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竹林軒出張所

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『総書記 遺された声』(ドキュメンタリー)

総書記 遺(のこ)された声 日中国交45年目の秘史(2017年・NHK)
NHK総合 NHKスペシャル

胡耀邦の足跡

『総書記 遺された声』(ドキュメンタリー)_b0189364_18283409.jpg 1980年代に中華人民共和国共産党の総書記に収まっていた胡耀邦は、作家の山崎豊子と3回に渡って対談しており、その様子が録音されたテープが残っていることが判明した。その録音から、胡耀邦の人となり、思想を探っていこうという歴史ドキュメンタリー。
 胡耀邦は、鄧小平の改革開放路線を踏襲し、中国経済の発展に尽くし、同時に国内の民主化にも尽力した。しかし保守派の元老から批判を受け、1986年に失脚。国内の「過剰な」民主化と親日的な政策が保守派の反感を買い、その責任を取らされたということである。やがて1989年に心労がたたったせいか死去するが、その民主的な態度が若い世代に評価されていたためか、各地で学生による胡耀邦追悼集会が行われ、中でも天安門前広場では10万人が集まった。やがて集会は民主化要求運動へと転換していき、これに不安を感じた当局は武力で弾圧することに踏み切る。これが(中国では存在しないことになっている)世に言う天安門事件である。以後、中国は急速に反民主化路線に舵を切り、国内の愛国教育を重視する方向に転じていく。結果、戦時中の日本軍の行動に対する敵意を若い世代に植え付けることになったのが、その後の中国の反日機運の高まりに繋がっていった。その意味で胡耀邦の死というのは、日中関係史において1つの画期だったとも言える。
 胡耀邦自身は、若い頃、文化大革命で若者に「走資派」というレッテルを貼られ、つるし上げられて自己批判させられ、しかもその後、農村で労働生活に従事させられたという。このような苦労人であるだけに、人格的にも思想的にもバランスが取れていた御仁のようだが、そういう人が保守勢力に潰されてしまうというのは、世界中でよく起こる話。とは言え、胡耀邦体制がそのまま10年、20年単位で続いていたら、中国政府の有り様も日中関係ももっとまともになっていたことが考えられるし、北朝鮮問題も解決していた可能性がある。それだけに彼の死は、東アジア全体にとっても画期であったと言えるのではないか。
 彼が残した言葉が奮っている。「愛国主義を提唱しているのに世界各国の人々に友好的でないなら、これは愛国主義とは言えません。国を誤るという「誤国思想」「誤国主義」です。皆さんには「誤国主義」を防いでほしいと思います」。日本にもはびこる愛国バカに聞かせてやりたい。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『中国はなぜ「反日」になったか(本)』
竹林軒出張所『天安門事件(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『家族と側近が語る周恩来 (3)(4)(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『文化大革命50年 知られざる“負の連鎖”(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『国家主席 習近平(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2017-12-01 07:28 | ドキュメンタリー
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