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竹林軒出張所

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カテゴリ:本( 566 )

『天地明察 (上)(下)』(本)

b0189364_17062389.jpg天地明察 上
冲方丁著
角川文庫

抜群に面白い! お奨め

 昨今あまりフィクションは読まないが、ましてや最近書かれた(古典ではない)小説など滅多に読まないんだが、この小説は、碁打ちでありながら日本に新しい暦を導入した安井算哲こと渋川春海(しぶかわはるみ)が題材ということで興味が沸いたため読んでみた。そして久しぶりに感心した。非常に面白い!
 まずキャラクターが非常にうまく描かれている。本因坊道策が晴海に対局を迫り、それに晴海が応じないとムスッとするなど、キャラクター同士の関係性の表現も実に見事。また、晴海の上司に当たる建部昌明、伊藤重孝が子どものように喜ぶ姿も新鮮で微笑ましく感じる。保科正之や水戸光国、酒井忠清、それから関孝和などの有名人についても、描写がうまいため、眼前に活き活きと現れてくるように感じる。場面場面も映像が目に浮かぶように描写されており、そのまま映画化できるのではないかと思うほどである。
 渋川春海は、江戸時代前期、貞享暦を作成したというぐらいしか学校では教わらない(もっともほとんどの学校では時間の都合および教師の好みのために文化史にはほとんど触れないため、学校で教わることはないに等しい)が、この小説では、暦の改訂がどのような意味を持つか、また当時の日本でどれくらいの難題であったか、それを実現したことがどれほどの偉業であったかというのがよくわかるようになっている。内容が内容だけに、随所に細かい説明が出てきて、話の流れが中断するように感じられる部分もあるが、しかしこれがなければ登場人物の行動自体の意味がわからないので、致し方ない。説明の分量は必要十分であると思う。ただし僕個人、暦の問題については石川英輔の本でこれまで何度か読んでいたため、ある程度の知識があった。まったく知識がないと難解さが少し増すかも知れない。
 巻末に参考文献が取り上げられているのも、小説らしくはないが非常に良いと思う。特に和算と暦についてはかなりの知識がなければこれだけの小説をものすことはできないだろう。著者がどこからこの知識を仕入れたかは興味深いところで、僕自身も今後何冊か当たってみたいと思う。著者、冲方丁(「うぶかたとう」と読むらしい。読めないよ)は、SFやファンタジーをもっぱら書いていたそうで、本作あたりが時代小説の最初だったらしい。この後、この小説のスピンオフなんだかどうだかわからないが『光圀伝』という水戸光国(光圀)を題材にした小説を書いていて、こちらも人気が高いようである。『光圀伝』については少し興味が湧くところだ。また本作は映画化もされているが、内容から考えると、メディアとしては小説の方が合っていると思う。映画版は滝田洋二郎が監督し、渋川春海を岡田准一、延(えん、春海の相手役の女性)を宮崎あおいが演じているらしい。僕が小説で抱いていたイメージとは大分違うが、もちろんそういった感想は映画化につきものではある。問題なのは、原作というか史実を一部改変している(垂加神道の山崎闇斎が暗殺されるなど)点で、こういう改変が必要だったのかははなはだ疑問である。
第31回吉川英治文学新人賞、第7回本屋大賞受賞
★★★★

参考:
竹林軒出張所『ニッポンのサイズ 身体ではかる尺貫法(本)』
竹林軒出張所『石川英輔の本、5冊』
竹林軒出張所『ヒカルの碁 (1)〜(23)(本)』
竹林軒出張所『天地明察(映画)』

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 以下、以前のブログで紹介した本、『囲碁の世界』に関する記事。江戸時代の囲碁界の状況が紹介されている。

