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竹林軒出張所

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フィギュアの採点はアンカリングの所産か?

今回はちょっと内容がわかりにくいかも知れません。ご了承ください。文章が思考に追いついていってないためです。いずれ書き直します(誤記も多かったんで直しときました)。

b0189364_13445743.jpg 今、『プライスレス 必ず得する行動経済学の法則』という本を読んでいるんだが、少し冗長かつ散漫な上、分量も400ページあるため、途中いくらか飛ばしながら読んでいた。ただし冗長かつ散漫と言っても、内容は結構目新しくて面白く、しかも広範に渡って「価格」の科学について記述されており、得るところは大である。
 この本の中心的な概念に「アンカリング(係留)」という考え方がある。これは「初期値(アンカー[錨])が、未知の数量を推測する際の基準点もしくは出発点の働きをする」という理論である(トヴェルスキー、カーネマン『不確実性の下での判断 - ヒューリスティックスとパイアス』)。つまり、人は、何らかの値が提示されたら、その値との対比で数値(ものの値段など)を判定していく性質があるらしいのだ。たとえば、裁判で賠償金を求める場合、高い金額を提示した方が、認定される賠償金が高くなるというようなことがあるらしいが、これがアンカリングの作用だということだ。人間には、ものの絶対的な価格がわかるわけではないので、他のものとの対比でその価値を判断する。したがって、あらかじめ提示されるものが、その対比対象になるということである。
 だから、高級品を売る小売店(たとえばブランド品ショップ)には、この理論を応用して、法外な値段(たとえば1000万円)のものを展示していたりするものもあるらしい。これがその対比対象になるわけである。結果的に、通常では高価なものであっても、客はそれが安いものであるかのような錯覚を覚えることになる。
 話は変わって女子フィギュア・スケートなんだが、今回のオリンピックの採点について、日本国中で不満の声が上がっているようだ。キムと浅田の間にあれだけ(あの点差分)の差があるとは思えないということらしい。誰もできないトリプル・アクセルを跳ぶんだからそれだけで十分点を加算すべきだという話もある。
 僕は、縁があって以前から女子フィギュアをよく見ているんだが、以前からなんとなく感じていることに、滑る前から得点がある程度決まってるんじゃないのかということがある。つまり、オリンピックなどといっても実際のところはほとんど出来レースみたいなもので、よほど大きな失敗をしなければそれほど結果に影響しないということである。そのため、大会で上位に入るためには、それ以前の大会で実力を少しずつ見せて、審査員に顔と技術力を認知してもらう必要がある(これはおおむね事実)。一見(いちげん)でいきなり上位に食い込むなどということは、まあない。
 要するに、審査員の間に、各選手に対するアンカリングの作用が大きく働いているんじゃないかと思うわけだ。各選手ごとにこれまでの実績からすでに基準ができていて、それとの差に基づいて採点される。だから前回よりミスが少なければその分点が加算されるという結果が出る。飛ぶごとに自己最高得点を更新というのもこのあたりが原因ではないかと思う。
 ということは、大技を入れるよりも、無難な線で、表現力の要素を多く盛り込んだプログラムを作って、それをツアーの中でブラッシュアップ(表現力向上)することに努めた方が、戦略としては叶っていたのではないだろうか。というわけでキム(金)が金に落ち着いたことになる。結果的にフィギュア・スケートなどの採点競技を純粋な競技として見てもあまり意味はないという、そういう結論に落ち着くわけだ。
by chikurinken | 2010-02-27 13:46 | 社会

『タルチュフ』(映画)

タルチュフ(1926年・独)
監督:フリードリヒ・W・ムルナウ
原作:モリエール
脚本:カール・マイヤー
出演:ヴェルナー・クラウス、エミール・ヤニングス、リル・ダゴファー、ルチー・ヘーフリッヒ

