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竹林軒出張所

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カテゴリ:日常雑記( 66 )

トリプル・スリーではありませんが

b0189364_2316141.jpg このブログの右の欄に、これまでの投稿記事数がタグ別にリストされているんだが、ご存知ですか。こんなところを見る人はあまりいないと思うが、私は最近気が付いたんだ。「映画」、「本」の投稿数が500になっていることに。「ドキュメンタリー」についても400に近づいていた。ということでここのところは「ドキュメンタリー」ばかり投稿していて、前回めでたく400に達したというわけ。昨年有名になった「トリプル・スリー」ではないが、「ダブル・ファイブ、シングル・フォー」ってことになる。全部500で統一できたら良かったんだが、今からドキュメンタリーばかり100件も投稿した日にゃ、誰からも見向きもされないブログになるやも知れず、それにそもそも僕自身ドキュメンタリーの批評を100も続けて書きたくないという事情もある。そういうわけで、「ダブル・ファイブ、シングル・フォー」で一区切り。ドラマもちょうど150になっていて、区切りが良くなっている。
 それにしても、よくこんなに書いたよなーと思う。いくら暇だといっても(ちなみにここのところはまったく暇がないので1日おきに投稿しております)、現時点で1700件超の記事がある。もっともそれでも、かつて見た映画や本にどのような感想を持ったか調べようと思っても、2009年6月(このブログの開始時)より前に見たものについては記録が残っていないんで、もっと早くこういった記録を始めておけばよかったと思うことがかなりある。かろうじて前のブログで書いたものがあって、それも簡単に参照できるようにしたいということから、少しずつこちらのブログに移したりもしているのだ。
 こういった、記録を残しておくという作業は実際のところかなり手間がかかるんで一般的にはあまり続かないんだが、誰かに話のネタとして話しているつもりでこういうところに書き続けていれば、意外に続けられるものだ……というのが今回のこの「ダブル・ファイブ、シングル・フォー」で証明されたことになる……かな。自分としては、残しておいてよかったと思うことの方が多い、特に最近。この年になると、見たり読んだりしたものをすっかり忘れているということが割にあるので。
 ただ、このブログを主宰するエキサイトブログ(exblog)の事業者が何かの事故でデータを消失したり、あるいは業務自体をやめたりということもありうるわけで、そうするとこの膨大なデータがパーになる可能性がある。何とか手元に残しておく方法も検討しなければならないのかなと考えたりしている。他人にとって価値がなくても、こっちにしてみれば6年間の蓄積だかんね。労力もかかっているし、なくなってしまえばそれなりに惜しい。PDFとして保存できる機能があるようなので、こういうのも考えたいと思っている。そういう状況の、とりあえずの一区切りでした。今後ともよろしく。

参考:
竹林軒出張所『千回と正月がいっぺんに来た』
竹林軒出張所『500回記念』
竹林軒出張所『3年目のつぶやき……くらい大目に見てよ』
竹林軒出張所『一周年ごあいさつ』
竹林軒出張所『101回記念』
by chikurinken | 2016-02-28 07:05 | 日常雑記

わたしの「京都慕情」

 秋の京都で、琳派の美術作品などを見てみようと思い立ち、京都まで赴いた。そのため一番のお目当ては、京都国立博物館で開かれている『琳派 京を彩る』展である。その他にも、楽美術館で本阿弥光悦の楽茶碗が展示されているらしいし、近代美術館でも『琳派イメージ展』などという展覧会をやっていて、京都は琳派一色……というのは大げさだが、ともかく琳派で盛り上がっているらしい(まあごく一部でだろうが)。他にもフェルメールとレンブラントの油絵を展示した展覧会も市立美術館でやっているらしいし、美術好きにはいろいろ見所満載の秋の京都である。
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 で、朝から京都に赴き、京都駅から京都国立博物館までてくてく歩いて行った。博物館に着いたのは午前10時(開館は9:30)で、10時からだったらゆっくり見られるだろうと思っていたんだが、あに図らんや、なんと朝10時の時点であるにもかかわらず、「180分待ち」という驚きのプラカードが出ていた。美術を見るために3時間も待つみたいなバカバカしい企画にはまったく参加する意志はないので、これが一番の目的であったにもかかわらず、速攻パスした。たとえ3時間並んで入ったところで、場内は人でごった返していて「立ち止まらずに進んでください」などという絶叫が聞こえること請け合い。今回の展示品にこんなラッシュアワーみたいな環境で、人を押しのけて見るほどの価値が果たしてあるのかもはなはだ疑問である。もっとも疑問といえば、そもそもなんでこんなに人が集まっているのかそれ自体がわからない。もちろん国宝も展示されているんだが、100年に一度しか見られないとかいう代物ではないわけで、正直呆れてしまった。ちょっと見た感じ、年配の方々が多かったので、時間が余ってしようがない人々が見に来ているんだろうが、この方々にどれほどこの展示品の価値がわかるのかも皆目見当がつかない(まあ僕もわかりゃしないんだがね)。
 思えばこの京都国立博物館、ここのところ、行くたんびに中が人でごった返している。以前も雪舟の展覧会が人だらけでろくろく見ずに出て来たことがある(このときは30分ほど並んだ)。その前も何の展覧会だったか忘れたが、美術館の前まで行ったにもかかわらず、あまりに人が多すぎて入らなかったことがある。
 こういうことを考え合わせると、京都国立博物館自体の企画に人が集まりすぎているのではないかと感じるのである。はっきり言うと広報のやり過ぎということで、特にこの京都および東京国立博物館の企画は、最近メディアとタイアップしたものが多いため、テレビに踊らされた観客が必要以上に集まっているのではないかと思える。結局時間に余裕のある年寄りがたくさん集まることになって、ゆっくり見たいと思っている若者は行かなくなっていくわけで、そうすると長い目で見ると、長期的な美術ファンが減っていって博物館にとってマイナスになるんじゃないかなどという危惧が老婆心ながら出てきてしまう。博物館側が観客を集めたい気持ちはわかるが、あまりにも度が過ぎている。できる限り観客動員数を上げたいというのならば、たとえば開館時間を21時までにするとか、そういった工夫をする義務があるんじゃないのか。少なくとも今の状態は美術品を見せるという環境ではない。僕が京都に住んでいた頃は、この博物館、こういうことはまったくなかったんで、こういうような状況はここ10年くらいのことだと思う。だがこういう状態が改善されないのであれば、二度とあの博物館には行きたくないと思う。マジで。

