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竹林軒出張所

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日本映画の「文革のようなもの」

 このブログでは、映画とか本とかについていろいろ批評みたいなことをやっているんだが、非難めいたことを書くのは極力避けたいと常々思っている。批評は賞賛が基本である。やはり作る方にも事情があるわけで、たとえダメな(だと思える)ものであっても、公の場所で難癖を付けるのは考えものであると思う。ましてや、批判の内容がトンチンカンな場合(往々にしてそうなるが)は、批判する側にとっても批判される側にとってもちょっと救いようがない。批判される側から見ると、たとえそれが駄作であっても、公然と言われると良い気持ちがしないものだ。Amazonのレビューを読むと、ときに、「上から目線」で悪意のある文句をつけているものもあるが、読んでいて胸くそが悪くなる(もちろん批判レビューにも良いものはある)。トンチンカンなことが書かれていると、逆に、書いている方の知性が疑われてしまうというものである。

 さて、ここまで言い訳めいたことを書いてですね、ちょっと今回は批判みたいな感じになるんですね。気分が悪くなりそうな方は、飛ばしてくださいませ。

 昨日『青春の蹉跌』(1974年・東宝)という映画を見た。監督:神代辰巳、脚本:長谷川和彦、撮影:姫田真佐久、出演:萩原健一、桃井かおり、檀ふみという豪華スタッフ、豪華キャストの映画だったんだが、映画の構成が支離滅裂で、10分過ぎから時計との格闘になり、結局30分でリタイアして、その後は飛ばしながら見た。でも、最終的に飛ばし見は正解だったと思っている。
b0189364_93738.jpg この頃の映画によく見られる、実験的な映像みたいなものもちょくちょく出てくる。だが、どれもピントを外していると感じた。映画の流れからはむしろ邪魔である。キャストに対する演出も良くないし、妙にすかした恰好をしたショーケン(しかも体育会系の学生!)も、まったくリアリティがなく浮きまくっている。カメラも近すぎて窮屈で気分が悪くなる。何より脚本が良くない。悪いがデタラメに近い。シナリオ学校の生徒が書いているかのようで構成がまったくなっていない。映画は作る側が一方的に流し続ける芸術であるため、見る側のこともある程度配慮してもらわなければならない。先進的なつもりかしらんが、こんな作り方をされてはついていけない。
 学生の頃、映画館でこういう類の映画をよく見たが、途中で過剰に疲れてしまって、劇場を出るときはどんよりとした倦怠感のみが残った。この手の映画を名作だとか芸術だとか持ち上げる風潮が当時あったせいで、こういうものが過剰に評価された時代があった。ちなみに、この映画も、キネマ旬報ベスト10で上位にランクされていたし、当時社会的に高く評価されていたのだろう。だが僕は、こういう映画は一種の「裸の王様」だと思っている。ダメなものはダメ!とはっきり言った方が良い。さすがに最近の日本映画でこの手のものは少なく、映像によく慣れている世代が作っているせいか、ある程度の調和というか整合性が保たれている。前の世代を反面教師にしたのかどうかはわからないが良い風潮だと思う。もっとも当時の作り手たちに言わせると「予定調和で面白くない」ってことになるんだろうが(僕もかつて某ライターに似たようなことを言われたことがあるが)。
by chikurinken | 2010-04-30 22:28 | 映画

『夫婦善哉』(映画)

b0189364_8223980.jpg夫婦善哉(1955年・東宝)
監督:豊田四郎
原作:織田作之助
脚本:八住利雄
音楽:團伊玖磨
出演:森繁久彌、淡島千景、司葉子、浪花千栄子

