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竹林軒出張所

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国名改正論(「チャバン」という国の国民)

 やる前から結果が出ている選挙って何なんでしょうか。
 マスコミはビンジョーでお祭り騒ぎ。どのチャンネルも右にならえで同じ番組をやっている。テレビでは評論家達がわかったようなことをしたり顔で言う。翌日に結果だけ報道したらいいんじゃないのといつも思う。選挙のたびに感じるが、いろいろなことが茶番にしか思えない。

テレビはいったい誰のためのもの 見ている者はいつもつんぼさじき
気持ちの悪い政治家どもが 勝手なことばかり言い合って
時には無関心なこの僕でさえが 腹を立てたり怒ったり
そんな時 僕はバーボンを抱いている
(吉田拓郎「ペニーレインでバーボンを」)

 故・筑紫哲也がかつて言っていたが、アメリカの政治が革新系になると日本も革新系になる……らしい。そう考えると、今回の選挙は予定調和だったんだろうかとも思えてくる。
 そう思うとマスコミの騒ぎがますます茶番に見える。「Japan」という英語の語源がチャバンから来ているのではないかと錯覚するほどである。

 まあともかく、これから少しは街が静かになると思うと少し安堵。などと思っていたら「あ○の・あ○の」などと連呼している「街宣車」が大音量でやって来た。今日から市長選だってさ……。俺の生活もなんだか茶番……。

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「小沢ガールズ」とか「小泉チルドレン」とかいう命名も気色悪い。
茶番にしか見えない。

by chikurinken | 2009-08-31 14:41 | 社会

レトロにもほどがある -- 『ALWAYS 三丁目の夕日』(映画)

b0189364_8382399.jpgALWAYS 三丁目の夕日(2005年・東宝)
監督:山崎貴
原作:西岸良平
脚本:山崎貴
出演:吉岡秀隆、堤真一、薬師丸ひろ子、小雪、堀北真希、三浦友和

 戦後日本を舞台にした、懐かしさが評判の映画である。
 「東宝映画」と出る冒頭のオープニングロゴも昔風で、映画自体の画面サイズもシネスコ風(おそらく実際はレターボックスなんだろうが)。なかなかレトロである。舞台が昭和33年で、言うまでもなく内容もレトロ。演技は全体にオーバーアクトで、こちらが気恥ずかしくなるようなものも多い。デフォルメが過剰で「マンガやがな」と突っ込みを入れたくなる。ま、原作はマンガなんだが(西岸良平の『三丁目の夕日』)。妙に陽気な登場人物達が嘘臭い。
 くすぐりや笑いのパターンも古く、レトロを感じさせる。ドラマのパターンもどこかで見たことがあるようなエピソードばかりで、その先が十二分に予想できる。こちらも使い古されたパターンである。レトロ。
 「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。」というキャッチフレーズも少しうさんくさく感じる。
 ただ、あらゆる要素が単純化されているんで、ふだんあまり映画を見ない人々でも楽しんで見ることができるような内容である。家族揃って「お茶の間」で見るには非常に良い映画ではないかとおもう。このあたりの狙いもレトロと言えばレトロだよなぁ。

付記1:集団就職でやってくるロクという少女を若手女優が演じていて、初めて見る顔だがなかなかうまいなと思っていたところ、後でキャプションを見て堀北真希であることがわかった。初めて見る顔ではなかったんだな、これが。アイドル路線の女優かと思っていたが、意外に実力派であった。
付記2:西大寺でロケをやったと聞いたが、どうも高円寺の風景がそれらしい(という印象を受けた)。ほんとのところはわからない。合成のネタとして使っているのかも知れない。
 西大寺 三丁目では高円寺
 お粗末。

★★★
by chikurinken | 2009-08-29 08:44 | 映画

なんのこっちゃの1日

 今日はいろいろ予定を立てていたにもかかわらず、まったく無為に過ごしてしまった。むなしくって仕方ない。

   一日を無為に過ごすも蝉時雨

 朝からなんとなく気分が優れなかったが、今日のように空がどんよりしていると、むなしさもひとしおである。ンモーッ!
などといろいろ考えているうちに、用事があるにもかかわらずそれができないからむなしさを感じるのではないかとふと気が付いた。はなから用事がなければ、無為に過ごしていてもむなしいという感覚にはなるまい……。というわけで、今日ははなから用事がなかったことにする。