 で、この博物館は、憤慨しながら後にしたんだが、その後は東山を歩き回り、京都三年坂美術館、京都市美術館、細見美術館(琳派の焼物 乾山」展)と辿っていった。
b0189364_8442672.jpg 京都市美術館では『フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち』という展覧会が開催中で、フェルメール作品が来てるんで、こちらもさぞかし人人なんじゃないかと思ったら、意外や意外、常設展並みの人の入りで、少しばかり肩すかしを食った。フェルメール作品1点の他、レンブラント作品2点、ハルス作品2点が展示されていたが、会場内も人でごった返すということはなく、逆に展示作品がもしかしたらイミテーションなのかと感じるほどだった(もちろん実際は本物)。なんせフェルメール作品なんて世界で37点しかなくて、そのうちの1点がこの王城の地に来ているというのに、京都の皆さんはあまり洋画に関心がないのか、むしろこっちに3時間の行列ができていてもおかしくないのになどと感じる。ただし他の作品群については、なんとなく寄せ集めというか水増しみたいな印象があったが、これについてはまあ致し方あるまい。
 午後は、、楽美術館、京都文化博物館と美術館をめぐっていった。楽美術館については本阿弥光悦の楽茶碗は数点で、なんだかちょっとはめられたような気分になった。「琳派」ばかり前面に押し出して集客を目論む京都美術界の姿勢に少し疑問を感じたりもする。
 その後行った京都文化博物館では、ダ・ヴィンチが描いたという「アンギアーリの戦い」の下絵の展覧会が開催されていたが、こちらも全体的に水増し展覧会で、あまり見る価値はなかったかなという代物。「ダ・ヴィンチ」ブランドで押しまくろうとしたが、展示物がどうしても足りないという雰囲気が漂っている。中にはダ・ヴィンチの手書き原稿の「FAX原稿」なんてものまで展示されていて「無理から」感が大変強い展覧会であった。この京都文化博物館という建物は僕が住んでいた頃はなかったが、正直言ってあまり存在価値のある建物には見えない。ハコモノ作りが日本全国で流行っていた頃に作られたのではないかと思うが、今回の展覧会と言い、中の常設展示物と言い、どうも役所仕事みたいな印象がぬぐえなかった。
b0189364_846325.jpg その後、近くにある「三条境町のイノダっていうコーヒー屋」に行ってみた。実は今回の京都で一番満足度が高かったのはこのイノダであった。僕は京都に数年間住んでいながらこの名物コーヒー屋に行ったことがなかったので、一度はと思い、今回行ってみたわけ。実はここも最初人でごった返していて、席が空くのを待っている人が随分行列を作っていて「イノダよお前もか」と思ったんだが、先に文化博物館の方に行くことにして、その後行ってみたら、すんなりと入れたという次第(人が多かったら寄らずに帰ろうと思っていたんだが)。イノダについては中の雰囲気が非常に良く、それまで感じていたあれやこれやの不満が一挙に融けていった。イノダに救われた恰好になった。
 それにしても、今回あらためて思ったが、京都には人が多すぎる。東大路通り(七条から五条の間)なんか歩道がわずかな幅しかなく、向かいから来る人とすれ違うことすら簡単にできない。しかもときどき自転車までやってくる。ただ自転車乗りに車道を走れと言うこともためらわれるくらい、ここの車道は危険で、狭い上に大型バスがキワキワまで寄せてくる。以前僕自身このあたりをよく自転車でウロウロしていたはずなんだが、どうやってたんだろと今になって思う。
 清水寺への参道も非常に狭い路であるにもかかわらず巨大な観光バスがばんばん通っていて、危ないったらありゃしない。京都も観光でやっていこうという気があるんなら、人が歩きやすい環境を作るか、交通網をしっかり発展させるか、あるいは自動車の乗り入れ制限するとかしないと、いずれ客から見放されるぞと心底思った。こういうのはあそこに住んでいるとなかなか気付かないことで、離れてから初めてわかることなのかも知れない。

参考:
竹林軒出張所『京都のゴッホ展 ……あんこも欲しいじゃないか』
竹林軒出張所『特別展覧会「狩野山楽・山雪」』
竹林軒出張所『京都人の密かな愉しみ 夏(ドキュメンタリー)』
by chikurinken | 2015-11-09 08:50 | 日常雑記

