ブログトップ | ログイン

竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

<   2011年 07月 ( 25 )   > この月の画像一覧

『花の名前 向田邦子漫画館』(本)

b0189364_6304912.jpg花の名前 向田邦子漫画館
向田邦子原作、柴門ふみ作画
新潮社

 戦後テレビドラマの三大脚本家と言えば、倉本聰と山田太一、そして向田邦子である。山田太一と倉本聰については、個人的に好きなドラマは多いが、向田邦子についてはあまり強い印象がない。実際、向田作品は数多く見ているはずなんだが、どれもインパクトがない。
 向田邦子は脚本だけでなく小説も手がけている。その向田邦子の短編集『思い出トランプ』を、向田邦子に傾倒しているというマンガ家の柴門ふみがマンガに翻案したのが本書である。柴門ふみのマンガは、絵がきれいで色っぽいが、それがこのマンガでも活かされている。他の柴門作品にときどき見られるような「雑な」感じは一切なく、非常に丁寧に仕上げられている。向田邦子への思い入れのせいか。(絵を白っぽくした)回想の表現や、コマ割りで場面の重要性やスピード感を表現するなど、その表現手法が随所に活かされているのがよくわかる(このあたりの手法については、巻末の久世光彦との対談で種明かしされている)。マンガ化作品としては非常に成功していると思う。むしろ向田ドラマよりもできが良いのではとも思う。いつも感じるような向田ドラマの物足りなさはあまりなく、そこそこ強い印象が残ったことだし。
 とは言え、原作自体についてはやはり薄味の感があり、向田邦子というのはやはりそういう作家なのだなというのも今回あらためて感じた。使われているモチーフも割にありきたりで、人間同士(多くは家族同士)の心の揺れや動きに焦点を当てるというもので、派手な要素がない。むしろ向田ドラマの魅力は、細部に見え隠れする女性的な感性なのだということがあらためてわかったような気がした。そのあたりはこのマンガでも存分に活かされていて、本書の魅力にもなっているが、この女性的な感覚というのが少しばかり冷たさやシニカルな要素を含んでいて、ちょっとだけ嫌な気分にさせさせる。著者の柴門ふみと、巻末の対談に登場する演出家の久世光彦は、その辺を非常に買っているようだが、好みだけで言うなら僕はあまり好きではないな……と思う。
 収録されているのは「だらだら坂」、「はめ殺し窓」、「かわうそ」、「花の名前」、「犬小屋」、「鮒」、「嘘つき卵」、「隣の女」、「春が来た」の全9編で、印象に残ったのは「鮒」、「嘘つき卵」、「隣の女」……かな。あらためて見てみると、どれも似たような印象で、地味と言えば地味なストーリーである、どれも。初出はすべて『小説新潮』。
★★★☆
by chikurinken | 2011-07-30 06:31 |

『手塚先生、締め切り過ぎてます!』(本)

b0189364_7553346.jpg手塚先生、締め切り過ぎてます!
福元一義著
集英社新書

 長いこと手塚治虫のアシスタントを務めていた著者による手塚治虫回想記。
 著者が編集者の時代に手塚治虫に出会い、その後手塚プロに入社してチーフ・アシスタントになるため、非常に近い位置で手塚治虫に接していた。手塚治虫が死去するまで一緒に活動していたことから、本書では非常に身近な手塚治虫像が展開される。手塚がすぐそばにいるような臨場感がある。
 売れっ子マンガ家の実態がわかって面白い上、非常に読みやすい本であるが、手塚治虫という人物に興味がない人にとってはあまり惹きつけるものがないかも知れない。僕自身、手塚マンガで育った世代で、手塚治虫にも思い入れはあるが、それでも、書かれている内容にそれほど興味が湧いたわけではない。エピソード集としては面白いが、ややまとまりに欠けるきらいがあり、本自体のインパクトはあまりない。
★★★
by chikurinken | 2011-07-29 07:55 |

『二十四時間の情事』(映画)

b0189364_8361038.jpg二十四時間の情事(1959年・仏日)
監督:アラン・レネ
脚本:マルグリット・デュラス
撮影:サッシャ・ヴィエルニー、高橋通夫
出演:エマニュエル・リヴァ、岡田英次

