』の定番と位置付けても良いんじゃないかとも思う。また主演の高峰秀子は、作品公開当時、林芙美子に似ていないと言うことでマスコミにバッシングされたらしいが、非常に好演しており、ちょっと突き抜けた感じがあって、それまでの高峰作品と違った魅力を発揮している。
 ストーリーは、林芙美子の名前が世に出るまでの底辺時代を扱ったものであるため、自身の生活が苦しいときにこの映画を見るとちょっとやるせないかも知れない。当然のことながら、その後林芙美子は文筆家として成り上がっていくので結果的にはサクセス・ストーリーになるが、底辺時代はちょっと救いようのない感じで、本当に救いがなくやるせないのである。こういうのを扱わせると成瀬巳喜男はさすがである。それでまたクズ男が次々に出てくるあたりも『浮雲』や『稲妻』(共に林芙美子原作、成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演)を彷彿させ、成瀬風の味わいが生きている。成り上がったのがせめてもの救いかとも思うが、それについてもあまり達成感が伴わないのが林芙美子的と言えるんだろうか。
 映画では、原作の『放浪記』後の時代も付け足され、作家になって大成した「フミ子」も出てくる。成功してはいるが、これもあまり気分の良いものではなく、爽快感が残るというような映画ではないが、それも成瀬巳喜男らしいと言えば言える。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『浮雲(映画)』
竹林軒出張所『稲妻(映画)』
竹林軒出張所『流れる(映画)』
竹林軒出張所『乱れる(映画)』
竹林軒出張所『女が階段を上る時(映画)』
竹林軒出張所『めし』(映画)
竹林軒出張所『カルメン故郷に帰る(映画)』
竹林軒出張所『無法松の一生(映画)』
竹林軒出張所『女の園(映画)』
竹林軒出張所『雁(映画)』
竹林軒出張所『このところ高峰秀子映画が多いことについての弁明』
by chikurinken | 2011-11-24 08:25 | 映画

『南沙織がいたころ』(本)

b0189364_1052547.jpg南沙織がいたころ
永井良和著
朝日新書

 どんな本出すのも勝手だが、いやしくも学術新書で出すような本なのかという疑問が最後までつきまとった本である。端的に言えば、1ファンによる1アイドル礼賛の本である。アイドル歌手の走りである南沙織の評伝にはとりあえずなっているが、本人に直接取材しているわけではない。あちこちの媒体に出てきた発言や報道を基に、南沙織の歌手生活を再構築していくという本で、結構なイロモノという印象である。
 僕自身、一時期南沙織の歌に大変興味を持った時期があって、CDを集めたりしていたんだが、自分の子ども時代(著者とは年齢が近い)は、彼女に対して同時代のアイドルとしての関心はまったくなかった。特に彼女の歌についてはあの独特のコブシみたいな歌い方がイヤで、当時まったく興味はなく、『8時だヨ!全員集合』にときどき登場して流ちょうな英語を話す国際派アイドルくらいの印象しかなかった。そのため、南沙織のアイドル時代のエピソードなどはあまり知らず、この本で初めて知ったことも多いんだが、それにしてもだからどうなのという程度の知識である。オタクの人がアイドルについて一生懸命語っても周りの人達は白けてしまうという構図に似ている。たとえ語られる内容に興味があっても、そういう語り口に引いてしまうというのか、少し気味悪さも感じる。思い入れだけをぶつけられてもねえ……とも思う。そういうのはネットや居酒屋で語っていただければ十分で、本にまでする必要はあるのか、しかも「いやしくも学術新書」で……と思うのである。というわけで内容は「自費出版」のレベルである。南沙織には関心があるが、この著者には最後まで関心を抱くことがなかった。ごめんなさい。ちなみに僕自身はというと、南沙織への思い入れはネット上で表明しています、はい(竹林軒『シンシア版「妾の半生涯」』)。
 余談だが、以前南沙織のファンサイトの掲示板で、他の方々から疎まれている書き手がいて(なぜ疎まれていたかは不明)、その人がどうも大学の先生だったようで(教え子の学生がどうのなどと書いていたため)、この著者かどうかはわからないが、なんとなくイメージが重なる。
★★☆
by chikurinken | 2011-11-23 10:07 |

