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竹林軒出張所

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『デルス・ウザーラ』(映画)

デルス・ウザーラ(1975年・ソ連)
監督:黒澤明
原作:ウラジミール・アルセーニエフ
脚本:黒澤明、ユーリー・ナギービン
出演:ユーリー・サローミン、マクシム・ムンズク、スベトラーナ・ダニエルチェンコ

b0189364_9263183.jpg 黒澤映画で僕が一番好きな作品はこの『デルス・ウザーラ』だったりする。黒澤映画は、大げさな恥ずかしい表現が多かったりする上、演出が雑なことが多いんで基本的にあまり好きじゃないんだが、この映画は外国語(ロシア語)のせいかあまりそういったマイナス面が目に付かず、黒澤映画のダイナミックさなどの強みの方が前面に出ていて、良い仕上がりになっている。
 20世紀初頭のシベリア探検隊隊長、アルセーニエフとゴリド人の猟師、デルス・ウザーラとの交流の話で、原作はこの隊長のアルセーニエフが書いた紀行文である。映画はほぼ全編探検で、舞台はほとんどが森の中。主人公のデルスの名前は、映画では「デルスウ」と発音されていた。ちなみに東洋文庫から出ている原作本のタイトルは『デルスウ・ウザーラ』になっている。
 自然への畏敬の念や先住民の知恵に対する賞賛など、おそらく原作に内在するものなんだろうが、そういうものがうまく描き出されていて、テーマが明確な作品である。全編、ソ連映画らしい無骨さも漂うが、それもまた味と言えば味である。シベリアの自然の雄大さと過酷さ、人間の卑小さも伝わってくる。もちろん黒澤明らしいヒューマニズムも良い具合にちりばめられている。なかなかの快作である。ちなみに見たのは今回が二度目であった(内容についてはかなり憶えていた)。
モスクワ国際映画祭大賞、1975年アカデミー賞外国語映画賞受賞作
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『椿三十郎(映画)』
竹林軒出張所『用心棒(映画)』
竹林軒出張所『蜘蛛巣城(映画)』

by chikurinken | 2011-09-30 09:27 | 映画

アシナガバチ考

   座して死を待つや 軒端(のきば)のアシナガバチ

 夏の終わりになって、アシナガバチが大挙して軒下に集まってきた。
 当初は大変興奮していたようで、そこらあたりをブンブン飛び回っていたが、数日経って落ち着き、軒下にいくつかのグループを作って終結している。その後もときどき飛び回っていたが、やがて飛ぶハチも少なくなり、今はほぼ日がな一日、その場所にじっとしている。この軒下は、毎年のようにアシナガバチが巣を作るところで、今も2年前に作られた巣が残っている。アシナガバチの巣は1年しか使われないので、現状「空き巣」になっていたんだが、この周辺に新しいアシナガバチ軍団が終結し、実際この空き巣にも相当数のアシナガバチが取り付いている。
b0189364_821281.jpg 通常、アシナガバチは、この季節、自分の巣を一生懸命守り、次世代の女王バチを育てる。育った女王バチは草葉の陰などで冬を越し、翌春に巣作りをしてまた営巣するんだが、その女王バチ以外のハタラキバチは冬を前に全部死んでしまうらしい。全員でなんとか次世代の女王バチにたすきをつなぐというイメージで、こうやってなんとかDNAを残そうとする。ところが夏や秋にスズメバチなんかに襲われてしまって、巣を破壊され、次世代の幼虫が捕らえられてしまったら、たすきを渡す相手がいなくなってしまうので、かれらにとってこういった事故は死活問題になるわけだ。
 今回、我が家に大挙して押し寄せてきたアシナガバチだが、どうやら巣を失ってしまったハチたちではないかと思うのだ。本来であれば、この時期、ハタラキバチたちはあちこちで餌を集めたりして幼虫の世話で慌ただしいはずだが、その目的すらもすでに失い、根無し草となって、何もすることなくただ座して死を待つ状態にあるんじゃないかと勝手に推測しているのだ。
 一般的に大挙してアシナガバチが家に押し寄せてきたら人間の側もパニックになったりして、殺虫剤で攻撃したりするが、こうなるとアシナガバチにとっては踏んだり蹴ったりである。アシナガバチはあまり攻撃的ではないと言われるし、今は、かれらが死を受け入れる瞬間までこのまま放置しておこうと思っているのだ。とは言え、以前、ウチの子どもがアシナガバチに突然刺されたこともあるので注意は怠らないようにしなければならない。おそらくそのときは、スズメバチに襲われたかなんかで気が立っていたんじゃないかと思う。今来ているやつは、どのハチもおとなしいもので、なんだか気の毒にさえ思えるほどだ。しかもすでに空き巣になった巣に取り付いているなんて、「思い出の中だけに生きて抜け殻のようになっている人間の図」さえ思い起こさせる。虫とは言え、人ごととは思えないのだな。
by chikurinken | 2011-09-29 08:22 | 歳時記