 アラン・レネが、マルグリット・デュラスのオリジナル脚本を使って撮った1本。
 原題は『Hiroshima, Mon Amour』(広島、私の恋人)で、舞台は広島。広島の原爆禍をモチーフに、傷ついた過去を持つフランス人女性と日本人男性の一夜の恋を描く。元々は日本市場を意識した映画だったようで、そのために日仏合作になったたという。当時、外国映画は配給枠があって、なかなか日本で公開できなかったが、合作であれば日本映画として公開できたんだそうだ(日本市場は映画の市場として大きく、魅力的だったらしい)。そういう話を聞くとなんだか少し白けてしまうが、この映画に対する映画界の反響は大きかったようで、しかもアラン・レネの長編第一作でもある。またマルグリット・デュラスが映画に関わり始めたのもこの映画がきっかけだという。
 実は、僕自身見るのは二度目で、前回はアラン・レネ二本立て(併映は『去年マリエンバートで』)という大胆な劇場企画だったために、疲れ果ててへばってしまった。そういうわけで内容もあまり憶えていないし、退屈してヘトヘトになった記憶しかなかったのだ。アラン・レネとマルグリット・デュラスのコンビということで、どうしても『去年マリエンバートで』と『かくも長き不在』の二大不条理映画を連想してしまい、この映画も不条理映画だと思い込んでいたほどである、一度見ていたにもかかわらず。実際は不条理映画ではなく、きわめて具体性を帯びたストーリーである。
 もちろん、ハリウッド映画みたいな超具体的な映画ではないんであって、幻想的なシーンが多く、回想もかなり入る。現実と非現実が入り交じるようなショットも多く、文学的な要素が強いため、決して「娯楽映画」とは言えない。詩的なモノクロ映像でストーリーがつながれるが、ストーリー自体には現実感がない。いかにも文学者の作り物という代物である。また日本人男(岡田英次)のくどいセリフが少し鬱陶しくも感じる。マルグリット・デュラスの好きそうな世界で、好みは分かれるところである。
 主役の男女が、街角で見つめ合って恋を語るシーンがあるが、この男女の背景に「お酒あります」みたいなことが書かれた日本語の看板が出ていたりして、日本人の僕が見ると、非常に興ざめに感じるシーンもあった。ああいうのはヨーロッパ人が見ると日本語がエキゾチックに映るのかも知れないが、こういったちょっと失笑してしまうようなシーンがわりとあって、詩的な映像だけに残念といえば残念なのだった。もっともフランス人がこの映画を見た場合、岡田英次のフランス語が興ざめになったりするのかも知れないとも思う。映画で外国人が変な日本語をしゃべっていたりすると、とたんに白けてしまうということがよくあるが(たとえば『キル・ビル』や『紅いコーリャン』など)、そういうまったく余計なことを心配したりもしてしまうのである。そういう意味で合作は要注意なのだ。
1959年カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞、他受賞作
★★★☆
by chikurinken | 2011-07-28 08:37 | 映画

『福島原発の真実』(本)

