ブログトップ | ログイン

竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

<   2009年 09月 ( 23 )   > この月の画像一覧

『布団が俺を呼んでいる』の解題・のようなもの

布団が俺を呼んでいる
(アルバム『布団が俺を呼んでいる』 に収録)

b0189364_10394046.jpg歌:上野茂都
詩:上野茂都
作曲:上野茂都

徹夜自慢のあん畜生に
教えてやりたい布団の心
布団は何にも言わないけれど
布団の気持ちは良く解る

寂しい時でも うれしい時でも
布団はおいらの友達さ
布団よ今夜も有り難う 有り難う

外泊続きのあん畜生に
聞かせてやりたい布団の言葉
布団は涙か溜め息か
悲しい恋の捨て所

苦しい時でも 楽しい時でも
布団はおいらの故郷さ
布団は何でも知っている 知っている

掛けた布団が偽りならば
何で濡れよかこの胸が

生まれる時でも 召される時でも
布団と一緒に生きていく
布団が俺を呼んでいる 呼んでいる

 上野茂都については、『山之口貘の詩、そしてとぼけた味わいの曲』『上野茂都という人』(竹林軒ネット)でも取り上げているので今回は3回目だが、今回は歌詞の解説を試みてみようと思う。この詞は、古い歌や映画のタイトルがちりばめられている、いわゆるパロディの歌なんだが(おそらく年配の人が見れば一目でわかるんではないかと思う)、詞としてもなかなか飄逸で面白く、知らない人が聞いたら完全にオリジナルではないかと思うくらい整合性がとれている。僕も知らない元ネタがあって、たまたまネットで歌詞を検索していて気が付いたというものもある。そういうわけで、覚え書きの目的もかねて、ここに記録しておきたいと思う。上記の青い部分がパロディの箇所で、対応する部分を下に書き出した。

「徹夜自慢のあん畜生に」
『憎いあんちくしょう』(石原裕次郎主演の62年の日活映画)
「布団は何にも言わないけれど 布団の気持ちは良く解る」
『リンゴの唄』(並木路子のヒット曲、サトーハチロー作詞)「リンゴは何にも言わないけれど リンゴの気持ちはよく分かる」
「布団よ今夜も有り難う 有り難う」
『夜霧よ今夜もありがとう』(石原裕次郎のヒット曲、浜口庫之助作詞)「夜霧よ今夜もありがとう」

「布団は涙か溜め息か 悲しい恋の捨て所」
『酒は涙か溜め息か』(藤山一郎のヒット曲、高橋掬太郎作詞)「酒は涙か溜め息か」「悲しい恋の捨て所」
「布団は何でも知っている 知っている」
『星は何でも知っている』(平尾昌晃のヒット曲、水島哲作詞)「星はなんでも知っている」

「掛けた布団が偽りならば 何で濡れよかこの胸が」
『小判鮫の唄』(小畑実のヒット曲、高橋掬太郎作詞)「かけた情けが偽りならば なんで濡れよか男の胸が」
「召される時でも」
『愛と死をみつめて』(青山和子のヒット曲、大矢弘子作詞)「たとえこの身は 召されても」
「布団が俺を呼んでいる 呼んでいる」
『霧笛が俺を呼んでいる』(赤木圭一郎主演の60年の日活映画)

 『愛と死をみつめて』については異論もあるかも知れないが、この「召される」ということばに強烈な印象があり、時代的に見てこの歌から取ったのではないかと思った。ちなみに上野氏は僕と同世代である。
 しかし、こうやって見るとほとんど他の歌詞からの引用ですな、こりゃ。
by chikurinken | 2009-09-30 10:42 | 音楽

おごれるものは久しからず…… 自民党が貸し剥がし倒産?