『色即ぜねれいしょん』(映画)

色即ぜねれいしょん(2008年・「色即ぜねれいしょん」フィルムパートナーズ)
監督:田口トモロヲ
原作:みうらじゅん
脚本:向井康介
出演:渡辺大知、臼田あさ美、峯田和伸、岸田繁、堀ちえみ、リリー・フランキー

b0189364_927119.jpg みうらじゅんの原作による青春映画。
 青春映画は、青臭くて基本的にあまり好きではないんだが、これについてはいけた。青臭さが笑いに包まれているせいか、それともキャストの魅力のせいかはよくわからない。
 イラストレーターのみうらじゅんの(おそらく自伝的な)青春ものでありながら、ストーリーは音楽を中心に回る。そのためもあってか、「くるり」や「銀杏BOYZ」などのバンドのメンバーがキャストとして出演している。本当のことを言うとこの辺の人々のことは全然知らないので、どれがくるりでどれが銀杏かはわからなかったんだが、どの出演者も素人臭さはまったくなく、映画の中で語られる関西弁もさりげなくて違和感はなかった。堀ちえみも『スチュワーデス物語』の頃の演技とは違い、ちゃんと映画にはまった演技をしていた。臼田あさ美の「オリーブ」、峯田和伸の「ヒゲゴジラ」、岸田繁の「ヒッピー家庭教師」が特に魅力的であるが、他の登場人物もどれも魅力的に描かれている。その辺も、この映画の試聴後感を良くする要因になっているんだろうと思う。とは言え、周りの大人たちがちょっと物わかりが良すぎるような気もする。このあたり、みうらじゅんの人間観によるものなんだろうか……と思ったりする。
★★★☆
by chikurinken | 2011-09-28 09:27 | 映画

ハエトリグモとカーソル遊び……未遂

注意:虫嫌いの方、蜘蛛嫌いの方はご遠慮くださいますよう。

参考:竹林軒ネット『渇水や われ泣きぬれて(はいないが)クモとたわむる』
(これを読まないと、今回の話、何のことだかわからないと思います)

 以前、ハエトリグモとマウスカーソル遊びをやったことについてブログに書いた(竹林軒ネット『渇水や われ泣きぬれて(はいないが)クモとたわむる』)が、そのとき心残りだったのが証拠写真を残せなかったことで、このことがずっと心に引っかかっていたのだな。
 ところがつい先日、ハエトリがパソコンの画面上に再来したんである。もちろん6年前とは違うハエトリだが、これはチャンスとばかりにハエトリの元にカーソルを走らせた。マウスカーソル遊びの再現である!
b0189364_10253673.jpg だが今回のハエトリは、前のやつと違ってちょっと醒めていて、カーソルに飛びつくということがまったくない。多少は関心を示すが、結局そっぽを向いて画面の外に出て行ってしまった。今回は写真と映像を残そうと準備していたんだが、残念ながら映像はイマイチのもので、「無関心で画面の外に出て行く」図になってしまった。写真はとりあえずそれらしいものになったが、実際のところカーソル遊びはほとんどできていない。そのため、以前書いた文章にこの写真を添えると、ヤラセに近い感覚になる。
 今回あまりハエトリが(文字通り)食いつかなかった理由は、おそらくハエトリとカーソルの大きさの関係があったんではないかと思う。小さめのハエトリに比してカーソルは大きめである(写真参照)。これではそもそも餌として成立しないではないか。今回のことを反省材料として、また次の撮影機会を待とうと思う(というのは冗談で、たぶんもうやらないと思います)。
写真は「カーソルに迫るハエトリの図」(クリックで拡大します)

by chikurinken | 2011-09-27 10:27 | 日常雑記

『ディア・ドクター』(映画)