b0189364_816850.jpg福島原発の真実
佐藤栄佐久著
平凡社

 かつて福島県知事だった著者による、福島県と国・東電との攻防史。それぞれの事件は当時世間を賑わせたはずなのだが、恥ずかしながらまったく記憶になかった。ちなみに本書は、福島原発事故の後に書かれたもの。原発事故前に書かれた『知事抹殺』という本もある。
 著者は、1988年から5期続けて福島県知事を務めていたが、その最中、福島原発の原子炉に異物が混入するという前代未聞の事故を巡って東京電力と対立することになる。その過程で東電や国の対応に失望した結果、県独自で原子力対策の部局を設けて研究を進める。こうして福島県は原子力政策に対して独自のアプローチで理解を深めていくことになる。そのためもあって、その間に持ち上がっていた福島原発へのプルサーマル(プルトニウムを通常の原子炉で燃やすという方式)導入に異を唱えることになる。県民の安全が保証されない限りプルサーマルを受け入れることはできないという理屈である。
 どうしてもプルサーマルを推進したい(ひいては原発で生みだされるプルトニウムをなんとか処理したい)国と原子力産業は、福島県や知事に圧力をかけたり好条件を持ち出して懐柔したりとあの手この手を繰り出すが、その間もデータ改竄の事実の隠蔽や、原発内のトラブルなどさまざまな問題が持ち上がり、県側は逆に態度を硬化させていく。こうしてプルサーマルの実現は延び延びになるのだが、そうこうしているうちに知事の汚職疑惑が持ち上がり、やがて起訴、辞任、有罪判決となり、福島県の抵抗は押しつぶされてしまう。結局、その後任知事がプルサーマルにゴーサインを出し、福島第一原発3号炉にプルトニウムを含むMOX燃料が装填された。そして先日の事故で、このプルトニウムが周辺に放出されたというわけである。
 本書では、知事と国・東電との攻防の他、その背景となるさまざまなデータ改竄、トラブル隠蔽の事実なども紹介され、知事の当事者の視点から国の原子力行政の問題点(というかデタラメさ)があぶり出されている。また、知事自身の逮捕の過程も詳しく書かれており、これが完全に冤罪であるとも主張されている。ちなみにこの汚職事件を担当した検事は、障害者郵便制度悪用事件(いわゆる村木事件)でフロッピーデータを改竄して事件をでっちあげた結果、自身が実刑判決を承けた前田恒彦である。著者によると、この知事汚職事件の立件で味をしめて、村木事件も同じ手法で立件したのではないかと言うことである。知事汚職事件については現在最高裁に上告中であるが、二審では、執行猶予付きの有罪判決ではありながら異例の追徴金なしという判決が出されている(通常汚職事件では収賄額に基づいて追徴金が課されるため、弁護団は「事実上の無罪」と言っているという)。
 国との攻防や事件の過程が詳細に書かれているが、それぞれの事件についてよく知らなかったこともあって、理解しにくい箇所もあった。また推敲が少し足りないと思われる箇所もある。そういうこともあって読むのには少し時間がかかった。しかし「原子力村」と呼ばれる勢力が地方行政のレベルでどのように暗躍し活動しているかよく知ることができるし、冤罪の構図なども窺えて非常に興味深い。
 著者は、原子力行政を押し進める官僚に諸悪の根源があり、政治におけるリーダーシップの不在がその原因だと考えているようで、今の菅首相のリーダーシップ(浜岡原発停止などの件)に期待していると言う。でも原因を官僚の問題だけに押し込むのは必ずしも的を射ていないような気もする。要するに電力会社を甘く見ない方が良いんじゃないかということ。別ルートの情報では、改革派の経産官僚が東電につぶされて失脚した(財界を味方に付けている場合は政治力を発揮できるがそうでないときは脆いらしい)という話も聞く(Newsポストセブン『経産官僚「上層部は原発再稼働を優先課題にしている」と証言』参照)。政財官が三位一体となって目的に向かってばく進したために誰もそれを止められなくなった、つまり「暴走」状態だったんではないかと思うんだ、個人的には。やはり著者が主張するように、強力なリーダーシップか、あるいは外圧(日本人は外圧に弱いからね)でもなければこの暴走を止められないような気もする。
★★★☆
by chikurinken | 2011-07-26 08:16 |

『ゲド戦記』(映画)

b0189364_9512651.jpgゲド戦記(2006年・スタジオジブリ)
監督:宮崎吾朗
原作:アーシュラ・K・ル=グウィン
原案:宮崎駿
脚本:宮崎吾朗、丹羽圭子
出演:岡田准一、手嶌葵、菅原文太、風吹ジュン、田中裕子、香川照之

 宮崎駿の子息、宮崎吾朗の初監督作品。ちなみに先日見た『コクリコ坂から』(竹林軒出張所『コクリコ坂から(映画)』参照)が第二作目。
 内容は(『コクリコ坂から』とは大きく異なり)SFファンタジーで、ジブリお得意の分野という感じもする。演出もこれまでのジブリ作品を引き継いだようなもので、ジブリ色がよく出ている。宮崎駿監督作品といっても通りそうである。そういうわけで『ラピュタ』や『千と千尋』、『ナウシカ』などを彷彿させるシーンや設定が随所に出てくる。別のプロダクションが作っていたら、パロディかオマージュかと感じるかも知れない。
 ストーリー自体は、比較的ご都合主義的で、一昔前のロールプレイイングゲームみたいにやや安直なものである。宮崎駿作品にたびたび見られる、目を瞠るような意外なキャラクターデザインは残念ながらなかった。ジブリ作品の中では可もなく不可もなくという印象だが、アニメ映画の水準で言えばよくできている方だと思う。
 ただし『コクリコ坂』同様、俳優が声を担当しているのはとても引っかかる。「餅は餅屋」ならぬ「声は声優」でしょ、と思う。手嶌葵以外、ちょっと難ありと感じた(ひどくはないが良くはない)。新人の手嶌葵は意外に良い感じで(ま、セリフが少ないこともあるが)、それについてはちょっと予想外だった。この辺は『コクリコ坂』の長澤まさみと共通する。映像も『コクリコ坂』同様、ジブリらしく非常に美しい。
 『コクリコ坂』同様、ストーリーの物足りなさだけがいつまでも残るのであった(『コクリコ坂』よりははるかにマシではある)。
★★★
by chikurinken | 2011-07-25 09:52 | 映画