   虚しさを捨て去るために虚無になり そうすることすら虚しと映る

 まったくもってなんのこっちゃである……
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(写真は、本文とはまったく関係ありません)

by chikurinken | 2009-08-28 18:21 | 歳時記

『ハチはなぜ大量死したのか』(本)

b0189364_10281450.jpgハチはなぜ大量死したのか
ローワン・ジェイコブセン著、中里京子訳
文藝春秋

 とても真摯で良い本なのだが、はなはだ読みづらい。翻訳もそれほど悪いわけではないんだが、文章のリズムが悪いのか、とにかく読むのに時間がかかった。
 『ハチはなぜ大量死したのか』というタイトルが提起する疑問、つまりハチが大量死した原因の究明は前半でほぼ終了する。前半を読めば、ネオニコチノイド系の農薬が大きな原因だということがわかる。だが、後半に入ると、著者の主張は一変し(そういう印象)、それが原因の1つではあるが、本当のところは複合汚染なんだよと言われてしまう。それに続いて、あまりにも経済原則に縛られている養蜂、農業、食物産業などの問題点を指摘し、自然に根ざした本来のあり方に戻るべきだという主張が出てくる。つまり本書の主張は、そういうことなのである。僕自身、これについてはまったく同感で、食品ジャーナリストが書いた「農業の自然回帰を勧める本」としてこの本を読んでいれば、まったく不服はなかったのだろう。だが、『ハチはなぜ大量死したのか』というタイトルに引きずられていたせいか、相当な違和感に支配されることになった(特に後半)。
 原題が『Fruitless Fall - The Collapse of the Honey Bee and Coming Agricultural Crisis』、つまり『実りのない秋 - ミツバチの崩壊と来るべき農業危機』だから、このタイトルは本書の内容を過不足なく表現している。地味だがすばらしいタイトルである。なぜ、日本語版に『ハチはなぜ大量死したのか』というタイトルを付けたのか、まったくもって疑問。まさに「看板に偽り」で、すばらしい本だったものが、結果的に一貫性を欠いたまとまりのない本になってしまっている。非常に残念。タイトルの重要性にあらためて気付かされたが、本書の日本語版スタッフに対しては怒りを禁じ得ない。
 ここまでは、日本語版に対する批判である。

 ここからは、内容の要約(ネタバレ注意)。
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 アメリカとヨーロッパで、巣箱のミツバチが突然いなくなるという蜂群崩壊症候群(CCD)が頻発しているという。養蜂家や学者などが原因をたどったところ、蜂群にダメージを与えるミツバチヘギイタダニ、この寄生虫に対する駆除剤、さまざまなウイルスなどが原因ではないかということがわかったが、最終的にネオニコチノイド系の農薬が大きな影響を与えているのではないかということが判明した。これは養蜂家の直感とも一致する事実である。ネオニコチノイド系の農薬というのは、農産品の種を浸けるだけでその植物の生涯にわたりその植物全体に浸透するというもので、この植物の一部を食べた昆虫に対し、神経を攪乱させる作用を及ぼす。その葉や茎、実を食べた昆虫は、急性アルツハイマーのような症状を呈して、やがて死んでしまうという。で、その農薬が浸透した花粉や蜜を食べたミツバチが、巣箱に戻れなくなったことで消えてしまったのではないかという結論である。
 一方で養蜂が現在さらされている状況も大きな原因になっている。つまり大量の収量をあげるため、薬品や抗生物質の投与、(トラックによる)巣箱の遠距離移動など、ミツバチに対して過剰なストレスをかけている。それは他の食肉産業や農業でも見られる収奪型の形態で、本来自然と密接にかかわりながら行わなければならない産業であるにもかかわらず、経済的な「合理性」に引きずられて当事者や消費者たちが陥ってしまった病である。そこから抜け出るのは非常に難しく、最終的に自然を破壊することにつながる。今のCCDの頻発というのは、こういう状況を示しているのではないか。これが本書の主張である。
 ミツバチが自然の中で果たしてきた役割(つまり受粉だが)は非常に大きく、ミツバチが今のような状態で姿を消せば、植物の種(しゅ)が大幅に減ることは目に見えており、生態系に対する影響は計り知れない。養蜂だけでなくあらゆる食品産業で自然に回帰することが必然になる。
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 このように主張がしっかりしていて非常に良い本である。先ほども書いたが著者は食品ジャーナリストだ。もう一度言うが、学者が書いた「ミツバチがいなくなった原因を究明した本」ではない。

★★★☆
by chikurinken | 2009-08-27 10:30 |

秋の空と秋の夕暮れ

秋の空
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 秋は良いよね、ホント良いよねなどと言いながら、川辺を歩く午後三時。