ディア・ドクター(2009年・「Dear Doctor」製作委員会)
監督:西川美和
原作:西川美和
脚本:西川美和
出演:笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、香川照之、八千草薫、井川遥、松重豊

b0189364_8164913.jpg 「医は仁術」というけれど、実際の医療となると必ずしもそうはいかないわけで、とは言うもののもう少し患者の側に寄り添うことはできないものかと考えるのが患者の常である。
 この映画は、そういうことについて真っ正面から問いかける話で、プロット自体がなかなか凝っている。それにダイナミックな回想形式も非常に効果的で、シナリオもよくできている。キャストも皆うまく、そういう点ではまったく申し分ない。
 いろいろ考えさせられる意欲的な映画ではあるが、特に前半、間延びした印象があり、見続けるのが少し苦痛であった。展開が静かなためかも知れないが、しかしそうは言っても、この映画の静かな映像もなかなかに魅力的ではある。後半は、ストーリー展開に多少緊張感が出てきたため、だれることはまったくなかった。良質な映画なのであまり内容に触れないようにしているため奥歯に物が挟まったような文章になったが、見て損はない佳作だと思う。この映画を見て、医療について考えてみるのも悪くない……と思います、ハイ。
★★★☆
by chikurinken | 2011-09-26 08:18 | 映画

『脱原発。天然ガス発電へ』(本)

脱原発。天然ガス発電へ 大転換する日本のエネルギー源
石井彰著
アスキー新書

b0189364_17103398.jpg あまり期待せずに読んだんだが、意外に面白かった。知らない事実が非常に多く、いろいろ勉強になる。
 要は、次世代の主要エネルギー源が石油から天然ガスにシフトするという話で、現状でもこのシフトはすでにかなりの程度進んでいるということである。従来の「在来型天然ガス」だけでなく、莫大な埋蔵量がある「シェールガス」と呼ばれる天然ガスが採掘可能になったため、量的にも申し分なく(わかっている範囲でも今後400年分くらいはあるらしい)、しかも天然ガスの成分が自然界に普通に存在するメタンガスということであれば、利用に当たってマイナス要因も少ない。もちろんメタンガスは二酸化炭素以上の温室効果ガスではあるが、効率よく燃やすことができればそういう心配もないということである。事実、現時点で世界中で天然ガス採掘と利用が進められているのであって、現にアメリカの(原発を多数所有する)大手電力会社、エクセロン社も、福島の原発事故以前(2011年3月8日)に、すでに原子力から天然ガスへのシフトを発表していたという話。
 また、天然ガスの場合、コージェネレーション(発電時に出た熱も利用する方法)を利用することでエネルギー効率を現在の2倍近くにすることもできるため、現状より節電効率が高くなるという。つまり同等量のエネルギー源からでも従来よりもエネルギーを余計に取り出すことができるというわけだ。実際に六本木ヒルズでこのシステムによる発電が行われており、先日の電力危機に際して、東京電力にも余剰電力が供給されたということである。また、各家庭、各地域で燃料電池による天然ガス発電システム(コージェネを含む)を導入することも可能で、発電の分散化も現実的になるという。このような天然ガス発電の利点が、この本を読むことでよくわかるようになっている。
 ただし、天然ガスを推すあまり、他の再生可能エネルギーについては相当ネガティブな評価になっているのはいかがなものなんだろう。太陽熱や風力が主役になれないというのはある程度理解できるが、スペインの財政危機が自然エネルギーへの補助金が原因とか、ドイツの太陽光発電が(一般に流布されているものと違って)ごくわずかに過ぎないとか、ホンマかいなと思うことが多かったのも事実。もしかしたら真実なのかも知れないが、世間で言われていることとあまりに差があるので、もう少しきっちりした検証がなければにわかに信じられない。
 ましかし、そういう点を差し引いて話半分で聞いておけば、なかなか役に立つ話も多いし、非常に目新しい情報も得られたことだし、そういう点で良書であると言える。ともかく、天然ガス周辺の事情が非常によくわかる点と非常に読みやすい点を高く評価したいと思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ガスランド(ドキュメンタリー)』
シェールガス採掘の実態が描かれたドキュメンタリー!
竹林軒出張所『プロミスト・ランド(映画)』
by chikurinken | 2011-09-25 17:12 |

