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竹林軒出張所

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2017年 08月 18日 ( 1 )

『中国映画を支えた日本人』(ドキュメンタリー)

中国映画を支えた日本人 〜 “満映”映画人 秘められた戦後(2006年・NHK)
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中国映画のもう一つの歴史

b0189364_21042266.jpg 太平洋戦争中、中国大陸に建国された満州国は、日本の傀儡国家であったことから日本人が大勢入植し、その日本人向けに満州映画協会という映画会社(いわゆる「満映」)まで設立された。この映画会社、満州人の美人が日本人に恋するという、日本人にとって非常に都合の良いストーリーの映画をたくさん作ったが、同時に李香蘭(山口淑子)というスターまで生み出した。「満映=李香蘭」という図式まである。というか、僕自身はそういう図式でしか満映を知らなかったのだ。
 さてその満映だが、大日本帝国の無条件降伏で戦争が終結すると、当時満映に乗り込んでいた大勢の日本人映画人は、一部帰国したが、その後も当地に大勢残っている。満映自体は、その後乗り込んできた中国共産党が接収し、共産党のプロパガンダ映画を作り始めた。その際、残った日本人映画人は、現地の中国人映画人の指導に当たったり、その後の共産党製作の映画のスタッフとして協力したりしたらしい。この中には内田吐夢などもいたそうだ。当時の中国の映画レベルがあまり高くなかったこともあり、こういった日本人技術者は非常に重宝され、その技術が中国内の映画人に引き継がれる役割を果たしたというのがこのドキュメンタリーの趣旨である。
 僕自身は1980年初期から中国映画を目にしていたが、たまに目にしていた文革時代のプロパガンダ映画の質の低さに辟易していた一方で、1987年の『古井戸』は、そういった映画と異なるレベルの高さを感じてかなり驚いた記憶がある。戦後中国に(特に文化大革命による)映画技術の断絶があったと感じていたため、こういった作品が作れるのかと思い意外性を感じたわけである。なんでもこの映画の主役と撮影を担当したチャン・イーモウ(その後偉大な映画人になるが)は、満映で技術を受け継いだ中国人技術者の弟子筋にあたるらしく、満映の技術を引き継いだ一人ということになる。技術には継承が重要であるということを考えると、これは十分納得のいく話ではある。
 僕にとって、中国映画には韓国映画と違って魅力を感じるものが多いのは事実で、戦前に日本にあった映画技術が継承されたことがその要因なのかどうかはわからないが、もし継承されているのであればそれは中国文化にとってラッキーなことであった。結果的には日本人技術者を引き留めた中国共産党の勝利ということになるのか。なお、その後日本人技術者たちは、中国に種をまいた後、無事帰国を果たしたようである。このドキュメンタリーによると、多くの技術者たちが、満映時代、その後の共産中国時代について、映画人としての彼らにとって素晴らしい時代だったと感じている模様である。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『証言 日中映画人交流(本)』
竹林軒出張所『中国10億人の日本映画熱愛史(本)』
竹林軒出張所『単騎、千里を走る。(映画)』

by chikurinken | 2017-08-18 07:02 | ドキュメンタリー