(2006年10月14日の記事より)
b0189364_17062784.jpg囲碁の世界
中山典之著
岩波新書

 ずいぶん前に買った本だが、最近TVアニメの『ヒカルの碁』を見たこともあって再読してみた。前に読んだときは、囲碁のルールも知らず、囲碁界の状況も知らずという状態だったこともあるのか、それほどの感激はなかった。たしかに読みやすく、囲碁にも興味を持ったが(この本を読んでから囲碁のルールを憶えたのだ)。だが、今回読んでみてなんて面白い本なんだと思った。
 おそらく『ヒカルの碁』で扱われている囲碁界の事情は、『ヒカルの碁』を見なくてもこの本を読めば一通り知ることができる。しかも、当時の海外囲碁事情や、江戸の囲碁史、囲碁よもやま話なども満載で、内容も非常に面白い。囲碁の世界を俯瞰できる優れ本である。
 ただし現在絶版のようで、古本を入手するか図書館で借りるかしか読む方法はない。
★★★★

by chikurinken | 2017-10-13 07:05 |

『応仁の乱』(本)

b0189364_20082744.jpg応仁の乱
呉座勇一著
中公新書

ベストセラーに良書はない

 やけによく売れている本らしい。西暦1467年(応仁元年)に京都で起こった応仁の乱前後の歴史をまとめた本で、内容自体にあまり目新しさは感じない。なぜ売れているのか見当が付かないが「勝ちに不思議の勝ちあり」ということなんだろうか。
 さて内容だが、興福寺の別当だった経覚(きょうがく)と尋尊(じんそん)が残した日記を素材にして、同時代を辿っていくというもので、アプローチもありきたりで特に目新しさはない。で、足利義教が征夷大将軍に就任した時代(1428年 -- 応永35年)あたりから話が始まる。奇しくもこの年は正長の土一揆が起こった年で画期としては申し分ない。
 続いて、この頃の大和盆地周辺が、利権争いのために戦乱がいつ起こってもおかしくない状態だったと語り始める。著者はこれを「畿内の火薬庫」と表現している。この紛争に関わってくるのが河内の有力守護大名、畠山持国だが、その後、この畠山氏に後継争いが起こり、畠山義就と畠山政長が戦闘状態になる。それぞれの勢力に利害関係を持っている守護大名が、それぞれを支援することになり、また、八代将軍足利義政の後継争いも絡んできて、それが拡大し、京都での戦乱になったというのが、世に言う応仁の乱。このあたりのいきさつがかなり細かく時系列で紹介される。
 ただし登場人物が非常に多く、とてもじゃないがわかりやすい記述とは言いがたい。しかもそこに、著者と異なる考え方を持っている学者たちの名前まで引用してきたりしてややこしさもひとしおである。学者の名前をうっかり武将の名前と誤解してしまったりさえする。ただでさえ人物が多すぎるのになんでわざわざ増やすかなと思う。そもそも一般大衆に向けて書くべきこの手の新書で、他人の学説を引用したり反対したりする必然性があるのか。必要性があっても注をつけて巻末で紹介しておけば十分である。そういう点を鑑みると、この本は学術論文の延長として書かれていることがわかる。内容から考えると修士論文程度のものと考えられるが、そもそもが顔を向ける相手が間違っている。あくまでも新書であり学術論文ではないのだから、研究者群ではなく一般読者に語りかけるように書くのが、この手の本の筋ってものだと思うが如何。そのあたりは本来であれば編集者が指摘すべきではないかと思う。
 ともかく、これを一般人でも面白く読めるものにするためには、もっともっと話を切り詰めないといけない。とにかく不要な記述があまりに多く、また不要な登場人物も多い。特に興福寺関連の記述は、経覚と尋尊の関連で入れたんだろうが、ほとんどは応仁の乱の性格付けの上では不要である。第4章「応仁の乱と興福寺」、第5章「衆徒・国民の苦闘」はほとんどカットできる。内容から考えると、半分ぐらいに切り詰めるべきではないかと思う。また登場人物同士の関係性もわかりにくい。随時、図でまとめるなどの工夫が欲しい。
 内容については比較的目新しい内容も紹介されている(たとえば明応の政変など)が、なにぶん整理されていないため、非常に読みづらいことには変わりない。わかったことを書き連ねてそれに少々論考を加えていますという内容では、一般人の目にさらすには少々恥ずかしい代物であると老婆心ながら書いておこう。
★★★

