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竹林軒出張所

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復刻終結宣言 またはメリー、メリー・ゴー・ラウンド

これまでのあらすじ
● 讃岐裕子の『ハロー・グッバイ』
● 讃岐裕子、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
● ゆけゆけ裕子、どんとゆけ!

 讃岐裕子という70年代のアイドル歌手のアルバム『メリー・ゴー・ラウンド』の復刻企画の顛末である。
 詳細については上記の過去の記事を見ていただくとして、ここでそのいきさつをまとめておこうと思う。

● 2009年10月頃、ソニーのオーダーメイドファクトリーに復刻のリクエストを出す
● 2009年12月25日頃、オーダーメイドファクトリーの復刻候補として登場
● 2010年6月15日頃、オーダーメイドファクトリーの2ndステージに進出、予約受付開始
● 2010年8月10日頃、復刻決定
● 2010年10月1日頃、復刻

というわけで、本日、発売予定日より1日早く、『メリー・ゴー・ラウンド』が手元に届いた。この復刻には、リクエストを出すところから関わったという自負もあるため、今までの復刻ともひと味違う感慨がある。「この世のやさしさをみんなここに集めたような1日が暮れていく」というような、幸福感、満足感すら感じるのである。
b0189364_1417996.jpg CDを受け取ったからには、早速iTunesに取り込むことになるのだが、通常であればCDDBというデータベースからトラック名(曲名などのデータ)が自動的に送られてくるのだが、今回は発売直後(厳密には発売直前)であるため、いまだデータがCDDBに登録されていない。そのため、CDを入れて「トラック名を取得」コマンドを実行してもトラック名が送られてくることはない。ないものは自分で何とかする……ということで、曲名、アーティスト名などを一生懸命入力し、CDDBに送信した。そういうわけで、他の人がパソコンにこのCDを挿入してトラック名を取得すると、僕が入力したデータが送られることになるのだ。また、ジャケット写真もスキャナーで取り込んで600×600ピクセルで編集した。これで、iTunesに登録された讃岐裕子の音楽データは万全の態勢になったのである。これだけiTunesの音楽にエネルギーを投入する人間も珍しいだろう。このエネルギーを仕事に投入していれば、もう少し生活も楽になっているかも知れない。ま、そんなことはどうでも良い。
 さて、このCDの内容であるが、前にも書いたように、YouTubeの音源をすでにiTunesで聞いていたので、内容についてはとりたてて新鮮さはない。目玉の「ハロー・グッバイ」なんか、去年の7月から102回も聞いているくらいだ。もちろん、直接CDからiTunesに取り込むため、YouTubeの音源よりも音ははるかにクリアで鮮明である(YouTubeの音源には、レコードから取り込んだと思われるノイズが入っているものもある)。
 何よりも一番大きいのは、困難を成し遂げたという充実感である。なかなか手に入らない希少なアルバムを復刻させた(?)上で手に入れたのである。「手塩にかけた……」というような(ある種まったく勘違いの)感慨すらある。こうなったら大盤振る舞いで、スキャンした画像も公開して、今回購入された皆様に利用していただこうと思う。右上の画像は600×600ピクセルで、そのままiTunesで使用すると、按配がよろしいのではないかと思う。購入した方はぜひご利用くださいますよう。

追記:このCDには、元々の『メリー・ゴー・ラウンド』に収録されていないシングル曲もボーナストラックとして収録されている。讃岐裕子の歌手活動のすべてが入っていると言っても過言ではないようだ(1枚のLP、5枚のシングル)。中には、作曲・南佳孝、作詞・呉田軽穂(ユーミンのことね)なんてのもあって、もう少し時代が下がっていたらヒットしたんじゃないかと思われるものもある。残念ながら、讃岐裕子は、そのシングル曲を最後に歌手活動を停止したのだった(おそらく……未確認)。