『夏時間の庭』(映画)

夏時間の庭(2008年・仏)
監督:オリヴィエ・アサイヤス
脚本:オリヴィエ・アサイヤス
出演:シャルル・ベルリング、ジュリエット・ビノシュ、ジェレミー・レニエ、エディット・スコブ

b0189364_8375018.jpg 老齢の母が死に、そして遺産の処分を巡って争いが起こる。と言っても血肉を争うような家族内の紛糾ではなく、どこにでもよくあるような遺産処分の話。ただ母が優れた芸術品をいろいろと持っているという点のみがそこいらの話と異なる。母は芸術家のようであるが、どうも設定の上では、母と恋愛関係にあった大叔父が有名な画家で、その遺品を守っていたということらしく、母が芸術家であったかどうかはわからない(その辺はよく理解できなかった)。
 特に大きな起伏があるわけでもなく、フランスの田舎町の日常を淡々と描く映画だが、出てくる美術品(コローやルドンの絵、ブラックモンの花器、マジョレルの家具などが出てくる)が本格的……というか、ほとんどが本物らしい。何でもオルセー美術館に借り受けているらしく、元々オルセー美術館の記念事業として作られた映画だそうな。しかも舞台となった田舎町は、ヴァルモンドワという町だか村だかで、ドービニ-がかつて住んでいた(また好んで絵にした)土地だという。したがって風景はバルビゾン風ということになるのかな。とは言っても、映画を見ていて、バルビゾン派の絵画を意識することはなかった。
 同じような老齢の芸術家を扱ったフランスの映画で『田舎の日曜日』(ベルトラン・タヴェルニエ監督)というのがあって、これはまさに田舎に住む年老いた印象派の画家が子や孫の来訪を喜ぶというような話だったが、雰囲気や設定はこの映画と似ている。違うのは、『田舎の日曜日』が印象派風の絵作りに徹していた点で、この『夏時間の庭』には美術作品を意識したような絵作りはあまり感じなかった。ところどころ名画風の描写もあるにはあったが、それが強調されることはなかったように思う。そういうわけで、映画はなんとなく日常風景に終始してしまったような印象を受ける。それでも、人の死に伴う遺品の整理、思い出の整理、残った人々の生きようなどが丁寧に描かれていて、そういう方面の映画としてよくできているとは思う。また、ヴァルモンドワの田舎暮らしが非常に魅力的に描かれているのも特徴的であった。全体的に説明的なセリフが少なめ(おそらく意図的なものだと思う)の、映像を重視した映画である。そのせいでちょっと説明不足を感じた箇所もあった。
2009年全米批評家協会賞外国語映画賞受賞作
★★★
by chikurinken | 2011-11-22 08:38 | 映画

『源氏物語(上)(中)(下)』(本)

b0189364_14544814.jpg源氏物語(上)―マンガ日本の古典 (3)
源氏物語(中)―マンガ日本の古典 (4)
源氏物語(下)―マンガ日本の古典 (5)
長谷川法世著
中央公論社