b0189364_9111328.jpg 第一次大戦後のドイツ黄金時代の映画で、映画史に残るサイレント作品。
 今さら僕がこの映画についてどうこう言うことはないんだろうが、スタッフとキャストが実に豪華である。監督ムルナウ(『吸血鬼ノスフェラトゥ』、『最後の人』など)、脚本カール・マイヤー(『カリガリ博士』、『最後の人』など)、キャストに『カリガリ博士』のヴェルナー・クラウスと『最後の人』のエミール・ヤニングスなど、ドイツ黄金時代を代表する人々が参加している。
 映画自体は85年も前のサイレントであるから非常に素朴なものではあるが、古いにもかかわらずきれいなプリントが残っていたようで、今でも普通に見ることができる。もちろん画面は暗い。この時代の映画は総じて暗い。これは技術的なものなのでいかんともしがたい。話の内容もモリエールの喜劇を題材にとっているらしく普遍性があり、演出も現代的な観点から見てまったく違和感はない。屋敷内の俯瞰撮影が多く、これがなかなかゴージャス。話の展開上階段の上り下りが非常に多かったが、これを俯瞰撮影の下で行っている。3階から1階まで俯瞰した状態で、カメラが降りてくるなど、技術的にも高度である。また、そこに当てられているピアノ伴奏(後で入れられたものか?)が洒脱かつリズミカルで面白い。演出面では、エミール・ヤニングス演じるタルチュフの豹変ぶりにあまりに迫力があって圧倒された。
 ともかく書物を通じてでしか触れられないような歴史的な作品なんで、今見られるだけでもありがたいという、そういう映画であった。僕の中では、正座して見るべきだというような、そんな感覚すらあるのだ。もちろん正座して見たりはしませんけどねー。

★★★
by chikurinken | 2010-02-25 22:10 | 映画

『歩いても 歩いても』(映画)

歩いても 歩いても(2007年・『歩いても 歩いても』製作委員会)
監督:是枝裕和
原作:是枝裕和
脚本:是枝裕和
出演:阿部寛、夏川結衣、樹木希林、原田芳雄、YOU、高橋和也、田中祥平

b0189364_9262250.jpg ちょっとした衝撃だ。こういうエッセイ風のドラマが1本の映画(しかも優れた映画)として成立するということが。
 ある男が実家に帰省した2日間の話で、随所に現れるとりとめのない日常会話で話が進行していく。とりとめのない会話が主体となると、なんとなく『渡る世間……』のまったく無駄な長いセリフが思い浮かぶが、この映画の場合、一見無駄そうな日常会話のほとんどに、当人の思いや怨嗟が含まれていて、非常に緊迫感がある。おそらく原作者(つまり脚本担当であり監督であるが)の体験がかなり盛り込まれているんじゃないかと思う。だがこういう話をたとえ書いたとしても、これを他人が映画化するのはきわめて難しい。おそらく当人が脚本、監督まで担当して初めて実現する企画だと思う。それくらい思いが詰まった映画だ(と思われる)。
 老いや家族についての(個人レベルでは結構重大な)問題が扱われており、僕とて他人ごとではないため、映画と随分シンクロしてしまって、自分の親や兄弟に思いを馳せながら見ていた。映画自体はわりとゆっくりと進行するので、映像で見せられる古家の風情や夏の情景に浸りながら、自分のことに思いを巡らせることができる。田舎の母親(樹木希林)が時折見せる毒や、妻(夏川結衣)との関係、父(原田芳雄)の存在など、静かな中にも緊張感が続き目を離せない。大きな事件はほとんどないが、人間の持つ奥深さが垣間見られる。そういう意味で目を背けたくなるような場面もあった。ただそういった場面では、主人公(阿部寛)もさりげなくその場を離れたり、なだめたりする。僕の個人的な状況とは似ていないが、主人公にとても感情移入できる……そういう映画であった。

★★★★
by chikurinken | 2010-02-24 22:27 | 映画

『プライドと偏見』(映画)

b0189364_9272020.jpgプライドと偏見(2005年・英)
監督:ジョー・ライト
原作:ジェーン・オースティン
脚本:デボラ・モガー
出演:キーラ・ナイトレイ、マシュー・マクファディン、ドナルド・サザーランド、ロザムンド・パイク、サイモン・ウッズ