『毎日が夏休み』(映画)

b0189364_8555769.jpg毎日が夏休み(1994年・パイオニアLCD)
監督:金子修介
原作:大島弓子
脚本:金子修介
出演:佐伯日菜子、佐野史郎、風吹ジュン

 大島弓子のマンガが原作の映画。会社を辞めた父親と登校拒否の(義理の)娘が繰り広げる実に戯画的な話である。それを意識してか演出も非常に戯画的で、金子修介の初期のにっかつ映画を思わせるようなものだった。
 面白いと言えば面白いし、ま、楽しく見ることができるが、あまりに戯画的な演出に見る側がついていけるかどうかが分かれ目と言える。僕はまあ、なんとか大丈夫だった。調度とか空気感が少しバブル期を思わせるものだったのも目を引いた。
★★★☆
by chikurinken | 2011-09-24 08:58 | 映画

『原発事故への道程 前編』(ドキュメンタリー)

シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論(2011年・NHK)
NHK教育 ETV特集

b0189364_9112654.jpg 日本に原子力発電がどのように導入されたか、その歴史を振り返るシリーズ。
 材料として使用されるのは「原子力政策研究会」の録音テープで、日本の原子力推進にかかわった人々がこの会合で語った講義録である。この番組、内容的には派手さはまったくなく正直言って退屈な部分も多いが、それでも日本の原子力がどのように導入され、どのように推進されたかがよくわかるようになっている。

 ことは1951年のソ連の原子力の産業利用(初の原子力発電の実現)に始まる。これを承けて、アイゼンハワー米大統領が国連で「原子力の平和利用」を訴えたことがそもそものスタート・ラインである。当時、米ソ冷戦時代で核兵器は増加の一途にあり、平和利用という題目は相手国に対する牽制なわけでもある。一方で、特に日本国内では当時電力不足は深刻で、計画停電は日常的に行われ、電気の安定供給は政界、産業界の悲願であった。そんな折、日本でも、この新しいテクノロジーである原子力発電を始めるべきという議論が一部の政治家から出てくる。当時、日本では米国の占領が終わった時期で、原子力研究を再開できるようになったのもその追い風になったようだ。ただし、依然として被曝の記憶が強く残っている時代で、学界内でも原子力に対する反発は強く、結局学界では、原子力研究に対する慎重論が支配することになる。
 そんな中、原子力推進を謳う政治家を中心として、政治サイドから、原子力の研究を進めるよう圧力がかかる。しまいには結構な予算まで付いてしまい、官僚側も使い道がわからないといったありさまで、官も学も手探りで原子力研究にとりかかるという状況になる。これが1950年代終わり頃の話である。
b0189364_9115562.jpg この時点では、官も学も原子力の研究を進めることで自前の原子力発電産業を築くことが前提としてあったが、当時国務大臣を務めていた正力松太郎が、海外の既存の原子力発電設備を輸入して、すぐに導入するよう大きな圧力をかけてくる。こうしてそれまで支配的だった原子力慎重論は一挙に払拭され、政治主導で原発導入が強引に進められることになるのであった。
 そこに飛びついたのが商社で、当時戦後の財閥解体で大ダメージを受け、存続の危機の瀬戸際にあった三井、三菱も、復活のチャンスとばかりに原子力取引に乗り出してくる。これが原子炉導入の推進力として機能することになる。
 やがて研究炉JRR-1が建設され、それに続き、初の商業炉、東海発電所が築かれることになるが、そもそも日本に原子力研究の蓄積がないため、どちらも当初からトラブル続きで、関係者に原子力の困難さを印象づけることになったのだった。そういうこともあり、原子炉のみならず、すべての設備を外注で(GEなどの海外メーカーに)作らせるというターンキー方式が主流になったのもこの時期である。
 さらに、当時の原子力発電はコスト的に火力発電に太刀打ちできなかったため、大幅なコスト節減が求められることになる。当初、福島第一原発の立地予定地が高台にあったにもかかわらず、大地を20m削って海面近くに建設したのも、建築費の節約を図るためであった。また、小型化してコストを大幅に削減したMark I型原子炉を導入したのも、コストが重要な要素になっていたためである。

