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竹林軒出張所

chikrinken.exblog.jp

2017年 08月 02日 ( 1 )

『東大VS京大 入試文芸頂上決戦』(本)

東大VS京大 入試文芸頂上決戦
永江朗著
原書房

後半は長々と与太話を聞かされた

b0189364_19162006.jpg ときどき大学入試の国語の問題を解いてみたりするんだが、当然ながら良い問題もあればひどい問題もある。どちらかというとひどい問題の方が多いかもしれない。まず問題文の悪さが目に付く。基本的に現代文の大学入試で取り上げられる文章は読みづらい悪文が多いなどという話を聞いたことがあるが、それにしてもあまりにひどいものがある。内容がプアなのも多いが、そもそも人に読ませる日本語が書けていないものがあまりに多い。出題者にこんなひどい文章を高校生に読ませたいのかと訊ねてみたい気持ちに駆られる。
 最悪なのは大学入試センターが作っているいわゆるセンター試験の文章で、年々悪くなっているように思える。そんな中、国立大学の問題は割合良い問題が多い。採点にしっかり時間をかけられているせいか(国語については詳しいことは知らないが)中には読みふけってしまうような面白い問題文まである。この著者も、いわゆる「赤本」に掲載されている国語の問題を、アンソロジーとして読んだりするのが好きらしい。そういう著者であるからこそ、国立大学(この本では東大と京大)の国語の問題に食いついたというわけ。この本は、過去の東大と京大の国語の問題(多くは現代文)を紹介して、そこに時代背景を読み取ったり、あるいは書かれている内容に興味があればそれについてもコメントしたりというコンセプトの本で、企画としては面白いかも知れないが、少しばかり作り手の作為を感じる企画でもある。それに「入試文芸頂上決戦」という、煽るようなタイトルもいただけない。
 紹介する入試問題は、明治期、大正期から、戦後、高度成長期、バブル期を経て2016年までで、都合100年以上に渡っている。戦前の問題は、第一高等学校(東大の一部の前身)と第三高等学校(京大の一部の前身)の問題で、学制改革後は東大と京大の入試問題である。特に(明治期を含む)戦前、戦後すぐの問題はなかなか興味深いもので、学術的に(あるいは博物学的にでも良いが)アプローチしていれば非常に面白い本になっていたと思われるが、本書ではこちらはどうもおまけのような位置付けである。この著者の関心は、ここ20年くらいの問題で、そちらの方に偏っているという印象がある。特に比較的新しい問題については、著者の好みが合うのか、やたらいろいろ取り上げてコメントしている。ただし内容は野次馬的あるいは知識のひけらかしみたいなふうにも感じられ、読者の側からするとまったく読む価値を感じない。僕自身もいろいろとツッコミながら読んでいたぐらいで、後半は「★☆」程度の評価である。本書を半分以上読んだんで無理して最後まで読みましたというのが本音のところである。そもそもこの著者が好んで取り上げる文章がどれも面白くない。中身が伴っていないスカした文章ばかりで、こういう人が入試問題を作っているのだなというのがよくわかったのは収穫である。
 また、この著者の文章がところどころ気持ち悪くて鼻に付く。たとえば「オレが受験生なら、この出題文を読んで泣くね。(253ページ)」などとという文章。しかもご丁寧に5ページ後にも、「オレが受験生だったら、出題文を読んで泣くね。(258ページ)」という具合に同じような表現が繰り返される。オレが著者だったら、ちゃんと校正するね。
 他にも低レベルな表現が多数あるので以下に一部をご紹介。引用文の後のカッコ内は僕のツッコミである。
● (メルロ=ポンティとギブソンの名前が問題文に入っていたことから)「いまの東大受験生はメルロ=ポンティの『知覚の現象学』やギブソンの『生態学的視覚論』を読んでいたりするのだろうか。(240ページ)」(読んでるわけねえだろ)。この著者が単にこういうのを読んだことを自慢したいのかとも思える。その後、242ページにも「メルロ=ポンティなどに親しんだ受験生ならそう難しい問題ではないが、初見ではちょっと戸惑うかも知れない。」などとしつこくメルロ=ポンティを押してくる。
● (幸田文の文章にちょっと外すテクニックがあるなどと指摘した後)「ほとんどの人が見逃していて、それでちょっとかわいげのあるようなコメントをひとこと言うのが、アイドルとして愛される秘訣だというのである。ジャニー喜多川は幸田文を読んだだろうか。(247ページ)」(アホか)
● 「自己の同一性をめぐる素朴な問いである。受験生にとっては、前日の夜、自宅の勉強部屋の机に向かっていた自分と、いま試験会場の机の前にいる自分を対比するだろうか。(250ページ)」、「「意地悪だなあ、こんな文章を試験に出すなんて」と思うだろうか。(252ページ)」(想像力にも創造力にも乏しい安っぽい文章)
● 「ロマンス小説や漫画で、複雑だけども陳腐な人間関係や事件、感情のもつれなどについて知っておくことは、東大受験をする上でもけっしてむだではないのだなあ、と思う。東大入試は下世話な人が意外と有利?(255ページ)」(もはや何も言えない)
 こういう文章が特に後半多くなってきて、かなり不快な気持ちになったことを付記しておく。また誤植が多いのも鼻に付く。ともかくかなりいい加減な本である。
★★☆

