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竹林軒出張所

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カテゴリ:美術( 26 )

こんなんあります

「西岡真太郎銅版画展」
ギャラリーグロス(岡山市北区富田町)
2015年3月17日〜3月14日
10:00-19:00(期間中無休)最終日は17時終了

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 会場は、かつてフィリップ・モーリッツアーリング・ヴァルティルソンの展覧会を開催したお馴染みのギャラリーグロス。コーヒーの美味しいギャラリー喫茶です。エッチング、メゾチント、エングレーヴィング作品を展示します。
 考えようによってはモーリッツやヴァルティルソンに並んだということになるな……。

竹林軒出張所『フィリップ・モーリッツ銅版画展』
竹林軒出張所『アーリング・ヴァルティルソン メゾチント銅版画展』
by chikurinken | 2015-03-06 08:18 | 美術

特別展覧会『狩野山楽・山雪』

b0189364_830533.jpg 京都に行ったんで、ついでと言っちゃあ何だが、ゴッホ展に続いて国立博物館にも足を伸ばした。国立博物館では、京狩野の始祖とも言うべき狩野山楽、狩野山雪の展覧会が行われている。こちらも大雨の影響か、日曜日の午後であったにもかかわらず行列はなく、どちらかというと特別展にしては人が少ないといって良い。これならばゆっくり見ることができる。ただ館外の庭にはテントがしつらえられていたりしたので、普通の日であれば行列になっているのかも知れない。
 個人的には日本画にあまり興味がないので京狩野の魅力もあまりわからないんだが、それでも展覧会がかなり意欲的であることはわかった。作品数が比較的少ないと言われる狩野山楽の作品も相当数集められている。また狩野山雪の作品も非常に多く、おそらく全体の2/3以上が山雪の作品で、また種類も多岐に渡っていた。さすがに京都の博物館といったラインアップである。ただし入場料も1400円と高めである。
 狩野派の絵であるため、きれいによく描けてはいるが、個人的には特に印象に残るようなものはない。そもそも僕自身があまりこういう絵に目が利かないというのもある。実は一番印象に残ったのはそれぞれの作品につけられている解説で、展示作品の前にしつらえられているガラスに貼られていたりして、こういう見せ方は斬新だと思った。また解説の記述に砕けた調子が多く、従来のこういった博物館の硬いイメージから脱却しようとしているのかしらんが、それはそれで読みやすくて良いんじゃないかと思う。ただ書かれている内容がちょっとやり過ぎと感じる部分も結構あり、たとえば「……。うまい。……」などと書かれていたりして、お前えーかげんにせーよと思ったりもする。
b0189364_8312197.jpg 東京の国立博物館には「キュレーター」などという人がいて見せ方を工夫することで人気を集めているという話を前に聞いたことがあるが、京都にもそういう影響があるのか、そのあたりはよくわからない。そう言えばこの展覧会でも途中高級レストランみたいなパーティションや照明が置かれて、雰囲気を盛り上げる工夫があった。こういう風潮には軽薄なイメージがついてまわって、僕自身はあまり好感を持っていない。本当のところは、見せ方じゃなくて作品ラインアップや館内の快適性で勝負してほしいとは思うのだ。それに東京国立博物館みたいに奇を衒った見せ方をされると、僕みたいな古い人間は逆に反発を感じてしまったりもする。今回の展覧会については、解説の記述がやり過ぎだと思った以外それほど気になることはなかったんで、まあよろしいんじゃないかとは思っている。
 なお、京都国立博物館では平常展示館が現在改修中であるため常設展は見られなかった。ゴッホ美術館のようにどこか外国の美術館に『京都展』とかなんとかいうタイトルで作品群が貸し出されているのかも知れない。

特別展覧会『狩野山楽・山雪』
会場:京都国立博物館
期間: 2013年3月30日(土) -- 2013年5月12日(日)
by chikurinken | 2013-04-09 08:33 | 美術