ヒジからチューチュー

 たまにこのブログの過去の記事なんか読み直したりするんだが、あんまり病気の記事がない。前に貧血で苦しんだのが2012年1月だからかれこれ3年近く健康体だったということになる。そう言えばたまに背中と腰が痛くなって整体院に行って直してもらうのも3年に1回程度で、割合元気な方だよなーと思う。同年代の知人たちがあちこちに不調があるみたいな話をしているのを聞くにつけ、ありがたい話だと思う。考えてみると人間の健康状態なんていうのも綱渡りみたいなもんで、健康に生きていられるのも奇跡と言って良いかも知れない。もっともこれからの世の中、大病しようもんなら生活破綻してしまうというアメリカ的な状況にもなりかねないので、注意が必要である。
 そういう健康体な僕ではあるが、先日自分のことで病院に行ったので、その話を少し。
b0189364_8121635.jpg 少し前から、左肘が妙にブヨブヨしだして、違和感を感じるようになった。大して痛みはないんだが、気持ち悪いったらない。よく膝に水が溜まるなどという話を聞くが、おそらくあれに近い感じではないかと思う。何かが肘に溜まっているというのはわかる。ほっといて治るもんならほっときたいが、ネットで調べると「水ぬかなきゃなんねー」みたいなことも書いてある。
 原因をいろいろ考えてみたんだが、肘を強打したりとかいうことはまったくないし、ピッチャーじゃないんで投げ込みすぎなどということもまったくない。確かに数週間前から肘の汚れが気になって風呂でごしごししていたが、ただあんなことだけで、肘が腫れたりするのか疑問である。そうやってつらつら考えているうちに、自転車に乗っているときに左肘に痛みを感じたことが過去たびたびあったことを思い出した。この自転車ってのは、2012年に買ったモノだが、長時間乗ると左肘だけに妙に違和感が出る。しようがないのでグリップを握りしめなかったりして工夫していたんだが、あれが原因ではないかと思いはじめた。おそらく風呂のゴシゴシとの相乗効果でこういう症状が出たのではと自分で勝手に結論を出した。
 とりあえずまず治療を受けようということで以前「ひょうそ」のときにお世話になったクリニックに行った(竹林軒出張所『ひょうそ譚』参照)。例によってあのユニークな医師が対応してくれて、相変わらずわかったようなわからないような受け答えをして癒やしてくれる。とりあえず水だけ抜いとくかという話になって、注射器を使ってチューチューやってもらった。「血が混ざってるやろ」みたいなことを言って見せてくれるのもなかなか楽しい。
 「あんまり治らんようだったら血袋を切らんといけん」みたいなことを言われるが、重大という感覚でもなさそうである。そもそも血袋というのもピンと来ない。
 「ほっといて治るようなものではないのですか」と僕の方から聞いたところ、「治ることもあるし治らんこともある」とこちらもわかったようなわからないような回答であった。
 今回も「ひょうそ」のときと同様「ひどおなったらまたおいで」と言われてクリニックを後にすることになったが、今回も病院に来てから帰るまでわずか30分で、相変わらず手際の良い病院である。ただしチューチューの度合いがやや遠慮がちだったため、晴れは小さくなったが、その後もある程度の大きさのブヨブヨが残ってしまった。
b0189364_8155059.jpg 一方で自転車の方だが、ブレーキレバーの位置が左右で違うということに気が付いた。ハンドルに変速コントローラがついている自転車では一般的なんだが、右側は変速機があるせいでブレーキレバーがやや右に寄っているため、左右対称の位置になっていない。少なくとも右肘に痛みは感じないので、これが原因と断定して、左側のブレーキレバーを内寄りにした。つまりグリップとブレーキレバーの間に2〜3cmの隙間を設け、左右対称の位置にブレーキレバーを配置したわけ。
 で、結論から言うと、これが功を奏したようで、治療後も残っていた肘の腫れが少しずつ小さくなり、自転車に乗っていても以前のような肘の痛みを感じることが一切なくなったのだ。つまりビンゴだったということになる。そもそも肘に痛みを感じた時点で対策を講じるべきだったんだろうが、ひどくならないとやらないという、ものぐさな性分のために少々遠回りをしてしまったわけである。
 なお自転車は、すでに走行距離が8500kmを超えるほどフル稼動しており、タイヤも先日前後とも交換した。この肘問題以外、まったく問題がないよくできた自転車であることを付記しておく。

参考:
竹林軒出張所『ひょうそ譚』
竹林軒出張所『自転車を買う(その1)』
竹林軒出張所『自転車を買う(その2)』
竹林軒出張所『年頭の所感2014 〜五十にして老先を知る〜』
竹林軒出張所『整体院に行った話』
竹林軒出張所『貧血記』
by chikurinken | 2015-09-18 08:16 | 日常雑記