 中央公論社の「マンガ日本の古典」シリーズの『源氏』。このシリーズ、古典をマンガで翻案するというもので、しかも担当しているマンガ家も相当の腕利きであるため、どの作も質が高い。日本の古典文学にアプローチするにはとても良いシリーズである。『源氏物語』を担当するのは、『博多っ子純情』の長谷川法世である。
 「あとがき」に「まんがの原点を絵巻にみて、本作品は吹抜屋台、逆遠近の描法をつかうことにした」と書かれているとおり、ほとんどが絵巻風のタッチで、現代版の源氏物語絵巻という風情になっている。そのため長谷川法世特有のタッチはあまり出ておらず、アク抜きされたような『源氏』になっている。だがそのためかえって原作の『源氏』に近い味わいが出ているかも知れない。『源氏』のマンガ版はいろいろ出ていて、大和和紀のもの(『あさきゆめみし』)や江川達也のもの(『源氏物語』)がわりあい有名であるが、原作への忠実性という点ではこれが一番かもしれない。ちなみに長谷川法世のもの以外はどれもまだ読んでいないので正確なところはわからない。あくまで想像である。ともかくそういったわけで、現代風の解釈のようなものはあまり入っていないため、1つのストーリーとして読めば、あまり面白味がないのも事実である。元々、教養のために読んでいるようなものなのでその辺はあまり差し支えないのだが、注釈が異様に多いのも読みにくさを助長する原因になっている。ましかし、当時の生活習慣などははなはだわかりにくいので、注釈も必要と言えば必要なのである。それに随所に現れる和歌も内容がよく理解できないものが多く、どっちみち注釈がなければまったくもって始まらないのだ。そういうわけで、僕としてはこういう長谷川法世の方法論がまことに都合が良かったわけだ。
 さて本書であるが、上、中、下の全三巻構成になっており、なかなかの労作である。しかも「桐壺」から「雲隠」まで41章(帖)に別れていて、原作とまったく同じ構成になっている。この後、原作には、光源氏死去後の源氏の子孫の話も存在する(いわゆる「宇治十帖」)が、それは本書には含まれていない。でもこれだけで十分という感じはある。この三巻でも最後の方は食傷気味であった。そもそも教養として『源氏』の内容くらいは知っておきたいという不埒な動機なのである。これまで原文(一部だけ)に当たったり、現代語訳版に当たったりしたが、まったく興味を覚えなかったという経験もある。だから個人的には全体像さえ掴めれば十分で、とりあえず登場人物の人間関係だけでもわかればそれで良いという感じなのだった。で、その初期の目的は、このマンガで十分に達成されたのだ。
 正直、この『源氏物語』、ストーリーとして見れば内容にもまったく共感を覚えないし、どこがそんなに面白いのかもよくわからない。単なる色好みの貴族の話だというだけの印象で、それ以上でも以下でもない。もちろん、現代でも人気を誇っている古典作品ということで尊重はするが、個人的には趣味が合わない類の話である。もちろん、当時の貴族社会の風俗がイヤと言うほど描かれているので、歴史的な観点からの興味はある。そういう意味でも、原典に当たったり、あるいは現代語訳版に当たったりすることは金輪際ないと断言できるので、原作の空気を伝えるようなマンガ、あるいは絵巻物でも良いのだが、そういうものがあったら良いなと思っていた。そういう意味で、長谷川法世版は、僕にとって最高の取り合わせだったと言える。
 このマンガ、総じてよくできているのだが、キャラクターがあまり描き分けされていない(おおむね引目かぎ鼻で描かれている)ため、途中からこんがらがってわけがわからなくなった。ただでさえ、登場人物が非常に多く、しかも関係性が複雑きわまりない(光源氏の愛人がやたら出てくるため)。もちろん、その対策としてか、各章(帖)の最初に、登場人物の相関図が描かれ、またその章のあらすじが紹介されるという、なかなか親切な構成になっていて、わかりやすくするための配慮があって良かったんだが、それでもこの複雑性は度を超している。何度も前に戻りながら読んだため、時間も結構かかった。もちろんこれは原作の問題である。キャラクターの描き分けがあまりなかった点以外は、非常に優れた翻案であったと思う。オーソドックスな描き方だが、大和絵を彷彿させるような絵で、もう一度言うが、現代版の源氏物語絵巻と言えるほどである。恰好の『源氏』入門書と言えるのではないだろうか。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『源氏物語 (上)(中)(本)』
竹林軒出張所『あさきゆめみし完全版(1)〜(10)(本)』
竹林軒出張所『落窪物語 マンガ日本の古典2(本)』
竹林軒出張所『今昔物語(上)(下) マンガ日本の古典8、9(本)』
竹林軒出張所『とはずがたり マンガ日本の古典13(本)』
竹林軒出張所『平家物語(上)(中)(下)(本)』
竹林軒出張所『太平記(上)(中)(下)(本)』
竹林軒出張所『御伽草子 マンガ日本の古典21(本)』
竹林軒出張所『奥の細道 マンガ日本の古典25(本)』
竹林軒出張所『春色梅児誉美 マンガ日本の古典31(本)』
竹林軒出張所『日本人なら知っておきたい日本文学(本)』
竹林軒出張所『セクシィ古文(本)』
by chikurinken | 2011-11-21 14:56 |