 織田作之助の小説『夫婦善哉』の映画化。ひたすら尽くすけなげな女を淡島千景が好演している。また森繁久彌も、意気地なしの若旦那を快演。
 豊田四郎という監督は今まであまり意識しなかったが、意外にもこれまで数本見ていた。思い返してみると、どれも手堅い演出でソツがなく、役者をよく活かした演出をしているように思う。文芸物をよく撮っているようで、会社からの期待が高かった証なんだろうか。
 それはともかく、本作もすばらしい演出で、これまで森繁久彌はあまり好きではなかったんだが、この映画では完全に映画の世界にはまりきっている。アドリブのような部分もあるんだが、それもよく活かされていた。先日、豊田四郎監督、森繁久彌主演の『恍惚の人』も見たんだが、こちらも森繁が怪演していた。森繁久彌に対する見方もちょっと改めなければならないと感じた。
 またセットも豪華ですばらしく、当時の映画産業の隆盛を反映しているようである。この映画で作り出され、見る者に提示された「織田作」の世界というものが十分堪能できる佳作であった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『恍惚の人(映画)』
by chikurinken | 2010-04-29 22:23 | 映画

今月のCD カツァリスのベートーヴェン

b0189364_14442087.jpg シプリアン・カツァリスというピアニストが、1983年から1990年にかけてベートーヴェンの一連の交響曲(リストによるピアノ編曲版)を録音した。「ベートーヴェンの交響曲」も「編曲モノ」も大好きな僕としてはこれに飛びつかないわけにはいかない。というわけで、カツァリスのベートーヴェン交響曲第7番ピアノ編曲版というCDを購入した。今から20年くらい前の話である。当時僕はもっぱら輸入盤ばかりを買っていた(安かったから)のだが、なかなかこのCDの輸入盤というのが見つからず、店で見つけたときは宝物を見つけたかのようにうれしかったのを憶えている。そんなに欲しいなら国内盤を買えばいいじゃないかと思うかも知れないが、国内盤もほとんど絶版状態だったのだ。この輸入盤の価格は、当時2800円くらいだったような気がする。
 ベートーヴェンの第7交響曲は、今ではドラマの『のだめカンタービレ』で有名になったが、ベートーヴェンの中でも僕の好きなレパートリーである。それをピアノだけで演奏するなんてすごいじゃないか。企画の勝利だ。早速家に持ち帰って聴いた。で感想はというと、ウームという感じであった。なんというか、あたりまえなのだが、ピアノだけで総譜(の代わり)を演奏しているので、とてももの足りない感じが残る。気の抜けたビールのような、要はエッセンスだけという感じで、迫力も何もあったものではない!というのが当時の感想である。見つけたときはお宝のようにうれしかったのに、実際に聴いてみるとかなり拍子抜けしたのであった。
 ま、それでも何度か聴いていると、面白い要素は見つかるものである。オーケストラの演奏をCDで聴くとどうしても音が一緒くたになって聞こえてしまう。すばらしいオーディオ・システムで聴けば話も違うのかも知れないが、ヘッドフォンで聴くようなレベルだとどうしてもそうなってしまう。それがピアノ版だと、音の分離が割とよくわかるんで、オーケストラ演奏の場合に背後に隠れるような音でも聴き取れることがある。だからオーケストラのような音の厚みとか迫力とかは期待できないにしても、別の楽しみ方ができるにはできる。それにピアノ・ソナタみたいな感じで聴くこともできる。こういうわけでこの盤がまずまず気に入ったこともあり、その後、第9番(合唱)と第3番(英雄)も買ったのである、第7番の購入後しばらく経ってからであるが。つまりカツァリスによるベートーヴェンの交響曲のCDは、現在、手元に3枚あることになる。
 さて、時は経ち、今やネット時代。絶版CDもネット上で調べられるようになった。カツァリスのベートーヴェンの交響曲はときどき目にするが、さすがに食指も以前ほどは動かずそのままやり過ごしていたんだが、少し前にクラシック・ファンの人と話をしていてこのピアノ版のベートーヴェンの交響曲が話題になった。それからというもの、ちょっと意識するようになって、全集が出ていることや4番、8番が入手困難であることもわかってきた。全集は輸入盤で5000円くらいの値段で売られており、それでも以前に比べると安いが、すでに3枚あることだし5000円も出してまでと思っていた。ところが先日、この同じ全集が2700円で売られているのを知って、いろいろ考えた末ついに注文したのである。3枚分(全集では2枚半分)すでに持っているから、僕にとっては実質2枚半の価値しかないが、それでもこの値段は格安である。これが2カ月前の話。その後、入荷が遅れているとかで結局届いたのは数日前であった。それにしても前に7番のCDを買ったとき1枚2800円だったものが、今や5枚で2700円で売られているというんだからデフレにもほどがあるというもんである。
 昨日からひととおり聴いてみたんだが、やはり印象は第7番を初めて聴いたときとあまり変わらない。悪くはないが目を瞠るほどのものでもない。ただやはりピアノ版ということでそういう面の面白さがある。特に初期の交響曲(1番、2番、4番)が若々しさがあって良かった。どれも騒々しくないので、仕事のバックで聴くには最適とも言える。ま、ま、お気に入りのCDになりそうである。
 それより今手元にある3枚のCDを処分するかどうするかで迷うところである。3枚1000円くらいで引き取りたいという奇特な方はどこかにいないだろうかね……?
by chikurinken | 2010-04-27 14:46 | 音楽