参考:
竹林軒出張所『源頼朝像 沈黙の肖像画(本)』
竹林軒出張所『太平記 (上)(中)(下)(本)』
竹林軒出張所『偉大なる旅人 鄭和(ドキュメンタリー)』

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 以下、以前のブログで紹介した『二人の天魔王』に関する記事。足利義教関連ということで。

(2006年11月18日の記事より)
b0189364_20083147.jpg二人の天魔王
明石散人著
講談社文庫

 現在の織田信長のイメージは戦後の映画で作られたイメージであって、それ以前は「秀吉の主君」という以上の脈絡で語られることはなかったというのが、本書の趣旨。同時に、織田信長がモデルとしていたのが、室町幕府六代将軍で天魔王と呼ばれていた足利義教だという。足利義教は、今では、どうしようもないマヌケ将軍というイメージが強いが、その生き様や業績は歴史上破格で、さまざまな武将がその方法論を踏襲したという。
 実は、この本を読んでもっともビックリしたのは(本書の大部分が割かれている)信長のことではなく、義教のまったく新しいイメージであった。その後、義教関連の本を探したのだが、非常に少ないことがわかった。ましてやこういう(現代人にとって)斬新なイメージで書かれているものは皆無といって良い(小説では一冊あった)。『籤引き将軍足利義教』という本も読んでみたが、こちらは従来の説を踏襲していて面白味に欠ける。
 正直、この本に書いていることが本当かどうかはよくわからない。斬新な説であるのは確かだが、以上のような理由で確かめようがない。本書全体にちょっと胡散臭さも漂うのだが、説得力もあるにはある。非常に評価が難しいところである。
★★★☆

by chikurinken | 2017-10-12 07:08 |

『天才! 成功する人々の法則』(本)

天才! 成功する人々の法則
マルコム・グラッドウェル著、勝間和代訳
講談社

多くの人に均等に機会を与えることが
社会のためになるという主張
お説ごもっとも


b0189364_19043122.jpg アメリカで話題になっているマルコム・グラッドウェルの第3作目。マルコム・グラッドウェルは、元々『ワシントン・ポスト』の記者で、その後フリーのライターになったという経歴を持つライター。
 前著『ティッピング・ポイント』『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』と同様、こちらもさまざまな実験データを引用して、著者の論を展開していく。要は、成功した人々(本書では「アウトライアー」(際立った人)という言葉を使っている)は、特異な天賦の才能のせいでその地位を掴んだんではなく、文化的背景や数々の偶然が作用して、たまたま成功を勝ち取ったのだという主張である。ビル・ゲイツしかりオッペンハイマーしかりで、知性レベルが高いことや才能があることが必ずしもプラスに作用するわけではないということを、さまざまな例を挙げながら紹介していく。
 中でも、プロスポーツ選手の多くが、年度の早い時期に生まれているという話は説得力があって面白い。たとえば日本の場合で言うと4月1日生まれと翌年の3月31日生まれは同じ学年になるが、子ども時代のこの364日の成長の差(ほぼ1学年分)はかなり大きいため、さまざまなケースで4月1日生まれの方が良い成果を出す。結果的に選抜チームなどにも選ばれやすくなって、練習や試合などの機会も増える。どんな分野でも一流になるには10,000時間の修養が必要で、それを達成しやすいのは当然さまざまな機会が与えられやすい選抜された方になる。こうして、生まれた日時だけでも大きな差が生じてくるという。
 また、文化的背景も大きな要因で、地道にがんばることが美徳とされる社会(東アジア)の方が、10,000時間の修養を達成しやすいというような論もある。そしてそういった利点を有利に活用できた人々が、たまたま適切な時代に適切な機会を与えられた(これは偶然の要素が大きい)場合に成功を勝ち取るのだというのが、この本の主題である。
 多くはお説ごもっともで、今となっては取り立てて目新しい説はないが、事例が豊富に紹介されることもあって説得力がある。ただしどうも、自分の説に都合の良いデータばかり集めているんじゃないかという疑念は常につきまとう。これは他のグラッドウェルの本と共通である。とは言え、前2著よりもよくまとまっていて内容的にも面白いため、グラッドウェルの中では一番お奨めできる本かなとは思う。
 翻訳は勝間和代がやっていて、勝間和代ということで最初からあまり良い印象はなかったが、翻訳自体は割合よくできており、非常に読みやすくなっている(ところどころ意味が取りにくい箇所はあったが)。ただタイトルの「天才!」というのはちょっと違うんじゃないかという気はする。ちなみに原題は「Outlier」である。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ティッピング・ポイント(本)』
竹林軒出張所『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい(本)』
竹林軒出張所『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する(本)』
竹林軒出張所『成功する人は偶然を味方にする(本)』
竹林軒出張所『パーク・アベニュー 格差社会アメリカ(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2017-10-11 07:04 |