ひょうそ譚

2004年12月10日・記
 左手の人さし指が腫れ、ズキズキし出した。ズキズキというより、ドックンドックンという感じか。脈を感じる。
 最初はしもやけかと思ったが、やがて痛みが出てくるに及んで却下。状況としては、蜂刺されに似ているが、虫に刺された記憶はない。数日経っても腫れは引かず、むしろ大きくなっているようでさえある。もしかしてリウマチや糖尿病かも……と考えると少し心配になってきた。
 それでインターネットで調べてみた。Googleで「指 腫れ 虫刺され」などと入力して検索する。リウマチとか関節炎とか、さまざまなページが出てきて、1つ1つ当たってみるがどうもしっくり来ない。つまり、自分のケースに該当しない。で、やがて「ひょうそおよび爪周囲炎」について書いているページを見つける。そしてその症状が、ぴたっと当てはまる。しっくり来るというやつ。この感覚が大事だ。
 で「ひょうそ」について調べてみた。不勉強ながら「ひょうそ」についてはまったく知らなかったのだ。後でいろいろな人に「ひょうそ」のことを話したらほとんどの人が知っていたので常識の部類に入るのだろう。ともかく私は知らなかった。
 どうやら「比較的よく発生する病気であるが、放置すると一部の組織が壊疽し、大変な手術が必要になることもある」というようなことらしい。爪付近の傷から黄色ブドウ球菌などの細菌が入り炎症を起こした結果、体内に膿が溜まり、そのために腫れるということなのだ。ガッテンガッテン! b0189364_8422150.jpg「指に膿が溜まる」……まさにそんな感じだ。
 なかなか原因がわからなかった現象でもその原因がわかると至極当然な印象を受けることがよくある。因果関係が単純に割り切れると言うべきか。今回がまさにそれだ。原因は深爪やささくれ、指先のけがという。そういえば何日か前にささくれをむしったなと思い当たる。
 で、早期治療ができれば大事に至らないが、爪の周辺を切開して中の膿を出さなければならないということらしい。つまり手術! 生まれてこの方、手術など経験がない私は少し武者震いした(ウソ)。まあ要するに指を少し切るだけだ。このくらいのことは、トゲが指に入ったときに自分でやってるさ。
 というわけで翌日病院に行くことにした。自分のことで病院に行くなど20年ぶりだ。
 行ったのは近所のクリニックで、内科と整形外科がある。5分ほど待つとすぐに呼び出された。小児科の町病院や大病院で1時間2時間待たされることのある私は、これだけでびっくり。診療室に入ると、気さくな老医師が出迎えてくれ、「こりゃ、ひょうそじゃ」と一言。
 「ちょっと切らにゃあいけんなあ」ということで即手術が決まる。
 「かなり切るんですか」
 「どこまで切るかが問題じゃ。足りんとまた切り直さんといけんし深すぎても痛えしなあ」などとのんきなことを言う。
 ベッドに寝て局部麻酔。親指と人さし指の間に一発、人さし指と中指の間に一発打たれる。体内に麻酔剤が流れ込むのが分かり気色悪い。
 しばらくして医者は「麻酔が効いたかどうかちょっと刺してみるから痛かったら言うてくれ」と言い、なにやら指にぶすっと刺した。私は思わず「イテテテッ」と言ってしまうが、大して痛くなかったのにもかかわらずオーバーだったかなと反省する。医者も「そんなに痛え痛え言われたら切れんなあ」などと言っている。やがて、私の指にハサミが入る。メスではなくハサミね。ブッツンブッツンという感じで切っていく。痛みはほとんどない。どういう案配になっているか見ていると、医者はにっこり笑って局部を私の方に見せ、「こんなに膿が入っとった」と言う。緑色の膿が玉のように輝いている。その後、チャッチャッチャッと包帯を巻いて、私の初手術は終わることになった。
 「消炎剤出しとくけど、痛み止めはいるかな?」
 「かなり痛みますか?」
 「いやあ、そうでもなかろう」
 「そしたらいりません」
 などというのどかな会話の後、「明日来れたら、また来て見せてみて」ということで、診察室を出る。この間20分程度。病院で30分足らずで用事が終わったのは過去にないんじゃないかと思う。とにかくこの病院は、患者の流れが早く、待合室にも10人弱の人が常にいるのだが、どんどん回転しているのだ。どこの病院もこういうふうにやってほしいものだ。
 医者に親近感を持ったのも初めてだ。以前、まだ乳児だった子供が夜中に泣き続け、夜間診療に子供を連れていったときに、「なぜ今まで放っていたんだ」と医者に怒鳴られたことがあった(厳密に言うと怒鳴られたのは妻)。しかも机をバンとたたきながらだ。この医者も目が充血していたので、夜間診療にうんざりしていたんだろうが、ちょっと人間性を疑う行為だ。こっちは病院嫌いだが、子供が体を少し震わせて泣くので、しようがなしにタクシー飛ばして、遠方の病院まで行ったのだ。しかもさんざん待たされた揚げ句だ。ちなみに病名は口内炎。オイオイ……
 話はひょうそに戻る。翌日病院に行くと、件の医者は私の包帯を取り、様子を少し見た後、「バンドエイドでええ?」と尋ねて、バンドエイドを貼ってくれた。
 「ひどおなったらまたおいで。問題なかったらもう来んでいい」
 私は(心から)礼を言って診察室を出た。病院に来てから診察が終わって外に出るまで10分。素晴らしい。
 手術から4日後の今は、傷口に少し痛みがあるだけで、ほとんど普通に暮らしている。大体手術後でさえ、大して痛みはなかったのだ。手術前の方が痛かったくらいだ。
 ともあれ、いろいろ考えさせられる数日であった。

結論1:医者も接客業なんだから愛想の悪いヤツは前線から退場してほしいものだよ。
結論2:病院も接客業なんだから大名商売してるトコロは閉鎖してほしいものだよ。
 医師をやたら優遇するからこんなひどい状況になったのだ。自分の学生時代を振り返って医学部の同級生を思い起こすと、人間性に問題のあるヤツがやけに集まっていたことを思い出す。ぜひ、自然淘汰されて欲しい。以上!

参考:
竹林軒出張所『ヒジからチューチュー』

by chikurinken | 2015-09-16 08:43 | 日常雑記

年頭の所感、もとい雑感

b0189364_1054373.jpg 昨年に引き続いて年頭の所感などを。
 歌にもあるように

お正月と云えば
炬燵を囲んで
お雑煮を食べながら
テレビを 見ていたものです

というのが70年代〜80年代の新年の過ごし方だっだが、

今年は 見るテレビが
なかったんです

ときた。
 ここ数年、毎年のことといえば確かにそうだが、今年は特にひどい。食指が動くものさえほとんどない。作ってる方は、芸人を呼んで何かやらせたら面白いと思っているのかも知れないが、全然面白くないぞ。芸人は芸を見せてなんぼである……ってことに製作側が気付いたのか、今年は演芸番組もやたらに多い。すべてのチャンネルでやったんじゃないかというような勢いである。いいかげん吉本に頼るのはやめた方が良いんじゃないか、テレビ局も。
 頼るといえば、昨年の紅白歌合戦だが、歌手のラインナップを見るとジャニーズが7組、AKB関連が6組で、いっそのことJ-A歌合戦にしたらどうかと思うほどだ。特定プロダクションに頼りすぎである。もっとも僕自身は、紅白歌合戦なんか30年来見ていないので実際のところはよくわからない。毎日チェックしているnikkansports.comにやたらそういった芸能情報が出てくるんで知っているに過ぎない。何でも中森明菜まで出て来たそうじゃないか。声が出なかったんじゃないかなどと危惧するが、そうなるとまさに人寄せパンダで、少々痛ましい気もする。ま、見てないんでよくわからないが。
 今年は紅白の裏番組として、ボクシング中継を2局でやっていたが、これもなんだかよくわからない。一時期やたら格闘技番組が年末に集められていたことがあったが、とうとうボクシングか……と思う。どうして別の放送局で同じ時間帯に同じようなものをやらなけりゃならんのかもよくわからない。選挙報道もそうだ。恒例行事のように、全部のチャンネルで選挙速報番組を長々とやっている。この国は全体主義国家かと思う。選挙なんか結果さえわかりゃ良いんだ。開票の実況中継やる意味がどこにあるってんだ。年末もそうだが、こういった類の特番をやるせいで、毎週見ている数少ないテレビ番組さえ飛んでしまったりする。むしろ迷惑きわまりない存在なんだが、他の局がやるという理由だけでいつまでもやめることができないようだ。放送が既得権益に縛り付けられているのが見て取れるというものだ。いっそのこと放送免許をもっとバンバン発行して、系列以外の中小放送局を増やせば多様性が増して面白くなるんじゃないかと思うが、今の行政・立法の人々にそんなことをやるだけの器量がある人はいないだろう。
 そういうこともあって正月は、今まで撮りためていたドキュメンタリーを見続けた。そのため、このブログでは、これから立て続けにドキュメンタリー(それもマイナーな)のレビューが出ることであろう。ここを訪れてくださっている多くの人にとっては退屈になるかも知れないが、だからといって「食指が動くものがない」、「全然面白くないぞ」などと批判しないでいただきたいところだ。