参考:
竹林軒出張所『讃岐裕子のハロー・グッバイ』
竹林軒出張所『讃岐裕子、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!』
竹林軒出張所『復刻終結宣言 またはメリー、メリー・ゴー・ラウンド』
by chikurinken | 2010-09-30 14:19 | 音楽

『植物はヒトを操る』(本)

b0189364_8421389.jpg植物はヒトを操る
いとうせいこう、竹下大学著
毎日新聞社

 ジャンル分け、というか性質を特定するのが難しい本ではあるが、面白い本である。いとうせいこうと竹下大学の対談をそのまま本にしたものであるが、基本はいとうが竹下に話を聞くという構成である。竹下大学という人は、世界的に有名な育種家ということであるが、僕などはそもそも育種家というのがどういうものかすら知らない。そのあたりは本書のはじめの方で詳細に明かされるのだが、つまりは植物を交配させていろいろな形質を発現させるのが生業ということらしい。要は植物の専門家ということである。僕は常々言っているんだが、専門家やマニアの人が楽しく話すことがらというのは聞いていても面白いものである。したがって本書も、この竹下氏の話をうまく引き出せれば非常に面白いものができるわけで、そのあたりいとうせいこうの腕次第ということになる。で、実際いとうがうまく話を引き出していて、植物関連のこと限定であるが、内容は多岐に渡っており、歴史から生物学、自然人類学あたりまで広範囲に広がっている。いわば「植物の雑学」みたいな内容になっている。内容的には多少難しい部分もあるが、人の口から語られることがらであるためわかりやすい。また、各章ごとに内容を箇条書きでまとめたページがあり、そのあたりも親切。
 タイトルになっている「植物はヒトを操る」であるが、これは竹下氏のバックグラウンドになっている考え方らしい。育種家という職業柄、植物の性質を操作するわけだが、実際は人間の方が植物にうまく利用されているのではないかと感じることが多いと言う。植物は、生殖のため花の形や色などを変化させて進化している。遺伝子を残すという目的のために、蜂などの花粉媒介者を引き寄せるような形や色に進化したというわけだ。一方で、人に栽培されている花の場合、野生では存在しない色が出てくるという。また、そういう花が人によって大切にされ、結局その花が人の手で栽培されることになる。結果的にその花は、遺伝子を残すことに成功しているわけだ。つまり遺伝子を残すという目的のために、これまで昆虫向けに形質を変化させてきた植物が、人向けに形質を変化させているということで、昆虫だけでなく人までもうまいこと利用しているのではないかと感じるというのである。植物がどのように形質を変化させてきたかについても解説があり、「植物はヒトを操る」説に説得力を持たせている。
 先ほども言ったように、この本の内容は多岐に渡っているため、この「植物はヒトを操る」という話も、一つのテーマに過ぎない。この本は要するに、マニアの話をじっくり聞ける本であるということである。僕のような、植物について知識が乏しい人間でも楽しめる好著である。

★★★☆
by chikurinken | 2010-09-28 08:42 |

『病院で死ぬということ』(映画)