 ジェーン・オースティンの古典小説『高慢と偏見』を映画化したものである。
 映像が美しく、調度や衣装も丁寧かつきれいにしつらえられており、大変好感が持てる。また、時代状況や風俗がよくわかる。これは、小説を読んだだけでは伝わってこない情報で、その点だけでもこの映画を見た甲斐があったというものだ。また、主演のキーラ・ナイトレイ、マシュー・マクファディンが美しく描かれており、映画的な娯楽性も伴う。なかなか良い映画であった。
 ただし、原作のストーリーについては、ちょっと納得がいかない。正直「何ですか、このストーリーは!」と言いたくなるようなチープな話である。ハーレクイン・ロマンスのような安直かつ好都合なストーリーで、最初の段階で、ストーリーのすべてが読めてしまうような、ありきたりの話だ。これが本当に古典なのかと思ったほどである。とは言うものの、こちらがハーレクイン・ステレオタイプの原典なのかも知れないし、小説にはストーリー以外の要素もある。それはわかるが、少しばかり首をひねるような内容であるのは確かだ。
 ま、しかし、安直さに目をつぶって、質の高いハーレクイン映画だと思えば、一つの話としても結構楽しめるのではないかと思う。それに、これを原典で読んでいればストーリーに対する失望感がさぞかし大きかっただろうと思う(読むのに時間がかかることだし)。「できの良い映画」という型式で見れば、たかだか2時間のことだし、見る価値は十分あったと思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『原作と映画の間』
竹林軒出張所『ジェイン・エア(映画)』
by chikurinken | 2010-02-23 22:22 | 映画

青空文庫の『ヴィヨンの妻』を読む

 青空文庫というプロジェクトがあり、古典文学が無料で提供されているというのは、おそらく多くの人がご存じだと思う。
 青空文庫は、著作権に縛られない(つまり著作権保護期間が過ぎた)作品を、ボランティアの手で入力、校正して、広く一般に提供しようという、インターネットの理想を体現したようなプロジェクトで、実際に相当数の古典作品が無料で提供されている。しかもそれを読むための環境(ソフトウェアなど)も無料の場合が多く、そちらの方を向いて手を合わせたくなるような理想主義の結晶である。
 最近僕自身、余生というものについて思いを馳せることが多くなり、見る映画や読む書籍など、ある程度厳選して、本当に優れたもの、自分が見たり読んだりしたいものだけを中心に鑑賞していこうという決意を固めたところである。そういうわけで、しばらく遠ざかっていた小説についても、古典中心に再接近しようかなと考えていた。というわけで「青空文庫」の出番になる。
 さて、青空文庫を実際に読むに当たり、使っているMacで動く青空文庫対応リーダー(ソフトウェア)が必要になる。実は、今から10年近く前、OS 9の時代に青空文庫のデータを大量にダウンロードして、OS 9対応リーダーで読めるような準備をしていたことがあるんだが、実際にいっぱいかかえていたところで、例によって積ん読状態でまったく読むことはなかった。それ以来遠ざかっていたため、現在のOS X環境で動作する青空文庫リーダーというのをよく知らなかった。
b0189364_8552950.jpg そこで例によってインターネットでチョコチョコッと検索して、いくつかソフトを見つけたんである。とりあえず、AozoReaderazurという2つのソフトを試すことにした。AozoReaderは無料だがazurは2100円のシェアウェアである。機能的にはazurの方が良いようだが、2100円の価値があるかどうかは、使う人次第ということになる。
 使い勝手は両方のソフトでほぼ同じで、矢印キーでページをめくるようになっている。表示も美しく、実際に紙の本を読む場合と比べても遜色ない。ただMacの画面が少し明るすぎて目が疲れるような若干の違和感はあった。
 今回、20年以上前に読んだ、太宰治の『ヴィヨンの妻』を読んでみた。前に読んだときは、正直「なんじゃこりゃ」と思ったのである。僕は以前から太宰治の少しシニカルな笑いが好きで、太宰治の作品は割に好きだったんだが、こと『ヴィヨンの妻』に至っては「過剰なナルシシズム付きの日記」ぐらいにしか思われず、到底受け入れることができなかった。が、今回は、(以前と同じように)確かに終わり方に唐突さを感じたものの、太宰治に対する理解が以前よりあったせいか、割に面白く読むことができた。自身をシニカルに扱っているのも良いし、赤裸々さもすごみを感じる。
 青空文庫であるが、何より古典に気軽に接することができるというのは非常に良い。今回のソフトでは書籍をダウンロードして保存してから読むというのではなく、随時サーバーから取り出してくるという感覚で、今流行りのクラウド・コンピューティングに近い感覚である。確かにネットに接続していなければアクセスできないが、パソコンならばほとんどの場合ネットに接続できているわけだし、それを考えるとパソコン環境であれば、そういう方法でも良いんじゃないかという気もしてくる。手元にないというのは多少心許なさを伴うものだが、実際にはそれほどマイナスになることはないのだ。かつてのように大量にダウンロードしたところで、ハードディスクの肥やしになるのが関の山だ。そういうわけで、今回は特に「必要なものだけ随時呼び出す」という方法も悪くないんではないかと感じた。何でも最近ではiPhoneやiPod Touchでも青空文庫を読める環境があると聞く(こちらは書籍をダウンロードするようだ)。つまり手元に置いておきたい古典をどこにでも持ち運ぶことができるわけで、これこそ古典の正しい使い方と言えるんじゃないかと思う。すごく贅沢なことではあるが。