原発が止まっているのに電気は足りなくならないのか、という素朴な疑問

b0189364_932781.jpg 玄海原発のケースでなにゆえ原発の再稼働をあんなに急いでいたのか……とつらつらと考えていたのだが、「原発がなくても電気が足りている」ことが証明されてしまうと(かれらにとって)ヤバイということなのではないかと思い至った。
 災害と原発事故でドタバタしているさなか、原発に疑義を呈している首相を追い落とそうという政治勢力が表に出て来たのも、電力会社を軸に考えると納得がいく。というわけで昨日出てきたニュース『自民個人献金、72%が電力業界 09年、役員の90%超』。短いので全文を引用。

 自民党の政治資金団体「国民政治協会」本部の2009年分政治資金収支報告書で、個人献金額の72.5%が東京電力1 件など電力9社の当時の役員・OBらによることが22日、共同通信の調べで分かった。当時の役員の92.2%が献金していた実態も判明した。電力業界は1974年に政財界癒着の批判を受け、企業献金の廃止を表明。役員個人の献金は政治資金規正法上、問題ないが、個人献金として会社ぐるみの「組織献金」との指摘が出ている。福島第1原発事故を受け、原子力政策を推進してきた独占の公益企業と政治の関係が厳しく問われそうだ。
2011/07/23 02:02 【共同通信】(『47NEWS』より)


 電力会社の奮闘努力ぶりがうかがわれる。関連する部分に対しては、金と労力を駆使して、とりあえず片っ端から手を付けるという姿勢がうかがえますな。福島原発事故以来、日本の政財界に横たわる(原発関連の)黒い霧が少しずつ晴れてきたようで喜ばしい限り。

 読売、日経の記者が、他記者の原発関連の質問にヤジを飛ばしたというニュースについても原発と電力会社を軸に考える方がわかりやすい。原発反対を受け入れられないんだろう、たぶん。

『読売、日経記者が飛ばす野次の背景に「選民思想」と上杉隆氏』(exciteニュース)

 原発で潤っている勢力に焦りがあるのか、いろいろ動くたびにぼろが出て来て、その背景にある秘密が明るみに出て、結果的にみずから墓穴を掘っている。日本で原発を作り続けるというプラン自体そもそも無理があり、その無理を通そうとするので道理が引っ込む。不正なことをやらなければ貫き通せない世界なのである。
 日本の高い電気料金が原発のせいだということも徐々に明らかになっている。原発を進めて利益を得ることができるのは、日本の社会の中でごく一部である。それだって税金や公共料金を吸い上げているだけに過ぎない。しかも(自分を含め)一般人の普通の生活が担保されている。事故が起こったときの影響は鉄道事故とは比較にならない。ここが一番の問題である。
 電力が自由化したりすると、原発の電気に競争力がないのはあきらかで、原発先進国のフランスでは自由化の対象となっている電力は原発以外の発電部分(25%)のみらしい(原発による75%の電力は自由化対象になっていないという)。原発による発電コストが火力や水力より安いなどという試算が行政から出されているが、論拠すら示されていないため、説得力を持たない。なんなら(一部だけでも)自由化してみたらいい。

参考:竹林軒出張所『あの発電所、関連記事あれこれ』
   竹林軒出張所『あの発電所、関連記事あれこれ その2』
by chikurinken | 2011-07-24 09:33 | 社会

『さよならの夏 〜それはルフラン 頭の中で響くの〜』

さよならの夏〜コクリコ坂から〜
(シングル『さよならの夏〜コクリコ坂から〜』に収録)

b0189364_903171.jpg歌:手嶌葵
作詞:万里村ゆき子
作曲:坂田晃一

光る海に かすむ船は
さよならの汽笛 のこします
ゆるい坂を おりてゆけば
夏色の風に あえるかしら
わたしの愛 それはメロディー
たかく ひくく 歌うの
わたしの愛 それはカモメ
たかく ひくく 飛ぶの
夕陽のなか 呼んでみたら
やさしいあなたに 逢えるかしら