 なんと、自民党が財政破綻で倒産ならぬ倒党するかもしれないらしい。

 「貸し剥がし倒産」の危機(Yahoo!ニュース、オリジナルはAERA9月21日号)

 しかも国鉄清算事業団方式で、看板を付け替えて再建するなどという案もあるという。
 最近の民主党政権を見ると、当たり前のことが当たり前のように政策として提出されていて、今までのあの「自己チュー」政策はいったい何だったんだと思うことが多いが、今回のこの記事を読むと、自民党自体がこの国の縮図というか、自民党の体質がこの国の政財界に蔓延していたということがよくわかる。どこまでも姑息で場当たり的である。
b0189364_8561867.jpg 今の政権の「友愛」というキャッチフレーズも気恥ずかしい感じがするが、「自己責任」などという自己チューなキャッチフレーズよりはずっと良いだろう。「自己責任」というのは、本来自分に対して使う言葉であって、他人を蹴落とすために使う言葉ではない。ましてや自分(政権)の責任を回避するために使うなどということはあり得ない。自分の責任を放棄しておきながら他人の責任を云々するなど自己矛盾である。当時は、社会全体にとげとげしい雰囲気があって不快だったが、今思うと、(政権担当者に内包されていたと思われる)剣呑な空気が日本中に広がっていたんだろうと察しが付く。現政権がこれからどうなるかわからないが、少なくとも、政権政党で社会がこんなに変わるということがわかっただけでも儲けものだ。
 どうもあの、まがいものの細川「日本新党」政権の例があるので、あまり信用できない自分がいるのだが、少なくとも政権公約をひとつずつ実現していこうという現政権の姿勢は評価に値すると思う。
by chikurinken | 2009-09-29 08:58 | 社会

山崎ハコ『十八番』(CD)

b0189364_8223760.jpg山崎ハコ『十八番』
1. アカシアの雨がやむとき
2. 今夜は踊ろう
3. みんな夢の中
4. 上を向いて歩こう
5. 再会
6. 東京ブギウギ
7. 圭子の夢は夜ひらく
8. さらば恋人
9. 本牧メルヘン
10. 時の過ぎゆくままに

 昨日からの流れで、山崎ハコのカバーCD『十八番』について何か書こうと思ったが、よくよく考えると、ほとんど昨日言い尽くしていて、あまり追加することがないということにあらためて気が付いた。そういうわけで、今日書くのは昨日の補足ということになる。
 このアルバムの中で特に良かったのは、昨日も書いたように「1. アカシアの雨がやむとき」、「3. みんな夢の中」、「5. 再会」の3曲である。
 「9. 本牧メルヘン」も山崎ハコにピッタリの歌(「ヨコハマ」なんかと同じ系統)でよくハマっている。元歌をまったく知らないので、僕としては、山崎ハコのオリジナルみたいな感じで聴いている。
 「7. 圭子の夢は夜ひらく」も「女の情念」歌で、まさに十八番(おはこ)である。
 曲調から意外な感じがしたのは、「8. さらば恋人」と「10. 時の過ぎゆくままに」で、聴く前はハコの世界とかけ離れているかと思っていたが、どちらも良い味が出ている。「さらば恋人」は曲の魅力を最大限に引き出していると感じるほどである。
 「2. 今夜は踊ろう」は、映画『愛の新世界』の挿入曲としても使われている。僕は荒木一郎はまったく好きではないが、ハコが歌うこの曲はポップな感じがあって悪くない。この映画を見た時点では山崎ハコのことをあまり知らなかったんだが、この曲については非常に印象が強かった(映画の印象も強烈でした)。
 このように、全体的に水準が非常に高く、そんじょそこいらのカバー・アルバムとは次元が違うと感じる。山崎ハコの実力が十分に発揮されており、彼女の魅力を十分に堪能できる快作で、どの曲もオリジナル水準である。