内田喜郎と快刀乱麻

(暗い画面に音楽が静かに流れる)
(語り)「かいと〜お、らんまっ!」
「第21回、キリストの返事はいつもイエス!」
(歌が入る)♪少〜女〜ひとりぃ〜 白いうぅまぁに乗ぉてっ〜駆けて・ゆ・く 霧のなぁかぁ〜(チャラチャラチャラチャ〜ララララ〜)

 こういう感じでドラマのオープニングが始まる。記憶は多少間違っているようだが、それでもかなり憶えているんで、やはり当時のインパクトが大きかったんだろう。今見たいドラマのベスト3に入るドラマで、『快刀乱麻』というタイトルの、一種のミステリー・ドラマである。
b0189364_928133.jpg 先日、ネットで内田喜郎の名をたまたま目にし、ちょっと懐かしくなって「内田喜郎 快刀乱麻」で検索してみると、ズラズラッと出るわ出るわで、やはり多くの人の印象に残っているドラマのようだ、この『快刀乱麻』は。ちなみに内田喜郎とはテーマ曲の『少女ひとり』を歌っている人である。僕の中では俳優のイメージがあったが、歌もなかなかのもの。しかし『快刀乱麻』のあたりからあまりテレビに出なくなったような印象がある。
 この『快刀乱麻』というドラマ、明治期を舞台にした推理もので、(おそらく意図的に)野暮な演出が随所に出る。たとえば、当時の世相の解説などがところどころナレーションで挟まれるが、その際、笛の音が鳴って、それまで演技していた役者が突然停止する。ビデオのストップ・モーションのようなものなのだが、実はストップ・モーションではなく、役者の方が動きを停止して、次に笛が鳴るのをそのまま待っている……つまり、「だるまさんがころんだ」状態なのだ(微妙に身体が動いているのでわかる)。また、主役の結城新十郎(若林豪)が解決に乗り出すためにおもむろに立ち上がると、スポットライトが当たり「結城新十郞! この男の背中に竜の刺青があると言われているが、まだ誰も知らない」というナレーションが入る(毎回同じだが最終回では「……あると言われているが……もうすぐわかる」と来る)のも、結構野暮な演出ではあるが、このドラマではかえって味のある演出になっていた。ここらへん、すべてうろ覚えではある。またすでに隠居している勝海舟(池辺良)が毎回登場し、これが毎回推理を外すんだが、そのあたりもちょっととぼけていて面白かった記憶がある(「勝の御前」と呼ばれていた)。だから、いまだに勝海舟のイメージと言えば池辺良なのである。
 さて、今回ネットでいろいろ当たってみると、なんだかいろいろな事実がわかって、確かにそれなりの背景を持つドラマだったんだなとあらためて感じたので、ここで記録しておこうと思う。
 まず、このドラマには原作があったということ。なんでも坂口安吾(!)の『安吾捕物帖』というのが原作だそうで、明治時代が舞台というのもこれで少し納得がいくというものだ。それから現在VTRは最終回以外残っていないということ。当時カラー・テープが貴重だったので、前回のテープに上書きするように撮影していたらしく、したがって最終回以外残っていないのだ。だから今見ようと思ってももう無理なのである。
 さらにナレーションが佐藤慶だったというのも今回初めて知った。また、タイトル・バックが横尾忠則の絵だったことも! こう考えるとものすごく贅沢なドラマである。キャストも、僕が憶えているところでは、若林豪、池辺良の他、河原崎長一郎、花紀京、尾藤イサオ、植木等など、今思うと豪華絢爛である。それぞれのバックグラウンドを見ると、新国劇、東宝、東映、吉本新喜劇、歌手、ジャズ・コメディときわめて多彩。なお、佐藤慶は俳優座出身である。各回ゲストで出ていた役者も(僕はほとんど憶えていなかったが)むちゃくちゃ渋い! こうして見ていくと、まさに「伝説のドラマ」という形容にふさわしいではないか。
b0189364_932268.jpg ところで、内田喜郎のテーマ曲「少女ひとり」がCD化されているということをWikipediaで知ったので、電光石火、快刀乱麻の勢いで早速借りてきた。この歌が収録されているのは『ちょんまげ天国 in DEEP』というコンピレーション・アルバムで、この『ちょんまげ天国』のシリーズはそのおちゃらけ加減が正直鬱陶しいんだが、他には出てないので致し方ない。実際に今回この曲を聴いてみた感覚であるが、意外にも全然懐かしさがなかった。ほとんど記憶通りで、目新しさをまったく感じなかったためである。こういうのも珍しい。僕にとって『快刀乱麻』はそれくらい強烈な印象があったんだろうと思う。ちなみにYouTubeでも聴けるようだ。興味のある方はどうぞ。