京都のゴッホ展 ……あんこも欲しいじゃないか

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 京都・岡崎の京都市美術館で開催されている『ゴッホ展』に行ってきた。
 最近は美術ブームのせいだか何だか知らないが、首都圏や近畿圏で開催される展覧会はどこも超満員という印象で、まったく行く気がしない。こんな展覧会でなぜこんなに長蛇の列が……と思うことが過去多々あり、前売券を買っていたにもかかわらず入口の長蛇の列を見て結局入場を断念したことすらある(東京・上野の森美術館の某展覧会)。10年くらい前の京都国立博物館の雪舟の展覧会も異常な人だかりで、入る前から驚嘆したのだった。本当なら、行列にではなく美術作品に驚嘆したかったところだ。普段なら行列に並んだりするのはイヤだが、もう前売券を買っていたのでしようがなしに30分〜1時間ばかり並んで館内に入ったは良いが、館内では「立ち止まらないでください」などと絶叫する係員がいたりして、パンダを見に来たんじゃねぇなどと心の中で悪態をついて結局ほとんど何も見ずに出口に向かった。こんな環境で美術を見ることに意味があるのか、その辺を関係者に問いたいところだ。そういうわけで、行列のできる展覧会なんか金輪際行く気はない。
 今回の『ゴッホ展』も、「ゴッホ」という美術界のビッグネームで、しかもアムステルダムのゴッホ美術館の作品が50点以上来ているというので、長蛇の列必至と思いながら岡崎に向かったのである。元々の目的がこの展覧会だったわけじゃないので、行列ができていれば入らないつもりでとりあえず現場に赴いた。ところがあにはからんや、大雨だったせいか行列らしきものはなかったのだ。ちょっと驚きながらも、これはチャンスとばかりにチケットを買い入場した。
 内部はラッシュ状態で身動き取れないというほどではないが、絵の前にはそれなりに行列ができていて、人気の美術展であるならこれは致し方ないところ。ただこんな行列に並んでも時間だけが無駄に過ぎるので、とにかく遠目から見ながら、どんどん先に進んでいく。行列ができているのはおおむね最初の方だけで、後は行列があっても適当にまばらになっていて、やや遠目からでも結構見ることができるものである。それに行列が途切れる箇所も結構あるので、そういう場合は絵の前に進んでじっくり鑑賞することもできる。ある程度の行列ができている展覧会の対処法である。付け加えると、こういったやや大がかりな展覧会では、とりあえず最後まで簡単に全作品を見ていって、めぼしい作品があったらまた戻ってくるという方法が経験上一番良い。そういう意味でも行列に並ぶ意味はないと言える。それからさらに付け加えると、どうしてもじっくり見たい展覧会の場合は、閉幕1時間前〜45分前くらいに入るのがベストである。これは、通常の展覧会で閉幕30分前に入場ストップになることから、閉幕30分間は観客がどんどん減っていくためである。特に最後の5分くらいは館内ほとんど独り占めみたいな状態になることもある。
b0189364_92815100.jpg それはさておき今回のゴッホ展だが、異常な行列もなく見せ方自体も悪くなかったが、作品の質にどうしても疑問が残る。ホントにゴッホ美術館の所蔵品点なのかというようなゴッホの魅力に乏しい作品ばかりだった。ゴッホの作品の魅力はなんと言っても色彩で、特に晩年の淡い緑色は他の作家にない魅力を放つ。ゴッホはともすれば表現主義的な面が語られ、狂気がかった作品が注目を浴びることが多いが、実際のところ真の魅力は色彩である(と思う)。1985年に大阪の国立国際美術館でゴッホの大回顧展(ヴァン・ゴッホ展)を見たときに僕はそのことを思い知らされた。当時学生だった僕は、どうしても狂気がかったゴッホ像に目が行きがちでそちら方面の作品に注目しがちだったが、色彩豊かな多くの作品を目にして、この色彩こそが死後ゴッホが評価された理由だと確信したのだった。今回のゴッホ展は、残念ながらそういう色彩が魅力の絵がほとんど無かった。なんでも今回の展覧会、ゴッホのパリ時代(1886〜1888年)の絵が多いということで、その辺が理由なんだろうと思う。ゴッホの傑作がアルル時代(1888〜1889年)、サンレミ時代(1889〜1890年)、オーヴェール時代(1890年)に集中していることから考えると、なにゆえにパリ時代の作品ばかり集めたのだろうと疑問を持ってしまう。どう考えても今回のこのラインアップは画竜点睛を欠くとしか思えない。たとえ自画像を10点集めたところで、どれもプリミティブな作品ばかりで目玉になり得ない。パリ時代の解説があってそれなりに意味づけしているが、ゴッホの作品歴の中ではこの時代は予備的な部分といっても差し支えなく、後の時代があってこそ引き立つ作品群である。だから本当に目玉の部分がないと言えるんだ、今回の展覧会は。
 聞くところによるとゴッホ美術館は現在改修中らしく、そのために今回のように大量の作品が海外に出されたんだろうが、なぜよりによって画家の人生の中で周辺部と言って良いような作品ばかりが来たのか、それについては謎である。アンコの部分の一番美味しい作品群は、どこか金と政治力を持っている美術館がガバッとまとめて借り受けたのか、あるいはゴッホ美術館自身が重要な作品群を出すのを渋ったのか、それは一切わからないが、結局目玉のない「ゴッホ展」になってしまい、「ゴッホ展」と名うつにははなはだもの足りない作品展になっていたのは残念至極であった。