参考:
竹林軒出張所『新版「ざんげの値打ちもない」』
by chikurinken | 2009-09-27 23:20 | 音楽

新版「ざんげの値打ちもない」

b0189364_20462625.jpgざんげの値打ちもない

歌:山崎ハコ
作詞:阿久悠
作曲:村井邦彦

あれは二月の寒い夜
やっと十四になった頃
窓にちらちら雪が降り
部屋はひえびえ暗かった
愛と云うのじゃないけれど
私は抱かれてみたかった

あれは五月の雨の夜
今日で十五という時に
安い指輪を贈られて
花を一輪かざられて
愛と云うのじゃないけれど
私は捧げてみたかった

あれは八月暑い夜
すねて十九を越えた頃
細いナイフを光らせて
にくい男を待っていた
愛と云うのじゃないけれど
私は捨てられつらかった

あれは何月、風の夜
とうに二十も過ぎた頃
鉄の格子の空を見て
月の姿がさみしくて
愛と云うのじゃないけれど
私は誰かがほしかった


そうしてこうして暗い夜
年も忘れた今日のこと
街にゆらゆら灯りつき
みんな祈りをする時に
ざんげの値打ちもないけれど
私は話してみたかった

 「ざんげの値打ちもない」と言えば、70年代の北原ミレイのヒット曲であるが、北原ミレイ版では4番までしかない。というか他の歌手のカバーでも5番まで歌われることはめったにない(僕は知らない)。上に示した4番(「あれは何月……」の青の部分)がその「幻」の部分に当たるんだが、内容が暗いせいか、通常はカットされて歌われる。作詞の阿久悠の意向があったのかどうかは知らないが、阿久悠亡き今、阿久悠のトリビュートCD(『歌鬼 阿久悠TRIBUTE』)に、この「幻の4番」版が収録されている。歌っているのはなんと山崎ハコ! 山崎ハコの「ざんげの値打ちもない」というのも何だかあまりにハマりすぎていて、聴く前からどういう感じか想像できるほどで、実際に聴いてみると、やはりというか、想像通り、ズバリとハマっていた。
 山崎ハコは、他人の歌のカバーが非常にうまい人で、かつて『十八番』(「おはこ」と読む)というCDで披露した「アカシアの雨がやむとき」、「みんな夢の中」、「再会」などはオリジナルをしのぐのではないかというほどのデキであった(「アカシアの雨がやむとき」もハマりすぎですね)。それに比べると、この「ざんげ」はやや落ちるかなという印象もある。聴く前から期待が大きかったせいもあるだろうが。
 北原ミレイと山崎ハコと言えば、山崎ハコが「白い花」を北原ミレイに提供しているという縁もあり、やはり両者が表現する世界には共通項があるのだろう。二人とも女の情念を歌った「どんよりした」歌が多いように思う。
 『十八番』について言えば、第37回日本レコード大賞のアルバム企画賞を受賞しているほどで、世間的にも高く評価されたようだ。『十八番』については、また別の項で書こうと思っているくらい気に入っているアルバムで、明日元気があれば、これについてもう少しなんか書くかも知れない。乞うご期待! ……いや、あまり期待しないでくださいませ。

参考:
竹林軒出張所『山崎ハコ「十八番」(CD)』
by chikurinken | 2009-09-26 20:49 | 音楽

『ニセモノ師たち』(本)

b0189364_19293054.jpgニニセモノ師たち
中島誠之助著
講談社

 『なんでも鑑定団』の名物鑑定士、中島誠之助による骨董業界の内幕もの。ニセモノにまつわる数々の逸話が登場する。
 自身がだまされた話、だます側の片棒をかつぐことになった話などいろいろ。骨董の目利きでさえ、わざとニセモノをこしらえたり、あるいはニセモノと知っていながら、本物に混ぜて売ったりするらしい。ただし著者は、人をだますよりはだまされる方がよいという考えの持ち主で、ニセモノについても基本的に厳しい態度を取っている。しかし一方で、ニセモノが出てくるから骨董品の価値が上がるという考えを持っており、ニセモノがあるから面白い、インチキをする人間がいるから世の中が面白くなるという信条を持っている。
 全体的にまったく知らなかった世界の話ばかりで非常に興味深かった。また、著者の修業時代の話なども随時挟まれており、長老から聴く奥深い話のようで、大変面白かった。「良い仕事」でした。

★★★☆
by chikurinken | 2009-09-25 19:32 |

「思い通り」についての考察

 嫌なことがたてつづけに出てきて、「思い通りに行く」ということについて考えを巡らせた。


b0189364_181904.jpg 思い通りに行けば機嫌は良いが
 思い通りに行かなければ不愉快だ

 思い通りになる人が良い人で
 思い通りにならない人は虫が好かない

 思い通りになることはすなわち自分の得である
 思い通りにならないことは自分にとって損なことだ
 しかしその損や得は実はささいなものにすぎない
 ささいな損得のために大きな損を招くこともある