『なぜ蚊は人を襲うのか』(本)

なぜ蚊は人を襲うのか
嘉糠洋陸著
岩波科学ライブラリー

蚊の本を読んだら蚊に寛大になれる……か

b0189364_18205972.jpg 蚊の研究者が書いた、蚊についてのあれこれを紹介する本。蚊の生態の他、蚊が媒介する病原体や、遺伝子操作などの方法で蚊を駆逐している状況などが紹介される。
 蚊が媒介する病原体を駆逐する方法の1つとして『あなたの中のミクロの世界』で紹介されていたボルバキア方式の記述もある。確かにあの方法は自然界にあまり影響を与えない方法だと思うが、病原体を駆逐するためとは言え、遺伝子組み換えで蚊を撲滅させるなどというのは、自然への影響を考えると大いに疑問を感じる。こういう方法を使うといずれ人間界にしっぺ返しが来るのではないかと思うがどうだろうか。
 著者がこういう方法に賛成かどうかはこの本からはよくわからないが、蚊に対してはかなりの愛情をお持ちのようで、部屋にいる蚊に自分の血を吸わせたりもするらしい。蚊を見つければ自分の手で速やかに殺すことを心がけている僕にとっては考えられないことである。今回少しは蚊に対する見方が変わるかなと思ってこの本を手に取ってみたわけだが、実際のところ蚊の生態を知ったところで、著者のようには寛大になれなかった。殺生をするのは嫌だが、攻撃してくる生き物については致し方ないと思っているわけだ(もっとも蚊としてみれば産卵のために必要なだけで「攻撃」の意図はまったくないわけだが)。蚊は、依然として僕が積極的に殺生する唯一の生き物であり、それはこの本を読んでも結局変わることはなかった。蚊に多少の愛着は湧いたとは言えるが。
★★★

参考:
竹林軒出張所『あなたの中のミクロの世界 (2)(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『迫りくる蚊の脅威(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『虫の歳時記』

by chikurinken | 2017-10-10 07:20 |

『ねてもさめてもとくし丸』(本)