だれかが弾く ピアノの音
海鳴りみたいに きこえます
おそい午後を 往き交うひと
夏色の夢を はこぶかしら
わたしの愛 それはダイアリー
日々のページ つづるの
わたしの愛 それは小舟
空の海をゆくの
夕陽のなか 降り返れば
あなたはわたしを 探すかしら

散歩道に ゆれる木々は
さよならの影を おとします
古いチャペル 風見の鶏(とり)
夏色の街は みえるかしら
きのうの愛 それは涙
やがて かわき 消えるの
あしたの愛 それはルフラン
おわりのない言葉
夕陽のなか めぐり逢えば
あなたはわたしを 抱くかしら

 映画『コクリコ坂から』(竹林軒出張所『コクリコ坂から(映画)』参照)を見て以来、「さよならの夏」ばかり聴いている。映画の手嶌葵版(iTunes Storeで購入)はもちろんだが森山良子版もね。聞き比べてみると、手嶌葵版はつくづくこの映画に最適化されていることがわかる。ノスタルジーをかき立てるような歌唱と編曲で、映画主題歌として非常に優れているように思う。映画はもう一つだったが。
 最初に手嶌版の「さよならの夏」を聴いたときは気付かなかったが、手嶌版には森山良子版にない2番(「だれかが弾く……」)が追加されている。なんでも今回映画化に当たって、ジブリが作詞家の万里村ゆき子に新たに2番の追加を依頼したという(どこで得た情報かは不明)。この詞自体も大変面白い。1番から3番まで同じ箇所で同じような接尾辞が繰り返されるなど、なかなかうまいもんである。もっとも詞の意味についてはもう一つよく伝わってこないようなところもあり、今までさんざん聴いているにもかかわらず、なんとなくぼんやりとした状態が続いている。
 この歌の魅力はやはりなんと言っても坂田晃一の曲で、上下に波のように浮遊するメロディーラインが海を想起させる(そういう意味でもこの映画によく合っていた)。当時、坂田晃一はこういったリリカルな曲をたてつづけに作っており、「さよならをするために」、「冬物語」、「目覚めたときには晴れていた」(どれも日本テレビのドラマのテーマ曲になった)と並ぶと、この作曲家の傾向が見えてくるような気もする。他にも「おしんメインテーマ」や「おんな太閤記」、「春日局」などのドラマのテーマ曲も坂田晃一が手がけている。朝倉理恵が歌った「さよなら、今日は」(これも日本テレビのドラマ・テーマ曲)というのもある。こうして見ると「さよなら」がやけに多いような気もするが、詞を担当したのはどの曲も別人で、坂田晃一がそれぞれの詞に関わったかどうかはわからない(他にも沢田亜矢子の「さよならの行方」という歌も坂田晃一作曲らしい。ただし聴いたことはない)。
 なお、森山良子の「さよならの夏」は『70’s TVヒッツ・コレクション Vol.2』、手嶌葵版はシングル『さよならの夏〜コクリコ坂から〜』『コクリコ坂から歌集』に収録されている。

参考:
竹林軒出張所『母をたずねて三千里 完結版(ドラマ)』
YouTube『森山良子 さよならの夏』
YouTube『「コクリコ坂から」予告編』(手嶌葵の歌が背景に流れる)
by chikurinken | 2011-07-23 09:07 | 音楽

『下流の宴』(1)〜(8)(ドラマ)

b0189364_11412861.jpg下流の宴(2011年・NHK)
演出:勝田夏子他
原作:林真理子
脚本:中園ミホ
出演:黒木瞳、窪田正孝、美波、渡辺いっけい、加藤夏希、余貴美子