病院で死ぬということ(1993年・オプトコミュニケーションズ)
監督:市川準
原作:山崎章郎
脚本:市川準
出演:岸部一徳、山内明、塩野谷正幸

b0189364_17511786.jpg この映画を初めて知ったとき、このタイトル(「病院で死ぬということ」)が非常に印象的で、病院で死ぬということについて真剣に考えるきっかけになった。原作は医師が書いたノンフィクションである。
 タイトルからしてインパクトがあり、主張するところもおおむね察しが付くが、病院での死について思いを巡らせる映画である。映画自体は、演出方法がきわめて異色で、映画全体を通して静かな空気が流れる。カメラは最初から最後までほぼ定点撮影で、病室のベッドに(足下の方向から)俯瞰で正対している。入院してくる人々とその家族が、隠しカメラのような映像で映されるが、やがて病室を移って(そこでも同じような映像の定点撮影)、自らの死を知って取り乱し、やがて運命を受け入れ静かに余生を送るという流れになる。撮影の対象となるのは、3人の患者で、もちろんすべて役者が演じているが、どの俳優も無名でしかも演技も自然なため、ドキュメンタリーを見ているような錯覚さえ覚える。当然のことながら、それぞれの患者で振る舞い方や対応が少しずつ異なるが、基本は病室内で活動しているシーンになる(臥していることを含め)。
 とにかく普通の映画と随分趣が異なり、クローズアップもなければパンもない。定点カメラの映像が延々と続くのである。だからといって、見ていて退屈するようなこともなく、見ているこちらも自然にその空気に同化していく。このあたり市川準の映画に共通する特性である。また、このドラマ(?)部分の間に、日常的な風景、たとえば街を行き交う人々やお祭り、子どもや犬など、そういったありきたりの風景が流されるが、見るわれわれの方も入院患者(つまり死に行く人々)の目線になっているため、こういったささいな風景が非常に新鮮に映る。自分の余生が短くなったときもこういう印象を持つのかと感じるような演出で、非常にすばらしい。メッセージ性の強い(といってもまったく押しつけがましくはない)映画であるが、ほろりとするようなシーンもあり、エンタテイメントとしても優れた一面を持っている。見終わった後、心が洗われるような浄化作用を持った映画であった。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『大病人(映画)』

by chikurinken | 2010-09-27 17:51 | 映画

『リベリア 再建への模索』(ドキュメンタリー)

リベリア 再建への模索 〜内戦終結から3年〜
(2006年・米 スティーブン・ロス)
NHK-BS1

b0189364_931401.jpg 西アフリカの小国、リベリア共和国の情勢についてのドキュメンタリー。僕を含め、ほとんどの日本人は、リベリアについてはまったく知識が(そして関心も)ないと思うが、世界の最貧国とされるハイチやシェラレオネなどと同様、まったくひどい状況になっている。そしてそれぞれの状況が非常に似ているというのも注目に値する。
 このドキュメンタリーでは、リベリアの近代史が語られ、2006年現在の状況についても知ることができる。大雑把に言うと、リベリアには元々天然資源があり比較的富裕な国であったが、80年に起こった軍事クーデターをきっかけに政情が不安定になった。決定的になったのは、89年のチャールズ・テーラーによる軍事クーデターで、それ以降、2003年の国連の介入まで、深刻な内戦状態が続く。内戦でズタズタになった国を復興させるべく、民主的な選挙までの暫定政府が樹立され、民間の軍事解除が進められるが、政府には腐敗が横行し、市民の反発が強まっていく。その後、2005年の大統領選挙で、エレン・ジョンソン・サーリーフ女史が勝利し、実質的に内戦状態が終結することになった。残念ながら、このドキュメンタリーが製作されたのが2006年であるため、ここまでが扱われていて、その後についてはわからない。ただ、内戦時代に横行した非人道的な残虐行為はいまだに市民に傷として残り、平和を望む人々が多いのも事実のようだ。再建に向けての前途は多難だが、今後の動向が注目される。
 このドキュメンタリーでは、このような一般的に知られていない事実を、非常にわかりやすく伝えている。内戦時代の映像や写真を随所に交えながら、そのあたりを非常にうまくまとめ上げていた。啓蒙の番組としてその役割を十分果たしており、質も非常に高かった。