ねてもさめてもとくし丸 移動スーパーここにあり
水口美穂著
西日本出版社

丁寧な作りと著者の人間性が魅力

b0189364_07381503.jpg 「とくし丸」という名前の、ド派手な移動販売車がうちの近所にも来るんだが、「とくとくとーく とくしまる」という妙に明るい音楽が流れて、なかなか鮮烈な印象がある。僕は田舎で育ったのであの手の移動販売車には馴染みがあるが、今の時代はまた、かつてと異なる需要があるらしい。というのも、今の時代、地域の小規模の商店がコンビニチェーンによって駆逐されてしまったため、限界集落に住まうお年寄りは買物すらままならなくなっているというのだ。このような地域では移動販売車が人々に買物の機会を提供することになるため、こういった移動商店は福祉の立場からも重要性が出てくる。
 で、あの「とくし丸」も実は一種のチェーン事業で、近所の大手スーパーと提携しながら、そのスーパーの商品を預かる形で販売するというシステムになっているらしい。名前から想像できるように徳島出身の人(住友達也って人)が始めた事業で、とくし丸本部と地域のスーパーがロイヤリティ契約を結び、さらに地域のスーパーと、販売を担当する個人事業者が契約を結ぶという形態で運用される。スーパー側は商品の販路を拡大できるというメリットがあり、その見返りとしてとくし丸にロイヤリティ料を支払う(3万円/月)。個人事業者は、朝、スーパーで必要な分だけ仕入れを行い(買い取りではないため商品はスーパーに返却可能)、それを一定のルートに従って販売し、売上の17%を収益として得られるという仕組みになっている。がっぽり儲けをさらっていくコンビニチェーンに比べるときわめて良心的なシステムであるが、これはとくし丸本部の考え方に福祉事業という発想があるためで、だがしかしこんなんで本部はやっていけるんだろうかとも思う。ちなみにこの本の執筆時点で全国にあるとくし丸の事業者は200人(つまり200台の移動販売車)ということらしい(単純計算すると600万円/月の収益ということになる)。なお個人がこの事業を始めるにあたり、とくし丸仕様の車両を用意しなければならず、それに350万円かかるらしい。個人事業者としてはこのあたりが最大のハードルで、しかも仕事も結構激務のようだが、販売や営業に向いた人であれば、それなりに良い仕事なのではないかとこの本を読んで思う。なおこの本では、ここまで述べたロイヤリティ関連のシステムや費用が詳しく書かれているので、諸々の事情は非常によくわかる。少なくともコンビニ事業に見られるような、事業者がエラい目を見るというシステムではなさそうなのは確かである。
 このようなシステムで個人事業者としての活動を始めた京都の女性が、ブログで綴った「とくし丸奮戦記」がこの本の元になっており、客との触れあいや家族、スーパー担当者、とくし丸本部などのサポートが率直に書かれている。この著者、販売業が天職であるかのような人で、客との触れあいが楽しくてしようがないらしい。そのウキウキ感は率直な文章を介して読者にも伝わってくる。同時にそういうような環境で商売できるとくし丸のシステムも評価に値すると感じる。地域の人々にも歓迎されているらしく、ものをもらったりトイレを借りたりとか人と人との交流が、読んでいて大変心持ちが良い。元々はブログの文章であるが読んでいて気持ちの良い本に仕上がっている。
 またこの本で一番感心したのが本の作りが非常に丁寧であるという点である。校正がしっかりしているのは当然だが、本のたたずまいが非常に良い。「ねてもさめてもとくし丸」というタイトルも秀逸で、イラストがまた良い。装丁については、とくし丸の販売車のデザインをした人がやったらしいが、(当然だが)とくし丸の雰囲気が再現されていてこちらも良い味を出している。昨今雑に作られた本がやけに多いが、この本については丁寧さがとても目を引く。それがまた著者の人柄を反映しているようにも映るわけで、こういう丁寧さは出版事業には大切である。
★★★☆

参考:
竹林軒『百円ショップを巡りながらこう考えた』
竹林軒出張所『低価格時代の深層(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『地方発ドキュメンタリー(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2017-09-26 07:38 |