参考:
竹林軒『大学受験ラジオ講座回顧』
竹林軒出張所『数学受験術指南(本)』
竹林軒出張所『大学入試担当教員のぶっちゃけ話(本)』
竹林軒出張所『笑うに笑えない大学の惨状(本)』

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 折角だから不肖私も、この本を題材に入試問題を作ってみた。大学関係者の方々、入試で使ってもかまいませんよ。

第一問 次の文章は、東大の入試問題について書かれた文章の一節である。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、表記は一部改めている。

(本書274ページから)
 文科では4つめに堀江敏幸の「青空の中和のあとで」から出題されている。日経新聞に連載されたエッセイで、日本文藝家協会編纂の『ベスト・エッセイ2015』に収録されている。
 堀江敏幸は1964年生まれで、現在は早稲田大学文学学術院教授。ぼくが5年間、任期付の教授として早大に勤務したとき、堀江のゼミは人気が高く、入るのが難しいことで知られていた。ぼくの演習に出ている学生のなかにも「堀江先生のゼミに入りたかったけど、選考で落とされました」という学生が何人もいた。たしか朝井リョウは堀江ゼミだった。
 堀江は温厚で静かに話す人だ。デビューは白水社の雑誌『ふらんす』に連載した『郊外へ』で、フランス留学時のことを題材にしている。エッセイなのか小説なのか判然としないところが魅力なのだが、『おばらばん』が三島賞を受賞したり『熊の敷石』が芥川賞を受賞したとき、これは小説ではないと文句をいう人もいた。べつにどっちでもいいというか、どうでもいいことなのに。堀江はたくさんの賞を受賞し、たくさんの賞の選考委員もつとめている。大学に勤務しながら、コンスタントに小説を発表している。さすがに翻訳の仕事は少なくなっているけれども。
 出題文は、夏のある日、突然の夕立に遭ったことを、空の青にからませて書いたものである。

<その日、変哲もない住宅地を歩いている途中で、私は青の異変を感じた。空気が冷たくなり、影をつくらない自然の調光がほどこされて、あたりが暗く沈んでいく。大通りに出た途端、鉄砲水のような雨が降り出し、ほぼ同時に稲光をともなった爆裂音が落ちてきた。電流そのものではなく、来た、という感覚が身体の奥の極に流れ込んで、私は十数分の非日常を、まぎれもない日常として生きた。雨が上がり、空は白く膨らんでまた縮み、青はその縮れてできた端の余白から滲み出たのちに、やがて一面、鮮やかな回復に向かった。
 青空の青に不穏のにおいが混じるこの夏の季節を、私は以前よりも楽しみに待つようになった。平らかな空がいかにかりそめの状態であるのか、不意打ちのように示してくれる午後の天候の崩れに、ある種の救いを求めていると言って良いのかもしれない。>