参考:
竹林軒出張所『富嶽百景・走れメロス 他八篇(本)』
竹林軒出張所『冬の花火 わたしの太宰治 (1)〜(13)(ドラマ)』
竹林軒出張所『女性操縦法 “グッドバイ”より(映画)』
竹林軒出張所『ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ(映画)』
竹林軒出張所『太宰治物語(ドラマ)』
by chikurinken | 2010-02-22 09:00 | パソコン

『親密すぎるうちあけ話』(映画)

b0189364_8331131.jpg親密すぎるうちあけ話(2004年・仏)
監督:パトリス・ルコント
脚本:ジェローム・トネール
出演:サンドリーヌ・ボネール、ファブリス・ルキーニ、ミシェル・デュショーソワ

 例によって冴えない男が主人公のルコントの恋愛映画(なんだろうね……)。
 冴えない男のもとに、ある日突然わけありの美女が現れるという、言ってみればよくある筋書きなんだが、だがしかしそこはルコント、まったくそういったわざとらしさを感じさせない巧妙な演出。設定やディテールも非常に優れており、何よりリアリティがあるので、まったく安直さは感じられない。それより何より、途中、人間心理に潜む恐怖を感じさせるようなスリリングさもあり、片時も目を離せない構成で、ルコントの映画世界に引き込まれっぱなしである。
 この映画は、基本的には、主人公の仕事場における会話が中心の会話劇である。そこに濡れ場や争いがあるわけでもなく、本来であれば、退屈きわまりない映画になりがちであるが、さっきも言ったようにちょっとしたサスペンスもある上、エロスを感じさせるような視線が映像上の静かな演出として展開される。こういう巧妙な仕掛けにより、一歩間違うと退屈な話になるようなこのストーリーが素晴らしいものになっている。ルコントおそるべしである。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『仕立て屋の恋とフェリックスとローラ(映画)』
竹林軒出張所『フェリックスとローラ』(映画)』
竹林軒出張所『髪結いの亭主(映画)』
竹林軒出張所『橋の上の娘(映画)』
竹林軒出張所『暮れ逢い(映画)』
竹林軒出張所『歓楽通り(映画)』
竹林軒出張所『ぼくの大切なともだち(映画)』
竹林軒出張所『イヴォンヌの香り(映画)』
by chikurinken | 2010-02-21 08:37 | 映画

『発明はいかに始まるか』(本)

b0189364_1159982.jpg発明はいかに始まるか 創造と時代精神
ジョン H. リード著、中島由江訳
新曜社

 発明は、特定の個人によるものではなく、時代精神の集積であり、数々の技術の積み重ねによるものである、というのが本書の主張でテーマである。ただしそれを前提とした上でも、いわゆる発明者(グーテンベルグ、ライト兄弟、ワット、スチーブンソンなど)は、数ある技術者の中でも独自のアイデアなどを盛り込んでおり、時代精神を実用性という点で体現させたという大きな功績があるとする。大変説得力があり、わかりやすい結論である。
 このように、内容はなかなか興味深く、しかも知識の集積という点で役に立つが、全体が冗長で、それに非常に長い(約400ページ)。読み終わるのに相当な時間がかかった。大学の教養部の授業のようで、話が雑学的に進められるため、学校で聞き流すように聴いていれば非常に楽しいだろうと思う。だがそれもそのはず、著者は研究者でありながら、ラジオの教養番組(科学技術に関するもの)で構成とホストを担当しているという。そういった前提で、ダラダラと暇つぶし的に読む分には非常に面白い本なのかも知れない。
 全体は、大きく4つに別れている。航空機、蒸気機関、印刷術が大きな3本柱で、印刷術によって広く普及が始まった教育について最後に述べられている。図版も多く、記述も割合わかりやすいが、やはり冗長さは否めない。であるので、それぞれの部分を拾い読みするような読み方がもっとも適しているような気がする。そういうわけで、僕自身、いろいろと雑学的な知識は身に付いた(特に印刷術と銅版画との関連が個人的には興味深かった)。また著者の主張もよく伝わってきた。良い本なんだろうが、読むのに骨が折れた本であるのも確かである。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『いまに至る道 灯り(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『いまに至る道 ガラス(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史(本)』
by chikurinken | 2010-02-20 12:00 |