ゴッホ展 -- 空白のパリを追う --
会場:京都市美術館
期間: 2013年4月2日(火) -- 2013年5月19日(日)、その後、宮城、広島に巡回
by chikurinken | 2013-04-08 09:28 | 美術

職人への道 -- エングレーヴィング

b0189364_8453780.jpg 銅版画の技法の1つにエングレーヴィングという技法がある。銅板をビュランという彫刻刀で彫って線を刻んでいく技法で、「金属で金属を彫る」ことから、一種の彫金と考えることもできる。実は日本の紙幣の原版も銅版であり、しかもエングレーヴィングで彫られている。お手持ちのお札をルーペで見ていただくと、細い線をたくさん入れて陰影を作っていることがおわかりいただけるだろう。エングレーヴィングでは、線か点でしか表現できないので、暗いところには線をたくさん入れ明るいところにはあまり入れないという、そういう表現が必然的にとられる。
 エッチングやドライポイントと比べても難易度がかなり高く敷居も高いため、エングレーヴィングをやってみようという人はあまり多くないようだ。おそらくメゾチントよりも人口が少ないんじゃないかと思う(竹林軒出張所『メゾチントという絶滅危惧技法』参照)。そもそも銅版画の始まりがエングレーヴィングだったという話で、エッチングはお手軽に銅版画製作に近付くための手段として登場したのではないかと勝手に想像している。エングレーヴィングはやはり職人技なのだ。
b0189364_8463730.jpg さて、エングレーヴィングの大家といえば、ドイツの画家、アルブレヒト・デューラーで、エングレーヴィングをやるとなると当然意識せざるを得なくなる。ということで、僕もとりあえずデューラーの真似をすることにした。本当であれば『メレンコリア』あたりに取り組みたいところだが、これは「難易度が高い!」ということで、もう少し小さい版で模写してみることにした。ただ模写といっても、元絵をトレースして原画を描いたわけで、厳密には模写というのははばかられる。実質的には「お手本」みたいなものになるわけだ。で、今回取り上げた絵は『フィリップ・メランヒトンの肖像』である。『The Complete Engravings, Etchings and Drypoints of Albrecht Durer』という本に原寸大で収録されていたので、それを利用させてもらった。
 いざ取り組んでみると、曲線による陰影表現が非常に多く(髪や顔など)、いかにもエングレーヴィングな表現だと感じる。線による陰影表現の魅力みたいなものも感じることができる。そういうわけで、デューラーのドローイングも何点か模写してみた。また、デューラーの著作も読んだりしたのだった(竹林軒出張所『ネーデルラント旅日記(本)』参照)。おかげでデューラーをかなり身近に感じられるようになった。
b0189364_8452753.jpg 結論としては、思った以上によく彫れたが、納得がいかない箇所というのも非常に多い。模写する場合の常だが、どうしても原画に近づけようとするあまり、原画本来の表現方法から結果的に外れてしまうことがある。今回も本に印刷されたものが元絵なので、細かい線が見えない部分もあり、その辺は想像して再現する他なかった。印刷で線が潰れていたりする箇所もあって、いたずらに階調だけを近づけようとして汚い表現になってしまった箇所もある。このあたり反省材料である。次に模写するときに活かしたいとも思う。だが正直、エングレーヴィングの模写というか再現は、相当骨が折れるので、あまり気が進まないところなのだ。できあがった作品を原画と比べてみて、かなりガッカリすること請け合いという面もある(相手が大家なので致し方ないが)。自分の好きな絵柄を描いた方がどれだけ楽か知れないとも思う。とは言っても大変勉強になったのも事実で、エングレーヴィングの技術は、これ以前と比べて格段に向上したのではないかと自分なりに思っている。