『漱石の印税帖 娘婿がみた素顔の文豪』(本)

b0189364_07590375.jpg漱石の印税帖 娘婿がみた素顔の文豪
松岡譲著
文春文庫

文豪たちが活き活きと蘇る

 漱石の弟子の1人で新思潮派のメンバーでもある松岡譲が、漱石と新思潮派の同人たちとの想い出を語る短編集。
 著者の松岡譲、漱石の弟子ではあるが、同時に漱石の長女、筆子の夫、つまり娘婿でもある。もっとも2人が結婚したのは漱石没後である。しかも結婚に際して、久米正雄が筆子に必死にアプローチしていたにもかかわらず筆子の方で松岡を選んだといういきさつがあって、このあたりちょっと『こころ』を彷彿させる話である。このいきさつについては本書収録の「回想の久米・菊池」という一編に詳しい。久米正雄は当時かなりの遊び人で、漱石の兄弟子たちからは筆子に近づくなとしきりに警告されていたという存在で、しかも筆子に振られた後は、筆子と松岡をひどい人間であるかのように自身の小説で取り上げ続けたという、ちょっとしたろくでなし人間である。だが久米は、こういったスキャンダラスな小説で名前を挙げていき、一方の松岡はこの事件後、小説執筆を断つなどということをやった(このあたりも漱石の小説のようだ)ため、小説家としての名声は久米の方が上がっていくというんだから人生はわからないものだ。またこの一編には、若き日の(全然売れていない頃の)菊池寛が出てきて、これがまたすごいいい人で、久米、菊池についてはこれまで持っていた印象と大分違う上、この小説では、彼らの人間像が活写されていて、内容的にも大変興味深い作になっている。
 他に、新思潮同人の芥川龍之介について書かれた「二十代の芥川」もよくできた小説で、こちらも芥川が活き活きと現れてくる。最後の方の「彼の死ぬ前年の十二月九日、漱石の十三回忌の時雑司ヶ谷の墓前で久々で逢った時には、その顔に死相といってもよさそうな、まるでポオの小説の挿絵みたいなものが現れていてびっくりした。岡本かの子が「鶴は病みき」で書いた、電車の中の子供が「オバケッ」と泣き出したというあの顔なのだ。」という記述は迫力がある。
 漱石について書かれた「宗教的問答」や「『明暗』の頃」でも、人間・漱石が活写されている。著者の小説に出てくる文豪たちは、どれも友人だったり先輩だったり師匠だったりで、読者も彼らを一人の人間として身近に感じられるのは、著者の筆力のせいか。鈴木三重吉について書かれた「三重吉挿話」も良い。
 本書は、基本的には漱石について書いたものの方が数が多いが、タイトルにもなっている「漱石の印税帖」などは小説というよりレポートみたいなもので、漱石作品の出版歴をまとめたという類の話で面白味はまったくない。なぜこれをメインに持ってきたのかよくわからない。「贋漱石」と「漱石の万年筆」は、漱石死後の遺物についての話でこちらはエッセイみたいな内容。
 やはり本書の目玉は、直接の知人である若き日の文豪たちの有様を描いたものであり、これも一種の青春記と言えるのかも知れない。ただ、エライ人の娘婿になるということも結構つらいことだということがわかった。なお、作家の半藤一利は、この松岡譲の娘婿で、漱石の義理の孫ということになる。この人もつらかったのかね。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『こころ(本)』
竹林軒出張所『夏目漱石の妻 (1)(ドラマ)』
竹林軒出張所『夏目漱石の妻』(2)〜(4)(ドラマ)』
竹林軒出張所『漱石悶々(ドラマ)』
竹林軒出張所『吾輩は猫である(映画)』
竹林軒出張所『三四郎(本)』
竹林軒出張所『草枕(本)』
竹林軒出張所『昭和史 1926-1945(本)』

by chikurinken | 2017-09-25 07:59 |

『平安京はいらなかった 古代の夢を喰らう中世』(本)