 正力松太郎を中心とする強引な政治主導、原発を作ることを大前提にした結果もたらされたコスト削減とそれに伴うリスク増大、そういったものが先の福島原発事故につながったということが、このドキュメンタリーでよくわかる。もちろん当時、原発の危険性が関係者にどこまで理解されていたかはわからない(政治家たちは危険性についてまったく知らず「夢のエネルギー」と思っていたフシがある)が、歴史を振り返ることで、問題の原因が少しずつ見えてくるというものである。
 シリーズの後半(次週)は、原発の危険性が徐々に明らかになっていく中で、それに歯止めがかけられない状況が紹介される……ようだ。次回は9月25日夜10時からNHK教育で放送される予定である(『シリーズ 原発事故への道程 後編 安全神話の誕生』)。
科学ジャーナリスト賞2012大賞
★★★☆
by chikurinken | 2011-09-23 09:09 | ドキュメンタリー

石けんで(ハイ)手を洗おっ!

 僕が小学生だったとき、「石けんで手を洗おう」という歌がほぼ毎日給食の時間に流れていた。頭の中にすり込みされており、その後数十年経っているにもかかわらず、いまだに石けんを見るとついこの歌が口に出たりする。
 ネットでもたまにこの歌のことが話題になっていることがあるようで、そのわりには真相がなかなか掴めないようだ。まず一つに、「石けんで手を洗おう」という歌、いくつかバージョンがあって、時代(や地域)ごとに違うようなのだ。僕がこの歌に初めて触れたのはおそらく1971年頃だったと記憶しているが、そのときの歌は、

手を出してごらん ハイ、汚い手!
手を洗いましょ ハイ、石けんで!
女の子、キュッキュ 男の子、キュッキュ
先生もキュッキュッキュ
気分はさわやか青空
食事の前に手を洗おう
ハイ、石けんで手を洗おう

というバージョン。全部うろ憶えである。ところが他にも少なくとも2つのバージョンがある。
 1つ目は

はぁい順番並んで
はぁい順番手を洗おう
汚れた手丁寧に
石けんで丁寧に
泡がもくもく
こんなにぶくぶく
もくもく、ぶくぶく
い〜い気持ちー
石けんで手を洗おう
ハイ、石けんで手を洗おう

というよく似たメロディのバージョンで、歌:天知総子、作詞:伊藤アキラ、作曲:服部克久というもの(YouTube『石けんで手を洗おう』で聴けます)。もう一つは、前の2つと随分感じが違うバージョンで、歌:前川陽子とハニー・ナイツ、作曲:嵐野英彦というもの(作詞者が確認できなかった)。

b0189364_8105048.jpg手 手 汚い手
きれいに洗おう
手 手 汚れた手
きれいに洗おう
親指 ひとさし指
キュッキュッキュ
キュキュッキュッキュ
中指 薬に小指
キュッキュッキュ
キュキュッキュッキュ
日本中で手を洗おう
世界中で手を洗おう(ハイ)
石鹸で手を洗おう
石鹸で手を洗おう