『高田渡と父・豊の「生活の柄」』(本)

b0189364_1842526.jpg高田渡と父・豊の「生活の柄」
本間建彦著
社会評論社

 高田渡ばやりである。2010年2月現在、NHK教育テレビの『知る楽』という教育番組のテーマに取り上げられているほどで、いよいよ偉人の仲間入りかという様相すら呈している。
 この本の作者も、高田渡の生い立ち、青春時代を描こうというところから始まったらしいんだが、どうしても彼の父、高田豊の影響が彼の中で大きく、結果的に高田豊の生い立ちからたどることにしたんだそうだ。
 高田豊は、若い頃は詩人を志しており、佐藤春夫に弟子入りしていたこともあったらしく、しかもそのときの兄弟弟子に山之口貘がいたそうで、何やら高田渡とも浅からぬ因縁を感じる(高田渡は山之口貘のいくつかの詩に曲をつけて歌っている)。その高田豊であるが、若い頃はさまざまな事業を興した他、町会議員まで勤めたこともあるらしく、地元ではなかなかの名士だったようだ。だが、戦争が終わると、妻(つまり渡の母)が死ぬなど、さまざまなことがマイナスの方向に作用し始めた。やがて子ども達4人を引き連れて上京するが、生活は困窮し、ついには生活困窮者用の保護寮に子どもたちともども入ることになる。こうして福祉の世話になる生活が続き、どん底の生活を経験することになった。これが渡の少年時代である。そういうわけで高田渡は、実感として『生活の柄』(山之口貘の浮浪者をうたった詩に、高田渡が曲をつけたもの)の生活を子ども時代に体験することになる。このことが、高田渡のバックボーンになっているということなのだ。
 この後、豊は日雇人夫として何とか生活を立て直し、このどん底の生活から這い上がることができる。だが、この高田豊の生き様は、通常であれば記録にも残らないもので、ただの名もない人間の波瀾万丈の歴史に過ぎない。本書で丹念に追われているのは、その名もない人間の記録である。そしてその無名の人間の魂が、子ども(渡)の血の中に脈々と引き継がれることになる。やがて、表現者として世に出る高田渡によって、その精神が詩心として表現されることになるわけだ。本書では、このように1人の無名の人間の歴史が丹念に記録されており、同時にその人間の魂が次の世代に引き継がれていく過程も記録としてとどめられている。読者は、この人間の記録を目にすることで、血が時代を通じて引き継がれる過程を実感することができる。そしてその血の歴史が、高田渡という(われわれにとって)既知の存在から覗かれるのだ。
 このように、人間の生涯、生き方、血などというものについて想いをめぐらせるきっかけを与えてくれた優れた本であった。また、複雑になりがちな人間関係などの記述が適度に繰り返されるため、何度も前の箇所に戻ったりする必要がなく、大変読みやすかった。この点についても評価したいと思う。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『タカダワタル的ゼロ(映画)』
竹林軒出張所『山之口貘の詩、そしてとぼけた味わいの曲』
竹林軒出張所『詩のこころを読む(本)』
竹林軒出張所『だからここに来た - 全日本フォーク・ジャンボリーの記録(映画)』
by chikurinken | 2010-02-19 18:05 |

『ウィキペディア革命』(本)