 日常の一瞬を、まるで短いドラマのように切り取るその筆致は、さわやかで気持ちいい。それでいて地名など固有名詞は使わず、「変哲もない住宅地」「大通り」「目の前の歩道橋」とすることで、イメージを固定させない。文藝家協会のアンソロジーで読んだ文章をいままた読み返して、つくづく「うまいなあ」と思う。
 設問は、出題文中に傍線を引いた箇所について問うもの。

 (一)「何かひどく損をした気さえする」とあるが、なぜそういう気がするのか、説明せよ。
 (二)「青は不思議な色である」とあるが、青のどういうところが不思議なのか、説明せよ。
 (三)「そういう裏面のある日常」とはどういうことか、説明せよ。
 (四)「青の明滅に日常の破れ目を待つという自負と願望があっさり消し去られた」とはどういうことか、説明せよ。

 という4問。
 出題文をゆっくりじっくり読めば答えられるが、しかし、説明する、つまり他の言葉に置き換えてしまったら、堀江のエッセイとも小説ともつかない文章の味わいも損なわれてしまう。もっと出題文をより深く楽しむ方向での設問はできないだろうか。
 そうそう、堀江が明大に勤務していたとき、新刊インタビューのあとの雑談で入試の話になった。堀江は明大でフランス語を教えていて、フランス語の入試も担当した。フランス語での受験生は少なく、たいていはフランス語圏からの帰国子女だそうだ。人数は少なくても受験生がいる限り、入試問題を作成した教員は質問や誤植等への対応のために試験会場で待機していなければならない。ところが入試の前に他の志望校に合格した学生は、試験会場に現れないこともある。年によっては誰も来ないことさえ。誰も来ない試験会場で誰も受けない試験問題への質問に備えて待機する空しさについて、堀江は苦笑しながら語っていた。堀江敏幸らしい光景だと思った。

問一 この文章の前半(出題文より前)には、大意には関係ないため削除した方が良いと考えられる段落が一つある。どれか。最初の五文字を抜き出せ。

問二 本書の著者は出題文について「日常の一瞬を、まるで短いドラマのように切り取るその筆致は、さわやかで気持ちいい」と書いているが、読む人によっては気取った過剰な表現に不快さ、滑稽さ、気持ち悪さを感じる。そういう人の立場に立って、このような表現を「気持ち悪い」順に三つ抜き出せ。

問三 この文章の大意としてもっとも適切なものを、次の選択肢の中から選べ。
 1 フランス語の入試は受験生が少ない。
 2 私は早稲田に教授として勤務したことがある。
 3 突然の夕立も素敵なものだ。
 4 私はあの堀江敏幸と知り合いで、親しく口を利く間柄である。

問四 この文章の特徴は次のうちのどれか。もっとも適切なものを選べ。
 1 奇を衒った独特の比喩表現が多く、表現の意図がわかりにくい。
 2 話言葉に近い表現で読みやすくなっているが、内容も会話のように脱線していき、とりとめがない。
 3 無駄がない密度の高い文章で、イメージが次々に喚起される完結な名文である。
 4 随所に皮肉を効かせた表現は、辛辣だが詩的で味わい深い文章である。

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解答:
問一 「堀江敏幸は」(第2段落:まったく不要なエピソード)
問二 その縮れてできた端の余白から滲み出た
   影をつくらない自然の調光
   来た、という感覚が身体の奥の極に流れ込んで
   青の異変(の上位から3つ)
問三 4
問四 2
   注:一種のパロディですので、怒らないでくださいね。

by chikurinken | 2017-08-02 07:15 |