 このバージョンが、実は先日借りたCD(CD『スキャット、ボッサ&シンギング・インストゥルメンタル~嵐野英彦CM WORKS』)に収録されていたというわけ。前川陽子には親近感を持っているが、この歌自体は初めて聞くので懐かしさはまったくない。正直知ってるものとは別物である。おそらく時代が違うんだろう。
b0189364_8112213.jpg で、ちょっとネットで調べたところ、この「石けんで手を洗おう」という曲、日本石鹸洗剤工業会(JSDA)というところが学校キャンペーン用に作った歌ということらしい。JSDAは、1966年に石鹸PR運動を始めて、小学校や幼稚園に石鹸を配布し、あわせてキャンペーン用のソノシートも配布したのではないかと思われる(このあたり少し推測が混ざっているので100%信用なさらないように)。このソノシートが全国の小学校の昼休みに流されたということなんだろう。ちなみにそのときのソノシートは、現在一部の中古レコードショップに出回っているようだ(確認できたのは天知総子バージョンだけだった)。このソノシートのB面の「私は石けん」という歌は、これまたYouTubeで聴くことができる(YouTube『「私は石ケン」 ハイ!石ケンで手を洗おう!』)。
 このように、大勢の人が懐かしいと感じているわりには、情報も少なくしかも音源も出回っていないという、ちょっと珍しい曲である。今回「石けんで手を洗おう」がCDに収録されたのはおそらく初めてで、貴重といえば貴重である。欲を言えば、自分の馴染みのバージョンをCD化してほしいところ。
by chikurinken | 2011-09-22 08:18 | 音楽

『アリアドネの弾丸』(1)〜(11)(ドラマ)

チーム・パチスタ3 アリアドネの弾丸(2011年・関西テレビ)
演出:今井和久、他
原作:海堂尊
脚本:後藤法子
出演:伊藤淳史、仲村トオル、高橋克典、尾美としのり、福士誠治、中村靖日、小西真奈美、安田顕、市川知宏

 『ジェネラル・ルージュの凱旋』に続く『チーム・パチスタ』シリーズ第三弾。
b0189364_9541865.jpg 原作者の海堂尊は、著書『死因不明社会』などで、日本の死因究明のずさんさについて持論を展開している。日本では、事件性が高くても病理解剖されないことが多く(解剖される割合は2%程度)、死因がわからないまま事故死とされるケースが多いことに異を唱えていて、そういう現状において死亡時画像診断(Ai)が持つ意義を強調している(らしい……未読でして)。
 それを受けてということになるのか、このドラマでもAiの重要性、病理解剖の重要性がしきりに強調されており、そういう意味で、海堂尊がミステリー小説を通じてもっとも主張したかったことがこの原作、ドラマに集約されているのではないかと思う。
b0189364_9544791.jpg それを考えるとまったく侮れないドラマと言うことになる。確かにAiや病理解剖の可能性や現状についてはよく知ることができたが、ドラマとしてはなんとももの足りない、というか作りすぎの印象がつきまとう。一般的にミステリー小説というのはこういうものなんだろうか。その手の本をあまり読まないのでよくわからないんだな、正直。話は確かによくできているが、思わず「ないない」と突っ込みたくなるような事件が多い。このシリーズのドラマは特に、○○サスペンスみたいなわざとらしさがないので、特にそういう点が目立つのかも知れないが、いろいろ繰り出しすぎ、やりすぎではないかと思う部分が多かった。
 番組の途中から「真犯人は誰だ!?バチスタ史上最大のプレゼントクイズ」というキャンペーンをやっていて(要は犯人当て)、犯人当てを難しくするためかどうだかよく知らないが、ドラマでは犯人の見込みが二転三転して、結局そこかよという結論になったのは正直ガッカリ。特に最終回で後出しジャンケンみたいに、実はこいつが極悪人なんだよみたいに出されると、もう完全にしらけてしまう。全体的に割合よくできたドラマだっただけに、そういうところがとても気になるのだな。
 キャスト面では、相変わらず伊藤淳史のぶつ切りセリフが気にかかる。グッチ(伊藤淳史)と白鳥(仲村トオル)の関係も今回はあまり新鮮さを感じなかった。一方で高橋克典がうまくはないがすごみを見せた演技をしており、小西真奈美も好演していた。
 今さら気が付いたんだが、白鳥とグッチの関係って、シャーロック・ホームズとワトソンの関係、写楽保介と和登さんの関係ですな……。こういうミステリーには、謎解き担当と狂言回し担当の主役がつきものということですかね。

参考:竹林軒出張所『ジェネラル・ルージュの凱旋 (1)〜(12)(ドラマ)』
   竹林軒出張所『ジェネラル・ルージュの凱旋(ドラマ) まだ途中だが』
   竹林軒出張所『ナイチンゲールの沈黙(ドラマ)』
★★★☆
by chikurinken | 2011-09-21 09:55 | ドラマ