参考:竹林軒出張所『メゾチントという絶滅危惧技法』
竹林軒出張所『ちょっとだけドライポイント』
by chikurinken | 2012-08-05 08:48 | 美術

メゾチントという絶滅危惧技法

 最近、銅版画で検索してこのブログに当たっている方が何人かいらっしゃいまして、そういうこともあって久々に銅版画の解説などをしてみようかなと思い立ちました。
 銅版画の技法の一つにメゾチントというものがあります。前にも書きましたが(竹林軒出張所『ちょっとだけドライポイント』)、ただでさえ廃れかかったマイナーな技法である銅版画の中でも、さらにマイナーな技法と言えるかも知れません。ではメゾチントとは? ということで今回はメゾチントについて少しご紹介を。
b0189364_1148156.jpg 銅版画の基本は、前にも書いたように、溝にインクを詰めてそれを刷り取るというものです。メゾチントではこの溝を縦横無尽に入れてしまいます。そのまま印刷するとどうなるかおわかりでしょうか。なんと全面真っ黒になってしまいます。これに「夜」などとタイトルを入れて一枚の絵にしてしまうのも一興ですが、もう少し洗練されたものにするために、この溝を一部削り取るようにします。この削り取り具合で、黒の階調を調節することができます。完全に削り取って平坦にしてしまえば白になります。そこら辺をうまいことやると、黒地を背景に白い部分が入った絵を作成できるというわけです(右の図 --文房堂のカタログより-- 参照)。
 このメゾチントという技法、元々は模写のための手段だったらしく、油彩などの大きめの作品を、小サイズのモノクロ版画として転写し、これを普及版として販売するということが行われていたようで、今でも当時の細密なメゾチントが残されています。少しずつ削っていくという地道な作業であるため、技法的にさっさと済ますという類のものではなく、そのために緻密な表現が可能になるということです。
b0189364_11463010.jpg なお、使用する道具は、溝を縦横無尽に入れる(これを「目立て」と言います)ための道具と削り取るための道具の2種類が最低でも必要です。前者は、一般的にはベルソー(ロッカーとも呼ぶ)が使われますが、ルーレットと呼ばれる「コロコロ」みたいな道具や、カッターナイフなどでも代用できます。ベルソーもルーレットも結構お高くなっています。需要があまりないことを考えれば致し方ないとも言えます。目立ては時間がかかる面倒な作業であるため、通常あまり大きな版は作れません(最近は機械を使って大判を作る人もいる)。目立て道具を持っていなかったり自分でやるのが面倒だという人向けに目立て済みの小サイズの銅板も売られています。削り取るための道具はスクレーパーやバニッシャーですが、こちらは銅版画で一般的に使う道具です。こういった原始的な道具を駆使して、銅板に立ち向かっていくのがメゾチントです。
 メゾチントは一度は廃れた技法で、それを長谷川潔という人が復活したという話です。その後、浜口陽三という人がカラーメゾチントの技法を確立したということで、そういうこともあってか、日本ではメゾチントは比較的よく知られていますが、よそではマイナーな存在のようです。
 私も最近メゾチントの作品を何点か集中的に作りました。率直な実感は「手間がかかる!」ということで、とにかく終えるまで、場合によっては何ヶ月もかける必要があります。それでもやはり、メゾチントで表現される黒の魅力はナカナカで、ちょっと「やめられまへんなあ」というところもあるのです。今は少しメゾチントから離れていますが、いずれ再開しようと思っております。