 思い通りにしようとすると壁にぶつかる
 思い通りにしようとすると人とぶつかる

 ならばいっそ思い通りをとっぱらってはどうか
 それができなければせめて思い通りの許容範囲を大きく広げてはどうだろう


 こうして僕はふて寝することにした。

(写真は本文と関係ありません)
by chikurinken | 2009-09-24 18:20 | 日常雑記

コーヒーフレッシュは多くを語る

b0189364_9381822.jpg ちょっと見栄えの良いカフェなどが近所にできると、気になって、何かの拍子に入ったりしてしまうことがある。
 こちらとしては、カフェという看板をかけているからには、お店側が提唱する「わたしたちの望むコーヒー」をぜひ、1人の客に過ぎない僕にドーンと出してほしい、「これでどうだ」というくらいのコーヒーを出してもらって「おみそれしました」というくらいの気持ちにさせてほしい……とこう願っているんだが、そもそも「カフェ」などという店にそんなものを望むことが間違いなのか、大体の場合、ガッカリさせられることが多い。いつも出入りしている喫茶店では「これでどうだ」というようなコーヒーが出されるんだが、これに慣れているせいか、どの店でもそういうものを期待してしまう。だが、そんな店は、今どき絶滅危惧種に入るような貴重な存在である。見栄えばかりで中身のない店や、看板だけでまがいものばかりの商品がはびこっているのが現実である。
 何に腹が立つかというと、あのコーヒーフレッシュとかいうものが平然とコーヒーに添えられて出てくることだ。「これを……この食品とは思えない油を……このミルクに似せたまがいものを……コーヒーに入れて飲めとあなたは主張するのですね……」と心の中で呟いてしまう。「こんなもんでエエやろ」という意識がストレートにこちらに伝わってくる。そんな店で出されるものが良いものであるわけがないのであって、コーヒーだって豆のダシジルみたいなものに決まっている。そうすると店の調度の下品さや店員の品性のなさまで目についてきて、こんなとこ入らなきゃ良かったということになる。後悔だらけで、その日1日、暗い気持ちで過ごさなければならなくなる。
 昨日つきあいで行ったこじゃれたレストランもそうで、食べ物もありきたりで大してうまくもなく、たぶん冷凍食品を使ってんじゃないかというような代物だ。で、その後に出てきた食後のコーヒーに、例によってコーヒーフレッシュと砂糖スティックがついていて、あーやっぱりと思った次第。見栄えはちょっとおしゃれで、街の中にこんな空間があったのかと思わせるようなトコロだったが、中身がこれじゃーね。もう二度と行くことはあるまい。不味いコーヒーが後を引いたので、その後、行きつけの喫茶店でコーヒーを飲んで口直ししたとさ。おしまい。
by chikurinken | 2009-09-22 09:42 | 日常雑記

『潮風の町』(本)

b0189364_18445951.jpg潮風の町
松下竜一著
講談社文庫

 松下竜一の「素朴な生活」を綴ったエッセイ集。いや、掌編私小説集。僕はエッセイのつもりで読んでいたが、著者は小説のつもりで書いているようだ。だが、ジャンル分けなどはどうでも良い。「ザ・私小説」とでも名付けたくなるような名品揃いの短編集である。
 豆腐屋を辞めて(自称)小説家になった自分の周辺を書き綴った18編で、素朴で貧しく、(著者を含めて)生きることに不器用な人々が多数出てくる。それぞれの短編ごとに扱っている内容が違うが、どれをとっても昭和の貧しさが迫ってくる。僕の記憶の中でも、昭和という時代(特に30〜40年代)は貧しく厳しい時代だった。そして、この本に登場するような、社会に押しつぶされそうであえいでいるような人々がまわりにたくさんいたように思う。「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。」などというような脳天気なものではなかったと思う(「レトロにもほどがある -- ALWAYS 三丁目の夕日(映画)」を参照)。
 そんな厳しい時代であるにもかかわらず、著者の目線には、子どもに対する愛情や妻を思う心情、周りに対する優しい眼差しがある。そして、それがこちらに伝わってくる。本書で突きつけられる内容は決して甘い現実ではないが、著者の優しい視線に救われる思いがする。
 扱われている内容はどれもさりげない日常ではあるが、劇的な要素も多く、読み物としての面白さも備えている。18編すべてがよくできているわけではないが、総じて水準は非常に高い。まさに「珠玉」という言葉がよく似合う短編集である。文庫版の永島慎二の挿絵も味があってすばらしい。
 ちなみに、最初に収録されている「潮風の町」と最後の「絵本」は中学の教科書に採用されたらしい。「潮風の町」も「絵本」も、どうしようもなく哀しい物語である。
★★★★