参考:
竹林軒出張所『カバー曲にまつわるあれこれ』
竹林軒出張所『国名改正論(「チャバン」という国の国民)』
by chikurinken | 2015-01-03 10:10 | 日常雑記

映画館の進化

 個人的には30年ほど前から映画をよく見るようになったんだが、映画館には当初から大変不満を抱いていた。
 1つには、イスが悪いと言うこと。両隣と肘掛けを共有しているために、隣に厚かましい人間が座ったら肘掛けはその人間に独占される。肘掛けくらい良いじゃないのと思うかも知れないが、厚かましい人間が得をしているようで理不尽な感じがつきまとう。ということになると、こちらも対抗して肘掛け奪取に動くと、これはもう映画の内容どころではなくなって、何をしに映画館に足を運んだんだかわからなくなる。結局、馬鹿な人間と肘掛けの取り合いをしただけで、不快さだけを身体の中に残して劇場を後にする。こういうことは実はたびたびあった。せめて肘掛けをそれぞれの座席に1セットずつ配備したらどうだとずっと感じていた。
 また、イスの前後の間隔が狭すぎるのも問題である。後ろの人間が動くと足が自分の椅子に当たって不快になる。少しくらいだったら気にしないが、たまにやたらイスにガツガツ足を当ててくる客がいて、一度「椅子を蹴らないでくれ」と文句を言ったことさえある。もっともそんなことを言ったりしたら、その後は映画どころじゃなくなるんで、何しに映画館に来たんだかわからなくなる。
b0189364_9272586.jpg さらに、これは名画座でよくあった話だが、上映中にタバコを吸う客や、これも上映中に内容についてしたり顔で語る客(こういう連中は「客」と呼ぶことさえはばかられる)、上映途中から入ってきて、すぐ近くに座り、傍若無人(椅子を蹴る、タバコを吸う、肘掛けを奪うなど)の行為に及ぶ者など。上げたら切りがないほどだ。そういうわけで、僕は映画館から足が遠くなっていった。家でビデオを見られるようになったことも大きい。少なくとも客が殺到するような映画は、よほどのことがない限り行かなくなった。僕のようなコアなファンが行かなくなるんだから映画館が斜陽化するのは明らかで、地方の劇場がどんどん減っていったのは皆さんご承知の通り。
 横浜に住んでいたときにちょくちょく通った近所の二番館もご多分に漏れず客入りが少なく、その後潰れたんだが、客が少なかったために、さっき書いたような周囲の客とのトラブルが逆になくて、居心地は意外に良かったってんだから皮肉なものだ。実際、客が僕1人だったという貴重な経験は、この劇場でしか経験していない。つまり僕1人のために、映写機を使って一般の劇場空間で上映されていたのであるから、これはある意味最高の贅沢と言って良かろう。
 当時から僕が主張していた優れた映画館の条件というのは、他の観客のことが気にならずに快適な環境でスクリーンに集中できることで、そのためにはイスの改善、システムの改善、劇場空間の改善が不可欠だった。これについては実は大学のレポートで書いたことがあって、当時の僕の悲願だったんだが、あいにくこういったすべての条件を満たした劇場は今までなかった。
 とは言っても、娯楽産業の方も多少工夫を凝らすようになって、総入れ替え制にして途中入場禁止にするとか、飲食禁止にするとか、イスを豪華にするとか、それなりの工夫が見られるようにはなっているが、それでも客の試聴環境に配慮した劇場は皆無と言って良い。