★★★☆
by chikurinken | 2010-09-26 09:33 | ドキュメンタリー

攻撃性

 最近、街を自転車でウロウロしていて、カチンと来ることがやたら多くなった。たとえば、走行中に割り込まれたりとか、無理な追い越しにあったりとかすると、ついつい我を忘れて、追いかけていって殴りつけてやりたくなったりする(実際にはそんなことしませんが)。そういう状況になると、頭に血が上って、アドレナリン大放出という感じになり、ちょっと忘我の状況が続いてしまう。そうすると今度は、別の他人の敵対的な視線が気になったりして、ナンダコノヤロ的な視線をこちらもとばしたりするのだ。結局、こちらも、他人に対して同じような所作をして不快感を与えることになったりしている(かもしれない)のだ。後で考えてみると、実に馬鹿馬鹿しく、子供じみているし、しかも危険性だって伴う。良い大人がみっともないというものである。
b0189364_8112491.jpg ただ、こういうことが続くと、こちらも少し反省を迫られることになる。せっかく気候がよくなって、街並みが美しくなろうかというこんなときに、こんな馬鹿げたことで心乱されるのは実につまらないものである。というわけで以前読んだ『すぐカッとなる人びと ― 日常生活のなかの攻撃性』という本をもう一度読んでみた(とばし読みではあるが)。この本は、日常的な怒りやいさかいについて探求し、そういった類の問題をどうすれば回避できるようになるかを説いたすばらしい本である。
 なぜ人が日常的に怒りを感じるかというと、その瞬間に自分が攻撃されていると感じるからだというのがこの本の主張である。つまり、僕が自転車で割り込みされて頭に来たのは、相手が自分に対して攻撃性を抱いているとこちらが感じたためである。「相手の攻撃に対して攻撃または防御を」という本能が働き、脳内でアドレナリンが放出され、興奮状態になった……というのが本書の言い分に従った解釈である(多分)。これは同僚や家族と言い合いになったり喧嘩になったりする場合も同様である。冷静であれば、たとえば割り込まれたとしても「あいつは急いでいるんだろう、オレはヒマだから先に行かせてやろう」というくらいの余裕が出るんだが、こちらが冷静でないとき、つまりストレスにさらされているときなどは、自分に対する攻撃性を感じやすくなる。したがってこういう状況で怒りを爆発させないためには、(本書によると)極力冷静でい続け、相手の行動に攻撃性を感じないようにすることが大切である。
 確かに僕はせっかちで、自転車でもいつも割とスピードを出しており、前を別の自転車が遅い速度で走っていると少しイラッとして脇をすり抜けていくということが多い。というわけで今日は、極力ゆっくり進むことを心がけて外出した。おかげで心に余裕ができたようで、走行中も、涼しくなった風が非常に心地良かった。最近カチンと来ることが多かったのも、おそらく忙しかったりしてこちらにストレスが溜まっていたせいだと思う。自分の心持ちくらい律することができないようでは「まだまだ青い」と言われても仕方ないというものだ。
 さて、自分の心をしっかりコントロールできたとしても、それでも周りにはどうしようもなく攻撃的な人というのがいるものである。また、そういう人間が集まる状況というのもままあるが、そういうときはどう対処したらいいのか。『すぐカッとなる人びと』では、極力そういう人や場を避けるようにすることが推奨されている。これもあまりに当たり前の結論のようではあるが、実は非常に有用である。僕も過去、そういう人間が同僚にいたが、そういう人間は当然あちこちでトラブルを引き起こしている。僕も非常に不快な思いをさせられたことがあるが、そのためもあって結局距離を置くようになった。で、結果的にはそれが正解だったと思う。こういう人はもうどうしようもないのであって、おおむね皆から嫌われている。であるから対等につきあう必要はまったくないのだ。遠ざけるのが一番である。
 この本を再読して、自分の中のモヤモヤが吹っ切れて、浄化されたような気分になったのである。この本は本当に良い本だとあらためて思ったのだった。
by chikurinken | 2010-09-25 08:11 | 日常雑記

『女ともだち』(映画)