参考:
女子美術大学版画研究室『メゾチント』
竹林軒出張所『模写好きの弁』
竹林軒出張所『アーリング・ヴァルティルソン メゾチント銅版画展』
竹林軒出張所『ちょっとだけドライポイント』

プチギャラリー
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レンブラントとカラヴァッジオ

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メゾチントはやっぱり模写でしょうの一枚と定番のヌード

by chikurinken | 2012-04-28 12:04 | 美術

ちょっとだけドライポイント

 相変わらず銅版画などというものを続けておりますが、銅版画といっても興味のない方にとっては「なんのこっちゃ」でしょう。
 日本の学校現場ではおおむね木版画がカリキュラムに組まれていますので、木版画については大抵の方がイメージを持たれていると思います。要は出っ張ったところにインクや絵の具を付けて、それを紙に刷り取る(つまり写す)という作業で、こういうのを凸版画といいます。出っ張っているところ(凸部分)を刷り取るので。
b0189364_20235296.jpg 一方、銅版画は凹版画と呼ばれ、へこんでいる部分にインクを入れて刷り取るのです。銅版画の刷りの現場を見たことがないとこれがもうひとつピンと来ないと思います。どうするかというと、何らかの手段であらかじめ銅板に絵や字を描いておきます。釘みたいなもので金属をひっかくと溝ができますが、ああいったものと思っていただければ結構。その部分が他より少しへこんでいるので、まずそこにインクを詰め込むのです。ローラーを使ったりタンポみたいなものでグイグイ力業でインクを押し込んだりといろいろな方法でやるんですが、この状態のままだとへこんでいない部分にもインクが付いてしまいます。そのため、このへこんでいない、つまり平たい部分は布で拭き取るのですね。そうすると、へこんだ部分に入ったインクはそのままで、平たい部分はインクがないという状態になります。この状態にして、銅板の上に濡らした紙を載せ、上から強い力を加える(通常はプレス機を使う)と、紙が溝に入り込んでインクを吸い取る……こうして絵ができあがるということになります。これが銅版画です。
b0189364_20241047.jpg で、実際に絵や字をどうやって銅板上に描くかというと、一般的に使われるのはエッチングという技法で、これは銅板全体をグランドという石油系の素材で薄く覆い、そこの上から細い鉄筆のようなもの(ニードルなどと呼ばれます)で描くという方法を使います。ニードルで線を書くと、その部分だけグランドが剥がれて銅が露出します。これを腐食液(銅を溶かす溶液)に浸けると、露出している部分だけが融け、そこだけがへこんだ部分になるというわけ。プリント基板を作ったことがある人ならお馴染みの方法でしょう(そんな人、あまりいないか)。
 もっと直接的な方法にドライポイントという技法があります。名古屋では「ドリャーポイント」と言いますが(ウソ)、これはニードルを使って直接銅板をひっかく技法です。通常はこのひっかく技法だとなかなかきれいな線ができにくいので、エッチングが多用されるということになります。ただ短いストロークで線を引けばそれほど汚い線にならないということが最近わかりまして、何枚かドライポイントで銅版画を作ったりしておるのです。上の2枚はどちらもドライポイントでやったもの。目下修行中といったところです……。
 もっとも銅版画、もともとは出版で普及した方法のようですが、今となっては過去の技術で、芸術家と一部の好事家以外、あまり関心のある人はいないかと思います。とは言え、僕も縁で銅版画などに関わることになったわけで、銅版画普及のために、これからもときどき銅版画の解説などを交えていこかなと思っておる次第です、ハイ(要らんとか言わないでね)。
絵はクリックで拡大します。

参考:『武蔵野美術大学 造形ファイル -- 銅版画』
   竹林軒出張所『本場の銅版画に驚嘆……別の意味で』
by chikurinken | 2012-02-27 20:21 | 美術