 少し前に毎日新聞に連載されていた林真理子の小説をドラマ化したもの。
 中流家庭を理想とする主人公の主婦が、ドロップアウトした息子に対し、下流に落ちないようしきりにプレッシャーをかけ続けるという設定で、近年の階層化社会や無欲な草食系の若者などがモチーフになっている。
 こういう状態を前提にしていろいろな出来事が発生していくという話で、映画の『トウキョウソナタ』から拝借したんでないかい(竹林軒出張所『トウキョウソナタ(映画)』参照)というようなエピソードもある。
 母親の方は自分の偏狭な価値観を息子に押しつけようとするが、息子の方はとりたてて反発もせず、どこ吹く風と言った趣である。僕個人としては、むしろこういう人間の方に魅力を感じるんだが、原作者も脚本担当者もこういう男にはいらだちを覚えるらしい。そこらあたりですでに、このドラマを見ている自分と製作者との間で感覚の乖離が生じるわけで、そのためもあってか、序盤は押しつけがましさが少し不快で、ちょっと受け付けられないという感覚であった(このあたり主人公の息子と同じ感覚か?)。特に黒木瞳(主人公の主婦役)のオーバーな演技と相まって、彼女の主張が非常に差別的で、不快で不快でしようがなかった。しかし、「登場人物に対する不快さ」というのもよくよく考えると製作者側の思惑にずっぽし嵌っているわけで、結局はうまく乗せられているということになる。そしてそういう、いわばプチ悪役みたいな存在がそれなりの報いを受け、視聴者は溜飲を下げるわけで、そのあたりも製作者側の意図通りにことが進んだということになる。少なくとも僕の場合。そういう意味ではドラマとしては良くできていたと言わざるを得ない。
 キャスティングはなかなか秀逸で、若手とベテランがユニークな登場人物を実にうまく演じている。特に、超草食男を演じた窪田正孝と、下品な田舎娘を演じた美波は、実際にああいう性格の人なのかと思わせるほどの快演であった。僕が見る限り窪田正孝はこれまでガツガツした役でしか知らなかったし、一方美波という人は日仏ハーフのモデルというで、エレガンスをウリにしているようだ(ネットの写真で見ると、イメージが全然違うんでビックリした)。オーバーアクトの黒木瞳は、聞くところによると意図的にこういうふうに演じていたらしいが、これについては肯定的に捉えることはできず、やり過ぎで鬱陶しいと感じた。
参考:『下流の宴』公式サイト
★★★☆
by chikurinken | 2011-07-21 11:42 | ドラマ

『アレクセイと泉』(映画)

b0189364_755307.jpgアレクセイと泉(2002年・ポレポレタイムズ社)
監督:本橋成一
音楽:坂本龍一
ドキュメンタリー

 チェルノブイリ原子力発電所から180kmの場所に位置する、ベラルーシのブジシチェ村。チェルノブイリから180kmと比較的離れてはいるが、それでも大地は相当放射能で汚染されているという。いわゆる「ホットスポット」に該当するようだ。ちなみに、映画で紹介される汚染量は1平方キロあたり6〜20キュリーで、森の中は150キュリーに達するところもあるという(これがどの程度の汚染度だかよくわからない→キュリー/平方キロ)。
 チェルノブイリ事故の後、この土地の住民に対し政府から移住勧告が出され、多くの村人が移住した。だが、50人ほどの老人と1人の若者が土地にそのまま残った。その若者が、このドキュメンタリーの主役兼ナレーション担当のアレクセイで、老いた両親と3人で暮らしている。かれらの生活は、大地に根ざした伝統的なもので、ほとんど自給自足。年金や工芸による現金収入もあるが、村人たちは現金に依存しない生活をしているため、現金は割合早く使ってしまうと言う。貯金して残すということもあまりないらしい。家畜も多く、おそらく村人の数よりずっと多いようだが、人と家畜が割合対等に生きているような印象すらある。もちろん、庭で一番威張っていたガチョウ(「将軍」と呼ばれていた)でさえも、お祝いの席で料理にされたりする。人間が自然に密着して生きている様子がよくわかる。
 村には泉があり、村のあちらこちらから放射能が検出されたにもかかわらず、泉の水からは放射能が検出されなかったという。村人はこの泉に依存して生活している。女たちはコミュニケーションに楽しみを見出し、男達は酒のつきあいに楽しみを見出す。それぞれができる仕事に精を出し、大地の中で喜びを見出して生きている。
 チェルノブイリ事故がなければ、なんの変哲もない伝統的な生活だったんだろうが、あの事故のためにかえって、こういった大地に根ざした生き方のすばらしさが引き立つことになっている。何とも皮肉な話である。
 映画は特に大きな起伏もなく、ゆるゆると村人の生活を紹介していくんだが、かれらの生き様が非常に魅力的に映る。金にも技術にも依存しない人間らしい生活の崇高さを感じ続ける104分で、気持ちが洗われていくような印象もあった。本当にあの事故さえなければ、ごく一般的な民俗的ドキュメンタリーになっていたという、そんな映画である。もっとも、映画の中ではあの事故の影響が画面に映し出されることもなく、説明が挿入されるに過ぎない。村の情景も見た目では普通の風景とまったく変わりない。そのあたり、さながらタルコフスキー監督の『ストーカー』のようでもある。
第52回ベルリン国際映画祭 ベルリナー新聞賞・国際シネクラブ賞他、受賞作