参考:
竹林軒出張所『明治開化 安吾捕物帖(本)』
竹林軒出張所『「快刀乱麻」を聴く』
YouTube:「少女ひとり 内田善郎」
Wikipedia:「新十郎捕物帖・快刀乱麻」
by chikurinken | 2010-04-25 09:33 | ドラマ

『稲妻』(映画)

b0189364_8591488.jpg稲妻(1952年・大映)
監督:成瀬巳喜男
原作:林芙美子
脚本:田中澄江
出演:高峰秀子、三浦光子、村田知英子、小沢栄、浦辺粂子、植村謙二郎、香川京子

 成瀬巳喜男の映画は、若い頃に何本か見たが、「過剰なセンチメンタリズム」のイメージが強く、どうも苦手な部類に入る。ただ一般には評価が高く、キネ旬ベストテンなどにもよく顔を出しており、気になる存在ではある。今回、縁あって『稲妻』を見ることになった。『稲妻』は、高峰秀子がバスガイドをやっているスチール写真を見たことがある程度で、まったく先入観がなかった。原作が林芙美子だというのも、今回タイトル・バックで初めて知ったほどである。
 実際に見てみると、「過剰なセンチメンタリズム」が顔をのぞかせる場面もあったが、意外にも普通に見ることができた。年齢を重ねたせいか、それともこの映画がよかったのか……「林芙美子+成瀬己喜男」という「過剰なセンチメンタリズム」の代名詞みたいな組み合わせであるにもかかわらず、である。
 林芙美子の原作らしく、ダメ男、クズ男がたくさん出てきて、まともな男はほとんど出てこない。登場する女たちの方にもそういう男を呼び寄せる要素があるんだが、さしずめ昭和版「ダメンズ・ウォーカー」という様相である。嫌な人間やダメな人間の有象無象が、汚らしい環境でだらしない生活を繰り広げ、主人公(高峰秀子)はそれに嫌気がさすんだが、その対極として描かれる文化的で清潔な生活(決して金があるわけではない)が実に高潔な印象を与える。主人公の視点がストレートにこちらに伝わってきて小気味良さを感じた。細部まできっちりと作られており、成瀬己喜男監督の仕事に職人芸のような味も感じた。成瀬巳喜男に対する印象が以前と大分変わった。
 原作が短編なのかどうかは知らないが、映画の方は短編〜中編小説のようなさっぱりした味わいがあった。前に見てクタクタになった成瀬作品(『浮雲』など)ももう一度見てみようかな、今ならもっと違う感覚があるかも……と思わせるような秀作であった。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『浮雲(映画)』
竹林軒出張所『流れる(映画)』
竹林軒出張所『乱れる(映画)』
竹林軒出張所『めし』(映画)
竹林軒出張所『放浪記(映画)』
竹林軒出張所『このところ高峰秀子映画が多いことについての弁明』
by chikurinken | 2010-04-23 23:00 | 映画