b0189364_08495275.jpg平安京はいらなかった
古代の夢を喰らう中世

桃崎有一郎著
吉川弘文館

歴史の虚像と実像

 京都の立命館大学で「京都学」を教えていた著者が、京都を離れるに当たって、その成果を「卒業論文」としてまとめたのがこの本。参考文献などにも詳細に言及しており、学術論文のようなたたずまいである。
 平安京は、元々外交儀礼のために(つまり諸外国に対する見栄で)作られており、行政機能を遂行する上で必要である以上の大きさと規模を持っていたため、結局初期のプラン通り完成することはなく、後にはその領域の多くが本来の役割で使われなくなっていったというのが本書の内容。実際、現在の京都の市街域は旧「左京」に著しく偏っており、現在の京都御所も、かつての内裏の位置とはまったく違っていて、かなり「左京」よりである。そのあたりのいきさつも、背景の政治史と交えながら詳細に説明されており、大変わかりやすい。内容はかなり専門的だが、説明が丁寧であるため、わかりにくいということはない。ある程度の日本史の知識があれば十分楽しめる。また、おそらく平安研究者の間では常識であると考えられる位階制度(正一位から従初位下まで)の詳細や平安京の基本構造である条坊制などについても非常に丁寧に説明されているのも好感が持てる。この時代の歴史や文学に興味があれば、かなり食いついてしまう内容ではないかと思う。大内裏の門の名前の由来(119ページ)や、朱雀大路が畑として使われていたという話も興味深い。またわかりやすい図版が多用されており、しかもその言及箇所も正確で、しっかり作られた本であることがわかる。校正もきっちり行われているようで本としての完成度も高い。本を出すならこのくらいのレベルのものを出してほしいものである。良い本だ。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『京都御所 〜秘められた千年の美〜(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『丸竹夷にない小路(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『京都 冷泉家の八百年(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『六国史 ― 日本書紀に始まる古代の「正史」(本)』

by chikurinken | 2017-09-23 08:51 |

『和歌のルール』(本)

b0189364_18282908.jpg和歌のルール
渡部泰明編
笠間書院

和歌の修辞の基礎

 タイトル通り、和歌のルール、修辞法について解説する本。編者は『古典和歌入門』の著者である渡部泰明。
 枕詞、序詞、見立て、掛詞、縁語、本歌取り、物名、折句・靴冠、長歌、題詠の10章立てになっており、章ごとに異なる和歌研究者が解説していく。どれも非常にわかりやすく、著者たちが感じているであろう、和歌の面白さが十分に伝わってくる。掛詞の章で、「立ち別れいなばの山の峰におふる」の歌を二段構成で図式化していたりするのも面白い表現である。
 とは言え、ほとんどが高校で教わるような比較的基本的な事項であるため、目新しさはあまりない。この本の特徴は、あくまでも和歌の技巧に対するアプローチの方法であり、和歌入門という位置付けから出ることはない。だが良い本であるのは確かで、手元に一冊置いておきたいと思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『古典和歌入門(本)』
竹林軒出張所『恋する伊勢物語(本)』
竹林軒出張所『短歌をよむ(本)』

by chikurinken | 2017-09-22 07:28 |

『ショージ君の青春記』(本)