チャンスは一度、イエスかノーか

b0189364_812476.jpg 岡山県立博物館で開催中の『幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸』という展覧会の図録を買おうと思い、暑い中博物館まで繰りだしていったが、「すでに売り切れ!」と言われた。県立博物館の企画で図録が売り切れになるということにもビックリしたが、同時に、早く買っとけば良かったという後悔の念がムクムクとわき出す。ま、しようがないが。
 元々こういったもの(焼き物や工芸などの立体の調度)にはあまり目が利かないこともありこれまであまり関心がなかったが、少し前に放送されたNHK-BSの番組(『極上美の饗宴 シリーズいのち映す超絶工芸▽金属に刻んだ一瞬 彫金家・正阿弥勝義』)で、正阿弥勝義という金工を知ったことがそもそもの始まりであった。
 正阿弥勝義は彫金師であることから、金属をいろいろと加工することで機器に装飾を加えるという仕事をしていた。当初はその腕を見込まれて備前岡山藩のお抱え彫金師だったが、明治維新で藩自体がなくなってしまったことにより職を失うことになる。一時期食うや食わずの時代があったらしいが、その後、精巧な器を輸出品として作ることで次第に名前を上げていったという。その後1900年のパリ万国博覧会に出品した芦葉達磨像が賞を受けて名声が確立した。だが、同時代の金工たちが帝室技芸員(今の人間国宝のようなもの)になっていく中、地方(岡山、京都)にとどまり続けた勝義は、生涯その栄に浴することはなかった。
b0189364_8131628.jpg 『極上美の饗宴』ではその生涯と作品が紹介されたんだが、僕はそれを見て、あまりの精細な技巧に驚嘆した。しかもその技巧を(通常であれば加工がもっとも難しい)金属に施しているわけで、どうやって作ったのかほとんど見当がつかない。実は同時代の帝室技芸員の作品も見てみたが、かれらの作品は確かに微細で完成度も高いが、「どうやって作ったのかわからない」ということはなく、おおむねその技法は予測がつく。だが、正阿弥勝義に限ってはわれわれの想像すら超越している。何より正阿弥勝義の魅力は、江戸の絵師に通ずるような独特の俳諧趣味というかユーモア・センスにある。ふと口元がほころんでしまうような味わいがあって、見ているだけで幸せな気分になる。たとえば瓢箪を模した大きな器があるんだが、その真ん中あたりに蛇がいて、その周囲を小さい雨蛙が逃げ惑っているものとか、あるいは鳥がハエトリグモを虎視眈々と狙っている香炉だとか、自然の営みが実に巧みに再現されていて、しかもどことなくユーモアが漂っている。また松竹梅と名の付いた器(香炉だったような記憶がある)があり、周囲に竹の意匠が施されている。松と梅は?と思ってよくよく見ると、蓋の取っ手に松ぼっくりと松葉が実にさりげなく付いている。では梅は?と一生懸命考えていたのだが、形状が梅の花の形になっていて、しばらく見ていてやっとそれに気付いたのであった。
b0189364_814216.jpg そういった一連の作品が岡山県立博物館で展示されていたのだった。東京や大阪でも似たような展覧会が昨年末から開催されていることから推測すると、どうやら巡回展のようである。NHK-BSの番組もこの展覧会を意識したものだった可能性が高い(紹介された作品と展示作品が共通していたため)。僕自身博物館には先月行き、もちろん十分正阿弥勝義を堪能して満足度100%だったのだが、そのとき図録を買おうかどうしようか迷って結局買わなかったのだ。実は正阿弥勝義の作品が掲載されているような本も数冊出ているが、あまり良いものがなくその点この図録はとてもよくできていた。ただあまり金銭的に余裕がなかったので、いったん保留して、それでも欲しいようであればまた買いに来ようと思っていたのである。そういうわけで、結局買いそびれてしまったのだった。「チャンスは二度ない」という教訓であった。ま、それほど大げさなことでもないが(正阿弥勝義も今見直されているようで、いずれ似たような本が出るのは間違いない……と思う)。
by chikurinken | 2011-07-15 08:14 | 美術