切り絵を銅版画にしてみたという話(銅版画マニア向け)

昨日の続き)
 作った切り絵を銅版画にしようという話の続き。

 今回は純粋にテストであるため、失敗する確率も高い。机上の空論である可能性もある。それでも何となく勝算が高いような気もしている。
 実際に行った方法はこういうものである。

(1) 切り終わった切り絵を銅版画に重ねる。
(2) 上からエアブラシで水性グランドを吹き付ける。これを何度も繰り返し、切ってしまって抜けている部分に水性グランドの層ができるくらい吹き付ける。
(3) 切り絵を取り除き、今度は版全体に渡って水性グランドをエアブラシで吹き付ける。このとき、ある程度ドットが残るようにする。
(4) この状態で腐食する。

 こうすると、抜けている部分(切り絵の白い部分)にできた層が防蝕膜になり、後で吹き付けた部分(切り絵の黒い部分)にアクアチントがかかるという寸法である。このあたり、銅版画の経験がない人にはさっぱり見当がつかないだろう。銅版画の経験がある人も、そこそこの経験と想像力がなければわからないと思う。そういうわけで、これはかなりのマニア向けの情報である。本当は秘密にしておくという手もあったんだが、もともと水性グランドをエアブラシで吹き付けてアクアチントをやるという方法はネットで知ったので、まあ恩返しみたいなものである。そもそも、「エアブラシで水性グランドのアクアチント」をやろうという人であれば、この程度のことは容易に想像がつく……と思う。

 さらにマニア向けの情報を。銅版画上で切り絵を白黒反転させるというワザもちょっと考えた。要は上の(1)と(2)を実行して、そこから石油系の通常のグランドを薄く流し引きでかけ、リフト・グランドしてから、(3)をやるというもの。これは現在構想のみで実際にはやっていない。が、たぶん大丈夫だと思う。ま、いろいろ考えればいろいろな技法が思い浮かぶものである。
 さて、実際に上の方法でやった切り絵銅版画だが、結果は下の図のようになった。方法論としては完全にOKであることがわかった。正直、あまりにうまくいったんで驚いたほどだ。
 ただ、この絵については、完全にうまくいったわけではなく、白と黒の境界部分がぼやけたり(エアブラシのエアのせいで上の切り絵の部分が浮いてしまったため)、まわりに変な線が入ったりしている(あらかじめ水拭きしていた箇所に水が残っており、水性グランドがうまいぐあいに乗らなかったようだ)。原因がわかっているため、対処の方法もあるだろう。
 一番の問題点は、切り絵を銅版画にして何になるのかという哲学に関わる問題である。アクアチントのかけっぱなしであるため、銅版画的な面白さはむろんない。ただ、これを少しずつ削ったりすれば、階調を付けることもできるので、いろいろな応用も考えられる。
 ちなみに、銅版画仲間にこれを見せたところ、あまり芳しい反応はなかった……。
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切り絵のようですが、実は銅版画なのですね……これが。
ちなみにモデルはコルトレーン……