b0189364_20434062.jpgショージ君の青春記
東海林さだお著
文春文庫

イタさ爆発……だが
イタいも辛いも酸いも青春


 マンガ家、東海林さだおの自伝。
 女性とうまく行くことばかり夢想し現実がそれに追いついてこないという、かなり恥ずかしい過去を赤裸々に描いている。「かなり恥ずかしい」と言っても、もちろん自分自身も若い頃は似たようなもので、と言うよりかなり思い当たるフシがあることばかりで、思わず苦笑してしまうような内容である。したがって非常に共感できる。
 そういうちょっと痛い(「イタい」と書く方が適切か)高校生時代から、一浪した後何とか引っかかった早稲田の露文(ロシア文学)時代までが描かれる。主人公(つまり著者の分身であるが)の人生は結構場当たり的でしかも楽天的だが、これは若い者に共通の特性でもある。大学生になった後も痛いことだらけで、読んでいてこちらも少し痛ましさを感じる。露文自体、女の子にもてそうというような非常に安易かつ不純な動機できわめて場当たり的(直前まで美術史学専攻予定だった)に選んだため、入ったは良いがロシア文学にもなじめず、ロシア語がいつまで経っても記号にしか見えず「これをどうしろというのだ」と自問する日々。このような暗黒の日々をしばらく送るが、やがて漫画研究会という居場所を見つけ、そこで福地抱介や園山俊二に出会う。その後、マンガ家になる決心をするが、その後もかなり痛い話が続く。
 文体は東海林さだおらしく、ユーモア溢れる柔らかいタッチで、しかも他のショージ君シリーズみたいな、妙なこだわりを発揮するような箇所もあちこちにある。どんどん読み進めるので読むのは苦にならないが、自分自身の恥ずかしい青春時代をほじくられているような気分になることもあるためそのあたりが苦になる。だが青春ものとしては出色の作品ではないかと感じる。でもよくこんな若者がマンガ家としてやっていけるようになったなあとも思う。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『さらば東京タワー(本)』
竹林軒出張所『コミック昭和史 第5巻、第6巻、第7巻、第8巻(本)』
竹林軒出張所『地を這う魚 ひでおの青春日記(本)』
竹林軒出張所『白土三平伝 カムイ伝の真実(本)』
竹林軒出張所『「ガロ」編集長 私の戦後漫画出版史(本)』
竹林軒出張所『トキワ荘の青春(映画)』
竹林軒出張所『まんが トキワ荘物語(本)』
竹林軒出張所『トキワ荘青春日記―いつも隣に仲間がいた…(本)』
竹林軒出張所『アオイホノオ (7)〜(11)(ドラマ)』
竹林軒出張所『アオイホノオ (2)〜(4)(本)』

by chikurinken | 2017-08-30 06:43 |

『さらば東京タワー』(本)

b0189364_20390178.jpgさらば東京タワー
東海林さだお著
文春文庫

ショージ節健在の一冊

 マンガ家、東海林さだおのエッセイ集。第何弾かはわからない。この人、40年ぐらい前からこのテのエッセイを書き続けており、単行本も相当な数になるんではないかと思う。僕も著者のエッセイを読んだのは30年ぶりくらい。本書のエッセイは初出が2010年であるため、初期のものから数えるとかれこれ40年ぐらいか。それのそのはず、著者はすでに79歳。中に老人の性についての対談があり、著者自身は老人の問題を第三者的に見ているフシがあるが、実はど真ん中である。
 お掃除ロボット、ルンバとの接し方や東京タワー訪問記と、ネタは例によってさまざまだが、内容は昔と変わっていない。あれやこれやに対してのコダワリや怒りがユーモラスに表現されていて、ショージ節の健在がうれしい。中でも面白かったのは「オノマトペ大研究」と「相田みつを大研究」の2編で、前者が日本語の擬態語についてこだわり抜いた一編、後者が相田みつをの詩の分析(といっても概ね茶化しているんだが)。
 つまらなかったのは平松洋子という人との対談で、面白味がない上、何が言いたいのかよくわからないと来ている。他の対談(老人の性欲に関するものと、社交ダンスに関するもの)が東海林さだおの特徴が出ていて非常に面白かっただけに、平松対談については数合わせで入れたのかと思わせるグレードの低さだった。それでもまあ、ほとんどは独特の世界観(?)で貫かれており、しかも(やはりというべきか)エンタテイメント的要素も存分に散りばめられているため、十分楽しむことができる。この人みたいに、文章自体で面白さを表現できるという人もそういないんじゃないかな。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『かつをぶしの時代なのだ(本)』
竹林軒出張所『山手線内回りのゲリラ(本)』
竹林軒出張所『日本語ぽこりぽこり(本)』
竹林軒出張所『娘と私の部屋(本)』
竹林軒出張所『小説より奇なり(本)』

by chikurinken | 2017-08-28 07:19 |