人間発電所、ふたたび

b0189364_1014503.jpg 一昨日載せたイラスト(竹林軒出張所『あの発電所、関連記事あれこれ』参照)は、ネットで拾ってきて「人間発電所」というキャプションを加えたもので、元絵はおそらく写真をパソコンで加工したものではないかと思う。こういうタッチの絵もなかなか味わいがあることよなあとあらためて思ったんで、僕もひとつこういう絵を1枚描いてネットのプールに提供しようという、そういう企画である。
 ちなみに「人間発電所」というのは、往年のプロレスラー、ブルーノ・サンマルチノ(Bruno Sammartino)のニックネーム。この頃のプロレスラーには、「吸血鬼」、「黒い魔神」、「鉄の爪」など、いろいろなキャッチフレーズが付けられていたが、この「人間発電所」というのは大変秀逸で、僕はベストと言えるものだと思っている。そのため、ブルーノ・サンマルチノは、試合自体は見たことがないんだが、「人間発電所」という異名もあって、僕の中ではものすごく理想化されているのだ(実際に伝説的な存在になっているようだが)。
 ブルーノ・サンマルチノは、WWWF(現在のWWE)のヘビー級チャンピオンを二度にわたって務めた怪力レスラーで、得意技はカナディアンバックブリーカーとベアハッグだという。ベアハッグが必殺技というのもすごいが、なんだか牧歌的な印象も受ける。
 また「人間発電所」というキーワードでネット検索してみると、豊丸という女優が出演している同タイトルのAVも出てきた。豊丸は当時流行っていた「淫乱系」の女優で、彼女のビデオを昔少しテレビ番組で見たことがあるが、見ているこちらが完全に引いてしまうようなもので、僕は受け付けなかった。しかし「人間発電所」という命名はなかなかうまいこと言っているような気もしないではない。でも一方でサンマルチノを侮辱するなという気もする。ここらあたり微妙ではある。
by chikurinken | 2011-07-09 10:16 | 美術

本場の銅版画に驚嘆……別の意味で

 『欧州 美の浪漫紀行』という番組がBS-Japanで放送されていて、映像も美しくとても真摯で良い番組なんだが、この第4回の「ニュルンベルグ 国立ゲルマン博物館」の回が(日本で銅版画をやっている人にとって)あまりに衝撃的だったため、今回紹介しようと思う。ですから、銅版画に興味のない方は今回は跳ばしてください。

b0189364_1261321.jpg この「ニュルンベルグ」の回で紹介されていたのは、ドイツ、ニュルンベルグにあるデューラーハウスであった。デューラーハウスというのは、ドイツの大画家、アルブレヒト・デューラーの生家であり、現在はデューラー関連の資料が展示された博物館になっていて、木版画や銅版画の実演も行われている。木版画プレス機は、僕にとっては伝説的な機械で、非常に興味深いものであるが、銅版画については、当時から今まで技術があまり変化していないため、それほど目新しさはない。番組では、そのあたりの実演風景も丁寧に紹介していて、さながらデューラーハウスを訪れたかのようであった。
 で、われわれ(日本で銅版画をやっている人)が衝撃を受けたのは、その実演風景であった。というのも、あまりに作業が大雑把なんである。今までやっていた(日本での)われわれの作業はいったい何だったのかと頭をかかえるほどである。しかもそれが本場で行われていると来ている。

 ということで少し紹介します。
 まず、武蔵野美術大学のホームページで、動画で紹介されている銅版画の印刷の方法(『武蔵野美術大学 造形ファイル』>『銅版画』より)。
 基本的には、
1. 紙を用意(刷毛で1枚ずつ湿らせ、ビニールシートで包んで一晩置く)
2. インクを用意(ガラス板などの上にインクを出し、金属ベラでよく練る)
3. 銅版にインクを載せる(銅版をウォーマーで暖めながら、ゴムべらでインクを丁寧に万遍なくのせる)
4. 銅版上のインクを拭き取る(2種類の寒冷紗を使って全体のインクを取り除き、最後に紙片を使って表面の曇りを取り除く)b0189364_11361383.jpg
5. 版をプレス機に載せて印刷(プレート上に見当を置き、その上に版を置いて、さらにあい紙とフェルトを載せてからハンドルをゆっくり回す)
という手順になる。ただしこれはものすごく丁寧な方法で、日本人であっても、ここまではなかなかやらないというレベルではある。