b0189364_10324483.jpgウィキペディア革命 そこで何が起きているのか?
ピエール・アスリーヌ他著、佐々木勉訳
岩波書店

 ウィキペディアの問題点を指摘する書。
 「人類の知の集大成を、各自が望む言語で、思うままに変更、翻案、再利用、再配布ができるようなライセンスで、この星のすべての人に思う存分に提供すること」を使命とするウィキペディアは、ネット利用者にとってもはやなくてはならない存在ではあるが、著者によると、その内容については相当問題があり、信頼するに足るとは言えないという。自由に書き込み、修正ができるという特質のため、内容が、一部の勢力に恣意的に改訂されることも多く、しかもこれが長く修正されずに残されることがある。これは管理者が内容に対し過剰に介入しないという特質から来る欠陥でもある。したがって、今のようにウィキペディアに過剰に依存、信頼する姿勢を改めて、利用に当たって慎重になるべきだという主張である。
 本書でもっとも優れていた点は、ネイチャー誌によるウィキペディア評価に疑問符を投げかけ、それを精査している点にあると思う。
 2005年、英国の科学雑誌、ネイチャーで、調査の結果「ウィキペディアが、尊敬される百科事典ブリタニカと同じくらいに価値ある情報源であると結論した」と発表された。これは世界中のあらゆるメディアで取り上げられ、ウィキペディアの信頼性を保証する論拠となっているが、この調査が問題のあるもので、多分に恣意的な結論であると実証している。この精査は説得力を持つもので、ウィキペディアの問題性を指摘する上で十分な論拠になる。
 本書の主張については同意するが、それにしても読みづらい。おそらく元々は論文だったんだろうが、読者に対する配慮を欠いた、ある種気ままな記述については嫌気がさしてしまう。論文調であるためか少し権威主義的な臭いすら感じる。ウィキペディアの動機に、権威が知識を操ることに対するアンチテーゼがあると思われるのだが、こういった権威主義的な臭いというのはそれに対立するもので、ウィキペディアの問題性を「啓蒙」する上ではマイナスになるんじゃないかと思った。
 また、巻末に「解説」と称し、大学の先生によるウィキペディア論が掲載されているが、ウィキペディアの優れた面を称えており、内容が本書と対立している。これは「解説」とは言えないんじゃないか。こんなものを載せる必要があるのかはなはだ疑問。もちろんいろいろな意見を紹介するのは良いことだが、このやり方は掟破りである。掲載したいのであれば、同等の立場で載せるべきだ。
 というわけで本の体裁の面で非常に疑問を感じた一冊であった。

★★★
by chikurinken | 2010-02-18 10:33 |

『ココ・アヴァン・シャネル』(映画)

ココ・アヴァン・シャネル(2009年・仏)
監督:アンヌ・フォンテーヌ
原作:エドモンド・シャルル=ルー
脚本:アンヌ・フォンテーヌ、カミーユ・フォンテーヌ
出演:オドレイ・トトゥ、ブノワ・ポールヴールド、アレッサンドロ・ニヴォラ

b0189364_11344381.jpg なぜだか知らないが、昨年あたりからココ・シャネルがやたらに目につく。僕はファッションに疎くしかもまったく興味ないため、ココ・シャネルがどういう人間なんだか知らなかったが、去年読んだ『ブランドの条件』という本でシャネルについて触れられていたのがきっかけで少し興味を持った。孤児院出身でありながら、しかも孤児院生活で目にした質素で動きやすい服装をファッションとして確立し、それをモードのスタンダードにしたという話は、非常に興味深かった。今年になって『ココ・シャネル』とこの『ココ・アヴァン・シャネル』の2本の映画が、同じ時期にDVDとして公開された(劇場公開も同じ頃なのかしらん?)。しかも現在、『シャネル&ストラヴィンスキー』などという映画も公開されているという。ココ・シャネル生誕何十周年とかのアニバーサリーだったのかなどと考えていたが、別にそうでもないみたいだ(ココ・シャネル:1883年8月19日誕生、1971年1月10日没だそうで)。
 この映画なんだが、ココ・シャネルを『アメリ』のオドレイ・トトゥが演じており、シャネルのいわば青春時代を描いた映画だが、映像や音楽など、この映画のあらゆる要素が僕にとって大変心地良かった。本来であればサクセス・ストーリーのようなカテゴリーに含まれるんだろうが、そういう部分よりも、恋愛のとまどいや歓び、嫉妬や不安、悲しみなどといった要素が実にうまく表現されている。オドレイ・トトゥを撮影した映像も、詩的で凛とした気品がある。決して美しく描かれているわけではないんだが、生身の人間としての魅力がしみ出ている。この監督が抱くシャネル観もそういったものなんだろう、たぶん。ともかく僕にとって非常に気持ち良い映画で、好き嫌いでいえば大変好きな映画である。
 芸術作品を批評するとき「好き嫌いだけでものを言うな」と、脚本家の故・田村孟にかつて言われたことがある。田村孟は僕にとって大変気分の悪い存在であったが、この言葉についてはまったく異存はない。そう言う意味でも、この映画については、僕にはまったく批評する資格がないんではないかとも思う。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『シャネル&ストラヴィンスキー(映画)』
竹林軒出張所『ココ・シャネル(映画)』
by chikurinken | 2010-02-17 11:35 | 映画