by chikurinken | 2010-04-21 19:15 | 美術

切り絵をやってみたという話

 切り絵を銅版画にして、木版画やリノカットのような効果を出せないものだろうかと以前から考えていたんだが、先日重い腰を上げてついに試すことにした。
b0189364_20152128.jpg とは言え、今まで切り絵なんかやったことがなかったので、まず切り絵をやってみるところから始めなければならない。参考書は、小宮山逢邦という人の『切り絵のこころ』という本である。大分前に買った本で、基本的には画集なんだが、切り絵のやり方も懇切丁寧に説明している。巻末には、すぐに手を付けられるように、切ればすぐできるという状態で切り絵の原画が掲載されている。とりあえず、これに挑むことにする。カッターなんかの道具は画材屋さんですでに購入済みである。
 最初は少しばかり時間がかかったが、まあ無難にできた(上の写真の「エビ」)。ちょっと見ではなかなかのものである。もちろん本人はこれがひどいデキであることを知っているのだが(ちょっと見は良いけれどよく見るとだめなんです……)、ま最初だからこんなものだろうと思い込むことにする。少しこなれてきたので他のもやってみることにした(上の写真の「小鉢」)。最初は1枚2時間ぐらいかかったが、1時間ぐらいで切り終わるようになった。
b0189364_2013574.jpg さっそくこれを使って銅版画を……ということになるんだが、人の絵を銅版画にしてみてもつまらないし、オリジナルの絵でやってみようかと、何やら野心がムクムクと首をもたげてきた。もっとも、現状では銅版画にすることが可能かどうかも不明なんだが、万一成功したときに人の絵だと何にもならないという気もするのだ。というわけで、以前銅版画用に描いた下絵を使って切り絵に挑戦することにした。少し時間がかかったが、ま、なんとかそれなりのものができた(右図)。
 切り絵をやってみてわかったんだが、切り絵は絵心のない人がやっても、意外にそこそこのものができる。白黒のメリハリが詩的であるため、絵が多少歪んだりしても味になる。絵心はないけど、なんか絵でも描いてみたい、細かい作業は苦にならない……という人には持ってこいだと思う。
 ということで、いよいよ銅版画に転写するという作業にかかる。が、それはまた別の話。機会があればまた続きを書くことにする。
(続くかも知れない)

by chikurinken | 2010-04-20 20:16 | 美術

『ジェネラル・ルージュの凱旋』(ドラマ) まだ途中だが

ジェネラル・ルージュの凱旋(2010年・関西テレビ)
演出:今井和久他
原作:海堂尊
脚本:後藤法子
出演:伊藤淳史、仲村トオル、西島英俊、木下隆行、白石美帆、加藤あい

b0189364_8552269.jpg
 まだ2回しか放映されていないが、フジテレビ系列で放送されている『ジェネラル・ルージュの凱旋』が面白い。『チーム・バチスタの栄光』の続編で、その後の『ナイチンゲールの沈黙』ともども、なかなか見応えのある面白いドラマに仕上がっている。『チーム・バチスタ』と『ナイチンゲールの沈黙』のどちらもミステリーの部分でチープさが目立った(原作に由来するものか、ドラマ独特のものかはわからない)が、それ以外のドラマ的な部分、つまりキャラクター設定や会話の面白さ、ストーリー展開などは相当レベルが高かった。2000年代を代表するドラマと言ってもさしつかえない。
 特に今回の『ジェネラル・ルージュ』は、全体を通じた1つの大きな話に加え、1回単位でエピソードが設定されており、それぞれの回だけ見ても楽しめるようになっている。これも原作に由来するものかドラマ独特のものかはわからないが、各回まとまっていてよくできている。前作では、とにかくミステリー部分で非常にチープな感じがしていたので、今回のシリーズのように、ミステリーの部分があまり顔を出さないのはとてもよろしい。症状から原因を探ることがそれぞれの回のストーリーの柱になっているのだが、ある意味、ミステリー的な面白さもある。これまでの作と同様、伊藤淳史と仲村トオルのかけあいが抜群に面白く、かれらのキャラクターを活かす脚本が秀逸である。この後藤法子というシナリオ作家は今まで知らなかったが、今後少し注目してみようかと思う。
by chikurinken | 2010-04-19 08:57 | ドラマ