秋の夕暮れ
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 秋は良いよね、ホント良いよねなどと言いながら、公園を歩く午後六時。
 この後、タイムスリップしたかのような光景が僕を待っていた。今一つかれらの趣味がわからない。
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by chikurinken | 2009-08-26 12:49 | 日常雑記

今日の歳時記 「風は秋色」編

 8月の終わり頃、見たところ、灼熱だった前日と変わらないのに、空気だけがひんやりと涼しく、「あ、秋……」などと感じる日がある。気象学的に見れば、「大陸の高気圧が張り出して冷たい空気が上空に流れる」ということなんだろうが、そういう言い方をすると季節感も何もない。そういうマクロ的な見方ではなく、もっとミクロ的に感じるのが詩というものである。
 ともあれ、どうやら今日がその日に当たるようで、外はカンカン照りであるにもかかわらず、空気がなんとも心地良い。

   涼風にまばゆき光も秋模様

 空の色も心なしか透明度が深いように感じる。

   心地良き空気に空の青も濃く

 今年は例年に比べ生活が厳しく、あまり明るい気分にもなれないが、季節は同じように過ぎ去っていく。自然は同じように繰り返すのであって、違うのは主観のみである。

   憂き身にも涼やかな風の通りゆく

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写真は昨年秋に撮ったものをソフトウェアで連結処理しパノラマにしたものです。

by chikurinken | 2009-08-24 15:50 | 歳時記

山之口貘の詩、そしてとぼけた味わいの曲

b0189364_182432100.jpgたぬき

歌:つれれこ社中
 (上野茂都、鈴木常吉、桑畑繭太郎)
詩:山之口貘
作曲:上野茂都

てんぷらの揚滓それが
たぬきそばのたぬきに化けても
たぬきうどんの
たぬきに化けても
たぬきは馬鹿には出来ないのだ

たぬきそばはたぬきのおかげで
てんぷらそばの味にかよい
たぬきうどんはたぬきのおかげで
てんぷらうどんの味にかよい
たぬきのその値がたぬきのおかげで
てんぷらよりも安あがり

ところがとぼけたそば屋じゃないか
たぬきは生憎さま
やっていないんです
てんぷらでしたらございます

そこでボクはいつも
すぐそこの青い暖簾を素通りして
もう一つ先の
白い暖簾をくぐるのだ

 詩人、山之口貘の詩に曲を付けたものだが、とぼけた味がなかなか良い。曲調も歌い方も実にとぼけている。三味線、アコーディオン、太鼓というアンサンブルも、おとぼけここに極まれりという組み合わせである。この曲は、『獏 詩人・山之口貘をうたう』というCDに収録されているもので、他にも上野茂都のソロCD『唄草子 其の壱 あたま金』にもソロ・バージョンが収められている。
 『貘-詩人・山之口貘をうたう』というCDだが、収録されている曲の多くは高田渡が歌っており、企画にもかかわっているんじゃないかと思う。というのは、高田渡が、山之口貘の詩を多く取り上げて曲を付けていて、山之口貘の伝道者的な側面があるため。かくいう僕も高田渡経由で山之口貘を知った。