女ともだち(1956年・伊)
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
原作:チェーザレ・パバーゼ
脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ、アルバ・デ・セスペデ
出演:エレオノラ・ロッシ=ドラゴ、イヴォンヌ・フルノー、ヴァレンティナ・コルテーゼ

b0189364_2234566.jpg 原作はチェーザレ・パバーゼの小説『孤独な女たちの中に』だそうだ。といっても、著者も作品もまったく知らないが。ただミケランジェロ・アントニオーニといえば、50〜60年代のイタリアを代表する巨匠で、そのわりにはいまだに作品を見たことがなかった。最初に見た映画がこの『女ともだち』ということになるが、最初の作品としてはちょっとどうかなという感じである。
 とにかく、話がごちゃごちゃして、途中何が言いたいのか皆目わからなくなった。ストーリーは、しっかりしたものが存在するんだが、とにかく主役級の登場人物が多くわけがわからなくなる。要は、仕事より愛をとった女と、愛より仕事をとった女の対比ということなんだと思うが、もしかしたらピントを外しているかも知れない。
 アントニオーニは「愛の不毛」を描くことがうまいらしいが、僕の印象としては、イタリアのブルジョア階級の退廃というか性的な開放性が印象深かった(フェリーニの『甘い生活』に通じるようなもの)が、そういうのがテーマでもないようだ。当時のイタリアの状況と今の日本の状況がどのように違うかもよくわからないし、ともかく、内容がボヤーッとしていてピンと来ないのである。そういう点では、この映画に普遍性がないのかも知れない。こういうやり方がアントニオーニの方法論なのかどうかはわからないが、正直少しがっかりである。まあ、もう2、3作は見るつもりだが。
 ただしモノクロ映像は、コントラストが効いていて非常に美しい。このあたりは先日の『汚れなき悪戯』にも通じるが、モノクロ撮影技術の頂点と言ってよいもので、当時の撮影技術の高さがうかがわれる。
ヴェネツィア映画祭銀獅子賞受賞


★★★
by chikurinken | 2010-09-23 22:36 | 映画

竹林軒ネットのホームページは……

b0189364_17111871.jpg 竹林軒ネットのホームページは、この「竹林軒出張所」とリンクしたアーカイブ・ページで、BiNDというソフトを使って作っている。先日、このBiNDがバージョン4.0にアップグレードしたこともあって、この際、ホームページに少し手を入れようかと思っているところだ。
 「竹林軒」ホームページで確認してみると、前回更新したのが去年の10月ということで、つまり約1年間更新していないことになる。最新の新着情報を掲載した日付が2009年10月23日になっており、しかもご丁寧に「New」というアイコンまで付いている。おそらくこれもBiNDのアップグレードに伴って更新したではないかと想像できるが、「アーカイブ」として機能させるためには、本当のところ、1カ月に1回は更新させたいところである。
 それはともかく、例によって、このブログの過去の記事からよくできたものを選んで、傑作選としてまとめるわけだが、今日その作業のために過去の記事を読んで(ついでに校正もして)いたのだが、結局丸1日かかってしまった。しかも選んでみると、なんと50件も掲載候補として残ってしまったのである。僕のブログがおそろしく傑作揃いなのか、基準がおそろしく甘いのかは判然としないが、50件もまとめて載せるということになるとかなり時間がかかりそうである。
 しようがないから、とりあえず美術作品でも追加しようかと思っているところである。実は、美術作品の追加が結構面倒な作業で、写真撮影した上で、画像の明るさや階調を調整しなければならない。下手をすると1日仕事になる。だがこの面倒な作業は、先日、重い腰を上げてついにやり遂げたのであった。あとはホームページに載せるだけで、これだったらハードルが低い(もっとも低ければ低いで、後回しにしてしまい、なかなか手を付けないということも多い)。
 BiNDも少しずつ進化して使えるソフトになってきているので、竹林軒も少しは使えるホームページになるべくグレードアップしなければならない……と決意を新たにしているところである。もっとも大体の場合、決意だけで終わってしまうのが、世の常、私の常であるが。

追記:ちなみにこの程度の記事のグレードでは「竹林軒傑作選」に入れるわけには行かない。
by chikurinken | 2010-09-21 17:12 | 日常雑記