参考:
竹林軒出張所『暗闇の思想を(本)』
竹林軒出張所『明神の小さな海岸にて(本)』
竹林軒出張所『ルイズ 父にもらいし名は(本)』
竹林軒出張所『あぶらげと恋文(本)』
竹林軒出張所『五分の虫、一寸の魂(本)』
竹林軒出張所『小さなさかな屋奮戦記(本)』
竹林軒出張所『仕掛けてびっくり 反核パビリオン繁盛記(本)』
竹林軒出張所『ケンとカンともうひとり(本)』
by chikurinken | 2009-09-21 18:46 |

天然の美

b0189364_106390.jpg 先日、『天然の美』というCDを図書館で借りた。塩田美奈子というオペラ歌手が出したCDだが、「天然の美」といえば、デモンストレーターというか……ま、いわゆるチンドン屋さんだが、よく演奏するあの定番曲で、何となく古いイメージがある。クラシカルという意味で古いのではなく、もっと下賤というか通俗的というか、そういった古さで、はっきり言ってしまえば「古臭い」感じである。このCDには「大正ロマンの歌」というサブタイトルが付いていて、要は、大正時代のはやり唄を集めたCDである。
 「大正ロマンの歌」らしく「恋はやさし野辺の花よ」や「ホフマンの舟歌」などの浅草オペラで有名な曲も取り上げられている。第一線のオペラ歌手が浅草オペラの歌を取り上げるというのもはなはだ興味深い。他にも「バイノバイノバイ」や「道頓堀行進曲」のような古臭い歌もある。当初、いくらオペラ歌手といっても、こういうものに手を出すのはいかがなものかと思っていたのだが、聴いてみるとそれなりに味わいがあって良い。エノケンのような下品な歌い方ではなく、どちらかというと、「お母さんといっしょ」の「歌のおねえさん」のような、明るくさわやかな(なおかつ少し大げさな)歌唱である。「ゴンドラの唄」、「宵待草」、「カチューシャの唄」などは、他の日本人声楽家にもたびたび取り上げる歌で、こちらもそつなくこなしている。
b0189364_1073694.jpg この塩田美奈子は、美空ひばりの歌を集めたアルバムも出しており(『川の流れのように〜美空ひばりをうたう』)、「お祭りマンボ」や「愛燦燦」などがきれいな歌唱で聴ける。美空ひばりは、僕にとって、何度トライしてもなかなか良さがわからないタイプだった。だが、この美空ひばり歌集で歌われる、美空ひばりと似ても似つかないさわやかな歌声は結構好きである。同じ歌でも、こうまで違うのかと思うほどで、まったく別の歌のようにも感じられる。ただし、美空ひばりに特別な愛着を持っている人であれば逆の反応を示すかも知れない。
 この歌手、つまり塩田美奈子は、日本語で歌うということを重視しているようで、有名なオペラの歌曲を日本語で歌ったアルバムも出している(『オペラ・アリア集(日本語訳)』)。また、クラシックの名曲に日本語の詞を付けたアルバムもある(『愛を歌う』)。試みが成功しているかどうかはそれぞれで評価が異なるだろうが、なかなか意欲的で好感が持てる。だからと言って、このお方、今どきのビジュアル系クラシックとか奇をてらった企画とかの部類に入るような歌い手ではなく、経歴はなかなかのもので、まったく侮ることはできない。「羊の皮を被った狼」である(ちょっと違うか)。以前紹介した鈴木慶江にしてもそうだが、しっかりした実力を持ちながら、新しい音楽ジャンルに果敢にチャレンジするその精神は「佳きかな」である。
by chikurinken | 2009-09-20 10:11 | 音楽

三善英史の少年記

b0189364_11323948.jpg少年記

歌:三善英史
作詞:吉田旺
作曲:中村泰士

下駄の鼻緒が切れた時
白いハンカチ 八重歯で裂いて
黙ってすげてくれた人
ああ くれた人
おねえさん おねえさん 初恋屋敷町
そのあと僕は 大人になりました
三月一日 花曇りでした