『わたしが明日殺されたら』(本)

b0189364_1116827.jpgわたしが明日殺されたら
フォージア・クーフィ著、福田素子訳
徳間書店

 現在、アフガニスタンで下院議員を務めており、次期大統領に近いと言われる女性、フォージア・クーフィの自伝。
 この本を読む前は、ドキュメンタリー、『祖国に幸せを』に出ていたマラライ・ジョヤ(『祖国に幸せを(ドキュメンタリー)』参照)の本だとばかり思っていたが、別人である。ちなみに本書でもマラライ・ジョヤのことが少しだけ触れられていた。いずれにしても、アフガンで議会活動をこのように活発に展開する女性が最低2人はいるということである。だがどちらも常に殺害の危機と隣り合わせで生きている。
 本書は、著者、フォージア・クーフィの誕生(1975年)から現在に至るまでの半生記だが、アフガニスタンはこの時代、歴史上もっとも激しく揺れ動いた時代を迎えている。ムジャヒディンと呼ばれる民兵の跋扈、ソ連の軍事介入、ムジャヒディン勢力による内戦状態、タリバンの支配とまさに激動の時代で、その中で、それまで平和を謳歌していた市民の生活が破壊されていく。中でもタリバン支配の時代(1996〜2001年)は特にひどかったようで、著者によると、文明的な生活が500年前に戻されたかのようだったという話。そしてその悪夢のような時代が、著者の観点から描写される。こういう点で本書は、いわばミクロ的な観点による近代アフガン史になっている。
 暴力と殺戮が日常にあふれ、平然と破壊活動が展開される社会の中で、特に女はその居場所すら奪われていく。ある者は殺害され、ある者は街から逃げ出すが、逃げるにしても決死的な逃亡劇になる。著者によると、この頃アフガンの全人口の3分の1が死に、3分の1が国外に脱出したという話で、アフガンの人口は結局3分の1になった。著者もその間、首都のカブールに移ったり、タリバンがカブールを支配したときは北部に移ったりしているが、その移動はまさに決死的で、非常にスリリングな描写になっている。このあたりの記述はそこいらのハリウッド映画よりはるかに緊迫感がある。また、タリバンの支配地域と非支配地域の空気の違いまで描写されていて、タリバンの圧政が、読んでいてよくわかる。
 著者は、ムジャヒディンの時代に父と兄を殺され、タリバンの圧政時に結婚し、タリバンの暴力によって夫を失うことになる。さまざまな不幸に見舞われながらも、やがて政治を志すようになる。その後、タリバンが米軍によりアフガンから一掃され、アフガンが新しい時代を迎えて民主的な議会が始まると、著者は下院議員選挙に立候補して当選を果たす。さらに下院副議長に就任して現在に至るわけだが、女性でありながらこうした目立った活動を行っているためか、一部の保守勢力に命を狙われている。これまでも脅迫は数えきれず、実際に危険な目にもあったという。そういうこともあってか、本書は自分の2人の子どもにあてた手紙(遺書)として書かれている。だがそれは同時に、世界中の(アフガン情勢に無関心の)人々にあてた現状報告であり心の叫びでもある。一方で、破壊から再建に向かっているアフガニスタンの現状には頼もしさも感じる。多大な犠牲が払われた上での復興ではあるが、それでも悪夢が再び繰り返されないことを願いたいと思う……そういう本であった。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『祖国に幸せを(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『タリバンに売られた娘(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『アフガニスタンの少女、日本に生きる(本)』
by chikurinken | 2011-11-19 11:17 |