b0189364_8403229.jpg で、いよいよ本題。先日、近場にできた超豪華映画館に行ってみた。その名も「グランシアター」! 文字通りグランなシアターである。入場料もグランで2,500円と少々お高くなっているが、ワンドリンク付きで、イスが「全国初の全席電動フルリクライニングシート」と来ている。僕としては、「フルリクライニングシート」には別に大した感慨はないが、それぞれの座席に肘掛けが1セットずつ付いているという事実に着目したわけで、これは是非一度自分で体感してみなくてはと思ったのだ。もちろん今の僕には、こういう贅沢を堪能するような余裕はなく、招待券をもらったんで出向いたわけなんだが。
 あらかじめ劇場の情報を調べると、お金をもらっても見たくないような類の映画ばかりがかけられていて気乗りしなかったんだが、『ショート・ターム』という(どちらかと言うと)ミニシアター系の映画が昼間に唯一かけられていたんで、これを見に行くことにした。付け加えておくと、この劇場はシネコンの一部であるため、他のスクリーンとの間でいろいろな作品が持ち回りされている。だからたとえばこのグランシアターに1日中とどまっていると、毎回違う映画を見られる可能性もある。ただこの劇場には全部で46席しかないという話なので、ちょっと早めに行かないと満員で入れないかも知れないという危惧もある。
b0189364_8412597.jpg ここまで下調べをした上で劇場に赴く。到着すると、シネコンらしく豪華な受付カウンターがしつらえられており、そちらで入場の手続きをする。全席指定ということになっていて、ここでモニターを見ながら席を指定できるようになっている。当初危惧したようなことはまったくなく、僕が入場する時点で占有されている座席は1つだけだった。そのまま劇場に入ると、ロビー(「ラウンジ」と呼ばれている)にもソファーがしつらえられており、バーのようなカウンターもある。ここで飲み物をオーダーすることになっており、上映開始までロビーで飲み物片手にくつろげるという算段になっている(先ほども言ったがワンドリンク付き)。僕は「白桃ピューレソーダ」というちょっとおしゃれかつ不思議な名前の飲み物を注文した(これがまた結構美味だったのだ)。劇場内にも持ち込めるようになっている。
 そしてついに、肘掛けが1セット揃ったイスを目にすることになる。でわかったのは、これは従来の映画館のイスの概念とまったく違うということで、言ってみればソファみたいなものだということ。いちおう2脚ずつ接してはいるが、それぞれのイスはほぼ独立している。「フルリクライニング」のシステムも予想以上に快適だ。イスには飲み物を入れるドリンクホルダーも付いているので、上映中飲み物をひっくり返すなどということもあまりあるまい。非常によく考えられている。特に目を引いたのは、前後の席との間にかなり広い空間が空いていることで、1列ずつほぼ完全に独立しているような印象である。前に座っている人間の頭すらほとんど見えないくらい距離が確保されておりかなりの段差もある。ボックス席であるかのような錯覚すら受ける。このように、イスについてはまったく申し分なく、理想に近い劇場と言うことができる。
b0189364_841113.jpg 唯一の難点は、スクリーンと最前列のイスがやや近いことで、最前列に座ると少し疲れるかもしれないという印象を持った。とは言え、リクライニングで寝そべって見ればかえって楽しいかも知れないし、アクション映画なんかだと、スクリーンに近いことでかえって臨場感が増すかもしれない。値段にしてみても高いと感じるかも知れないが、一般のロードショー館でも1,800円であることを考えると、500円弱の値段のドリンクが付いているわけで、それほど高すぎるという感覚もない。イベント感覚で行けば十分元が取れるんじゃないだろうか。
 さて、当初危惧していた客の入りなんだが、僕ともう一人の客以外結局入ってこなかった。最後まで2人で貸し切り状態で、しかも、僕の少し前の列に座っていたその客が視界に入ることもほとんどなく、その客がいることすら意識されることはなかった(先ほども言ったように、後ろからは前の客の頭がほとんど見えない)。ましかし、客が2人なら僕としては従来型の映画館でも全然問題なかったんだが……などと思いながら、帰路についたのだった。しかしこんな街中にシネコンができた日にゃ、周辺のロードショー館は廃業するしかあるまいな……とも思う。あるいは思い切って劇場空間を改装しお客様最優先の空間にしたら特徴が出せて客を呼び戻せるかも知れない。いずれにしても今までの映画館が客をないがしろにしすぎていたのは事実である。どこの映画館も生き残りをかけて発想の転換を図ってもらいたい……と勝手なことを書いて締めることにする。

参考:
竹林軒ネット『映画を所有するぜいたく』
竹林軒出張所『映画の見方、その変遷』
竹林軒出張所『日本映画の「文革のようなもの」』
竹林軒出張所『昨日、悲別で (1)〜(13)(ドラマ)』
竹林軒出張所『ショート・ターム(映画)』
by chikurinken | 2014-12-22 08:42 | 日常雑記

のりやんの消息

 何気なくニュース番組なんかを見ていると、大学時代の同級生がコメンテーターとしてシレッと登場するということがこれまで何度かあった(みんな偉くなっておるみたいで)が、今日はもっとビックリ。長年消息がわからなかった幼なじみがNHKのドキュメンタリーに登場したんだから。
 その番組というのは、『ゴジラ生誕60年 日本の特撮 驚異の技』というドキュメンタリーで、円谷英二以来の日本の特撮技術を紹介するという、別段どうということのないプログラム。そこにミニチュア製作会社(マーブリング・ファインアーツ)の代表が登場してきた。僕はそのとき、テレビを見ていて思わず「のりやん!」と叫んでいたのだった。その人こそ、岩崎憲彦って人で、風貌も雰囲気もあまり変わっていないんですぐにわかったのだが、僕は幼い頃、この人によく遊んでもらって、釣りやマンガの手ほどきを受けていたのだった。他にも何か面白そうなことをいろいろ僕にもたらしてくれた人だった。尊敬すべきあんちゃんという感じの人で、この人を含めて、近所の子どもたちと一緒に野球をやったりあちこちをかけずり回ったりしたのだった。
b0189364_862194.jpg のりやんについては、あちらが高校生(こちらが中学生)のときまでつきあってもらったが、高校卒業後についてはほとんど消息を聞いておらず、何をしているか気になっていたのだ。噂によると、当時、佐藤純弥監督の映画に下っ端として参加したという話だけ聞いたが、実際にこの映画を見てみたところ、タイトル・ロールでは名前を見つけられなかった。それがいきなり、日本を代表するミニチュア製作会社の代表であるということがわかったんだから、うれしいなんてもんじゃない。昔から非常に器用でしかもユニークな人だったんで、何か大きなことをやっているんじゃないかという期待はあったのだ。僕も今みたいに底辺で蠢いていないで、そろそろやることをやらなけりゃ、顔を会わせることさえできないな……などと大きな刺激を受けたのだった。
by chikurinken | 2014-09-05 08:08 | 日常雑記