 このCDに入っている「頭をかかえる宇宙人」という歌も、高田渡作の曲は単調だが、詩がすばらしい。

b0189364_18253814.jpg頭をかかえる宇宙人

歌:高田渡、ふちがみとふなと
詩:山之口貘
作曲:高田渡

青みがかったまるい地球を
眼下にとおく見下ろしながら
火星か月にでも住んで
宇宙を生きることになったとしてもだ

いつまで経っても文無しの
胃袋付きの宇宙人なのでは
いまに木戸からまた首がのぞいて
米屋なんです と来る筈なのだ

すると女房がまたあわてて
お米なんだがどうします と来る筈なのだ

するとボクはまたボクで
どうしますもなにも
配給じゃないか と出る筈なのだ

すると女房がまた角を出し
配給じゃないかもなにもあるものか
いつまで経っても意気地なしの
文無しじゃないか と来る筈なのだ

そこでボクがついまた
かっとなって女房をにらんだとしてもだ

地球の上での繰り返しなので
月の上にいたって
頭をかかえるしかない筈なのだ

 「宇宙人」という、SF的で、ある種壮大なスケールを感じさせるテーマでありながら、恐ろしく卑近な内容の詩である。山之口貘には、こういうとぼけた味わいの詩が多いが、それでも若い頃は結構苦労したらしく、ホームレス生活を送っていたこともあるという。そのあたりは「生活の柄」や「ものもらい」などの詩でも表現されており、とぼけた作品を作るからといって、のんべんだらりと暮らしているわけではないんだな、これが。また、ちょっと見た感じあっさりと書いたような詩であるが、ご子息の話によると、推敲と修正を随分重ねていたらしい。そのためか、作品の数もあまり多くない。現在、『山之口貘詩文集』という本も出ているが、この1冊に大部分の作品が収録されているようだ。詩自体は言うに及ばずだが、高田渡などのソングライターが付けた曲もすばらしい。曲だけ取ってみると音楽的に卓越したものはほとんどないが、実に巧みにとぼけた世界を表現している。吟遊詩人、高田渡の真骨頂と言ってよいだろう。

参考:
「上野茂都という人」(竹林軒ネット)
竹林軒出張所『詩のこころを読む(本)』
竹林軒出張所『高田渡と父・豊の「生活の柄」(本)』
by chikurinken | 2009-08-22 18:30 | 音楽

ドラえもんの時代性に関する一考察

b0189364_113988.jpg 岡山県立博物館の企画展「昭和のくらし - 50年前のおかやま」というのを見に行った。
 約50年前の生活用品が展示されていて、今の若い人にとっては珍しいものかも知れないが、僕にとってはほとんどリアルタイムで使ってきたものばかりだ。というわけで、僕にとっては珍しいというより懐かしいものである。こういうのは若い世代と一緒に行って、昔はこうだったなどとウンチクをたれるのが楽しい。講釈を聞かされる側にとってはうっとうしいかも知れないが。
 そんなわけで、中学生と小学生の子どもを連れて行って、あれこれ得意気に説明した。やはりというか、他にも同様の組み合わせ、つまり親子が多く、親の方が子どもにウンチクをたれていた。といっても、ほとんどが「懐かしい!」とか「昔はこういうのを使っていたんだ」とかいうレベルで、ウンチクにもなっていない。
 展示品の中で僕のお気に入りだったのは、手回し脱水機付きの洗濯機である。初期の洗濯機には、今のような回転式の脱水機がなく、ローラー式の脱水機が付いていた。見たことのない人には想像がつかないかも知れないが、銅版画のプレス機とかパスタ・マシンみたいなものが洗濯機に付いていたのだ(わからない? 写真参照)。ああ……なつかしい……。
b0189364_1132297.jpg この手回し脱水機付き洗濯機をはじめ、いろいろな物品について子どもに解説して悦に入っていたのだが、意外なことに、彼らは古いものについて割合よく知っているのだ。レコードとか8mmカメラとか見たことがないはずなんだが、説明しようとすると、使い方なんかよく知っている。で、理由を聞くと、マンガの『ドラえもん』にこういったレトロなものが頻繁に出てくるということだった。
 そう言えば『ドラえもん』は僕が小学生のときに始まったマンガである。そのため、単行本化されている『ドラえもん』は、われわれが子どもの頃読んでいたものと同じで、これを今の子どもたちが読んでいるのだった。おかげで子どもに自慢気にウンチクをたれるという試みは、志半ばにして失敗することになった。
 こうしてあらためて考えてみると『ドラえもん』も随分長寿のマンガである。うちの子どもによくバカにされている「のび太」にしてみても、実在すれば40歳近くになるはずだ。なんとも不思議な感覚。

追記1:『ドラえもん』が登場したときも、『オバケのQ太郎』とか『パーマン』の系統の藤子マンガで、恒例の化粧直しパターンだと感じていた(と思う)が、結果的に『ドラえもん』だけが異様にヒットしたことになる。確かに当時も面白いと感じたが、僕としてはオバQの方に愛着があって、(オバQの)亜流のイメージがずっとつきまとっていた。
追記2:この企画展で「原動機付き自転車」というものが展示されていた。いわゆる「原付」なんだが、しかしここに出ていた原付、今の原付バイク、つまりオートバイのイメージとはほど遠く、文字通り自転車にエンジン(つまり原動機)が取り付けられていた。今の電動アシスト自転車みたいな感じである(上に載せた企画展のチラシの右側に写真が付いている)。これは今回初めて見たもので新鮮であった。

参考:
竹林軒出張所『あこがれの家電時代(本)』
竹林軒出張所『70年代アナログ家電カタログ(本)』
竹林軒出張所『日本懐かしオーディオ大全(本)』
竹林軒出張所『ラジカセのデザイン!(本)』
竹林軒出張所『昭和のレトロパッケージ(本)』
by chikurinken | 2009-08-21 11:06 | 日常雑記