風邪で早引きした日暮れ
庭の紫陽花 切り花にして
格子にさして行った人
ああ行った人
おねえさん おねえさん 雨傘水たまり
あのあと何故か 逢えなくなりました
六月九日 梅雨さなかでした

上り列車を待つ僕に
春にお嫁に行くわといって
日記をそっとくれた人
ああくれた人
おねえさん おねえさん 初恋白い息
あれから僕は 無口になりました
明けて一月 細雪でした
(聴き取りで入力したので一部間違っているかも知れません)

 僕と同世代の人なら知っていると思うが、70年代に三善英史という歌手がいた(ちなみに今でも芸能活動されています)。数曲そこそこのヒットを飛ばして、歌謡曲の最前線から退いていった。紅白や大河ドラマにも出たくらいなので、まさに最前線にいたんだろうが、ちょっと異色のオネエ系で、大河ドラマにも女装して出ていたような記憶がある。デビュー曲の「雨」がスマッシュヒットして、「ンあめにぃ〜ぬぅれぃなが〜ら〜」という歌は、子ども時代のわれわれもよくモノマネしていたほどなんで、やはり売れたんだろう(この歌は今でもときどきテレビで流れている)。そんなわけで、僕の中では、「一世を風靡」とまでは行かないまでも、売れた歌手という印象が強かったんで、CDなんかも普通に復刻されたりしているんだろうと思っていたんだ。ところが過去の歌を集めた(いわゆるベスト盤)CDは、ここ最近まで数枚しか出ていない。こちらとしては「え〜そんな扱いなの?」という感覚である(僕の知る限り2枚、1枚は西川峰子とのカップリング……どういう組み合わせなんだ)。
 そのうちの1枚、〈COLEZO!〉というシリーズの三善英史ベスト盤は、2005年に出されたもので、三善英史のシングル曲がかなり網羅されており最初(で最後?)の決定版という感じだったが、この中には「少年記」が入っていなかった。僕の中では「三善英史のヒット曲→1.雨、2.少年記、3.円山・花町・母の町……」という図式があったので、なんで「少年記」がないんだろと思っていたのだ。だが調べてみると、「少年記」は過去デジタル化された形跡すらない(つまりCDに収録されたことすらない)。今聴こうと思ったら、古いアナログ・レコードを買うしかないのかという状況で、中古市場も調べていたところだ。ちなみに中古市場には『少年記』のシングル盤がたくさん出回っている。出回っている量が多いところを見るとやはりヒットしたということなんだろうか。
b0189364_11253833.jpg で、先日ついに、「少年記」が収録されたCD(『ゴールデン☆ベスト 三善英史 雨~円山・花町・母の町』)が出された。これでいつでも「少年記」を聴くことができるという状況になった。ただ、このCDで聴きたいのはこの1曲だけなので、買うのはちょっと……ということで、今レンタルの店を探しているところである。
 このCDには、他にも「美少年〜森蘭丸」というなんだか意味深の歌があって、ちょっと気になっている。いかにもオネエ系の歌のような気もするが、まったく聴いたこともないし存在すら知らなかったので何とも言えない。だが多少興味はある(←怖いモノ見たさ)。
 「少年記」は、叙情的な歌詞が印象的で、「下駄の鼻緒をすげかえる」という情景が映画の1シーンのようでもある。最初に聴いた頃(つまり子ども時代)はよく意味がわからなかったが、何かの子ども向けマンガでこういうシーンが出てきて、ああこういうことねと理解できた記憶がある。そのマンガもこの歌詞からドラマを引用していたのかも知れないが、もっと前の映画(またはドラマ)でも同じようなシーンを見た記憶があるような気もするんだな。そうすると、この歌の方が題材をよそから持ってきているというか、パクリというか、そういう要素があるわけだ。だがこの辺の記憶はものすごく曖昧で、本当のところどれが事実かわからない。何が何だかわからない世界である。もっとも、子ども時代というのは、子ども自身にとってある意味「何が何だかわからない世界」なんで、そのあたりは酌量していただきたいところである。

 YouTubeでも聴けるようになっています。
  YouTube『三善英史 少年記』
by chikurinken | 2009-09-18 11:29 | 音楽