『若き皇后 シシー』、『シシー ある皇后の運命の歳月』(映画)

b0189364_11343120.jpg
若き皇后 シシー(1956年・墺)
シシー ある皇后の運命の歳月(1957年・墺)
監督:エルンスト・マリシュカ
脚本:エルンスト・マリシュカ
出演:ロミー・シュナイダー、カール=ハインツ・ベーム、マグダ・シュナイダー

 シシー(エリーザベト・オーストリア皇后)三部作の、第2作目と第3作目である。スタッフもキャストも共通で、話も1本の映画のように続いている。ちなみに第1作目の『プリンセス・シシー』も同様。3本をひとまとめにすると長すぎるし、商業的にもいろいろ不利なので、便宜的に3つに分けたのか……その辺の事情はよくわからない。
 第2作目は、フランツ・ヨーゼフ1世との結婚から出産まで、第3作目は、育児から大病、平癒までを描く。年代にしてみると1954年から7〜8年間くらいか。この後、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争、普墺戦争が発生して、オーストリア帝国およびオーストリア皇室は激動の時代を迎えることになる。
b0189364_11354981.jpg 映画では、シシーの生活面が描かれ、姑(ゾフィー大公妃)との確執や大病が中心となる。演出はありきたりで特筆することもない。学習教材のような映画であった。出てくる人達が善人ばかりというのも、安直さ、ひいては作品の薄っぺらさの原因になっている。王室なんだからいろいろ周囲との確執もあろうにと思うんだが、そのあたりは当たり障りのない描き方で終わっている。
 映画自体は、特に感じることもなく、テレビ・ドラマのような感覚で、流すように見ていたが、やはり気になるのは、シシーを演じていたロミー・シュナイダー。『プリンセス・シシー』の項でも書いたが、『ルートヴィヒ』のシシー役はちょっと怖い印象で、本作のシシー役は可愛い王妃の役。ものすごいギャップがある。
 かつて、高校社会科の資料集に、ヴィクトリア女王(英国)の若い頃の麗しい肖像画が載っていて、そのために、ヴィクトリア女王に対してはアイドルに近い印象を持っていた。ところが、予備校の同級生が持っていた社会科資料集(僕のとは別のもの)には、女王の別の肖像画が出ており、それは年をとってからのものだったのだが、あまりの違いに唖然としたのであった(そのとき、僕の資料集をその同級生にも見せたのだが、彼も唖然して「こげん変わると?」と呟いていた)。僕の資料集に載っていたヴィクトリア女王は、非常に可憐で美しかったが、同級生の資料集に載っていたヴィクトリア女王は、さながら妖怪のようであった(政治的にも妖怪のようだったようだが)。で、今回のロミー・シュナイダーには、それに近い印象を受けるのである。そういうこともあって、もう一度『ルートヴィヒ』を見たいと思った。ちなみに『ルートヴィヒ』は過去2回劇場で見ている(京都、銀座)が、前回見たときは、2回目であったにもかかわらず、途中から最後まで熟睡してしまったのだ。今まで見た映画の中でもっとも長い時間眠っていたという、僕にとって記念碑的な映画でもある。いやいや、良い映画なんだけども。
★★★

注:各映画のタイトルは、NHK-BS2放送時のものを使用しました。また、文中、習慣に基づいて、オーストリア王妃のことを「エリーザベト」と表記しましたが、「エリザベート」と表記されることも多いようです。映画中の発音は「エリザベート」に近いように感じました。

参考:
竹林軒出張所『プリンセス・シシー(映画)』
by chikurinken | 2010-09-20 11:37 | 映画

『プリンセス・シシー』(映画)

b0189364_17292622.jpgプリンセス・シシー(1955年・墺、西独)
監督:エルンスト・マリシュカ
脚本:エルンスト・マリシュカ
出演:ロミー・シュナイダー、カール=ハインツ・ベーム、マグダ・シュナイダー