選挙雑感

b0189364_1945406.jpg 今日「週刊文春」を読んでいたら、各選挙区、各議員の当確予想をやっていて、すでに「当選確実」が出ているものもあった。やる前から結果がわかっている選挙というのも何なんだろうと思うが……。民主党が300議席獲得するというような勢いだという。いよいよ55年体制に完全に幕が下ろされる様相を呈してきた今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか。
 そもそも15年以上前に変わっていても良かったんだが(そのチャンスもあったし可能性もあった)、しぶとい自民、なんとか生きながらえてきた(結果的に今の不安だらけのすさんだ社会を招くことになった)。今度という今度は凋落のきっかけになるんではないかと思う。とっとと舞台から消えてくれというのが本音。
 僕は、支持政党を持たない、いわゆる無党派層に入るんだろうが……この無党派という言葉、本当は自分では使いたくないくらい気に食わないのだ。支持政党を持たないことが罪悪であるような響きがある。どこか「上から目線」的な響きもある。そもそも政党というのは、本来理念を同じくするものの集まりであるはずなのに、今の二大政党である自民党や民主党は、利益を同じくするものの集まりではないか。こちらの利害と絡まない限り支持なんかするわけないじゃないか。今の日本では、無党派であることが正常なのである。プンプン!
 いやまあともかく、僕は無党派なんだが、今回のマニフェストを見る限り、民主党の圧勝という感じはあった。民主党のマニフェストでは、今の政治の問題点を照らし出しながら、新しい策を提案していた(実現可能かどうかはわからないが)。自民党のマニフェストが、現状のみを踏襲しているのと大違いだ。「現状を踏襲」というのは何もしないということなんだぞ。この不安だらけの現状が「良い状態」であるわけないじゃないか。
 民主党のマニフェストに全面的に賛成というわけでは決してないが、相当額の児童手当を明言している点は評価に値する。できれば、児童だけでなく、すべての人々に一律に生活費を支給するベーシック・インカムの導入を提示してほしかったが、そういう流れにつながる可能性を持つ政策だと思う。この点については大いに評価したい。
 もっとも民主党が政権を取ったからといって良い方向に変わるとは思えないし、思ってもいない。要は、政治の動きとは関係なく、別のレベルで普通に生活できるようにしてほしいということだ。「政治なんてものは永田町の町内会みたいなものだ」とテレビで言い放ったのは、作家の赤瀬川隼である(その後、司会のフクドメから無視され続けるという憂き目にあったのが)。われわれ市民の実感はそういったものだ。だからそっちはそっちでやってくれてかまわないから、生活を圧迫しないでくれってこと。経済的に良いときは税金や社会保障費をたんと払ってるんだから、運悪く危ない状態になったからといて放置されるのはかなわない。今みたいに取りっぱなしで後は適当にやってくれってんだったら悪代官と同じレベルである。

 助さん、格さん、懲らしめておやんなさい……
 そういう心境の今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか……あ、さっきも書いたか……
by chikurinken | 2009-08-20 19:49 | 社会

『ロスジェネはこう生きてきた』(本)

b0189364_850446.jpgロスジェネはこう生きてきた
雨宮処凛著
平凡社新書

 1975年生まれの雨宮処凛(あまみやかりん)による半生記。自身の体験を通して同時代を映し、現在かれらの世代(ひいてはすべての市民)が直面する様々な問題を照らし出している。
 暴力が支配する中学時代(このあたりの記述がすさまじい)を送り、高校時代はヴィジュアル系バンドの追っかけで明け暮れる。それに伴い親との確執から自傷行為に走るようになる。高校を卒業すると、フリーターとして生活するようになり時代の閉塞感を膚で感じるようになる。なかなかフリーター生活から這い出ることができない現実。将来に対する希望もない不安の日々。やがて新右翼の団体に入り、右翼活動をしながら社会の問題に目覚めていく。
 ロスジェネ世代(70年代初頭から80年代初頭生まれの、団塊ジュニア、就職氷河期世代のことをロストジェネレーション、略してロスジェネと呼ぶらしい)の多くが、著者と同じような境遇だったかどうかはわからないが、現在困難を抱えている人々に同世代の人間が多く、その原因が世代的なものではないかと著者は感じているようだ。
 自らの経験からさまざまな問題を明らかにしていくという手法が非常に効果的で、説得力を持っている。1人の人間を描いた読み物としても非常に興味深い。

★★★☆
by chikurinken | 2009-08-18 22:51 |