参考:竹林軒出張所『ストーカー(映画)』
★★★☆
by chikurinken | 2011-07-20 08:07 | 映画

『コクリコ坂から』(映画)

b0189364_14365920.jpgコクリコ坂から(2011年・スタジオジブリ)
監督:宮崎吾朗
原作:高橋千鶴、佐山哲郎
脚本:宮崎駿、丹羽圭子
出演:長澤まさみ、岡田准一、竹下景子、石田ゆり子、柊瑠美、風吹ジュン、香川照之

 久々のロードショー! といっても別段見たかった映画というわけではなく、時間つぶしで見たのだった。でもしっかり身銭を切ったことだし言いたいことは言わせてもらおうと思う。
 ジブリの映画らしく、背景の美術やキャラクターの動きなどは秀逸で、文句の付けようがない。背景の美術は、背景で終わらせてしまうのがもったいないような詩的なものもある。書き割りだからといって侮れないのだ、全然。
 また音楽もなかなか良い。最初のタイトルバックで『さよならの夏』という主題歌のタイトルが紹介されていたため、もしかして森山良子の『さよならの夏』のリバイバルかと思ったが、まさにそうだった。映画の最後の最後に流され、非常に良い味を出していた。この歌は元々、70年代に放送された同タイトルのドラマの主題歌で、個人的に非常に好きな歌だったんだが、これを手嶌葵が歌っている(ジブリは手嶌葵がお好きなようで『ゲド戦記』に続いて参加)。手嶌葵の歌は、森山良子のように日本語を丁寧に語るようなものではなく、ところどころ空気が抜けるような歌い方で、詞の内容がわかりにくい箇所もあって100%は支持できないが、それなりに独特の色が出ていて悪くない。
b0189364_14562235.jpg これだけ良い材料が揃っていればさぞかし素晴らしい映画になるかと思えばさにあらず。なんだかボヤンとした映画で、もの足りない印象が最後まで続く。そもそも、根本的になぜこういった(低い)レベルの話を、これだけ手をかけてアニメ化しなければならないのかという疑問がずっとつきまとうのである。原作は少女マンガということだが、内容があまりに陳腐で、正直見ていてこけそうであった。互いに恋する少年と少女が、実は血がつながっていたとか言われると、もう結構ですと言いたくなる。この間見た映画(竹林軒出張所『夜のピクニック(映画)』参照)でも同じような設定があったし、『赤い疑惑』の頃からさんざん使いまわされているネタである。そういう安っぽい設定を別にしても、話自体、実に食い足りないストーリーである。どうしてこういうチープな話を宮崎駿が原作としてピックアップしたのか、そのあたりが不思議で、あの人のセンスを疑いたくなる。『耳をすませば』や『おもひでぽろぽろ』で懲りてないのかとツッコミを入れたくもなる。オリジナル作品だと割に水準が高いのに、ホントに不思議だ。
 それからもう一つ、ジブリの映画では、声の担当に声優を使わないで、人気のある俳優を使う傾向がある。保険のつもりなのかもしれない(ファンの集客が見込めるからね)が、今回の映画なんか、主役級がことごとく役者である。正直言ってどの役者も声優としてはまったくなっておらず、声がしっかり出ていないために何を言っているかわからない箇所も多い。また、どの声もハリがなく魅力に乏しい。唯一の例外が主人公の長澤まさみで、こういうことを考えあわせると「長澤まさみって器用だナー」と思う。このあたりも『となりのトトロ』の糸井重里の例や『おもひでぽろぽろ』(あれはひどかった!)なんかで学習してないのだろうかと思う。
 とは言え、音楽(主題歌以外のものも含む)もなかなか面白く、映像が美しくかつノスタルジックなので、見ている分にはなかなか心地良い映画ではあった。劇場で見るのに適していると言える。
★★★

参考:
『コクリコ坂から』公式サイト
竹林軒出張所『ゲド戦記(映画)』

by chikurinken | 2011-07-19 14:37 | 映画