 19世紀後半のオーストリア王妃、エリーザベト(シシー)と、オーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世との世紀の恋を描いた映画。この映画には続編が2本あって、その後のエリーザベト王妃の悲劇的な生涯も描かれるようだが、正直あまり見たいと思わない。その程度のデキの映画であった。当時のアメリカ映画のような安直さと脳天気さで、かなり退屈に感じたためである。最近までこの三部作は日本未公開であったらしいが、そういう話を聞いてもあまり食指が動かない(すでに録画済みではある)。
 ただ1つ、この映画で注目に値するのが、主役のシシーを演じているロミー・シュナイダーである。ロミー・シュナイダーと言えば、僕にとって一番印象深いのが、ルキノ・ヴィスコンティが監督した『ルートヴィヒ』での演技である。この映画では、主人公のルートヴィヒ2世と親しい関係のいとこを演じていたが、どうもこの『プリンセス・シシー』を見ているうちに、『ルートヴィヒ』で演じていた役柄とこの映画で演じている役柄が同一人物のような気がしてきた。両方とも19世紀後半のバイエルンの貴族であるし、少なくとも双方の役柄の人物はかなり近い時代、地域に住んでいたのではないかと思い、見終わった後、ヤホーで調べると、案の定、同一人物なのだった。つまり狂王ルートヴィヒが恋心を抱いていたいとこは、エリーザベト王妃だったというのである。つまり、ヴィスコンティ監督は、『ルートヴィヒ』において、この『プリンセス・シシー』を踏まえた上で、ロミー・シュナイダーにエリーザベトを演じさせたわけである。
 また、ロミー・シュナイダーについてよくよく調べてみると、この『プリンセス・シシー』が代表作になったということで、ロミー・シュナイダー自身が、この映画のために「シシー」という愛称で呼ばれていたらしい。この映画が永らく日本未公開であったこともあり、こういう話もまったく初耳だった。つまりあれだ。たとえば黒澤明クラスの巨匠監督が、たとえば千利休の映画を作るときに、大河ドラマで豊臣秀吉の当たり役をとった緒形拳(『太閤記』と『黄金の日々』で二度秀吉を演じている)を秀吉役として使うという、そんな感じだと思う。実際『ルートヴィヒ』でのロミー・シュナイダーは、ミステリアスで、ちょっと恐怖感さえ感じさせるような役柄であった。ただ、『プリンセス・シシー』のエリーザベト役は浅薄で、ちょっと同一人物には見えない。それに、同じ役者であるということさえ、名前を見なければ気付かなかったんではないかと思う(年齢も違うが)。それくらい、映画の奥深さもロミー・シュナイダーの印象も、両方の映画でまったく違う。これがつまり、映画の格ということになるんだろう。そういうわけで、『ルートヴィヒ』との違いばかりが目立つ映画だったのだった。
★★☆

参考:
竹林軒出張所『若き皇后 シシー、シシー ある皇后の運命の歳月(映画)』
by chikurinken | 2010-09-18 17:30 | 映画

『汚れなき悪戯』(映画)

b0189364_1256090.jpg汚れなき悪戯(1955年・西)
監督:ラディスラオ・ヴァホダ
原作:ホセ・マリオ・サンチェス・シルヴァ
脚本:ホセ・マリオ・サンチェス・シルヴァ、ラディスラオ・ヴァホダ
出演:パブリート・カルヴォ、ラファエル・リベリュス、アントニオ・ビコ

 スペインの修道院で繰り広げられる奇蹟の物語。抹香臭い題材ではあるが、映画としては子どもの視点がよく描かれていて、むしろそういう部分が面白かった。イタズラ坊主のマルセリーノがとても可愛く、演技も自然。というより演技だと感じさせないからスゴイ。
 映画のストーリーは、『禁じられた遊び』や『木靴の樹』に通じるような、破滅的な悪戯の話かと思ってハラハラしたが、無難なところに落ち着いて、見ているこちらは安心……といったところ。モノクロの映像が、コントラストが効いていて非常に美しい。詩的な映像があふれ、映像的にも優れた作品である。
ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞


★★★☆
by chikurinken | 2010-09-16 12:56 | 映画