ディスクは戻ったけれど

b0189364_9413112.jpg ノート・パソコンのハードディスクは復旧した。現在は、通常の生活に戻っている。
 前も書いたように、事故の4日前にバックアップをとっていたため、ハードディスクの復旧自体は簡単であった。ただ、物資(つまりハードディスク)がなかなか手元に届かず、随分歯がゆい思いをした。
 ハードディスクさえ届いてしまえば後は簡単で、結局ハードディスクの交換作業が10分、データの復旧が1時間半で完了した。放射能汚染でもしていれば話は別だが、一般的なテクノロジーではあんな危険なものは使わないから。ただし、4日分のデータが溶融(消滅)したのは事実で、この間、ホームページにデータを追加したり、少しばかり大がかりな作業を行っていたのだな。ホームページ自体はもちろん「クラウド」であるため変化はないのだが、手元にあるデータ(ホームページ作成ソフトのもの)は古いままで、ということは次にホームページを更新したらなんと古い状態に戻ってしまうのである。というわけで、ホームページを参照しながら、手元のデータを更新しなければならなくなった。ちょっと気持ちが萎えるような作業ではあるが、致し方ない。こちらについては見通しがまったく立っていない。来週以降に着手することになる。
 ハードディスクは、大きい容量のものがどんどん安くなっていることもあり、以前では考えられないような容量のものが考えられないような値段で売られていた。500ギガワット、もとい500ギガバイトの2.5"ハードディスクが6千円弱と来ている。そういうわけで事故前に160ギガバイトだった容量は一挙に500ギガバイトまで増加した。前のハードディスクのときは空き領域が少なくなっていていろいろやりくりしていたが、一挙に増大して、そういう作業とも当分はおさらばである。実は事故前に、空き領域が少なくなったこともあって、ハードディスクの交換は考えていたのだが、なかなか踏み切れず、結果的にそのことがこのような惨事を招くことになったのである。健全な部品を交換して捨ててしまうというのは気が乗らないものであるが、そこらあたりに今回の事故の原因があったと言えるのではないだろうか。
 なお今回SSD(メモリ型のストレージ)も考えたが、価格がまだまだ高価で、容量も大きなものが期待できないために見送った。それに寿命も短いという話であるし。こういった新しいテクノロジーは、十分検証してから採用するのが世の常である。たとえば原子力なんていまだ検証段階の未熟な技術だと思うんだが、こんなに日本中に大量に導入してしまって良いのかというのは常に感じていた。昨夜の地震でも、あちこちの原子力施設に電気が届かないで大変と言うし、地震が発生すると大事故につながりかねないということは、今回のフクシマで十分に実証されたのだ。つまりそういう意味では日本人はある種のモルモットになったことになるんだ。致命的な性格が実証されたんだから、今さら四の五の言うことはないと思うが、東京湾を埋め立てて原発を作ってもいいなどという権力者がいまだに存在して、本当にあの人の知性を(そして品性も)疑ってしまうんだが、そういう人間を支持する人間も多いというんだから、驚きを通り越してただただあきれるしかない。ものごとを学習して反省するというのは人間の特色だと思うんだが、そういう要素を欠いたどうしようもない人間を上にいただいた集団がどうなるか、いまさら言うまでもないような気がするようなしないような。まあ、そういったあんばいの今日この頃である。

参考:
竹林軒出張所『パソコンからレンタルDVDが出てこなくなった話』
竹林軒出張所『DVD換装その後』
竹林軒出張所『暑い夏、俺の相棒はとうとう目を覚まさなくなった』
竹林軒出張所『その後のキーボード問題 -- とりあえず最終章 --』
竹林軒出張所『病気になって初めて健康のありがたみを感じる』
by chikurinken | 2014-07-29 09:44 | 日常雑記

年頭の所感2014 〜五十にして老先を知る〜

 年頭の所感なんてものを書いてみようかと思ったが、あまり大したことが思い浮かばない。
 そう言えば去年の年初のあいさつで、ホームページ・リニューアルや美術品販売を宣言していたにもかかわらず、何もやっていないという現実がある。これは今年の課題として残されてしまった。思えば、こうして毎年毎年多くの課題が残され、国の借金のように膨大な量が僕の肩にのしかかっているのだ。もっともそのうちのいくつかはないことにできるという特性があって、半分以上は現在では雲散霧消している。この辺が借金と違うところである。
b0189364_10111835.jpg もちろん、必要に迫られた事柄であれば、すぐにでもとりかからなければならない。だから切迫したことはそれなりにきちんと処理していることになる。だがしかし、そういう消極的な姿勢もそろそろ卒業していかなければならないと思う。なんせもう老い先がどのくらいあるかわからない年齢になってしまったのだ。孔子大先生は五十にして天命を知ったそうだが、こちらは五十にして老先を知った。あまり冴えない話ではあるが。

 ものが必要になれば、僕のようなものぐさ者でもしようがないからなんとか入手する。昨年は自転車を買ったが(竹林軒出張所『自転車を買う(その1)』参照)、これが思いの外快適で、結局1年間で3000キロ以上走った。自転車を買った直後に速度計兼距離計(いまはサイクルコンピュータというらしい)を取り付けたから距離が積算されてわかるようになっているのだ。ただし僕が買った安物のサイクルコンピュータだが、これがいけない。今こういったタイプの安物の品物はナイロンタイというプラスチックの結束線でハンドルに取り付ける形式になっているが、これがもう時間の経過に伴ってまったくバカになってしまうのだ。今やもうぶらんぶらんでハンドルにぶら下がっている状態である。なんでしっかりネジで固定する仕様にしないのかまったくわからない。実際メーター自体は今でも問題なく使えてるのに、こういう細部で手を抜くことで製品自体の価値を損なうことになってしまうのだから。こういった安直な方法を選択してしまうメーカーの姿勢に腹立たしさを感じてしまう一方で、今後は、1消費者としてもっと慎重に良いものを選ぶようにしなければならないとも思う。実はこういった商品、出始めの頃(20年以上前)に同じメーカーの製品を買ったことがあって、そのときは作りがしっかりしていたので、今回は特に注意することなく信用買いしてしまったのだった。一方で自転車用ポンチョ(竹林軒出張所『パンチョ de ポンチョ(ポンチョ試用記)』参照)は、値段は安かったにもかかわらずかなりの高得点だったことをここで表明しなければなるまい。さすがに強風時は怖さを感じることもある(強風時はセパレートのカッパを着用している)が、普通の雨であれば大きな傘をしているようなものでまったく問題を感じない。手放しの傘さし運転よりずっと楽でなおかつ安全だ。結果的に、自転車関連の買物は2勝1敗で、まあよしということになるかな。いずれにしても、ゴミのような商品が巷に多量に出回っている昨今、モノ選びには十分慎重にしなければならないとあらためて感じる。