デューラーハウスの場合は、
b0189364_11362650.jpg1. 版上に直接パレットナイフでドバッとインクを付けて、タンポで万遍なく塗り込み、そのあと布で拭き取る(さながらテーブルを拭くかのよう)
2. 印刷の直前に、水の入ったバケツに紙をどっぷり浸けて引き上げ、そのままプレス機に載せる(滴が落ちるほどビショビショ)
3. 版と紙の上に簡単なフェルトを置いてプレス機のハンドルを回し印刷

 普段実際に銅版画を印刷するとき、いろいろ複雑な作業があるんだが、b0189364_11364816.jpgここまでやる必要があるのだろうかと思うことは正直結構ある。で自分の中でそれなりに絞り込んで必要最小限しかやっていないと思っていたんだが、本場のありさまと言ったらどうだ。
そんなに単純で良いの?と思わず訊きたくなるほどだが、印刷結果はそれなりにそこそこのものになっていたのだな、映像から確認すると。やはり日本人の特質として、馬鹿丁寧な部分というものがあるんだろうか……と考え込んでしまう。b0189364_1137423.jpgま、おそらく、几帳面な先人が実践した作業というものが、日本の美術学校の伝統として今まで引き継がれて(引きずられて?)いるような部分もあるんだろうけどね。それにしてもあまりの差異に驚く。デューラーハウス以外でのヨーロッパの銅版画刷りの作業というのも見てみたいもんだと思った……素直に。
by chikurinken | 2011-04-11 11:59 | 美術

模写好きの弁

 人の絵を模写するのが好きだ。
 人の絵を見て、欲しいと思うことは、巨匠の絵であってもまったくない。でも、模写するために手元に置いておきたいから貸してほしいと思うことはある。好きな絵は模写するのが一番と思っている。
 模写するという作業は、その作家に対する挑戦のような面もあるし、教えを乞うているような面もある。また、できあがったものが当然巨匠の作品と比較される(そして自分も比較する)ことになるので、手を抜いたりごまかししたりすることも許されない。そのあたりの厳しさがなかなか面白いところである。うまくできたら巨匠の作品(イミテーションではあるが)が手に入るしね。もっとも、たとえうまくできたとしても、何かもの足りないような気もするし、しょせん俺の実力はこんなものかと落ち込むこともある。だがそもそもあちらは巨匠。何を落ち込むことがある!

 言い訳じみた前置きが長くなったが、最近やってみた模写をここで披露させていただこうかな……という話なのである。ちなみに技法は銅版画である。1つ目はレンブラントの風景画で、元の版画とほぼ同じサイズで作ってみた。ただし元絵のトレースなどは一切していないので、並べてみたら大分違うと思う。要は自分の受けたイメージをそのまま真似するということである(←なんてかっこいいセリフなんだ……)。それに、画集の小さめの絵を元にしたため細かいところがわからない。そもそも何を描いたのかすらわからない部分もあったので、適当に補完しながら描いた。ただ技術的なものとか、その絵のバックグラウンドとか、いろいろなものがわかったような気がするのだ。本当に作家と対話しているような気分になるから不思議である。
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レンブラントの模写(エッチング、ドライポイント)
ドライポイントの感じなんかなかなか良いんじゃないかと自負しているが如何……


 もう一つは、アーリング・ヴァルティルソンという方(竹林軒出張所:『アーリング・ヴァルティルソン メゾチント銅版画展』参照)のメゾチント作品。僕も最近本格的にメゾチントを始めたが、始めるにあたり、そのきっかけとなったヴァルティルソン様のお作をちょっとばかり練習台にさせていただこうかなということで、模写させていただいた。こちらはホントのところデキはもう一つで、本家と見まがうばかりとはまったくいかないが、ちょっと見、間違うくらいの感じにはなったんじゃないかと思うような思わないような……。ただ、こちらも作る過程でいろいろなことを勉強させていただいたような気がする。
 イヤー、模写って本当に良いもんですね。
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ヴァルティルソンの模写(メゾチント)
小さめに作ったこともあってかなりアラが目立つ……

絵はクリックで拡大します。

by chikurinken | 2011-03-10 20:14 | 美術