『葬式は、要らない』(本)

b0189364_10144728.jpg葬式は、要らない
島田裕巳著
幻冬舎新書

 身内の葬式を挙げると、葬儀業者や寺に支払う葬儀料金の高さに驚かされる。なんでも葬儀費用の全国平均は231万円(2007年、日本消費者協会調べ)だそうで、以前葬儀を挙げる前にこれに近いデータを知ったとき、葬儀を挙げることすらできないんじゃないかと虚しい気分になった。結果として、そのとき葬儀を安く挙げられないかいろいろ調べ葬儀の由来などについても調べたのだが、この本ではそういうことについて広範に渡って記述されている(これまでに読んできた仏教関係の本とは多少内容に食い違いがあったが、どちらが正しいかはよくわからない)。つまりこれ一冊で葬儀の悩みが解消されるんである。あのときにこの本があったら良かった……。
 さて、この本では葬式の由来などから説き起こし、なぜ日本の葬儀費用がこれほどまでに高騰したかについても述べている。90年代の世界の葬儀費用(アメリカ44万円、イギリス12万円、ドイツ19万円、韓国37万円など)も示されており、日本の葬儀費用がいかに高くなっているかも具体的に示される。こういったいきさつから、葬儀費用をかけないで葬儀を挙げる方法を紹介すると同時に、葬儀に金をかけることにどういう意義があるかについても述べている。世間では、あまりに高価な戒名料が話題になるが、一見無駄でバブリーな高額戒名料についても、(高価な戒名料を出すことが)寺を支える檀家としての役割があり、寺を存続させるためのスポンサー料として存在意義があるとする。このあたり「目からウロコ」であった。
 最終的には、葬儀に金をかけるも金をかけないも喪主の気持ち次第であり、喪主が適宜選択すべきだというのが本書の主張のようで、そのために葬儀業者や寺にミスリードされることなく、自ら考えて行動することが重要だという結論だ。当然といえば当然であるが、そういうことがなかなかできにくいのが葬儀関係で、そういった意味でも非常に有意義な書と言える。ただし全体的になんだか書き散らしたような印象もあり、葬儀にまつわる雑学という感じになっているのはいささか残念ではある。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『葬式仏教の誕生 中世の仏教革命(本)』
竹林軒出張所『お墓のゆくえ 〜弔いの社会史〜(ドキュメンタリー)』
by chikurinken | 2010-04-17 22:12 |

『リストランテの夜』(映画)

b0189364_9285671.jpgリストランテの夜(1996年・米)
監督:スタンリー・トゥッチ、キャンベル・スコット
脚本:スタンリー・トゥッチ、ジョセフ・トロピアーノ
出演:スタンリー・トゥッチ、トニー・シャルーブ、イアン・ホルム、イザベラ・ロッセリーニ、ミニー・ドライバー

 料理映画の傑作といえば『バベットの晩餐会』が思い出されるが、この『リストランテの夜』もそれに迫る秀作である。
 経営が傾いたイタリア・レストランでの数日間の話だが、短編小説のような無駄のないストーリーに、魅力的な登場人物、美味しそうな料理があふれる画面、背景を彩る落ち着いたギターの音楽など、総合芸術としての映画を十分に堪能できる映画である。まさにイタリア料理のフルコースのように、滋味にあふれたおしゃれで素敵な1本であった。
 良い映画については多くを語る必要はない。それは良い料理と同じである。ともかくもう一度見たいと思った。

★★★★
by chikurinken | 2010-04-16 22:25 | 映画