 モノの選択については言うまでもないが、今年も(例年と同じく)いろいろ思うところがあって目標やテーマなどをいくつか決めている。もっとも、ここで表明すると、またまた年末に借金のように精神的な負債を増やす原因になるかもしれないのでここでは明らかにしない。それでも少しは感じるところがあって、少しずつでも前向きに取り組んで精神的な負債を解消していくようにしたいと思っている。
 このような決意をもって年頭の所感に変えさせていただきたいと、このように思うのであります。(パチパチパチパチ)

参考:
竹林軒出張所『自転車を買う(その1)』
竹林軒出張所『パンチョ de ポンチョ(ポンチョ試用記)』
by chikurinken | 2014-01-03 10:13 | 日常雑記

人のふんどしで自炊する -- 自炊体験記

 先日、自炊してきた。
 「自炊」というのは、本をスキャンしてデータ化することを表す。データ化すると、スマホやPCで使えるなどあちこちで使い回しができるようになる。そういう点で便利なんで、もっぱら巷でせっせと「自炊」する人が増えているらしい。ちなみにこの作業、「自分でデータを吸い出す」ことから「じすい」と呼ばれるようになったという。
 本をスマホで持ち歩く必要性は今のところ感じていないんだが、データ化しておく便利さは実感する。特に問題集なんかはデータ化することで使い回しがきくようになるので、データ化のメリットは大いにあると思う。そういうわけで、僕も自炊してみたいと思うようになったんだが、だからといって道具(スキャナーと裁断機)を買うというのもちょっと気が引ける。自炊対象の本が何百冊もあるってんなら買うメリットもあるが、僕みたいに数冊しかない上、ちょっとお試しでやってみたいというユーザーにとっては、新しく道具を買うのは相当敷居が高い。
b0189364_8235062.jpg そこで、こういった自炊代行業者を探すことになるんだが、何だか今著作者の団体からクレームが入っているとかで、一時期増えていた業者も現在は少なくなりつつある。一方で最近、スタジオ貸しみたいな業者も出てきていると聞く。つまり、自炊を業者が代行するんじゃなくて、自炊用の機材とスペースを貸して、ユーザーに作業をやらせようというやり方を取っている、そういうビジネスがあるというんだな。これだったら「著作権にひっかからないだろう」という業者側の主張なのか、ともかく隙間を狙ったような方法であることは間違いない。すでに首都圏ではこういった形態の店があると聞くんだが、地元になければしようがない。わざわざそのために東京まで遠出するわけにも行くまい。あきらめかけていたところ、地元にもそういう店があると聞いたのが数日前。で、実際に足を運んだのが先日である。
 実は、これまで1冊だけ手持ちのスキャナーで自炊したことがあったんだが、そのときは裁断機がなく、カッターナイフでせっせとページをばらしてやったんで、「裁断」作業に1時間以上もかかった。しかもスキャナーの方も、オートドキュメントフィーダーが付いている複合機なんだが、読み取り速度がやや遅く、しかも読み取った原稿が傾いたり透けたりしていて、満足度はあまり高くなかった。だが、データ化したことでメリットを感じたのは確かで、他の数冊の問題集についてもやりたいなーと思っていたのだね。
b0189364_8241527.jpg さて、僕が先日行ったのは、「デジタルワークスペース」と名うっているところで、DVD-Rの大量コピーとか大判プリントとかを客が自分で作業して利用するという形態の店で、その中に自炊コーナーがある。店に入ると、非常に愛想の良い店主が迎えてくれて、こちらの要件が自炊である旨を告げると、早速そのスペースに案内してくれた。スキャナーや裁断機の使い方を一通り教えてもらって、いざ作業に臨む。裁断機は本格的なもので、ものの数秒でスパッと裁断できる。当然と言えば当然なんだがばらすのに1時間もかかることはない。スキャンは、その筋では有名な富士通のScanSnap S1500を使って行うが、こちらも驚くほど速い。200ページの本1冊に10分かからない。紙のフィードが速い上に、表と裏を一度にスキャンするってんだから大したものだ。そんなこんなで6冊スキャンするのに1時間かからずで、思ったより早く終わったのだった。なおスタジオ使用量は15分300円、スペースのチャージ料200円ってことだったが、なんだかいろいろサービスしてもらって結局900円で済んだ。1冊あたり150円で、僕としては満足度は高かった。
 先ほども言ったように、自炊代行業者は現在、著作者の団体からクレームを受けていて、今後少なくなるんじゃないかと思う。だからといって、僕が利用したようなスタジオ形式の商売が流行るかというとこれも少し疑問が残る。やはりユーザーの側に面倒さが残る点が大きい。面倒さを厭わない人はおおむね自分で道具を揃えてやるんじゃないかと思うんだな。だから僕みたいに試しに少量だけやってみたいという人間以外に利用することはあまりないんじゃないかと考えたりもする。それにドキュメントスキャナーも進化しているらしく、富士通の現行機種のScanSnap iX500という機種もS1500を凌ぐ速度とユーザビリティを兼ね備えているという。個人的にも食指が動くところだ。まあ、今後、スキャンすべき本の冊数が増えたらそのときに購入も視野に入れることにする。
by chikurinken | 2013-04-05 08:25 | 日常雑記